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東京五輪記念!オリンピック選手からプロレスラーへ大特集!! パート1

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どうも!!流星仮面二世です!!



さて、2020年に東京オリンピックが開催されますね。


ということでオリンピックの出場実績のあるレスラーの特集を組んでみましたよ~。


今回は全3部作にてお送りいたします。流星仮面二世のおもてなし♪どうぞご堪能ください。


では、いってみましょう!!



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サンダー・ザボー


アムステルダムオリンピック(1928年)

レスリング グレコローマンスタイル 金


雷王、雷帝とよばれた強豪。第20代のNWA世界王者にもなっているザボーは、日本には昭和38年に一度だけ来日しています。来日時60歳を目前にしながらもその動きは“雷”の異名にふさわしく、アントニオ猪木にフロント・ネック・チャンスリーを決めたのは我々の世代のファンの間でも語り草ですね。


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若き日のザボーのフロント・ネック・チャンスリー


フロント・ネック・チャンスリー、その形容はレスリングの“がぶり返し”をヒントにしたものであるのは明らかですが、さすがこの技の元祖にしてグレコローマンで金を取るだけの実力者。すばらしいフォームですよね~。こういうすごいレスラーを見ると、いつも思うのが動画はねぇのかぁー!!というとこですよね。元祖フロント・ネック・チャンスリーの動いているところ、見たかったなぁ・・・


詳しい情報がないのではっきりとは言えませんが、この人が最初のオリンピックの肩書を下げたレスラーだったのかな?と思われます。


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キングコング


アムステルダムオリンピック(1928年)

レスリング スタイル不明(グレコローマンスタイルで銀?)


日本への来日は2回。アジア圏で活躍し、海外で力道山と引き分けたということで日本でも一目置かれた存在となったことと、185センチ、181キロというその体の大きさのインパクトで、力道山との試合は当時のテレビを大いに賑わせていたようです。


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力道山をロープに追い詰めるキングコング


画像を見ていただくとわかりますように、非常に大きい選手ですよね。子供の頃、近所の年寄りとプロレスの話をしてたら


「キングコングっていう、いがい(茨城弁で大きい、の意味)のがいだっけなぁ~」


と、アツく話していたのを思い出します。まぁそんな感じでプロレスでは有名なレスラーなのですが・・・オリンピック出場では資料がなく不明点が多いです。どうもグレコローマンスタイルで銀メダルを取ったという話が有力のようなのですが、はっきりした情報がないので誰かわかる方いましたら教えてくださいね~。



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バーン・ガニア


ロンドンオリンピック(1948年)

レスリング フリースタイル出場


もはやプロレスファンには説明無用のAWAの帝王ですね。


ロンドンオリンピックの他、大学時代はNCAA(全米大学体育協会)で2度の優勝をするなどレスリングに関してはかなりの強豪だったようです。


ボクが見ていた時代には、ガニアはプロレスラーというよりほとんどプロモーターだったので、正直なところガニアの試合はよく見たことがなかったんですよね。でも馬場さんとの連続3000試合連続出場の試合を中学校の頃に見る機会に恵まれて・・・そのときプロレスラーとして動いているガニアを初めてみたのですが、驚きましたね。当時ガニア54歳だったんですが、とにかく動きがすごくよくて、驚いたのを覚えています。中でも印象的だったのはドロップキックでしたね!!打点が高くて、しかも連発で打てるのはすごいと思いましたね~。ルー・テーズも年齢を感じさせない動きを見せていたレスラーでしたが、ガニアも然りでした。身体能力が高い選手だったんですね。


ガニアはプロレス外でも自身のレスリングスキルを生かし“バーン・ガニア主催レスリング・キャンプ”を幾度となく実施。人材を見る目とレスリングの指導でリック・フレアーやリッキー・スティムボートなど多数のレスラーをスカウト、育成しデビューを手掛け、世に送り出しています。


ビジネスや性格のことでいろいろ言われることがあるガニアですが、やっぱりすごいレスラーですよね。



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カール・ゴッチ


ロンドンオリンピック(1948年)

