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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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プロレス研究所~MSGとプロレス その4 ⑤ 3代目マディソンの時代 1925~1968年~

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その4 ④からの続きです。

探偵「さて、10年の空白からロッカの登場で甦ったマディソン。ロッカが去り、また新しいスターと共に新時代へと進んでいく・・・まさにさらなる新時代へと向かっていく状況ですが、ここは1960年代前半のアメリカとマディソンにもちょっと触れておきたいと思います」

先輩「そうだね、世もだいぶ変化があっただろうからね」

探偵「はい。まず・・・第二次世界大戦で本土に被害がなく、あまり影響を受けなかったアメリカは"復興"という面で早かったので世界経済の面で優位に立ち、1950年代から繁栄をしていきました。しかし、1960年代に入るとイギリス、フランス、ドイツなどの西ヨーロッパや日本が台頭してきたので、その状況が揺らぎ出すことになります」

先輩「そうかぁ。プロレスを追ってきたから見えなかったが、1950年半ばなら日本は高度経済成長の真っ只中にいたわけだからなぁ」

探偵「はい。そんな時期、アメリカ国内はデモや抗議運動が盛んに見られるようになります。社会的な不平等、不正に対する抗議運動、ベトナム戦争へ軍事介入したことによる反戦抗議。そしてキング牧師を指導者とする黒人差別廃止運動、公民権運動です」

1963年8月28日。この日、公民権運動のピークとなった"ワシントン大行進"が行われた。当日は30万人と言われる参加者がリンカーン記念堂前のワシントン記念塔広場に集結。その群衆を前にマーチン・ルーサー・キング牧師は「私には夢がある」という人生差別撤廃を求める歴史的演説を展開した

先輩「1963年8月28日は、リンカーン大統領の奴隷解放宣言から100年目でもあったんだな。公民権運動、黒人レスラーが多かったプロレス界も例外ではない出来事だ(歴史が奏でた哀しみの歌)」

探偵「はい。他には、1961年1月20日。アメリカ民主党のジョン・F・ケネディの第35代アメリカ合衆国大統領就任です。大統領挙では"ニューフロンティア精神"を掲げ、史上最年少の43歳での就任となりました」

大統領選での大統領就任では最年少となったジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。副大統領からの繰り上げを含めるとセオドア・ルーズベルトの42歳に次ぎ史上2番目の若さの大統領となる

先輩「平和と戦争、貧困と豊かさ、無知に偏見・・・当時のこの時代背景に掲げた概念、ニューフロンティア精神かぁ」

探偵「はい。これをもって就任後は冷戦下だったソ連と展開していた宇宙開発競争において、就任4ヶ月後の1961年5月にして"1960年代中に人間を月に到達させる"という"アポロ計画"を発表するなど活気を見せていましたが1962年2月10日には、あわや米ソが全面核戦争寸前にまで至った"キューバ危機"に直面するなど深刻な事態にも見舞われました。しかし就任3年目、46歳になろうとしていたケネディに人生最大の事態が起きてしまいます」

先輩「暗殺事件か・・・」

探偵「そうです。1963年11月22日、テキサス州ダラス市内をパレード中に銃撃され死亡してしまうという"ケネディ暗殺事件"が起きてしまいます」

パーレドにて、暗殺される直前のケネディをとらえた写真。多くの群衆が見守る中、血しぶきを上げ倒れたシーンに全世界が震撼した。この事件のわずか1時間後、元・海軍で射撃経験があったリー・ハーヴェイ・オズワルドが犯人として逮捕されたが、逮捕2日後、ダラス警察署の地下駐車場でオズワルドの移送がテレビ中継されている中、ジャック・ルビーなる人物が現れオズワルドを射殺。事件は衝撃の展開となった。結局、事件はオズワルドの単独犯行とされたが、不鮮明な状況が多く今なお謎が残る事件である

