どうも!流星仮面二世です!!
さて、4月は番組編成なんかもあるせいで特番なんか多くやってるようだが、ボクは実はテレビをほとんど見ることがない。
家族が常に何かを見てるから見れない、というのも理由の一部なのかもしれないんだけど、実は今の地上波の番組が、あまりに魅力ない内容のテレビばかりなので見る気がしないというのが本当のところなのかもしれないなぁ~。
その日もそんな感じで家族が見ているテレビを流れのまま目にしていると、あ、録画予約しなくては。という嫁が、画面をスカパーの番組表に切り替えた。そこには怒涛の韓国ドラマ欄・・・うおぉハムニダ・・・
そこへ息子が乱入。最近はWWEにも、その手を伸ばしつつある三世がプロレスをチェックします。流れのまま画面に目をやるボク・・・そこへ
三世「お父さん、これ撮る?」
何々?ワールドプロレスリングクラシックス?外国人レスラー特集・・・?
うむー外国人レスラーと言ってもな~。今どきの外国人なんか出てきたんではわかんないからなぁ・・・でも一応撮ってもらうことに。
翌日、ボクと嫁と三世で見ようと再生すると・・・さて、一体何がやるんだ?て、おお?いきなり猪木vsドリーファンク・ジュニア戦だってぇ!?これはスイッチオン!!
ボク「猪木は黒タイツ?じゃ70年の福岡だ。NWA世界戦だよ。2本目に猪木のジャーマン・スープレックスが見れるぜ!!あと、ここではダブルアーム・スープレックスをテキサスブロンコ・スープレックスって言うよ」
と開始5秒で放つボクに、また始まったぁ~と言わんばかりの嫁と三世。
しかし、かくいうボクも、まだ生まれる前に行われたこの試合はリアルタイムではもちろん見たことがない。ではなぜ一瞬で見抜けたのかというと・・・そうこれは中学生時代に買った、なつかしの「猪木・血戦十番勝負」のビデオに収録されていた試合だったからだ。
この試合は60分3本勝負で1-1のまま時間切れという長丁場。しかしシリーズはすべて一巻20分以内だった血戦十番勝負のビデオでは当然、全収録は無理なので1本目前半と3本目がカットされていた。ちなみにお値段は1本7000円。今では考えられない設定だった。
この日の放送はどうか・・・放送は選手のコールから始まったが、まさかフルタイムでやるのか?と思いつつ見ていると、やはり前半がカットされていた。しかしカット後に始まったシーンが・・・あれ~、確か血戦十番勝負の編集もカット後に始まったのここからじゃなかったっけかな?なんだかタイムパラドックスのようで・・・ちょっとうれしかったなぁ。もしかしてその後も全く一緒なのかな?
その後、放送では血戦十番勝負ではカットされていた3本目が。最後はコブラを狙っての時間切れ引き分けだが、動いているところは初めて見た。試合後のリング上での猪木のインタビューなんて見たことなかったし、セコンドで脇を固める筋骨隆々の若き日の小鉄さんと星野も見れてよかったなぁ~。
と、ほのぼの余韻に浸っていると、次に始まったのはハルク・ホーガンvsアブドーラ・ザ・ブッチャー!!