レスリング フリースタイル、グレコローマンスタイル出場


ゴッチはレスリングでは両スタイルでベルギー選手権を6回(7回とも)獲得。そしてオリンピックも両スタイルで代表なんですね!!すごいなぁ・・・自分もわずかながらレスリング経験者ですが、これは普通ないですよ。水泳でいったら平泳ぎも背泳も全日本優勝で、オリンピック出場ってことですもんね。やっぱり神様ですね。


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ブリッジひとつにもオーラが漂います


我々プロレスファンならもはや説明は不要。ガニア同様、ゴッチも優れた指導力で幾多のレスラーを指導してきました。今ではゴッチのレスリングを受け継ぐ者も少なくなってしまいましたが、その魂は永遠と受け継がれることまちがいないですね。



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ディック・ハットン


ロンドンオリンピック(1948年)

レスリング スタイル不明


パワーもあり技もテクニックも多彩。プロレスではNWA世界王者に君臨したのはもちろん、あの気の強い力道山すらどうしようもなく、カナディアン・バックブリーカーに担ぎ上げられたとたんにギブアップしたといい、実はテーズもゴッチも勝てなかったのではないか?と今なお語られる伝説的なレスラーです。


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ハットンのキーロック。これだけでギブアップを奪うこともあったそうだ


レスリングでは大学生時代に全米学生を3連覇。オリンピックや他の成績が詳しく残っていれば見てみたいですねぇ。



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マッドドッグ・バション


ロンドンオリンピック(1948年)

レスリング スタイル不明


主戦場が国際プロレスだったということがあり、ボクは動いているバションを見たことはなかったのですが・・・それでもプロレスの本、特に大百科系のシリーズには必ず流血戦は朝飯前(このフレーズも今は聞かなくなりましたね)みたいな感じで登場するレスラーだったので、その印象は忘れがたいものがあります。そんなこともあり、どうしても狂犬、ヒールのイメージが拭えないので、知るまではオリンピックと結びつかなかったんですよねぇ・・・


元々、正統派でも十分通じる実力者だったのですが、ある日、プロでやるにはこのスタイルは儲からねぇ・・・とイメージを変えた、という話を昔プロレスの本で読んだことがあります。AWA王者時代にはレスリング技術だけでバーン・ガニアを圧倒したこともあるという男。やはりオリンピック出場の実力は本物ですね。今ではいなくなってしまった、真のヒール、なんですね。



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ハロルド坂田


ロンドンオリンピック(1948年)

ウェイトリフティング ライトヘビー級 銀


発明や歴史、身近なところでは出会いもそうですが、もし、この人がいなかったら・・・なんて考えたりするのはよくあることですよね。そんな中、プロレス界において、もしこの人がいなかったら・・・といえばハロルド坂田じゃないかなぁ~?


相撲を廃業した力道山が、ちょっとしたキッカケから酒場でケンカをしてしまいます。しかしそのケンカ相手となぜだか意気投合してしまい、よかったら・・・とプロレスへの声をかけたのが実はこのハロルド坂田でした。そう、この人がいなかったら、力道山がプロレスと出会うことがなかったんですね。


もちろん力道山以前からプロレスはあったし、力道山がプロレスをやらなかったとしてもプロレスそのものは日本にもあったかもしれません。でも、やっぱり力道山がプロレスと出会わなければ根付かなかっただろうし、馬場さん、猪木さんがプロレスに出会うこともなかっただろうし、後に続くレスラーもプロレスに出会うことはなかったと思えますよね・・・


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映画007でもおなじみ坂田得意のポーズ


スイスの精神科医で心理学者だったカール・ユングは、偶然の一致とは単に偶然、というだけではなく、通常は関係していないような物事、事柄、出来事も、実は見えないもので繋がっているのだと・・・これを“意味のある偶然の一致”と考え提唱し“シンクロ二シティ”と名づけたそうです。


ある日、偶然同じ場所で飲んでいて、偶然ケンカになったふたり・・・しかしその偶然は、実は見えない何かで惹かれあった上での出来事、シンクロ二シティだったのかもしてませんね。本当に人の出会いって、すごいですよねぇ・・・


