どうも!!流星仮面二世です!!
さて、前回の記事ですが、最初は・・・コメ欄でやり取りしていただいたり、ご自身で楽しんでいただければ・・・と思っていたのですが、みなさんから大変な反響をいただきました。本当にうれしく思います。ありがとうございます。
とても模範とはいえませんが解答の方をご用意いたしましたので参考程度、拝見していただければと思います。
では、どうぞ♪
1. 【名】 下記にあげるニックネームのレスラー名を答えなさい。
①燃える闘魂
( アントニオ猪木 )
※ニックネームは舟橋慶一アナウンサー発祥と言われています。
②和製カーペンティア
( 寺西勇 )
※マットの魔術師エドワード・カーペンティアが由来です。和製マットの魔術師とも呼ばれました。
③仮面の魔豹
( エル・カネック )
※スペイン植民地時代のメキシコで反旗を翻したハシント・カネックというリーダーが名前の由来のようなので、昔、本などにあったカネックという言葉の意味がニックネームになった「ならず者」というのは誤りかもしれませんね。
④人間風車
( ビル・ロビンソン )
※得意技ダブルアーム・スープレックスの日本での呼び名。得意技がそのままニックネームになった例です。
⑤闘う青年将校
( 山崎一夫 )
※将校は戦前の日本において少尉以上の階級にあたり、旧制中学において20代前半で少尉や中尉になった優等生を青年将校と呼んだそうです。
⑥飛鳥仮面
( ドス・カラス )
※「あすか」ではなく「ひちょう」のようです。
⑦爆弾小僧
( ダイナマイト・キッド )
※カミソリ・ファイターとも呼ばれました。
⑧狂乱の貴公子
( リック・フレアー )
※海外ではネイチャー・ボーイと呼ばれていました。
⑨黒い魔神
( ボボ・ブラジル )
※アメリカのミシガン出身ですが、人種差別がない国、ブラジルへの思いからこの名前になったといわれています。
⑩スーパーロデオマシーン
( ディック・マードック )
※狂犬と呼ばれていた時代もあります。古館さんの「人間ビッグアップル」も好きでした。
⑪金髪のパンク野郎
( マイケル・ヘイズ )
※ファビラス・フリーバーズのリーダーとして活躍。ガウンの脱ぎ方、よかったですね。
⑫放浪の殺し屋
( ジプシー・ジョー )
※プロレス史上、名前とニックネーム、そしてイメージがこれほどまでにマッチしたレスラーはいないですね。
⑬黒い呪術師
( アブドーラ・ザ・ブッチャー )
※呪術師は「呪」の文字が入っているため悪的なイメージを描きやすいですが、本来、呪術師は精霊や神などと交信し祈祷(豊熟、豊年、雨乞いなどのお祈り)や占い、予知を行う者を指し、また古くは薬草や毒草などの知識を持ち人々に医療行為を行う存在であったため、ニックネームの意味としては悪の呪術師ということだったんでしょうね。
⑭入墨獣
( クラッシャー・バンバン・ビガロ )
※歩く漬物石、ビア樽モンスターというのもありましたが、それはちょっと・・・と思いましたよね?
