どうも!!流星仮面二世です!!
さあ久々のチャンピオンベルト・ワールドです。今回は歴史の節々でプロレス界に姿を現し謎を誘った、魅惑のベルトのお話です。ファンなら一度は考えたことのある、あのベルトの行方・・・あの探偵事務所が総力を挙げて謎に挑みます。さあ、おなじみの面々の声が聞こえてきましたよ。行ってみましょう!!
ここは茨城の某所にあるプロレス探偵事務所。プロレスを専門にいろいろな依頼に応えていく日本で唯一の探偵事務所だ。そんな事務所に所属する、新人の探偵君が今回担当することになった調査依頼とは・・・
探偵「失礼します」
所長「よう、来たか」
探偵「はい。今回はどんな依頼なん・・・なんすか所長、そのお子さんは?」
所長「フフフ・・・今回はこのベルトのことを調べて欲しいとの依頼だ」
探偵「あ、これはわかりますよ。20世紀最強のレスラーと言われた鉄人ルー・テーズのベルト、テーズ・ベルトです。でもなぜ同じベルトの画像が2枚あるんですか?」
所長「同じか・・・キミにはこれが同じものに見えるかね?」
探偵「同じに・・・いや、少しちがいますかね?同じタイトルの前期モデルと後期モデル?とかですか?」
所長「フフフ・・・これは上がキミの言う、旧NWAや統一王座といわれた通称テーズ・ベルトであるが、下は力道山の保持していたインターナショナル・ヘビー級のベルトなんだよ」
探偵「え!これは同じベルトじゃないんですか!?」
所長「さらに言えばWWA世界ヘビー級というタイトルのベルトもこの形だったのだ」
探偵「ちがう選手権なのに同じベルト!?どうゆうことなんですか!?」
所長「それを調べるのが今回の仕事じゃないか」
探偵「依頼、これが・・・わかりました。で、所長、そのお子さんは・・・?」
所長「今は気にするな。ではよろしく頼むぞ」
こうして調査を開始した探偵くんでしたが、やはりひとりではどうしようもなくなり頼りの先輩に協力をお願いします。
探偵「いつもすいません・・・」
先輩「いやいや。しかしこいつは難関だよ。果たして答えが出るかどうか・・・」
探偵「そうですね。かなり難しいと思います。ではまずは発祥からです。このベルトは一体いつ頃、プロレス界に出現したのでしょうか?」
先輩「このベルトの形が世に出たもので最も古いデータは、やはり1937年12月にルー・テーズがエベレット・マーシャルを破り王者になった際、贈られたもの・・・いわゆるテーズ・ベルトが最初のようだね」
1937年12月に当時プロモーターだったトム・パックより渡される(ルー・テーズ自伝より)
探偵「歴代NWA世界王者を調べると、テーズはこのタイトルの第23代王者となっていますが・・・フランク・ゴッチの時代から(チャンピオンベルト・ワールド~運命のふたつ星 パート1 、パート2 )テーズが王者になる以前は、名称自体が世界ヘビー級というものや旧AWA世界ヘビー級、MWA世界ヘビー級(というタイトルがあったようです)など、各・世界タイトル戦での王座遍歴も含め歴代NWA王者遍歴として表記していたんですね」
先輩「うん。しかしこのタイトルが出現以降はこのタイトルでの王座遍歴として歴代NWA王者遍歴の道筋が明確になったんだね」
チャンピオンベルト・ワールド~やり直し!!NWA世界ヘビー級~
探偵「こうしてテーズが1937年12月に王者になって以降はスティーブ・ケーシー、エベレット・マーシャル、ブロンコ・ナグルスキー、レイ・スチール、サンダー・ザボー、ビル・ロンソン、ユーボン・ロバート、ボビー・ナマコフ、ビリー・ワトソンらが王者として名を連ねます」
ルー・テーズ
レイ・スチール
ホイッパー・ビリー・ワトソン
先輩「その後、1948年にNWAが発足されオーヴィル・ブラウンが王者に認定されると、テーズが保持していた旧NWAとされたこのタイトルとでの統一戦が行われることになったんだ。が、王者のブラウンが自動車事故に遭ってしまいリタイヤとなり、テーズは戦わずして統一王者となった。これによりこのベルトのポジションは、はっきりした感じだね」
探偵「この時代はとにかく世界タイトルが乱立していたようですから、こうした統一を理念とした流れはわかりやすくなっていいですよね」
先輩「しかしだ。その後、このタイトルを巡って事件がおきてしまうんだ。1957年6月イリノイ州でエドワード・カーペンティアがルー・テーズを破り王座を奪取したんだが・・・」
探偵「どうなったんですか?」
