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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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タッグのことを話そうよ パート1

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どうも!!流星仮面二世です!!


さあ、ということで今回はプロレス界になくてはならないタッグにスポットを当ててみたいと思います。


タッグ、プロレスファンならまず知らないわけがない試合方式です。しかしながら、このタッグがいつから始まったのか?どのように馴染んでいったかは・・・おそらくこれまで誰も考えてもみないことだったと思います。名勝負、連携、友情・・・シングルでは実現できなかった対決の実現や一夜限りの夢のコンビまで!!タッグならでは、というこの深い言葉の意味を探る旅に、さあ一緒に出掛けましょう。


ということでさっそくいってみたいと思いますが、ボクはこのところちょっと忙しいので・・・今回はブロディの一件 以来、久々にあの探偵事務所に調査を依頼しようと思いますヨ。 



ここは茨城の某所にあるプロレス探偵事務所。プロレスを専門にいろいろな依頼に応えていく日本で唯一の探偵事務所だ。そんな事務所に所属する、新人の探偵君が今回担当することになった調査依頼とは・・・


先輩「まだ来ないのかな?」


新人探偵君(以下、探偵と略す)「ええ、遅いですねぇ・・・しかしファミレスに呼び出すなんて」


先輩「ああ、あの所長にしては珍しいな・・・ま、まだ来なそうだし、とりあえず何か頼んで食べるか」


探偵「そうですね。ボク朝から何も食べてなくて、おなかペコペコなんですよ。すいませ~ん」


所長「いらっしゃいませ~ご注文お決まりでしたらお伺いいたします」


先輩「ええと、和風ハンバーグのAセッしょ!?」


先輩・探偵「しょ、所長!!」


探偵「な、なんで女性ウェイトレスの格好を・・・」


所長「3ヶ月だ」


先輩・探偵「へ!?」


所長「3ヶ月前からここで働いている」


探偵「3ヶ月・・・?な、なんでですか?」


先輩「もしかして、今日これを言うためにわざわざ3ヶ月前から・・・?」


所長「おそらくそういうことになるだろうな。で、和風ハンバーグのAセット、ふたつでよろしいですか?」


先輩「い、いや、いいです!!やっぱ結構です!!」


所長「わかりました。ではご注文を繰り返します。ご注文、ご注文、ご注文、ご注文・・・」


先輩「いい、いいですって!!」


探偵「しかもご注文を繰り返すって、そういうのじゃないですよ!!」


先輩「そうだ所長!!い、依頼を!!」


所長「ご注文、ご注文、ご・・・ああ、そうだったな。今回はタッグのことについて調べてほしいとのことだ」


探偵「た!!タッグですね!!わかりました!!先輩!!」


先輩「おお!!じゃ所長、さっそく帰って調べますよ!!さあ帰ろうか!!」


所長「よろしく頼むぞ。ところで注文は?本当にいいのか?」


探偵「今日は、あの~あれです、来る前にたくさん食べてきたんで大丈夫です!!」


所長「遠慮するな。ピザならテイクアウトできるぞ。すぐだぞ。手作りなんて言ってるがホントは裏で冷凍のを」


先輩「あああーそれは業務上、言わない方が!!」


探偵「では失礼します!!」



血迷った所長を後に事務所に戻ってきたふたりはさっそくタッグについて調べ始めました。


探偵「さて、まずネットで調べてみますと、wikipediaに世界で初めてタッグマッチが行われたのは1901年、アメリカのサンフランシスコのプロモーターが考案し・・・というのが出てきます。ただ、誰と誰がどこで試合を行った等は、残念ながら見られませんでした」


先輩「せ、1901年!?いやちょっと待って・・・タッグの歴史ってそんなに古かったのか!?だってあのフランク・ゴッチvsジョージ・ハッケンシュミットの世界戦が1908年なんだぞ?」



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探偵「確かにそうですね。その時代のプロレスっていうと・・・この時代より10年は先に行ってしまうんですが、ユーチューブに1913年という、おそらく最古のプロレス動画 があって、それを見たことがあるんですが・・・」


先輩「ああ、おれも見た。これはレスリングの試合からポイント制を省いたって感じだよね。1913年でこんな感じなんだ。さらにここから12年遡ったら・・・考えられるか?」


