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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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フィッシャーマンズ・スープレックスを辿る旅~祖先編~

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どうも!!流星仮面二世です!!
 
というわけでございまして必殺技を語ろう!今回はフィッシャーマンズ・スープレックスでございます。
 
プロレス界で長きに渡り、団体、男女問わず、いろいろなレスラーに使われている技なのでプロレスファンなら知らない人はいないと思います。今回はこの技を祖先編、小林邦昭編とし、2回に渡りお送りします。
 
さてフィッシャーマンズ・スープレックス。名を聞けば、もはや条件反射で思い描かれるのはもちろん小林邦昭のそれなんですが、まずはですね、小林のフィッシャーマンズ・スープレックス以前に存在した"フィッシャーマンズ・スープレックスの祖先"の技のお話をしたいと思います。
 
それは1984年6月。この年に発売された恒文社のプロレス・アルバム「超大技からオモシロ技まで 必殺技大集合!」を当時、買ったときのことでした。

超大技からオモシロ技まで 必殺技大集合!

技好きのボクは、知っていた技の他、これまで見たことのない技がたくさん載っていたこの本の内容は衝撃的で、買ってきた日はそれはそれはうれしく、ページをめくる度に目をキラキラさせ「すげぇ~」と子供心を踊らせたものでした。
 
そんなトキメキが溢れんばかりのこの本でしたが、当時ひとつだけ気になったことがありました。そこには、こんな写真が載っていたからです。

これは・・・!?

この写真の説明には
 
「日本では小林邦昭の専売特許のようなフィッシャーマンズスープレックスは、すでに昭和55年ミスター・レスリングが初公開していたのでした(原文まま)」
 
とだけありました。なんだか、やけに知ったかぶった、ちょっと上から目線の失礼な説明文にイラっときましたが、見ると確かにフィッシャーマンズ・スープレックスの形ではあります。これは一体、なんなのでしょうか?
 
というわけで、まずはこの積年の謎を紐解いてみます。
 
この技を使用していたミスター・レスリングは1934年、アメリカ、ニューヨーク出身。本名はジョージ・ウッディン。日本ではティム・ウッズの表記で馴染みのマスクマンでした。

ミスター・レスリング
 
ミスター・レスリング(以下ウッズとします)はプロレス入り以前はコーネル大学、オクラホマ州立大学、ミシガン州立大学の3つの大学に在籍し、なんと農業工学と機械工学の学位を取得していたという、大変に頭脳明晰な方だったようです。

そして同時に大学でやっていたレスリングでは強豪選手で、その実績は1955年と1957年にAAU(アマチュア運動連合)の全米選手権をフリースタイルで2度優勝(3度との記述もあり)1958年と1959年はNCAA( 全米大学体育協会)のレスリング選手権でフリースタイルで2年連続で準優勝という輝かしいものだったということです。うーん、学業もスポーツも優秀というスーパーマンだったんですね。
 
その後、1963年。28歳頃にプロレス入りし、素顔でファイトしていたそうですが1965年にネブラスカのプロモーターの発案でマスクマンのミスター・レスリングに変身。この年代のマスクマンというのは必ずヒール、悪役だったんですが、ウッズは実績のあるレスリング技術を武器に反則をまったくやらない正統派マスクマンとして活躍し、大変に人気があったと、いうことなんですね。

ジョージア地区では同じく正統派マスクマンのミスター・レスリング2号(ジョニー・ウォーカー)との正義のマスクマン・タッグも人気だった
 
そんなウッズの現役時代の日本への来日は全日本プロレスへ4回で、そのうち最後に来日したのが昭和54年。1979年の世界最強タッグになりますので・・・話を戻しますと、最初にあった「超大技からオモシロ技まで 必殺技大集合!
」の画像の説明文は80年ではなく、79年のもの、ということになります。
 
で、技の方です。改めて見てみても形はフィッシャーマンズ・スープレックスですが、よく見てみると我々の知っているフィッシャーマンズ・スープレックスとちがい、投げる段階から首と足がガッチリとクラッチされています。それに、相手の頭の位置も我々が知っているそれより低い感じに見受けられますね。
 
この技は、どういったものだったのか・・・一見したかったのですが映像はなく、内容が記してあるものも残念ながら見つけられませんでした。
 
そんな中、わずかながら詳細が見られたのが2011年5月に発売された「発掘!日本プロレス60年史 凄技編 時代を創った必殺技」 でした。

発掘!日本プロレス60年史 凄技編 時代を創った必殺技

そこにあった
 
「流智美の幻の凄ワザ大発掘!」
 
のコーナーで、この技を流さんが解説していましたので抜粋してみます。
 
「この技は1979年11月に来日したときのミスター・レスリング(正体はティム・ウッズ)が全日本のリングでよく出していたが相手の脚を両手グリップで固めたままの危険な投げ技で、フィニッシュ・ホールドとして使われたことはなかった」
 
なるほど・・・どうやらこの技は、ウッズが過去に来日した4回のうち、最後に来日したこのシリーズだけに何度か使用が見られた技のようです。しかしながらこの79年の世界最強タッグは開催期間が11月30日~12月13日のわずか14日間しかなかったので、実際に見れた回数は、そう多くはなかったのではないかなと予想されます。
 