先輩「1960年代、ケネディに・・・公民権運動のキング牧師も1968年に暗殺されてしまうんだったな。歴史的大事件がこれほどまでに起きた、まさに激動の年代だよ」

探偵「しかし明るい話題もあります。一番の話題は、ビートルズのアメリカ進出ですね」

先輩「ああ、山田隆夫とか江藤博利のやってたやつな」

探偵「え!?なんですかそれは?笑点の座布団配りと・・・江藤?誰ですか?」

先輩「知らない?三波伸介の凸凹大学校で変な絵描いてたさ・・・あ、ドレミファドンは?それならわかるだろ?」

探偵「いえ、何を言っているのかすらわからないんですが・・・それがビートルズと何の関係が?」

先輩「なんでもないです。進めてください」

探偵「は、はい・・・ビートルズに関しては、もはや説明もいらないと思うので省略することにして、このときのアメリカでのビートルズの出来事を・・・」

先輩「はい」

探偵「ビートルズがアメリカに進出したのは1964年2月7日。その第一歩を踏みしめた地こそジョン・F・ケネディ空港・・・つまりニューヨークでした」

ケネディ空港に降り立ったビートルズ。空港にはマスコミ、ファンを合わせ1万人もの人々が押し寄せた

先輩「ビートルズが最初に来たアメリカの地はニューヨークだったのか」

探偵「ええ。この来日と合わせたアメリカでのデビューシングル「抱きしめたい」が爆発的なヒットとなったこともあり、とにかく異様な人気だったそうで・・・来日2日後の9日に出演した人気テレビ番組「エド・サリバン・ショー」は視聴率72パーセントという脅威の数字を記録。ビートルズ演奏中はニューヨークの青少年犯罪が起きなかったという話もあるくらいです」

先輩「視聴率72パーセントというのがスゴすぎて見当もつかないんだが・・・とにかくみ~んな、ビートルズを見ていたってことだよな?すごいなぁ」

探偵「恐ろしさすら感じますね。で、このエド・サリバン・ショー出演2日後の11日にビートルズはワシントン・コロシアムで初のアメリカ公演。そして翌12日はニューヨークのカーネギー・ホールで2回目の公演を行うんですね」

先輩「カーネギー・ホール!?2代目マディソン建設のとき名前が出てきた鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーが建てたやつか(プロレス研究所~MSGとプロレス その3 ① 2代目マディソンの時代 1890~1926年~)」

探偵「そうです。ホールは、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団が本拠地としている格式高いコンサートホールだったので、もちろんロックが行われるのは初。異例のことでした」

先輩「ビートルズは1966年には日本へも来日するわけだが・・・今でこそいろんなアーティストがコンサートを行っている日本武道館も、このビートルズが初。異例だったそうだからな」

探偵「当時は日本武道館の使用には右翼団体の反対に国会での議論と、かなり世を巻き込んだようでしたからね」

先輩「ああ~。それに・・・おれはファンというわけじゃなかったから、ビートルズを専門的に聴いたことは一度もないし、楽曲もほとんど知らないんだけど、でもなぜかビートルズの曲は事前に「これビートルズの曲ですよ」と言われなくても、耳にすると不思議とビートルズとわかるんだよ。それだけ浸透している、有名ってことなんだろうなぁ。レコード売り上げや人気だけじゃない。やはり歴史を塗り替えるだけの力、とんでもない影響力を持っていたグループだったんだろう」

探偵「そうですね。今なお熱烈な指示を受けている理由がわかりますね。では、ここからマディソンです」

先輩「ああ」

探偵「1924年にティックス・リカードがマディソンの権利を取得。オーナーとなり、着工からわずか1年後の1925年1月15日に会場と運営を管理する"マディソン・スクエア・ガーデン・コーポレーション"を新しくスタートさせたお話は以前にしましたが、1960年からは、こちらにも変化が見られます」

