Quantcast
Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
Viewing all articles
Browse latest Browse all 312

青春の中のUWF~キミはU-COSMOSを見たか? パート3~

$
0
0

さあいよいよ最終章、パート3です!!

異種格闘技戦
第3試合 3分7ラウンド
藤原喜明 vsディック・レオン・フライ



当初、藤原の対戦相手はオランダのキックボクシング・スーパーヘビー級王者で21戦21勝(17KO)無敗にして、14歳のときには柔道でオランダのジュニア王者でもあった期待のクレン"ザ・マシーン"ベルグでしたが、ケガのため変更。代って、のちにリングスで活躍しますディック・フライが初登場となりました。

初見参のフライは、このときキック暦8年で戦歴が12戦10勝(8KO)2敗。オランダのキックボクシング・スーパーヘビー級1位とあります。その他、本来藤原と対戦するはずだったベルグのスパーリング・パートナーで、共に対戦する藤原用の練習をしていたという情報はあったのですが、本人に関する詳しい内容などオランダでのキック時代の詳細は不明な点がありました。当時の雑誌にはレポートがあり、顔やプロレスラーにもいないような筋骨粒々の体型こそ確認できましたが、試合の映像や写真は皆無だったため未知の強豪的存在感を出していました。

試合は参戦前からウワサになっていた体。実際もとにかくすごくて驚きました。で、一見するとその上半身に目が行きますが、下半身、足ですね。太ももがすごく太いです。のちにニックネームとなるサイボーグ、まさしくそのままです。しかも側頭部には大きく"目白ジム"とペインティング?いや、髪の毛を染めてきたのでしょうか・・・とにかく異様な空気を放っていました。キックボクサーに希に見ぬ肉体にペインティング。興味を引きます。

一方の藤原は、格闘技戦こそ藤原!!という印象がありながら88年4月2日にイサマル・チャンガニー、同年7月29日にドン・ナカヤ・ニールセンと異種格闘技戦を行っていますが、ここまでいい結果に恵まれていません。ここはすっきり勝ちたいところです。

この試合ではグローブこそしてませんが、キックパンツに素足というキックスタイルで登場した藤原。本人曰く、ファールカップを着けるためとのことですが、この試合までにキックトレーニングにより11キロのウェイトダウンをしていたというあたり、この試合への意気込みが感じられます。

フライ、体型しかり攻めはパワー全開。前、前へと出てくるタイプです。チャンプア、スミスと比較すると、攻撃が単発に感じてしまいますが、しかし一発一発は早く威力はかなりのものです。特にローはキツそうですね。そして何を狙ってるかがわからないのが不気味です。


大胆に、ときには淡々と攻めるフライ

藤原はフットワークとローキックでトレーニングの成果を出しながら、蹴り足を取りグランドに持ち込みますがフライは危険を察知するとすぐさまロープへエスケープです。なかなか思うようには行きません。


藤原も果敢に蹴りを出すが、やはり手強い

先のチャンプアvs安生、スミスvs鈴木でも述べましたが、このフライvs藤原戦は先の2試合と比べると、打撃を打ち出てくるフライ、それを捕まえ仕留めようとする藤原という、そうですね、今までボクらが見てきた格闘技戦に近いものがありますね。

しかし威力あるフライの打撃を受けながら、蹴り足を掴んでからのテイクダウンを狙うのはダメージ蓄積というデメリットが伴います。藤原はテイクダウンを3回取りますが、グランドで足を狙いながらも逃げられています。あのニールセン戦の悪夢が頭を過ります。

が!!2ラウンド、フライの足を掴んだ藤原はフライから4度目のテイクダウンを取り、寝せたまま自身はグランドに行かず立ったまま足を持ち体を反らします!!たまらずタップするフライ!!


これは!!

「え、え!!なに!!なに!!」

2ラウンド開始後わずか37秒・・・その瞬間、おそらく見た人のほとんどがそう思ったにちがいないその技・・・

それは立ったままの、アキレス腱固め!!

