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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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バタフライ・エフェクト

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どうも!!流星仮面二世です!!


お正月明け最初のお休み・・・9日の月曜日は祝日だったので、友達家族と自分のもうひとつの趣味である釣りに行ってきました。

この友達家族、このブログにもよく出てきますボクの幼馴染の妹さんのご家族なんですが、このお子さんがとにかく釣り好き。今年で中学2年生になるのですが、幼い頃から今日まで、たとえばドラゴンボールやデュエルなんとかのカードを集めたり、ニンテンドーDSやらプレステなんとかなどでゲームをしたり・・・現在の子供たちが通る道は一切やらないどころか、そういったものをほしいと思ったこともないという。当然、ネットでもユーチューバーなんぞに興味なく、それらの映像も見ない。見るは釣り関連のものばかり。休日は魚種、釣り方を問わず必ず釣りに行き、将来の夢は釣りの記者という筋金入りの無類の釣り好きなのです。


そのパワーたるや・・・幼少期、クリスマスにサンタさんにプレゼントは何お願いするの?と聞かれたところ

「魚群探知機」

と答え家族を震撼させたという伝説があるほど。釣りの技術や知識はもちろん、釣り場では他の釣り人にも話しかけてはすぐに仲良くなる人柄もあり、我が家ではリアル釣りキチ三平と呼んでいる次第なんです。




本当にそのままのイメージだ


そんな三平くんのお誘いで、三世と一緒に今回は海釣りに行ってきました。

三平くん情報では、その釣り場はお正月からイワシの群れが入ってきていていい状況とのお話でしたが、この日は風が強く寒さが強まりイワシは1匹だけ・・・そのかわりシャコが大量で、みんな盛り上がっていました。


しかしシャコってよく見ると絶対地球外生命だよなぁ~。これでも寿司屋で高級食材なんだよなぁ~。なんて思っていると、ボクの竿にシャコとはちょっとちがうアタリがきました。


合わせると、ブルっとしたあと、とんでもなく重くなりました。しかし引っ張られるような感じはしません。ときおり根掛かりのように止まり、でも引っ張ると動く・・・これエイかな?いや、それにしてはおとなしい。もしかしてタコかな?なんて寄せてくると姿を表したのは、なんと牡蠣(かき)がくっついた瓶ではないかぁ~。



 

な、なんだぁ~

最初は魚が引っ張ったのですが、きっとこの瓶の間に走って潜り、引っかかったんでしょう。いやぁそれにしても今年の初釣りなのに・・・まったくとんだ大物を釣ってしまった。


いやでも、この瓶・・・このロゴは最近のコーラの瓶じゃないよな?なにげにレトロだぞ。でもそれだけじゃない。この瓶、どこかで見たことがないか?

そりゃ~ワールドワイドな天下のコカ・コーラさ。みんな知ってるよ~。うん、確かにそれはそうなんですが・・・しかしボクが言いたいのはそこじゃないんだ。このコーラの瓶、コーラの瓶だよ・・・どこかで以前・・・

そうだ、これは!!



 

あああ!?

プロレス今昔物語~日本武道館~

これだ!!


でも、エリックと一緒に写ってるやつと同じ瓶ってことは相当古いんじゃないか?いや、ボクが釣った瓶はこれと同じものなのか?似てるけど・・・どうなんだ?


コカ・コーラ・・・その起源は今からおよそ130年前の1886年(85年説あり)のアメリカに遡ります。


アメリカのジョージア州アトランタ。ここで当時、薬剤師をしていたジョン・ペンバートン博士が1885年、アトランタで発令された禁酒法のおり、酒に変わる新しい飲み物であり、そして現在でいう滋養強壮剤のような、飲んだ人が気分がよく元気になれる飲み物は作れないだろうか?と自身の薬への知識を生かし、新しい飲料の開発に取り組んで完成させた薬剤が始まりと言われています。


そしてできあがった飲料はペンバートン博士の友人であったフランク・ロビンソンが“コカ・コーラ”と名付け、産声を上げたというわけです。


コカ・コーラの“コカ”は南アメリカ原産の樹木の葉から・・・そう、あの麻薬のコカインの原料で有名な葉のことを指し“コーラ”も実はアフリカの熱帯雨林に植生する植物のことで、こちらは数パーセントのカフェインを含有するものでした。コカ・コーラはこれらを名称としたんですね。名前の由来は原料の植物から、そしてお薬が起源だったとは驚きでした。


しかし最初は当然世界的に有名ではなく、当時アトランタにあったソーダファウンテン・・・あのバーのカウンターにあるコックをマスターがひねると飲み物が出てくる仕様の、ああいうフインキのお店で販売されたのが始まりだそうですが、はじめこのコカ・コーラを扱うお店はアトランタでその数わずか4軒だけだったそうです。


そんなお店の中の1軒が、ある日のこと・・・コカ・コーラのシロップ、当初は原液は水で薄め飲まれていたそうですが、間違えて水ではなく炭酸水と割りお客さんへお出ししてしまったそうな。ところがこの間違いが瓢箪から駒、お客さんにおいしい!!と気に入られ好評となり、以後、現在まで続くコカ・コーラの姿となったそうなんです。


