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名レスラー伝~スーパー・デストロイヤー大全集 3~

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どうも!!流星仮面二世です!!
 
さて、スーパー・デストロイヤー大全集2からの続きとなります3回目。最終回は謎のスーパー・デストロイヤー特集です。
 
ここでは調べるとスーパー・デストロイヤーをやったと出てくるが、本当にやったかどうかわからないレスラー。
 
称して
 
「真意不明のスーパー・デストロイヤー」
 
そして、本当に正体がわからない
 
「正体不明のスーパー・デストロイヤー」
 
をお送りします。
 
では行きましょう!!
 
 
◎真意不明のスーパー・デストロイヤー
 

17.サニー・マイヤース

スーパー・デストロイヤー(1970年代末~1980年代初頭?)

 

サニー・マイヤースは1924年1月22日、ミズーリ州セントジョセフ出身。高校時代はレスリングで鳴らし学生王者。プロレス入り後も正統派のテクニシャン・スタイルでファイトしバーン・ガニアのライバルとしてNWA世界ジュニアヘビー級王座を争う間柄だったそうです。また1947年11月3日、アイオワ州でオービル・ブラウンを破りNWA世界ヘビー級王座を奪取(プロレス研究所~MSGとプロレス その4 ② 3代目マディソンの時代 1925~1968年~)現在、歴代王者として名は見られませんが翌年の1月までタイトルを保持していたとのことで、かなりの実力者であったことがわかります。

 

日本へは1960年に初来日。シリーズの参加外国人エースとして力道山の持つインターナショナル・ヘビー級王座に連続で2度挑戦。5月16日、東京体育館で行われた初戦は1-1から3本目が時間切れとなり引き分け。2度目の7月9日、田園コロシアムは1-1から3本目を反則に取られ残念ながら敗れましたが"カンザスの砂嵐"といわれたその実力を見せつけました。

 

そして、この日本遠征時にアントニオ猪木を見てその素質を高く評価。大変気に入り、猪木を自分のところに預けさせてくれないかと力道山に直訴したこともあるそうです。1964年に猪木が海外武者修行に出た際にはコーチとして、リング上ではNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を争う対戦相手として、海外での猪木の師匠的な役割を果たしたと、いうことなんですね。

 

その義理人情は厚く、1966年に猪木が東京プロレスを旗揚げした際には選手として参戦。日本プロレスとの関係上、外国人選手を呼びづらい状況にあったこの団体にジョニー・バレンタインの招聘などレスラーのブッキングにも協力しています。

 

晩年はレフリーとして時折リングに上がり、引退後はミズーリ州ブキャナンで保安官を務めていたというマイヤース。義理人情と正義感・・・風貌然り、まさしくアメリカ版の菅原文太という感じで、その人柄が伝わってきますね。

 

と、まあこのように、そのプロレス人生においてマイヤースがスーパー・デストロイヤーをやる経緯はまったく見当たらず。事実、この情報は過去のプロレス雑誌や書籍はもちろん、ネットにおいては海外のサイトでも一切、見られませんでした。

 

しかし唯一、この情報を掲載しているものが存在していました。それは日本版のWikipediaでした。

 

サニー・マイヤース - Wikipediah

 

この日本版のWikipediaによれば

 

「キャリア晩年の1970年代後半から1980年代前半にかけては、スーパー・デストロイヤーなどを名乗りNWA圏にスポット参戦した」

 

となっていました。

 

つまり年齢にして55、56歳というプロレスキャリアも末期の頃に、マイヤースはスーパー・デストロイヤーとなりリングに上がっていたと、いうことになります。

 

ですが、そのソースはリンクされておらず話の出所は不明。一体どこから発せられた情報だったのか?まったくわからないものでした。

 

しかしです。もはや調べようもなく八方塞がりとなっていたそんなあるとき・・・大全集2のトム・スタントンの項でマスクのデザインのお話をしたと思うのですが、それはその試合映像を見ていたときのことでした。

 

スタントンが相手にエルボーを落としフォールしている最中、映像でいうと3分48秒くらいです。このとき実況アナウンサーが突然

 

「サニー・マイヤース!!」

 

という言葉を発したのです。

 

Super Destroyer vs Mike Dupree Lumberjack Match

 
その後もアナウンサーは何度かサニー・マイヤースの名を発しています。
 
でも、ご覧のようにサニー・マイヤースとはまったく関連のない試合。縁もゆかりもありません。なので意味がわかりません・・・一体なぜ、アナウンサーはこのタイミングでサニー・マイヤースの名を出したのでしょうか?
 
