どうも!!流星仮面二世です!!
さあ今回はですね、年末に久々の格闘技イベント復活ということなので、日頃は格闘技を語らないボクが格闘技特集をお送りしようという次第です。
今回は格闘技でもリアルタイムで見たものを限定にしています。が、画像もなく言わずと知れたマニアックな内容です。なのでわからない方には飛ばしていただいて、知っている方には試合やシーンはこう、思い出していただきながらね、よかったらお付き合いいただけたらと思います。
それでいってみましょう!!
81年3月8日 具志川市立総合体育館 WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ
具志堅用高 vsペドロ・フローレス
まずはボクシング、思い出の一戦はこれですねぇ~。
今でこそ具志堅、あんな感じですがボクら小さい頃ボクシングといえば具志堅でしたよね。ボクシングの技術なんて知らなかった時代。ひたすら強かった具志堅には憧れました。そんな具志堅が破れてしまった試合・・・忘れられなかったですね。
まず80年10月12日にWBA世界ライトフライ級タイトルをかけペドロ・フローレスと対戦。15回フルラウンドを行っての判定勝利でしたが、あの具志堅があわやのところまで追い込まれるという、今まで見たことなかった展開となりました。そして再び挑戦したのがこの試合でした。12回、具志堅をフラフラに追い込みTKO勝利。具志堅が負けた・・・格闘技のことなんて本当に何もわからなかった年齢の頃。でも、あんなに強かった具志堅が破れた、その衝撃は計り知れないものがありましたねぇ・・・
ちなみにボクが結婚式のとき着物の着付けをしてくれたところは具志堅の結婚式でも着付けを担当したところです。どうでもいい話ですけど・・・
86年11月22日 アメリカラスベガスヒルトンホテル WBC世界ヘビー級タイトルマッチ
トレバー・バービックvsマイク・タイソン
これも、いやぁ~思い出しますね。
81年12月11日、モハメド・アリを判定で下し、アリの現役最後の対戦相手となったバービック。そうバービックこそアリを引退へと導いた男でしたね。
そんなバービックの初防衛戦となったこの試合でしたが、対するタイソンもデビュー以来、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで快進撃を続けてきた上での世界タイトルへ初挑戦でした。タイソンは、この試合まで27勝、うち25KO無敗という戦績。まさに頂点へと一直線に向かっていたそんな時期でした。
試合はバービックのいいところはまったく発揮できず、2Rにバービックがタイソンのパンチ一発でダウンから、立とうとしても立てず2回よろめいて倒れTKO負けという、ものすごいものでした。モハメド・アリがボクシングから去り、新たなヒーローを求めていた人々の前に20歳4ヶ月という史上最年少での世界王者としてタイソンがニューヒーローになった瞬間でしたね。そしてタイソン時代の幕開け、新しい時代の幕開けを感じさせた試合でした。
94年12月4日 名古屋レインボーホール WBC統一王座決定戦
薬師寺保栄vs辰吉丈一郎
これは試合前から相当な舌戦を展開していた暫定王者の辰吉と王者薬師寺の決定戦というのもあって、引き込まれたねー!!
試合は印象的だったのが1Rだなぁー。フットワークを使いながら攻めていく薬師寺にスウェーだけでパンチを交わす辰吉・・・両選手とも「やってやる!!」というオーラがガンガン出ていて最終ラウンドまで完全にテレビに引きつけられましたね。結果はフルラウンドまでもつれ込む大熱戦の末、判定で薬師寺が勝利しました。
実は試合中に辰吉は手首の骨を折ってしまっていたらしく・・・でも、それでも痛みを見せず誰にも気づかせずに闘い続けたその気迫とプライドにはしびれましたね。試合が終わればあれほどいがみ合っていたふたりがねぇ・・・これを名勝負と言わずどうする!!って感じでしたね。
00年10月11日 横浜アリーナ WBA世界ライト級タイトルマッチ
畑山 隆則 vs坂本 博之
王者ヒルベルト・セラノから勝利しインタビューに答える畑山選手の口から出た言葉は
「次は坂本選手とやります!!」
そしてリングサイドにいた坂本選手がそれに応えます。坂本選手は幼き頃に両親の離婚により施設で育った過去があって・・・その幼少期は相当の苦労があったそうですね。そんな人生の中で、やがてボクシングに出会い畑山より先にヒルベルト・セラノと試合して、ダウンを奪いながらもレフリーストップで無念の黒星となってしまった・・・そんないきさつがあったから、ガッツ石松以来のライト級日本人世界王者として畑山は“坂本選手に勝ってこそこの階級の王者”とけじめをつけたかったのではないでしょうかね?