なんという技術、なんというビジョン!!UWFの象徴ともいうべきグランド・サブミッションのアキレス腱固めで、寝ない!!この衝撃、このショック!!同時にドームにいる6万人のファンを一斉に引きつけた、このすごさ!!プロレスリング、関節技、まだまだ奥が深い・・・そして藤原、やっぱりすごい!!興奮しました。そして今なお興奮します。

そして・・・思いました。戦いにおいては決まった形はない。そのとき、その状況で勝つための技を出さなければならないと・・・これこそ、レスラーが格闘技戦を戦う際の、捕まえてからグランド移行までのリスクを払拭する、そして勝利するというひとつの答えではなかったか・・・そんな気がしました。

時を経て、この試合から約10年後・・・高田がヒクソンと2戦目を行いました。1戦目とは別人のように優位に試合を進めた高田。その中で見せた技にアキレス腱固めがありました。絶好のチャンスだったあの態勢。しかしグランド移行の際に合わせられ乗られてしまい、悔しく思ったあの日・・・もし、あのアキレス腱が立ったままだったなら、あと3分が・・・そしてもしかしたらちがう歴史が生まれていたのではないか?そんな幻想をも描きました。鈴木vsスミス戦もそうでした。形変われど時間は過ぎれど、戦いは続いていくんだなぁと思った次第です。


異種格闘技戦 
第4試合 5分7ラウンド
山崎一夫 vsクリス・ドールマン



オランダ格闘技界の首領ドールマンの登場です。

ドールマンはサンボ世界選手権で69年、85年に優勝。81年、82年に準優勝しているサンボの強豪です。また柔道も実績があり、ヨーロッパ選手権で74年に準優勝、オランダ選手権で71年に優勝と輝かしい実績を持っています。その他、オランダでは他流試合や異種格闘技戦も行っており、81年にはノールールの大会なども開催。87年にはストロングマン・コンテストで活躍したジェフ・ケイプスと異種格闘技戦を行うすなど早くから総合格闘技に着眼していました。このときの通算戦績は946勝7敗(947勝6敗との記述もある)そしてなにより、このときドールマンの年齢です。なんと44歳!!今の自分と同じ歳です。すごい・・・

ドールマンは、このドーム大会の半年前の5月に大阪球場で前田と対戦し、敗れはしましたが要塞のような鉄壁のガードとサンボテクニックで、その強さは充分ファンに伝わっていました。そんなドールマン、この試合にはなんとサンボ着を着用してのジャケット・マッチを急遽要求してきました。

山崎はこの試合方式を受けましたが、仮にも相手はサンボの世界王者で柔道でも強者。あのウィレム・ルスカにも勝利したこともあるという着衣格闘技のエキスパートです。そのドールマンに山崎が道着を着て試合をするという・・・これはいくら打撃有りの格闘技戦といえど不利なのは明らかです。

着用を知らされたのはわずか1週間前。そしてサンボの試合を見たことがないという山崎にして、準備期間もなかったため道着を着ての練習を行ったのはわずか1回。しかもサンボの経験者とではなく鈴木みのると行ったのみです。かつてプロレスでも道着を着ての柔道ジャケット・マッチは行われたことがありましたが、それは経験者というのが前提にありました。そんな中、衣類格闘技経験のない山崎はいかにして戦うのでしょうか?