⑮ミズーリの隼
( ジム・ブランゼル )
※ジャンピング・ジム・ブランゼルと称されることもあり、そのドロップキックは見事の一言でした。個人的には大好きなレスラーです。
⑯荒くれ牧童
( ネルソン・ロイヤル )
※ボクらの年代だと輪島のトレーナー、対戦相手として記憶にありますが、テキサスブロンコ・バックブリーカー(キャメルクラッチ)を日本で初めて公開した名レスラーです。
⑰ウガンダの大魔神
( ジャイアント・キマラ )
※ウガンダのジャングルで発見された未開拓の新部族が、覆面で探検家のフライデーという男に連れられ82年にプロレスに登場。初めて見たときは本当にびっくりしました。
⑱喧嘩番長
( ディック・スレーター )
※文字通り喧嘩が強く気性も荒いファイターだったスレーター。足をピストルで撃たれながら、わずか2週間でカムバックした武勇伝を持ちます。
⑲流血怪人
( アレックス・スミルノフ )
※怪人だけでもすでにすごいネームなのに、そこに流血が付くのですから魅かれます。国際、全日本、新日本のメジャー3団体すべてのリングに上がった数少ないレスラーです。
⑳流血大王
( キラー・トーア・カマタ )
※日本人の名字「カマタ」が名に入りますが日系人ではなく、ハワイ出身でミクロネシア、マーシャル諸島などの住民であるカナカ族の血統である、らしいです。ボクは子供の頃、どこかで熊本県人の血を引くと聞いたことがあるのですが、記憶違いでしたらすいません。
2. 【名】 次の画像のレスラー名を答えなさい。
1. ( ザ・コブラ )
83年中盤にカルガリーに出現した謎のマスクマン。同年11月に初来日し蔵前国技館でディビーボーイ・スミス(ザ・バンピート)と戦い日本デビューを飾りました。その後ジュニアのトップとしてNWA、WWFの両ジュニアヘビー級王座にも君臨。身体能力が高く起用で様々な技をこなしますが、特に跳躍に優れていたため空中殺法には定評がありました。個人的にはコブラのドロップキックが好きでしたね。
80年にNWAミッドアトランティック地区でデビュー。将来を有望視されたレスラーとして早くから多くのタイトルを手にし、86年からはリック・フレアーの保持するNWA世界タイトルにも多々挑戦。次期NWA世界王者候補の最右翼とよばれました。しかし86年10月、自身の運転する車で大事故を起こし、命こそ助かりましたが頸椎を損傷する重症を負ってしまい、わずか6年でレスラー生命を絶たれてしまいました。このレスラーが現役でいたら・・・と思うと本当に悔やまれます。
57年に日本プロレスに入門しますが、60年に日本プロレスを出、海外へ。そのため正確なデビュー時期は不明ですが、64年7月にフロリダでダニー・ホッジを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、同年12月には同じくフロリダでルー・テーズの保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦し60分フルタイムドローをするなど実力者として海外で活躍しました。カール・ゴッチに師事し日本人で初めてジャーマン・スープレックス・ホールドを使ったことでも有名。またトレーナーとしても才がありハルク・ホーガン、ポール・オンドーフなどのちのスーパースターを数多く育てました。84年のサマーファイトシリーズ、ボクの地元に来たとき目の前でヒロ・マツダを見たのが今となっては最高の思い出です。
4. ( ビッグ・ジョン・スタッド )
72年にニューヨークでデビュー。キラー・コワルスキーを師事し、ラフ殺法を受け継ぎながら204センチ、150キロという大きな体を生かした攻めで人間起重機といわれました。ジ・エクスキューショナーズ2号、キャプテンUSA、マスクド・スーパースター2号などマスクマンに変身することが多くありました。83年の第1回IWGPでは北米代表として参加しましたが、このときはビッグ・ジョン・スタッドの名前のままマスクマンとして参加。翌84年の第2回IWGPでは素顔で参加しています。95年3月、悪性腫瘍のため47歳で亡くなりました。いいレスラーでした。
5. ( 藤波辰巳 )
