どうも!!
えー、当ブログはおかげさまで開始より3周年と3ヶ月を迎えることが出来ました!!みなさんのおかげです!!どうもありがとう!!
って、なんだぁその中途半端な3年3ヶ月ってのは!?いやだって・・・パソコンの不調やら自身の体調不良やらあってさ・・・ははは・・・
さぁ、というわけでですね、今回は3周年にできませんでした宿命の記事を日頃の感謝の意を込めまして、やりたいと思います。内容はお待ちかね(でもないか?)こちらで過去にご紹介してきましたプロレス四大必殺技(バックドロップ 、ジャーマン・スープレックス・ホールド 、ブレーン・バスター )の最後を飾りますドリル・ア・ホール・パイルドライバーの登場です。今では見ていても何も感じなくなってしまった感のあるこの技ですが・・・そんな世の中になってしまったこの状態に今、君は何を思う?
では、よろしくどうぞ!!
プロレスはいつも危険と隣り合わせだ。だから厳しい練習をし、どんな技にも耐えられる体を作るんだ。
「そうなんだ・・・すごいなぁ・・・」
幼い頃、プロレスラーを見ると、いつもその肉体に憧れを抱いていた。
しかし、そんな強靭な肉体を持つプロレスラーでも試合で命を落とすことがあると本で読んだとき、衝撃は計り知れなかった。中でもドリル・ア・ホール・パイルドライバー、脳天杭打ちがそれだと知ったときは、プロレスの見方が一変したほどだった。
ドリル・ア・ホール・パイルドライバー、確かに見ているだけで強烈だ。相手を持ち上げ、頭に血が下がるのを待ち、脳天からマットへのめり込ませる・・・自分の全体重がすべて首、脳天にくる。しかも相手のパワーを添えてだ!!
でもボクがプロレスを見るようになってからドリル・ア・ホール・パイルドライバーで試合が決まるというのはほとんどなかった。それほどの技なのに・・・なぜ?きっと本当にドリル・ア・ホール・パイルドライバーができるレスラーがいないからなんだ。当時、子供ながらにボクは勝手にそう決めつけていた。
じゃあ・・・本当のドリル・ア・ホール・パイルドライバーってどんなので、誰がやるやつなんだ!?まったくもってプロレス・キチだ。次から次へとプロレスのことばかり考えが浮かんでくる。ボクはない知識と持っている、ありったけのプロレス本でドリル・ア・ホール・パイルドライバーの原点を調べようとしていた。でも・・・
あれから何十年も経ったけど、未だそこがわからない。一体いつから、この技はプロレスに存在しているんだろう?
実はドリル・ア・ホール・パイルドライバー、誰がどの時期に使い出したのか?どのように考案されたのか?その起源はわかっていないのです。
歴史を遡ってみると、パイルドライバーという名称は1930年代に活躍したというドイツのハンス・シュタインというレスラーの得意技としてその名を見ることができます。しかしこのシュタインのパイルドライバーは近代のプロレスのパイルドライバーではなく、ボディスラムの要領で抱え上げ、高角度で頭から投げ落とすという、今でいうデッドリー・ドライブの形で相手を頭部から投げ落とす超・危険技だったようなのです。日本プロレス時代は名レフリーとして活躍した沖識名はレスラー時代、シュタインと試合をして実際にこのパイルドライバーを受け、その後なんと4ヶ月試合ができなかったという話があるほど。相当に危険な技だったようですねぇ・・・
その後、ハンス・シュタイン以降は駆け出しの頃の野生児バディ・ロジャースが一定期間、フィニッシュにしていたそうですが、この技があまりにも危険な為、いつしか使い手もいなくなり・・・この創世記ともいえるパイルドライバーは歴史の隅に追いやられていってしまったようなのです。
グリーンボーイ時代のバディ・ロジャースのパイルドライバー
