どうも!!流星仮面二世です!!
さて、プロレスに限ったことではなく、その昔、趣味を見渡したときには子供が読める、子供にターゲットを絞った内容の本で、いわゆる大百科や大全科と言われるものが、かつては必ずあったものでした。
怪獣、ラジコン、プラモ、アニメ、鉄道にカメラに釣りに生物、そして各種オカルトモノまで・・・ワード入れて検索するとあっという間にわかっちゃう現在とちがい、コアな興味の追求には本が不可欠だった時代。その中において大百科や大全科の存在は、趣味の入口でもあり知識を掘り下げる参考書でもあったのです。
そんな大百科系の本を、ボクが初めて買ったのは小学校の3年生の時だったでしょうか・・・秋田書店のプロレス大全科というものでした。
当時、レスラーというのは
“時代を遡るほど、昔になればなるほど強い!!”
という信念を固く持っていたボクは、フラック・ゴッチを先頭にNWA歴代世界王者順から始まるこの本に魅了され、絶対これだ!!と買った思い出があります。他にも悪役、マスクマン、技能派、黒人、ファイター、そして全日本、新日本、国際と分けられ、様々なレスラーが載っていたこの本はボクにとってはまさに教科書となった本でした。
そんなこの本の後ろの方のページに、日系レスラーの話が載っていました。それはプロフィール紹介式のものではなく、いわゆるこんな日系人レスラーがいた、という話でした。
そんなコーナーの最初のページに現れた、たった一枚の写真は・・・なぜだかボクの心を揺さぶるのでした。
見たこともない知らないそのレスラーは、名をグレート東郷といいました。
どんなレスラーかと文章を見てみますが、そこには
“地獄の大悪党といわれたグレート東郷でしたが、もう亡くなりました”
という、とても短い文章しか書いてなかったのです。
グレート東郷というレスラー。一体何者なんだろう?ボクはそのレスラーのことがすごく気になり、すぐに興味を持ちました。しかしそこにあった、そのレスラーの正体は・・・
一枚の写真から始まる物語。地獄の大悪党とは一体どんなレスラーだったのでしょうか?
ここは茨城の某所にあるプロレス探偵事務所。プロレスを専門にいろいろな依頼に応えていく日本で唯一の探偵事務所だ。そんな事務所に所属する探偵君が今回担当することになった調査依頼とは・・・
探偵「やっと着きましたねぇ」
先輩「ああ。誘拐容疑で逮捕されちゃったから、こうして留置所に面会に来たわけだが・・・(チャンピオンベルト・ワールド~ロード・オブ・ザ・ベルト パート3~ )まったく人騒がせな所長だよ」
探偵「先輩、入れるようですよ。失礼します」
所長「よう、来たか」
探偵「はい。どうですか具合は?落ち着きましたか?」
所長「とにかくメシがな、まずくてかなわんよ」
先輩「まあ、悪意はないし事件性もないですからね。すぐ出れますよ」
所長「ま、そういうことになるだろうな。では今回の依頼だが」
探偵「え、ここから依頼!?」
先輩「ホントすか!?」
所長「ワタシの机の引き出しに一冊の本がある。紙縒りが挟んであるから、そのページに載っているレスラーのことを調べてくれ」
探偵「そのレスラーの名前は?」
所長「さよう。では、よろしく頼むぞ」
先輩「さようって、まだ名前が・・・」
探偵「あ、ところで所長・・・」
所長「なんだ?」
探偵「なぜ留置されているのに、そんな水色のジャケットを着てるんですか?」
所長「無論、クラリスを助けに」
先輩「わ、わかりました!!おい!!」
先輩「はい!!と、とりあえず戻りますので、また・・・」
こうしてさっそく調査に取り掛かりますが・・・
探偵「血はリングに咲く花・・・あとは、だめだぁ・・・検索しても金銭面でどうだったとか、性格がどうだったとかばっかりで、レスラーとしてどうだったかがあまり出てこない」
先輩「よう、やってるな」
探偵「ああ先輩」
