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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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受け継がれし王者の魂~甦れ、土浦のプロレス!!~

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どうも!!流星仮面二世です!!

 

9月10日のこと・・・それは、ここにもコメントくださるヨンペイさんからの一通のLINEからでした。

 

「これは流星さんの地元じゃないですか!」

 

という文章とそのリンク先は・・・開いてみると


みみみ、みんなのプロレスマーケットだってぇ!?

 

みんなのプロレスマーケット~BI砲がTシャツで復活~

 

なんだこれはぁ!?もう題名からクライマックスじゃあないか!!

 

その詳細は、何々!?

 

「みんなのプロレスマーケット」をイオン店舗で開催することが決定しました!夢のタッグB・I(ジャイアント馬場・アントニオ猪木)砲復活Tシャツの販売の他に、プロレス関連Tシャツ50点以上、シューズレプリカ・チャンピオンベルトレプリカ、昭和のプロレス興行ポスターの展示・販売をおこないます」

 

だとぉ!?

 

メインは夢のタッグBI砲(馬場・猪木)復活Tシャツの販売!?

 

加えて、プロレス関連Tシャツ50点以上を販売!!ジャイアント馬場リングシューズレプリカの展示販売!!チャンピオンベルトレプリカの展示、販売!!

 

そしてそして!!

 

昭和のプロレス興行ポスター展示!!

 

おおおおお・・・おー!!

 

そう、過去に東京の渋谷区の東急百貨店で行われた「ジャイアント馬場 20thメモリアル ~ジャイアント馬場展~」

 

受け継がれし王者の魂

 

それに埼玉県越谷市のイオンレイクタウンmoriで行われた「みんなのプロレス展-世界の王道ジャイアント馬場- in イオンレイクタウンmori」

 

受け継がれし王者の魂~サンライズ編 その1~

 

受け継がれし王者の魂~サンライズ編 その2~

 

と、見てきましたが、そう、あのときも当時のプロレス興行のポスターが展示してありました。


ですが、ただ展示されていたわけではありませんでした。東京のときは東京で行われた興行ポスター、埼玉県のときは埼玉県で行われたときの興行ポスターが多く飾ってあったんです。地元の人がたくさん訪れることを配慮してくれた主催側の真心、だったんですね。


いや、と、いうことは・・・今回、土浦市で開催されるということは・・・


土浦スポーツセンター

 

の興行ポスターが見れるかもしれないということじゃないか!!

 

これはぁ~!!もはや身の毛がよだちすぎて、なつかしのフラワーロック状態。しかしさらによく見ると、その開催会場は!!

 

​9月16日(木)~9月20日(月)

イオン相模原ショッピングセンター

 

9月23日(木)~9月29日(水)

イオンモール土浦

 

なんと相模原と土浦じゃーないかッ!!

 

そう、コロナ禍前までは毎年5月のゴールデンウィークにマスクド・スーパースターに出会えたことを感謝し同志と集結する"相模原サミット"を開催していたことは、このブログでもお伝えしたことがありますが・・・

 

マスクド・スーパースター

 

その開催地の神奈川県相模原市こそ、独断小僧さんと彼女さんの地元。つまり今回のプロレスマーケットは、この流星仮面二世と独断小僧さん、彼女さんのお互いの地元、相模原と土浦をリンクしての開催なのです。

 

かつてスイスの精神科医で心理学者だったカール・ユングは、偶然の一致とは単に偶然、というだけではなく、通常は関係していないような物事、事柄、出来事も、実は見えないもので繋がっているものだとし、これを“意味のある偶然の一致”と提唱し“シンクロ二シティ”と名づけたと言います。

 

プロレス、相模原、土浦。まさしくこれはシンクロニシティではないのか?それとも、もしかして主催者の方の誰かが、おれのブログを読んでいる!?いや、そんなことはないと思いますが、とにかくこれは朗報。相模原のおふたりにもさっそく連絡します。

 

すると「行きます!!」と返信をくれたおふたり。その後、ちょうど独断さんの誕生日前日となった9月16日。先にイオン相模原ショッピングセンターでみんなのプロレスマーケットに行ってきた独断さんから

 

「行ってきましたぞ!」

 

という画像付きのメールが届きました。楽しそうな様子が伝わってくると共に、そこにはプロレスマーケットに展示してあったパネルで並ぶBI砲の姿のともう1枚。プロレス興行ポスターが添付されていました。

 

そのポスターは、やはり神奈川県での興行ポスターでありました。


ニチイは、かつて日本規模で展開していた総合スーパーで、大船店は鎌倉市大船にあった。だがこの大会の10年後の1995年に閉店。現在はニチイ自体も消滅してしまっている。ちなみに医療や介護の関連事業であるニチイ学館とは無関係である

 

アツい、あまりにもアツい!!

