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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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ふたりは仲良し

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お母さん「さ、お弁当も出来たし♪あとは送ってくだけね♪」

バタン・・・


忙しい朝。朝食とお弁当を作り終えた食卓の、閉じられた冷蔵庫の中から何か声が聞こえるぞ・・・?


マヨネーズ「今日も朝食にお弁当にいっぱい使ってもらえたぞ!!うれしいなぁ~。ね、ケチャップさん!!」


ケチャップ「え?ええ・・・」


マヨネーズ「あれ、どうしたんだい?ケチャップさん?なんだか元気ないよ・・・?」


ケチャップ「いえ、なんでもないわよ・・・」


マヨネーズ「そんな?なんか変だよ?賞味期限でもきたのかい?」


ケチャップ「いや・・・何でもないのよ、本当に・・・」


マヨネーズ「そんな・・・なんか変だよ絶対!!話しておくれよ!!ボク達いつも食卓で活躍している仲間同士じゃないか」


ケチャップ「そこなんだよ!!」


マヨネーズ「・・・け、ケチャップさん!?」


ケチャップ「ご、ごめん、私・・・」


マヨネーズ「そこなんだよって・・・一体・・・」


ケチャップ「ホントなんでもないの・・・ごめん」


マヨネーズ「気になるじゃないか・・・話ておくれよ。ボクらいつも食卓で活躍している友達じゃないか!!もしボクがわるいなら謝るよ。だから」


ケチャップ「そこなんだってば!!」


マヨネーズ「け・・・!?」


ケチャップ「いや!!ホントごめん!!」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・ボクが嫌いなの・・・?」


ケチャップ「・・・そんなこと・・・ないわよ・・・」


マヨネーズ「いや・・・嫌いなんだね?」


ケチャップ「そんなことないってば・・・」


マヨネーズ「いや、嫌いなんだ!!そうなんだね!!」


ケチャップ「ああ、そうだよ嫌いだよ!!このカロリーハゲぉ!!」


マヨネーズ「は、ハゲぉ・・・」


ケチャップ「私は・・・もうアナタの噛ませ犬になるのはイヤなのよ!!」


マヨネーズ「噛ませ犬って・・・一体キミのどこが嚙ませ犬だっていうんだよ!!ボクはキミを今まで一度もそんな目で見たことはないよ!!一体何を根拠にそんな!?」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズよ!!」


マヨネーズ「け・・・!?」


ケチャップ「私はアナタと混ぜられて食べられる。よくある話よ・・・でもそれは本当にその味が、ケチャップマヨネーズが好きで、味わいたい人が意図的に作っていると・・・アナタは本当にそう思っているの!?」


マヨネーズ「そ、そんなこと急に言われても・・・」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズを味わいたくて、わざわざスーパーに行ってわざわざマヨネーズとケチャップを買ってきて、わざわざ混ぜたの作って、ポテトとか食べる人がいるの?って言ってるのよ!!」


マヨネーズ「そ、それは・・・」


ケチャップ「マヨネーズに一味足りない。どうしようかな?ああ、冷蔵庫にケチャップがあるからとりあえず混ぜておこう♪とりあえず添えておこう♪って、とりあえず手頃にあるから使ってるのよ!!私なんてそれくらいのもんなのよ!!私はもう、そんなとりあえずがイヤになったのよーッ!!」


マヨネーズ「そんな・・・でも子供も大人もキミとボクの、ケチャップマヨネーズは喜んで食べてくれるじゃないか!!」


ケチャップ「だったら聞くけど、そんなにみんなに喜んで食べてもらってる、消費量もまあまああるケチャップマヨネーズは、なんで商品化されないの?需要があるなら初めから混ざったの売ればいいじゃないの!!マスタードマヨネーズみたいに!!」


マヨネーズ「い、いや、で、でもそれは・・・」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズは長年食されてるわりに、いつまでたっても商品化されないじゃないの。なぜなの?なぜなのよ!!」


マヨネーズ「そ、それは・・・」


ケチャップ「わかってるんでしょ!!私がアナタの添え物に過ぎないからよ!!」


マヨネーズ「そんな・・・」


ケチャップ「アナタは種類も多い。からしマヨに新鮮卵、油のちがうもの、カロリーハーフ・・・料理との相性も相当なものよ。私は体にいいけど、アナタは懸念される。けど消費量はアナタよ。人の舌は正直なのよ。結局おいしい方が売れるのよ。私はアナタの・・・引き立て役でしかないのよ」


マヨネーズ「で、でもキミはオムライスやスパゲティーでは主役じゃないか!!」

 


ケチャップ「単品ならね、そうかもしれないわ・・・でも、それも昔の話なのよ。昔は私はポテトやから揚げに単独で添えられていたものだったわ。思い出すわ・・・運動会。お弁当に入っていて、お昼にみんなで食べて・・・ほら、午後もあるのよ、服にケチャップつけないで食べなきゃダメでしょう!!ってお母さんの声・・・でも今はないわ・・・必ずマヨネーズと一緒だものね」


 マヨネーズ「・・・」


ケチャップ「アナタは揚げ物はもちろん、裂きイカからお菓子類、ゆでたジャガイモから焼きそばからのり弁まで、とにかく種類を選ばない。私は・・・使われる料理もそりゃあるけど、やっぱりアナタには及ばないのよ。アナタみたいにはなれないのよ・・・ただ食卓にある手頃な調味料として、とりあえずケチャップ混ぜとくか♪ってアナタと混ざり合うことくらいしか出来ないのよ。所詮、私は野菜だかフルーツだかもわからない植物の実のなれの果て・・・動物性のアナタにはかなわないのよ・・・だから・・・ううう・・・」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・」


ケチャップ「ごめんなさい・・・私は・・・なんてことを・・・」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・ごめん・・・キミの気持ち、ぜんぜんわからなくて・・・わるかったよ・・・人間が混ぜちゃうからボクにはどうしようもないけど、でもポテトもから揚げも、やっぱりボクひとりじゃおいしくないよ。最初はおいしいかもしれないけど、ずーっと脂っこいとね。カロリー高いし・・・だから・・・だからキミがいないとダメなんだよ」


ケチャップ「マヨネーズさん・・・ううう・・・ごめん・・・」


マヨネーズ「いいんだよ。また混ざろうよ」


ガタン、トン。


マヨネーズ、ケチャップ「!?」


とんかつーソース「あ~もう黙って聞いてれば・・・ヘドが出るわ。何よこの痴話ゲンカは。今日という今日は我慢できないわ。言わせてもらうわよ。だいたいあんたらね、言ってることが勝手なのよ。このキューピーはとんかつに便乗してくるし、そっちのデルモンテはハンバーグのときだけアタシと混ざろうって魂胆よ。いい?ソースってのはね・・・」


マヨネーズ・ケチャップ「・・・」

 


 前ブログ 2007年04月29日 婿ちゃん小劇場・小話シリーズ

「ふたりは仲良し」でした。





お知らせ

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どうも!!流星仮面二世です!!


今日はお知らせです。


当ブログにもコメントくださいますジャスト日本さんのブログ


ジャスト日本のプロレス考察日誌


こちらで掲載されています「俺達のプロレスラーDX」が電子書籍化することになったそうです。


重大発表


プロレス仲間が飛躍していく姿を見るのは本当にうれしいものです。


これからもアツい更新、よろしくお願いいたします!!

名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その1 悪党創世記~

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どうも!!流星仮面二世です!!


さて、プロレスに限ったことではなく、その昔、趣味を見渡したときには子供が読める、子供にターゲットを絞った内容の本で、いわゆる大百科や大全科と言われるものが、かつては必ずあったものでした。


怪獣、ラジコン、プラモ、アニメ、鉄道にカメラに釣りに生物、そして各種オカルトモノまで・・・ワード入れて検索するとあっという間にわかっちゃう現在とちがい、コアな興味の追求には本が不可欠だった時代。その中において大百科や大全科の存在は、趣味の入口でもあり知識を掘り下げる参考書でもあったのです。


そんな大百科系の本を、ボクが初めて買ったのは小学校の3年生の時だったでしょうか・・・秋田書店のプロレス大全科というものでした。


当時、レスラーというのは


“時代を遡るほど、昔になればなるほど強い!!”