改めて状況を確認してみると、スタントンの対戦相手がロープに飛んだところ、エプロンにいたレスラーが足を引っ張って加勢。転倒したところへスタントンがエルボーを落としフォール。そのカウントが数えられているときに「サニー・マイヤース!!」と発しています。
 
ということは、もしやこいつが・・・
 
サニー・マイヤース!?
 
という名前なのではないでしょうか?
 
ということでさらに調査を進めていくと、サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーとタッグを組んでいる項の文字を発見。試合映像も出てきたので、さっそく見てみました。
 
すると、そこにはなんと!!
 

サニー・マイヤースとコールされるレスラーの姿が!!

 

Mike Edwards & Joe Martin vs Super Destroyer & Sonny Myers
 

この映像はスタントンの主戦場であるカナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーを拠点とするASW(NWAオール・スター・レスリング)でのものだったのですが、そうなんです。驚くべきことに

 

サニー・マイヤースと同姓同名のレスラー

 

が存在していたのです。

 

このサニー・マイヤース(ややこしいので以下、ヒゲ・マイヤース)実況アナウンスによればニューヨーク州ニューヨークシティ出身のようですが・・・カナダはともかく、おそらくアメリカでは知られていない存在。それこそ日本においては今回が初確認になるのではないかと思われます。

 

なんという盲点。まさか同じ名前のレスラーがプロレス界にいたとは・・・


しかし、これにより日本版Wikipediaにあったサニー・マイヤースのスーパー・デストロイヤー情報で考えられる根拠がふたつ浮上しました。

 

ひとつは、まずバンクーバーのASWでヒゲ・マイヤースとスーパー・デストロイヤーが同じヒール軍にいてタッグを組んでいたことにより、名前が連なったことで混濁し誤認してしまった、という説です。

 

ご覧のように「Super Destroyer & Sonny Myers」あるいは「Super Destroyer、Sonny Myers」と名前が並ぶと

 

スーパー・デストロイヤー、サニー・マイヤース

 

と読めてしまいます。

 

これが

 

スーパー・デストロイヤーはサニー・マイヤース

 

と変換されてしまい、いつしか

 

サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていた

 

となってしまったならば、サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていたという情報が上がってしまっても不思議ではありません。

 

で、そこにきて

 

「サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていた」

 

と聞いたならば

 

「ああ、そうだったのか~」

 

と、このヒゲ・マイヤースを思い浮かべる人は、まずいないはず・・・100パーセント、プロレス界のレジェンド、あの"カンザスの砂嵐"の方しか思い浮かばないはずです。

 

つまりサニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていたという情報は

 

サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていたと勘違いした上で、ヒゲ・マイヤースを知らないからサニー・マイヤースとなった

 

という、誤認の誤認により生まれてしまった情報だっのでは・・・なかったのでしょうか?

 

もうひとつは単純明快。ヒゲ・マイヤース自身がスーパー・デストロイヤーをやっていた、という説です。

 

ヒゲ・マイヤースがスタントンのスーパー・デストロイヤーと同じヒール軍であるならば、自身もスーパー・デストロイヤーとなりスタントンのタッグパートナーとして、あるいはシングルプレーヤーとしてリングに上がっていた可能性は十分。考えらる話です。

 

これなら"サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていた"ということは理論上、事実ということになります。

 

しかしこれが正しかったとしても、やはり


「サニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていた」


と聞いたなら、先の話と同じようにヒゲ・マイヤースを思い浮かべる人はいません。サニー・マイヤースと聞いたなら"カンサスの砂嵐"のサニー・マイヤースしか出てこないはずです。

 

なので、この場合は

 

スーパー・デストロイヤーになったサニー・マイヤース(ヒゲ・マイヤース)とサニー・マイヤースをまちがえてしまった

 

という、摩訶不思議な現象により生まれてしまった誤報だったとは・・・言えないでしょうか?

