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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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Takeover

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どうも!!流星仮面二世です!!

さて、いつもアツき魂を伝えてくれる柴田ファンの駒沢シバティストこと駒シバさん。


その駒シバさんが今回ブログへ書き記した柴田vsオカダへの布石。








素晴らしい。この試合にはボクも特別な思いがあるので、そこに辿り着くまでのこの流れには、胸を打たれました。

あの日のことが思い浮かびます。

『前の試合が予想だにしないタイムで終わり、騒然とした空気が流れた後、間もなくして会場の空気が一変しました。このソワソワ感、これは猪木と天龍がドームでやったときの、あの試合直前に似ています。異様な興奮の、空気です。そんな中、ついにゴングが鳴りました。

“オカダはレインメーカーというマスクを被っている。俺はそのマスクの下のオカダを引き出して闘いたい”

と柴田は言いました。そしてオカダは逆に柴田に

“俺こそ、昔の新日本プロレスのレスラーだ、というようなマスクを被ってるような気がする。それを剥がしてやろうかな”

と言いました。

ボクは4年ほど前、何十年ぶりに観戦したドームでオカダのドロップキックを見て刺激され・・・そしてその日から息子がプロレスファンになり、現在の新日本を本格的に一緒に観るようになりました。

初めは今のプロレスに戸惑い、なんだかわからないことも多かったですが、いろいろわかってくるとおもしろくなり、家族でテレビ観るのが楽しくなりました。ビッグマッチ前はチェックを入れ、家庭でこの試合は、この選手はね、と話すのがうれしかったです。生観戦も数を増し、やがて家族で観戦にも行きました。その試合はレベルが高く、ドキドキしながら興奮しながら観ては、結果に喜び悲しみ、いろいろな思いを巡らせました。そしてそれを同じファン同士で話し合うことが、またできるようになりました。それは本当にうれしいことでした。

でも・・・本当に、ほんの小さな隙間なんですが、心にそれがありました。うれしく楽しいはずなのに、その隙間は・・・なんなのか?

知ってのとおり、ボクは古いプロレスのファンです。そんなこともあり柴田の試合を見るたび、ああ、プロレスを見た・・・と、何度も胸を熱くしたことがありました。オカダによって門を開いてもらい、柴田によって通されたんです。

しかしながら、やはり親、なんでしょうね。この日は会場で息子が好きなオカダに勝ってほしくて声を張り上げていました。

でも、初めこそそうだったのですが・・・グランドの展開、寝そべってのアリ戦法、足4の字、リバースのインディアン・デスロックから弓矢固め、コブラ、卍・・・倒れた相手に、来い!!という、その手、腕、表情。その動きひとつひとつに自分の体が反応し、いつしかオカダと叫べなくなっていました。

そして過った、出かける前の三世の言葉

「お父さんは柴田のTシャツ、着ていかないの?」

柴田の・・・そうだおれは今、何をしているんだ?

そんな思いの中、柴田のパンチ、それは髪の毛を鷲掴みにし眼光をくれる弓を引く右ストレート、ナックル・アローでした。その攻撃を背中から観るボクの目に飛び込んできたのは「闘魂」の2文字でした。体から青白き炎を出しながら背中に浮き出た闘魂の2文字・・・これだ・・・ボクの心の隙間・・・闘魂だ!!これが、おれが知ってるプロレスだ!!柴田、勝ってくれ!!

しかし、その闘魂を真っ向から受けるはオカダ。闘魂のヤドカリを吹き飛ばすかのような攻防を見せます。だが技を出し、受けきって、また技を出して受ける柴田。もはや意志とは別のものが柴田を動かしているように見えました。何が体を動かしているのか・・・そう、闘う魂なんだ・・・

スリーパー、そして柴田の腕を持ったままのオカダへのキック。周りには目を塞ぐ人もいた。悲鳴も聞こえた。オカダが、負ける・・・

「オカダー!!がんばれー!!」

三世の声・・・なんて試合なんだ・・・

しかしオカダは何かを持っていました。反撃・・・でもレインメーカーが打てず、前のめりに。しかし最後、まさに力を振り絞っての、あれは形こそレインメーカーでしたが、ボクにはレインメーカーには見えませんでした。オカダが腕で、意地でぶん殴ったように見えました。そしてその腕は柴田の首を横からぶん殴ったように、こちらからは見えました。

寒気がしました。首の横、頸動脈を締めれば頭への血流が止り脳への酸素不足で気を失います。落ちるというやつです。しかしそれは絞め技の限りではありません。打撃でも首、頸動脈に入れば血流が一瞬絶たれ気を失います。あの技が柴田に決まったときは、まさにその状態ではなかったかと思います。なんて凄まじい・・・