試合は、山崎は組まれては不利と間合いを取りながらドールマンの前に出ている方の足にローを打ちながら試合を運ぶ形となりました。柔道やサンボなど組み技系格闘技は基本、利き腕側が前に出る形になります。右利きなら右を前に出しての右半身がオーソドックスな構えになりす。一方、打撃系は利き腕が後ろに来ます。なので通常だと右利きは左半身になりますが、山崎は試合では基本サウスポーの構えなんですね。なのでこの試合はお互い右半身で向かい合います。このため山崎は出ている方の足、右足へローを当てていきます。

テレビでは船木が解説で、ドールマンは棒立ちなんで正面からヒザ蹴るのがいいのでは?と話します。なるほど、これはさすが。いい発想ですね。確かにドールマンは打撃受けた直後や相手に詰め寄るとき真っ直ぐ立ってしまうときあります。あとそれと同じタイミングで足が揃ってしまうときがありますね。ドールマンを倒すなら、狙いはやはり足になりそうです。

この試合での山ちゃんのローキック、とにかく早い!!早いですね!!特にファースト・コンタクト、試合開始すぐ一発目に放ったローがすごい。


早いっ!!

通常の試合のときの打ち方より平行に打ってます。しかもしなやか・・・本当に刀のような切れ味がある蹴りです。

しかし当たりはしますが、ドールマン、やはりガードは固いです。山崎は間合いを取りながら蹴りますが、ちょっと接近すると道着を掴まれてしまいます。いつもならすり抜ける間合いも一発で捕らえられてしまい・・・掴まれ崩されてしまい、蹴り足も取られてしまいます。やはり山崎には道着が不利に働いてしまいます。


蹴りをキャッチして、そのまま引き手代りに足を引いての変則の投げを見せるドールマン

この変則の投げはサンボ流の投げを対・打撃用にしたドールマンのオリジナルなのかもしれません。他にも道着や帯を取っての投げでテイクダウンを繰り出し、リングス時代には石うすに乗られたようとまで言われた得意の寝技でポジションを取りながらじわじわと攻めます。攻めあぐんでしまう山崎はエスケープを繰り返します。気がつけば、この試合は山崎が打撃で攻め、ドールマンは捕まえ、組みにいき、そして山崎がロープエスケープするという展開、つまり先に述べた安生vsチャンプア戦などの格闘技戦のそれと逆になってしまっていたんですね。


寝技ではポジショニングを許さないドールマン。山崎も締め技を出し勝機を狙うが・・・

UWFの中でも臨機応変に、オールマイティーでスマートなファイトをする山崎でも、どうしようもない。為す術がなかった。これは、こうするしかなかったんですね。逆に言えば、そう、前田と戦ったときのドールマンです。いくらドールマンが投げに長けていて寝技が強くても、もし道着がなかったなら、はたしてこの展開になっていたのだろうか?すべてはルール、やはりルール次第なのかなぁと考えさせられました。

試合は3ラウンド48秒、腕ひしぎ逆十字でドールマンの勝利となりました。しかし、あまりにも有利で常勝的だったドールマンに勝利を見せられても、ファンの反応はけしていいものではありませんでした。一体、何のための戦いだったのか・・・

しかし、腕を押さえる山崎は、またやりたい。道着を着て・・・と試合後つぶやきました。再戦は実現しませんでしたが、相手の土俵でまた勝負したいという山崎。らしい言葉だと思いました。


異種格闘技戦 
第5試合 45分1本勝負
高田延彦 vsデュアン・カズラスキー



セミファイナルです!!

レスリングからデュアン・カズラスキーが登場です。カズラスキーはレスリングの全米選手権で優勝が4回 。レスリング世界選手権では86年に4位 、87年に準優勝という成績をおさめています。そして出世試合はその87年に行われた世界選手権で、ロサンゼルス・オリンピック、グレコローマンスタイル100キロ級の金メダリスト、みなさんには元UFCのコミッショナーでテレビ解説者も務めました、総合格闘技をMMAと名付けた名付け親と言った方がピンとくるかもしれません。ジェフ・ブラトニックとの一戦です。これに勝利したカズラスキーは大会準優勝を果たしアメリカのスポーツ界にその名を轟かせることになります。