という信念を固く持っていたボクは、フラック・ゴッチを先頭にNWA歴代世界王者順から始まるこの本に魅了され、絶対これだ!!と買った思い出があります。他にも悪役、マスクマン、技能派、黒人、ファイター、そして全日本、新日本、国際と分けられ、様々なレスラーが載っていたこの本はボクにとってはまさに教科書となった本でした。


そんなこの本の後ろの方のページに、日系レスラーの話が載っていました。それはプロフィール紹介式のものではなく、いわゆるこんな日系人レスラーがいた、という話でした。


そんなコーナーの最初のページに現れた、たった一枚の写真は・・・なぜだかボクの心を揺さぶるのでした。



・・・?


見たこともない知らないそのレスラーは、名をグレート東郷といいました。


どんなレスラーかと文章を見てみますが、そこには


“地獄の大悪党といわれたグレート東郷でしたが、もう亡くなりました”


という、とても短い文章しか書いてなかったのです。


グレート東郷というレスラー。一体何者なんだろう?ボクはそのレスラーのことがすごく気になり、すぐに興味を持ちました。しかしそこにあった、そのレスラーの正体は・・・


一枚の写真から始まる物語。地獄の大悪党とは一体どんなレスラーだったのでしょうか?


ここは茨城の某所にあるプロレス探偵事務所。プロレスを専門にいろいろな依頼に応えていく日本で唯一の探偵事務所だ。そんな事務所に所属する探偵君が今回担当することになった調査依頼とは・・・


探偵「やっと着きましたねぇ」


輩「ああ。誘拐容疑で逮捕されちゃったから、こうして留置所に面会に来たわけだが・・・(チャンピオンベルト・ワールド~ロード・オブ・ザ・ベルト パート3~ )まったく人騒がせな所長だよ」


探偵「先輩、入れるようですよ。失礼します」


所長「よう、来たか」


探偵「はい。どうですか具合は?落ち着きましたか?」


所長「とにかくメシがな、まずくてかなわんよ」


先輩「まあ、悪意はないし事件性もないですからね。すぐ出れますよ」


所長「ま、そういうことになるだろうな。では今回の依頼だが」


探偵「え、ここから依頼!?」


先輩「ホントすか!?」


所長「ワタシの机の引き出しに一冊の本がある。紙縒りが挟んであるから、そのページに載っているレスラーのことを調べてくれ」


探偵「そのレスラーの名前は?」

所長「さよう。では、よろしく頼むぞ


先輩「さようって、まだ名前が・・・」


探偵「あ、ところで所長・・・」


所長「なんだ?」


探偵「なぜ留置されているのに、そんな水色のジャケットを着てるんですか?」


所長「無論、クラリスを助けに」


先輩「わ、わかりました!!おい!!」


先輩「はい!!と、とりあえず戻りますので、また・・・」


うしてさっそく調査に取り掛かりますが・・・


探偵「血はリングに咲く花・・・あとは、だめだぁ・・・検索しても金銭面でどうだったとか、性格がどうだったとかばっかりで、レスラーとしてどうだったかがあまり出てこない」


先輩「よう、やってるな」


探偵「ああ先輩」


先輩「それにしても・・・所長の机の中の本を見た瞬間、正直参ったよ。まさかグレート東郷が出てくるとは・・・これまで、いつも難題が多かったけど、今回は今までで最高の難題だと思う」


探偵「時代が古すぎてデータがないというのはもちろんありますが、それを除いても謎だらけですからね」


先輩「ああ。とりあえずわかる範囲で・・・おれから行ってみよう」


探偵「はい」


先輩「グレート東郷は1911年10月11日、アメリカのオレゴン州フートリバーの出身、ということなんだけど・・・Wikipedia他、東郷を調べるとフートリバー出身と出るのが多いんだけど、フートリバーという場所はオレゴンに存在しないので、これはフートリバーではなくフッドリバーの誤りではないかと思う」


探偵「フッドリバーはオレゴン州最北に位置する水と渓谷がきれいな、大自然に溢れたとても素敵なところですね。総面積は1383平方キロメートル。日本で一番小さな県である香川県より小さいところですね」


先輩「ああ。その歴史は1850年頃から。この頃から開拓、入植が始まり、19世紀後半には日系やドイツ系、フランス系、フィンランド系の人々も移民してきて、人々はこの地で農家を行っていたというんだ。そんな移民の中に東郷の両親もいたんだろう。ご両親は熊本県からの移民といわれており、東郷はこの両親から生まれた。こうして東郷はこの地で日系人として生を受けたわけだ」 


探偵「しかし東郷を調べると母親は中国人、両親はどちらも朝鮮半島出身で韓国人という説も出てきますね」


先輩「うん。この件はのちほど触れると思うが・・・東郷が生まれた年でさえ大戦前だからね。このあたり、もはや真実を調べることは不可能だと思う。でも父親が一正という名で、東郷の本名が岡村一夫という表記があるから・・・親が自分の名前や先代の名前を子供につけるとき、一字を用いるのは日本人ならあることだから、東郷の一夫の「一」は父親の一正からもらった名前だったのではないかなとおれは思う。もちろんこれは想像、推測でしかないけどね」


探偵「東郷は米国名もジョージ岡村というそうなので、ボクも東郷は日本人だと思います」 


先輩「こうしてアメリカに生を受けた東郷だが、その生い立ちは実はまったくの不明。レスラーになるまで、そしてなったあともとにかく謎だらけなんだよ」


探偵「謎ですか・・・」


先輩「ああ。まず・・・東郷には両親と、少なくとも5人以上の兄弟がおり、どうやら東郷はその兄弟の長男だったようなんだ。この時代の移民の仕事は農業だったが・・・当時の人達が裕福だったかといえば、そうではなかった」


探偵「日本人が開拓中だったアメリカに行って、右も左もわからない状態で生きていくわけですからね。差別もあっただろうし・・・生活は大変だったでしょうね」


先輩「うん。そういった理由から、家庭を助けるためなのか?あるいは何か別の事情があってか?東郷は15歳からサンフランシスコに行き、クリーニング店へ働きに出た、という話があるんだ」


探偵「わかります。そういう時代だったんですよねぇ・・・(歴史が奏でた哀しみの歌)」 


先輩「でも一方で、同じく15歳からレスリングに打ち込んだとう話もある。かと思えばレスリングとボクシングを12歳から、というのもある。さっきも出た話、開拓中のアメリカで生きていく中で、東郷はケンカすることも多かったらしくて、そのケンカに強くなるため習ったなんて話もあるけど、この辺の真実はわからないんだ。柔道やボディビルもやってたという話もあるしね」 


探偵「東郷の年齢が15歳とすると1925年・・・プロレスならジョー・ステッカーやルー・テーズの師であるエド・ストラングラー・ルイスの時代ですね。そのときの年齢でいえば東郷は中、高生ですよね。東郷の体つきを見るにタダモノではない感じですから、何かしらバックボーンはあったと思います。でも、わからないですねぇ・・・もしレスリングやボクシングやってたとするなら学校で習ったのでしょうか?」


先輩「うーん、どうだろうなぁ・・・しかし、やがてそのレスリングで州のチャンピオンになり1932年のロス・オリンピックの代表候補にもなったという話もあるんだ。で、そのあたりを見込まれてか、1933年にサンフランシスコでは大物プロモーターだったC・ルーダーローなる人物に見いだされ22歳でプロレスの門をくぐることになるんだ。けど・・・」


偵「このあたりの真実も、もはや確かめる術はないですね・・・C・ルーダーローというプロモーターも詳細不明です」


先輩「デビュー年も、1933年と1938年とあり、真実は不明なんだ。これは推測だけど・・・1938年だと27歳になるから」


探偵「プロレスにデビューするにはちょっと遅いですね」 


先輩「そうなんだよ。だからこれは昔の書物の印刷が不鮮明で、3が8に見えてしまって、誤って伝わってしまったんじゃないかなと」 


探偵「確かに・・・この年の前年にデビューしたレスラーにルー・テーズがいるんですが、そのあたりを見てもわかるように、この時代のアメリカでしたらレスリングからプロレス、あるいはアメフト、ボクシングなど、とにかくエスカレーター式にプロレスへ、という流れが鉄板でしたよね。現在のように他の職を経験してからプロレスへ、というのはないですし・・・もしあったとしても27歳からプロレスというのは考えづらいですよね」 


