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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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過去ブログ・メモリアル~ミュージック・アワー年度末スペシャル~

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どうもお久しぶりです。


いやぁいろいろ忙しくて、更新が困難になってしまって・・・まいっています。


手抜き、と言われても仕方がない状況ですが、何も更新しないなんてさみしいですので、今回は過去にやっていたブログ記事から、青春時代を飾ったなつかしの音楽のお話を行ってみたいと思います。本編は07年、3月22日の記事になります。お楽しみいただけたらうれしいです。ではどうぞ♪



いきなりですが、名物でもないコーナーがこのクソ忙しい年度末に復活だぜ!!


えー、さらっと前説しておくと、これは1980年から2005年までのヒット曲の年間ベスト100を、80年からトップ10と、気になる曲をピックアップし随時別ブログで掲載していこうという企画だったのであります。しかしこれを掲載、紹介していた別ブログが閉鎖し、それと一緒に共倒れになってしまっていたんですね(注:当時はなんと3つもブログをやっていました。ノボセでしたな・・・)


しかし、せっかく情報もあるし、集計に苦労したりしたし・・・このまま眠らせておくのもなんかもったいないからさ、ピンポイントでやってみようかななんて・・・思った次第なんでございます。


さあ、そういうわけで!!君も僕もおじいちゃんもおっばーちゃんも、ちょっと時間つぶし程度にでも見てってください!!


さてミュージック・アワー年度末スペシャル。今回は1986年にロックオンだ。


なぜいきなり出てきて1986年なのかというと・・・いやね、読む人を置いてけぼりの手前勝手な理由で申し訳ないんですが86年ておいら中学2年の頃だったから・・・楽しい時期じゃないですかその頃って。だからこの回はスペシャルやろうと思っていろいろ調べて、本当に熱を入れてね、記載も楽しみにしていたんですよ。それがこのままお蔵入りってのはなんだかさみしい感じがしましてね、つい・・・まぁそんなわけでですね、1986年、年間ベスト10からいってみましょう!!



第10位 河合その子 青いスタスィオン 


河合その子さんはおニャン子クラブの方でしたね。通常の曲も清楚でよかったんですが、この人は弾き語りがすばらしかったですねぇ。あとこれ、森永ハイソフトという長細いキャラメルのCM曲ではなかったかな?確か本人も出ていたような・・・


ところで話は全く関係ないですけど、ボクは森永ハイソフトが好きで、その中に入っている小さいフォト・カード集めるのがこれまた好きでしたね~。それにしてもスタスィオンってどういう意味だったのかな?



第9位 チェッカーズ OH!! POPSTAR


曲もさることながら、当時はフミヤの髪型、流行りましたねぇ!!前髪をながーっくするやつ。高校生なんかに多かったですよね。


チェッカーズ、女性に人気で、それこそ頻繁にテレビに出ていましたが・・・今はバラバラなんですよね。あんなに人気があってあんなに仲良かったのにな・・・ちなみに亡くなったクロベエが山崎一夫に似てるなーと思ったのはボクだけでしょうか?



第8位 Kuwata Band スキップ・ビート


ヒット曲も本人も未だに衰えない桑田佳祐。当時はサザンとKuwata Bandは何が違うのか全くわからなかったんですが実は今でもわかりません・・・なんか奥さんの原由子が産休か何かの時だけ結成したんだっけか? 



第7位 中森明菜 ジプシー・クイーン


すごくせつない歌なんですよね。この歌に関しては当時いろいろな噂話がたちましたが(夜のヒットスタジオとかで)そっちの話は気が進まないので自粛します・・・



第6位 小林明子 恋におちて


ドラマのテーマ曲でしたよね。なんのかは忘れちゃったけど・・・


この人はこの曲一発でしたねぇーなんて思ってたら人知れず、あのカーペンターズの男の方と、歌声が似ているということでコラボなんかしてたりするんですね。油断できませんね。



第5位 渡辺美里 My Revolution


なつかしの“セーラー服通り”の主題歌ですが(自分でなつかしのとか言っておきながら実はドラマは見たことがないんですが)ボク的にはもはや中学2年のテーマ曲といっても過言ではないのがこの曲です。


この頃、ボクは斉藤由貴が大好きでしたが、シンガーとして大好きで、最もよく聴いていたのが渡辺美里の曲でした。CDやらビデオやらとにかくそろえテレビ出演もかなり気合入れてチェックしてたっけなぁ。今でも渡辺美里の曲の話で語っていいんなら一晩でも二晩でもイケますよ。蛇足ですがボク的には渡辺美里のベストアルバムは1988年5月28日にリリースされたribbonですね。あれはよかったなぁ。そうそう、92年には念願の西武球場も行ったっけな。いい時代だった・・・



第4位 Kuwata Band Ban BAN Ban


なんとKuwata Bandとして2曲がイン。正直スキップ・ビートはあまり記憶にないんですが・・・こっちの曲は、この曲が流れるCMでキャンギャルみたいな人が海の中で遊んでるのがあったんですけど、それがエロくて興奮していた覚えがあるなぁ・・・まさにおれのあそこもBan BAN Ban!!