こうして88年ソウルオリンピックではグレコローマンスタイル130キロ級に代表として出場。8位に入賞しています。結果だけ見ると、なんだ8位か・・・と思うかもしれませんが、カズラスキー、体重的にはアンダーで130キロ級に110キロくらいで出場していたようなんですね。この階級でこの体重はかなりものを言いますから8位入賞はすごいことです。そして敗れはしましたが、カズラスキーはこのときオリンピック初出場だった、あのアレクサンドル・カレリンとも対戦しています。経験も豊富です。

さて、この年の2月くらいから新日本に旧ソ連のレスリング選手、レッドブル軍団が参戦していましたが、これはプロレスラーとしての参戦でしたので・・・そう考えると異種格闘技戦にまっさらなレスリング選手が出たというのは、これが初めてではなかったでしょうか?そう、冷静に考えれはプロレスvsアマレスというのはありそうでなかったですね。

かつてフランク・ゴッチ、ジョージ・ハッケンシュミット、トム・ジェイキンスの時代は、ほとんどのレスラーがレスリング出身で、試合もレスリングのスタイルから始まったので・・・このときのカズラスキーこそ原点を見るような形になったのではないかと言えると思います。で、そこに格闘プロレスの象徴的シーンのUWFスタイルが当たるわけですね。原点であるレスリングが格闘技として進化したプロレスとどれくらいやれるのか?ここが興味の頂点でした。

しかし相手は高田です。カズラスキーはレスリングにおいても純粋なグレコローマン・スタイルの選手。他の格闘技を知らなければレスリングの技でフィニッシュする場合、あの高田にどうすればいいか?正直、関節技や絞め技がないカズラスキーに勝てる要素は皆無と言えるかもしれません。しかし意外にも、なんとこの試合にはフォール判定がルールとして設けられていたのです。これは!!フォールなら、もしかしてがあるかもしれません!!

こうして、自身がレスリングやってたこともあり、ちょっとカズラスキーを応援しつつ見始めましたが・・・試合早々、高田のハイキックが炸裂。カズラスキー、開始後わずか数秒で崩れるようにダウンしてしまいました。この高田の蹴りが実に早くて、見ていても一瞬、あれ!?っと思うほどの早い当たり方でした。しかしこの蹴り、早さと威力、それだけではありません。

高田、ハイキックに行く前にローを2回出しているんですね。で、そのあと上を蹴る前にカズラスキーの足を見るんですよ。で、ハイキックに行くんですね。これ、目によるフェイントなんですね。ローを入れて、足を見て、下に気を取らせ相手に下を蹴ると思わせるんですね。で、そこで上を蹴るんですね。高田はPRIDEでの試合でもこれを使っていました。見事な蹴りのテクニックです。

これはもう終りかぁ~・・・と思いましたが、カズラスキーなんとか頑張って立ち上り、スロイダーで応戦。腕への関節やアキレス腱固めを繰り出し盛り返します。でもこれはおそらく見よう見まね、形だけで繰り出したようなのですぐに切り返されてしまいます。

しかし、そんな中で目を見張ったのはカズラスキーが蹴り足を取ったあとに見せた逆片エビ固め。これの入り方です。足を持ったあとのステップオーバーですね。足と手をしっかり持って、で、自分のヒザを相手の背中にじわっと押し付け擦らせながら入るんですが、これはは素晴らしい。うまかったですね!!

これは見事

密着して相手とのすき間を作らず、大きなステップオーバーもしない。ヒザを使うことで相手のエスケープも防御します。理にかなった逆片エビです。もっとも実戦的な入り方だったと思います。素晴らしい技術です。こんな入り方ができるということに本当に驚きました。

その後、キックに苦しみながらも、今度はフォールを狙いに果敢にグランドに出ます。レフリーのマレンコのカウントが異様に早く気になりますが、高田はここを切り抜けキックの猛攻に出ます。


連打を受け3度目のダウンを喫してしまったカズラスキー

しかし、ここもなんとか立ち上がりバックへの投げから再びフォール狙いに行きますが、もはや万全尽きたカズラスキー・・・もはや高田には余裕さえ見れます。
結局、決め手に欠けたカズラスキーは10分55秒、高田の腕ひしぎ十字固めに敗れます。