うーん、バディ・ロジャースのこのパイルドライバー・・・画像を見てみると、イメージとしては76年4月26日、MSGでのハンセンvsサンマルチノ戦でのボディスラムの失敗の・・・ブルーノが首を折ってしまった、これに近い投げ方だったのかな?という気がしますね。
とにかく、1930年代には、まだボクらの知るあのパイルドライバーの形は世に出ていなかったことになりますね。
さて、その後、鉄人ルー・テーズがバックドロップ、フライング・ボディシザース・ドロップと並び自身の三大必殺技のひとつとして得意としていたリバース・スラムがプロレス界に出現します。
そしてこの頃、時を同じくして生傷男ディック・ザ・ブルーザーが相手を逆さまに担ぎ上げ、銅を締め上げるという技、スタンプ・ホールドを使いだします。
リバース・スラム・・・確かに角度を鋭角にして落とせばドリル・ア・ホール・パイルドライバーのヒントになり得る可能性は十分秘めていますね。そしてスタンプ・ホールド・・・これは説明もなく、いきなり画像だけ見せられたらほとんどの人がドリル・ア・ホール・パイルドライバーの態勢というに違いありません。どうやらドリル・ア・ホール・パイルドライバーのルーツはこのあたりか?と言えそうです。
使い手としてわかっている最も古いレスラーの名は第27、29代NWA世界王者だったブロンコ・ナグルスキーというレスラーのようです。
ナグルスキーはNWA初栄冠時はルー・テーズを下しての王座奪取ということなので、その実力は想像できますが・・・しかし実際にドリル・ア・ホール・パイルドライバーを使っていた記述も写真も、現在となっては確認することはできません。
1940~50年代、アメリカで絶大的な人気を誇り、プロレス外でも知名度が高かったショーマン派の祖、ゴージャス・ジョージもドリル・ア・ホール・パイルドライバーを使っていたという話があります。
ゴージャス・ジョージ
ジョージはボビー・マナコフというレスラーからドリル・ア・ホール・パイルドライバーの手ほどきを受けたらしいですが、やはりブロンコ・ナグルスキー同様、記述や写真でそれを確認することはできません。
ボビー・マナコフ
うーん、これほどの技なのに、考案者は本当に不明なんですねぇ・・・
さて、その原点にミステリアスを見たドリル・ア・ホール・パイルドライバーですが、やはりプロレスファンならこのレスラーでスタートと解釈してもいいのではないでしょうか?そう“狂犬”の異名をとり恐れられたキラー・バディ・オースチンです。
キラー・バディ・オースチン
オースチンは1930年、カルフォルニア出身。レスラー以前は軍に身を置き、レスリング、ボクシングを得意としたといいます。レスラーになってからの得意技はもちろんドリル・ア・ホール・パイルドライバー。オースチンの話ではゴージャス・ジョージが使っているのを見て、自分流にアレンジを加え使っていたといいます。
初来日は62年、日本プロレスの第四回ワールドリーグ戦。アル・スミス、ジョージ・サイモンという2人のレスラーを試合中にドリル・ア・ホール・パイルドライバーで死亡させてしまったというオースチンのエピソードは多くのファンを震え上がらせました。そのためニックネームの狂犬の他、殺人鬼や殺し屋と恐れられたといいます。
ではオースチンのドリル・ア・ホール・パイルドライバー、見てみましょう!!
これがドリル・ア・ホール・パイルドライバーだ!!
これ・・・すごいと思いませんか?ボクは技云々より、この怖さが衝撃でなりません。
オースチンのドリル・ア・ホール・パイルドライバーのこの画像、オースチンの顔は見えますが、相手の顔は当然見えません。でも何か・・・持ち上げられているこの姿は、これ以上ない恐怖におびえているような、そんなふうには見えませんか?
かつてふたりのレスラーがあの世に逝ってしまった技。その技を受けたら、もしかしたら次は自分が!?いや、命が助かったとしても、人の命を絶つような技だ!!おれは大けがをしてしまうんじゃないのか!!いやだ・・・いやだ!!
