どうも。流星仮面二世です。
さて自己の都合で更新ができず、だいぶ遅くなってしまいましたが・・・今回は昨年2021年12月31日、81歳で亡くなられましたストロング小林の追悼を行わせていただきます。
ストロング小林。その名を聞けば、プロレスファンならアントニオ猪木との伝説の一戦が必ず頭を過るのではないかなと思います。
もちろんボクもそうです。でもボクが物心つく頃、プロレスのテレビ中継に小林が登場するということがもうなかったので・・・記憶としてはタレントの"ストロング金剛"としての活躍。コワそうだけどユーモラスな、親しみやすいあのテレビでの姿の方がイメージとしては強くありました。
でも、ある日を境にそんなイメージが一変。プロレスラー、ストロング小林という存在が強大になることになります。
そう、あれは中学1年が終わった春休み。忘れもしません。新日本プロレスのニューウェーブダッシュ'86の最終戦。1986年3月26日、東京体育館で行われた新日本vsUWFの5対5勝ち残り戦、エリミネーションマッチが放送される3月28日の午後のことでした。
「ごめんください~」
「はーい!!(来た来た来たーぁ!!)」
その日、ボクが胸を躍らせて待っていたのは街の電気屋さんでした。
こちらです!!と案内すると、電気屋さんの乗ってきた軽自動車から真新しいダンボール箱が降ろされ、やがてそれがテレビのある部屋へ運び込まれました。そして開封されると、中から出てきたのはナショナルのマックロードGT4のAG-2710・・・そう、この日は我が家に初めてビデオデッキが入った日だったのです。
「(これかぁ・・・すげぇ!!)」
電気屋さんによってテレビへ淡々と取り付けられていくビデオデッキ。その漆黒のボディを眺めながら夢ではないことを確かめます。
「(大丈夫だ。電気屋さんによってまちがいなく取り付けられている・・・)」
目を閉じれば甦る数ヶ月前の光景。そこには、小学生低学年から郵便貯金にコツコツと貯えられていた埋蔵金ともいえる5万円を片手に母親にビデオデッキ購入を直訴する自分がいました。
そう、ビデオデッキがあれば毎週プロレスを録画でき何度も見れるのはもちろん、本や雑誌でしか知ることができなかった過去の名勝負を見ることができるのです。プロレスファンにとってはこれ以上ない究極アイテム。当時のボクからすれば最強にして最後の"まだ見ぬ強豪"だったのです。
しかしその昔、ビデオデッキは超高級品。一般家庭には手が出ない、いわゆる"お金持ちの家"にしかないものでした。なので小学生時代、同じクラスの隣の席のK子ちゃんに
「昨日の欽ドン見た?」
と言って
「今日、帰ったらビデオで見るんだ~♪」
と返ってきたときのその破壊力といったら、カーリーヘアを振り乱しての二階からのヘッドバッドを受けたのも同然。もはや頭の中を真っ白にする以外に道はありませんでした。
しかし時代も移り、80年代中盤頃からはモノラルであれば10万円を切るものも出始め、Hi-Fiでも15万円代からなんとか手が届く存在になり始めたのです。
でも、まだまだ安い買い物ではありません。当然、一介の中学生ごときが自力で購入するのは不可能なシロモノでした。
「全額は無理だけど・・・なんとかビデオデッキ購入を・・・」
と母親に虎の子を差し出し交渉すると
「それだけ気持ちがあるなら残りは出してやっから。兄ちゃんも使うだろうし、ウチでもみんなで見れるしな」
と、ビデオデッキ購入が許可されたのでした。
や、やった!!これでプロレスが好きなだけ見れるぞ!!毎週録画もできるし、自分が生まれる前に行われた試合や幼すぎて記憶もない時代の試合も見れるようになるんだ!!それにスローやコマ送りでも見れるからスープレックスや飛び技の研究もできるようになるぞー!!