見事に決まった高田の代名詞、腕ひしぎで快勝した

終わってみれば高田の横綱相撲。しかしカズラスキーの魅力をすべて出させておいての勝利の高田は、まさしく全盛期の猪木を彷彿させる試合運びでした。それにしても遂に実現しなかったモーリス・スミス戦、見たかったなぁ・・・


異種格闘技戦 
第6試合 5分7ラウンド
前田日明vsウィリー・ウィルヘルム



さあメインです。

競技自体も、そしてかつての異種格闘技戦でもその名を轟かせた柔道から ウィリー・ウィルヘルムが登場です。ウィルヘルムはオランダ選手権で77年、82年、85年に優勝。ヨーロッパ選手権が81年に準優勝、84年が3位、86年が優勝。世界選手権では83年に準優勝。85年に3位。その83年は、あの山下泰裕と決勝を戦っており、一時は山下のライバルとも言われていました。その山下が金メダルを獲得したロサンゼルス・オリンピックにもオランダ代表として出場しています。

リング中央で並ぶと、前田も大きいのはもちろんなんですが、ウィルヘルムその前田を凌ぐ大きさです。前田おなじみ試合前のガンつけ合戦もややウィルヘルムが目線が高いです。これは珍しいビジョンです。

さてU-COSMOS、ここまでの試合の濃さや激しさに、この試合はヤマ場もなく試合時間も短い、フィニッシュもあっさり・・・といった具合で、なんだかあんまり・・・というのが当時多くの人が感じた気持ちではなかったかなと思います。しかし、これは実に奥の深い試合でした。

ウィルヘルム、開始早々前に出て間合いを詰め組みにいきます。離れては前田の蹴りが来るので接近して打撃を封じる作戦ですね。こうして組みついて小外掛けの要領ですぐにテイクダウンを奪い、寝技に持っていきます。

本来、柔道が格闘技戦出ると、柔道の十八番(おはこ)である投げにどうしても目が行きがちです。しかしこの試合ではそれは見られず、そのかわり組んですぐ倒すという実戦的かつ合理的な戦法がとられました。一見地味ですが柔道が勝つためには一番スマートな方法だったと思います。

そして寝技ですね。ウィルヘルム、寝技が強かったですねぇ~。この試合、前田もバック取ったり腕ひしぎの態勢に入ったりはしましたが、攻めきれてませんでしたね。寝技が行われていたのが10だとすると8.5はウィルヘルムが制圧していました。

あまり評価されなかったが寝技、強い!!

ドールマンも寝技、もちろん強いですがドールマンは相手の1ヵ所にしっかり乗ってじわ~って感じでしたが、ウィルヘルムはアクティブですね。巨体ですが素早い上、体勢的に思わずタイツを掴んでの帯取り返しも出てしまったほど、その場の変化に反応して寝技をしていきます。腕を取りに行くのがうまいですね。柔道の寝技ですね~。さすがです。

加えてパワーがありますね。2ラウンド、ウィルヘルムはバックに回られたとき、この状態で下から腕を取ります。ちょうど猪木がペールワンとやったときアームロック入らんとした、あの形ですね。で、ここから前田が上にポジション取るんですが、ウィルヘルムは腕を取りながら体返すんですね。これ、これだけで前田がぐるっと反転していってしまうんですよ。下から腕だけロックして返して前田が踏ん張れないとは驚いてしまいました。

しかし打撃となると、どうしても防戦一方になってしまいます。始めこそ間合いを詰めていきましたが、だんだん距離が開いてきてしまい、次第にローが入るようになってきてしまいます。

なんとかヒザ蹴りをキャッチしテイクダウンを奪うが・・・

やはり打撃になると免疫がなく、ローが効いてきます。前田は顔面への攻撃はしませんでしたが、打たれるたびウィルヘルムの上は下がってきています。先ほどの高田なら間違いなくハイキックの餌食にしていたでしょうね。