 

このふたつの仮説のどちらかが正しかったとしても、本当にサニー・マイヤースがスーパー・デストロイヤーをしていたとしても。日本版Wikipediaにある

 

「キャリア晩年の1970年代後半から1980年代前半にかけては、スーパー・デストロイヤーなどを名乗りNWA圏にスポット参戦した」

 

という内容に行き着くことは可能です。

 

はたして情報はヒゲ・マイヤースから生まれた誤報だったのか?それともサニー・マイヤース本人がスーパー・デストロイヤーをしていたという確報だったのか?

 

サニー・マイヤースのスーパー・デストロイヤー。信じるか信じないかはあなた次第です。


 

18.ケリー・ブラウン

スーパー・デストロイヤー(1983年~1984年?)

 

さあこちら、似てますが橋本真也じゃないですよ。

 

ケリー・ブラウンは1958年2月3日、カナダのマニトバ州出身。1979年12月に地元でデビュー。その後、1980年からは叔父であるブルドック・ボブ・ブラウン(諸説あり)がファイトしていたカンザスシティに転戦。のちカナダに戻りカルガリーのスタンピードレスリングでファイトするようになります。

 

そして1983年12月19日(テレビ放送は12月30日)新日本プロレスのカナダ・バンクーバー決戦で日本のプロレスファンに初お目見えします。

 

1983年12月19日、カナダ・バンクーバーのアグロドームでバッドニュース・アレンの代打として猪木の対戦相手に抜擢されたブラウン。試合は大流血となったが見事メインという大役を果たした

 

この猪木戦をキッカケに新日本プロレスへは4回来日。日本での印象は黒星先行ですが、185センチで130キロと大型ながら動きは小気味よく、受け身に長けていたレスラーでした。アメリカ本土に定着し経験を積めばアドリアン・アドニスのようなタイプのスター選手になれていたレスラーだったと思います。

 

そんなケリー・ブラウンがスーパー・デストロイヤーを名乗ったのは1983年~1984年。NWAセントラルステーツ地区でだったというのですが・・・

 

しかしこの情報もサニー・マイヤースと同じく過去のプロレス雑誌や書籍では見られず。海外サイトにもその情報は皆無で・・・唯一、情報が掲載されていたものは、これまた日本のYahoo!知恵袋のみでした。

 

スーパーデストロイヤーって何人いたんですか。 - 私が確認しているスーパ... - Yahoo!知恵袋

 

ここにケリー・ブラウンの項にて

 

「83年~84年にセントラルステーツ地区でSDに変身している。」

 

とあったのです。

 

その真意を確かめるべく調べてみましたが、この時代のケリー・ブラウンはカナダのスタンピート・レスリングやAGPW(アトランティック・グランプリ・レスリング)でファイトしていたようなので、NWAセントラルステーツ地区でファイトしていたという点にはやや疑問が残りました。

 

そこで正体に関係なく1983年~1984年にNWAセントラルステーツ地区で試合に出場していたスーパー・デストロイヤーがいたかどうか?を調べてみました。

 

すると1983年8月5日にミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムでジョージ・ウェルズと、同年10月21日に同じくミズーリ州セントルイスでデビッド・フォン・エリックの持つミズーリ州ヘビー級王座に挑戦という、ふたつの試合が出てきました。

 

これにより、この時期にNWAトライステート地区でスーパー・デストロイヤーが試合をしていたことは明らかとなりました。あとはその正体がケリー・ブラウンであるかどうかです。

 

そこで実態を見てみます。まずは1983年8月5日の方。ミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムで行われたジョージ・ウェルズ戦のスーパー・デストロイヤーの試合です。

 

わずかな情報でしたが、こちらは写真が掲載された本が見つかりました。ということで、これがそのときのスーパー・デストロイヤーなんですが・・・

 

この姿は・・・

 

う~ん、これはどう見てもスコット・アーウィンのスーパー・デストロイヤーですよねぇ・・・?

 

そして、もうひとつの試合。10月21日にデビッド・フォン・エリックのミズーリ州ヘビー級王座に挑戦した方は手持ちの資料に写真、画像がなく、その姿を確認することができませんでした。

 

が・・・なんと海外の方でTwitterにこの試合のことを上げている人を発見しました。

 

 

その内容は

 

「NWA Missouri Heavyweight Champion David Von Erich armdrags The Super Destroyer (Kerry Brown) in St.Louis, Missouri back on October 21,1983」

 

"1983年10月21日にミズーリ州セントルイスでNWAミズーリ州ヘビー級チャンピオンのデビッド・フォン・エリックがスーパー・デストロイヤー (ケリー・ブラウン)をアームドラッグに取る"

 

というものでした。

 

驚くべきことに、これまでどんなに探しても見つからなかった「ケリー・ブラウンがスーパー・デストロイヤーをしていた」という情報が、ここにはハッキリと記されていました。

 

これはケリー・ブラウンがスーパー・デストロイヤーをしていたという、おそらく世界で唯一の情報になると思います。いよいよその全貌が・・・と改めてTwitterの画像を抜粋。しかし、よく見てみると・・・

 

これ・・・ケリー・ブラウン!?