先輩「ここは1933年デビューで間違いないだろうね。でも、ここからがまた謎なんだよ。1933年から大戦後の1945年、そして東郷の名前がプロレス界で見れるようになった1950年以前までのおよそ15年は、東郷がいつ、どこで、どのようなプロレスをしていたのか?記録があまり・・・いや、あまりどころかないんだ。ないんでわからない」 


探偵「1933年から15年かぁ・・・ちょうどエド・ストラングラー・ルイスの時代の終わりかけ、そしてルー・テーズ時代の始まり、というときですね」


先輩「そうなんだ。当時のレスラーの写真って、わりと残っているものは多いけど、やっぱり有名どころのチャンピオンクラスのレスラーのものしかないんだ。せめて東郷の試合記録だけでもあればね・・・」


探偵「そういえば、東郷はリングネームを初めはブル・イトーと名乗り、そのあと本名のジョージ・オカムラでファイとしていた、という本人談がありますね。このあたり、デビュー当初からブル・イトーと名乗っていたのでしょうか?」 


先輩「リングネームを変えたというのはあるみたいだけど、残念ながら変更時期については諸説あってこれもわからない。なんせブル・イトー、ジョージ・オカムラの名での試合記録が不明だからね・・・」 


探偵「ホントに謎のレスラーですね・・・」 


先輩「ただ、1945年8月に太平洋戦争が終結後すると、それ以降に東郷がリングネームをグレート東郷へ変更したのは確かなんだ。それはある出来事により東郷がプロレスから離れ、復帰するタイミングがあったからなんだ」 


探偵「東郷はプロレスを離れていたんですか?その出来事とは?」


先輩「1939年、ドイツのヒトラー率いるナチス党がポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告したことにより始まりまった戦争・・・これが第二次世界大戦だ」


探偵「はい」 


先輩「この翌年の1940年に日本はドイツと日独伊三国軍事同盟を結び・・・つまり手を組むことになる。これによりドイツの敵であったイギリスの連合国として支援する形で加わっていたアメリカに、日本は同年の12月8日に歴史的な攻撃を仕掛けるんだけど・・・これ、なんだかわかるかい?」


探偵「真珠湾攻撃ですか」


先輩「そう。アメリカの海軍基地があったハワイの真珠湾はこの攻撃を受け戦艦、戦艇合計17隻を沈没や大破で失い、その死者は約2400人にものぼり・・・アメリカの大平洋艦隊の戦闘艦艇は壊滅的被害を受けたんだ。こうして日本とアメリカは太平洋戦争に突入。日本と同盟国にあったドイツ、イタリアもアメリカに宣戦布告し、これによって文字通りの世界大戦となったわけだ」



真珠湾攻撃を受け炎上する戦艦


探偵「でも・・・この戦争と東郷にどんな関係が?徴兵令がかかったんですか?」


先輩「いや・・・この真珠湾攻撃によりアメリカに住んでいた日系人や日本人は“敵性外国人”つまりアメリカに敵意があるため排斥対象となる人種とみなされ、翌年の1942年2月、ルーズベルト大統領の命により強制的に収容所に送られてしまうことになるんだ」


探偵「収容所!?そんな歴史が・・・え、でもまさか、その中に東郷も含まれていたと!?」 


先輩「うん。という話がある。収容所は日系人強制収容所といわれ、当時はそれこそ突然、唐突に連れ出され収容されたらしい。ようは、敵国と同じ人種がアメリカにいるのは都合がよくない、ということだったんだろうね。突然、しかも刑務所のようなその場所に送られたその人数、西海岸に住む日系人、日本人にしておよそ約12万人にも達したといわれているんだ」



日系人収容所に送られる日系人


先輩「もしこれが事実なら、東郷は日系人強制収容が行われていた1942年から1945年の、少なく見ても3年はプロレスから離れていたことになる」

 

探偵「1943年はテーズも陸軍に入隊していますからね」

 

先輩「そうだね。大変な時代だったんだなぁ・・・で、収容所から出た1945年以降は、日系人、日本人は収容されたことで突然失った財産や家、生活自体を取り戻すのが大変だったというよ。くわえて日系人、日本人はその後、二級市民、いわゆる普通の市民よりも格下とされる市民という扱いをされ・・・ようは差別を受けていて、それこそ生きていくのが大変だったみたいだ」

 

探偵「そのあたりを重ねると収容所を出たあとの東郷が、どのようにしてプロレスに復帰していったのか・・・1945年8月に終戦を迎え、すぐ翌年にプロレス復帰したのか?それとも世の中や自身が落ち着いてきたと感じられる2、3年後だったのか・・・いろいろ考えられますね」


先輩「うん。このあたりもはっきりわからなくて、終戦の翌年の1946年にMSGのリングに出場したという話もあれば、1949年の夏に復帰したという話もあり、ここもわかっていないんだ。しかし、リングネームがグレート名義に変わったのはこのあとなんだ。とりあえずここまでをまとめてみると・・・」



こんな感じか・・・


探偵「うーん、現時点でわからないところはもう永遠にわからないですね・・・しかし、グレート東郷になったのは1945年以降で間違いないと」


先輩「そうだね。しかし、初めからグレート東郷ではなかったんだよ。東郷はまずグレート東郷ではなく“グレート東条”と名乗っている」


探偵「と、東条!?それって東条英機の・・・!?」


先輩「そう。この戦争で日本の陸軍大将にして、ときの内閣総理大臣であった人の名は東条英機・・・あの東条英機だよ」



東条英機


先輩「東郷は当初、この名をリングネームとしたらしい」


偵「そんな!!確かに東郷が正確に復帰した年は不明ですが、1940年代末から50年代初頭ですよ!?まだ反日感情が生々しくアメリカに生きていた時期に、その敵国の大将の名をアメリカの地であえて名乗るなんて・・・」


先輩「現在にたとえるなら、あの地域やあの国に行き、ああいうことをするようなこと・・・そこは詳しくはいえないが、想像するに難しくないだろう。リメンバー・パール・ハーバー、日本はアメリカを攻撃し、我々の仲間や家族を殺した。憎き国だ!!終戦してわずか5年ちょっとだよ。そんな感情の中で敵軍の将の名を名乗れるかい?」

探偵「それをやるのが自分だったら?と考えると、いろんな意味で恐ろしく、できるはずはありませんよ。しかし東郷はあえて、その名を名乗った・・・なんでですか?」

先輩「東郷を待っていたのは観客の憎悪だったが、東郷がそれを求めたからなんだよ」

探偵「自分から求めた!?」

先輩「そう。敵国だった日本の憎き日本人。その日本人が東条の名で、リング上でもこれでもかというほど悪のファイトをするんだ。どうなると思う?」

探偵「それは憎まれるに決まってるじゃないですか!!当時の状況に、お国柄もあるわけじゃないですか?下手したら冗談抜きで命を落としますよ」

先輩「そう、まったくその通りだ。このリングネームではさすがに危険。いくら憎まれ役でも命がなくなってしまっては元も子もないもんな。この写真を見てくれるかい」

探偵「これは?」

先輩「東郷の腹部の傷の写真だ。ファンの怒りを買い、実際に刺された痕なんだよ」



東郷の腹部。複数の刺し傷が残っていた


探偵「じ、実際に刺された!?そんなことが・・・そりゃボクも海外で活躍したレスラーが実際危ない目に遭った話は本で読んだことありますよ。マサ斎藤もそうですし、ハンセンなんかは同じアメリカ人でありながらサンマルチノとやったときは本当に危なかったって自伝に書いてありました。しかしこうもハッキリ刺されたレスラーが実際にいたとは・・・」


先輩「そうなんだ。なので東郷は、東条のリングネームはあまり長く使わず、すぐ変更したらしい。東条英機から、今度はかつて日露戦争で世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、海軍戦で名を上げロシア戦を勝利に導いた海軍司令官にして世界中の海軍から当時尊敬されていた東郷平八郎をリングネームに用いたんだ」