先輩「それにしても・・・所長の机の中の本を見た瞬間、正直参ったよ。まさかグレート東郷が出てくるとは・・・これまで、いつも難題が多かったけど、今回は今までで最高の難題だと思う」
探偵「時代が古すぎてデータがないというのはもちろんありますが、それを除いても謎だらけですからね」
先輩「ああ。とりあえずわかる範囲で・・・おれから行ってみよう」
探偵「はい」
先輩「グレート東郷は1911年10月11日、アメリカのオレゴン州フートリバーの出身、ということなんだけど・・・Wikipedia他、東郷を調べるとフートリバー出身と出るのが多いんだけど、フートリバーという場所はオレゴンに存在しないので、これはフートリバーではなくフッドリバーの誤りではないかと思う」
探偵「フッドリバーはオレゴン州最北に位置する水と渓谷がきれいな、大自然に溢れたとても素敵なところですね。総面積は1383平方キロメートル。日本で一番小さな県である香川県より小さいところですね」
先輩「ああ。その歴史は1850年頃から。この頃から開拓、入植が始まり、19世紀後半には日系やドイツ系、フランス系、フィンランド系の人々も移民してきて、人々はこの地で農家を行っていたというんだ。そんな移民の中に東郷の両親もいたんだろう。ご両親は熊本県からの移民といわれており、東郷はこの両親から生まれた。こうして東郷はこの地で日系人として生を受けたわけだ」
探偵「しかし東郷を調べると母親は中国人、両親はどちらも朝鮮半島出身で韓国人という説も出てきますね」
先輩「うん。この件はのちほど触れると思うが・・・東郷が生まれた年でさえ大戦前だからね。このあたり、もはや真実を調べることは不可能だと思う。でも父親が一正という名で、東郷の本名が岡村一夫という表記があるから・・・親が自分の名前や先代の名前を子供につけるとき、一字を用いるのは日本人ならあることだから、東郷の一夫の「一」は父親の一正からもらった名前だったのではないかなとおれは思う。もちろんこれは想像、推測でしかないけどね」
探偵「東郷は米国名もジョージ岡村というそうなので、ボクも東郷は日本人だと思います」
先輩「こうしてアメリカに生を受けた東郷だが、その生い立ちは実はまったくの不明。レスラーになるまで、そしてなったあともとにかく謎だらけなんだよ」
探偵「謎ですか・・・」
先輩「ああ。まず・・・東郷には両親と、少なくとも5人以上の兄弟がおり、どうやら東郷はその兄弟の長男だったようなんだ。この時代の移民の仕事は農業だったが・・・当時の人達が裕福だったかといえば、そうではなかった」
探偵「日本人が開拓中だったアメリカに行って、右も左もわからない状態で生きていくわけですからね。差別もあっただろうし・・・生活は大変だったでしょうね」
先輩「うん。そういった理由から、家庭を助けるためなのか?あるいは何か別の事情があってか?東郷は15歳からサンフランシスコに行き、クリーニング店へ働きに出た、という話があるんだ」
探偵「わかります。そういう時代だったんですよねぇ・・・(歴史が奏でた哀しみの歌)」
先輩「でも一方で、同じく15歳からレスリングに打ち込んだとう話もある。かと思えばレスリングとボクシングを12歳から、というのもある。さっきも出た話、開拓中のアメリカで生きていく中で、東郷はケンカすることも多かったらしくて、そのケンカに強くなるため習ったなんて話もあるけど、この辺の真実はわからないんだ。柔道やボディビルもやってたという話もあるしね」
探偵「東郷の年齢が15歳とすると1925年・・・プロレスならジョー・ステッカーやルー・テーズの師であるエド・ストラングラー・ルイスの時代ですね。そのときの年齢でいえば東郷は中、高生ですよね。東郷の体つきを見るにタダモノではない感じですから、何かしらバックボーンはあったと思います。でも、わからないですねぇ・・・もしレスリングやボクシングやってたとするなら学校で習ったのでしょうか?」