試合は壮絶な打ち合いの末、最後は畑山がKO勝利。力を見せつけた試合となりました。
で、今回ここにあげた理由がもうひとつありまして・・・実はウチの嫁さんがお姉さんとふたりで横浜アリーナまでこの試合見に行っちまったというですね、ヒートぶりだったんですね。というわけで嫁さんも推薦の名勝負なんですよ~。
85年4月29日 日本武道館 全日本選手権決勝戦
山下泰裕vs斎藤仁
続いては柔道です。
まずこれですね、ボクの年代ならこの山下、知らない人はいないですよね。いや年代に限らずですかねぇ~。
やっぱり思い出されるのはロス五輪の決勝でしたね。モスクワ五輪ボイコット、そして悲願のロスでは足を負傷していながらエジプトのラシュワンに勝利し金メダルを取ったのが一番でしたね。日本国中が歓喜し涙しましたよね~。
さて、そんな山下の対戦相手。最大のライバルとして忘れられないのが・・・ロス五輪は山下選手が目立っちゃったのであんまり騒がれなかったのですが、同じくロス五輪95kg超級で金、後のソウル五輪で日本柔道の最後の砦となり金メダルを獲得した斎藤仁ですね。
そんなふたりの最大の名勝負は山下最後の全日本選手権となったこの試合でした。山下の9連覇のかかった一戦に決勝に来たのはもちろん斎藤でした。山下選手は「斎藤と戦ってから引退」と、この全日本に出場。斎藤も山下との最後の決戦に山下の得意技の大外刈りの返し技を秘密兵器を用意していたんですね。
斎藤、山下が技に来た瞬間、斎藤が浴びせ倒しのような形で倒し場内は騒然となりました。しかし、これがなぜかポイントにならず・・・完全に倒れたのですが、おそらく肘から倒れたということで効果もつかなかったんですよね。結局これはポイントにはなりませんでしたが、このまま判定になれば優勢で負けになると確信した山下は、その技を受けてから怒涛のように攻め逆に優勢で勝利するという、過去にはない試合運びで最後の全日本を9連覇という形で締めくくりました。
お互い意識して、こいつにだけは負けたくないと練習し強くなっていく・・・今スポーツ界にこういうライバル関係ってあんまりないように感じます。
90年4月29日 日本武道館 全日本選手権決勝戦
小川直也vs古賀稔彦
これは奥が深かったですね~。
当時は各々がその階級で世界王者でしたが、身長20センチ強、体重ではなんと55キロ差という体格差となった試合は、どうしても古賀が不利な状況となりました。しかし小さい者と大きい者が闘えば、やっぱり小さい者を応援してしまうのが人の理。会場からは古賀への声援が多かったですね。ボクも古賀の方が好きだったので、応援していましたね。
試合は注目は組手の攻防でしたね。ケンカ四つとなった組手、小川は上から大きく釣り手を取り、引手を狙います。一方の古賀は小川に組ませないようにしつつ、組まれる前に左右の小内刈りで攻めます。しかし時間も迫ってきた終盤、小川はチャンスを逃しませんでしたねぇ・・・古賀自身が生まれて初めてと語ったほどの投げられ方だったという小川の足車。天を仰ぐ古賀・・・ああ~勝ってほしかったなぁ。
92年 7月31日 バルセロナオリンピック 柔道 71kg以下級決勝