ボク「おお!!これはね、シングルはこの一度きりなんだよ」
ブッチャーが新日本へ参戦してきてハンセンは全日本へ。そしてホーガンは一番のトレードマークと必殺のアックス・ボンバーと共に、そのスタイルは確立しプロレスがどんどん覚醒していって人気が上り調子の頃だ。そういえばその頃、雑誌などの裏に載っていたショップ「岩下レーシング」で
“一番ステッカー”
を見つけて買ったっけな。
岩下レーシングは芸能人、アイドルのブロマイドとかポスターとか、なめんなよの免許証とか・・・あとレース関係のシャツ、トレーナーとかステッカーとか、とにかくいろいろ扱っていたけど、プロレス関係のものってのはまったくなかった。あるといえば一番Tシャツくらいだったかな・・・
その一番Tシャツはしばらく売っていたけど、この一番ステッカーが出てたのは本当に短期間だった。だから存在を知っている人すらいないかもしれないなぁ。
でもま、現金書留にお金入れて自転車で郵便局持ってってね・・・ネットなんかない時代だなぁ。こうしていろいろよく買ったっけな。あ~なつかしい。
で、そう、話を戻して・・・当時まだAWA圏が主戦場だったホーガン。一方のブッチャーはアメリカ南部からカリブ地域が主戦場だった。なので実は海外でも一度も実現していなかったカード・・・それどころかシングルはこの新日本での試合が最初で最後、たった一度だけの幻の試合だった。
三世「お父さん、ホーガンの着てるやつ、背中に書いてある一番の下のサンダー・リップスって何?」
ボク「あれはね、ホーガンがロッキー3に出たときの役の名前なんだよ」
三世「えーホーガンってロッキー出てんの!!」
そんな会話をしながら当時を振り返るのは実に不思議な気分だが、この試合はリアルタイムで覚えている。確かホーガンがベアハッグでブッチャーを持ち上げるんだ。そしてそう、互いに流血して場外乱闘のまま引き分けになったんだ。しかし場外乱闘以外は正直記憶にないなぁ。どんな試合内容だったかな?
乱戦ばっかりだったかな?
それにしても入場からリングインでこの盛り上がり・・・ホーガンはやっぱり華がある。入場してきただけで会場の空気がまったく変わってしまうんだから、やっぱり生まれ持ってのスターなんだろうなぁ。
そして、時代によって目に映るホーガンも人の記憶に残る。
嫁「あたしはホーガンて黄色いタイツのイメージがあるねぇ」
ボク「そ、そりゃまた・・・昭和55年頃のホーガンだっぺよ。よく知ってるなぁ~」
嫁「ちがぁよ。赤いバンダナのときだよ」
ボク「ああそっちか」
三世「?」
初期は白や黄色だったがボクなんかは一番タイツが印象的だなぁ。嫁は全盛のホーガンの黄色が印象的のようだ。三世は全盛の黄色かNWO時代は目にしているようだが、さすがに定まらないようだ。
さて試合、放送日が1982年5月28日とあるが(試合が行われたのは26日)見た記憶はあれどその後一度も振り返ることがなかった。その日以来、動いている画を見るのは実に34年ぶりになるのか・・・
試合、なんておもしろい!!ブッチャーの地獄突き、ホーガンのパンチ!!ジャンピング・エルボードロップもクリーンヒット、そしてアックス・ボンバーもクリーンヒット!!こんな攻防があったのか!!いや、むしろ記憶が浄化されたように、まるで初めて見る試合のようで、こいつは引き込まれた。
そしてもっとも掴まれたのがブッチャーの攻撃に耐え、体を震わしながら立ち上がっていくホーガンの姿だった。ブッチャーの一発一発の攻撃にジリッ、ジリッと立ち上がっていく・・・これはまさにハルクアップの原型じゃないか!!だからプロレスって好きなんだよ~。
やがて場外乱闘・・・そこで色紙を持ってホーガンとブッチャーの乱闘に近づくファンがいるのが見えた。
ボク「三世、あの子供ら、色紙で何するかわかる?」
三世「?」
ボク「頭にペタっとやって、血を色紙に付けようとしてるんだよ」
三世「えー!!」
そしてそして!!とどめとばかりに始まったのがスタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアント!!もちろん田コロ!!
ボク「これはプロレスが世に出現して現在までで、お父さんが一番好きな試合だぁよ!!あまり知られていないがこの試合の前にアンドレとハンセンは6人タッグで初めて組んで試合したんだ。でも仲間割れして、で、この試合なんだよ」
以前見た“幻の田コロ決戦”のビデオのときはハンセンとアンドレの入場テーマが差し替えられていたが、さすがテレ朝・・・ハンセンの入場テーマはそのまま。ウエスタン・ラリアートだ。泣ける!!