しかもプロレスだけじゃない。ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画も録画しとけばいつでも見れるし、好きな歌手が出るときのザ・ベストテンやヒットスタジオも録画できるんだ。さらに、そ、そうか!!もう夜な夜な起き出して11PM見たり、隠れてこそこそオールナイトフジや海賊チャンネル見なくてすむんだ。肉を切らせて骨を断つ。まさに擦り切れるのはビデオテープか己の伝家の宝刀かーっ!!
いやっ!!
ついに取り付けが終わります。そして操作の説明を聞きますが、あまりのうれしさと初めての機器ということから録画の仕方がよくわからず、残念ながら当日の夜に放送された東京エリミネーションの録画は見事に失敗してしまいました。でも気を取り直し、今度は本題ともいえる名勝負のビデオソフト購入へと気持ちを切り替えました。
ボクにはビデオデッキ購入前から買おうと決めていた試合がありました。どうしても見たかった試合・・・それはビデオパックニッポンから販売されていた猪木の血戦十番勝負という全10巻シリーズの2巻目、1974年3月19日に蔵前国技館で行われたストロング小林戦でした。
猪木の名勝負を遡れば必ず名を連ねるストロング小林戦。1954年12月22日に行われた力道山vs木村政彦以来の昭和の巌流島決戦。団体のエース同士の超大物日本人対決。そして「10年持つ選手生活も1年で終わってしまうかもしれない」という過激なセンチメンタリズム発言。それはプロレス界だけでなく世間一般にも伝えられたほどの歴史的大試合でした。
しかしそういった内容よりも当時のボクには興味が、この試合にどうしてもこの目で見たいシーンがあったのです。そう、それは伝説と謳われていた猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドでした。
この時点で試合が行われてから12年が経過していましたが、勢いで猪木の両足が浮いてしまった、首だけですべてを支えた、実は崩れていたなど・・・このジャーマン・スープレックス・ホールドに関しては、いろいろなことが言われていました。でもプロレス関係者が語るそれらが眼中に入らないほどの疑問が、このジャーマン・スープレックス・ホールドにはあったのです。
それは
「なぜ小林の背中全体が着いているんだろう」
という点でした。
そう、ジャーマン・スープレックス・ホールドを受けたなら、通常相手は肩がついて体全体がエビのようになっているはず。しかしこのジャーマン・スープレックス・ホールドは背中全体が着いているのです。それに猪木の腕の位置も小林の腰よりも下、足の付け根付近という不自然な位置にあったことも気になっていました。
普通ではあり得ない形・・・どう入り、どう投げてこうなったのか?それが見たくてたまらなかったのです。
しかしながら過去の名勝負をビデオで見ると言っても、当時プロレスのビデオは高額で、手に入れるのは簡単なことではありませんでした。この血戦十番勝負も然り。シリーズは全巻収録時間が20分以内でしたが値段は1本7000円もするものだったのです。
当然ながら当時はネット注文はもちろん、カード支払もかんたん決済もありません。通販は「現金書留」が主流で、紙に自分の名前、住所、電話番号、そして買いたい品物と送料の合計額を書き現金書留にその紙と金額を入れ送り、早ければ2週間くらいすると品物が届く・・・そんな感じでした。
ビデオデッキに5万円使ったことで残り5000円となってしまった郵便貯金。ビデオは7000円で送料が400円くらい。ここに現金書留の封筒代と書留料を合わせると500円くらいでしたので全部で約8000円という買い物でした。
郵便局に行き残りの郵便貯金をおろし、かき集めたこづかいと合わせ現金書留へ。こうして窓口へと持っていきました。
「(これでスッカラカン・・・でも猪木vs小林戦が見れるんだから)」
その思いの前には微塵の後悔もありませんでした。
こうして注文して2週間後、学校から帰ると待望のビデオが届いていました。