古賀稔彦vsハイトシュ・ベルタラン
これはですね、涙もんですね。古賀が試合前の練習、吉田秀彦との乱取りで左ひざの靭帯を痛めてしまうというアクシデントに見舞われます。通常なら試合になんか到底出れない状態ですよね。靭帯は、本当にちょっとやっただけでもとにかく痛いんですよね・・・試合はおろか、歩くのだって無理ですよ。で、靭帯って痛めて伸びちゃうと、痛み止め等で痛み抑えたとしても、動いてるときに突然カクっとですね、抜けるような感じになってしまうんですよね。こうまっすぐ立ってても膝カックンやられたみたいな感じですね。そんな状態になったりしてしまうんですよね。
そんな中で決勝まで進むんですよ。あれは準決勝でしたかね?ものすごい一本背負いやるんですよね。相手が腰を落としてぶら下がっているような状態なのに、いくんですねぇ・・・こんな背負いできる人、まずいないですよ。加えて靭帯を痛めている状態でですからねぇ・・・
決勝、古賀は積極的に攻めますが有効なポイントがないまま判定に。赤が上がった瞬間、ジーンとしましたね。いい試合でした。
00年9月26日 シドニーオリンピック レスリング 130kg級決勝
アレクサンドル・カレリンvsルーロン・ガードナー
続いてレスリングです。
13年間負けなしで世界選手権9連覇、そしてオリンピック4連覇・・・という結果を楽しみに待っていたのですが、これは正直意外な結果でした。
ボクの見解ですが、結局ガードナーという選手は何をしたか?というところなんですよ。
スタンドでは一見差し合いの攻防のように見えましたが・・・実は、カレリンは自分の態勢へと組もうとする、ガードナーはそれをさせないように組ませないようにする。そこで1回の反則の1ポイントが付き、カレリンは思うようにいかないので焦っていき・・・ガードナーとしては意識した作戦ではなかったと思いますが、時間が経つほどカレリンには悪循環、ガードナーには優位になっていってしまったんですね。最後までずっとこの状態でした。パーテルからもカレリンは攻めましたが、アセリのせいか形がいつものリフトではありませんでした。持っていけませんでしたよね。
結局はガードナーはスタンドでもパーテルからも何にもしてないんですよ。だからあれは、カレリンが組みに行くんじゃなくて、カレリンはガードナーが組むのを待っていれば、おそらく展開変わったんじゃないかなとね~思うわけなんですよ。
個人的には、技術的にはボクはアトランタオリンピックで決勝やったマット・ガファリの方が上だったんじゃないかなと思うんですね。まあガファリというとみんなコンタクト事件のあのガファリを即連想してしまうと思うんですけど・・・でもあれなんですよ。カレリンvsガファリも見てたんですが1-0ですからね。ガファリ負けましたけど、カレリン相手に1ポイントってなかなかないんですよ。
とにかく、あの試合はカレリンが100000回試合して1回負ける、そういう確率の上で負けてしまうとき・・・それにたまたまガードナーが当たったんではないかなと思いますね。けしてカレリンびいきしているわけではなくですよ。
昭和62年1月 両国国技館 初場所4日目
千代の富士 対 巨砲
さて相撲です!