先輩「そうか。ティックス・リカードから36年にもなるからな」

探偵「はい。まず・・・グラハム・ペイジという自動車メーカーのお話です」

先輩「ん!?自動車メーカー!?マディソンに関係するのか!?」

探偵「そうです。自動車製造業のグラハム・ペイジ・コーポレーションはジョセフ、ロバート、レイのグラハム三兄弟が1927年に創立されたアメリカでは有名な自動車メーカーでした」

1929年のグラハム・ペイジのモデル621セダン。そのデザインに古き良きアメリカの歴史を感じる

探偵「しかし経営不振が続いたこともあり、第二次世界大戦前の1937年には日本の日産自動車へ自動車製作図面に加工や工作の機械をほぼ工場まるごと売却したりと、かなり苦戦が続いていたようなんですね」



グラハム・ペイジのクルセイダー・セダンをベースとして誕生した日産・70型。これがダットサンでなく"日産ブランド""として初の自動車となった

先輩「うむ~。第二次大戦前に日本でこんな車が作られていたのにも驚いたが・・・しかしこのグラハム・ペイジがマディソンと、どう絡んでくるんだ?」

探偵「はい。先にお話したように、グラハム・ペイジは経営状態がよくなかったので、時代の流れと共に自動車製造から撤退するんです。で、1952年からは不動産業へとシフトし、1959年にマディソン・スクエア・ガーデンの40パーセントの株式を購入する、というわけなんですね」

先輩「ふぅ~ん、株式をねぇ・・・」

探偵「そして1960年4月7日にマディソン・スクエア・ガーデン・コーポレーションと、大株主となっていたこのグラハム・ペイジは合併することになります」

先輩「なるほど・・・」

探偵「その後、1960年11月。合併したグラハム・ペイジ・コーポレーションの主宰者であり3代目マディソン・スクエア・ガーデンの立ち上げと運営でも名を連ねていたアーヴィング・ミッチェルフェルトがペンシルベニア駅を所有するペンシルバニア鉄道から、ペンシルベニア駅に"建設"する権利を購入することになります」

先輩「建設!?そうか!もうこの時点から4代目マディソンの建設を計画していたってことなんだな」

探偵「その通りです」

先輩「しかし妙だな?新しいマディソン建てるのに、なんでわざわざペンシルベニア駅の権利なんだ!?駅の近くっていうならわかるけど・・・」

探偵「それは、ペンシルベニア駅を取り壊し、その場所に4代目となる新しいマディソン・スクエアガーデンを建設するからです」

先輩「な!?ペンシルベニア駅はグランドセントラル駅と並んでニューヨークの中心の駅だぞ!?それをぶっ壊すってのか!?」

探偵「そうです。実は第二次世界大戦後、自動車の普及による交通網の発展と、飛行機ですね。航空が発展して路線が広がったことにより鉄道の利用者が急激に減少してしまったんです。さらにニューヨークを含めた東部地区の経済的低下により鉄道での貨物輸送にも影響が出始めていました。このためペンシルバニア鉄道も安定した収益を上げられず、かなり苦しい経営となってしまったんです。そのため鉄道以外の手段で収益を増やす必要があった、というわけなんです」

先輩「それで駅の権利を売却したのか・・・」

探偵「はい。この"建設"する権利を売却したペンシルバニア鉄道は、これにより地下に作られる冷暖房完備の新しいペンシルベニア駅と、その上に建設される4代目マディソン・スクエア・ガーデンの株式25パーセントを手に入れることになるんです」

先輩「それでニューヨーク、マンハッタンの一等地をねぇ・・・グラハム・ペイジもペンシルバニア鉄道も、皮肉にも不振からの方向転換で成功するってわけか。わからないもんだなぁ・・・って、何!?今なんて言った!?」

探偵「え!?」

先輩「地下に作られる新しいペンシルベニア駅だよ。どういう意味だそりゃ!?廃駅にして駅を更地にして、そこにマディソン建てんじゃないのか!?」

探偵「いえ、この計画では地下は地下鉄と郊外通勤電車を有するペンシルベニア駅。そしてその上に我々の知るマディソン・スクエア・ガーデンを建てる、ということなんですよ」