71年5月に日本プロレスへ入門。翌72年にアントニオ猪木とともに新日本プロレスへ参加。78年1月にニューヨークでWWWF世界ジュニアヘビー級王座を奪取、凱旋しドラゴンブームを巻き起こし日本のジュニアヘビーのパイオニアとなりました。81年にヘビー級に転向。同年8月にニューヨークでジノ・ブリッドを破りWWFインターナショナルヘビー級王座を奪取、のち長州力との抗争が始まり数々の名勝負数え歌を展開しファンを熱気させました。85年12月にIWGPタッグリーグ戦決勝でアントニオ猪木をフォール。88年には飛龍革命を起こし、多くのファンの心を掴んだ名レスラーです。
6. ( クラッシャー・ブラックウェル、ジェリー・ブラックウェル)
74年ジョージアでデビュー。180センチ、180キロの巨体ながらドロップキックをこなすなど動けるレスラーで、人間粉砕機、重圧粉砕機と呼ばれました。海外では77年にハーリー・レイスの保持するNWA世界ヘビー級王座へ、78年にはボブ・バックランドの保持するWWWF世界ヘビー級王座へ挑戦。奪取こそなりませんでしたが双方を追い込むファイトを展開しました。83年にはケン・パテラと組んでハイ・フライヤーズからAWA世界タッグ王座を奪取。日本ではブルーザー・ブロディと組み鶴田、天龍とインタータッグを争うなど活躍しましたが、95年1月に肝炎により45歳の若さでこの世を去りました。
7. ( ハーリー・レイス )
58年頃にサーカスなどで力自慢の素人を相手にするカーニバルレスラーとしてデビュー。73年にミズーリ州でドリーファンク・ジュニアを破り初栄冠後、NWA世界王座を通算8回腰に巻いているご存じミスタープロレス。他にもAWA世界タッグ、NWAセントラルステーツ、ミズーリ、日本ではジャンボ鶴田からUN、馬場さんからPWFと数々のタイトルを奪取、手にしてきた強豪です。WWF時代は「キング」として王冠にマントを施していましたが、まさにプロレス界のキングそのものでしたね。
8. ( 大熊元司 )
62年5月に大相撲から日本プロレスへ。67年に海外へ共に渡ったグレート小鹿とタッグを結成、ヒールとして暴れまわりました。72年に全日本プロレスへ参加。ここで小鹿と極道コンビを復活させアジアタッグ戦線で活躍、重要な中堅どころを務めました。しかし現役の真っ只中だった92年1月に急性腎不全により51歳で死去しています。
9. ( ワンマン・ギャング )
77年、17歳でデビュー。82年にCWA、83年にはNWAミッドアトランティック地区で活躍。同年9月、全日本プロレスへ初来日。来日前の評価を上回る活躍を見せ注目の選手となり、ジャンボ鶴田とテレビマッチのシングル、そしてスタン・ハンセンと組んで馬場さん・鶴田の持つインターナショナルタッグ選手権へ挑戦という抜擢もありました。以後、85年にはWCCWでブルーザー・ブロディと抗争、86年にはビル・ワットのUWFで活躍し87年からはWWFへ参戦、90年にはWCW参戦とまさにアメリカを股にかけ活躍したレスラーでした。
10. ( ブッチ・リード )
78年にミズーリ州でデビュー。81年からフロリダで活躍し82年には同州でドリーファンク・ジュニアの保持するインターナショナル・ヘビー級王座に驚きの挑戦。日本で放送されたテレビマッチだったため、注目を集めました。また、この時期にはリック・フレアーの保持するNWA世界ヘビー級にも挑戦と、アメフト上がりのファイターとして若手時代から注目を集めました。83年からはミッドサウス地区で鳴らし86年からはWWFへ参戦。88年にはNWAに参戦し、ここでロン・シモンズとのタッグ、ドゥームを結成し人気を博しました。このタッグチームとして一度だけ新日本へ参戦しています。が、もっと早く日本に来て欲しかった、まだ見ぬ強豪レスラーでした。
11. ( バグジー・マグロー )
60年にデビュー。72年にマイティ・ブルータスの名で日本プロレスの第14回ワールド・リーグ戦へ初来日。75年からはWWWFで活躍。76年にブルーノ・サンマルチノの保持するWWWF世界ヘビー級王座に挑戦した他、ヒールレスラーとして大活躍しました。78年に新日本プロレスの第1回MSGシリーズに参戦。81年、84年は全日本プロレスへ来日。84年はスタン・ハンセンに挑んでいき抗争を繰り広げ、茨城県の古河市でハンセンの保持するPWFヘビー級をかけた選手権試合も組まれました。左腕を痛めていたハンセンが、おそらく初公開となる右腕でのラリアートを繰り出した珍しい試合でした。両腕を広げて頭を下げ、グルグルと3回くらい回るポーズが得意でした。
12. ( エル・ソリタリオ )