「来たぞ!!猪木vs小林戦だ!!うんぉー!!」
宿題などどこ吹く風。さっそく開封しビデオデッキに投入、再生すると少しの黒画面から、突如として画面いっぱいの血戦十番勝負のテロップと共に迫力ある音楽が流れました。
「うぉぉっ!!売っているプロレスビデオって、こういう始まり方なのか!!」
突然の大音量のオープニングに驚きながらもすぐ映像に集中。やっと見れたと感極まるのもつかの間、向かい合うふたりが映し出される中、すぐさまゴングが鳴り響きました。
「ゴングの音さえも聞こえません、大歓声、蔵前国技館!!柔の猪木か!?剛の小林か!?歓声と声援の飛び交う蔵前国技館。16500人と、超満員です」
という舟橋慶一アナウンサーの声が聞こえるが早く、驚いたのはまず会場の風景でした。とにかくギッシリ。そして画面越しに異様であり大興奮でもあるその空気がガンガン伝わってくるのです。そしてその中からお互いに掛かる声援。これが一体化しワーッと上がるのです。その中で向かい合い間合いを詰めていくふたり・・・なんという闘い。なぜ昭和の巌流島と言われたのかがよくわかりました。
やがて試合をじっくりと見ていくと、その展開ももちろんなのですが、猪木のもみあげ、このときは長かったんだ。タイツも茶色っぽかったんだ。あの本の写真はこのときこっちの角度から撮ってたんだ!!すげぇ!!すげぇぞ!!と、とにかく本でしか見たことのなかったことが次々と目の当たりにされ、驚きの連続で興奮状態が止むことはありませんでした。
しかしそんな中で最も驚かされたのは、ストロング小林のプロレスラー姿でした。
そう、ボクが猪木vs小林戦を見た頃は、小林はストロング金剛という名前でいろいろなバラエティー番組に出ては、にこやかでひょうきんな表情を振りまいていた、そのピークともいえる時期だったのです。
もちろんプロレスラーということは知っていましたが、プロレスをしているところを一度も見たことがなかったボクにとっては衝撃的でした。
まず体の大きさです。それまでの印象ではそこまで感じなかったのですが、プロレスラー時代の小林は非常に大きく感じました。日本人で全盛期の猪木と並んで見劣りしないというのは坂口征二以外ではいなかったのではないでしょうか?かなりのものだと思いました。そして、怒涛の怪力と言われていたのでスタイルはパワーの一点張り、力で押していくタイプなのかと思いきやグラウンドもしっかりしていて、中でもバナナ・スプレッドから猪木の両腕を取ってフォールに持っていったときのその滑らかな移行には驚くばかりでした。パワーとテクニック、それに気迫。この試合は超大物日本人同士の対決でもあるけど実力日本一決定戦と言ってもいいんじゃないか?そんなことも思うほどでした。
こうして様々な発見と興奮の中、試合は終盤へ。ボルテージが上がった小林の鉄柱攻撃で猪木が流血。場外から帰り際、攻勢の小林はエプロンでナックルパートから強烈なブレーンバスター。そして必殺のカナディアン・バックブリーカーで勝負に出ます。これを猪木がロープを蹴りリバーススープレックスでなんとか返すと、不意にヘッドロックにきたところに反撃のバックドロップ一閃。両者朦朧としていましたが小林より一瞬早く回復した猪木が小林の背後に忍び寄ります。ここでついに、本でしか見たことのなかったあのシーンが現れました。
「(これが、こんな、これ、これ・・・)」
圧巻。そのあまりにも圧巻なシーンに呆然とする中、やがて20分というビデオの収録時間の都合で猪木が勝ったあと映像はすぐ終了となり、画面は最初と同じ黒画面となり、やがて砂嵐がチラチラと映る画面に変わっていきました。
砂嵐の、そのチラチラとした画面ををただ見つめるボク。しかし、やがてビデオテープが終わり自動で巻き戻しに変わると、その音でやっと我に返ったが早く、今度は取り憑かれたように何度も巻き戻し20回、30回とそのシーンを繰り返し見始めました。