もうね、千代の富士ですね!!小学校の中・高学年から中学校の時代の頃かな?千代の富士はイヤがられるくらい強すぎて、優勝すると「また千代の富士か」ってため息まじりで家族と言ってた思い出なんかありますね。
で、そんな千代の富士の相撲でもボクが一番と思っているのがこれ!この巨砲との一番です。この巨砲との相撲で千代の富士が見せた技「網打ち」これが忘れられないんですよね~。
網打ちってのは元々土俵際で負けそうなときに使う、うっちゃりみたいな逆転技なんですね。それを千代の富士は土俵の真ん中で豪快に決めたんですよね。千代の富士の実家は漁師ですが、まさに漁師が魚を獲るときに投げる網の様に巨砲が吹っ飛んだシーン、忘れられないな・・・こういう技を意外なところで出してくる千代の富士は、やっぱりうまかったですね。天才にして最強力士でしたね。
平成3年3月 大阪府立体育館 春場所11日目
寺尾 対 貴花田
寺尾ですね!!寺尾といえば速射砲、あの突っ張りでしたね!!ボクあれが好きでしたねぇ~。
一方、兄弟力士として注目され人気も上昇してきた貴花田。しかし実はボク、貴花田はアンチだったので、絶対寺尾応援でしたね。
そもそもボクは寄り切りって決まり手が大キライなんですよ。寄り切りは決まり手から除外して欲しいと思っているくらいです。なので横綱時代の貴乃花は特にアンチでしたね。始まって、がっちり組んでじりじり出てって寄り切りなんですね。実況や解説も「横綱相撲でしたねぇ」ってね、これが最高にキライでしたね~。お兄さんの方は技術があって好きでしたけどね。
まあそんな話は置いておいて・・・この取組、お互いは初顔合わせ。開始から寺尾は突っ張りで翻弄、まったく組ませない寺尾でしたが最後の最後、落とされてしまいました。この瞬間の悔しそうな寺尾。そして帰りの花道で、さがりを床に投げつけるほど、悔しさを露わにしました。こんな寺尾は後にも先にも見たことがありませんでしたよね。よっぽど悔しかったんでしょうねぇ・・・忘れられないです。
平成4年9月 両国国技館 秋場所2日目
武蔵丸 対 旭道山
これは見てておお!?っとなってしまった一番でしたね。立会いで旭道山が、ボクシングでいうカウンターのようなタイミングでまるで掌底のような張り手を出したんですよねぇ。で!!それを喰らった武蔵丸もまさにボクサーがダウンするみたいにヒザからガクッと倒れたんですよね。これがねぇ~とにかくすごかった。
旭道山は力士としては細身の方、そんなに大きい人ではありませんでしたが、よくこの掌底のような張り手を放っては自分よりはるかに大型の武蔵丸や久島海を倒してましたねぇ。体の小さい力士が自分より大きい力士を倒す、この構図はやっぱり見ている方にはたまらなく興奮しますね。それにしても投げや押し出しじゃなくて、張り手で勝つってのがつくづく凄いですね。
で、今は無くなっちゃった番組ですが、昔“料理天国”ってのにゲストで旭道山が出たとき、その張り手の事を聞かれ「顔に張り手が効く場所があるんですよ」と言っていたことがあったんですよ。おそらくホホ骨のちょっと下のところじゃないかなぁと、思うんですよね。ここは効きますよね。
相撲、旭道山みたいな力士が出てくれば、今よりもさらに盛り上がると思うんですがねぇ・・・
87年11月8日 日本武道館 極真第4回世界大会準決勝
松井章圭vsマイケル・トンプソン
さあ、お次は空手です!
松井館長は蹴りがとにかく素晴らしいんですね。キレイな蹴りで正確に、本当にスパっと入りますね。あと、軸足への蹴りですね。下段を狙ってですね、相手がカットするため足を上げたところで、奥の軸足の方へ払うような蹴りをやるんですね。これで相手が倒れ、そこに突きのポーズが入るんですね。いやぁ~好きでしたねぇ。
マイケル・トンプソンもやはり足技素晴らしいですが、トンプソンはなんといっても後ろ回し蹴りですね。空手なんですがフットワークを駆使して接近して放つんですね。それは日本刀で竹を斬るような、スパっという切れ味の後ろ回しなんですよねぇ~。
勝負は互角に進み、判定、判定と続きますが・・・そんな微妙な判定を認めなかった大山館長の一声で試合は延長戦を5回やったんではなかったかなと思います。激戦の末、試合は松井館長の上段蹴りで1本という劇的な結果。この松井館長の上段蹴りが凄かったですね!まるで居合抜き・・・鞘から出た瞬間に斬るごとくですね!!相手に見えない角度から一瞬で入ります!必見です!!