ナイフを突きつけられれば誰でも怖い。そのあとの恐怖を知っているからだ。しかり、オースチンのドリル・ア・ホール・パイルドライバーもそうだったのでは・・・ないか?たった一枚の写真から、見る者に何を伝えるか?これも今のプロレスが失ってしまったものの、ひとつかもしれません。
さて、その印象は十分伝わったところで・・・オースチンのドリル・ア・ホール・パイルドライバー、その形はいかがでしょうか?そうですね、ボクらがプロレスで見てきたあのなじみのあるドリル・ア・ホール・パイルドライバーとはちょっとちがいますね。注目すべきところはオースチンが相手のタイツを持っていることと、この持ち上げたときの体の姿勢ですね。
まさに脳天杭打ち
そうです、ボクらのなじみのドリル・ア・ホール・パイルドライバーは自分のおなかと相手の背中がフィットしていますよね。しかしオースチンのそれは足で頭を挟んでいる以外、つまり自分の足以外のところは相手に触れていません。どうしてでしょうか・・・?
昭和57年の別冊ゴングにオースチン自身が語ったドリル・ア・ホール・パイルドライバーの話が載っています。
「キミはパイルドライバーの欠点を知っているかね?下手に決めると相手に両手をつかれて脳天へのダメージを全く与えることができなくなるということだよ。その欠点をカバーするのがおれが考えたタイツを引っ張る方法になるわけだ。おれは最初から相手が両手をついてくることを十分に計算している。だからこそ胴を持たないでタイツを引っ張るのさ。胴を持つと相手の両足がおれの上半身に倒れかかってくる可能性があり、最後の着地のコントロールが完全にできない。その点、後ろの半分のタイツを引けば・・・相手は反射神経で“引っ張られまい”として両足を逆に、おれとは反対側の方向に伸ばす。そして、脳天への危険を感じた相手が反射的にキャンバスに両手をついたタイミングを計っても、もう一度、思い切り両手でタイツを引っ張るのがコツだ。要するに辛うじて逆さ立ちでバランスを保っている相手を引っ張るようにして倒すわけだ。そこで最後のタイミング・・・腰と両足をフルに生かして脳天ではなく、後頭部のあたりを狙ってキャンバスに叩きつけるのがベストな方法なんだよ」
つまりドリル・ア・ホール・パイルドライバーは相手を完全に持ち上げ、態勢を作るという動作と、下に落とすという動作・・・ではなく、相手を持ち上げる方向と相手が戻る方向の、横の釣り合いを取りながらという動作と、下に落とす、ではなく、下へ打ちつける!!という動作が相成って成り立つ技、ということだったのかぁ!!
単に形だけじゃない。短所を知り、長所を生かす・・・なぜ必殺技は後世まで残るんだ!?技へ真剣に向き合うこの気持ちこそが、すべての答えじゃないのか!?
ではドリル・ア・ホール・パイルドライバー、見ていきましょう!!
ハリーレイス
ブレーン・バスターと並び、使い手としては名手の域だったミスター・プロレスことハリーレイス。レイスはキラー・バディ・オースチンとの出会いからこの技を使うようになったという話がありますが、百聞は一見にしかず・・・ご覧のようにかつてはオースチン形のドリル・ア・ホール・パイルドライバーを得意としていました。
でもボクらが、見ていた頃はオーソドックスなものでしたよね。ボクはレイスのドリル・ア・ホール・パイルドライバーで記憶にあるのは持ち上げる時の手の組み方、これがねぇ・・・なんとも印象深かったなぁ。普通、ドリル・ア・ホール・パイルドライバーの態勢に入って相手を持ち上げる時って、クラッチを組むか、片手でもう片方の手首を掴んで相手を持ち上げるんだけど、レイスは指と指を絡めるつなぎ方をしていたんだよね。ちょうど午後のひととき、ソファーでコーヒーを飲みながらくつろぐ英国老紳士みたいな手の組み方だったんだ(なんだぁそのたとえは?)