でも、わかりませんでした。いろいろなプロレスの本に掲載されている写真を見てもわからなかったから映像を見たのに、何十回と見たのに・・・映像を見ても、なぜあの形になったのか?わからなかったのです。
ただ、完全にわかったことかひとつだけありました。それは、このジャーマン・スープレックス・ホールドがあまりにも"スゴすぎた"ということでした。
あれから行く年月が過ぎ、今、このときのジャーマン・スープレックス・ホールドに思います。
あのときのジャーマン・スープレックス・ホールドは組みついて技に入った瞬間、小林のお尻から太ももの裏に猪木の体がスッと深く入り、そこから反り投げる形となっています。つまり猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドにして、あり得ないほど"低く深く入っている"のです。
この"低く深く入っている"ことで自分の重心で相手の重心を上げられなかった・・・いわばテコがあまり効かない形だったと見受けられるのです。たとえば、完全に乗った状態が10とするなら4~ 5しか乗っていなかった状態だったのではなかったかとボクには感じられました。
さらに反りが小さく早く、腕が伸び気味になってしまっているのが見てとれます。このためブリッジが発動してからワンテンポ遅れて小林が投げられる形となり・・・結果、小林の体はまるで時計の長針が暴走したかのように猪木のブリッジされた体を軸にストーンと落ちるように弧を描き、叩きつけられる形となったのです。まさに"ひとり時間差ジャーマン・スープレックス・ホールド"であったのではないかと、言えるのではないかなと思いました。
それにしても・・・ボクは以前、アントニオ猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドを取り上げたことがありましたが
猪木・小林戦に最も近いと思われるものこそマスクド・スーパースター戦のジャーマン・スープレックス・ホールドではないかと思うのですが、それでもこのような独特な形となったのはこの小林戦を除き、あとにも先にも一度もありません。なぜ小林戦だけこの形になったのでしょうか・・・?
ボクらの住んでいる星、地球は「奇跡の星」といわれています。それは現在観測できる範囲において、生命体が生存できることを完全に証明できる星が地球以外にないからです。
誕生してから存在している位置。太陽の寿命と太陽との距離。水が液体で存在できる環境。大気が存在し、なおかつそれが安定できるだけの星の大きさと重力。そして磁場、月の存在・・・これらの条件が奇跡的に重なったから生命が生まれ環境が形成され、35億年も絶えることなく続いてきたのです。もしこれらが少しでもちがっていたなら、地球も火星や水星、金星のような世界になっていたはずです。今こうしてボクらがいられるのも、すべて"奇跡"なんです。
あのジャーマン・スープレックス・ホールドも、そうだったのではないのかな・・・ボクにはそう思えてならないんです。
技術論で説明とか常識で語ったりとか。なんてことじゃなく、プロレスがこの世界に誕生し、ウィリアム・マルドゥーンがプロレスを根付かせ、ジョージ・ハッケンシュミットが海を渡りアメリカに来てフランク・ゴッチと戦って、カール・ゴッチがルー・テーズが、そして力道山がプロレスと出会って、そしてもっともっと!!様々なプロレスの奇跡が重なったから、あのジャーマン・スープレックス・ホールドが生まれたのではないのかなと・・・
他の誰かでは絶対にダメだった。アントニオ猪木が放ちストロング小林が受けたからあの形が生まれ、だから50年も絶えることなく語り継がれてきたのではないのかなと・・・あのジャーマン・スープレックス・ホールドは宇宙において地球ができたくらいの確率。二度と起こり得ない最初で最後の奇跡の形だったのではないのかな?と・・・そう思えてならないんです。
奇跡の星でのプロレスの奇跡。それを見ることができたボクらもまた奇跡だったのかもしれないですね・・・
さて、奇跡を見たその1に続いて、その2では小林の軌跡を見ていきたいと思います。