先輩「3本勝負で行われたこの試合、1-1で迎えた3本目にテーズが負傷により棄権(負傷により試合しようとせず消極性による反則との表記もある)でカーペンティアが勝利し王座移動となったはずだったが、この勝敗裁定に問題が生じ、あとから王座移動は無効となってしまったようなんだ」
探偵「勝利したのに無効ですか・・・」
先輩「おそらく勝っても2フォール奪わないと移動しないというものでの無効、だったんじゃないかな」
探偵「なるほど、やっぱり王者になると有利なルールもありますもんね」
先輩「ああでも・・・NWAからは無効の通達を受けたんだけど、各地のプロモーターはカーペンティアを王者として出場させるところも多かった、つまりカーペンティアが王者だとする方向が強かったようなんだ。このためある時期においてテーズとカーペンティアのふたりの世界王者が出現してしまう事態が起きてしまったんだ」
探偵「これは、うーん・・・今回はベルトのお話ですが、もうベルトの行方がおかしくなっていますよ。同時期にふたりが世界王者・・・これ、ベルトはどうしたのでしょうか?」
先輩「この時点で同じベルトがふたつあり、ふたりがベルトを保持していたのか?それともひとりはベルトがないまま王者を名乗っていたのか?このあたりは明確な資料かわないんで残念ながらわからないんだ」
探偵「うむ~さっそく謎か・・・で、その後1959年にテーズを破ったという実績が買われカーペンティアはNAWA、ノースアメリカン・レスリング・アライアンスという組織から、ここの王者に認定されるんですが、この団体こそ60年代にロスで猛威を振るうWWAの前身だったんですね」
先輩「そうそう。NAWA時代はこの初代王者のカーペンティア、2代目のフレッド・ブラッシー、そして3代目の力道山までになるようだ。62年3月28日に力道山がブラッシーから奪取したんだが、その力道山が王者だったときの5月にどうやらWWA世界ヘビー級へ名称が変わったらしい」
探偵「このベルトの時代に王者となったのはカーペンティアの他、フレッド・ブラッシー、力道山、ザ・デストロイヤーなどですね。画像が残っています。NWA王者に勝るとも劣らない強者が名を連ねていますね」
エドワード・カーペンティア
フレッド・ブラッシー
力道山
ザ・デストロイヤー
先輩「今回の主旨に戻ると・・・カーペンティアがテーズを破った後に巻かれていたこのベルト、テーズのものと見た目のちがうといえばベルト上部の王冠の部分だね。これがテーズ・ベルトにはあるけど、WWAの方にはない。ということはこれはテーズ・ベルトとは別物なのかな?」
探偵「そこなんですが、プロレス評論家の流智美氏によれば、この王冠部分は取り外しができるらしいのです。巻くと王冠部分がお腹に当たり壊れやすいとのことで、そういった構造になっていたのかもしれません。ということでこの部分での区別は難しい感じです。はたしてテーズ・ベルトとカーペンティアのベルトは同じものだったのでしょうか・・・」
ベルトもさることながら団体のマークもほとんど一緒だった
先輩「では年代と出来事を照合してみることにしよう。テーズからカーペンティアへベルトが移動したのが1957年6月。そのあと同年の10月にテーズは世界王者として日本へ初来日し後楽園球場と大阪扇町プール特設リングで力道山と二度のNWA世界選手権を行っているんだ」
探偵「ふたりの王者が存在していた時期に来日?それはちょうどいい!まさか世界選手権をやるため日本に来たんだからテーズがベルトを持ってないわけがないですよ。やはりカーペンティア、テーズともベルトを持っていたということに」
先輩「ところが・・・驚くべきことに、このときベルトを持ったテーズの姿を捉えた写真、画像はいくら探しても出てこないんだよ」
探偵「え!!日本へプロレスの世界王者が初めて来日して初めて世界選手権試合が行われたのに、その象徴であるベルトを持ったテーズの写真、画像がないって、一体どういうことなんですか!!」
先輩「これが・・・わからないんだよ・・・」
57年10月2日、ついに初来日したテーズ。向かって右は当時ハワイ地区のプロモーターだったアル・カラシック氏。世界戦の立会人として来日した
翌10月3日には都内をパレードし、夜には東京会館で歓迎レセプションが行われた。テーズの隣がフレッダ夫人。向かって左から2番目の眼鏡をかけている人物は、あの浅沼稲次郎社会党委員長(浅沼稲次郎暗殺事件 Wikipediaより)パレード、歓迎レセプション、そして大物政治家。当時の世界王者来日がどれほどすごかったかがわかる。が、ベルトはなかった・・・
バーン!!