探偵「しかし、リングネームを東郷に変更はしたものの・・・リング上でのファイトには変化はあったんですか?」


先輩「いやぁ、試合では相変わらず憎まれし日本人を発揮し続けたそうだよ。着物姿でリングに上り、丁寧にリング四方を塩で清めながら静かに回る。試合前の相手の握手は拒否。ニヤリと笑いながら肩をやや上げ、手を前で揃えて静かにお辞儀をするんだ」


探偵「塩で清めてお辞儀ですか・・・」


先輩「ああ。相撲の四股も踏むときがあったらしい。しかし試合が始まると一転。その塩で相手へ真珠湾攻撃を思い出させるように奇襲の目潰しを行ったり、履いてきた下駄で攻撃を浴びせたというよ」


探偵「その時代にあえて真珠湾攻撃を思い出させてたんですか」


先輩「そのようだよ。あとはレフリーのブラインドをついての細かな反則。見えない位置で髪の毛を引っ張って相手を倒したり、ロープを使って攻撃したりね。そして東洋色を彷彿させる空手チョップ・・・当初はジュードーチョップといわれていた、袈裟斬りチョップを手の平で打つような形のチョップとヘッドバット、柔道流と称したスリーパーホールド、絞め技で攻め込んでいき・・・反則とラフ攻撃で徹底的に相手を痛めつけたそうだ」


探偵「昔、本で読んだ日系人レスラーの描写、いわゆる田吾作スタイルは反撃にあうと正座して手を合わせて頭を下げ勘弁被った、なんてのがあったんですが、そういうものもあったんですかね?


先輩「どうだろうな?東郷の試合映像があまりないので確認はできないけど、おれが見たものだと東郷は反撃に合ったっときは


“待った、待った、待った”


と日本語を口にしながら手を出し阻止する仕草をしていたようだね。そしてまたあのお辞儀をして、相手が油断したそのせつな、スキを見せた相手に飛びかかったり・・・という具合だったようだよ」


探偵「大悪党というくらいだったので、ボクはザ・シークやのような・・・試合無視でリングも観客席も関係なく暴れながら、それこそ相手を凶器で血塗れにして徹底的に痛めつけるような、いわゆる狂乱ファイトを想像してましたけど、だいぶちがう気がしますね」


先輩「そうなんだ。シークなんか試合の流れまったく無視で最初から最後までごちゃごちゃしてたよね。本当に狂ってんじゃないかと思ってたよ。しかし、そう、東郷の試合は狂乱ファイトではないんだ。流血こそ毎回していたが、東郷の攻撃は汚くズルいところもあってお客の怒りを誘うけど、相手との間の取り方や試合の流れを作るのはうまかった。なので見る者の感情を引き出すのが抜群にうまい悪党っていうのかな。そんな気がしたよ。プロレスの見せ場、見せ方を十分に理解しているとおれは思ったね」


探偵「だからお客も本気になってしまい、カーッときちゃうんですね」


先輩「そこに大平洋戦争の因縁が加わり、さらにお国柄も加わって会場は興奮に揺らめき出すんだね。怒りより殺気・・・やがてお客さんのフラストレーションは尋常ではないものになり、キル・ザ・ジャップの大合唱。会場は狂気の沙汰となるわけだ」


探偵「それで・・・試合以外では頭にきたファンに実際に囲まれたり、ナイフや銃を突きつけられたりもして、本当に刺されてしまうこともあったわけですね」


先輩「中にはファンが数十人単位で集団になり、暴動のようになってしまい警察がたくさん駆けつけて新聞沙汰やニュース沙汰なんてのは結構あったらしい。それこそ命の危機に晒されることも一度や二度ではなかったんだろうね。だが・・・東郷が憎まれていたのは、アメリカ人のファンだけじゃなかったんだ」


探偵「え!?どういうことですか!?」


先輩「当時、アメリカに日系人や日本人は住んでいた。もちろん、まったくプロレスに関係ない一般の人たちだよ。そんな人たちに、この東郷の試合ぶりが影響を与えてしまうんだ」


探偵「それは一体!?」


先輩「東郷のファイトスタイルが、そのまま日系人、日本人のイメージになってしまった。アメリカ人の目には、東郷イコール日系人、日本人と写ってしまったんだろうね。


"卑怯でズルい。ジャップはみんなああなんだ!!と、我々は何もしていないのに、アメリカ人から悪い印象を持たれ嫌われる。生活に支障をきたすからやめてくれ!!"


という事態になったらしい」


探偵「確かに・・・今でこそ海外で活躍する日本人は多くて珍しくなくなりましたけど、この時代、アメリカでテレビ放送が開始されて間もない時代にテレビを通して映し出される日系人、日本人なんていなかったはずです。そんな中で映し出されるのが東郷の試合だったんですから、これは影響力はそうとうなものだったでしょうね」


先輩「笑われるかもしれないけど、おれはインド人はみんなサーベル持ってるんだって中学2年まで真剣に思ってたよ。今でもインドと聞くと即連想してしまうしね。でも東郷はそれ以上のインパクトだった。プロレスに留まらず社会現象まで引き起こしてしまったわけだから・・・一般マスコミも取り上げただろうしね」


探偵「アメリカ人に憎まれ、本来は味方であるはずの日系人、日本人からも反感を受けていた訳じゃないですか?なぜ・・・ここまでして東郷はこのようにしたのでしょうか・・・」


先輩「憎まれれば憎まれるほど、お客が見に来るから、らしい」


探偵「お客・・・」


先輩「そう、東郷が試合に出場する会場は不入りどころかいつも満員。ウチのリングにも来てくれとプロモーターからは引っ張りだこで、それもメインイベンターとしての扱いでだったそうだ」


探偵「お客さんの憎悪を煽り東郷への嫌悪感は増すばかりだった訳じゃないですか?それなのにファンは東郷を見に来ていたのですか?憎まれ嫌われる人に人が?わからないなぁ・・・」


先輩「それは、憎き東郷が今日こそは対戦相手にコテンパンにやられ、そして殺されるのを期待して・・・つまり憎まれ者がやられるところを見たかったから、だったんだ」


探偵「悪党の末路ですか・・・」


先輩「東郷がファイトすればするほどブーイングの嵐。ファンは逆上する。しかし東郷がやられれば、憎悪に満ちた会場のブーイングは大歓声に変わる。そう、攻めても受けても、お客は東郷から目が離せなかった。ときには勝利し、ときには反則で逃げ、ときにはやられ・・・東郷は会場を煽り、それに応えしファンが東郷を憎み騒げば、実はそうなればなるほど東郷の思うツボだったんだね」


探偵「そして憎き東郷と対戦することで相手のレスラーの人気、知名度も上ることになる・・・」


先輩「こうして東郷は悪役レスラーとして、どこに行っても“客を呼べるレスラー”として絶大な悪役人気を誇るようになるんだね」


探偵「はい。そんな東郷の名がプロレス介でも後世まで確認できる運命的な年代がやってきます。この辺りはボクが調べましたので・・・」


先輩「じゃあ聞こうか」



その2に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。



名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その2 東郷の"力"とは?~

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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その1 悪党創世記~


より続きです。


探偵「東郷の名がプロレス界で見られるようになり、記録も確認できるようになったのが1950年代からになります。そしてこの50年代こそ東郷にとって運命の年だったのではないかなと思うんです」


先輩「運命の年かぁ・・・」


探偵「まずその初期。東郷の未だ見ぬ故郷の日本で力道山がプロレスと出会い、レスラーとしてトレーニングを開始します」


先輩「相撲を廃業した力道山が酒場でケンカをしてしまうんだけど、そのケンカ相手がハロルド坂田というプロレスラーで・・・ケンカしたあとふたりは意気投合し、よかったらプロレスをやってみないか?と坂田が声をかけたのが力道山とプロレスの出会いだったんだよね」