 

翌日、彼女さんも「これから行きます」と連絡をくれました。おおお~みんなプロレスへと向かっているぞ!!この感覚、この感覚だぁ~。

 

こうして相模原イオンでのプロレスマーケットが終了すると、いよいよ土浦イオンでの開催日がやってきました。それは精神の繋がりからか・・・絶妙のタイミングでレガさんから我らの思い出の地、土浦でイベントですねー!!とLINEも入り気持ちが高まります(おれたちの8.8 ~46歳の地図~)

 

そう土浦、今回は思い出の土浦なんだ~!!


こうして所蔵するマニアックなTシャツをチョイスして身に付け、車に乗り目的地に向かいます。久しぶりにプロレスのために出掛けるこの感覚。これだ、これだよ~。あ~いいねぇ~。


よ~し展示品ガッツリ見るぞ。Tシャツも容赦なくガンガン買ってやるっ。土浦イオンに、金の雨が降るぞー!!

 

ということで到着です。今回、会場となるイオンモール土浦は・・・と、もうイオンといえばみなさん十分ご承知だと思いますので説明は省略しますが、まぁとにかくここはコロナ禍になる前は常にお客さんがいっぱいで、午後からですと収容台数、約4800台を誇る駐車場がまったく空いていないような状態になるほど盛ってるところでしたね~。で、芸能人やお笑い芸人とかですね、そういう方が来るイベントが定期的にあったのですが、そういう日の人の多さと行ったら尋常じゃなかったですね。

 

しかしコロナ禍になってからは駐車場の空きが目立つようになりまして、この日は屋上に駐車したのですがかなり空いていました。影響感じましたね~。

 

と、そんなことを考えながら中に入ります。お目当てのプロレスマーケットは土浦イオンの3階に設置されているとこのと・・・エレベーターを降りスッと振り向くと、それは忽然と姿を表しました。これか!!みんなのプロレスマーケットかぁー!!


あったー!!


斜めから。まさに夢のような空間です


いやぁ~もうこの時点でいろんなものが視界に入ってきましてですね、テンション上がりまくりなんですがまずは入り口ですね。ここに馬場さんの足形がありまして自分の足と比べられるようになってたんですよ。それでですね、まあこれ見てくださいよ。


これですよ

小さく見えますが、ボクも足は29センチありましてですね、デカい方なんですよ。でもまったく及びません。これが顔に向かって飛んでくるなんて、おそるべしは世界の巨人ジャイアント馬場です。
 
さあ早々と16文の洗礼を受けまして中に入ると、そこはプロレス、プロレス、プロレスグッズの山。

おおお・・・

しかしここは買い物はあえてあとにして、まずは正面のこれに向かいます。

今回の目玉のBI砲Tシャツを中心に、BI砲がパネルで登場です

 

いやぁ~これ、いいですね~。ちゃんとオールスター戦のときのBI砲のガウンで合わせてあるんですよ。あのときの猪木のタオルは青だったんでそこはちがうんですが、このアナコンダのガウンで馬場さんと並べてくれるあたりはうれしい限りです。

 

そして


オールスター戦のパネルもあり・・・


若き日のBI砲にマンモス鈴木、沖識名のパネルもありました
 
他に馬場さんのリングシューズのレプリカ、三冠ヘビー級とNWFヘビー級のチャンピオンベルトのレプリカ、どちらも販売品なんですが、これが脇を固めておりましてですね~、気分がさらに高揚してまいりましたよ。
 
ということでショッピングです。この日は、コロナ禍になったからまったくプロレス関連のことに行けてないうっぷんが大爆発。少しでも気に入ったTシャツがあったなら、もんのすごい勢いで手に取っては容赦なく買いまくり・・・まさにプロレスTシャツの踊り食い状態です。
 
その様子を見て引くは他の客。ふんっ、ちまちま買い物なんかするか。これが昭和のプロレスファンの生きざまなんだよ~!!
 
というわけで買ったものの紹介はスペースの都合省略します。が、一点だけご紹介します。

今回はもちろん目玉のBI砲Tシャツも買いましたが、あのハードコアチョコレートが出店していたということで期待大。そしてまったく期待どおりっ!!一番気に入ったのがこれでした。

かっこよすぎ!!

