その1からの続きです。
探偵「さて、前回はマディソン・スクエア・ガーデンの基礎となったモンスター・クラシック&ジオロジカル・ヒッポロドームからギルモアズ・ガーデンになっていったところを見ましたが、ギルモアズ・ガーデンになってから2年が経った1878年。ここで動きが見られます」
先輩「いよいよマディソン誕生へ迫るんだね」
探偵「はい。この年、W・タイルストン(W. M. Tilestonという表記 )という人物により、このギルモアズ・ガーデンが買収されるという出来事が起こるんですね」
先輩「借り受けではなく、今度は買収だったわけか・・・しかし、当時にしてこれだけの施設を買い取るとは、タイルストンとは力のあった人間だったのかな?」
探偵「実は、W・タイルストンなる人物については調べても詳細はまったく出てこず・・・何者だったのか、一切わかりませんでした。しかしドッグ・ショーを手掛ける当事者で、ギルモアズ・ガーデンが改装したあとにはテニスや馬術教室、アイス・ショーなどを開催し、より幅広い市民層を引きつけようという案を持っていたという記述は残っています」
先輩「う~ん、想像するに、結構やり手だったような感じだなぁ。ドッグショーの当事者ということだが、もしかしたらウェストミンスター・ケネルクラブ・ドッグショーの当事者だったのかもしれないね。で、このタイルストンがマディソンの基礎を作り始めたと・・・」
探偵「いえ。実はタイルストンの名前が出てくるのはここだけなんです。その後、アメリカの鉄道王として知られるコーネリアス・ヴァンダービルトの孫で実業家だったウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトが1879年にバーナム氏からマディソン・スクエア公園を買収。一体を興行会場エリアとしてリニューアルする計画を上げるんです」
ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト
先輩「コーネリアス・ヴァンダービルト・・・わずか一艘の小さな船で起業し、のちに蒸気船の保有数、運航数で国内最大となり、海運業で成功。この時代から発展してきた鉄道業にも進出し、蒸気船と鉄道のライン化や、鉄道の車両、経路などの改善に力を入れ、やがて十数にも及ぶ鉄道会社の経営権を買い取り、鉄道王と呼ばれた人物。その富から当時、世界一裕福と言われたヴァンダービルト家の孫が関わっていたのか・・・」
探偵「肩書きはヴァンダービルトがオーナーとなっています。しかし、ギルモアズ・ガーデンを買収したW・タイルストンという人物とウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトがどう関係していたのか!?このあたりも詳しい記録がなく、まったくの謎なんです」
先輩「ひとつ言えることは、これはまちがいなく、大きなプロジェクトだったってことだな」
探偵「そのようですね。さて、話を戻します。同年5月31日。ヴァンダービルトは、この施設の名称を"マディソン・スクェア・ガーデン"とすると発表。いよいよ開場となり、世にマディソンが誕生することになります(※初代マディソンは5月26日に開場したという記述も存在するが、詳しくは不明)」
初代マディソン・スクエア・ガーデン
先輩「これが初代マディソンか・・・シンプルながら、でも圧倒されるものがあるなぁ」
探偵「ここでは、スポーツでは当時国内で最大級であった自転車レースが注目されていました。楕円形でカーブにバンクがかかったマディソンのトラックでの自転車レースは、この時代から1900年まで大流行し、当時のアメリカの自転車レースではかなり重要な役割の大会になっていたようです。ちなみに現在でも自転車競技に“マディソン”という名前のものがあるそうなんですが、ここからが由来だそうです。資料、見ますか?」