第3位 少年隊 仮面舞踏会


好きでしたねぇー。フリまで憶えたんだけどもう忘れちまったぁなぁ。


少年隊、みんなもういい年ですが、いつまでも少年隊でいて欲しいですね。ちなみに嫁さんが初めて買ったレコードがこれだったそうです。どうでもいい情報ですけど。



第2位 中森明菜 DESIRE


明菜ちゃん時代ですねー!Kuwata Band同様、2曲が入ってました。このときの髪型ズラじゃなくてホンモノかと思ってました。無知だったねぇ・・・


しかし明菜ちゃん、よかったなぁ。今どきのアイドル、シンガーとは波動がちがいすぎますね。ラスボス級ですよ。



第1位 石井明美 CHA-CHA-CHA


これは流行りましたが・・・ボクの精神レベルがまだ中学ということで、理解が未熟だったせいでしょうか?この歌、当時どこがいいのかなと聴くたび思っていました。正直、今でも思ってたりします。



さて続いて86年の主なニュースの紹介です。



○松島トモ子、ライオン、ヒョウに襲われる


あれはこの頃かぁ。たぶんミネラル麦茶のにおいがしたからだろうなぁ。



○スペースシャトル“チャレンジャー”が打ち上げ失敗、爆発。


衝撃的でしたねぇー・・・あれは確か漏れか何かで燃料の方に引火してしまったんでしたっけか?ロケットやシャトルの燃料って水素なんですよね。だから爆発したらあっという間なんですね・・・



○アイドルの岡田有希子が飛び降り自殺


岡田有希子さん、アイドルなのに歌が上手で、なにげにスタイルもよかったしかわいかったし・・・ボクはそんな好きというわけではありませんでしたが、ともあれ中2くらいの敏感な年齢のときだったのでこのニュースには本当にショックでしたね。当時クラスでも持ちきりだったっけな。余談ですが、この話と後追い自殺を題材にして書いた作文が中学の弁論大会の選考会に残ってしまい、あわや代表にされそうになったという思い出があります。


しかしなぁ・・・そうか・・・もうそんなになるかぁ・・・



○ソ連のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故


これは当時はよく意味がわからなかったのであまり関係ないっていうか、海の向こうの出来事っていう感じで気にも留めなかったんですが、今思うと大変な出来事だったんですよね。


この事故による死者は2人とも2万人だとも言われていますが・・・なにも影響がなかったとか、奇怪な生物が放射能の影響で生まれてしまったとか、話の混乱が今でも尽きません。ボクが印象的だったのは、テレビで見た事故直後を撮影したという映像。映像の中に白いフラッシュのようなものがパッ、パッっと光るのがあったんですが・・・あれが放射能だったと聞いて、本当に怖くなりました。二度と起きて欲しくない事故ですね。



○イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃、来日で大盛り上がり


このときは毎日テレビこればっかでしたね。ダイアナばっかり超人気で、よく詳細もわからない人までダイアナダイアナって・・・プロポーション作りのダイアーナ♪も逃げ出す勢いでした(ん!?)


しかしこの当時、まさかダイアナがあんな悲劇の死を遂げてしまうなんて想像もつきませんでしたよね。本当に、わからないもんなんだなぁ・・・



○ビートたけしとたけし軍団、雑誌「FRIDAY」に殴りこみ


ニュース速報でも流れたんですね、これ。憶えてるなぁ。このあと謹慎でしばらくテレビ出なかったんですよ。スーパージョッキーは大川興行とダチョウ倶楽部で風雲たけし城は石倉三郎が着ぐるみ相手にがんばっていたっけなぁ。



続いてこの年の流行語なんてのもいってみようと思います。



○流行語・新語部門


金賞 「究極」


雁屋哲の漫画・“美味しんぼ”から出た言葉だったようです。ふーん、そう考えると美味しんぼってけっこう古いんですな。しかしザ・シェフの味沢さんといい美味しんぼの山岡さんといい漫画で料理上手な人ってなんでみんなチョィ悪風なのかな?気も短いような気もするし・・・気長なのはクッキング・パパくらいじゃ?



銀賞 「激辛」


鈴木昭料理店主(誰なんでしょ・・・)から発せられ、流行したそうです。確かに流行りましたよね。余談ですが、この頃カネボウから発売されていた“カラメンテ”ていうカップ・ラーメン、好きでよく食べてました。やっぱり今は売ってないのかな?



銅賞 「ファミコン」


これは流行語というか今の多くのゲームのパイオニアですよねぇー。ファミコン人気はすごかったですよね。思えばゲームソフトだけを作る会社が出てきたのもファミコンからだし、ゲームの専門誌、雑誌が出てきたのもファミコンからでしたよね。まさに社会現象でしたよねぇ。ファミコンがなかったらPSも存在しなかっただろうし、現在のような通信のゲームもなかっただろうなぁ。そういえばその人気にあやかってファミコン・ソフトをコピーする玩具ってのが当時出現したんだけど、あれはどうなったのかな?