レインメーカーというマスクを被っている。俺はそのマスクの下のオカダを引き出して闘いたい。昔の新日本プロレスのレスラーだ、というようなマスクを被ってるような気がする。それを剥がしてやろうかと・・・だが、オカダも柴田もマスクを剥がし合わなかった。生まれ持った真のストロングスタイルとプロレスのメーンカレント(本流)を行くお互いのスタイルが、最大限でぶつかり合った。純粋にプロレスラーふたりが戦った、それがオカダvs柴田でした。

柴田が、負けた・・・半ば呆然・・・そして涙が溢れんばかりでした。

その横で、三世。オカダが勝てば、いつもは大喜びの三世ですが、この日は

よかったぁ~勝てたぁ~」

と、安堵の表情でした。

そう、三世はそれでいい、本当にいい!!本当に心の底からオカダを応援する、その気持ち。それでこそ真のファンだ。

しかし、おれは・・・

家に帰ると嫁さんが

「子供の手前、言えなかったけど、あたしテレビの前で柴田勝って~!!って泣きそうになりながら祈ってたよ」

そうか、そうだよな・・・

マスクを剥がされたのは・・・ボクらだったのかもしれないな。

(プロレス観戦記:桜の花の咲く頃により)』

この気持ちを引き出してくれた駒シバさんには、もう長く楽しませてもらっています。

ボクが駒シバさんの存在を初めて知ったのは2014年1月28日、レガさんが書いた素敵な記念日という記事でした。

そこから駒シバさんのブログに行き文章を読んだときは「なるほどなぁ~」という言葉が、とまりませんでした。

それまでブログというものには、どこか"形"というものがあるものと思っていました。しかしそれはそういうものを感じさせず・・・たとえばそれは、通常を知りながらもちがう表し方で表してみたり、あるいはその物事に到達するまでにとんでもない角度からやってきてみたり。でも伝えたい真はしっかり通っているという奥深さを感じるものでした。

しかし、なんといっても感じられたのは"愛"でした。やはり、ここに尽きると思いました。

そんな駒シバさんとレガさんはブログを奏でる遥か以前から運命が始まっていたといいます。それは誕生間もない地球に火星ほどの大きさの巨大隕石が衝突し砕け、やがて月を形成したジャイアント・インパクト説のように、原始の惑星レガから誕生した月、シバとの物語だったのかもしれません。

ボクはその歴史には到底及ぶことはできませんが・・・ボクが駒シバさんの存在を知った2014年1月は、奇しくもボクにとってもプロレスが動いた日。運命があった日でした。

アントニオ猪木が引退した1998年4月。以降、ボクの中のプロレスは徐々フェイドしていきました。もちろんプロレスは好きなままでしたので、かつての映像や本は見ていましたが、リアルタイムではテレビはちょっと。たまに観戦こそしていましたが"あまりにもプロレスから遠くなってしまったプロレス"に嫌気が差し、やがて追うことをしなくなっていってしまったのです。

そんな状態になり何年も過ぎた頃。幼馴染みの誘いで、当時小学校3年の息子を連れ15年ぶりに1.4の東京ドームへ観戦に行きました(謹賀新年!!)

初めはなんだかわからず、観戦に苦戦していました。しかし、先にも書いているように、そこでオカダが門を開け、そしてその門の中にいた柴田がプロレスへと通してくれたのです。

こうしてまたプロレスを追うようになりました。それは本当に楽しく、うれしいものでした。新日本プロレスが続いていたから柴田やオカダを見ることができたんだ。だからボクのような古いファンでも、こういう思いができたんだ。こればかりは棚橋に感謝しなくてはならないなぁ・・・とにかくプロレスがこの世にあってよかった。ファンでよかったなぁと・・・日々、そう思えました。

でもボクの心には隙間がありました。満たされているはずの心にほんのちょっとだけ・・・少しだけ隙間があったんです。楽しいはずなのに、何かが、なかった。足りなかったんです。

思えば家族全員プロレス大好きだった生家。金曜8時は必ず茶の間を囲んでいました。だから母親のお腹にいる頃からテレビからのプロレスが聞こえ、生まれて間もない頃からプロレスが見える空間にいました。物心ついたときには、テメェこの野郎!!と闘志を露にし、流血しながら立ち上がり怒りの鉄拳ナックルパートをし、リバースのインディアン・デスロックに己を鼓舞し、トップロープから鷹が獲物を捕るようなニードロップをし、そして、ダァー!!と歓喜するあの姿に心を踊らせていました。それは何年も過ごして、自身の身体に刻み込まれたものでした。

