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名レスラー伝~暴走戦士 ザ・ロードウォリアーズ~

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ひょうたんから駒とは言ったものだが・・・過去にプロレスが世間に与える影響にも、そんなことがあった。


中学1年になったばかりのある日のこと。まったくプロレスに縁のないヤツに


「ねぇ、ロードウォリアーズって、知ってる?」


といきなり問われたことがあった。


キミはボクを誰だと思ってるんだ?そうさ、今日も誰かが四角い礼拝堂の犠牲者になるぜ~・・・とポール・エラリングばりにおれに言われたいのか!?と、一瞬思ったが・・・後々、これを数人に言われ、こういう輩が意外に多いことに気がついた。


新日、全日、全女、世界のプロレス。プロレスがいい時間帯にテレビ放送をやっていた時代だ。だからボクのような熱烈なファンでなくともプロレスを見ている人は多かった。しかしそれは漠然とだったり、家の人が見ているからついでにだったり、他に見るものもないから的なものだったんだ。でも、そんな発想でプロレスを見ていた人の目にザ・ロードウォリアーズが出現したとき漠然や、ついでに見ていたなんて理由では片付けられないものが心の奥底に発生したのだ。プロレスはあまり詳しくない。でもロードウォリアーズは知っている!!プロレスをそこまで好きなわけではない。でもロードウォリアーズは好き!!アメリカで日本で、見る人を夢中にさせた彼らとは一体なんだったのだろうか?



ザ・ロードウォリアーズは83年、NWAのジョージア地区へ入った際にポール・エラリングが率いていたキングコング・バンディ、ジェーク・ロバーツ、バズ・ソイヤーなどの強烈なメンツがそろうヒールの軍団、リージョン・オブ・ドゥームにデビューして間もないジョセフ・ロウリネイティスとマイケル・ヘグストランドが入りタッグが結成されたことに端を発する。ジョセフはのちのアニマル、マイケルはホーク・・・まさに運命的な出会い、と言いたいが、実はふたりは小学校の頃から幼馴染だったそうだから、ジョージア地区入りは運命的ではなく運命を共にする何かを持っていてのものだったかもしれないなぁ。


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タッグ結成当時の頃のアニマル


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こちらはホーク


このジョージア地区入りした頃は、まだ域としてはデビューしてわずかのグリーンボーイだったふたりだったが、ポール・エラリングをマネージャーにアメリカンな暴走族スタイルで大暴れしだすと早くも頭角を現し、まもなくしてNWAナショナルタッグを奪取する。タッグチーム王者として連日防衛戦を行っては、のちにボクらの前に姿を現わすあのウォリアーズの片鱗を見出していたのだった。


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当時はハンセンと試合をすることも多かったという。ということはラリアートはこの時代に盗んだのかな?


さて・・・こんな感じで初期は素顔でファイトしていたウォリアーズだったが、やがてイメージを一新する。ペイントにモヒカン、そして今までの筋肉マンタイプのレスラーにはなかった早いテンポな戦い方にして、ヒールにして反則技を使わずパワーで圧倒するそのスタイルが人気を獲得し、注目度はみるみる上昇していった。


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ナショナルタッグ王座時代にイメージ変更。まだペイントが荒い


こうして約1年、ジョージア地区で暴れたウォリアーズは翌年84年にAWAへ戦いの場を移すと、ベテランにして強豪のクラッシャー・リソワスキー、バロン・フォン・ラシク組からAWA世界タッグ王座を奪取する。


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AWA世界タッグ王座奪取当時。貫禄が出てきた


ところでこのAWAタッグ戦、確かビデオが出ていたような・・・当時、友達の家に遊びに行ったとき見た記憶があるんだよな。まだ試合運びに若干ギクシャクした感があったアニマルとホークを見て不思議な感じがしてたのを覚えてるなぁ~。ビデオのタイトルは“超暴走軍団ロードウォリアーズ ”ってやつだったかな?タバスコ飲んだりアメ車に乗ってたりするやつだったと思うんだけど・・・


ま、そんな話は置いておいてですね。このAWAでのタイトル奪取が、やっぱりウォリアーズがよく知られるようになった、彼らにとってのターニングポイントだったのではないでしょうか?


ヒールながら反則を使わず、途方もないパワーと軽快なスピードで秒殺で相手を葬る・・・それは上記での反則で、場外の乱闘で試合をするヒールでも、ベア・ハッグやバックブリーカーで地味にパワーを見せつける怪力レスラーでもない、今までになかった新しいタイプのレスラー・・・強くて悪くてかっこいい!!新しいスタイルを持ったレスラーの誕生だったのだ。


しかし・・・風貌やファイトスタイルが人気に影響するのはもちろんだが、ウォリアーズが短期間であれほどまでに世を席巻したのはリング上のファイトの他、ファンを魅了するしゃべりのパフォーマンスが大きなポイントではなかっただろうか?