 

うーん、これは・・・投げられている後ろ姿という非常にわかりづらい状態ではありますが、あの独特なアンコ型をしているケリー・ブラウンにはちょっと見えませんねぇ・・・

 

チラリと見えるマスクの星形、そしてコスチュームのデザイン、カラーも1983年8月5日のジョージ・ウェルズ戦のときのスーパー・デストロイヤーと同じものに見えます。なのでこれもスコット・アーウィンなのでは・・・ないでしょうか?

 

1983年のスコット・アーウィンはスーパー・デストロイヤーとしてGCW(ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)やMSWA(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション)など南部でファイトしていましたが、同じNWA圏へは勢力的に参戦していた時期であるので、セントラルステーツ地区へもスポット参戦していたということは十分、考えられます。

 

ということはケリー・ブラウンがスーパー・デストロイヤーとなっていたという情報は、そもそもが誤りだったのでしょうか?それとも知らないところでスーパー・デストロイヤーを名乗りファイトしていたのか・・・とにかく、正体不明のマスクマンならぬ詳細不明のマスクマンと言わざるをえないケリー・ブラウンです。

 

 

19.ゲイリー・ロイヤル
スーパー・デストロイヤー(時期不明)
 
すいません。こちらは顔のわかる鮮明なものが見つからなかったのでno photoとなります。
 
ゲイリー・ロイヤルは、まず生年月日が不明です。出身はノースカロライナ州チャイナグローブ出身、ミズーリ州カンサスシティ出身と諸説あり、このあたりはわかりませんでした。
 
わかったことは1975年デビューで、1978年、ケンタッキー州レキシントンにてアンジェロ・ポッフォが旗揚げしたプロレス団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)に参戦しており88年に全日本プロレスに来ましたリップ・ロジャース、リック・スターと「コンバーチブル・ブロンド」というチームを結成しファイトしていた、ということです。
 
コンバーチブル・ブロンド。向かって右側がロイヤル
 
その後、どのエリアにどれくらいいたのか?これまた不鮮明だったのですが、タイトル遍歴から追ってみると1985年3月7日、カンザス州カンザスシティでまだミッドナイト・ロッカーズになる前のマーティ・ジャネッティを破りNWAセントラル・ステーツTVヘビー級王座、これは蝶野正洋が海外武者修行で王者になったこともあるタイトルですね。このタイトルの王者になっており同年11月15日にアート・クルーズに破れるまで約8ヶ月、保持している記録が残っています。
 
そして同時期の1985年の8月。この年の8月1日にザ・コブラがNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を返上。のち、同月中にデニー・ブラウンが新王者として認定されると8月15日。ミズーリ州セントルイスで、そのデニー・ブラウンにロイヤルが挑戦。これに勝利し第68代のNWA世界ジュニア・ヘビー級王者となっている、ということなんですね。こちらは約1ヶ月後の9月21日、ジョージア州アトランタでデニー・ブラウンに奪回されているので短期政権でしたが、このようにヘビー級、ジュニアヘビー級の両タイトルを同時に保持するあたり、その活躍度合いが伺えます。
 
その後、1988年から1989年頃にはバリー・ウインダム、マグナムTA、ダスティ・ローデスらとも対戦している様子も伺えますので、このあたりからNWAミッドアトランティック地区で長くファイトしていたのではないか?と予想されます。
 
こんな試合もありました。
 
 
また、おそらく短期間だとは思うのですがWWFでファイトしている姿も確認できました。
 
 
このアルティメット・ウォリアー戦は1989年4月に行われたレッスルマニア5の直前の試合ではないかなと思います。日本へは来日したことがないロイヤルですが、アメリカでは中堅どころでなかなか活躍していたのではないかなと考えることができそうです。
 