先輩「うーん、どうだろうなぁ・・・しかし、やがてそのレスリングで州のチャンピオンになり1932年のロス・オリンピックの代表候補にもなったという話もあるんだ。で、そのあたりを見込まれてか、1933年にサンフランシスコでは大物プロモーターだったC・ルーダーローなる人物に見いだされ22歳でプロレスの門をくぐることになるんだ。けど・・・」
探偵「このあたりの真実も、もはや確かめる術はないですね・・・C・ルーダーローというプロモーターも詳細不明です」
先輩「デビュー年も、1933年と1938年とあり、真実は不明なんだ。これは推測だけど・・・1938年だと27歳になるから」
探偵「プロレスにデビューするにはちょっと遅いですね」
先輩「そうなんだよ。だからこれは昔の書物の印刷が不鮮明で、3が8に見えてしまって、誤って伝わってしまったんじゃないかなと」
探偵「確かに・・・この年の前年にデビューしたレスラーにルー・テーズがいるんですが、そのあたりを見てもわかるように、この時代のアメリカでしたらレスリングからプロレス、あるいはアメフト、ボクシングなど、とにかくエスカレーター式にプロレスへ、という流れが鉄板でしたよね。現在のように他の職を経験してからプロレスへ、というのはないですし・・・もしあったとしても27歳からプロレスというのは考えづらいですよね」
先輩「ここは1933年デビューで間違いないだろうね。でも、ここからがまた謎なんだよ。1933年から大戦後の1945年、そして東郷の名前がプロレス界で見れるようになった1950年以前までのおよそ15年は、東郷がいつ、どこで、どのようなプロレスをしていたのか?記録があまり・・・いや、あまりどころかないんだ。ないんでわからない」
探偵「1933年から15年かぁ・・・ちょうどエド・ストラングラー・ルイスの時代の終わりかけ、そしてルー・テーズ時代の始まり、というときですね」
先輩「そうなんだ。当時のレスラーの写真って、わりと残っているものは多いけど、やっぱり有名どころのチャンピオンクラスのレスラーのものしかないんだ。せめて東郷の試合記録だけでもあればね・・・」
探偵「そういえば、東郷はリングネームを初めはブル・イトーと名乗り、そのあと本名のジョージ・オカムラでファイとしていた、という本人談がありますね。このあたり、デビュー当初からブル・イトーと名乗っていたのでしょうか?」
先輩「リングネームを変えたというのはあるみたいだけど、残念ながら変更時期については諸説あってこれもわからない。なんせブル・イトー、ジョージ・オカムラの名での試合記録が不明だからね・・・」
探偵「ホントに謎のレスラーですね・・・」
先輩「ただ、1945年8月に太平洋戦争が終結後すると、それ以降に東郷がリングネームをグレート東郷へ変更したのは確かなんだ。それはある出来事により東郷がプロレスから離れ、復帰するタイミングがあったからなんだ」
探偵「東郷はプロレスを離れていたんですか?その出来事とは?」
先輩「1939年、ドイツのヒトラー率いるナチス党がポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告したことにより始まりまった戦争・・・これが第二次世界大戦だ」
探偵「はい」
先輩「この翌年の1940年に日本はドイツと日独伊三国軍事同盟を結び・・・つまり手を組むことになる。これによりドイツの敵であったイギリスの連合国として支援する形で加わっていたアメリカに、日本は同年の12月8日に歴史的な攻撃を仕掛けるんだけど・・・これ、なんだかわかるかい?」
探偵「真珠湾攻撃ですか」