これが子供の頃、妙にゆとりがあるように見えて・・・これがミスタープロレスならではの余裕なんだなぁ~と思ったもんでした。
ディック・マードック
さて、マードックです。やっぱり、ボクらの見ていた頃はオーソドックスなドリル・ア・ホール・パイルドライバー使ってましたけど、実は初期はオースチン式を使っていたんですね。
ブレーンバスター、カーフ・ブランディング、そしてドリル・ア・ホール・パイルドライバー・・・もっとも致命傷となる首から頭部への必殺技を忠実に使うこのあたりにプロレスの天才ぶりを改めて感じますね。それにしてもマードックのイメージとファイトスタイルを見れば、オースチン式は実にしっくりきます。マードックにもってこいの技ですね!!
マッドドッグ・バション
日本では国際プロレスを主戦場にしていたので、動いているバジョンをあまり見たことがないというのがボクらの世代の弱点かも知れません。でもプロレスの雑誌や本、特に百科系の・・・なつかしの広済堂の豆たぬきの本のプロレス・シリーズにはその名を必ず連ねていたので、その印象は忘れがたい存在です。
大流血も微動だにせず、会場狭しと暴れまわり・・・特にラッシャー木村との国際での戦いはすさまじかったといいます。そんなわけでどうしても狂犬、ヒールのイメージが拭えないですが、元AWA世界王者にして、実はレスリングでロンドン五輪カナダ代表にもなっている強者。ときにはラフなしで、レスリング技術だけで帝王バーン・ガニアを追い込んだりしたという話もうなずけます。やはり実力が相成ってのヒールなんですよね。
ダスティ・ローデス
ローデス、ボクらの世代では新日本に来ていたときの、おしりふりふりと手をくるくる回すパンチが思い出されますね。当時子供だった自分としてはおもしろくてよくローデスのパンチのマネをしていた記憶があります。思えばショーマンで技があんまりなかったような印象も受けがちですが、寸分も外さない毒針エルボー・ドロップとこのドリル・ア・ホール・パイルドライバーは名手でした。
ドリル・ア・ホール・パイルドライバー、体重のある選手がやると通常では意識しない安定性のようなものを感じます。エルボーしかり、ウェートも重要な要因であるのかもしれません。
ちなみにボクが初めて見に行った東京ドーム開催のプロレス、92年の新日本の超戦士in東京ドームでは息子ローデスJrとタッグで登場。マサ斉藤・キム・ドクというツウ好みな対戦相手とタッグマッチで対戦し試合を盛り上げてくれました。それにしてもあれは92年だったかぁ・・・うーん、平成もずいぶん経ったなぁ・・・
ボブ・バックランド
ドリル・ア・ホール・パイルドライバーの中でも強烈なジャンピング式の使い手としてバックランドは有名ですよね。
上半身はそのままに、バランスを崩すことなく下半身を跳ね上げ落とす・・・使い手も多かったですが、ジャンピングしてのドリル・ア・ホール・パイルドライバーはバックランドが使い手ナンバーワンと言ってよさそうです。やはり外人にしては胴長・短足なあの体型が理想のバランスを生んだのでしょうかね?