先輩「ほぉ~・・・自転車競技のマディソンはプロレスみたいに"タッグ"ていうのがあるんだ。これは興味が湧くなぁ。で、スポーツ以外はどうだったのかな?」
探偵「はい。他にはアイス・スケートや園芸のショー、おそらく展示的なものですね。そういったものが行われたり・・・他には禁酒に関する講義や、いろいろな集会も行われていたようです」
先輩「多目的な施設だったというわけだね。ところで、この時代にはギルモアやバーナムはどうだったのかな?」
探偵「ギルモア氏のコンサートや他の音楽のコンサートも行われていたようですし、バーナム氏の方もサーカスを行っていたようですよ。特にバーナム氏はロンドン動物園から引き取ったゾウのジャンボをサーカスのメインにし、マディソンの知名度アップと収益に一役買っていたようです」
先輩「ギルモアズ・ガーデン時代よりイベントが活発化して・・・市ではシンボル的存在にもなっていったよな印象だね」
探偵「そうですね。そうそう先輩、この初代マディソンではプロレスは行われた記録はありましたか?」
先輩「ああ、1880年1月18日。ウィリアム・マルドゥーンがデビュー戦の相手だったシーバウド・バウアーとアメリカン・グレコローマンという王座をかけ3年ぶりに再戦したという記録があったよ。しかし、ちょっと会場に関しては謎がある」
探偵「謎?一体どんな?」
先輩「この試合、会場が初代マディソンでなくギルモアズ・ガーデンとなっていたんだよ」
探偵「え!?だってギルモアズ・ガーデンは1876年から1878年。初代マディソンは1879年から1890年が使用期間だから・・・ギルモアズ・ガーデンから初代マジソンになって7ヶ月も経過していたんですから、この1880年は完全に初代マディソンになるはずじゃないですか」
先輩「普通に考えればそうなんだけどなぁ。記録ではギルモアズ・ガーデンなんだよ」
探偵「う~ん、わからない・・・ギルモアズ・ガーデンの跡地に初代マディソンを建てたんじゃなかったのかなぁ?それとも東京ドームみたいに、後楽園球場が現役のうちにとなりに作って、同時期にふたつ存在していた時期があったか・・・」
先輩「いや・・・よしんば初代マディソンとギルモアズ・ガーデンが同時期に存在していた時期があったとしても、イベントや使用用途が被るこれだけの大型の施設を、はたして同時運営したかなぁ?維持費も馬鹿にならないし」
探偵「そうですねぇ・・・」
先輩「なので・・・これは当時の記録の誤りの可能性があると思うんだ」
探偵「うーん。なんせ1800年代末の話ですから、そういうこともあるでしょうし・・・これは真相はわかりませんね。あ、で、この試合の詳細などは残っていたのでしょうか?」
先輩「試合は、マルドゥーンが勝利し王座獲得したとある。当日は観衆3000人との記録があるな」
探偵「当時にして3000人ですか!!これはすごいですね!!プロレスが当時の世の中の興味をいかに引いていたかがわかりますね」
先輩「そう、世の中の興味・・・実は、ここにマルドゥーンがプロレスの父と言われる由縁のひとつがあったんだよ」
探偵「由縁?それはなんですか?」
先輩「たとえば、それまで試合に時間制限がなかったため、長時間になってしまう試合時間を改善しようと試合に時間制を設けたりと、マルドゥーンはルール面で新しいものを取り入れていき・・・」
探偵「時間制!?それはどんな・・・!?」
先輩「ああ、詳しく説明すると1876年。ニューヨークで、会場は不明だがマルドゥーンがウィリアム・ミューラーというレスラーと戦った試合があるんだ。その試合は、なんと試合時間が9時間35分で勝敗不明となっているんだよ」
探偵「く、9時間半!?」
先輩「それと1881年1月26日。ニューヨークで、これも会場が不明なんだがマルドゥーンがクラレンス"カンザス・デーモン"ウィストラーというレスラーと戦った試合だが、こちらは8時間戦ってドローというものだったそうだ」