先輩「そう。アメリカの海軍基地があったハワイの真珠湾はこの攻撃を受け戦艦、戦艇合計17隻を沈没や大破で失い、その死者は約2400人にものぼり・・・アメリカの大平洋艦隊の戦闘艦艇は壊滅的被害を受けたんだ。こうして日本とアメリカは太平洋戦争に突入。日本と同盟国にあったドイツ、イタリアもアメリカに宣戦布告し、これによって文字通りの世界大戦となったわけだ」
探偵「でも・・・この戦争と東郷にどんな関係が?徴兵令がかかったんですか?」
先輩「いや・・・この真珠湾攻撃によりアメリカに住んでいた日系人や日本人は“敵性外国人”つまりアメリカに敵意があるため排斥対象となる人種とみなされ、翌年の1942年2月、ルーズベルト大統領の命により強制的に収容所に送られてしまうことになるんだ」
探偵「収容所!?そんな歴史が・・・え、でもまさか、その中に東郷も含まれていたと!?」
先輩「うん。という話がある。収容所は日系人強制収容所といわれ、当時はそれこそ突然、唐突に連れ出され収容されたらしい。ようは、敵国と同じ人種がアメリカにいるのは都合がよくない、ということだったんだろうね。突然、しかも刑務所のようなその場所に送られたその人数、西海岸に住む日系人、日本人にしておよそ約12万人にも達したといわれているんだ」
先輩「もしこれが事実なら、東郷は日系人強制収容が行われていた1942年から1945年の、少なく見ても3年はプロレスから離れていたことになる」
探偵「1943年はテーズも陸軍に入隊していますからね」
先輩「そうだね。大変な時代だったんだなぁ・・・で、収容所から出た1945年以降は、日系人、日本人は収容されたことで突然失った財産や家、生活自体を取り戻すのが大変だったというよ。くわえて日系人、日本人はその後、二級市民、いわゆる普通の市民よりも格下とされる市民という扱いをされ・・・ようは差別を受けていて、それこそ生きていくのが大変だったみたいだ」
探偵「そのあたりを重ねると収容所を出たあとの東郷が、どのようにしてプロレスに復帰していったのか・・・1945年8月に終戦を迎え、すぐ翌年にプロレス復帰したのか?それとも世の中や自身が落ち着いてきたと感じられる2、3年後だったのか・・・いろいろ考えられますね」
先輩「うん。このあたりもはっきりわからなくて、終戦の翌年の1946年にMSGのリングに出場したという話もあれば、1949年の夏に復帰したという話もあり、ここもわかっていないんだ。しかし、リングネームがグレート名義に変わったのはこのあとなんだ。とりあえずここまでをまとめてみると・・・」
探偵「うーん、現時点でわからないところはもう永遠にわからないですね・・・しかし、グレート東郷になったのは1945年以降で間違いないと」
先輩「そうだね。しかし、初めからグレート東郷ではなかったんだよ。東郷はまずグレート東郷ではなく“グレート東条”と名乗っている」
探偵「と、東条!?それって東条英機の・・・!?」
先輩「そう。この戦争で日本の陸軍大将にして、ときの内閣総理大臣であった人の名は東条英機・・・あの東条英機だよ」
先輩「東郷は当初、この名をリングネームとしたらしい」
探偵「そんな!!確かに東郷が正確に復帰した年は不明ですが、1940年代末から50年代初頭ですよ!?まだ反日感情が生々しくアメリカに生きていた時期に、その敵国の大将の名をアメリカの地であえて名乗るなんて・・・」
先輩「現在にたとえるなら、あの地域やあの国に行き、ああいうことをするようなこと・・・そこは詳しくはいえないが、想像するに難しくないだろう。リメンバー・パール・ハーバー、日本はアメリカを攻撃し、我々の仲間や家族を殺した。憎き国だ!!終戦してわずか5年ちょっとだよ。そんな感情の中で敵軍の将の名を名乗れるかい?」
探偵「それをやるのが自分だったら?と考えると、いろんな意味で恐ろしく、できるはずはありませんよ。しかし東郷はあえて、その名を名乗った・・・なんでですか?」