91年11月4日 日本武道館 極真第5回世界大会決勝
緑健児vs増田章
松井館長の蹴りのお話はしましたが、この蹴りに関しては歴代極真でもトップに入るのが緑師範ですね。松井館長の蹴りがキレを象徴するなら、緑師範は華麗さですね。すごくきれいな蹴りを使いましたね。あとですね、この緑師範は顔がいいんですよ。表情ですね。勝ったときとか、本当に「やった!!」っていう顔をするんですね。これが好きでしたねぇ~。
緑師範は身長が165センチ、体重が70キロ前後と選手としては小柄でした。この体力的な面を努力でカバーし、この第5回の世界大会では自分よりもはるかに大きい外人相手にも負けることなく決勝へと勝ち進みました。一方の増田は、とにかく攻撃が始まったら止まらないんですね。下段なんかは同じところを連続して何度も入れますし、とにかく攻撃の手がすごかったですね。ケガをしようがとにかく引かない、前へ前へというファイターでした。
そんな2人のこの決勝戦、よかったですねぇ~。空手スタイルはちがえど、いいところがぶつかり合って見ごたえありました。極真は木山仁以来、日本人の世界王者が出ていません。いつか日本人王者の復活を願いたいですね。
91年6月23日 大阪府立体育館 第8回オープントーナメント 全日本ウェィト制空手道選手権大会
黒澤浩樹VS七戸康博
“下段の黒澤”といわれるほど、その下段蹴りは有名ですが、一番の魅力は魂でも闘うといわれるあのスタイルですね。下段で前へ前へと攻めるそのスタイル・・・ミスター極真といわれる由縁ですね。好きなんですよー。
そんな黒澤のこの七戸戦は試合中のアクシデントで黒澤の薬指が骨折、骨が突き出し指が皮一枚でぶら下がってるというほどの重症となりました。しかし、それでも試合を止められるのを考えたか、痛さはおろか症状を出すことなく最後まで闘い続けました。
黒澤、97年のPRIDE1でも試合中に膝のじん帯を断裂するという大怪我をしましたが、痛みを顔に出さず最後まで闘い続けましたね。常人ならずプロの選手でも普通、動けなくなるほどの大怪我ですよ。極真魂、見せてもらいました。
97年11月9日 東京ド-ム K-1 GP 97決勝 トーナメント準決勝
アーネスト・ホーストvsフランシスコ・フィリオ
K-1です。この試合は緊張感がハンパなかったですよね。
このときフィリオはまだキックルールのスタイルを取り入れてなかったので下段、後ろ回し蹴り、突きで攻めていきましたね。純粋な空手の技術でした。これがよかったなぁ・・・
一方のホーストはさすが、うまかったですね。間合いを詰めながら上出して下蹴って、ジワジワと追い込んでいきましたよね。空手家をローで翻弄するってすごいですよ。K-1デビュー以来、すべてKOで勝ち続けてきたフィリオに立ちはだかった最初の山場でしたね。キックvs空手の格闘技戦のようでよかったですね。
99年12月5日 東京ド-ム K-1 GP 99決勝 トーナメント準々決勝
ピ-ター・アーツvsジェロム・レ・バンナ
先に書いたフィリオvsホーストが緊張感のある試合の最高峰なら、このアーツvsバンナはとにかく迫力の一言でしたね!!
バンナは一度アーツのハイキックでダウンしていながらKOギリギリで立ち上がります。でも、そのあと追い打ちされて終わってしまうのでは・・・誰もがそんなシーンを想像しましたが、バンナがパンチで逆転KOするというもんのすごい展開になりました。
興奮のあまり谷川貞治が「ふたりとも人間じゃないですね」という解説をするのですが、そんな解説があるかこの!!でもおもしろい一戦なのでこれは見て欲しいですね。
04年12月31日 大阪ドーム FieLDS K-1 PREMIUM 2004Dynamite!!
山本“KID”徳郁vs魔裟斗
いやーこれは改めて山本KIDの潜在能力っていうんですか、凄さを見直した一戦でしたねー!
KIDはもともとレスリングから総合格闘技に来た選手。組み技系格闘技出身だったわけですよね。しかし打撃のセンスも天才的、ズバ抜けていました。いましたが・・・しかしK-1で王者になった程の人にはたしてどこまで通用するのだろうか?という興味がありましたねー。で、いざ試合となったとき、いやいやこれはすごい感動しましたよー。
KIDは右構えからの右のパンチが得意でしたが、ボクが注目していたところはKIDの相手の間合いに入り込むあのスピードですね。パンチの有効な間合いに入る、相手との距離を詰めるスピードですね。こんなスピードで入り込む人は世界中探してもちょっといないんじゃないかなぁ?