60年に14歳という若さでデビュー。66年にエル・ソリタリオとなり、69年にNWA世界ミドル級王座を、70年にはNWA世界ライトヘビー級王座を奪取し活躍しました。72年に日本プロレスへ初来日。79年、81年には新日本プロレスへ参戦。藤波辰巳の保持するWWFジュニアヘビー級へ挑戦し、敗れはしましたが、これぞメキシカンという素晴らしいプランチャーを見せました。86年に試合で負傷した腰の手術を受けている最中に心臓発作を起こしてしまい39歳でこの世を去りました。マスクを着けたまま棺に収まった、真のメキシカンでした。
3. 【名】 次の画像のタッグチーム名を答えなさい。
1. ( ハイ・フライヤーズ )
76年にミズーリの隼ことジム・ブランゼルとバーン・ガニアの息子グレッグ・ガニアにて結成。77年にAWA世界タッグ初栄冠。看板タッグチームとして活躍し、82年にタッグ・チャンピオンとして全日本プロレスへ初見参しました。84年にはPWF世界タッグ王座決定リーグ戦にも参加しています。ツープラトンでのドロップキックが見事でした。
2. ( ブリティッシュ・ブルドックス )
ダイナマイト・キッドとディビーボーイ・スミスの組む従兄同士のタッグチーム。スミスのデビュー時期からスタンピートレスリングへの移行の歴史を見ると、おそらく80年序盤からタッグを組んでいたのかもしれませんが、詳しくは不明。日本ではスミスが新日本へ参戦し始めた83年の末頃からタッグで活躍。しかし84年にはまさかの全日本プロレス電撃移籍でファンの度肝を抜きました。当時まだブルドックスとは呼ばれておらず、この名称が付いたのは85年にWWFへ参戦してからになります。そのWWFでは86年にWWF世界タッグを奪取。88年以降からは全日本プロレスでマレンコ兄弟やカンナム・エキスプレスと名勝負を展開しました。
3. ( ザ・スタイナー・ブラザース、スタイナース )
リックとスコットの兄弟からなるタッグチーム。89年にタッグを結成し、同年にNWA世界タッグを奪取。その後WCW世界タッグ王者となりました。同年91年から新日本プロレスへ参戦。武藤、馳組、ヘルレイザースと名勝負を展開し、92年にはビガロ、ベイダー組を倒しIWGPタッグ王者になるなど活躍しました。連携はもちろん、投げっぱなし、フランケン・シュタイナーなど現在に続くムーブをプロレス界へ持ち込んだタッグチームでした。
4. ( テキサス・アウトローズ、テキサス・ジ・アウトローズ、ジ・アウトロース )
68年にNWAセントラルステーツ地区でダスティ・ローデス、ディック・マードックにて結成。70年代はテキサス、ミシガン、オハイオ、フロリダとNWAのタッグタイトル戦線で暴れまわりながらアメリカを転戦。翌年71年からはオーストラリアからAWA地区へ転戦し73年に日本に来襲、国際プロレスへ待望の初来日を果たしました。75年には全日本プロレスへ参戦。馬場さん、鶴田の持つインターナショナル選手権へ挑戦しています。81、82年からは新日本プロレスに参戦。アントニオ猪木を欠場へ追い込むラフファイトを見せました。世界中を渡り歩いた、人気、実力とも誰もが認めるタッグチームでした。
5. ( ザ・パワーズ・オブ・ペイン )
こちらはひっかけ問題として出しましたが、いかがでしたかね?さて、ザ・ロードウォリアーズの全盛期にはマッチョでペイントというスタイルのレスラーがごそって現れましたが、中でも実力者だったコンガ・ザ・バーバリアンとバイオレンス・ウォーロードが87年にミッドアトランティック地区にてタッグを結成。しかし単なるバッタモノではなく、ロード・ウォリアーズの対抗馬として本家と真っ正面からタッグ抗争をしました。同年にWWFに参戦し、ここではザ・デモリッションとの抗争を繰り広げ人気を集めました。
4. 【名】 次のリングネームは日本人レスラーの海外武者修行時代、あるいは海外での名前ですが、それぞれどのレスラーに当たりますか?該当するレスラーを答えなさい。
①フライング・フジ・ヤマダ
( 山田恵一、獣神サンダー・ライガー )
②キッド・コビー
( 小林邦昭 )
③クイックキック・リー
( 前田日明 )
④ザ・グレート・シンジャ
( 佐藤昭雄 )
⑤パク・チュー
( 木村健悟 )
⑥ハシフ・カーン
( 橋本真也 )
⑦ホワイト・ニンジャ
( 武藤敬司 )
ホワイト・ニンジャ、スーパー・ブラック・ニンジャはまさにグレート・ムタの原型でしたね