 

なんの講釈もいらないですね。これぞプロレスTシャツです。

 

さあ、買い物も済んだところでメインイベント。興行ポスターです。興行ポスターはPWFの代表代行をしている大隅良雄氏が貯蔵する昭和の全日本プロレスのコレクションだそうです。

 

数々のイベントで興行ポスターを提供してきました大隅氏の秘蔵品ですが、今回はやはり茨城県開催ということで茨城ゆかりの興行ポスターで占められていました。


その1枚1枚見をるたびに、すごさ、新たな発見、なつかしさで胸がいっぱいになりました。もちろん飾られていたものすべて撮影したので全部紹介したいところなんですが、それやると終わらなくなりそうなんで・・・ここは故郷の土浦市チョイスでいきます。ということで、この先の内容は地元話と自身の思い出話が超濃厚となりますので、ご承知おきのほどよろしくお願いいたします。


ではまず、土浦行く前に土浦以外の気になった興行ポスター3点からいってみます。


最初は1984年9月12日のスーパーパワー・シリーズの水戸市民体育館大会です。



リック・フレアー、ブルーザー・ブロディ、クラッシャー・ブラックウェル、チャボ・ゲレロ、ヘクター・ゲレロ、ジム・ガービン、そしてパット・オコーナーと豪華絢爛なシリーズだったこのスーパーパワー・シリーズでしたが、水戸大会ではポスターにも書かれていますリック・フレアーvs天龍源一郎のNWA世界ヘビー級選手権ですね。これがですね~以前ここでもちょっと触れたことがあるのですが(名レスラー伝~風雲昇り龍!!天龍源一郎~前編)


この日のメインこそ

 

"茨城県で行われた唯一のNWA世界ヘビー級選手権"

 

だったんですね。

 

60分3本勝負で行われたこの試合は天龍が2-1でフレアーを下しますが3本目が反則勝ちだったため王座移動は成立せず。残念な結果となりましたが天龍の先の活躍を予感させるようないい試合でした。

 

続いては1976年4月4日の第4回チャンピオン・カーニバル。下妻市役所前特設リング大会になります。



これは全日本プロレスが初めてリーグ戦、つまり総当たり戦を行った歴史的なシリーズだったんですね。大会はアブドーラ・ザ・ブッチャーが初優勝。この翌年がオープンタッグでの伝説のファンクス戦なので、第4回チャンピオン・カーニバルは日本におけるブッチャー時代のひとつの象徴と言っていいのではないかなと思います。

 

で、場所の方ですが、これが珍しいんですよ。ここはボクの実家から30分くらいなんですが、下妻市だとプロレスはですね、記憶だとほぼ下妻市総合体育館でだったと思うんですよ。なのでこの点から珍しいと思います。おそらく市役所前というのは最初で最後なんじゃないかなと思います。

 

で、この日はリーグ戦も2試合ほど行われたのですが、すごいと思ったのはメインとセミファイナルですね。ご紹介しますとメインがタッグマッチ60分3本勝負でジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤーvsバディ・ウォルフ、キング・イヤウケヤ。セミファイナルがシングルマッチ45分3本勝負で大木金太郎vsザ・バラクーダとなっていたのですが、これがそれぞれ3本勝負だったという点です。

 

この日は全試合数が8試合と、けして少なくはなかったのですが、このメインとセミファイナルどちらも3本目まで突入しているんですよ。これは当日はかなりのボリュームとなったんじゃないかなと予想されます。

 

そして当日、観衆の方が4300人とありました。先に出ました水戸市民体育館が通常でだいたい観衆2000~2200人くらい。フレアーvs天龍のNWA戦のときがテレビ有りで観衆4000人ですから、これはすごい数値だったと言えると思いますね。

 

昔、下妻市役所の近くに「砂沼サンビーチ」という大きいプールがあり、小学生時代の夏休みは毎年楽しみに行ったものでした。ちなみに同市は中野龍雄の出身地でもあります。中野も砂沼サンビーチ行ったりプロレス観に行ったりしたんだろうな~。なんて、いろいろ思いが巡りますね。

 

続いてはこちらです。


これは1981年8月23日のスーパーアイドル・シリーズのなんですが・・・



以前フッシャーマンズ・スープレックスをやったとき(フィッシャーマンズ・スープレックスを辿る旅~小林邦昭編~)この会場名が出てきたので調べまして、それでピンときたんですけど、これは茨城県じゃなくて神奈川県なんですよね(神奈川県平塚市・平果青果市場。現在の平塚中央青果卸売株式会社の平果地方卸売市場と思われます)

 

興行ポスターは20枚あったのですが、すべて茨城県の中、なんでこれだけ神奈川県だったんですかね?

