その日、ふと気がつくと午後の3時になっていた。
そうか・・・帰ってきて、ちょっと横になっただけだったのに・・・寝てしまったのか・・・
って、あれ!!北海道に行ったのは、ゆ、夢じゃなかっただろうなぁ!?
ちょっと思い出して・・・そうだ、そうだ、夢なんかじゃないよ。まちがいない!!
6月4日、ボクは夕方、茨城空港へ向かったんだ。
かつてここでも紹介したこの空港 は、開港当時は評価は散々な状態で、もはや閉鎖秒読みとまで囁かれていました。そう以前はボクも書いたとおり人もおらず、飛行機が飛んでいるのをほとんど見かけない状態の空港だったのです。
しかし航空会社のスカイマークが精気を奮い起こし、国内便を増やし強化したことと、国内の他、春秋空港も定着を見せ、海外からの客足も伸びていき・・・利用者が年々増えていくという変化が現れ、これが起爆剤となったのか?空港近くにはいつしか道の駅そらら も姿を現し、土日には盛況ぶりを見せるようになりました。
また2011年には日本テレビで大晦日に放送されるダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の
絶対に笑ってはいけない空港24時
にも登場するなど、かつての姿はみじんも感じさせない空港へと・・・そう、あの暗黒期から甦った新日本プロレスのように、この空港は活気が満ち溢れるように変貌を遂げていったのです。
その変貌のおかげで茨城空港→新千歳空港という定期便が確立。空港まではウチからわずか10分・・・まさにこの日のために、といっては過言かもしれないが、かくしてボクは空港から飛行機に乗り、北海道を目指すこととなりました。
高校時代に遠征で行った韓国、そして新婚旅行で行ったアメリカ・・・数えて飛行機は3度目になります。が・・・実はボク、特攻野郎Aチームのコングとタメを張るほど飛行機だけはカンベンな!!そう、大の苦手なんです。
飛んでしまえばなんともないのですが、あの離陸の瞬間がどーも・・・しかしフェリーや車ではとてもじゃないが時間と費用がかかりすぎるから、やっぱり飛行機だ。一念発起、乗るしかない・・・
搭乗時間が来て飛行機へと進むボク・・・それを見送りに来た息子・三世が飛行機嫌いの心中を知ってか、遠くからあざ笑う・・・乗り込むボクに手を振りながら見せるその顔はもはや悪魔の囁きか?やろお・・・
こうして乗り込んで、いよいよ離陸となりました。夕やみ迫る中、滑走路にゆっくりと進む飛行機・・・なんだ、思ってたよりも優雅じゃないか。窓から見える夕方の風景もいい。
筑波山もほんのり顔を出す
しかし滑走路に入ると、ふぐっつ!!い、いきなり加速だったっけ飛行機って!?
ぬおぉーGがかかる!!ごめんやっぱ無理だ、ちょ、ま、ゴーぉぉぉ!!
なんとか気絶はまのがれたが、足だけが異様な汗に包まれていたという・・・
しかし、飛んでしまえばもう大丈夫。こうして搭乗して北へ向かうこと1時間20分・・・飛行機が高度を落としていくと、暗闇の中に特殊な光の配列が見えました。ああ、あれが新千歳空港か!!
ついに来たか・・・
北海道、新千歳空港・・・ここでいよいよレガさんと会うのか・・・
飛行機を降り出口に向かうとさっそくレガさんが連絡をくれました。場所、そうですか!!わかりました。行きまーす♪と緊張と期待の中お返事し、レガさんの元へ向かいます。が・・・
ここは・・・どこ?
北の玄関口である新千歳空港、やっぱり広い・・・加えて、どうやらボクはレガさんが言った方とまったく逆に進んでいたようだ。しょっぱなから、なんて申し訳ない・・・
再び電話をし、お互いの位置を確認しながらキョロキョロしていると、あ、わかりました、今行きます!!というお返事が・・・どうやらボクを見つけたようでした。でも、どちらから・・・と見渡すと、ああ、わかった!!おれもわかった!!
それは背の高い、優しそうなお顔の人でした。胸にはシンボルでもあるUインターのロゴが入ったシャツ・・・近づいてくるこの人が、レガさん・・・
これが・・・レガさんかぁ・・・
若々しきひとすじの夢より、離れて眼を一碧万頃(いっぺきばんけい)なる美術の大河に転じ・・・あの島崎藤村の落梅集にも謳われた、まさに一碧万頃、水面が静かに彼方まで続いているかのようなオーラを身にまとっている。ボクにはレガさんがそんなふうに見えました。6年半かぁ・・・ああ胸がいっぱいだぁ・・・
それと同時に、そう、それにしてもでした。
たとえば友達と思い出話をしていたとして、あのときこういうことあったな~って話をするときってありません?
でも友達はその思い出を覚えているのに、自分は覚えていないときってあると思うんですよ。友達に、ほらぁ~あのときこうだっただろうよ~。って、言われて、ええ?そうだったっけかなぁ?うーん、思い出せないなぁ。なんか思い出しそうなんだけど・・・あれ~ん~・・・ん?って感じで・・・
ボクとレガさんは、ボクが北海道行きを伝えた3月末から約2ヶ月間、毎日メールをしてきました。それはまさに友情の交換日記状態。プロレスのこと、そしてお互いの私生活のこと・・・とにかくいろいろやりとりをしました。だからお互いに知っていることは確かにありました。でもそういう観点からじゃなかったんです。
レガさんの顔を見た瞬間、あれ?って、ボクは何か思い出しそうになったんです。でも、思い出せないんだ・・・あれ?なんだっけかな・・・
うまく言えないけど、そう誰かに、忘れちゃったのか?あのときこうだったじゃないか!?と聞かされても思い出せないような、そんな不思議な感覚でした。
そういえば以前にもこんな感覚が・・・そうだ、独断さんを初めて見たときだ。不思議なんだ、本当に・・・
こうして初めてお会いすることができたレガさんの車に乗せてもらい、ボクらは名物であるスープカレーを食べるため移動を開始しました。偶然にもレガさんの車はボクの車と同じというミラクル。ところで、いつも運転しているボクはこれまでに座ることなかった助手席に乗ったのですが、なんか、これまた不思議な感覚でした。
そして、さっそくいろいろなお話を始めました。
車内ではレガさんプロデユースの猪木戦特集のDVDがすでに流れていたので、すぐさまプロレス談義に突入しました。流れるDVD、これがあのブログで見せるレガ・マジック・・・プロレス活造り、プロレス生け花ともいわれる数々のキャプチャー画像の卵達か・・・すでにゴングは鳴らされた感じだ。すばらしい!!