探偵「そうです。で、1951年10月、力道山はプロレスの門をくぐりボビー・ブランズの下でトレーニングを開始。その後、1951年10月28日に両国メモリアルホールで師のボビー・ブランズと10分勝負を行ない引き分けします。そして1952年2月、力道山が渡米します。まだ日本プロレス設立前。プロレス修行のための海外遠征でした」


先輩「まずハワイ、そのあと6月に本土に行ったんだよね」


探偵「はい。この本土への力道山の遠征で、東郷は力道山をマネージメントしたようです。後に行動を共にし、お互いを親い信用し合い、日本のプロレスを作り上げたふたりが出会ったんですね。運命的な気がします」



初本土地のサンフランシスコでファイトする力道山。まだショートタイツの貴重な写真だ


先輩「この海外武者修行時代の力道山と東郷の関わりを記す具体的なものは現在確認できないが、当時無名だった力道山が本土入りし、いろいろなレスラーと試合ができたのは東郷の存在なしでは難しかったんじゃないのかなとおれは思うんだけど、どうなんだろうね?」


探偵「そうですね。力道山は本土入り前はハワイで約3ヵ月、試合をしています。このときは沖識名がトレーナーで、日本でコーチをしたボビー・ブランズもいましたから、そのあたりのラインでサンフランシスコに行き試合したのかもしれません。しかしロサンゼルスに転戦してからは東郷ラインはあったんじゃないでしょうかね」


先輩「うむ~・・・単純な疑問なんだけど、結局ふたりはなぜ会ったんだろう?」


探偵「おそらく現地のプロモーターが、日本から来るレスラーは日系人に任せるような感じにしてたんじゃないでしょうかね?先輩が言われるように、この海外武者修行の力道山と東郷の関係が詳細に書かれている書籍は現在皆無なのでわかりませんが、当時の遠征組はほとんど東郷と接してはいますからね」


先輩「当時の遠征組はほとんど東郷と接している。そこなんだよなぁ・・・」


探偵「と言うと?」


先輩「普通、海外武者修行ってどんな感じかな?」


探偵「海外武者修行なら、まず遠征先の窓口役、だいたいブッカーですね。ここに事前連絡が行って、行ったあとは窓口役が世話役兼ねてやるか、あるいは世話役紹介してくれてやるような、そんな感じじゃないですかね。テリー・ファンクや大剛鉄之助なんかピンときますね。あとミスター・ヒトとかですか」


先輩「そう、プロレスが日本に定着したあとのプロレスラーの武者修行なら、確かにそうだった。でも力道山デビュー以前は日本にプロレスという組織もなかったしプロレスの知識を持ってる人もいなかった。プロレスがまだ日本にないんだから、プロレスという概念がなかったわけだ。だからプロレスラーもいなかった。ということは日本からプロレスラーとしてアメリカ来るプロレスレスラーもいなかったわけだ」


探偵「はい」


先輩「ということは日本とアメリカ間にはプロレスのパイプも当然なかったはずだよね?」


探偵「そうですね」


先輩「東郷は日系人にしろ、この時点では日本に行ったことは一度もない。だから普通に考えれば日本や日本から来るレスラーとは、まったく縁がなかったはずじゃない?」


探偵「そうですねぇ・・・単身アメリカに渡りプロレスラーとして活動していたレスラーは戦前からいたようですが、彼らはそもそもプロレスは知らなかった。プロレスがどんなものかを知っていて、やってみたいと渡米したわけではなかったんですよね。スカウトされて渡米した後にプロレスを初めて見てレスラーになったり、海外で自らがやっていた相撲や柔道を介し、レスリングやプロレスと出会って試合に出るようになった、という感じですもんね」


先輩「そう、ソラキチ・マツダやタロー三宅やキラー・シクマとかね」


探偵「それに、先に名前が出たハロルド坂田やボビー・ブランズが日本で行ったプロレス、力道山がデビュー戦をしたリングは日本国外の宗教団体であった在日トリイ・オアシス・シュライナーズクラブが主催したもので、このクラブに招かれた元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったジョー・ルイスが朝鮮国連軍の慰問を目的としてプロレスラー7人を引き連れてきて行われたものですから、日本のプロレス前ですね」



慰問試合を行った、右からハロルド坂田、アンドレ・アドレー、オビラ・アセリン、レーン・ホール、ボビー・ブランズ、ケーシー・ベーカー。ここにジノ・バクノンを入れた7人で行われた


先輩「とするとね、遠征組は何を伝って海外武者修行に行ったんだ?力道山、木村政彦に大山倍達、遠藤幸吉と、当時の遠征組はみんな東郷と接触しているけど、どういうルートで海外行って、どうやって東郷と接することができたんだろ?


探偵「確かに・・・考えたこともなかったですが考えると疑問です。今、名前が出ましたが52年の3月末頃に、のちに極真空手を創設する大山倍達総裁と元プロ柔道でのちに日本プロレス入りする遠藤幸吉が渡米し、東郷と合流して・・・大山総裁をマス東郷、遠藤をコウ東郷として兄弟とし、東郷ブラザーズを名乗りアメリカをサーキットしていたのは有名ですね」


先輩「そうそう、東郷ブラザーズ。東郷は相変わらずのスタイルで試合しつつ悪役人気を集め、マス東郷は演武やデモンストレーションを行っていて、各地で高い人気と評価を得ていたんだよね。試合もしていた記録があり、空手でプロレスラーと戦った話もある」



56年11月、田園コロシアムで体重560キロという獰猛な牛の雷電号と戦った大山総裁。アメリカで空手の強さを示した後、日本ではこのような戦いをすることがあった


先輩「遠藤も柔道のデモンストレーションも行っていたけど、力道山のあとボビー・ブランズの下でプロレス修行したこともあり、プロレスの試合経験は大山総裁よりもあったからシングルやったり東郷とタッグを組んだりしてたみたいだ。でも勝ち星にはあまり恵まれなかったようだが・・・」


探偵「で、この東郷ブラザーズが・・・?」


先輩「そう、大山総裁と遠藤のふたりが渡米した理由を調べていったときには空手や柔道など、スポーツ普及に関係する体育協会等の招聘で・・・という話が出てくることがある。しかし本土に渡米後は、ふたりは真っ先に東郷とコンタクトしているんだよ。なんらかの協会からの招聘だったなら、まずその協会関係者に会うはずだよね?しかし、後にも先にもそんな記述は出てこない。ふたりが会ったのはプロレスのグレート東郷なんだよ」


探偵「浅田真央ちゃんがフィギュアスケートの普及のためにアメリカから招聘されて行き、いざ行ったらマクマホンに真っ先に会ってっいた、って感じですかね」


先輩「すごいたとえだが、まあそうだね。それに招聘だったにしろ、体育協会でなくロサンゼルスのプロレス組織からの招聘だったという話もある。ああ、それなら筋が通る・・・と思ったら追及が足りない。ロサンゼルスのプロレス組織って言うけど、じゃあロサンゼルスのプロレス組織ではどこから大山総裁と遠藤のことを知り招聘したんだ?」


探偵「そうか・・・パイプがない時代にどうやって?という疑問ですね」


先輩「そうだね。で、かくしてふたりがロサンゼルスに来て東郷と接したが、その際には、東郷からすぐ兄弟という設定でやることを知らされたらしいんだ。ふたりはそれがイヤだったので自分たちは本名でやりたいんだと東郷に言ったところ、もう試合は東郷ブラザーズで発表してあって、新聞等にそれで名が載せてあるんだからダメだと怒られたらしいんだ。つまり・・・」


探偵「大山総裁と遠藤が来るのを東郷は事前に知っていたと?」


先輩「そう。プロモーターさん、今度来るふたりは空手と柔道の達人です。ワタシは兄弟ってことでやりたいんですがどうですか?オゥ、トーゴー!!それはいい!!ゼヒやってみてくれ!!で、新聞に載る。これは直前じゃ無理だろう?」


探偵「そういえば・・・大山総裁が渡米した理由に空手を海外で広めるという目的があったのはもちろんなんですが、大山総裁の書籍では、総裁はグレート東郷の用心棒役、つまりポリスマンとして海外へ・・・という話もありました」


先輩「それは来るのがわかっていたことをさらに裏付けるね。会ってその日に空手をやっていると聞いただけではポリスマンなんて絶対任せられない。やはり空手の実力を前もって知っていないと任せられないよ」