足りないもの・・・それは"闘魂"でした。

いくら投げられても立ち上がる。打たれたら打ってこいと顔を出す。効いているはずなのに、効いてないように相手に立ちはだかる。そういうことをするレスラーは他にもいました。でも、何かがちがっていました。動きひとつひとつに何かが宿っている。肉体とちがう何かがこのレスラー、柴田を動かしているんだ。満たされ、アツくなりました。あの頃に戻ったような気持ちになりました。プロレスに純粋な自分に戻ったような気持ちになれたんです。

こうして3年が経ったとき、ついに柴田とオカダのIWGP戦が実現することになりました。しかし結果は柴田の敗北でした。そしてそれは命に関わる事態となってしまいました。

とっても、やりきれない気持ちでした。当時ボクはTwitterをやっていましたが、駒シバさんは落胆の色が隠せない状態だったように見えました。何かのやり取りで、ボクは「ファンがいれば、いつでも甦りますよ」と入れたことがありました。

しかし駒シバさんはTwitterからもブログからも忽然と姿を消してしまいました。理由はわかりませんでしたが、そのとき、こんなことになるならもっとやり取りしておけばよかった。聞いておけばよかった・・・そう思うことが日を増すごとにボクには沸いてきました。10代、20代、30代。そして40代、50代、60代、70代のファン。層によって、それぞれ思うことがあると思うけど、駒シバさんほどのファンだったなら、あの試合の一番のシーンはどこだったんだろう?と・・・

それは、どんなファンに言われようが、これだけは!!というシーンが自分にあったからでした。それを確かめたかったからでした。

それは"卍固め"でした。

これまでに卍固めを使うレスラーはいました。しかし卍固めを"本当に使えていた"レスラーは正直いませんでした。それは卍固めが形だけでは成り立たない技だったからです。

オカダとの試合前、柴田が煽りVで話した言葉に

「オカダからしたら 俺は時代おくれの存在だから だけど俺は今の新日本プロレスとも勝負しているよ」

というのがありました。

あの試合の柴田には、技、表情ひとつひとつに、その言葉の意味が込められているように感じられました。ハッタリやカッコつけでもなければ、イメージのためなんかじゃない。柴田は今の新日本プロレスとも勝負している。その言葉が本能のまま現れたんだと、そう感じました。

だから・・・あの試合はスリーパーホールドからのペナルティキックではダメだった。卍固めでなければダメだったんです。

「おおっと延髄斬りもう一回!!雀百まで踊り忘れず、三つ子の魂百までも!!長州も本能で返す!!しかし猪木も徹底して攻撃を緩めないっ。傷ついても立ち上がってくその両雄の、戦う男の本能だっ!!さぁーもう一回、卍だー!!(1984年4月19日 蔵前国技館 アントニオ猪木vs長州力)」

「さあパンチ攻撃猪木ーっ!!この辺は猪木ケンカ殺法、インサイドワーク、さあ鬼になった猪木、鬼になった猪木の卍だー!!さぁー卍固めーっ!!猪木の卍固めオクトパスホールドー!!猪木の二十数年間にわたる、その過激なプロレスの原点、卍固めーっ!!(1985年9月19日 東京体育館 アントニオ猪木vs藤波辰巳)」

「さあどうだどうだロープに飛ばしておいてからの卍固めー!!卍固めです!!幾多のレスラーを、エンブレム、勲章ともいうべき卍固めで仕留めていった!!まいったはしていない藤波!!ここが分かれ目だ!!(1988年8月8日 横浜文化体育館 藤波辰巳vsアントニオ猪木)」

だからボクは発せずにはいられませんでした。

「そうですね~!!そして右足をフックしてー!!さぁー卍ー!!乾坤一擲の卍固めだー!!


日本プロレスから新日本創世記、70年代、80年代。大一番、この卍固めで相手を倒すプロレスが、そこにはありました。そんな様々なシーンを、我々は今、柴田によって見るのかリング上!!卍が柴田の体を介して、自らの意思を持ったかのように、オカダに絡みついていきます!!(プロレス名勝負伝~オカダカズチカvs柴田勝頼~パート3より)」

小さな頃から本物の卍固めをその目で見てきた柴田でなければならなかった。新日本プロレスの中で育った柴田でなければならなかった。今の新日本で卍固めは、柴田でなければ意味がなかった、卍固めの意味がなかったんだ。確かに猪木には及ばないかもしれない。でも、闘魂を受け継いだのは柴田しかいない。だから卍固めに意味があった。その卍固めには、闘魂があったんです!!

「やっぱりプロには、世界一の柴田勝頼ファン集団にはかなわねえや」

そんなことはないんですよ。今、好きと思えるなら、そのときその人が世界一なんですよ。だから世界一の柴田ファンとして、あの試合の一番のシーンを、今度、聞かせてくれますか?

受け継がれし者の言葉が聞けるその日を、楽しみに待っています。


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