画面は85年の猪木vsブロディの初対決、そして同じく85年の猪木vs藤波戦とまったくスキがないセレクトで進みます。そんな中、スープカレー屋さんに到着。ラストオーダーは21:00でボクらがインした時は少々時間を過ぎてしまったのですが、お店が快くOKしてくれたおかげでお店に入れ、注文することができました。ボクが大泉洋を好きなことを知ってレガさんがチョイスしてくれたスープカレー屋、ラマイです。
ここで注文を済ませ、改めてご挨拶となった。腰を据え、まずは
「やっと会えましたね!!」
という一言で始まり、この6年半を噛みしめました。そして・・・いろいろなことを話そうと考えてきたんだけど、いざとなると出てこないのが人間なんだろうな・・・もうなんか、うれしくてわからなくなってしまったんだ。でも、こうして会うことが実現しただけで感無量でした。
やがて注文の品が来ました。
おいしそう・・・
ようかんをポッキーのように食べるという都市伝説といえば佐山聡だが、ハバネロをふりかけのようにかけてものを食べるのは何をかくそうこのボク。それくらい辛いのが好きなのでこいつはたまらない一品でした。
と思ったが次の瞬間、レガさんの頼んだそのスープカレーがテーブルに置かれると、ここで激しいデジャヴがボクを襲いました。またもやあれ?あれれ~状態。さらにこの店員さんに、茨城から来たんですよ~と話すと、なんと昔、この店員さんは茨城に住んでいたという・・・こんな遠くに来て、そんな偶然ってあるもんなのだろうか?
さっきの不思議な感覚といい、もしかしてあの飛行機は別の世界へ飛ぶ乗り物だったのではないか?そんな感じすらしてなりませんでした。
レガさんのご厚意でスープカレーをごちそうになり、その後、店を出たボクらはレガさんの案内で夜の会場巡りと相成りました。しかしその前にホテルへチェックインだけ済ませるため、ホテル方面へ。そこで通過したこの場所、これがあの、すすきのか!!
画像ではわかりずらいですが、とにかくすごい!!
ボクは運転士を少しだけやってた時期があるんですが、そのとき夜、というか明け方というか・・・まあ新宿歌舞伎町付近を何度か通過したことがあるんですよ。そのときの歌舞伎町も確かにすごかったけど、このすすきのの光景には圧巻です!!とにかく規模!!距離が長いし、車線が広い!!そこにずらっと並ぶ何十台ものタクシーに行き交う人々・・・まさに北京から杭州を結ぶ世界最長の運河を彷彿させる、歓楽街の京杭大運河だ!!
チェックインを済ませると、当日は雨だったがそんなこたぁおかまいなし。札幌ドーム、月寒ドーム、そして北海きたえーる・・・プロレスの思い出話を間に挟み、次々と出てくる、テレビでしか見たことのかなった北のプロレス総本山に感極まりました。
そして夜も更けてき頃、いよいよあの試合を見ることに・・・
映像はボクの持っているDVD版ではなく、2度に分けて放送されたものをレガさんがひとつにまとめたテレビバージョン・レガスペシャルでした。本当にあの日に見た、あのテレビ放送がそのまま甦りました。
まずは前半、夜に放送された回を見て、途中、北海道でリアルタイムで大泉洋のハナタレナックスを視聴。これが豪華な休憩となり、そして後半、あの土曜日の夕方に見た残り25分が!!
88年8月、ちがう場所にいたボクらが、遠く離れた場所にそれぞれいたボクらが、互いに見た試合を今、目の前で見る・・・
先に見ていた他の試合から、猪木のブリッジ論に始まり、藤波のうまさ、猪木の凄さをボクらは話しました。そしてこの日、画面に映し出される会場にいた同い年くらいのファンたちに、今、会ってみたいなぁ~と・・・そんな話もしました。
やがてこの頃の自分たちが、どんな感じだったかを話し出す頃には試合も後半に差し掛かり・・・気がつくと言葉も少なくなっていました。そう、ボクらは42歳。でもふたりともいつのまにか高校1年の少年になっていました。そう、あの日に戻って一緒に試合を見ていたんだ。病院のベッドで点滴を打ちながら見た。プロレスが好きでない父親となぜかその日、見た。だが今、一緒に見ている。高校1年のふたりが並んで・・・
試合が終わる。藤波の腰に猪木がベルトを巻く。肩車、涙する猪木、藤波。そしてサザンの歌・・・
いろいろな思いが駆け巡った。横を見るとレガさんがいた。話さずとも同じ気持ちなのがわかった。嬉しかった・・・
この後、ホテルへ送っていただき、明日もよろしくお願いします!!とボクらは別れました。このとき時計は深夜2時を回っていましたが、興奮が冷めず、そして明日のことを考えるとまた興奮し、眠るのに一苦労しました。それは久しぶりの、本当に久しぶりの感覚でした。
次回へつづきます。