探偵「そうですね。この辺に先程の先輩の新聞の名前の話と合わせると、事前連絡が取れる状態、東郷と日本の間には当時は存在していなかったはずのパイプがあったのかもしれません」


先輩「うん。日本の情報が東郷に行くようになっていて、遠征組には東郷に辿り着くようなルートがあった。そして東郷が遠征組を収める仕組み、独自の東郷のコネクションっていうのかな・・・そういう"力"があったんじゃないかな。海外のプロレス界で顔が利き、人を動かせるような"力"がね


探偵「言ってみれば権力とも取れますね


先輩「うん。“力”に関して言えば、こうしたルートの存在もそうなんだけど・・・当時の東郷ブラザーズはプロモーター下でやっているというよりは、東郷を中心にコウ東郷、マス東郷、そして表向きは東郷の通訳だった“羽田”という人物の4人で全米を転戦していたそうなんだ。で、そこに一緒にテレビ局もついていたらしいんだよ。このテレビは東郷ブラザーズにおいてもマス東郷の演武が大半を占めていたようなんだよね」


探偵「東郷ブラザーズという小集団にテレビ局が・・・なんだか東郷ブラザースがひとつのプロダクションのようになっていようにも感じられますね」


先輩「プロダクション的・・・そうだね。まるで小さな組織みたいだよね。かくして東郷ブラザーズは各地の転戦先に行ってはそろって試合に出場できて、別にテレビ局もついていた。こんなことが普通できるかなぁ?よほど信用、信頼されているか、東郷のバックに強力なスポンサーがいたのか?別に強大な力があったのか・・・そういうものがないと無理なんじゃないのかなぁ」


探偵「“力”ですか・・・」


先輩「まあ本当のところそれがなんだったかは、おれにはわからない。でも東郷は各方面で顔が利く何かしらの"力"を持っていたんだと思うなぁ。そういえば、もう10年以上にもなるけどドキュメンタリー作家の森達也が


“悪役レスラーは笑う-「卑劣なジャップ」グレート東郷”


という本を出版したことがあるんだ」


探偵「オウム真理教のドキュメンタリーなんかで有名な森達也ですか?」


先輩「そう。その本の中で謎として取り上げられていたのが東郷が何人だったのか?だったんだ。おれは日本人だと思ってるけど、先でも触れたけどそこにはいろいろな説があるんだ。かつて新日本プロレスで解説をしていた桜井康雄さんは熊本から移民した日系二世。元レフリーのミスター高橋は日本にしろ沖縄からの移民ではなかったかという。大山総裁とグレート草津は韓国と言い、また・・・あの日系人収容所時代は、母親が中国人なので自らをチャイニーズだと。なので日系人とは一線を置き、収容所では監視役をしていたという話も出ていたんだよ」


探偵「そ、そうなんですか!!」


先輩「でも・・・おれはちがうと思った。たとえばさ、それほど性格もよくなくて人からすごい親しまれてるってわけでもないやつがいるとする。でもそいつは知り合いが多くて顔は妙に広くて、仕事は上司受けがよくて。で、なぜだかいつもいい女を連れているんだよ。なぜかな?」


探偵「そうですね、おそらく口が立つんでは・・・」


先輩「そう。対話がうまいんだ。初対面の相手とすぐに仲良くなるには、共通の話題を持つということが一つの手段だ。たとえば出身地を聞いてみて、ああ、そこ出身なんだ!おれも近くなんだよ。それじゃ誰々って知ってるかな?知り合いなんだよ~なんて話は、誰しも一度は経験あるはずだよね。そしてそこから話題を広げていき、会話に同調し、意見する。こうすることで相手との信頼や信用の関係が深くなるというわけだよね」


探偵「いやぁまさしく・・・勉強になります」


先輩「ああ、ありがとう。で、ここに話を盛る、という要素を入れてみるとどうだろう?ああ、そこ出身なんだ!おれも近くなんだよ!あの曲よく聴くの?おれも好きでよく聴くんだよ!親近感を与えることができるよね。で、さらに、おれはこういうことができるんだ、おれは誰々と知り合いだからこうなんだ、だから何かあれば言ってくれよ。と他人にはできないようなことができるという話を聞かされたとする。でもこれがもし事実でなく口実で、話がまったくのウソだとしたら?」


探偵「事実でなかったとしても、その場の話としては通じてしまいますよね」


先輩「そう、まさにここなんだよ。ここからは完全に仮説で聞いてね」


探偵「はい」


先輩「東郷は話す相手によって話を使い分けていたんではないだろうか?実際は日系日本人だけど、そのとき自分が中国系が都合いいなら中国、韓国系が都合いいなら韓国と・・・」


探偵「なるほど。あくまで想像ですが、日系人収容所のときは日本人だと大変な目に合うので母親が中国人というふうにしてしまえば・・・有利になりますよね。東郷はアメリカにずっといたわけですから故郷のことはわからない。でも現実に今、目の前にある会話の中で、自分が日本人とせず韓国人の血が流れているんだ、中国人の血が流れているんだとしておいた方が共感が

得られ、都合がよい場面が多々あったから・・・つまり生きて行く上でその方が自分が優位になれるから、ということですね」


先輩「そう。よく言えば世渡り上手。悪く言えば、自分に都合のいいヤツだね」


探偵「自分に都合のいいヤツ・・・いますねそういう人。生きていると、何年かに一度は遭遇しますよ」


先輩「そう、たまにいるね。まあ東郷にしてみれば、ウソでも話を合わせてしまうのは、あの時代に生きて這い上がっていくための手段だったんだろう。しかし出身地に関しては、本当のデータを証明できるものが存在しなかったから、今までウソで話してきた出身地が所々で残り、多国出身説になってしまったんではないのかな?」


探偵「そして、出身地ばかりではなく、様々な場面で東郷はこの話術を使い分けたんでしょう。プロモーターやテレビ局の関係者、当時はギャングもいたでしょう。プロレスに関わる表の顔、裏の顔の人たち。各方面で顔馴染みになり、やがて信頼を得て“力”を持っていったんではないか?ということですね」


先輩「そりゃ裏切りや相手をキズつけてしまうようなウソもたくさんあったかもしれない。でも、東郷が生まれ過ごしてきた時代・・・貧困の移民の立場で、大戦中には生活を遮断され、終戦後も差別下にあった。農民の子だった東郷が普通に生きていたら一生貧民で終わっていただろう。そんな世の中だったから、どんな手段を使っても這い上がってやる!!おれは金持ちになるんだ!!という反骨精神が生まれた結果だったんじゃないのかな」


探偵「悪役プロレスラーとして知名度を高め、強大な富を得て、そして巧みな話術で関係を築き、それが結果“力”になったと」


先輩「うん“力”なんだろうなぁ・・・プロレス・スーパースター列伝のブッチャー編に、同情されるくらいなら憎まれろ!それが男だ!ってセリフがあるけど、これはまさに東郷のことなんだと思ったね」


探偵「同情されるくらいなら憎まれろ、かぁ・・・」


先輩「ところで・・・エルヴィス・プレスリーって知っている?」


探偵「ぷ、プレスリーですか!?もちろん知っていますよ。ロックンロールの創設者のひとりでキング・オブ・ロックンロールといわれたアーティストですよ。あのビートルズもメンバー全員が憧れていたという・・・でもなんで急に?」



エルヴィス・プレスリー


先輩「当時、そのプレスリーを日本へ呼ぶという話が出たことがあったそうなんだ。しかしその当時の日本にプレスリーとコンタクトを取れる人間はどこを探してもいなかったんだ。そこで、どうしたと思う?」


探偵「どうしたんですか?」


先輩「グレート東郷に頼んだんだよ」


探偵「えええ!!」


先輩「“悪役レスラーは笑う-「卑劣なジャップ」グレート東郷”によれば、力道山の秘書を務めていた吉村義雄という方のお話で・・・テレビ朝日の依頼でこの吉村さんがプレスリー招聘のために走り回っていたことがあったそうなんだ。しかしあちらは世界的なスターだったし、情報も現在のように流れていなかったからそう簡単にコンタクトが取れる時代ではなかったんだよね。で、困った吉村さんは東郷に相談してみたそうなんだよ。そしたら東郷がオーナーを務めていた自動車販売店の社長がプレスリーにコンタクトが取れる組織の者・・・マフィアのボスだったそうなんだ」


探偵「な、なんですかそれは!!す、すごすぎるにもほどがありますよ!!」

先輩「まあ結局プレスリーは交渉の段階で条件面などで折り合いがつかなかったので日本へは来なかったが、東郷が仲介をして日本からプレスリー側に連絡が行ったのは事実なんだよ」


探偵「東郷って一体何者だったんだ・・・」


先輩「おれらの想像なんかよりもっとすごい“力”が東郷にはあったんだろうね。それに、そういった"力"だけじゃない。見てくれよ。力道山に木村政彦に大山総裁だよ。プロレス、格闘技の世界でいまだに語られる祖たちが、みんな一度は東郷の元へ来ているんだ」


探偵「勢力、権力的な“力”だけでなく、運命を引きつける“力”も持っていたんですねぇ・・・」


その3に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。


燃えろ!!闘いサマー!!