正統派でテクニシャンなレスラーと思われがちですが、キー・ロックをやられれば必ず持ち上げるし、投げ技などは豪快にぶん投げる系のバックランド。実はパワー・ファイター?と思ってしまいますが、その肉体はステロイドなど一切使用したことのないナチュラルなものだそうです。
オットー・ワンツ
元AWA世界王者にして第一回、第二回のIWGPの欧州代表、さらには欧州選手権シリーズで猪木と一戦交えているというあなどれない経歴の持ち主ワンツも、自身の得意技であるプレス系への技の布石として、またはフィニッシュとしてドリル・ア・ホール・パイルドライバーは欠かせませんでした。
あのアンドレをベア・ハッグで持ち上げてしまう怪力に160キロにもなるウェートを乗せて放つこのドリル・ア・ホール・パイルドライバーは確かに効果がありそうです。しかしワンツ、ほとんどテレビに出てこなかったため、あまり印象にないのが残念でしたねぇ。
モンスター・ロシモフ時代はツームストーン・パイルドライバーを得意としていたのは有名な話ですが、アンドレのドリル・ア・ホール・パイルドライバーってどうなのかなぁ?と探してみたところ、おおお!!これはすんげービジョンな!!
アンドレのパワーにこの落差・・・と驚いてる場合じゃない。よく見るとこれタイツを掴んでのオースチン式だ。コワさすら感じますねぇ~!!
テリー・ファンク
画像はテリーですがドリーもよく使っていましたよね。ファンクス共通の技ですねぇ。でもドリーに比べるとテリーの方が技の仕掛けがバタバタしていたような気がします。
そういえばスレーター、デビアス、バックランド、ハンセン、鶴田など、ファンク道場出身はみんなドリル・ア・ホール・パイルドライバー使ってましたね。ファンク道場の基本技のひとつだったんでしょうかね。
ニック・ボックウィンクル
ヒールでやっていましたが、日本のファン的にはなんでもこなすオールラウンド・プレイヤーで通っていたニックもドリル・ア・ホール・パイルドライバーは名手でした。
というか・・・何を使わせてもビシっと決まるんだよね、ニックは。試合もうまいし・・・たとえば他の分野に行ってたとしても、ある程度までは上位に行くような、そんな質だったよね。こういうレスラー、欲しいですねぇ・・・
ブロディです!!これはおなじみですね!!
ブロディのそれは担ぎ上げ、相手の頭に血が下がるくらいじっくりと待ち・・・そして落とすという強烈なものでした。しかしそれよりも強烈な思い出といえば84年4月のPWF認定世界タッグ王座決定リーグの最終戦での、ハンセンとのツープラトンのドリル・ア・ホール・パイルドライバーじゃないかなぁ?
これを食らった馬場さんは試合中に脳震盪を起こし立ち上がれず。後日には首を痛め、現役24年目にして初めての試合欠場を余儀なくされました。
正直、ボクはツープラトンのドリル・ア・ホール・パイルドライバーというのは認めたくないんですよ。技が軽々しく、安っぽくなるのでイヤなんです。
でもこれは超ヘビー級のふたりがあの大きな馬場さんに放ったということで思わず身を乗り出したほど・・・鮮烈に記憶に残っています。落とすとき、馬場さんの体が斜めにズレてしまい高角度のパワー・ボムのように首からいってしまったんですね。当時はそういうことはわからなかったけど、今に思えば失敗してしまった技で、本当に危険でしたねぇ・・・
スタン・ハンセン
さて、ブロディとの合体パイルドライバーでは上から体重をかける方をしていたハンセンですが、自ら単発で使用するときもありました。
新日時代から時折見せていましたが、これはもう馬力のドリル・ア・ホール・パイルドライバーですね!!ハンセンがやるとインパクトの瞬間、相手がバウンドしてたりしたことも多々ありました。ハンセンならではですね。
ジャイアント馬場
あまり印象がないかもしれませんが、実は結構な割合で使用されている馬場さんのドリル・ア・ホール・パイルドライバー。ボクは意外と記憶にあって、なかなか好きでしたねぇ。やはり長身というのが有利に働いていると思いますが、まぁーなんといっても馬場さんがやるから意味があるんですねぇ~。これぞまさに!!