探偵「どちらも普通のサラリーマンが朝に出勤して定時で帰るくらいの時間ですよ!!なんでこんなことが!?」
先輩「先にも話に出たが、当時はプロレスと言っても現在のものとはまるでちがう、 レスリング色がとても濃いものだった。技も少なかったから、両者の実力が拮抗していたなら決め手に欠けてしまい、いわゆる膠着状態になり・・・なかなか勝負が着かなかったことが多々あったんだ」
探偵「それは・・・確かに勝負事なんでそうなってしまうこともあったかもしれませんが、でも8時間、9時間というのは・・・レスラーはもちろん、観客が参ってしまいますよ」
先輩「そこでマルドゥーンが取り入れたのが"時間制"なんだ。1883年、日時、会場は不明だがニューヨークでマルドゥーンがエドウィン・ビビーというレスラーと対戦したのが時間制の最初の試合ではないかと言われている。試合時間をどれくらいにしたかはわかっていないが、結果は時間切れ引き分けとなっている。今のプロレスの60分1本勝負や30分1本勝負は、ここが原点というわけだね」
探偵「時間制、なるほど・・・これはプロレスとして大きな進歩でしたね」
先輩「うん。で、話を戻して・・・現在はプロレスラーがブログやTwitterで自ら情報発信をするのは、もはや当たり前だよな?」
探偵「そうですね。記者の書いた雑誌やネットニュースとはちがい、実際のレスラーが自分が関わる物事に対し直接に意見したり感想を述べたりします。本人が語ることにより説得力があり、いつもとちがう情報をも知ることもできます。ファンにとっては会場観戦やテレビ観戦などにも幅が出て、楽しみが増えますね」
先輩「そうだな。では、もしそれを、この時代にやっていたとしたなら?」
探偵「え!?この時代に!?だってネットはおろかラジオもテレビもまだ始まってない時代ですよ!?」
先輩「しかし今もこうして当時の記録が調べられるのは、なぜだ?」
探偵「・・・そうか、紙媒体か!!」
先輩「そう。1845年に創刊されたアメリカの雑誌に"ナショナル・ポリス・ガゼット"というのがあったんだ」
探偵「はい」
先輩「この雑誌は重犯罪や日常起きた様々な事件やジャーナリズム、有名人のゴシップ、各種スポーツに、お色気モノと・・・とにかくいろいろな記事が掲載されていた男のライフスタイル誌のパイオニアとなった大衆紙だったという。まあ、日本でいうとこの東スポみたいな存在だったんだろうね」
ナショナル・ポリス・ガゼットの1882年10月14日のもの。結果が気になりベースボール大会を無断で覗き込む人々の様子
探偵「なるほど。それで、この大衆紙が!?」
先輩「ああ、東スポという名前が出てきたけど、ナショナル・ポリス・ガゼット。直訳すると国際警察官報なんて名前だが、実は警察とはなんの関係もない、今でいう待合室で目にするスポーツ新聞や一般、芸能、社会を掲載する雑誌のような存在だったから、当時から飲食店、ホテルなど様々な場に置かれていたそうなんだ。特に床屋、理髪店では必ず置かれていて、客は待ち時間や散髪時には、それこそ熟読していたらしい」
画像は1900年代中盤と思われる理容店のヒトコマ。楽しそうにガゼットを読む客に、荒井注似のご主人も思わず覗き見!?(公式サイトNational Police Gazetteより)
探偵「髪やヒゲを整えるため理容店に行く。すると待ち時間には置いてあるこれを必ず読む。この大衆紙と理髪店は見事な相互関係だったわけですね。しかし先輩、この大衆紙とマルドゥーンのプロレスの父の由縁とは・・・一体どう関係しているのですか?」
先輩「実はマルドゥーンは、この大衆紙に執筆をしていたんだよ」
探偵「執筆を!?」
先輩「そう。自身の試合のことや対戦相手のことを記者でなく当事者である本人が書いていたんだ。今度の対戦相手とはどうなのか?対戦してみて試合はどうだったか?そして自身のライバルの試合や、そのライバルと自身が戦うならどうなるのか?という具合だったんだろうね」