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どうも!!流星仮面二世です!!


さあ今年もやってまいりました。


「ローソンチケット Presents G1 CLIMAX 27」


でございます。


もはや毎年恒例となりました我が家の親子の夏の風物詩、このG1決勝観戦も、なんと本年で5回目。5年連続観戦になります。


この5年振り返るとG1一番の思い出はやっぱり最初の西武ドームですね。決勝戦のオカダvs中邑のクオリティが高く、歴代G1決勝戦ではボクの中では第1回の武藤vs蝶野と並び名勝負で印象に残ってますね。


さて、そんなG1で思い出というか毎回記憶に残るのがチケットです。もぉ~G1決勝といえばチケットですよ。とにかく取れない。実は毎年頼みの綱だったご存知ボクの先輩の援護が今年から諸事情により受けられなくなり・・・今年はなんとか自力確保しましたが、G1除いても年に4、5回は新日本観に行く我が家としてはここは押さえておきたいところ。ということで家族会議の結果、ついに我が家にも満を持してこいつが導入されることになりました。



ゴゴゴゴゴ・・・


これで今後チケット確保で頭を抱えることはないぞ~♪と喜びも束の間。ファンクラブは会員こそ三世ですが、まだスマホを持っていない三世に代わり新日本からのメールはボクが受信するよう設定したところ、大会ごとチケット先行のご案内が来る、来る、来るぅ・・・


「え!!もう10.9両国の取れるの!?すごい!!取って~」


な、なんだとぉ!?このとき7月21日。まだ3ヶ月も先じゃねーか・・・おれのフトコロ事情だってあるんだぞ。クッ、チケット確保で頭を抱えることはなくなったが、チケット代で頭を抱えることになろうとはッ!!



ウヌッ!


しかし、そんな個人的なフトコロ事情を問題にしなければ、行きたい大会の連絡がメールで来て、即チケット確保ができるという・・・こんな親切、快適で便利な、素晴らしいシステムはないですよ。実際、助かります。


しかもあれでしたね。ファンクラブって先に会場入場できるんですよね。いつも三世と、ああ~先に入れていいな~なんて言って遠くから眺めていたが、いざ入れるとなるとなかなかの優越感。しかも、この日はファンクラブ限定の抽選会というのがあり、感極まる。選考では落選しましたがプロレスラーとの撮影会なんかもあるようで、特典も充実していて、これはなかなかすごいですね。

 

と言いつつも、実のところそれらがどうのように行われているのかはまったくわかりません。事前に情報が欲しいところですが、このへんの詳しい詳細というとなかなかネットにも出ておらず不安になってしまいます。周囲にもファンクラブに入っている人はいなく、これはまいったなぁ・・・

 

ということで、ブログ書いている人で誰かファンクラブでの観戦経験豊富な方いないかなぁ?と検索してみたところれみさんという女性の方が真っ先にヒットしました(ブログ:普通の女子が新日本プロレスにハマったら

 

面識もなく、突然失礼とは思ったのですが、思い切ってメッセージを送り聞いてみました。すると先行入場はあるときとないときがある、抽選会は昨日はここで・・・等、とても詳細に、親切丁寧に教えてくれました。本当に助かりました。れみさんどうもありがとうございました。

 

こうして戸惑うこともなく入口に行きます。この日は優先での入場はなかったのですが、ファンクラブ限定という抽選会があるそうで向かいます。教えていただいた通り両国の入り口入ってすぐ左側で行われていました。


これかぁ


ここでファンクラブ会員はファンクラブ会員証とチケット、そして身分証明証を提示します。ウチは対象は三世だけなのでボクは付き添いです。


抽選会で一番いいのはA賞のG1優勝者のサインなのですが、参加賞がオカダドルということで


「おれ参加賞がいい!!」


と参加賞に三世の鼻息も荒くなります。そして抽選・・・



何か当たるかな?


「やった!!参加賞だ!!」



参加賞のオカダドル

 

うむぅ、揺るぎないオカダ愛・・・ちなみに抽選券はこんな感じです。



左が表、右が裏です

 

いやぁこれだけでも立派に記念品。思い出の品になりますね。ファンクラブすごいです。プロレスだけでなく、あらゆる視点からファンに楽しんでもらうことを十分視野に入れていますね。こういうところが業界ナンバーワンたる由縁なんだろうなぁ。


そしてもうひとつ。今回はスポンサーになっていますローソンでチケットを購入するとポンタカードがもらえる引換券がローソンチケットに添付されていました。こちらも交換所が設けてあり、入場前に特設ブースにて交換できるようなのでいただきました。


開けてみると、なんと新日本プロレスG1仕様のポンタカードでした。



これまたファンにはたまらない品ですなぁ


いやぁなんか、新日本て本当にすごい団体になったなぁ。しみじみ実感しましたよ。


さあ、事前イベントは無事に終了。中に進みますが、今日は駅周辺から両国に向かう人々が、とにかくロスインゴのシャツと帽子ばかりです。会場内も8割はロスインゴですね!!これはちょっと今までにないですね~。どうなるんでしょうか?


では試合に行きましょう!!

 

第1試合20分1本勝負

川人拓来、タイガーマスク、KUSHIDA、獣神サンダーライガーvsTAKAみちのく、エル・デスペラード、金丸義信、タイチ

 

まずですね、ロスインゴ現象もそうでしたが、これは今までなかったなぁというのが第1試合からお客さんのボルテージですね。第1試合から歓声が異常ですよ!!ものすごい!!そんな中、試合は運んでいきますが、試合終了後はデスペラードとKUSHIDAが場外大乱闘。なんと升席上段にまでなだれ込んでの大乱闘です。そこにこの異常なほどの歓声。蔵前時代のプロレスを、ちょっと彷彿させましたね~。今日はすごいぞこりゃ!!


第2試合20分1本勝負

中西学、永田裕志vsタンガ・ロア、タマ・トンガ

 

ここは永田への歓声が大爆発な一戦でしたね。最後のG1出場にしてG1最終日ということで大声援でした。タンガ・ロア、タマ・トンガも試合後には永田へ頭を下げ敬意を表し、ここでリングにひとり残ったところで永田のテーマ曲が。大歓声の永田コール。一瞬引退してしまうの!?と思ってしまうような、そんな風に錯覚してしまうほどの風景でした。まさに有終の美でしたね。先輩、なんでこういうとき来ないかなぁ・・・


第3試合20分1本勝負

デビッド・フィンレー、真壁刀義vsYOSH I-HASHI、後藤洋央紀

 

ここにきて会場は若干の落ち着きを見せます。しかしいつもに比べたら、やっぱりすごいなぁ。


試合、うーん、って感じですね。気になったのはデビッド・フィンレーです。フィンレーが何を目指しているのかがよくわかりません。若手の頃とだいぶイメージがちがいますが、この今のイメージ、スタイルは何を目指しているんでしょうか?フィンレーのプロレスを見ていてもそれは伝わってきません。飛び技がスゴいレスラー、関節技がスゴいレスラー、パワーファイター、正統派にヒールに、レスラーにはいろいろスタイルがあって、それに伴ったカラー、自己主張というものがあるんですよ。自分はこういうレスラーで、こういうスタイルでこうなんだ!!という主張ですね。フィンレーにはこれがないんですよ。ちょっと残念な点だと思いましたね。