さて本題ですが、プロフィールの中に過去のリングネームとしてスーパー・デストロイヤーと記されているものは存在したものの、その時期の詳細、写真などは一切出てきませんでした。
 
しかしマスクマン遍歴は見られ、グラジエーターズのグラシエーター1号。そしてクルーエル・コネクションとタッグチームでのマスクマンで活動している期間が確認できます。パートナーはどちらもジョージ・サウスというレスラーで行っていたようです。
 
このうちのクルーエル・コネクションに関しては1988年から1989年頃まで末期のNWA、WCWとメジャーどころでやっていた模様で、プロレス中継のテレビでは頻繁に登場。なかなかの人気を得ていたと、いうことなんですね。
 
クルーエル・コネクション。おそらく向かって右側がロイヤルと思われる(というか、なんでこんなアオムシみたいな色なんだろうか?)
 
しかしスーパー・デストロイヤーに関しては、いつ、どこで、どのようにしていたのか?本当にやっていたのか?まったくわかりませんでした。
 
何かご存じの方いらっしゃいましたらご教示よろしくお願いいたします。
 
 
20.ジャック・ビクトリー
スーパー・デストロイヤー(1989年から1990年の間?)
 
ジャック・ビクトリーは1964年7月3日、ニュージャージー州アトランティックシティ出身。1984年、ビル・ワットのUWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)にてデビュー。早々からザ・ブッシュワーカーズ。のちのシープハーダースですね。この旗持ちとなっていたそうです。
 
ブッシュワーカーズのセコンドとして活動していたグリーンボーイ時代のジャック・ビクトリー
 
1985年からはUWFでファイトする一方、エリック王国のWCCW(ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)へも参戦。エリックスと抗争するなどUWF、WCCWを行き来しながらここで長くファイトします。
 
1988年からはNWA末期のジム・クロケット・プロモーションだったMACW(ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング)にUWFが買収されたことによりそのまま継続参戦。ここでポール・ジョーンズをマネージャーとしマスクマンのロシアン・アサシン2号へと変身。デビッド・シェルダンというレスラーが1号となり、タッグチームのロシアン・アサシンズとして活動したそうです。
 
同年11月よりMACWがWCWに買収されたことにより、このときもまた継続して参戦。で、1989年6月にリングネームをジャッコ・ビクトリーに変え、リップ・モーガンとニュージーランド特殊部隊タッグのニュージーランド・ミリティアを結成します。
 
その後、1990年からはタッグチームの名をザ・ロイヤル・ファミリーとするのですが・・・このニュージーランド・ミリティアとなってからザ・ロイヤル・ファミリーに変更するまでのわずかな間。非常に短い期間にスーパー・デストロイヤーをやったようなんです。 が・・・まったく情報がなく、わかりませんでした。
 
こちらも何かご存じの方いらっしゃいましたらご教示よろしくお願いいたします。
 
 
21.マイク・ショー
スーパー・デストロイヤー(時期不明)
 
マイク・ショーは1957年5月9日ミシガン州マーケット出身。1981年にデビューし、その後カナダ、カルガリーでハート一家と抗争するなど活躍していたそうです。
 
日本へは1984年の世界最強タッグに1度だけ来日。タイガー・ジェット・シンと組んで出場しますがシンの態度に憤怒。仲間割れしリーグ戦を棄権するというなかなかの荒々しさを見せました。
 
84世界最強タッグのファンクス戦でテリーと対戦するショー
 
他にもハンセン、ブロディの行った数少ない6人タッグマッチのパートナーとして試合に出場したりしますが、しかしながら1984年の世界最強タッグはそのハンセン、ブロディ組にニック、レイス組。そしてキッド、スミス組が電撃移籍で初参戦と話題沸騰。豪華すぎるメンバーが集結していたため影を潜める存在となってしまい、あまり日本のファンに印象は残せませんでした。
 
その後、1989年からはWCWに在籍。ここで精神異常者キャラのノーマン・ザ・ルナティックに変身。このテディベア好きのベビーフェイスに転向すると人気爆発となり、会場からテディベアのぬいぐるみを100~200個という、莫大な量をプレゼントされるほどになったそうなんですね。
 
で、WCWに在籍したのは1989年から1991年までらしいのですが、このWCW在籍の3年間のうち、1990年のわずかの間だけスーパー・デストロイヤーを名乗った、ということらしいのです。
 