 

さあ、ということで、ここから土浦のプロレスにいきます。

 

まずはこれです。こちらは1980年8月6日のサマーアクション・シリーズ。土浦市営球場サブグランド大会になります。



これはですね、この日までこの場所でプロレスが行われていたことをまったく知らなかったので、とにかく驚きました。

 

土浦市営球場がある敷地は現在は川口運動公園といいまして、球場、陸上競技場、テニスコートなどがあり、高校野球の大会他、各種屋外大会なんかにも使われているところなんですね。ボクなんかは高校時代の体育祭の会場がここのメイングラウンドでして、行った思い出があります。

 

さて、調べてみたところこの日のメインはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ロッキー羽田vsブルーザー・ブロディ、アーニー・ラッド、パンピロ・フィルポの6人タッグマッチ60分3本勝負だったんですが、これ、このブロディ、ラッドのタッグがすごいですね。この2日前の8月4日には群馬県館林市で馬場、鶴田のインタータッグ王座にも挑戦しています。超大型コンビが土浦港を背に立つ姿かぁ・・・生で見てみたかったなぁ~。

 

余談ですが、土浦市営球場の敷地があってですね、で、この道を挟んだ向かい側にその土浦港があったわけなんですが、ボクが小さい頃はクジラの形をしたフリッパー号という名物遊覧船がありまして、これで霞ヶ浦一周するのができたんですね。あとゴーカートとかですね、100円入れて音楽鳴ってゆっくり走る動物の乗り物ですね。ちょっと名前はわからないんですが、そういう子供が遊ぶものも結構置いてあってですね、一帯は週末なんかはかなり賑わっていた場所だったんですよ。今はフリッパー号はもう現存してないでしょうねぇ。なつかしいです。

 

さあ、そんなわけでございまして、ここからはいよいよ土浦スポーツセンターです。なんとポスターは2枚ありました。


まずはこちら、1978年6月14日のスーパーパワー・シリーズのものになります。



ポスター表記のとおり、シリーズにはビル・ロビンソン、トーア・カマタ、マリオ・ミラノらが参戦。またパワースラムを日本で初めて見せたアルビン・スミスが最初で最後の来日。ザ・デストロイヤーは日本側として参加していた時期でありました。


が、この年に全日本プロレスが土浦スポーツセンターに来ていたとは知りませんでした。さらにビル・ロビンソン来てたのも知りませんでしたので二度ビックリしました。そうかぁ~ロビンソン来てたのかぁ~。


この日、ロビンソンはセミファイナル30分1本勝負に出場。15分20秒、片エビ固めでグレート小鹿にフォール勝ちしています。どんな試合をしたのか・・・あそこでワンハンド・バックブリーカーやダブルアーム・スープレックスやったのかなぁ。移動バスからは土浦駅も見えたのかな~。妄想つきません。

 

そしてもう1枚。こちらは1987年8月30日のサマーアクション・シリーズ2のものです。

 


これはですね、何がすごいって、観に行ったやつなんですよ。なのでね~これが目に入ってきた瞬間、なつかしさのあまり目が涙でいっぱいになりましたね。

 

ということで、これも語ると第1試合からメインまで事細かにやってしまい終わらなくなりそうなんで短めにいきますと、まず開場前ですね。当日は14時くらいから現地行って入り待ちしてましてね~。馬場さんがキャデラックで来て降りるまでの一部始終見ましたよ。キャデラック来た瞬間すぐ車のところ走って行きましてね~。でも車止まってもなかなか降りてこないんですよ。しばらくしてやっとドアが開いて馬場さん見えたんですが、この時点ではまだ座席に座ってるので目線が一緒だったんですね。でもそのあと車から降りて立ち上がったら、うぉぉーって!!でかいんですよ!!馬場さん身長209センチとなっていましたが、ホントはもっとあったんじゃない?ってくらいでかかったですね~。


あと、スタン・ハンセンですね。移動バス来ましてですね、ハンセンが降りてくるので駆け寄って行ったんですよ。そのときボク同じくらいの年齢の見ず知らずの子供ら3、4人いたんですが、そいつらも写真を撮るためワーッとハンセンの前に行ったんですね。そしたらハンセン、バスのステップの途中でフッと止まりまして、「どきな」とばかりツバを吐いたんですね。バッ!!っという感じですね。で、当然かけられたわけですよ。普通ならその瞬間イヤな感じになるはずじゃないですか?ところがそういうことは一切なしでですね、初めて会った見ず知らずのそいつらと、みんなで「やったー!!」と、ガッツポーズしたのが思い出深いです。あの子ら、今どうしているかな~。会ってみたいなぁ。