ダウン奪ったパンチはよかったですね。あまり力をタメず、一瞬スッと力を抜いて放つ・・・ちょっと読めない、そして早いパンチでしたね。魔裟斗は効いたというより「あれ?」っと思ったんじゃないでしょうか?
KID、近年の試合ではなかなか結果が出なかったし私生活でもいろいろあったようですが、がんばってほしいですね。また神の子KIDが見たいです!!
99年2月21日 横浜アリーナ THE FINAL 前田日明引退試合
前田日明vsアレクサンドル・カレリン
さて、総合です。
まずは前田日明の引退試合。相手はなんとあのカレリンです。カレリンが日本に来てレスリング以外で試合をした。これは驚いたのなんのですよ。
試合前までは正直、カレリンには分が悪いのではないかと・・・やっぱり打撃のある前田、特にローの威力は相当なものなので、距離を取られながらローをもらっていったなら、やばいかもしれないと思っていました。実際試合が始まって、まずローを受けたので、ああ、やっぱりまずいかな・・・と思っていたのですが、カレリンが最初にがぶった瞬間、これは!!と思いましたね。
印象に残ったのは1回目のカレリンズ・リフトの前に放ったカレリンの首投げでした。通常はフォール取る態勢へ持っていく投げなのでもう少し体を回すんですが、カレリン体回さないでやってるんですよね。故意だったのどうかわかりませんが、その為に前田は頭から落ちていってるんですね。これは相当効いたと思いますね。
カレリンズ・リフトも出ましたね!!ボクは感動しちゃいましたが、でもあれ前田がなんであんなされるがまま無抵抗だったんだ?なんて思った方もいると思うんですよ。
カレリンズ・リフト、俵返しと言っていましたが、あのクラッチの位置って骨盤のあたりなんですよ。たとえば胸とか足とかでクラッチしたとすると、体ひねれますので動けますよね。力を逃がしたりできるんですよ。でも骨盤の位置ってあれですよ。舞台なんかで俳優さんが宙に浮くシーンで、腰にベルト着けてワイヤーで吊ったりしますよね。あれと同じなんですよ。体の中心にあり関節がない大きな骨のところは、上げられたらどうしようもないんですよ。
だからといって、格闘技経験のある前田を上げるのはすごいですよね。軽くやってるように見えますけど、前田だって120キロ近かったんですからねぇ・・・あんなに軽々上がんないですよ。カレリン、とにかく最後の大物でしたね。
00年 5月1日 東京ドーム PRIDE GP 2000決勝戦 トーナメント2回戦
マーク・ケアーvs藤田和之
この当時、グレイシー一族のヒクソン追撃の最右翼と言われていたのがこのマーク・ケアー。カレリンが人類最強といわれればケアーは霊長類最強といわれたほどでした。
マーク・ケアー、その試合はまるで動く爆弾でした。相手に高速でタックルしてはボコボコにしてしまう爆発的な戦闘力をもっていましたね。しかしそんなケアーを相手に総合2試合目だった藤田が勝利をおさめます。序盤はケアーの打撃にあわやというシーンがありましたが倒れず、得意のタックルでテイクダウンを奪い優位に試合を進めましたね。
この藤田のタックルですが、正面タックル、両足へのタックルがありますが、同じような軌道から、相手が構えている状態で後ろにある方の足へ入るもので、レスリングではスカシと呼ばれているものでした。藤田は高校時代から大学時代と、このタックルが得意だったんですが、全米でもレスリングの強豪だったケアーに完璧に決めたのには、これは見てて寒気がしましたねぇ~。フェイントもタックルもまるっきり、ボクらがすごいな~って思っていた頃のレスリングの現役時代動きでした。
ヒョードル戦なんかのパンチも然り、この何も考えない純粋な、本能の赴くままの戦い方こそ藤田の魅力なんだと思うんですよ。だからこれでいいと思うんですよねぇ・・・無理にちがう戦い方しようとする必要はないと思うんですよね。本当、あこがれの存在だったんですよ。がんばってほしいですね。