また、本文では他に小林のフィッシャーマンズ・スープレックスと比較すると「ゴツゴツ感」という言葉で表されており、ブリッジを効かせたスープレックスというよりは、この形で上げて落としていたような感じが伺えました。
 
このあたり・・・実は89年4月に全日本プロレスの「89チャンピオン・カーニバル」にハーリー・レイスがプロレスラーとして最後の参戦をしたとき、独特のフィッシャーマンズ・スープレックスをフィニッシュとして使っていたのですが・・・

レイスの得意技のブレーンバスターの軌道で上げて落とし、そのままフォールするこの技は「フィッシャーマンズ・バスター・ホールド」と表記されることもあった
 
もしかしたらウッズの技は、こんな感じだったのかな?と想像してみたりもしましたが、やはり真意は謎のまま・・・あまりに資料がなく解明が困難です。しかし、この形を見てしまっては、どうしてもその真意が知りたくなります。
 
ということで、ここで視点を変え、ウッズ最後の来日となった1979年より以前の技に何か解明のヒントはないか調べてみます。すると、この写真から5年前の1974年に全日本プロレスで行われた「第2回チャンピオンカーニバル」に初参戦したとき、こんな技を使っていたことがわかりました。

首と足をクラッチし、倒立してフォールする片エビ固め
 
芸術的フォルムがテクニシャンな空気を漂わせる見事な技ですが、見方によれば、このままブリッジしたならまさにフィッシャーマンズ・スープレックスです。その入り方は一体どのようなものだったのでしょうか?
 
この技は1976年7月号の別冊ゴングのミニ・ページ「新・プロレス殺人技300写真解剖」に「ローリング・ネック・クラッチ(回転首固め)」という名前で解説が載っていましたので読んでみます。

別冊ゴング 1976年7月号

「ミスター・レスリングことティミー・ウッドが考案した新型のエビ固め。これは相手をロープに飛ばし、リバウンドで戻ってくるところを狙ってサッと首と片足を取り、そのまま ローリング(回転)しながらマットに引き倒し、フォールの格好に決めると同時に自分の体を垂直に立て……ちょうど逆立ちでもしているような格好のままフォールするもの。レスリング自身は「これはレスリング・スペシャルだ!」と称している(原文まま)」
 
なるほど。おそらくこれは、ロープから返ってくる相手にカウンターで足を入れないスモール・パッケージ・ホールド、首固めをし、そこで倒立するような・・・そんな形の技だったと想像できます。

かつてはネック・クラッチと呼ばれていたスモール・パッケージ・ホールド
 
そこでピンときたことがあるんですが・・・
 
レスリングにはプロレスでいうところの「片エビ固め」のような、首と足を取りクラッチしてフォールする技があります。やり方としては、ガブって相手のサイドに回りながら相手の片足に手を掛けて転がしながらクラッチしフォールに持っていったり、腹ばいの相手のバックを取った状態で首と足を取り、相手をコントロールしながら丸めていきクラッチしフォールに持っていったり・・・簡単に言うと、そんな感じになります。また、自発的でなく、グラウンドの動きの中の流れでクラッチが取れ、そこからフォールになる場合もあります。技名はなく、ボクらの頃はクラッチしてフォールするので単に「クラッチ」と呼んでいました。
 
それと、これもあまり知られていませんが、レスリングには「パンケーキ」という技があります。いやいや、いくらなんでも、そんなおいしそうな名前の技あるわけないでしょ。と思うかもしれませんが、これは片足を取られたときのカウンター技で・・・たとえば左の片足を取られた状態なら、そのまま自分の左腕で相手の首を巻き込み、右腕で相手の左足を取りながらクルンと回転させ丸め込むという、まさしくスモール・パッケージ・ホールドのような技なんですね。
 
これらの技は、元々頻度が高くはなかったので、おそらく今では使われるどころか知っている人も少ないんじゃないかなと思います。そんな「クラッチ」や「パンケーキ」なんですが・・・もしかするとウッズはレスリング時代、こういった丸め込む技が得意だったんじゃないのかな?と思ったんですよ。
 
28歳という遅い年齢でのプロレス転向だったので、デビュー後もレスリングベースで勝負していて・・・そのためプロレス転向後も、こういったテクニックを使用していましたが、単にそれだけでは地味だったため、これに回転や倒立、投げを加え、プロレス流にアレンジして得意技として使っていたのではないかなと・・・そんなことがちょっと頭を過ったんです。
 
しかし、それはあくまでボクの仮説なので、その真実はわかりません。でも、小林邦昭のフィッシャーマンズ・スープレックスが「投げ技系」とするなら、ミスター・レスリングのは「丸め込み系」であると、こう言えるのは確かだと思います。
 
結局、その後ミスター・レスリング、ティム・ウッズが来日することがなかったので、このフィッシャーマンズ・スープレックスの祖先は日本では見られなくなってしまいますが・・・もしウッズが80年代も来日し続けていたなら、プロレス界での丸め込み技の歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。
 
さて、ミスター・レスリング、ティム・ウッズの技を見てきましたが、ウッズ最後の来日から3年後の1982年10月。いよいよ小林邦昭によってフィッシャーマンズ・スープレックスが公開されることになります。
 
次回へ続きます。

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