って、まったくオリンピックの話じゃなくなっちゃったな・・・



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ダニー・ホッジ


ヘルシンキオリンピック(1952年)

レスリング フリースタイル 5位


メルボルンオリンピック(1956年)

レスリング フリースタイル 銀


かつて鳥人とよばれ、プロレス界きってのシューターと謳われたホッジは2回のオリンピックに出場。初出場のヘルシンキでは5位入賞、2度目のメルボルンでは銀メダルに輝く功績を収めています。


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ホッジのオクラホマ・ヘイライド。高いレスリングテクニックを感じます


しかし驚いちゃうのはレスリングの功績ばかりではなく、ボクシングでも鳴らした実績があるという点ですね。


全米で最も伝統的な大会であり、あのモハメド・アリも出場、優勝している全米ゴールデン・グローブで優勝するほどの強者で、プロでも試合を行い10戦して8勝という実績の持ち主でした。まさに打ってよし、組んでよし。あの鉄人ルー・テーズが一目置くのもうなずける素晴らしいプロレスラーだったんですね。


それまで最強と言われていたプロレスが総合格闘技の台頭により、あらゆる面で影響を受け、その威厳も地位も暴落してしまった時代。そんなとき、もしダニー・ホッジが若かったなら、おれがやってやる!!と自ら名乗りを上げてくれたんじゃないかなと想像したプロレスファンは多かったと思います。



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アントン・ヘーシング


東京オリンピック(1964年)

柔道 無差別級 金


これはプロレスファンにもおなじみの顔ですね。東京オリンピックでは当時の日本柔道を打ち破っての衝撃の金。世界選手権は優勝2回、ヨーロッパ選手権では1951年パリ大会から1967年ローマ大会まで出場階級すべて合わせて優勝21回!!しかも驚くべきことにレスリングの世界選手権にも出場経験があり、なんと6位というびっくりな経歴も!!格闘家としてはかなりのポテンシャルだったのが伺えます。まさに戦う渋谷109新春福袋、高級選手権の詰め合わせ状態だ!!


プロレスラーとしては、ボクは年代的に動いているヘーシングを見たことはありませんでした。しかし雑誌や本で見たゴリラ・モンスーンとの柔道ジャケットマッチやジャンボ鶴田とのUN戦には刺激され、それは興味をそそられました。


そして迎えた中三の冬、ボクは土曜日の深夜にやっていた日本テレビの“朝までスポーツ”で、オープン選手権でのドン・レオ・ジョナサン戦が放送されるを知り、期待に胸を膨らませビデオをセットした思い出があります。東京オリンピック金メダリストでプロレスラーの試合、しかもゴッチが“すごい男がいたもんさ”と語るほどの、あのジョナサンが相手・・・ボクは楽しみにしていました。


ゴングが鳴るとヘーシングは柔道の試合のように両腕を上げ、声を張りました。おおお!!思わず身を乗り出しましたが・・・


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しかし・・・


そのプロレスは、期待度とは裏腹に涙のしょっぱい味がしました・・・


しかしながらヘーシング、かつてはアントニオ猪木の欧州選手権シリーズにて対戦相手にその名が上がったことがありました。確かにプロレスは、レスラーとしてはお世辞にもうまいとは語れませんが、これだけの実績、もし異種格闘技戦として実現していれば・・・と想像すれば、これはワクワクせずにはいられない試合になっただろうと思います。



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マサ斉藤


東京オリンピック(1964年)

レスリング フリースタイル出場


1964年、フリー、グレコローマンの両スタイルで全日本優勝。そしてレスリングで東京オリンピック出場の過去を持つマサさんですが・・・その強さを語るときに出るのは、プロレス内におけるレスリングテクニックよりも、やはり長きにわたりアメリカで一匹狼としてやってきた話ですよね。


日本のファンとちがい向こうのファンはヒールに対しての感情がとにかく異常。素人が数人で平気でケンカを売ってくる、不意に襲われる、ナイフや銃を突き付けられるなど、とにかく仕打ちがすごかったのが当時のアメリカのファンでした。しかしそんな中にあってファンとも渡り合い、いざケンカになったら絶対負けない、凶器にも怯まない・・・肉体的なものだけでなく、精神面でのこの強さがマサさんの強さ、だったんだと言えますよねぇ。