大巧は拙なるが若し
うーん、きょうの茶も格別じゃ・・・ズズズ・・・
ジャンボ鶴田
いやらしいですねぇ・・・あ、いやいや・・・どうも鶴田のドリル・ア・ホール・パイルドライバーって、いやらしかったんですよね。
といってもスケベという意味じゃなくて、なんてのかなぁ・・・鶴田ってドリル・ア・ホール・パイルドライバーやるとき、持ち上げて落とす前にこう、うなずくことがあったんですよ。客席に向かってね、うんうん、みたいなね・・・あれがどうーもいやらしかった、というか・・・なんか余裕綽々でムカっとした思い出があるんですよねぇ。
しかしながら技だけ見れば名手。特にジャンピング式のパイルドライバーは素晴らしかったですね。
天龍源一郎
天龍というとその代名詞はすっかりパワー・ボムですが、パワーボム以前は担ぎ上げればショルダー・バスター、そしてこのドリル・ア・ホール・パイルドライバーを得意としていました。
特にドリル・ア・ホール・パイルドライバーは84年9月、水戸市民体育館で行なわれたリック・フレアーとのNWA世界戦、60分3本勝負においてフレアーから1本目を先取したほど。今では二度と見ることのできない天龍のドリル・ア・ホール・パイルドライバーですが、もしかするとパワー・ボムの源はここにあったのかもしれませんねぇ。
木村健悟
今回のこれにあたり、いろんなプロレス本に目を通しましたが・・・お気づきになった方もいると思います。そうです、ドリル・ア・ホール・パイルドライバーの使い手って外人レスラーか全日本の選手ばかりなんですねぇ。新日本の選手っていないんですよ。
しかしそんな中、古くからドリル・ア・ホール・パイルドライバーを得意技にしていた新日本の選手がいましたね!!誰かって?そうです、我らがキムケンです!!
キムケンのジャンピング式のパイルドライバー、ジュニア時代からそのフォームには定評がありました。ドリル・ア・ホール・パイルドライバーを使う選手は多数いますが、そんな中でも上級クラスの使い手としてファンの間では通っています。もし職場や学校でキムケンのことを聞かれたら、稲妻レッグ・ラリアートとトライアングル・スコーピオン、そしてドリル・ア・ホール・パイルドライバーが得意技さっ、と答えればキミも明日からキムケン博士だぜ(なりたくはないかい?)
そのイメージからどうしても関節技が真っ先に思いつきますが、実は前座時代からドリル・ア・ホール・パイルドライバーは得意技。テロリスト以降も試合の折々で見せていたのでご存知の方も多いと思います。
キムケン同様、新日本では数少ないドリル・ア・ホール・パイルドライバーの使い手でした。画像いかがでしょうか?真っ直ぐに安定した形で放っていますねぇ~。
ところで・・・藤原が出たのでちょっと思い出したんですが、何ですか?今はドリル・ア・ホール・パイルドライバーの類でゴッチ式パイルドライバーってやつがあるそうじゃないですか?
ボクは最近のプロレスのことはわからないので・・・ボクの宿敵でもありますWikipediaでゴッチ式パイルドライバー、ちょっと覗いてみましたよ。それによるとこの解説は、
“アマレスの「がぶり」を切るクラッチの一種で「テコの原理」をもちい、重い相手でも持ち上げやすいからこの形を使い初めたと解説している”
という説明で、現在の使い手である鈴木みのる選手の話ということで載っていました。なるほど、どうやら手の組み方、相手を持ち上げる時の手の位置に違いがあるようです。お時間ある方はゼヒ画像検索して見てみてくださいね。
っと、しかし・・・形はわかったけど、ボクはこれ、ちょっとピンとこなかったんですよねぇ。Wikipediaでの解説では、この手の組み方が、がぶりを切るクラッチの一種というお話でしたが・・・うーん、それはどういう態勢のことをいうのかなぁ?
がぶりというのはレスリングや総合格闘技でタックルを切った際に、相手の頭と片腕を極め、動きを制御する技のことなんですが・・・
でもその態勢でがぶりを切るクラッチというと・・・なんなんだろう?