探偵「そうなんですよ。フランク・ゴッチのデビューが1899年4月だから、この時代のプロレスでタッグマッチなんて・・・うーん・・・この時代の試合の定義を考えると、タッグって一体どういうものが行われたのか?正直想像がつきませんよね」


先輩「うん。それに行われたとして、なんでその試合方式をやろうと思ったのか?どういう経緯からだったのか・・・タッグに至った理由もわからないからなぁ。でもこの試合から、つまりこの時期からタッグマッチの試合の流れを考慮したリング寸法が採用されたということも載っているんだって?」


探偵「はい。サイズは5.48m四方の正方形のリング。どうもこれがタッグマッチに適していた大きさらしく・・・当初はサンフランシスコ以外の地区では場所場所によりさまざまな大きさのリングが使用されていたんですが、このタッグマッチという方式が広がることによって、それに合わせた、このリング寸法が一緒に広がっていき現在に続くプロレスのリング寸法になったと・・・」




ゴッチvsハッケンシュミット戦。確かに現在よりもリングは広そうだが・・・


先輩「確かに当時のリングは形が定まっていなかったようだ。馴染みとなるあの四角いリングが定着したのは1930年代からのようだね。まあしかし、こういった話はあるにしろ、やっぱりこの時代にどのようなタッグマッチが行われていたかは情報に乏しいなぁ」


探偵「そうですね。しかしながら、結局ネットで出てくるタッグ発祥の情報はこれしかないので・・・どうしようもないですね」


先輩「しかし不思議だなぁ・・・だいぶ昔の、1900年代のプロレスラーを撮影した写真も試合の写真も存在しているよね。映像もわずかだが残っている。でもタッグのものとなるとまったく目にしないのは、やっぱりちょっとおかしいよなぁ?」


探偵「そうですよねぇ・・・このwikipediaに掲載されている情報ソースは何なのか?知りたいですね」


先輩「じゃ、次はおれの方から。書籍からなんだけど・・・なんだけどね、実はタッグの歴史となるとネット同様、書籍でも情報はほとんど皆無なんだ」


探偵「そうなんですかぁ・・・」


先輩「しかし、唯一あったのが恒文社のプロレスアルバムの世界のベストタッグという本だ。これにタッグ発祥と思われる記事が載っていたよ。内容は1978年7月に海外で発行されたリング・レスリングという本からの引用記事ということになるのかな」


探偵「本当ですか!!じゃあ、いよいよ1901年のタッグの謎が解けますね!!」



プロレスアルバム「世界のベストタッグ」


先輩「いや、それが・・・この本によれば1937年になっている。そしてキッカケは、ある少年のひと言から始まっているようなんだよ」


探偵「え?1937年?1901年から36年も開きがあるじゃないですか!!しかも少年って?」


先輩「うん。この当時、テキサスのヒューストンでプロモーターをやっていたモーリス・P・シゲールなる人物が、自身の甥っ子であったレナード・バークという少年に1937年9月に


“リングの上にレスラーはいつも2人しかいないけど、4人を同時にあげてみたらどうだろう?”


と言われ、これにピンときて現実化したのが始まりらしいんだ」




うーん、なるほど・・・


探偵「なるほど。この年はテーズが世界タイトル初栄冠した年だし、テーズの師であるエド・ストラングラー・ルイスでさえ現役だった時代でしたから、1対1でない戦い、なんてのは大人じゃ思いつかなかったでしょうね」




必殺のヘッドロックを実演するエド・ストラングラー・ルイス


先輩「そうだねぇ~。テーズの初栄冠はこの年の12月だからそれより前なんだよね。なのでこの当時にプロレスを2対2でやるというのは、現在にしたらボクシングや相撲を2対2でやるくらいの話に相当しただろうね」


探偵「で、こうしていよいよ試合が行われるわけですね」


先輩「そうなんだ。敏腕プロモーターだったというモーリスは、この甥っ子の言葉をヒントにして、さっそく同年10月2日にテキサス州ヒューストンで試合を組んだそうだ。カードは


“ミロ・スタインボーン、ウィスカーズ・サベージvsタイガー・ドーラ、ファズル・モハメッド”


