どうも!!流星仮面二世です!!
さて、ちょっと遅くなってしまいましたが、今回は6月26日に現役生活にピリオドを打ちました長州力をですね、ちょっと振り返ってみたいと思います。
まず、個人的な話からしてしまうんですが・・・ボクがプロレス生観戦の日、初めて触ったプロレスラーが長州だったんですよ。
で、このブログでもおなじみウチの嫁ですが、このファーストコンタクトも実は長州だったんですよ。最初に会ったとき趣味の話をしましてですね、プロレス好きで長州ファンなんだという話になり、そこで放った言葉が「私、長州の後ろ髪になりたかったのよ」という、まさかのセンチメンタリズム発言だったんです。いやぁ~これがなければ現在、一緒にいなかったかもしれないくらいの出来事でしたねぇ。
人生最初のプロレス観戦と、嫁とのファーストコンタクトと、こう、人生の重要なところって自分にとって長州は現れます。ものすごい大きい存在です。
と、出だしが本当に個人的な話で始まってしまい申し訳ないばかりなんですが・・・長州力ですね。もうみなさん、いわゆる"かませ犬発言"以降の活躍は重々承知かと思いますので、今回はですね、このかませ犬までの布石。あまり知られていない、革命戦士と呼ばれるようになるまでの長州の足跡をまとめてみましたので、 一緒に振り返っていこうという次第です。よろしくお願いします。
長州力、本名・吉田光雄は1951年12月3日、山口県徳山市で4人兄弟の末っ子としてこの世に生を受けました。
赤ちゃん長州。超かわいい
こちらは1歳の頃。お兄さんと海水浴場で
上の写真は、ようやくお座りって感じなんで生後半年くらいですね?かわいいですね。しかし下の1歳の方のは、かわいいながらもすでに立ち方が長州してますね。勇ましいです。
幼少期から小学生時代は格闘技をすることはありませんでしたが、岐陽中学校に上がると長州は柔道部に入部し熱中。3年では主将を務め、団体戦は県で1位になるというほどの強さだったそうです。
中学時代の長州(手前中央)は格闘技が好きな少年だったという
この柔道での活躍で目をつけられ特待で山口県桜ケ丘高校に入学。レスリング部に所属します。柔道に続きレスリングでも才能と強さを発揮し3年の中国大会で優勝(階級不明)、インターハイで73kg級、準優勝。国体は75kg以上級で優勝という成績を残しました。
長崎国体で表彰台に上がる若き日の長州。向かって右は同級3位入賞を果たしたスネーク奄美の顔も見える
この高校時代の実績からレスリング関係者に評価され専修大学へ特待で入学します。余談ですが、大学は特待となりましたが、実は長州、かなり勉強できたらしく、頭だけでも普通に大学に行けるくらいだったそうなんですね。相当に昔なんですが、ビートたけしが出ていた番組で有名人の偏差値をフリップで出して紹介していたことがあったんですよ。そこに長州の名があり、偏差値60ちょっととあったんですね。これはかなりすごいですよね。やっぱり天下をとる人はずのうも根本的にちがうんですね~。
さて、こうして大学へ進学し、さらなるレスリングでの活躍が始まります。大学時代の主な戦績は・・・
1971年
全日本学生選手権 9月2日~4日 東京 駒沢体育館
グレコローマンスタイル 90kg級 優勝
全日本選手権 6月21日~23日 東京 日大講堂
フリースタイル 90kg級 2位
グレコローマンスタイル 90kg級 2位
1972年
全日本選手権 6月28日~7月3日 茨城県 笠間市体育館
フリースタイル 90kg級 3位
72年ミュンヘンオリンピック
グレコローマンスタイル 100kg級 韓国代表
ミュンヘンオリンピックにてグレコローマンスタイル57kg級日本代表の山本郁榮さん(山本KIDのお父さん)と長州
オリンピック本戦での長州。試合は1勝2負で3回敗退となった
1973年
全日本学生選手権 9月3日~5日 東京 駒沢体育館
フリースタイル 90kg以上級 優勝
グレコローマンスタイル 100kg級 優勝
全日本選手権 8月9日~12日 東京 日大講堂