 

試合では第6試合の30分1本勝負、ジャイアント馬場 タイガーマスクvsラッシャー木村 、鶴見五郎の試合ではこんな思い出がありました。

 

プロレスラー・ファーストコンタクト列伝~青春の握り拳!!小橋健太~
 

そして続いて第7試合、輪島大士、石川敬士vsニック・ボックウインクル、ディックスレーターにも思い出があります。


甦る黄金の左!!輪島大士追悼
 

この日は最前列で鉄柵なしだったこともあり、目の前で始まった輪島とニックの場外乱闘のときにあまりに接近してたんで、翌日学校でこれ観に行ってた同級生に「おめー乱入すんのかと思ったよ」と言われたのがなつかしいです。

 

さて、最後になります。これは土浦スポーツセンターではなく、1990年5月27日に行われたスーパーパワー・シリーズの土浦市農協旧市場跡地特設リング大会のものになります。

 


これはですね、あまりにも深い1枚なんですよ。ちょっと順を追って話しますが・・・しつこいようですが地元話が超濃厚となります。さらに昔の出来事のため内容に一部記憶ちがいがあるかもしれません。その点はご容赦ください。

 

先にお話に出ています土浦スポーツセンターですが、実は1988年内か1989年の年度末か・・・詳しい年月日は不明ですが、この年代に閉館してしまうんですね(最後に行われたプロレス興行は1988年10月の新日本プロレスの闘魂シリーズだと思われます)


このため翌年の1989年6月3日のスーパーパワーシリーズからは、この土浦市農協旧市場跡地に来るようになったような流れなんです。つまり閉館された土浦スポーツセンターのあと、土浦のプロレス興行を引き継いだ形となったのが土浦農協旧市場跡地だった、というわけなんです。

 

その土浦農協旧市場跡地での1発目となった1989年の6月3日のスーパーパワー・シリーズは、あのスティングが初来日し田上明と来日第1戦を行った興行でした。

 

試合前にブルドックス、カンナムの練習を見入るスティング

 

で、先に出ましたこの興行ポスターはこの1989年6月3日の土浦農協旧市場跡地でのスーパーパワーシリーズの約1年後の「1990年5月27日のスーパーパワーシリーズ」のもの。つまり同所での2回目となるプロレス興行のもの、だったんです。そして、それと同時に土浦農協旧市場跡地で行われた最後のプロレスでもありました。

 

以降の1990年代から土浦でのプロレスは同じ土浦市の霞ヶ浦文化体育館での興行へと移行していくことになります。


1980年代から1990年代へ・・・この年代が移り変わった時期に、まるで色分けされたかのように土浦でのプロレス興行の系統が変わった時期だったのです。


そういった背景から、これは土浦のプロレスの時代の移り変わりを表す歴史の1ページ。貴重な興行ポスターと言っていい1枚と、いうわけなんですね。これ、本当によく現存していたと思います。魂を揺さぶられました。

 

こうして土浦スポーツセンターから土浦農協旧市場跡地を経て霞ヶ浦文化体育館へと以降してからも、新日本も全日本も年に1度は土浦へ来て、ボクらを楽しませてくれました。しかし2000年代を迎えると、その数は減っていき・・・今では霞ヶ浦文化体育館でのプロレスこそ時おり行われど、ほとんどが小体育館のみで、メインとなる大体育館で行われることはなくなってしまいました。やがて県南に来るプロレスは土浦市から、現在はつくば市へと固定的になっていくようになります。

 

街の電柱に貼られたポスターに興行を知らせる宣伝カー。スポーツ店や新聞屋を巡り売っているところを見つけ、購入して眺めては胸を躍らせた入場券。この場所で?こんなところで?テレビの向こうでしか見れなかったプロレスが自分の家のすぐ近くまで来て、大人も子供も、おじいちゃんもおばあちゃんも歓喜した・・・そんな時代がありました。


でも、そんなシーンは、もう見れないのかもしれません。いくら昔をなつかしみ想いを寄せようと、過ぎ去ったものが訪れるということは、もうないのです。


しかしどれほどの時間か流れようとも、森羅万象。万物が、生が流転するならば・・・甦れ、土浦のプロレス!!


今回は個人的な感覚、感情が多いお話でしたが、ここまで、最後まで読んでくれた方。本当にありがとうございました。


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