ということで調べてみたんですが、実はマイク・ショー、デビューしてからリングを離れるまで相当数のリングネームを使っているんですよ。ちょっと見てみると・・・
 
マイク・ストライカー(デビュー当時)
クロンダイク・マイク(1981年頃)
ビッグ・ベン・シャープ(1984年頃)
マン・マウンテン・マイク(1984年頃?)
マカン・シン(1985年頃?1991、1992年)
ノーマン・ザ・ルナティック(1989年頃)
トラッカー・ノーム(1990年頃?)
アーロン・グランディ(1992年頃?)
フリア・ファーガソン(1993年)
バスティオン・ブーガー(1993年)
カズン・マイク(使用時期不明)
ジェド・グランディ(使用時期不明)
ノーマン・ザ・マニアック(使用時期不明)
ウィリアム・デンジャー(使用時期不明)
マイク・ザ・デンジャー(使用時期不明)
 
自分が調べた限りなんですべてとはいえないのですが、15回、リングネームが変わっています。
 
しかしです。調べた結果、過去のリングネームはこれだけ出てくるのに、おかしなことにスーパー・デストロイヤーという超有名なリングネームは、どういうわけか1文字も出てきませんでした。
 
身長185センチ、体重180キロだったというマイク・ショーがスーパー・デストロイヤーをやっていたなら、まちがいなくスーパー・デストロイヤー史上最重量ということになりますが・・・はたしてマイク・ショーは本当にスーパー・デストロイヤーをやっていたのでしょうか?
 
こちらも情報求めております。詳細ご存じの方いらっしゃいましたらご教示よろしくお願いいたします。
 
さて、ここからはマスクマンの真骨頂。正真正銘、正体不明のスーパー・デストロイヤーになります。
 

◎正体不明のスーパー・デストロイヤー

 
22.Unknown
スーパー・デストロイヤー(1970年中盤?終盤?)
 
これは何年か前にYouTubeで見つけた動画なんですが、このスーパー・デストロイヤーが誰で何年頃でどこなのか?まったくわからないんですよ。
 
試合映像があります。
 
 
このレスラー、かなりの大型ですが動きはいいですね。喋れば、インタビューでの話し方はとても丁寧。このレスラーのイントネーションはカナダ訛りの英語ではないか?などYouTubeのコメント欄でも正体探しがやり取りされていましたが、果たして・・・
 
それにしても声、体のわりに高いですね。普通、体が大きいと声帯も大きくなるので、それこそ2メートル近い体型にもなると声は低くなるものなのですが、でもこのレスラーはこれだけ身長あってわりと高い声してるんですよね。これは大きな特長ですね。
 
さて、時代や場所を推理してみましょう。このスーパー・デストロイヤー、映像でのインタビューでインタビューアーを「Mr.Sully」と呼んでいます。そう、これはジョージア、フロリダなどでプロレス実況を担当していた人気名物アナウンサーのゴードン・ソリーですね。
 
ということは当時ソリーが担当していたジョージアのGCW(ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)かフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)が出現場所として考えられます。
 
しかしGCWには1980~1983年はスコット・アーウィンのスーパー・デストロイヤーがいたので、同じ時期のGCWとは考えがたいです。それによく見るとゴードン・ソリーのインタビューがリングサイドで行われていることに気づきます。GCWのスタジオマッチだとインタビューする場所が専用にあったのでGCWの風景とはちょっとちがう気がしますね。
 
一方、フロリダのCWFではよくリングサイドでこうしてインタビューしていた気がします。なのでこれはジョージアではなくフロリダのCWFなのではないかなと・・・調べたところ対戦相手のカール・ファジーはジェリー・ローラーの従兄弟なんだそうなので、やっぱりフロリダの可能性が高そうです。ということで1970年代中盤から後半、1980年の初め頃にフロリダに出現したスーパー・デストロイヤーではないか?と思われます。
 
続いて正体を模索してみます。まずドン・ジャーディンのスーパー・デストロイヤーで考えてみます。確かに身長、体型は申し分なく雰囲気もジャーディンに似ています。そして実際にジャーディンもフロリダでファイトしていたこともあります。しかし、まず声がちがいます。このスーパー・デストロイヤーはジャーディンより声が高いですね。あとジャーディンの最大の特長の左腕の下腕にある刺青がありません。なのでこれはジャーディンではないですね。
 
ビッグ・ジョン・スタッドにも似ているので考えてみると、こちらも1980年の初め頃にはフロリダCWFにも参戦したことがあります。ジ・エクスキューショナー、マスクド・スーパースター2号などマスクマン経験も豊富なので可能性としては高めです。しかし、先にも触れましたがこのインタビューでの声ですね。スタッドもう少し低い声ですし、なにより声自体がちがいます。どうやらスタッドでもなさそうです。
 
ということで、もはやわからないですねぇ・・・名を聞けば、おそらく知っているレスラーなんだと思うんですが・・・残念ながら調べる術もありません。謎のスーパー・デストロイヤー、はたして誰だったのでしょうか?
 