中でも、ボクはどうしても85年にケン・パテラのおかげで巻き添えを食ってしまった警官との乱闘劇が忘れられません。警官の人数には諸説あるけど、それでもたとえ4、5人だったとしてもすごいことですよ。ただでさえ体の大きい外人にあって、警察官で特別な訓練を受けている連中を何人もブッ飛ばしちゃうんだから、やっぱりマサさんの強さ、普通じゃないですよね。



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サンダー杉山


東京オリンピック(1964年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


現在の状況はわからないんですが、以前はグレコローマンの選手は柔道上がりの方が多く、高校などでは柔道をやっていましたが、大学からレスリングを始めて全日本で上位になってしまう選手や、日本の代表になっちゃうような選手は実は多く存在していました。たとえば1924年のパリオリンピックで日本人のレスリング選手として初めてメダル(銅)を取った内藤克俊選手もそうでした。


サンダー杉山もそのひとり。大学1年までは柔道をやっており2年生になってからレスリングを始めたようです。しかし・・・レスリング部に入ったわずか10日後、出場したローマオリンピックの最終選考会で優勝してしまうという離れ業を披露したのはこの人くらいではないでしょうか?いくら当時レスリング人口が少なかったとはいえ、全日本ですから驚いちゃいますね。国内でのタイトルは60年にグレコローマンで、61年にフリースタイルで全日本優勝。レスラーとしての質を鉄人ルー・テーズが褒めるのも納得です。


けして大きい選手ではありませんでしたが、その体型からは想像できないような俊敏で軽快な動きを見せることから人気を博したサンダー杉山は、レスリングで培った素晴らしいブリッジを母体に、日本人としてはヒロ・マツダに次ぐ2人目のジャーマン・スープレックス・ホールドの使いとしても有名でした。


また、ボクらの世代ではわからないですが、ボクの兄の世代、ちょうどボクの4~5歳上の代の人なら“おはよう!こどもショー”という子供番組で馴染みのようです。よく兄に話を聞かされたことがありました。愛らしさにプロレステクニックを持った親しまれるレスラーだったんですね。



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ローランド・ボック


東京オリンピック(1964年)

レスリング グレコローマンスタイル ※候補選手のみ


メキシコシティオリンピック(1968年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


ミュンヘンオリンピック(1972年)

レスリング ※代表選考のみ。出場辞退


幻の強豪という言葉がこれほど板についているレスラーはボック以外には考えられない昨今ですが、レスリングでも幻の強豪的な記録を残しているようです。以前にもこのブログで紹介しましたが、もう一度記載すると・・・


1961年の西ドイツ・ユース選手権フリースタイル優勝。65年イギリス・マンチェスター開催の世界選手権でフリースタイル8位。同年西ドイツ開催のヨーロッパ選手権でグレコローマン4位。66年アメリカ・オハイオ州ドレド開催の世界選手権でフリースタイル6位。70年のカナダ・エドモントン主催の世界選手権で7位。ドイツ選手権、優勝23回(注:しつこいようですがデータが古いので正確でないものがあるかもしれません。ご了承ください。ちなみにG-SPIRITSのVol.23のボックのインタビューでは、1961年の西ドイツ・ジュニア選手権優勝。同年の西ドイツ・ユース選手権は2位(双方ともスタイル不明)68年西ドイツ選手権フリースタイル優勝、グレコローマン3位。70年の欧州選手権、西ドイツ選手権優勝。というデータが見れます)


オリンピックでは、68年のメキシコシティ・オリンピックではフリースタイルで5位になったという話が、古い書籍でのボックのインタビューで記載されていたことがありましたが確たる資料がなく不明。またグレコローマンで出場し11位という記録もありますが、こちらも絶対的な資料があるわけでなく、やはり不明というざるを得ないかもしれません。でもメキシコシティ・オリンピックには間違いなく出場しているようですね。