だそうだよ」


探偵「カードの記録があったなんてすごい!!しかし、うーん、これはさすがに知らないレスラーばっかりだなぁ・・・」


先輩「ああ、おれもかろうじてゾウの子供を持ち上げたことがあるという、伝説の怪力といわれたミロ・スタインボーンの名を聞いたことがあるだけで、あとはまったくわからない。それに会場などの詳細も勝敗も不明みたいだ」


探偵「でもレスラー名まではっきりしているのは他にはないですよ!!」


先輩「そうだね。あと残っている記録といえば、この試合、やはり初めて行われたということでルールがはっきりしてなかったらしい。どういうふうに決着を見たのか不明だが・・・どうも4人同時にリングに上がって戦ったみたいだね」


探偵「4人同時かぁ・・・この時代のスタイルで4人同時の試合、うーん、これは興味がわきますね」


先輩「なおかつ2対2というのがまったく思考になかった時代だからね。試運転的なものもあったのかもしれないけど、シングルしか行っていなかったレスラー達がどうやて戦ったのか?これは興味津々だよね」


探偵「当時は打撃はほとんど見られない、組んで・・・ヘッドロックからの投げや、腕、足を取って倒すなどでテイクダウン奪って、そしてグランドでの攻防が多くを占めていましたよね。なかなか決まり手もつかず試合時間も長かったようですし」


先輩「そうなんだ。そこにきて2対2となれば・・・当時は連携やカットプレーという概念はなかったはずだから、おれは最初はひとつのリングでシングルマッチが同時にふたつ進行していくような、そんな感じだったんじゃないかなと思うんだ」


探偵「なるほど!!シングルしかなかった1930年代にいきなり2対2やったなら、そうなったかもしれませんね!!でもこれ、おもしろそうじゃないですか」


先輩「選手は必死だし、観客も好きで興味があって観に来ている。でも人間だから・・・試合が単調だったり同じパターンだと、どうしても飽きてしまうよね。でも、これが同じリングで2試合同時に進行していったら、これは当時は相当おもしろく感じられたんじゃないかな」


探偵「こちらを見てたら、ああ、こっちではこんな展開が!なんて・・・まさに目を離すことができない試合になりますね!!その後・・・今のタッグのような形になった経緯は掲載されてないんですが?」


先輩「うーんと、完全ではないが・・・書かれているのは、この2年後の1939年頃にいよいよ現在での形の方式が登場することになるようだよ。場所はミネソタ州とあるな・・・」


探偵「この2年の間に、いろいろ試行錯誤されたんでしょうね」


先輩「うん。どうやら現在のスタイル、このコーナーで片方が待つスタイルを考案したのがオールトラリアのレスラーだったので、方式が定着した頃からはオーストラリアン・タッグマッチと呼ばれてたみたいだ。タッグというのはそもそも鬼ごっこという意味らしい」


探偵「鬼ごっこ、なるほど!先にも似たような話が出ましたが、この当時はまだ試合中の技が多彩だったかといえばそうではなかったし、試合も単調で長くなるものありましたよね。なので観戦していれば飽きてしまうこともあっただろうし・・・そこにきて4人の選手が変化するこの試合方式は新鮮でよかったんじゃないですかね?」


先輩「まさにその通りで、その後アメリカをスタート地点に世界のプロレスへ広まっていったんだろうね」


探偵「そうですね。そしてタッグの方法も国によっていろいろカラーが付いていったんでしょうね。でも、こうなると1901年に行われたタッグというのは・・・」


先輩「これはわからないな・・・こうして話がある以上、行われたのは確かなんだろうけど・・・」


探偵「先輩、1901年にタッグが行われたのは事実だったとしても、実のところ対戦カードはおろか出場したレスラーの名前すら、ひとりも出てこない状態です。さらにそこから1937年までの36年もの間、タッグにおける試合記録も出てこないしタッグを行ったレスラーの名前もまったく出てこないじゃないですか?」


先輩「確かにそうだね」


探偵「なのでボクは・・・これはボクの仮説なんですが、1901年は1試合のみ行われただけで、もしかしてそれ以降は行われていなかったのではないかと思うんですよ。で、この試合方式が1937年に行われて・・・のちに触れますが、この年以降からはプロレス史でもタッグの記録が見られるようになるんですよ。だから・・・」