嫁「あれ?これこないだも見なかったっけ?」
三世「見たかも」
ボク「へ?ど、どこで?いつやってたんだ?ちなみにアンドレのタイツが赤だった?」
嫁「そうだったかも・・・何で見たんだっけかな?」
ボク「気になる!!しかしそれは多分、この試合の1年前のMSGシリーズのだな・・・しかし試合時間が短かったあの試合だけ放送するかな?」
この謎の?放送も気になったが、とにかく田コロはこれ以上ない名勝負。動画は持っているが、やはり何度見ても吸い込まれるなぁ・・・本当はここで今、いろいろ書きたいんだが止まらなくなりそうなんで、いつか特集でやろーっと。
やがて見終わると
「お父さんはちょっと画面見ただけで内容やら裏背景がわかるんだねぇ」
と言われ、苦笑いしながら今度は息子が見たいのがあるというのでバトンタッチした。番組は“プロレス超人技列伝”という、今の新日本のレスラーの得意技を特集する内容で、レスラーひとりにつき5分くらいの番組を何回分かまとめてやるようなやつだった。
始めに出てきたのは後藤。昇天・改という技の特集だった。ここでは、ああ昇天かぁ~くらいで見ていた三世だったが・・・次に出てきたのがオカダのツームストーン・パイルドライバー・・・ここでオカダ命の三世が目を輝かせ身を乗り出す。
「あ、これはオカダがAJに初めて勝ったときのやつ」
「これは2013年の東京ドーム。おれが初めて観に行ったやつ」
「これは去年のG1の開幕戦のきたえーる」
「これは西武ドームのG1決勝」
「これは棚橋とのIWGP」
「これは大阪府立の・・・」
な、ななな!!
次々と画面に映し出されるオカダのツームストーン。ほんの何秒かだ。それがぱっと画面に映ったのを見ただけで、すべて答えられるのか・・・な、なんて男なんだ!!
そういえば、思い出す・・・昨年の秋、新日本が茨城に来たとき、ボクと三世が会場のトイレ付近にいたときにたまたま控室のドアが開いて、次の試合のアップをしていたオカダが一瞬現れ、ん?という感じで三世を見たのを、そしてそのときの三世の
「あ、オカダ!!」
と言った後の硬直様を!!三世がオカダを好きなのは承知だったが、これほどまでとは予想がつかなった。
ボク「お母さん、三世やばくねぇ?すごいよなぁ」
嫁「何言ってんの。昭和と平成がちがうだけでお父さんと一緒でしょ」
あ・・・そ、そうなのか・・・
土曜日、三世の授業参観があった。6年生になり新しいクラスになった教室の後ろには自己紹介を書き込むカードが1人1枚、クラス全員分貼ってあった。名前や誕生日、趣味などが書き込まれているのだが、その一項、将来の夢は?という欄があり・・・そこにはサッカー選手や自衛隊員、ロボット作成、ネイルアーティストなど現代っ子を象徴する職種が多々書かれていた。そんな中、三世の将来の夢に目をやると、そこには大きくプロレスラーと書いてあった。そうだ、そうだったな・・・ボクもそうだった。
アントニオ猪木がコーナーに向かい立ち、アーントニオーのコールでガウンの紐を解き、イノーキーで振り向き両腕をバッと広げる。そして五色のテープが飛び交う中、古舘さんの、燃える闘魂、アントニオ猪木!!の声。これこそボクのプロレス像のすべてだが・・・息子もいつか大きくなり、リングインしコーナー2段目に上り、襟を正して両腕を広げるオカダの姿をプロレス像とし、自分の子に伝えていってくれるだろう。そしていつの日か、ボクと三世と四世で、3人でプロレスを見る日が来ればいいな・・・