探偵「すごい!!この時代に、すでにそんなことをしていたんですか!!」
先輩「うん。先に説明したように・・・ナショナル・ポリス・ガゼットは大衆紙ではあったが、1922年まで社の編集者であり所有者であったリチャード・カイル・フォックスが凄腕だったらしく、レスラーのマネージメントや試合の交渉、試合の開催計画なども行っていたらしいんだ」
日本人レスラー第1号のソラキチ・マツダも社にマネージメント権があったと推測される(ブログ 私のプロレス研究ノートソラキチ・マツダ)
探偵「単に記事をあげるだけでなくプロモート的なものもやっていたんですね。大衆紙と聞くと身近に感じてしまいますが、とても力のあった組織だったんですね」
先輩「そう。まさにガゼットが東スポで、フォックスが桜井康雄さんみたいに思えてくるね。で、マルドゥーンだが・・・どうやらガゼットの経営に参与していたようなんだ」
探偵「なるほど。それで執筆を閃いたと」
先輩「ああ。本人が書く、この臨場感とストーリー性ある記事を、理容店や、どこかの待合室で読んだなら・・・今度のマルドゥーンの試合はどうなるかな?次の対戦相手とはどう戦うのかな?とかの話が、当然お客同士でワイワイはじまるわけだ。で、まったくちがうところに行って誰かに会って、そういえばさっき床屋で話してたんだけど、今度の試合は・・・なんて、また話がされたりするわけだな」
探偵「この時代のプロレスが"人から人へ"と広がっていったというわけですか」
先輩「そう、まさに"口コミ"ってやつだ。さっき言っていたとおり、ラジオは民間の一般向け放送が1920年。テレビは試験放送の一番早いので1929年だから当然この時代には、まだどちらもなかった。そんな時代に、これまでなかった"本人が書く"という方法が人々を魅了し、やがてアメリカ全体へと広がっていったんだろう」
探偵「すごい・・・」
先輩「当時はベースボールは盛り上がりつつあり、アメフトはルールが固まり本格化してきた創世時期。ボクシングはベアナックルからグローブに移行しつつあった時代で・・・ジョン・ローレンス・サリバンなど有名スポーツ選手はそれぞれの競技に、それはいたさ」
ボクシングのベアナックル時代の最後の王者でグローブ時代の最初の王者でもあったジョン・ローレンス・サリバンはニューヨークでも活躍した名ボクサーだった。1887年、マサチューセッツ州ではマルドゥーンと異種格闘技戦も行い、のちにマルドゥーンがサリバンのコーチになるという関係深い人物であった
先輩「しかし競技者でありながら執筆をする人はいなかった・・・いや、まず、やろうなんて発想に至れなかっただろうなぁ」
探偵「社に参与はしていましたが、ただ単に執筆をやったところでは読まれなかったと思います。おそらくマルドゥーンは文章を書くのが好きで、得意だったんだと思います。人を惹きつける文章力があったからこそ、多くの人に読まれ、話され、広がっていったんだと思いますよ。レスリングは強く文才でもあったんですね」
先輩「そうだな。それに・・・ガゼットこそプロレス記事も書いていたが、マルドゥーンがもし、ガゼットで執筆していなかったなら・・・この時代のプロレスのことも活躍したレスラーのことも、わからないことが多くあったんじゃないかなと思うんだ。マルドゥーンがレスラー目線で書いてきたからこそ、現在にまで残っているものがあるんだなと、そう思うよ」
探偵「マルドゥーンがプロレスを広げたのは当時のアメリカだけでなく、現在にもだったってことですね。時間のルールしかり、当時から、常に新しい目を持っていたんだなぁ。本当にプロレスの父に相応しい」
探偵「そうだな。まあ今回、初代マディソン時代でのプロレスの試合記録は、これしか見つからなかったんだが・・・ニューヨークで行われた試合というのはたくさんあったんだ。マルドゥーンや他のレスラーが築き上げたもの。これが次の2代目マディソンへの礎となったと考えてまちがいないだろうね」
その3へ続きます。