どうも!!流星仮面二世です!!
さあ忘れた頃にやってくるプロレス研究所でございます。今回はですね、何この題名?何言ってんの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、なんの根拠もなしにやるわけがありませんよ~。ということで行ってみましょう!!
さて、ザ・スコアーです。もはや知らない人はいないでしょう。今やテレビでも会場でも新日本プロレスのオープニングといえばこれですね。
このザ・スコアーは原曲はキース・エマーソン、グレッグ・レイク、コージー・パウエルのバンド
「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」
イギリスのバンド、エマーソン・レイク・アンド・パウエル (Emerson, Lake & Powell)
が、86年7月リリースしたアルバム
「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」
あれですね、バンド名とアルバム名が一緒なんですね。この一曲目に収録されていた「The Score」で、演奏時間9分18秒、イントロだけで3分50秒もある独創的で個性的な曲なんですね。
この曲の編集されたものが1989年、平成元年から使用され、まさに平成の新日本プロレスと共に歩んできたわけですね。今や新日ファンにとってはイントロを耳にしただけでも、いやが上にもテンションが上がってしまうほど浸透している、なくてはならない曲であります。
そんなザ・スコアー、ネットで検索するとワールドプロレスリングでは89年の1月から使用とあります。しかし、1月の何日から使用されているのか?これはどこにも出ておらず不明でしたので、ちょっと調べてみました。
まず、89年1月時点でのワールドプロレスリングの放送時間が土曜日の夕方16時から16時54分となっています。いわゆる"土曜4時のプロレス"ですね。題名は前年が"88ワールドプロレスリング"という名でしたが、この年明けから"ワールドプロレスリング"に戻しています。おそらくこのリニューアルに合わせて、ここからザ・スコアーを使用したと見られます。
で、通常であれば、この年一発目の放送は1月7日から行われているはずでした。なので本来は89年1月7日がワールドプロレスリングでザ・スコアーが流れた記念すべき第一回目になるはずでしたが・・・しかしこの月は時代が動いた年でしたね。
まず、新日本の89年の一番最初の大会は1月6日、金曜日に後楽園ホールで行われた「89新春黄金シリーズ」の開幕戦でした。この大会はテレビ収録有りで、放送日は翌日7日になるはずの予定でした。
しかし7日、天皇陛下が崩御されたことを受け、テレビ朝日は特別番組を放送することになります。このためこの日の16時からのワールドプロレスリングの放送は中止となったわけなんですね。
本来放送されるはずだった89年最初の大会のメインは6年3ヶ月ぶりの猪木、藤波、長州の夢のタッグだった。結局これが昭和最後の日のプロレスともなったのは何かの因果か・・・
ということでワールドプロレスリングの89年の最初の放送日は翌週の土曜日の14日からとなりました。この日は千葉公園体育館からの中継で、カードはアントニオ猪木、越中詩郎vsマサ斎藤、馳浩。藤波辰巳vsクラッシャー・バンバン・ビガロ。長州力vsビッグバン・ベイダーとなっています。
ボクは当日のワールドプロレスリングのビデオは所有していませんが、ザ・スコアーが89年1月から使用されたのであれば89年の一発目のこの14日の放送からで間違いなさそうです。
しかし、今回は題名にもありますように
「ザ・スコアーは本当に新日本が最初だったのか?」
という疑問追求です。もし89年に新日本プロレス、ワールドプロレスリングよりも前に他の団体が使用していたとしたら・・・?
「今、ベールを脱ぐU.W.F. 旗揚げ一周年 前田日明と戦士の軌跡」
を見ていたときでした。
これだけのネット社会においても検索してもまったく出てこないという、もはや幻の番組だ(レガさん、ありがとうございます)
ドキュメント番組だったそれは、UWF旗揚げからの一年を作家の夢枕獏が前田、高田、山崎へインタビューしながら試合や大会背景などを振り返るというものでした。取り上げられた試合はカットはなくフルで流され、番組自体の時間も長い、大変中身の濃い内容となっていました。
で、この番組も後半に差し掛かったところでした。試合後に控え室でインタビューを受ける高田の姿があるのですが、このときのシーンに思わず釘付けになりました。
!?
このインタビューは89年5月4日、あの大阪球場での「UWF MAY HISTORY 1st」の日のセミの高田vs山崎戦の試合後のものだったのですが、そのインタビューの後ろ・・・ここで微かに流れて聞こえる音楽こそ、なんとザ・スコアーだったのです!!