00年5月1日 東京ドーム PRIDE GP 2000決勝戦 トーナメント2回戦
桜庭和志vsホイス・グレイシー
ごめんなさい。これはですねぇ~いろいろありすぎて、ここではもはや語りつくせないですね。なのでちょっとだけ語らせてもらえば、まず終始で、完全に桜庭の方が強かったですね。残念ながらホイスに優位なところはありませんでした。
ファン目線としては、あの長い時間、会場もテレビで見ていた人も、ずっと釘付けになって見守っていましたよね。こう、ひとつになってましたよねぇ・・・そういう試合ってないですよね~。そしてなんと言っても最後、やっぱりグレイシーがタオル投げるあの瞬間ですよね。全身がカーっとアツくなりました。いつかこれだけで書いてみたいですねぇ~。よかったなぁ・・・
00年5月27日 東京ドーム コロシアム2000
船木誠勝vsヒクソン・グレイシー
これはですね、ちょっとテレビの映し方がよくなかったのが難点なんですが・・・ヒクソンという選手は、あの独特な構えから、相手の膝あたりへ踏みつけるような蹴りしますよね。関節蹴りっていうんですかね。マット踏んでフェイントにも使いますが、これで間合いを詰めながら相手に近づき、やがて組み付き、倒し、寝技で仕留めるのが必勝パターンですよね。
しかしこの試合では、ゴング鳴ってすぐ、ヒクソンが蹴り出して、で、足の平がマットに着く瞬間くらいで船木の右のフックがヒクソンにとどいてるんですね。そのあとすぐヒクソンはもう1回これをやるんですが、やはり船木はヒクソンの足の平がマットに着く瞬間くらいに今度は左を合わせているんですよ。この他に試合後半にはヒクソンに眼底骨折を負わせたパンチが入りますね。そしてそのあとすぐにもう1回、これは当たりが浅かっのですがパンチ出してるんですね。やっぱりテレビの映し方悪かったので見づらいんですが、この後半2回も同じようにヒクソンが蹴り出すタイミングに合わせてるんですよね。
そう、このタイミングが組みにも来ず、アゴも上がる・・・ヒクソンへ打撃を当てる最高のタイミングだったんですね。船木はこの弱点ともいえるべき点を見抜いて狙ってたのではと・・・ボクは思うんですよ。
ヒクソンはこのあと速攻でグランドに持ち込み、あっという間にマウントを取るとその体からは想像も出来ないほど重いマウントパンチを眼底骨折の仕返しとばかり叩き込みます。このとき、船木をグランドへ引き込んだ首を持っての「いなし」は一見すると、なんで船木はあんなので倒れたんだ?と思われるようなものでした。しかしここも奥が深い点でした。そう、たとえれば首にかけたヒクソンの腕から腰までをロープ、膀胱のあたりにある重心を鉄の玉とすると・・・つまりヒクソンは自身の体を使って、重心のコントロールで船木の首に鉄の玉がついたロープをいきなり引っ掛けた状態を作ったんですね。体重的にはヒクソンは100キロ以下で、腕力も船木よりはなかったはずです。だから腕力だけでは、あんな風には倒せないんですね。しかし、こういう体の使い方ができるから船木や、その他にも自分より大きい相手と戦っても勝つことができたんだと思いますねぇ。
よく総合格闘技でマウント取っていながら何もしないで終わっちゃったり、マウントパンチが思うように当たらないで終わっちゃうなんてことがありますが・・・マウントを取れば確実に仕留めるパンチと寝技。やはりヒクソンがその世界で強いと言われる理由、なんでしょうね。結局船木は負けてしまいましたが次のラウンドまでいっていたらヒクソンの眼底も骨折のせいで腫れてきたでしょうから、もしかして・・・と思うと残念でなりません。
01年11月3日 東京ドーム PRIDE.17
高田延彦vsミルコ・クロコップ
この試合は会場でもブーイングをもらい、その後もネットで叩かれましたがボクの中ではなぜ酷評されたのかがわかりません。ボクにとっては高田のベストバウトですね。