 
23.Unknown
スーパー・デストロイヤー(1982年頃?)
 
これ見て、あれ!?と思った方は結構いたと思います。そう、このマスクは桜田一男のドリーム・マシーンですよね。
 
でも、これもスーパー・デストロイヤーなんです。一体どういうことなんでしょうか?
 
この試合映像が存在するのですが・・・
 
 
まず地区ですがパートナーがヒロ・マツダ、対戦相手がマイク・グラハムということと、会場、リングの背景にCWFの垂れ幕ああるのでフロリダCWFでまちがいないと思います。さらにこの垂れ幕があるということから、同じフロリダでも謎のスーパー・デストロイヤーよりあとの年代。1980年代に入ってからのCWFではないかなと思います。
 
それにしても奇妙なスーパー・デストロイヤーです。確かにマスクはドリーム・マシーン。しかし体つきは、185センチのヒロ・マツダの身長から見るに190センチ以上、おそらく体重も120~130キロくらいはありそうな大型です。体型はそこまで筋肉質ではないですが、動きは悪くないですね。新参者ではなく結構ベテランのレスラーが中身では?という印象を受けます。
 
しかしスーパー・デストロイヤーやるにしては、コスチュームが普通すぎる気がします。これは、おそらく普段は素顔でやっているレスラーが何らかの理由で急遽マスクを被って名乗ったもの・・・だったのではないでしょうか?
 
とにかく依然としてその正体は不明ですが・・・その正体よりわからないのがこのマスクです。なぜドリーム・マシーンのマスクがスーパー・デストロイヤーとして使われたのでしょうか?
 
そのあたり、ちょっと桜田一男の経歴と照らし合わせて推理してみました。
 
まず、桜田がフロリダでファイトしていたのが明らかなのが1979年と1982年。そのうち可能性の高い1980年代の方を見てみます。
 
1980年
桜田がテキサス州ダラスに転戦。「チャン・チュン」というマスクマンになる(チャン・チュンのマスクデザインはドリーム・マシーンと同じ)
 
1982年3月
桜田がフロリダでケンドー・ナガサキとなる
 
1982年10月
桜田がチャン・チュンのマスクを被りドリーム・マシーンとしてジャイアント・シリーズに参戦する
 
要約すると・・・
 
1982年は、日本ではマスクを着用し試合するが、フロリダではケンドー・ナガサキとなったので、もうマスクマンで試合する必要がない。
 
このため、他のレスラーにマスクを流用できる。
 
フロリダで、あるレスラーがスーパー・デストロイヤーをやることになったがマスクが用意されていなかったため、急遽、桜田のマスクを使用しスーパー・デストロイヤーとして試合をした。
 
または、まったくマスクマンをやる予定はなかったが、使用できるマスクがあったため話題作りとして急遽スーパー・デストロイヤーとなった。
 
とは・・・考えられないでしょうか?
 
おそらくこの姿ではほとんど試合をしていないと思われるこのドリーム・マシーン仕様のスーパー・デストロイヤー。対戦相手のブレアーが1982年からフロリダ入りしていることからも、これは1982年のわずかな期間の出来事と、その点だけはまちがいないと言えそうです。
 
それにしてもブライアン・ブレアー。ホーガン、ペトルッチのデビュー戦にこのドリーム・マシーン仕様と、やけにスーパー・デストロイヤーに縁がありますね。


24.Unknown
スーパー・デストロイヤー(1984~1985年頃?)
 