前田の重いローが容赦なく入る。打撃には為す術なしか・・・

結局、スタンドでのローが功を奏し、前田のカニバサミを防御することができず断末魔のごとく声を上げ転倒。2ラウンド1分28秒、そのままグランドでのヒザ十字固め、ですが今見るとヒールホールドのようにも取れます。この前田の足関節でウィルヘルムがギブアップ。前田が最後を締めました。

全試合を終え・・・会場を後にする前田が今後を聞かれ

「そうですね、世界に出ていきたいですね」

と一言、語るシーンがテレビでは映し出されました。

前田のその一言、世界の意味はグローバル、世界的に、地球規模にという・・・これからは団体内だけでなく、世界中にいる格闘技を対象に戦っていこうという意味だったのだろうと思います。それはU-COSMOSで世界の強豪を相手に戦い導き出されたUWFの新しい可能性、そして格闘技としての今後の課題が見えた結果だったのではないかと思いました。

しかし、このU-COSMOSからわずか1年後、新生UWFは世界に出ることなく90年12月1日、松本運動公園体育館での大会を最後に91年1月に完全に解散。2年7ヵ月の活動にピリオドを打ちます

U-COSMOS・・・鈴木は勝敗こそが格闘技の結果という中で、肉体的にも精神的にも限界の戦いをしました。そしてそのセコンドには船木がぴったりと寄り添っていました。

高田は異種格闘技戦の中において、唯一ラウンド制ではない、45分1本勝負という試合形式でアマチュア選手を相手にプロフェッショナルレスリングの強さを見せました。

前田が戦った相手は、その競技で世界ランクの実力を持つ選手であり、そして競技にとらわれず多種な格闘技との戦いをしていく、ひとつの国からの選手との戦いでした。

強いものが勝つ、強くなければ勝てない。格闘技を進化させ完全なる実力主義で挑んだパンクラス。プロレス本来のすごさを世に知らしめ、プロレスこそ最強を示したUWFインターナショナル。世界中にネットワークを置き、多様な格闘技と戦ったリングス・・・

当時はまったく感じませんでしたが、今こうして見ると戦いの中に、個々がそれぞれの歩む道筋を予言していたかのような、そんな戦いが集結していたように思えました。

そして、前田の世界に出ていきたいという言葉。世界、グローバル・・・しかし世界のもうひとつの意味、ワールド。現実であり今、自分が住んでいる、自分が存在している世界。前田の言葉、これはその世界、UWFという世界から出るという予言だったのではないかと・・・3派に別れていくことを暗示した言葉だったのかもしれません。

UWFとネットで検索すると正直、気分が悪くなるような、タメ息しか出てこないようなことばかりを記しているのが目につきます。確執、カネ、真剣勝負、誰が強くて、弱い。そしてブックやワークなんていう言葉も出てきます。事情に詳しい人によっては、そういうもの・・・なのかもしれません。

でも、ボクにとってのUWFは、たとえばそれは遊びたくても遊べず、部活に明け暮れた高校時代。金がないとき注文したラーメンをそっとチャーシューメンにしてくれたラーメン屋のオヤジ。好きな子に会いたくて、乗るはずのバスを何本も見送った日。そんな日々の思い出と変わりません。UWFは思春期に一緒に歩んでくれた大事な思い出なのです。だからボクは、あのときUWFに出会えて本当によかったと思います。

「UWFのリング・・・そのマットは語り継がれるであろう新たな伝説の蒼いページである。新格闘技伝説、たとえ、今この瞬間が遠い過去と呼ばれるようになったとしても、UWF戦士達は、蒼いページの伝説の中で行き続けるにちがいない。誰よりも純粋で、誰よりも強い。伝説はいつまでも選ばれた者に与えられるストーリである」


東宝ビデオ~新格闘技伝説~より



最後までありがとうございました。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 312

Trending Articles