先輩「なるほど。話をまとめると1901年にサンフランシスコでプロレス史上初のタッグが行われたが、当時のプロレスの風潮、流れに合わず日の目を見なかった。こうして一旦は消滅したこの試合方式が1937年にテキサスで、1901年のことをまったく知らない人物により新たな発想を持った試合方式の原型として行われたと・・・」


探偵「そうです!!なのでボクは、リングのサイズ、5.48m四方の正方形のリングが広まっていったのも実は1937年以降だったのではないかと、こう思うんですよね」


先輩「歴史の流れ、特に資料が少ないタッグという共通項から、1901年と1937年のこのふたつの話がひとつになってしまった・・・確かにない話ではないね」


探偵「はい。あくまでこれはボクの仮説なんですけどね」


先輩「明確ではない点もあるけど、とりあえずタッグの発祥が見えてきたところで今度はタイトルの話へ行こうか」


探偵「はい。タッグがプロレス界で行われるようになってから創設されたタイトルは、どうやらNWAの世界タッグタイトルでサンフランシスコ地区が最も古いようです。1950年4月にレイ・エッカード、ハードボイルド・ハガティが決定戦でロニー・エチソン、ラリー・モクィンを下し初代王者になったようですね」


プロレス・スーパースター列伝ではドリーのデビュー戦の相手として登場するエチソン




ハードボイルド・ハガティもマスカラス編でこのショットのみ登場してます



先輩「なるほど、この辺になるとルールも出来上がっていてただろうし、目にするレスラーの名前もわかるね。流れ的にも1937年から13年後・・・タッグが盛んになってきてタイトルが出てきたというタイミングとしてはすごく自然な年数だよね」


探偵「そうですね。で、この1ヶ月後の5月にはシャープ兄弟がレイ・エッカード、ハードボイルド・ハガティ組を破り初栄冠となっています」



シャープ兄弟(当時のタッグタイトルはベルトでなくトロフィーだったようだ)


先輩「そうかぁ・・・こうしてシャープ兄弟がタイトルを保持し、のちに日本へ来て力道山、木村組との対決となるんだね」


パリーン!!


先輩「な!?窓から催涙弾が!!」


探偵「な、なんで!!」


先輩「やばい!!とにかく隣の部屋へ!!」


ガチャ


所長「ところがどっこい!!」


先輩・探偵「うわぁあぁ!!」


所長「翌年の51年1月、当時あったプロ柔道、国際柔道協会を脱退した木村政彦、山口利夫が渡米し元レスラー『テツロー“ラバーマン“樋上』なる人物から、おそらくプロレスのコーチを受けているという記述がある。この際、海外での柔道エキシビジョンマッチを行った他、木村、山口はサンフランシスコでシャープ兄弟と戦っているようなんだ」


探偵「え!!木村政彦が!!」


所長「そうだ。ただ、これがプロレスラーとしてか柔道とのミックスドマッチなのかは不明だがな。しかし日本で初のプロレス国際試合として行われた力道山、木村vsシャープ兄弟よりも3年も前に、現在では格闘技の祖として名高い木村が誰よりも早くタッグマッチを行っていたのは衝撃だろう」


先輩「衝撃・・・って、いや、ちょっと待ってください!!このシャープ兄弟とのタッグマッチが51年1月ってことは、あの木村vsエリオ・グレイシーよりも前ってことじゃないですか!!」


探偵「確かに木村とエリオ・グレイシーが行われたのは1951年の10月だ・・・」


先輩「つまり、話を整理すると日本人でタッグの世界王者だったシャープ兄弟と最初に戦ったのは木村で、それがあの伝説のエリオ・グレイシー戦よりも前だったと・・・」


探偵「そういえば日本で初めてロメロ・スペシャル を受けたのも木村だったんじゃ?」


先輩「格闘技だけじゃなく、実はプロレス史上でも至るところで歴史的なことをしてたってことか・・・すごい」


所長「おそらくそういうことになるだろうな。では私は帰るぞ」


ガチャ


所長「うぉぉー目がぁー!!だっ、誰だ催涙弾なんか投げ入れたやつは!!」


先輩・探偵「・・・」



こうしてわずかながらに明らかになってきたタッグのお話。ちょっと先になりますが次回に続きます。






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