それにしてもプロでもアマでも謎が多い・・・これぞまさしく幻の強豪ですね。



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ボブ・ループ


メキシコシティオリンピック(1968年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


大学時代にAAU(全米体協)とNCAA(全米大学体協)の両方のタイトルを獲得。メキシコシティオリンピックにグレコローマン・スタイルで出場し8位になっている実力者です。


プロレスラーとしては全日本、新日本の両団体に来日し、馬場、猪木と対戦している数少ない外人レスラー。来日は3度だけでしたが、全日本では馬場さんからフォールを奪い、新日本では猪木と対決した際、レスリングテクニックで圧倒したというインパクト十分なレスラーでした(猪木戦はマネージャーのグレート・マレンコの乱入で反則となり負けたが、結局フォールは取られていない)


“人間ぎらい”というニックネームがあったループ、もっと社交的だったならNWA王座になっていたかもしれないなぁ・・・目線は違えど、この人もまた幻の強豪、だったのかもしれませんね。



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エル・ハルコン


メキシコシティオリンピック(1968年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


日本には1978年8月、全日本プロレスの第2次サマー・アクション・シリーズのみ来日。ミル・マスカラスとの抗争を行い、マスカラ・コントラ・マスカラ、覆面剥ぎデスマッチの末に惨敗、素顔をさらす。同じく78年にはメキシコでハリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。ロス、テキサスなどの人気テリトリーにも登場するなど実力者ぶりを発揮していたようです。


メキシコのレスラーって昼は普通の人で、夜はマスクマンなんてのが多いので・・・素ではいろんな職業やってたりしますよね。実は学校の先生だったり、歯医者さんだったり。そんなメキシコのレスラーの中で、この肩書はやっぱり一目置かれます。ちょっと異色なルチャドールだった感じがしますね。



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ウィリム・ルスカ


ミュンヘンオリンピック(1972年)

柔道 93キロ超級 金 無差別級 金


ご存知オランダの赤鬼です。もはや説明無用ですが一応説明しておきますと、世界選手権で優勝2回、準優勝1回、ヨーロッパ選手権では1965年マドリード大会から1972年フォールブルフ大会まで出場階級すべて合わせて優勝7回、準優勝3回、3位1回。そしてミュンヘンオリンピック では重量、無差別で2階級制覇!!赤毛屋、酒悦、川勝總本家・・・味わい深し、まさに戦う男の老舗漬物屋だ!!


昔、猪木の血戦十番勝負ってビデオがありましてね、それの猪木VSルスカ戦を中学校のときに買って、見ましてねぇ・・・格闘技に関する見方、価値観が変わりましたよね。


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これは奥深い試合だった・・・


試合開始後、ルスカが大腰で猪木を投げるところがあるんですが・・・ボクはあれがとにかく衝撃的でした。あれを見るまでの当時のボクは、プロレスが絶対最強で、他の格闘技は一応知っておくべきもの・・・そんな認識しかありませんでした。


いやいや、何を言っているんだ流星仮面二世?あれは普通に、単なる“投げ”じゃないか?柔道家なら誰でもできるだろ?そんなこともわからないのか?馬鹿だなぁと・・・こうおっしゃる方も多いと思います。でも格闘技をかじったとこのある人間なら、ボクの思っているこの投げに対して思っている、感じた意味、理解してくれる方も・・・いてくれると思います。だから格闘技はおもしろいんだと思いますね。



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ケン・パテラ


ミュンヘンオリンピック(1972年)

ウエイトリフティング 階級不明 銀


ボディビル上がりのマッチョなボディと力を売りにするレスラーは80年代にはそれはたくさんいましたが、そんな中においてウエイトリフティングでオリンピックで銀メダルを獲得した本格的マッチョボディはこのパテラだけですね。


ウエイトリフティングの他、多少レスリングをかじっていたこともありガニアにスカウトされプロレス入り。初めは正統派でやっていましたがヒールに転向し、NWA、AWA、WWFのすべての団体でファイトするまでに出世。かつてのWWWF、WWFの王座に挑戦したこともあり、日本でも全日本で馬場さんのPWF、猪木のNWFにそれぞれ挑戦するほどの認められた存在なレスラーでした。