フリースタイル 100kg級 優勝
グレコローマンスタイル 100kg級 優勝
1974年
全日本選手権 6月28日~30日 三重県 三重総合体育館
グレコローマンスタイル 100kg 優勝 2連覇
と、まさに輝かしい実績でした。で、個人的に思うところは73年の全日本での両スタイル優勝というのですね。これはですね、話すと長くなるんでやめときますが、相当すごいことなんですよ。歴代でも何人もいなんいです。このあたりは長州のすごさですね。
こうして輝かしい実績を引っ提げ1974年に新日本プロレスへ入門します。
入団記者会見での猪木と長州
オリンピックの代表選手だったということもあり、まさに鳴物入で入門した長州は1974年8月8日、東京の日大講堂で本名の吉田光雄の名でエル・グレコを相手にデビューします。試合は5分24秒、のちの代名詞となるスコーピオン・デスロックを炸裂させ見事に勝利しました。
これが長州の記念すべき初スコーピオン。初期はやや高めにキメる形だった
デビュー戦のフィニッシュがオリジナル・ホールドというのは異例。驚異の新人と期待された
その後、この年は国内での試合は行わず、8月31日より西ドイツのハノーバーへ海外武者修行に出発します。1976年6月からはカナダ・モントリオール地区へ転戦。ミツ・ヨシダのリングネームでファイトしました。
カナダでファイトする長州。当時は国際プロレスから同じくカナダに武者修行に来ていた八木宏(のちの剛竜馬)と、お揃いの田吾作スタイルでタッグを組んだりしていた
その後、デビュー戦から2年半が経った1977年2月10日に海外武者修行を終え帰国。3月4日、群馬県の高崎市体育館で行われた第4回ワールド・リーグ戦の開幕戦でロベルト・ソトを相手にリーグ公式戦を行います。凱旋マッチでもあったこの試合で長州はウイング・ブリーカー・ホールドを初公開。5分24秒、凱旋を新・必殺技で飾りました。
今や幻の技となった長州のウイング・ブリーカー・ホールド。圧巻だ
この凱旋から長州は本格的にシリーズ参戦となります。ここからは、今となっては・・・という試合を抜粋して見ていってみましょう。
1977年
◎第4回ワールド・リーグ戦
3月6日 埼玉県 川越市体育館
20分1勝負
吉田光雄vs藤原喜明
吉田(15分12秒 体固め)藤原
まず、のちに抗争する藤原とのシングル初対決です。凱旋後すぐに行われていたんですね。
3月27日 秋田県 大曲市体育館
ワールド・リーグ公式戦 30分1勝負
マスクド・スーパースターvs吉田光雄
スーパースター(8分12秒 体固め)吉田
そしてワールド・リーグの公式戦でマスクドと長州のシングル初対決が行われています。これは長州がデビューしてから一番最初にやった大物外国人レスラーとの試合でもあります。ちなみに長州、この第4回ワールド・リーグ戦での戦績は坂口、マスクドに次ぎニコリ・ボルコフと同率3位という結果でした。
この年、4月23日よりリングネームを長州力に改名します。以下、長州力です。
◎アジア・チャンピオン・シリーズ
6月24日 埼玉県 大宮スケートセンター
30分1勝負
タイガー・ジェット・シンvs長州力
シン(6分43秒 体固め)長州
こちらはジェットシンとのシングル初対決です。若手時代、苦しめられた相手でした。
7月28日 福岡県 九電記念体育館
60分1勝負
長州力vsマサ斎藤
長州(12分35秒 体固め)斎藤
のちに心の師となるマサ斎藤とのシングル初対決です。試合は、攻められながらも最後は斎藤のバックドロップを潰して長州が逆転勝利しています。
若き日の長州とマサさんの戦い。長い時間を一緒に過ごしてきた、ふたりの始まりがこれだった
いやぁ~、画像見てると、去来するものがありますね。運命を感じずにはいられません。
◎闘魂シリーズ
9月28日 千葉県 市原臨海体育館
30分1勝負
スタン・ハンセンvs長州力
ハンセン(6分2秒 体固め)長州
そしてハンセンとのシングル初対決です。ここから幾度の対決を経て、リキ・ラリアートへと繋がっていくんですね~。