これはマグナムTAの試合映像にあったスーパー・デストロイヤーなんですが・・・
 
 
ダメですね。まったくわかりません。
 
まず、全身黒づくめ。この時点ですでにどうしようもないのですが、そこにきてこの映像です。スーパー・デストロイヤーがアップになるところがないんで、よく映っているところがないのが痛いです。
 
しかも試合はマグナムのワンサイド。このためこのスーパー・デストロイヤーの特長もクセも読み取ることができず・・・誰なのか?まったく予測することができませんでした。
 
186センチのマグナムと比べても引けをとらない身長。肉体の厚みもなかなかあり、体重も120キロ以上はありそうだが・・・

表情がアップで見えるのはこのシーンだけ。マスクデザインはネイル・グアイのザ・ハングマンに似ているが、その表情はまったく伺えず。見当がつかない
 
会場名もわからないのですが、リングのエプロンには大きなNWAの文字。そしてレフリーがトミー・ヤングなので、これはまちがいなくNWAミッドアトランティック地区でのものだと思います。マグナムがこの地区に来て、まだそんなに経ってないときであるとは思うのですが・・・うーん、わからないこと多いですね~。
 
何か情報ありましたら、よろしくお願いいたします。
 
 
◎おまけ
 
25.ピート・ロバーツ
スーパー・デストロイヤー(?)
 
お送りしてまいりましたスーパー・デストロイヤー大全集。最後を飾るのはピート・ロバーツです。
 
え!!ピート・ロバーツがマスク被ってスーパー・デストロイヤーやってたの!!と多くの方が思ってしまったと思います。確かに、あのヨーロッパの伝統、ランカシャースタイルを継承するピート・ロバーツと超破壊仮面スーパー・デストロイヤーは結び付きようがないですよね。
 
実はピート・ロバーツ。ヨーロッパでは"ジュードー"ピート・ロバーツ、または"スーパー・デストロイヤー"ピート・ロバーツと呼ばれていたそうなんです。つまりこれはピート・ロバーツのヨーロッパでのニックネーム、サブ・ネームのことだったようです。
 
本来「破壊者」という意味のデストロイヤー。その卓越されたサブミッションに相手はたちまち破壊されてしまう・・・そんな意味からのネーミングだったのかもしれないですね。

 
ということで3回に渡りお送りしましたスーパー・デストロイヤー大全集。いかがだったでしょうか?
 
本来はすべてのスーパー・デストロイヤーをご紹介していこうと考えていたのですが、今回は2000年までのレスラーでひと区切りとさせていただきました。
 
ボクはスーパー・デストロイヤーというリングネームは、現在では絶滅してしまったものだと思っていました。でも調べていくうち、2000年以降から現在に至るまで、今だアメリカのインディー団体にはスーパー・デストロイヤーと名乗るレスラーが多数存在していることがわかりました。
 
アメリカ50州。そんな広い範囲の中に数あるインディー団体の中で無名のレスラーが名乗っているスーパー・デストロイヤーのすべての情報は、さすがに拾えきれません。
 
調べきれないから・・・それも確かにありますが、でも2000年で区切ったのはそれが理由ではありません。
 
名も知れぬインディー団体でファイトするスーパー・デストロイヤー。その試合映像をいくつか見たことがあります。
 
最初に発見したときは、ああ~まだスーパー・デストロイヤーがいるんだなぁと・・・それは現在までスーパー・デストロイヤーという名が生きていることが実感できる、とてもうれしい出来事でした。
 
でも・・・そう、それはたとえばクリエーター、コンサルタント、ライター、アドバイザー。ユーチューバーや、はてはアイドルもそうです。SNSが発展したことで"暗黙の自称"に拍車がかかってしまったせいか?現在は誰でも"名乗れる"時代になってしまいました。
 
「虎を画いて狗(犬)に類す」という言葉があります。読んで字のごとし、勇猛で迫力ある虎を描いたのに、できあがったら倒れそうな野良犬のようになってしまった・・・というような意味です。能力がないのにあるように振る舞い、できる人のようにそれを行えば、このように結果が軽薄になってしまうのは当然ですよね。
 
本来は知識も経験も技術も能力もない。しかし名乗ることで自身は完全にそれであり、それで生きていくことになります。その結果・・・事は一体どうなるのでしょうか?
 
そう、自分から「名乗る」ことと相手から「名を求められること」は一緒ではない、ということです。
 
だからボクは2000年をひと区切りとしました。そして、また心の底からスーパー・デストロイヤーと呼べるレスラーが大会場のメインのリングに立つ日を楽しみに、ヘビー級マスクマン好きを続けて行こうと思っています。
 
長編へのお付き合い、ありがとうございました。
 

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