先に書きましたが、マサさんと同じく警察への暴行事件では警察官を何人もブッ飛ばすほどの腕っぷしの強さも披露。ケンカも強かったのかもしれませんね。



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クリス・テイラー


ミュンヘンオリンピック(1972年)

レスリング 

フリースタイル 銅 

グレコローマンスタイル出場


すいません、画像がみつからなかったので・・・ドロップキックを受けているのがそうです。


クリス・テイラーは高校、大学で出場したレスリングの試合148戦中、負け試合はたったの二度しかないという経歴の持ち主。ミュンヘンオリンピックではフリースタイルで銅。この大会ではあのウィルフレッド・ディートリッヒとも、試合を行っています。以前YouTubeでその試合らしき?映像がアップされていたのを見たのですが、テイラーがディートリッヒに投げられるシーン?なんかすごかったなぁ・・・肉体がブルン!!という感じで・・・(なんだぁそのたとえは?)


プロレスラーとしてはバーン・ガニアにスカウトされ73年デビュー。先に紹介しましたケン・パテラとは同門、同期として活躍したそうです。海外ではデビュー後からAWAはもちろんNWA、WWFエリアのリングにも上がるほどの出世ぶりを見せ、76年には全日本プロレスに来日しジャンボ鶴田の試練の十番勝負の第7戦の対戦相手にもなり激闘を展開。今後のジャンボのライバルとして有力的存在となるなどまさにトントン拍子でプロレス生活を送っていましたが77年に体調不良により引退。79年に29歳という若さでこの世を去りました。


もし生きていればハンセンやブロディ級のレスラーになっていただろうと思われるレスラーだけに残念です・・・



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長州力


ミュンヘンオリンピック(1972年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


高校からレスリングを始め大学時代の73年、全日本でフリー、グレコローマンの両スタイルで優勝。ミュンヘンオリンピックには韓国代表として出場を果たします。


のちのプロレスでの功績はもはや説明の必要はないですが、シュートの面では特に組み系格闘技においての強さという点においては長州を押す人は多いですね。ボクはその理由として、レスリングで培った実力の他、あのパワーがその理由ではないかと思っています。単に力だけを見ても、おそらく日本のプロレス界ではトップに入るであろうと思われますが、長州の場合はその力を出すタイミングが抜群だったと・・・ボクは思うんですよね。84年の高松でアンドレをボディスラムで投げたのをご存知の方は多いと思いますが、猪木や長州がボディスラムで投げるのと、ハルク・ホーガンがボディスラムで投げるのは全く質がちがいます。


ボクの恩師が、パワーというのは単に筋力、力だけの意味ではなく、スピード、タイミングに力をのせたときのことなんだ、と話してくれたことがありました。長州って、まさにそうなんだなぁ~と思いましたね。




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ジャンボ鶴田


ミュンヘンオリンピック(1972年)

レスリング グレコローマンスタイル出場


高校時代はバスケットボールで2年、3年とインターハイに出場。国体選手にも選出され入場では旗手も務めました。大学に入り、最初はバスケットボール部に所属していましたが、重量級の選手層が薄いレスリングの方がオリンピック出場の近道と考え、途中よりレスリングを始めます。レスリング転向後は71、72年とフリー、グレコローマンの両スタイルで全日本連覇。見事オリンピック出場へと相成ります。


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デビュー当時はいい体してたね~


まあこの辺の経緯はいろいろなところで語られているのでご存知かと思いますが・・・でもね、いくら当時のレスリング選手層が薄いからって競技を変えたところで、そう簡単にオリンピックまで行けませんよ。この辺が鶴田最強論にも繋がるのかなと思いますが・・・実のところボクは、この鶴田最強論には異議を唱えるひとりです。いえ、けして鶴田がダメだとか言っているわけじゃないんですよ。プロレスラーとしては大変素晴らしいと思っています。でも・・・ま、その話は長くなりそうなのでまたの機会にでもみなさんとお話ししたいですね。


といわけで、パート2でまたお会いしましょう♪













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