打撃、パンチやキックって効果が出る、有効な距離ありますね。パンチは遠すぎると当たりませんよね。でも近すぎても威力が出せません。パンチにはパンチの利く距離があるんですよ。キックも然りですね。で、タックルもですね、やっぱり有効な距離があるんですよ。
藤田とミルコが一番最初にやったとき、藤田のタックル空かされてましたよね。で、最終的に3回目のタックルに合わせて膝を食っちゃったんですよね。マーク・ケアーとの対戦の話を先に書きましたが、あれだけのタックル使う人が、専門はキックだったミルコにタックル空かされるんですよ。切られるんじゃなく空かされるんです。
なぜかというと、まず遠すぎたんですね。そしてミルコがタックル切るのが相当うまかったという、この2点だったんですよ。で3回目、膝を合わせられてしまったのは、その前の2回で完全に入るタイミングを教えてしまったんですね。
結局藤田は2度目の対決でも蹴り足を掴んで取っただけで、自分からのタックルでテイクダウン取れなかったんですよね。永田はグレコの選手なんであれでしたが、でも組みにも行けませんでした。結局、レスリングで全日本も取ってるような選手が組んでテイクダウン取れなかったんですよ。他にも日本人、多く戦いましたがミルコをグランドへ持っていったというのは・・・どうでしたか?自分から入ってテイクダウン取ったのはボクの記憶では桜庭と高田以外、いないんですよ。全日本級のテイクダウンのプロが取れず・・・桜庭はレスリング経験者という点もありますが、高田は期間にすればそう長くタックル使ってきたわけではありません。でも、取ったんですよ!!
ミルコって通常は組まれる前に反応するんですよ。胴タックルや足へのタックルは相手が来る態勢になったとたん下がったり手を出してうまく距離を取るんですよね。タックルが効く距離を知っていて、なおかつ反応が早いんで切るのがうまいんですよ。
でも、この高田のタックルにはミルコは入られてから反応したんですよ。ミルコの入られる様子見ると一瞬、手でガードしようとしているのでローがフェイントになって、次は顔へ打撃来ると思ったのかもしれません。こういう技術、高田は時折見せますね。確かボブチャンチン戦でしたか・・・うまいと思ったのが、目のフェイントですね。これで蹴ったときがあったんですよね。まずロー入れて、で次に目線をローにするんですよね。蹴る前に相手の蹴るあたりをチラっと見るんですよ。で、そこでローでなくハイを蹴るという・・・こういうテクニックですね。
しかしこの場合はそればっかりではなかったと思います。まず距離がよかったですね。よくあの位置まで持っていきましたよ。そして飛び込んでいった勇気ですね。思わずヨシ!!って言っちゃったくらいです。
試合中はミルコのあのハイをスゥエーでかわして飛び込んだりしたのをはじめ、決定打はもらいませんでした。これぞ高田!!という動きがあってよかったです。
足を痛めながらも最後まで戦った高田。実はコンディションがよくなかったと言います。しかしこの日は表情もよくて、久々に高田を見たなぁーという気持ちになったのを思い出します。
さあというわけでお送りしてきました格闘技特集、いかがだったでしょうか?
実はボク、格闘技の試合に関してはリアルタイム以外は無音で映像、動画を見ます。純粋に技術を見たいから、雑念が入らないように実況や解説、会場の声を消すんですよ。競技の種類もいろいろ見ますし、有名どころから変な素人のやつまで何でも見ます。で、気になったところは何度も戻して見ます。そして、ああーなるほど・・・とか、そうか!とかね、見ながらこうやるのがすごく楽しみなんですよ。
でも、最近の格闘技では、それをやるようなのがちょっとなくて・・・さみしかったりしますね。
ボクはプロレスファンで、格闘技は趣味。なのでもうここで格闘技を語ることはないと思いますが、やっぱり盛り上がってほしいですよ。新しいスター、ヒーローの登場を期待して、そしてまた楽しみができるように願っています。