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試合前のインタビューでは徹底的に吼え、試合では戦いで強さを存分に見せつけた


とにかく試合前のこの映像は魅力的だった。アメリカのプロレスは試合前のインタビュー、こういったパフォーマンスがあったのはプロレスファンなら知っていたが、それでもひきつけられるものがあったから、プロレス好きでない人にはかなりの興味だったのではないだろうか?


インタビューで、んん!?なんだ?なんかすげぇぞ・・・と、ひきつけられ、そして試合を見れば圧倒的に強さを目の当たりにする。プロレスに興味がない人でも、ウォリアーズの試合時間は短いから飽きないで見られるし、プロレス的なわかりずらい駆け引きもなかったので戸惑うこともなく、わかりやすく気持ちよく見ることができた。なるほど・・・こんな現象があったから、まったくプロレスに縁のないヤツに“ねぇ、ロードウォリアーズって、知ってる?”なんて言葉を発せさせたのかもしれないなぁ。


さて・・・やがてそんな現象の中、人気もピークに達した85年3月、ウォリアーズはとうとう日本にやってきた。


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来日直後、成田空港のVIPルームで待ち構えていたマスコミ陣にさっそくパフォーマンスを繰り出す


育ちはシカゴのスラム街、5歳で初体験をし、ネズミを食べて育った・・・これが、これがウォリアーズか!!日本のファンが待ち望んでいた最後の強豪が、ついにベールを脱いだのだ。


まず初来日第一戦、千葉県船橋市運動公園体育館でアニマル浜口、キラー・カーンを相手に圧倒的な強さを見せつける。続く二戦目はプロレス初開催となった完成したばかりの両国国技館で鶴田、天龍とのインターナショナル・タッグ選手権。こちらはテレビ放送スペシャル枠での放送となった。しかし、なぜかこの試合はこの時期にしては曖昧模糊な60分3本勝負で・・・一本目こそ好連係でウォリアーズを存分に感じることができたが、二本目はホークがジャーマン・スープレックスを押しつぶされたようなダブル・フォール気味の形で鶴田をフォールかと思いきや、カウント3寸前で鶴田の肩が上がりホークのフォール負けとなり、三本目は大乱闘のまま、いつのまにかウォリアーズの試合放棄という後味の悪い結果となった。ファンにとってはなんとも言い難い形となってしまったが、しかしその後の試合でも人気の勢いは衰えず、ウォリアーズは初来日の日本でまさに旋風となっていた。そして迎えた85激闘!エキサイティング・ウォーズの最終戦。ウォリアーズは愛知県体育館で長州、カーンとAWA世界タッグ選手権試合を行った。


世界のプロレスで紹介され、ファンに期待を与え続けてきたウォリアーズの待望の初来日。インタータッグ戦での喪失感はあったものの、やはり強くてワルくてカッコいい、見たくて仕方なかったウォリアーズが日本に来て試合したことは心の底から、本当にうれしいことだった。そう、それまでの試合はそういった形でウォリアーズが思い出に残る来日だったと・・・思った。でもこの最終戦を見て、少なくてもボクの中ではそれプラス、プロレスってやっぱりスゴイんだ!!見てきてよかった!!と思う、ウォリアーズからのプレゼントがこの試合にはあったと思う。


それはこの初来日のウォリアーズの試合で、どれよりも、いや、来日前に世界のプロレスで見た海外の試合よりもスゴかった。


テレビから聞こえる倉持アナウンサーの実況・・・


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「キラー・カーン140キロを持ち上げた!!」



すげぇ・・・すげぇ!!


“強さ”というと、今では多くの人が総合格闘技のようなものを連想してしまうようになってしまったが、その言葉の意味には、実にいろいろな受け止め方がある。確かに、ケンカが強い、投げがすごくて強い、打撃の技術が素晴らしく強い、そして寝技がうまくて強い。見たものにこう思わせ、そして実際に強いのは紛れもない“強さ”だ。


しかし、あの日ボクに


「ねぇ、ロードウォリアーズって、知ってる?」


と聞いてきた、プロレスなんて流れで知っている程度だった同級生は、はたしてケンカや寝技の“強さ”を、格闘技としての強さどれほど理解していただろう?


格闘技のことなんてわからない・・・でも、その同級生は罵詈雑言な言葉で迫力満点にしゃべり、圧倒的なパワーで相手をねじ伏せ、そして自分より体の大きい人間を軽々と持ち上げるということに“強さ”を理解したのだ。いや、この同級生ばかりでない・・・アメリカで日本で、多くの人が理解したのだ。


これも強さじゃないかな?プロレスの、プロレスラーの強さじゃ・・・ないかなぁ・・・


80年代後半、顔にペイントをするマッチョなレスラーは急増した。しかし今ではパワーファイターという言葉すら聞かなくなってしまった。時代、と言われてしまう今が悲しくて仕方がないが・・・プロレスファンだけじゃない。プロレスに興味のない同世代の人たちにも衝撃を与え、思い出に残るそんなプロレスが、いつかまた見られればいいなぁ・・・


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だから今のレスラーども、しっかりやるんだぜ!!




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