⑧ミスター・トヨ
( ラッシャー木村 )
⑨テムジン・モンゴル
( キラーカーン )
⑩デビル・サト
( 高千穂明久、ザ・グレート・カブキ )
5. 【技】 次の画像の技名を答えなさい。
1. ( デンジャラスドライバー・テンリュウ )
天龍のこの技の画像を見ると、よくふたつの名称が出ます。そう、デンジャラスドライバー・テンリュウと天龍稲妻落としです。実のところ、長く同じ技だと思っていたのですが・・・実はデンジャラスドライバー・テンリュウと天龍稲妻落としは別の技、という説もあるようです。デンジャラスドライバー・テンリュウは出題した画像のもの。天龍稲妻落としは
という可能性が、あるようです。
しかしながら後者が絶対に天龍稲妻落としか?と問われれば何とも言えません。確固たる証明ができないうちはデンジャラスドライバー・テンリュウは同じ型だった、という結論に至るかもしれません・・・ということでどちらかが書いてあれば正解とします。もし詳細知っている方おりましたらゼヒご教示ください。
2. ( ハイジャック・バックブリーカー )
獅子王、殺人台風とよばれた名レスラー、ドン・レオ・ジョナサンの必殺技。この状態で自身を軸に回転を加えるバックブリーカーです。画像はあの馬場さんを担ぎ上げ仕掛けた名シーン。かつてはアンドレ・ザ・ジャイアントをもバックブリーカーにとらえた他、怪力伝説を数々持つジョナサンですが198センチ、140キロという大型レスラーでありながら、その場飛びのドロップキックやサンセットフリップ、ネックスプリングにロープを利してのバク転までこなす身体能力をもち、カール・ゴッチをして「すごい男」と言わしめたほど。レスラーでありながら潜水士(ダイバー)としてサルベージ会社を経営していた実業家でもあったようです。
3. ( ゴールデン・アーム・ボンバー、ゴールデン・アーム・ボンバー2、ワジマ・スペシャル、二段式首折り、ギロチン・ネックブリーカー・ドロップ )
本来は相撲の喉輪とかち上げを合わせたものがゴールデン・アーム・ボンバー、画像の技はゴールデン・アーム・ボンバー2だった(と思った)のですが、当時は輪島旋風で実況席も興奮気味。ゴールデン・アーム・ボンバーも2も、出ると「ワジマ・スペシャルーッ!!」で・・・なのでどちらもワジマ・スペシャルなんだと思っていました。いや、今でも思っています。ゴールデン・アーム・ボンバーは現在のチョークスラム、喉輪落としへ、2はロックボトム系の技へと進化を遂げていきました。もし輪島がいなかったら、これらの技は生まれなかったんだな・・・そう思うと、さすが輪島と唸ってしまいます。
4. ( ニューオクトパス・ホールド、新卍固め )
77年7月、アントニオ猪木がエル・ゴリアス戦で生涯たった一度だけ見せた新たな卍固め。元々、対モンスターマン戦の秘密兵器というウワサがありましたが、これ以降、猪木が見せたことはありませんでした。なので写真はこれのみしかなく、当然動画はありません。猪木がどうやってこの態勢に入ったのか、すごく興味があります。
5. ( ダイビング・ボディアタック )
様々な空中殺法がある現在ですが、かつての空中殺法で大技中の大技といえばこれでした。考案者やいつ頃から使用されていたのかは不明ですが、ミル・マスカラスが世に広めたのは間違いありません。空中姿勢、体の浴びせ方など、この技に関してはマスカラスを越えるレスラーはもはや皆無といえそうです。定義ではトップロープ、セカンド・ロープなどコーナーからのダイブ技をダイビング、ロープに振って助走しジャンプし技に入るなどマットから直接飛ぶ技をフライングと称します。
6. ( ウォール・オブ・ジェリコ、ボストンクラブ・ホールド )
1930年代頃よりプロレス界で使われている技で、海洋に面し海港として有名なアメリカ・マサッチューセッツ州ボストンで水揚げされる大型の甲殻類からその名がつたといわれています。日本では53年から54年の力道山のアメリカ遠征260試合のうちシングルで敗北した3試合のうちの1試合が赤サソリことタム・ライスの逆エビ固めだったことが有名で、以降、数々の使い手が存在しています。余談ですがwikipediaによれば“アメリカ人プロレスラー、ジム・ロンドスによって開発された”とあるのですが、これはギリシャ出身の黄金のギリシャ人ことジム・ロンドスの他に同姓同名のレスラーが存在していたということなのでしょうかね?