◎闘魂シリーズ 第2弾
11月22日 宮崎県 小林市体育館
30分1勝負
ウィレム・ルスカvs長州力
ルスカ(7分40秒 腕固め)長州
長州が"強い"と言ったルスカとのシングル初対決です。これは正直、道場スパーが見たかったですね。
1978年
◎第1回MSGシリーズ
5月13日 静岡県 沼津市体育館
第1回MSGシリーズ決勝リーグ 45分1勝負
アンドレ・ザ・ジャイアントvs長州力
ジャイアント(4分10秒 体固め)長州
第1回のMSGシリーズは長州にとって、あとの歴史に続く初遭遇がいくつかありました。
まずは、このアンドレとのシングル初対決です。当時は子供扱いなんて表現もされましたが、今となってはここが"アンドレをボディスラムで投げたレスラー"としての布石と言えるかもしれませんね。
5月17日 栃木県体育館
第1回MSGシリーズ決勝リーグ 45分1勝負
アントニオ猪木vs長州力
猪木(8分43秒 コブラツイスト)長州
そして記念すべきアントニオ猪木との初対決も、このシリーズに実現しています。
試合開始直後、長州は、なんとドロップキックで奇襲という後年では考えられない戦法で猪木に先手を打ちます。しかし当時、得意技のひとつとしていたサイド・スープレックスをコブラツイストにスイッチされ、初対決は無念のギブアップ負けとなりました。
猪木に対し先制攻撃に勝負に出た長州だったが、最後はコブラの前に撃沈した
これが猪木と長州の長い長い戦いの始まりだったんですね。心に染みます。
5月18日 山形県 酒田市体育館
第1回MSGシリーズ決勝リーグ 45分1勝負
藤波辰巳(13分29秒 回転足折り固め)長州力
猪木戦の翌日は、宿命のライバルとなる藤波との初対決が実現しました。
藤波はこの1月にニューヨークでWWWFジュニアヘビー級王座を獲得し、3月に2年9ヶ月ぶりに凱旋すると人気爆発。大ドラゴン・ブームが起こっている真っ只中で、心身共に絶好調。昇り調子のときでした。
試合は長州がグランドで攻めれば藤波がスピーディーに切り返すという、シリーズ中でもベストバウトの呼び声が高かったという一戦となりましたが、最後は藤波が一瞬のドラゴン・ローリング。ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドを決めフィニッシュとなりました。
初対決は藤波の勢いが勝った
ちなみに藤波は、以降の長州とのシングルのうち同年の11月に行われたプレ日本選手権予選リーグ、翌年の第2回MSGシリーズ、81年の第4回MSGシリーズとシングル4回を、すべて同じ技で勝利しています。なぜ・・・長州には回転足折り固めだったのでしょうか?実は、この謎が湧きあがる試合が、このあとちがう相手でも出てきます。それは一体・・・!?
さて、パート1の締めくくりです。珍しい写真を発見しましたのでご紹介します。
これは第1回MSGシリーズが開催された78年の年に撮影されたと推測される長州の宣伝用の写真らしいのですが、なんとトレードマークである長州のリングシューズの色が白でなく黒なんです。
これは驚きです
若手時代はタイツの色こそ変えれど、シューズは一貫して白。確かレスリング時代も白だったと、昔、聞いたことがあります。今回の引退を意識し始めたとき、少しのオファーが残っている。それが終わったら、もう靴は脱ごうと思っていると口にしていたという長州にとって、リングシューズは、それほどのこだわりだったわけです。しかし、そんな長州が、なぜこの写真では黒いリングシューズを履いていたのでしょうか・・・
シューズの変更プランがあり宣伝材までは撮ったが、何かの理由で実行されなかったのか?それともこの日だけ自分のシューズを履けない事情が急遽できてしまい、他のレスラーに借りたのか・・・もはや真相はわかりませんが、これは猪木の黒のロングタイツ姿やザ・デストロイヤーの黒マスク仕様と並ぶほどの、プロレス史に残る出来事のひとつだと言えそうです。それにしても本当に珍しいですね。貴重な写真です。
ではパート2へ続きます。