先輩「な、なんだってぇ!!つまり上はマディソン、下が駅ってことなのか!!そんな造りを1960年代にやろうっていうのかよ!?」

探偵「そうなんです。構想図があります」

4代目マディソン構想図

先輩「こ、これは驚いた・・・駅だけじゃない。おれらが認識しているアリーナの他、5000人収容できるサブアリーナみたいなのとかボウリング場とか展示場とかもあるじゃないか。日本で言うなら東京ドームシティの下に水道橋駅を作るってことだろこれ!?」

探偵「そうですね~。かなり壮大な計画ですよ」

先輩「でも、これは実現は一筋縄じゃいかなかったんじゃないのかぁ!?」

探偵「そうなんですよ。まず・・・ペンシルベニア駅は1910年にマッキム、ミード・アンド・ホワイトという20世紀の初めに有名だったアメリカの建築会社が建てたボサール様式、これはヨーロッパの古典様式のことだそうなんですが、大理石で作られた宮殿のような佇まいが見事で、歴史的にも価値のある建造物だったんです」

1910年頃のペンシルベニア駅。圧倒的美観のその造りは、まるで神殿のよう

駅構内もまた幻想的。中央の時計が銀河鉄道999を彷彿させる。ロマンに溢れた駅だ

探偵「このため1961年7月、ミッチェルフェルトがウェスト33ストリートと7番街にあるペンシルバニア駅を解体し、敷地内に新しいマディソン・スクエア・ガーデンを建設するという計画が発信されると、取り壊しには非難と抗議が集中。歴史的建造物保存の声が上がり強烈な反対運動のデモが起こったそうです」

取り壊しが決まってからは駅周辺で連日デモが繰り返された。「SAVE OUR HERITAGE 」は"私たちの遺産を救え"といったところだろうか

先輩「うん、わかる。この駅を見たら壊されたくない気持ちになるよ。だからまず、この歴史的建造物を取り壊すということをクリヤーしなきゃならないよ。大変だ」

探偵「はい」

先輩「次に、いざ取り壊すとなったときの駅の状態だよ。工事中は当然、駅としての機能を止めなきゃならなくなる。でも、いくら鉄道需要が減少してきた時期だったと言ってもニューヨークの中心の駅をそう簡単に止められないだろ!?」

探偵「そうです。1962年3月9日。マジソン・スクエア・ガーデン・コーポレーションは"マディソン・スクエア・ガーデン・カンパニー"に名称変更されると反対派の声もまだ残る中、1963年10月28日、ついに解体作業が開始されます。しかし先輩が察しているように、鉄道の方は簡単には止められませんから解体しながらも駅はしばらく動いていたそうなんです」

解体されるペンシルベニア駅。奥には、あの時計が見える

上の画像と同じ日に同じ構図を中から撮影したもの。外は解体中だが中には通常通り、たくさんの利用者が溢れている

先輩「外じゃ解体してるのに中じゃ時間待ちって、こりゃ末恐ろしい風景だな・・・」

探偵「今だったらコンプライアンス違反で工事ストップになりかねませんよね。しかし解体は進み、ついにペンシルベニア駅は跡形もなく消え・・・いよいよ4代目マディソンが建設され始めます」

建築中のマディソン。世界にも類を見ない壮大なスケールには完成前から驚かされる(1966年10月25日の様子)

先輩「うーん、マクマホン・シニアを軸にWWWFが発足し、ロッカ、ロジャースに揺れ動く、まさに波乱にまみれていた頃・・・3代目マディソンの裏では、すごいことが起きていたんだなぁ」

探偵「そうですね」

先輩「だかな、そんな波乱な1960年代の中、強大な"運命"を持ったレスラーはひっそりと産声をあげていたんだ。そして3代目マディソンと4代目マディソンを跨ぎ、新しい時代をもたらすことになるんだよ」

探偵「新しい時代をもたらすレスラーかぁ・・・」

続きます。


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