その後、エイサ・G・キャンドラーなる人物が1891年にコカ・コーラの製造販売権を買い取り翌年にザ・コカ・コーラ・カンパニーを設立すると大々的な広報、販促活動が行われ、1895年にはいよいよ米国でコカ・コーラの販売がスタートすることになります。


こうして国外にも販売、生産を展開していくのですが、日本にはどうやら大正時代に入っていたようです。が、はっきりとした時期はわかっていません。記録として残っているのは1914年に詩人、彫刻家であったかの高村光太郎の“道程”にある“狂者の詩”の中にある一節


 「吹いてこい、吹いてこい秩父おろしの寒い風・・・コカコオラ、Thank you very much 銀座の二丁目三丁目、それから尾張町・・・しんみに己に意見する気だコカコオラもう一杯・・・」


です。


この時代、文献的な時期は不明にしろ、高村光太郎がその書に残していることで存在を確認することができます。普通ならお酒を思わせる哀愁のある文ですが、ここがお酒でなくコカコオラなのが味わいありますね。ニューヨークに留学経験もある高村光太郎。もしかすると日本での味でなく留学時代を懐かしんでいたのかもしれませんねぇ~。


さて、大正時代から昭和に入り32年が経った1957年、日本飲料工業株式会社、現・日本コカ・コーラ株式会社が設立されます。元来は輸入品だけでしたが、いよいよコカ・コーラが日本で生産されることになります。以降1962年、昭和37年にはテレビCMが開始され、瓶の自動販売機も市場へ導入。ますます庶民に近い飲料となっていくのでした。



 

70年11月ドリーと坂口のNWA世界ヘビー級選手権が行われたテキサス州のフェアパーク・コロシアムではリングライトに大きなコカ・コーラのロゴが。この時代からこの飲み物の知名度、人気がうかがえる


こうして身近な飲み物として定着していくわけなのですが、日本での生産開始から今日まで、このコーラの瓶は何度かモデルチェンジしているようなのです。


調べてみたところボクの釣り上げたこの便は、どうやら6代目のモデルのようで・・・6代目には前期と後期、しかも何タイプかあったようで、デザインが微妙にちがうそうで複雑だなぁ~と思っていたら、それらが同時期に発売されていたようでさらに調査は複雑になり困難でした。が、瓶の特徴からするとこれは6代目の後期モデルのになるようです。


特徴はプリント文字すべてが白文字で、ロゴが3mmと前期モデルよりも細字での表示です。そして最大のポイントは容量の表示です。前期モデルが“190ML”と単位が大文字なのに対し、後期モデルが“190ml”と小文字になったそうなんです。生産期間は1968年から1986年までの18年。長きに渡り世の人に親しまれたコーラの瓶だったのです。


さて、ボクが釣ってしまったコーラの瓶とエリックのコーラとの検証です。


まず、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックが来日した年と月を見てみますと・・・


1966年11月 プロレスの日本武道館初進出にてジャイアント馬場とインターナショナル選手権
1967年5月  ジャイアント馬場とインターナショナル選手権
1970年3月  BI砲とインターナショナルタッグ選手権
1971年9月  アントニオ猪木とUNヘビー級選手権
1973年4月  日本プロレスへ最後の来日

同年  12月  全日本プロレスへ来日。ジャイアント馬場とPWF選手権
1975年7月  ジャイアント馬場とNWA世界王座挑戦権をかけテキサス・デスマッチ
1979年1月  ジャンボ鶴田の試練の十番勝負の最終戦の相手として来日


と、この8回になります。


そしてモデルですが、エリックの画像とボクの瓶を比べてみると



これはぁ・・・


見ずらいですが、ロゴは細字の3mmで、190mlと単位も小文字です!!これは1968年からの・・・同じ時代のものです!!


エリックの画像は月刊ゴング昭和49年2月号のグラビアのものですが・・・おそらくその時のものではなく、エリックの手の大きさを伝えるため来日初期に撮影されたものなのではないでしょうか?このコーラのモデルとエリックの来日を照らし合わせてみると、多分70年の、3度目の来日時のものじゃないかなぁ?


いやぁ~でも、そうかぁ・・・そうだったのかぁ・・・


このコーラの瓶が何年製のものなのかはわかりませんが、最終生産年度の86年のものだったとしても31年もの長い間、海の中に沈んでいたことになります。当時、誰かが飲み捨てて、海の底で魚や貝の住処の一角となって・・・今年、たまたま釣りに行ったボクが釣り上げて、気がついたらいつのまにかプロレスのことを調べていました。


ブラジルでの蝶の羽ばたきは、テキサスでトルネードを引き起こすか?気象学者エドワード・ローレンツは、ほんの些細な出来事でも経過していくうちに大きな現象へと繋がっていくという考えを唱えました。のち、蝶の羽ばたきを取り、これをバタフライ効果(エフェクト)と呼ぶようになりました。


釣りからプロレスへ・・・バタフライ効果と呼ぶには規模は小さいものだけれど、本当に些細な事でも後々どうなるかわからないものですね。


2017年、あなたの身にも、ふとした小さな出来事が起きたら・・・大きな何かに変わるかもしれませんよ~。








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