先輩「東郷を待っていたのは観客の憎悪だったが、東郷がそれを求めたからなんだよ」
探偵「じ、実際に刺された!?そんなことが・・・そりゃボクも海外で活躍したレスラーが実際危ない目に遭った話は本で読んだことありますよ。マサ斎藤もそうですし、ハンセンなんかは同じアメリカ人でありながらサンマルチノとやったときは本当に危なかったって自伝に書いてありました。しかしこうもハッキリ刺されたレスラーが実際にいたとは・・・」
先輩「そうなんだ。なので東郷は、東条のリングネームはあまり長く使わず、すぐ変更したらしい。東条英機から、今度はかつて日露戦争で世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、海軍戦で名を上げロシア戦を勝利に導いた海軍司令官にして世界中の海軍から当時尊敬されていた東郷平八郎をリングネームに用いたんだ」
探偵「しかし、リングネームを東郷に変更はしたものの・・・リング上でのファイトには変化はあったんですか?」
先輩「いやぁ、試合では相変わらず憎まれし日本人を発揮し続けたそうだよ。着物姿でリングに上り、丁寧にリング四方を塩で清めながら静かに回る。試合前の相手の握手は拒否。ニヤリと笑いながら肩をやや上げ、手を前で揃えて静かにお辞儀をするんだ」
探偵「塩で清めてお辞儀ですか・・・」
先輩「ああ。相撲の四股も踏むときがあったらしい。しかし試合が始まると一転。その塩で相手へ真珠湾攻撃を思い出させるように奇襲の目潰しを行ったり、履いてきた下駄で攻撃を浴びせたというよ」
探偵「その時代にあえて真珠湾攻撃を思い出させてたんですか」
先輩「そのようだよ。あとはレフリーのブラインドをついての細かな反則。見えない位置で髪の毛を引っ張って相手を倒したり、ロープを使って攻撃したりね。そして東洋色を彷彿させる空手チョップ・・・当初はジュードーチョップといわれていた、袈裟斬りチョップを手の平で打つような形のチョップとヘッドバット、柔道流と称したスリーパーホールド、絞め技で攻め込んでいき・・・反則とラフ攻撃で徹底的に相手を痛めつけたそうだ」
探偵「昔、本で読んだ日系人レスラーの描写、いわゆる田吾作スタイルは反撃にあうと正座して手を合わせて頭を下げ勘弁被った、なんてのがあったんですが、そういうものもあったんですかね?」
先輩「どうだろうな?東郷の試合映像があまりないので確認はできないけど、おれが見たものだと東郷は反撃に合ったっときは
“待った、待った、待った”
と日本語を口にしながら手を出し阻止する仕草をしていたようだね。そしてまたあのお辞儀をして、相手が油断したそのせつな、スキを見せた相手に飛びかかったり・・・という具合だったようだよ」
探偵「大悪党というくらいだったので、ボクはザ・シークやのような・・・試合無視でリングも観客席も関係なく暴れながら、それこそ相手を凶器で血塗れにして徹底的に痛めつけるような、いわゆる狂乱ファイトを想像してましたけど、だいぶちがう気がしますね」
先輩「そうなんだ。シークなんか試合の流れまったく無視で最初から最後までごちゃごちゃしてたよね。本当に狂ってんじゃないかと思ってたよ。しかし、そう、東郷の試合は狂乱ファイトではないんだ。流血こそ毎回していたが、東郷の攻撃は汚くズルいところもあってお客の怒りを誘うけど、相手との間の取り方や試合の流れを作るのはうまかった。なので見る者の感情を引き出すのが抜群にうまい悪党っていうのかな。そんな気がしたよ。プロレスの見せ場、見せ方を十分に理解しているとおれは思ったね」
探偵「だからお客も本気になってしまい、カーッときちゃうんですね」
先輩「そこに大平洋戦争の因縁が加わり、さらにお国柄も加わって会場は興奮に揺らめき出すんだね。怒りより殺気・・・やがてお客さんのフラストレーションは尋常ではないものになり、キル・ザ・ジャップの大合唱。会場は狂気の沙汰となるわけだ」