これ・・・どうしてもわかりませんでした。いや、がぶりからの脱出方法はいくつかあるんですが、今回はパイルドライバーに通じる点じゃないですか?うーん、わからない・・・鈴木みのるは今でこそあんな感じですが、かつては強さをひたすら追求して戦っていたレスラーです。なので何か、がぶりからの技術でボクらが知らないような裏技を知っていての解説だったのかもしれませんね。
と、いうわけでレスリングの「がぶり」を切るクラッチの一種という点からのゴッチ式パイルドライバーはわかりませんでしたが・・・ボク個人的にはね、これなんかゴッチ式のルーツとしてどうかな?と思うんですよ。
このレッグ・ホールドというレスリング技がヒントなんじゃないかなって思ったんですよねぇ。これはタックルでテイクダウンを取られた際、しりもちをついた状態から相手を返してポイントを取るという技なんですが・・・画像、ご覧になってみていかがでしょうかね?ボクはがぶりよりもこちらではないかなぁ~と思うんですよねぇ・・・レスリング出身であるゴッチがもし持ち上げ方をアドバイスしたなら、ボクはこっちじゃないかなぁ?と思うんですが・・・みなさんはどうお考えになりますかね?
では最後にゴッチ式パイルドライバー、見てみましょう。
というわけでこれは先ほどに引き続き藤原嘉明のドリル・ア・ホール・パイルドライバーの画像です。が、手の組み方、おお~これは紛れもないゴッチ式ですね。
やられているのがスーパー・タイガーという味わい深さからもわかるように旧UWF時代のものです。ドリル・ア・ホール・パイルドライバーの名手であった藤原のやるゴッチ式、これは威力がありそうですね。
前田日明
これも・・・やられているのがマッハ隼人なのでわかると思いますが、旧UWF時代のものです。前田のドリル・ア・ホール・パイルドライバーは長身だけに効き目もありそうですが・・・今では絶対に見ることのできない幻の技ですね。
さて、というわけでドリル・ア・ホール・パイルドライバー・・・いかがでしたでしょうか?
ある日、押入れの奥から古い雑誌が出てきた。その雑誌をパラパラとめくると、そこには松田聖子や中森明菜、マッチにトシちゃんらの姿が、これ以上ないほどの光を放ち、写し出されていた。興味を持っていたわけではなかった。でもその雑誌を見たとき、ザ・ベストテンのシーンは鮮やかに脳裏に蘇り、その曲は自然と口ずさむことができた。
今、大所帯で活動するアイドルのグループが活躍している。テレビをロクに見ないボクでさえ、その姿は一日一回、必ず目にする。興味のない人間でさえ、いつのまにかその存在を認識してしまう・・・このアイドルグループにはかわいくない子が多いなど批判的な意見もあるそうだが、実際これほど毎日テレビに出て、ニュースにされることを目の当たりにすると、これは人気のある証拠だと認めなければならないことと思う。
しかし・・・時が経ち、いつの日か押入れから出てきたその雑誌をパラパラとめくったとき、そこに出てきたアイドルグループは見た人の脳裏に何を蘇らせることができるだろうか?何を伝えることができるだろうか?
かつては殺人をも犯してしまったという恐怖の技だったドリル・ア・ホール・パイルドライバー。ボクらはこの技が真に恐怖だった時代を、残念ながらリアルタイムでは知らない。でもモノクログラビアの、その技を見ると写真に吸い込まれ、戦慄を感じずにはいられなかった。
押入れの中から出てきた雑誌のページの中の色あせないアイドル達。大きくなったら乗れるかな?と思った、憧れだったフェアレディZ。大人になったら飲むのかなぁ?と思ったサントリー・レッド・・・何年たっても色あせない記憶。そして知らないはずなのに何かを感じ、何かを思い出す写真の数々・・・
ドリル・ア・ホール・パイルドライバーにはいつまでも、そんな技であってほしいな・・・
では4年目もよろしくお願いします。