探偵・先輩「しょ、所長!!と、子供!?」
所長「はい、セリフ」
謎の子供「たったひとつの真実見抜く!見た目は子供、頭脳はおとま!そのなま、名探偵あ、間違えたもう1回やる!!」
先輩「な、なんだこれ!?」
探偵「名探偵コナンのようですよ・・・そうか、だから子供がいたのか」
所長「じゃもう1回最初から」
謎の子供「はいっ!たったひとつの」
探偵「いやボクもういいよ!!上手だったからね!!」
先輩「あー上手だった!!上手だったねー!!しょ、所長・・・お願いしますよホントに・・・」
所長「なんだせっかく覚えさせたのに。まず来日時のテーズのベルト姿の写真や画像がなかった、と言っていたが、それもそのはず。テーズはこのときベルトを日本へ持って来てなかったのだ」
探偵・先輩「な、なんですって!?」
所長「菊地孝氏によれば、テーズが世界王者なのにベルトを日本へ持って来なかったのは、このときテーズが保持していたNWAのベルトにはかなりの貴金属が装飾されていたから、だというのだ。というのも当時の日本では、このような仕様のものを国外から持ち込む際には高い税金がかかったそうなんだな。そのためだったとある」
探偵「税金!?」
先輩「確かに・・・テーズ・ベルトって離れてみるとそうでもないんだけど、アップで見るとなかなか綺羅びやかなんだよ。しかし、それにしても税金で・・・?」
所長「そうだ。そしてもうひとつ。この時代は王者になった者がその団体の保有するベルトを巻くのではなく、王者にはなるがベルトは自身で作成してもいいという権利が与えられた、ともある。つまり王者になれば名目はその団体のチャンピオン。だがベルトは好きなものを巻いていい、ということになるんだろうな」
先輩「そういわれれば1957年11月にはディック・ハットンがルー・テーズを破り第41代のNWA世界王者になったんだけど、実はこのディック・ハットンがNWA世界ヘビー級のベルトを持っていたり腰に巻いている写真、画像も、これまた探しても出てこないんだよ。だからもし・・・」
探偵「つ、つまり話を整理するとテーズがベルトを持って来なかったのは税金の関係。ハットンのベルトを確認できなかったのは自身のオリジナルのベルトを作成し持っていたから、だった!?」
ディック・ハットン。このベルトはハットンのNWAベルトではないようだが、詳細は不明。そもそもハットンがベルトを本当に作成していたのか?ベルトがないまま王者となっていたのかがわからないので、なんとも言えない状態である
探偵「1959年1月にパット・オコーナーがハットンを破り第42代のNWA世界王者になりますが、オコーナーからはテーズ・ベルトの次のモデルのNWAのチャンピオンベルトが確認できますね」
パット・オコーナー。オコーナーからはバディ・ロジャース、ドリーファンク・ジュニアらが巻いたこのNWAのベルトが見られる
先輩「そうそう、このベルトからははっきりしているよね。NWAはオコーナーから団体の管理するベルトにしたってことなんだろうね」
探偵「で、でもハットンは自身のベルト持ってたとして・・・テーズは?カーペンティアがベルト持ってたから自分の手元になくて日本にベルト持って来れなかったと思ったら、実は税金の関係で持って来なかったという・・・てことは実際はテーズもベルトを持っていた。これはベルトは2本あった?ってことじゃ?」
先輩「いや、でも・・・本当はベルトがないのに、世界王者がベルトないなんて言うわけにいかないから税金対策って理由で持ってこれなかったことにした。つまり口実だったとしたら?」
探偵「口実ですか・・・」
先輩「だって考えてもみなよ。来日時はパレード、まあこれは当時は恒例で行われていたようだったけど、このときは通常の来日外国人選手のパレードとはちがうんだよ?世界王者が初来日してのパレードだったんだ。日本の政治家でも大物が呼ばれるような歓迎レセプションも行われていて、それにテーズの奥さんであるフレッダ夫人に立会人まで一緒に来日してるんだよ」
探偵「確かに価値観が高いのはわかります」
先輩「当時のプロレスの世界王者は、おれらの時代でいえばマイク・タイソンに匹敵するくらいのポジションだったんだよ。初来日もタイソンが初来日したときのような出来事だったんだよ。なのに、この状況下でベルトを持ってこられなかった?税金を理由に?いや、たとえテーズがそうだったとしても力道山の性格ならその税金を代わりに出すことくらいしたはずだよ。思わないか?」
探偵「それはあり得ますよね・・・」
先輩「当時のテレビっていうのは敗戦後の希望であり庶民が得た最初の娯楽だったんだ。だからプロレスに深く詳しくない人でも、みんな観ていたんだよ。そんな状況下で・・・日本の力道山が初めて世界選手権に挑戦!という出来事だったんだ。そこでだよ?知識がない人が観ても、それこそ子供でもわかる、何よりもわかりやすい伝わりやすい材料であるベルトを出さないっていうのは、おれには考えられないんだがなぁ・・・」