探偵「それで・・・試合以外では頭にきたファンに実際に囲まれたり、ナイフや銃を突きつけられたりもして、本当に刺されてしまうこともあったわけですね」
先輩「中にはファンが数十人単位で集団になり、暴動のようになってしまい警察がたくさん駆けつけて新聞沙汰やニュース沙汰なんてのは結構あったらしい。それこそ命の危機に晒されることも一度や二度ではなかったんだろうね。だが・・・東郷が憎まれていたのは、アメリカ人のファンだけじゃなかったんだ」
探偵「え!?どういうことですか!?」
先輩「当時、アメリカに日系人や日本人は住んでいた。もちろん、まったくプロレスに関係ない一般の人たちだよ。そんな人たちに、この東郷の試合ぶりが影響を与えてしまうんだ」
探偵「それは一体!?」
先輩「東郷のファイトスタイルが、そのまま日系人、日本人のイメージになってしまった。アメリカ人の目には、東郷イコール日系人、日本人と写ってしまったんだろうね。
"卑怯でズルい。ジャップはみんなああなんだ!!と、我々は何もしていないのに、アメリカ人から悪い印象を持たれ嫌われる。生活に支障をきたすからやめてくれ!!"
という事態になったらしい」
探偵「確かに・・・今でこそ海外で活躍する日本人は多くて珍しくなくなりましたけど、この時代、アメリカでテレビ放送が開始されて間もない時代にテレビを通して映し出される日系人、日本人なんていなかったはずです。そんな中で映し出されるのが東郷の試合だったんですから、これは影響力はそうとうなものだったでしょうね」
先輩「笑われるかもしれないけど、おれはインド人はみんなサーベル持ってるんだって中学2年まで真剣に思ってたよ。今でもインドと聞くと即連想してしまうしね。でも東郷はそれ以上のインパクトだった。プロレスに留まらず社会現象まで引き起こしてしまったわけだから・・・一般マスコミも取り上げただろうしね」
探偵「アメリカ人に憎まれ、本来は味方であるはずの日系人、日本人からも反感を受けていた訳じゃないですか?なぜ・・・ここまでして東郷はこのようにしたのでしょうか・・・」
先輩「憎まれれば憎まれるほど、お客が見に来るから、らしい」
探偵「お客・・・」
先輩「そう、東郷が試合に出場する会場は不入りどころかいつも満員。ウチのリングにも来てくれとプロモーターからは引っ張りだこで、それもメインイベンターとしての扱いでだったそうだ」
探偵「お客さんの憎悪を煽り東郷への嫌悪感は増すばかりだった訳じゃないですか?それなのにファンは東郷を見に来ていたのですか?憎まれ嫌われる人に人が?わからないなぁ・・・」
先輩「それは、憎き東郷が今日こそは対戦相手にコテンパンにやられ、そして殺されるのを期待して・・・つまり憎まれ者がやられるところを見たかったから、だったんだ」
探偵「悪党の末路ですか・・・」
先輩「東郷がファイトすればするほどブーイングの嵐。ファンは逆上する。しかし東郷がやられれば、憎悪に満ちた会場のブーイングは大歓声に変わる。そう、攻めても受けても、お客は東郷から目が離せなかった。ときには勝利し、ときには反則で逃げ、ときにはやられ・・・東郷は会場を煽り、それに応えしファンが東郷を憎み騒げば、実はそうなればなるほど東郷の思うツボだったんだね」
探偵「そして憎き東郷と対戦することで相手のレスラーの人気、知名度も上ることになる・・・」
先輩「こうして東郷は悪役レスラーとして、どこに行っても“客を呼べるレスラー”として絶大な悪役人気を誇るようになるんだね」
探偵「はい。そんな東郷の名がプロレス介でも後世まで確認できる運命的な年代がやってきます。この辺りはボクが調べましたので・・・」
先輩「じゃあ聞こうか」
その2に続きます。
※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。