バックステージ越しなので音は小さいですが、間違いなくザ・スコアーなのが確認できます。ボクの頭の中は、あれ!?なんで!?という言葉でいっぱいになりました。
そしてのち、メインの前田、ドールマン戦の入場前にはリングが映し出され会場内のレーザー光線による演出の映像が映し出されます。ここで改めて会場音源としてザ・スコアーが流れているのがハッキリと確認できました。
ザ・スコアーに合わせてレーザー光線やカクテル光線が動いています。これは・・・
高田が控え室でインタビューされているときと前田、ドールマン入場前は同じ時間軸だったということですが、しかしこれはびっくりです。
以前U-COSMOSの特集のときも書きましたが(青春の中のUWF~キミはU-COSMOSを見たか? パート1~)当時、動いているUWFを観るには会場に行くかクローズド・サーキットか、あとは販売されるビデオしか方法がありませんでした。
発売されるビデオは中期からは選手の試合前のインタビューも入りましたが、他はほぼ試合しか入ってない構成だったんですね。選手入場などはカットされていて音源はUWFメインテーマ以外は使われない感じだったんですよ。
ボクはビデオでしか見たことがありませんので、ビデオに入っていなかった、当時話題になっていた会場演出の様子を映像で見ることはありませんでした。どういった演出でなんの音楽流れていたのかは知る由しもありませんでした。
なのでザ・スコアーがUWFの会場で流れていた、UWFがザ・スコアーを使っていたとは、29年目にして初めて知る事実でした。驚きしかありませんでした。
しかしです。ここで驚きのあと、ひとつの疑問が浮かび上がります。
先ほど書きましたが、ワールドプロレスリングがザ・スコアーを使用したと思われるのは89年1月14日です。一方、ボクが今回UWFでのザ・スコアーを確認したのは89年5月4日の大会のです。その間、およそ4ヶ月あります。
89年こそ共通ですが、使用時期に4ヶ月の間があるんですね。なのでこれだけ聞くとUWFがワールドプロレスリングのをパクったのではないか?と、そう思われる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、他の団体が使用している曲を他の団体が使うというのはプロレスにおいてはタブーでもありますし、やったところで非難はあれど得することもないので、これはちょっと考えられません。
また、それとは別に、当時のUWFは社会現象まで引き起こしていた一大ムーブメントの真っ只中。このときは新日本、全日本を席巻するほどの勢いで、天井知らずと言われていました。そんな団体が、他団体のテーマ曲となった曲を、わざわざ使う理由が見つからないんです。そんなことしなくても・・・という感じです。
だからボクは使用は偶然だったと思うんです。この曲を聴いた人が、あ、盛り上がっていい曲だな。使ったらよさそうだな、合いそうだなと・・・そんな気持ちで使用に至ったんだと思うんです。その気持ちがシンクロニシティし、テレビ朝日とUWFという離れた場所でありながら同時期に使用されたのではないかと・・・こう思うんです。
でも、ワールドプロレスリングが1月に対しUWFが5月なのはやっぱりちょっとおかしい気がします。
たとえばワールドプロレスリングの放送をUWFの関係者がこの4ヶ月もの間、ひとりも見ていない、というのはあり得ないと思うんです。いくら双方が偶然、同じ曲を使うに至ったとしても、他団体が4ヶ月も使用した後では、あ、被っちゃうな、よくないなと、さすがに躊躇するはずです。しかし旗揚げから一周年という特別な舞台で堂々使われていました。ということは・・・
UWFは89年5月より前から、会場でザ・スコアーを使っていた、とは言えないでしょうか?
89年のUWFの1月から5月までの大会は
1月10日
「UWF DYNAMISM-BUDOHKAN SUPER BOUT-」
東京・日本武道館
2月27日
「UWF FIGHTING BASE」
徳島・徳島市立体育館
4月14日
「UWF CORE~THE 1st ANNIVERSARY~」
東京・後楽園ホール
の3大会になります。
で、この中で気になるのが1月10日の日本武道館なんです。
この1月10日のUWF「UWF DYNAMISM-BUDOHKAN SUPER BOUT-」は旗揚げ以来、どの会場も超満員にしてきたUWFがいよいよ日本武道館へ初進出するという記念すべき大会でした。
カードは山崎がマーシャルアーツのトレバー・パワー・クラークと初となる異種格闘技戦。そして当時UWFで最もビックカードであった前田vs高田の3度目の対決がメインという、団体の意気込みが感じられる内容となっていました。
さらに日本のスポーツ団体として初となるクローズド・サーキットを大阪、名古屋で開催するという業界でも注目の大会でした。
会場演出も、カクテル光線やスモーク、火薬を用いての効果など、他の団体がこれまで行ったことのなかったものを使用し、こちらでも注目を集めました。選手からスタッフまで、とにかくUWFの武道館興行に掛けるUWFの熱意が伝わってくる大会だったのです。
なので・・・これはボクの予想でしかないのですが、もしかするとこの日にザ・スコアーが使われたのではないかと・・・
この武道館決戦を皮切りに、一周年記念の大阪のように節目となる大会の会場演出時に使っていこうと、そういう感じだったのではないかと・・・こう思うんですが、どうでしょうか?
先にも述べましたように、UWFのビデオでは会場でどんな演出がされていたのかは入っていませんでしたので、今では確かめる術がありません。そこでここを読んでいるみなさんにお力をお借りしたのです。
みなさんの中で89年1月10日に日本武道館で行われた
「UWF DYNAMISM-BUDOHKAN SUPER BOUT-」
の、会場に行った方。もしくは大阪、名古屋で行われたクローズド・サーキットに行った方。
もしくは自分は行ってないが知り合いや友達が行ったという方。
あと、あまりよくないですが、もう時効だと思うんで言っちゃいますが"ヤミ"で観た方、所有していた方。
で、そのうちで、ザ・スコアーを聞いた!!という方。
もし、いましたらご一報いただけないでしょうか?
もちろん、その前後の大会や、こうでしたよ~という情報のみでも結構です。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします!!