7. ( エメラルド・フロウジョン )
98年に三沢が初めて見せた必殺技。フロウジョンは滝のことを意味しますが、まさに高度を誇る滝の上から落下するかのごとく相手を落とす危険な技であります。三沢の死去後も様々な選手が使い、また進化型を出したりしています。技は生きてるんだなぁ・・・
8. ( シュミット式(流)バックブリーカー )
地獄の料理人といわれたハンス・シュミットか67年の初来日時に日本マットで披露した技。現在では片膝をついて行う形ですが、元々は画像のようにスタンドのまま中腰になり膝を当てる形でした。日本ではシュミット式(流)と呼ばれますが、シュミットによれば先輩レスラーから教わった技でオリジナルではないとのお話も出ています。でもファンの脳裏にはシュミットのオリジナルです。
9. ( 32文ロケット砲、アポロキック )
65年に馬場さんが公開した必殺技。あのラテンの魔豹ペドロ・モラレスにコーチを受けたという技です。当時ただでさえ大型レスラーが飛び技を使うことがなかった時代に209センチで140キロという馬場さんがドロップキックを放つという・・・ダイナミックで見栄えのある、そして破壊力のある様は注目され人気を博しました。馬場さんの足のサイズ、16文(実際は16文ではない)がダブルになったので32文だったのですが、当時の世は宇宙時代だったので、実況の清水一郎アナウンサーは人類の夢を託し、この技をアポロキックと称しました。
10. ( あすなろスープレックス )
当時実況だった古舘さんが山田恵一の試合、85年4月のヤングライオン杯決勝で「出るか?山田のあすなろスープレックス」と実況。このとき、あすなろスープレックスとはどんな技なんだ?と思ったファンはほとんどでしたが、中でも一番どんな技なんだ?と思ったのが山田恵一自身でした。そう、実はこの技、古舘さんにより技の名前のみが先に生まれた技だったのです。あすなろとはヒノキ科の常緑高木、つまり木なのですが、ヒノキに似ているのですがヒノキではありません。あすなろという言葉は、明日は、ヒノキになろう、明日こそなろうの意味であすなろ、という希望的な言葉だったのです。古舘さんはこの希望を山田に込めて実況、その気持ちが表れたというわけだったんですね。こうして実態がなかったこの技が、ついに85年9月6日、愛知県碧南市臨海体育館の佐野直喜戦で現実となった、というわけなのでした。
6. 【技】 下記にあげる技の考案者を答えなさい。
①DDT
( ジェイク・ロバーツ )
②ドロップキック
( ジョー・サボルディ )
③ツームストーン・パイルドライバー
( ジャック・クレインボーン )
④スインギング・ネックブリーカードロップ
( マスクド・スーパースター )
⑤テキサス・クローバーホールド
( テリー・ファンク )
7. 【技】 下記に上げる技の日本語名を答えなさい。
①シューティング・スタープレス
( 流星体落とし )
山田恵一のオリジナル、シューティング・スタープレスはヘッドバット・バージョンもあった
②アックス・ボンバー
( 斧爆弾 )
③アトミック・ボムズアウェイ
( 肉弾原爆落とし )
ディック・ザ・ブルーザーが得意としたアトミック・ボムズアウェイ
④ジャパニーズ・レッグロールクラッチホールド
( 日本式回転足折り固め )
⑤シクル・バックブリーカー
( 鎌固め )
リバース・インディアンデスロックからブリッジし顎をキメる鎌固め
解答・2枚目へ続きます。