探偵「何の試合かわからない。でもこのベルトが世界一で、それに力道山が挑戦するんだ!!日本中が観ていたわけですから、このわかりやすさは必要だったと思います。でも、そうなるとますますテーズがベルトを持ってこなかったのかが疑問ですよ。なんで・・・あ!!」
先輩「そう、ひとつしかないベルトをカーペンティアが持っていたから・・・だとしたら?」
先輩「図を見ていくと、テーズがベルトを持っていないとされる57年6月のカーペンティア戦から11月のハットン戦まで5ヶ月、ハットンが57年11月から59年のオコーナー戦までおよそ1年2ヵ月、テーズとハットンはチャンピオンベルト未確認のNWA世界王者だった可能性が持てる。イコール、合わせて1年7ヶ月もの間、NWAでベルトが未確認だったことになる」
探偵「チャンピオンにベルトがない・・・考えてみれば不思議な話ですが、しかしカーペンティアはこの時期には様々な州でテーズから奪取したベルトを世界ヘビー級選手権とし試合を行っていますから・・・」
先輩「これはやっぱり、ひとつしかないベルトがカーペンティアのところに行っていたから起きた現象、と考えてもいいのもしれないな。で、それをさらに裏付けるような、こんなレスラーが同じベルトを巻いているものを見つけたよ」
ターザン・タイラー
探偵「こ、これは密林王といわれたターザン・タイラーじゃないですか。って、このベルトは!!」
先輩「そう。実はタイラーがNWAやWWAの歴代王者だったという過去は存在しない」
探偵「なのにこのベルトを巻いている写真が存在するというということは・・・?」
先輩「ミック博士の昭和のプロレス研究所に記載されている情報によれば、このタイラーのベルトにはアトランタ版 世界ヘビー級 との記述があるんだ。そしてベルトはフレット・ブラッシーからエディ・グラハム、テーズと王座遍歴があるという情報が載っているんだよ」
探偵「ブラッシーは第2代の王者としてこのベルトを腰に巻いているけど、それとは別に、このベルトで世界ヘビー級王者だったことがある?ということなんでしょうか?」
先輩「これはおれの予想でしかないけど、WWAのベルトはこのベルトのあとモデルチェンジが行われているんだ。だからモデルチェンジ後、使用しなくなったこのベルトがアトランタ版の世界ヘビー級タイトルになり、ブラッシーが王者になって、そしてそのベルトは巡り巡ってテーズが獲得しテーズの元へ戻ってきた、ということが考えられるんじゃないかな?」
探偵「この時代ならあり得る話だ・・・なにより、ベルトがテーズの手から完全に離れていたのがわかる」
先輩「そう。もしベルトが1本であり、この仮説か正しければテーズ・ベルトの時間軸はこのようになるはずた」
先輩「こうでなければテーズの手元にあって、その後の日本のプロレスシーンでテーズ・ベルトと呼ばれ、ファンが目にすることはなかったかもしれないな」
探偵「そうですね・・・1979年10月、国際プロレスへ来日しニック・ボックウィンクルとタッグを組んでラッシャー木村、グレート草津組と試合を行いましたが、このときもベルトを披露しました」
この前日にはニックvs木村のAWA世界戦のレフリーを務めたテーズ。実はニックのデビュー戦の相手でもあり、ニックの父ウォーレンとも深い付き合いだった
先輩「81年に国際プロレスので開催されることになったルー・テーズ杯争奪戦のため80年10月に来日し、優勝者へ贈るテーズ・ベルトを披露したりすることもなかっただろうし・・・」
ベルトを持って来日したテーズ。しかし81年1月に新春パイオニアシリーズ、2月に81スーパーファイト・シリーズにて予選が行われるものの、同年秋に開催される優勝戦を前に国際プロレスが崩壊してしまったため、このベルトはテーズが保有したままとなった
先輩「そして92年9月21日に大阪府立体育館で行われたUWFインターナショナルでのプロレスリング世界ヘビー級選手権、高田延彦vsゲーリー・オブライトの勝者の腰に巻かれることもなかったわけだ」
チャンピオンベルト・ワールド(番外編)~プロレスリング世界ヘビー級 (腕ひしぎ逆ブログ )
オブライトを破った高田の勝利を称えるテーズ
高田もこのベルトを巻かなかったかも・・・
探偵「こうして見ると、このベルトはひとつだけだったのかもしれないですね」
所長「だが、まとめるのはまだ早い。ベルトの謎は残っているぞ」
探偵「そうだった。ここはまだ氷山の一角なんだ」
先輩「やってみよう」
パート2 へ続きます!!
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