○流行語部門


金賞 「新人類」


これも当時よく耳にした言葉でしたが、その源は元々、西武ライオンズの投手(どの投手だったかはわかりませんが)を指した言葉だったようです。しかし・・・新人類と言えば、先にファミコンの話が出ましたが、そのゲームソフトに“新人類”というのがあったのを思い出します。プロレスファンの間では語り草ですが、このゲームは操作しているキャラが無敵になると長州力になるという驚くべきシステムが搭載されていました。そういえば“タッグチーム・プロレスリング”というのにも長州力みたいなのが出てきたっけなぁ。いつの時代も、時代をリードする長州・・・やっぱりカリスマなんだなぁ。



銀賞 「知的水準」


ロイター通信からですが、こんなのあったっけ?わかんねぇな・・・



銅賞 「亭主元気で留守がいい」 


タンスにゴンですね、これ。当時のボクにはまだ何がよかったのかわからない言葉ですね。ま、今でもいいとは思えませんけど・・・



大衆賞 「おニャン子」 「プッツン」


おニャン子、本当に流行りましたよね。ボクはそこまで興味があったわけじゃなかったですけど、なんだかんだ言って夕ニャンは毎日見てたもんなぁ。プッツンは片岡鶴太郎ですね。鶴ちゃんのプッツン5なんてテレビもやっていましたよね。もちろん見てました。でも鶴ちゃんはプッツンより“マーイ”と“ああいい”が好きだったな。マッチのモノマネも好きでしたが、それは古すぎますね。



ささ!続いて流行語でもちょろっと触れましたが・・・ミュージック・シーンのエルニーニョ現象ともいうべき異常現象。この年にまさにわさわさと出現しあっというまに消えていってしまったモノ・・・正体は第10位にもその片鱗をうかがわせた“おニャン子クラブ”です。なんとこの年1年間で年間トップ100以内に22曲もランクインしていました。今では歌うことはおろかメロディさえも思い出せないモノもあるおニャン子クラブのヒット曲、ざっとご覧いただきましょう!!



13位 新田恵利 冬のオペラグラス


14位 国生さゆり with おニャン子クラブ バレンタイン・キッス


17位 うしろゆびさされ組 バナナの涙


22位 新田恵利 恋のロープをほどかないで


23位 おニャン子クラブ じゃあね


24位 吉沢秋絵 季節はずれの恋


29位 国生さゆり 夏を待てない


35位 うしろゆびさされ組 渚の『・・・・・』


37位 うしろゆびさされ組 象さんのすきゃんてぃ


41位 高井麻巳子 シンデレラたちへの伝言


44位 おニャン子クラブ おっとCHIKAN!


46位 渡辺美奈代 瞳に約束


50位 新田恵利 不思議な手品のように


52位 河合その子 落葉のクレッシェンド


53位 国生さゆり ノーブルレッドの瞬間


57位 ニャンギラス 私は里歌ちゃん


58位 福永恵規 風のInvitation


64位 河合その子 再会のラビリンス


65位 渡辺満里奈 深呼吸して


67位 高井麻巳子 メロディ


69位 おニャン子クラブ お先に失礼


74位 城之内早苗 あじさい橋



正直わかる曲とわからない曲が分かれますが、まぁーいかにすごかったか・・・年間のトップ100以内にこれだけ入っているんですからね、その勢力には圧倒されます。


しかし・・・当時、確かにおニャン子の出現により今まで遠かった芸能人・アイドルという存在がおニャン子の“放課後の部活動”的な組織構成で世に素人感が強くアイドル=身近のような存在意識が高まり、その人気は沸騰しました。でもそのアイドル=身近の考えがファン層に定着してしまったため、おニャン子解散以降はしばらくの間、アイドルがアイドルとして確立できないアイドル氷河期“アイドル冬の時代”を誘ってしまう結果となってしまいました。そう、みんながみんな身近意識に慣れてしまい、いわゆるアイドルに目上の存在価値がなくなってしまったんですね。そのためおニャン子バブルは解散後ゆっくりと崩壊していき、アイドルの中心的存在がいなくなってしまい全盛期多数あったアイドル雑誌は次々廃刊になっていくという悲しい道をたどり、90年代前半には完全に冬の時代となってしまったのです。


流行語は爆発的な威力を持ち、あっというまに世間に浸透しますが、その代償に忘れ去られていくのもこれまた爆発的・・・おニャン子が流行語までになり、人々に知れ渡っていき忘れられていった過去は、まさに定石どおりだった上、冬の時代まで到来させてしまうほど、いい意味でもわるい意味でも影響力を持っていたということ・・・だったのかもしれませんね。


さーミュージック・アワー年度末スペシャルいかがだったでしょうか?あの頃、あんなことあったなー。こんな時代だったなーと古きよき時代を思い出してもらい少しでも心地よくなっていただけたら・・・嬉しく思います。





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