第4試合20分1本勝負

天山広吉、小島聡、ジュース・ロビンソンvsチェーズ・オーエンズ、高橋裕二郎、バッドラック・ファレ

 

このところジュースがいいですね。G1のリーグ戦では試合内容はもちろんケニー、エルガンに土をつけるなどますます急成長していますね。以前も書いたかもしれませんが将来大化けするような気がしますね。でも、ちょっとだけいわせてもらうと、ジュースのフィニッシュホールドが、ちょっと気になりますね。

 

ジュースの試合は相手と手を合わせつつも会場も視野に入っていて、そこで自分を出していくという試合内容で、タッグやってもパートナーともうまくマッチしますし相手ともするんですよね。シングルもうまくて会場のボルテージ上げるのもうまいんですよ。で、フィニッシュとはそうした試合の最高潮に出るわけですよね。その、せっかくボルテージが上がったところに正直あの、技がなんていう名前だかボクはわかんないんですけど、後ろから腕を回してぐるっと回してダブル・チキンウイングのような態勢にして頭から落とす?このフィニッシュホールドではもったいないと思うんですよね。

 

正直なところ、せっかくいい流れでフィニッシュに行ってもフィニッシュの発動までのプロセスがわかりづらくて伝わりづらい。ジュースみたいなタイプのレスラーだったらもっと単純でいいと思うんですよ。ホーガンやロックみたいなね、レッグドロップやピープルズ・エルボーのような、行くぜー!!ってね、わかりやすくファンと面と向かえるようなフィニッシュがボクはいいと思うんですが、みなさんはいかがですかね?


第5試合60分1本勝負 IWGPジュニアタッグ選手権試合

ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンvsリコシェ、田口隆祐


ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンって以前から見ていてもなんか思ったり感じたりすることはなかったんですが、あれですね。


たとえばボクら、今のレスラーが卍固めとかジャーマン・スープレックス使うと、条件反射で一瞬身を乗り出すというか、おおってなるんですよ。そしてヤングライオンの黒いショートタイツとリングシューズが好きだったりします。今のプロレスは十分おもしろいんですが、つい・・・何かを求めてしまうときがあるんですよね。


ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンは、どこかミッドナイト・ロッカーズのようなコスチュームだし、ショーン・マイケルズみたいなポーズ取るし、スイート・チン・ミュージックみたいなトラースキック使うし、最近はとうとうシャープ・シューターまで使いだして、どんだけ・・・なんて思ったんですが、冷静に見ると“条件反射で一瞬身を乗り出す”のアメリカ版なのかなと・・・最近ちょっと思うようになりましたね。


目まぐるしい動きで、他のレスラーではマネのできないような連携技の数々で自分たちのカラーを出しながら、かつてのアメリカンプロレスの要素も見せるという・・・本人たちはそんな気はないのかもしれませんが、視点を変えればおもしろくて楽しめるタッグチームなのかなと、思いましたね。


さて、ここで休憩に入りそうだったのでトイレに行き、手を洗っていると遠くから柴田のテーマが聞こえてきます!!急いでトイレを出ると、ボクと同じ反応をしたファンたちが両国の廊下を疾風怒濤で駆けていきます。ボクも全力疾走、急いで会場に入ると、柴田が花道を歩いていた!!


このときの両国は、上段抜きに天井が吹っ飛んで行ってしまうんじゃないか?というくらいの大歓声に包まれました。リングインし受け身を取り、胡坐をかく柴田。そうだった・・・あの4月の両国も見ていたんだよなぁ・・・そして今日、また柴田が見れた。本当に柴田だった。うれしかったです。


第6試合60分1本勝負 IWGPタッグ選手権

ハンソン、レイモンド・ロウvsハングマン・ペイジ、Cody

 

後半戦です。このカードいいですね~。


試合は、ハングマン・ペイジとコーディのタッグは即席的なものなので、本来タッグ屋のハンソン、ロウがペースを握るかと思いきや、序盤からコーディに翻弄され試合が大味になり大技に走ってしまうようになってしまいましたね。


コーディ、とにかく相手やお客さんを煽るあの仕草、表情が抜群。そして一番が試合の“間”ですね。この“間”がうまい。大技や飛び技を乱発するとか、派手な乱闘をするわけではありません。でも存在感が絶対なんですよ。タッグであるにもかかわらずシングルでコーディのみを見ているような、そんな気にさえなりましたね。ボクはハンソン好きなんですが、さすがにかすんでしまいました。コーディいいなぁ。本当にいいレスラーですね。


第7試合30分1本勝負

飯伏幸太、マイケル・エルガン、棚橋弘至vs飯塚高史、ザック・セイバーJr、鈴木みのる

 

いやぁこれ、鈴木軍のゴテゴテのヒールぶりがよかったですね。試合はリング外の乱闘が多く初めから終わりまで大荒れでしたね。イス攻撃も、これだけのものは久々に見た気がします。セコンドの介入も多かった。やっぱりヒールはこれくらいやらないとダメですねぇ。

 

しかしながらすごいのは鈴木のこの体ですね。すごいですね。グッドシェイプですよ。鈴木、49歳ですよ。でも今年は札幌ではオカダとあれだけの長い試合やったり、NEVERのタイトル戦線でも激しくやったり。G1のリーグ戦でも素晴らしい動きました。正直なところ、今の新日本の40代のレスラーには、もう動けていない人もいます。そんな中でこのコンディション作りと体型維持はさすがですよ。普段からの節制、自己管理、気を使っているんでしょうね。現役レスラーでも見習うべき点ですね。

 

あと意外というか・・・この試合では棚橋、全体通してまったくいいところがないままザックの卍に敗れてしまいました。ちょっと心配してしまいましたね。大丈夫なのかなぁ・・・


で、ひとつ気づいたんですが、ザック、卍は右からでも左からでも入れるんですね。この間テレビで見たときは左足から絡めていったんで、通常と逆なんだなと思っていたんですが、この日は右足から絡めていきましたね。左右でやるって、これは今まで見たことなかったですね。すごと思いました。インターコンチネンタル王座、ザックが挑戦者へ名乗り上げるんでしょうか?気になるところです。


第8試合30分1本勝負

外道、矢野通、石井智宏、オカダ・カズチカvsBUSHI、高橋ヒロム、キング・オブ・ダークネスEVIL、SANADA

 

このG1でEVIL、SANADAは評価を上げましたね。特にEVILは勢いもあっていい感じです。ロスインゴは全体的にレベルが上がってすごい存在となってきましたね。

 

オカダは前日ケニーに敗れてしまい決勝出れず・・・IWGP王者にしてG1制覇してほしかったですが、それよりも今日は試合に出場できるのかな?と心配していました。


試合には出れたのですが、首の負傷もあってか入場からテンション高めでしたね。ロサンゼルスのときも入場で鉄柵ガシガシやったり、今回は机の上に上がってこう、アピールしていましたが、うーん、これはどうかと思いましたね。

 

オカダにはタイトル防衛することによって“王者の風格”が付いてきたんですよ。王者は堂々構えてなければなりません。痛くても興奮してても、鉄柵やったり机の上に上がってアピールなんて、そんな安っぽいことしてしまってはダメだとボクは思うんですよ。たとえ負傷個所を抱えていても、手強い相手だろうが上から見下ろすように、いつでもどっしり構えてね、悠々と入場して来るくらいじゃないと・・・せっかく付いた風格が薄れてしまいます。だからここは、いつものカッコいい入場が本心見たかったですねぇ。

 

最後はひどい攻撃をされてしまいましたが、次回EVILとシングル、おそらくやるんでしょうね。やるなら、今度は王者の風格で下してください!!息子の三世の無念、晴らしてください!!


第9試合時間無制限1本勝負 G1 CLIMAX 27優勝決定戦

ケニー・オメガvs内藤哲也

 

これまで、現在のファンは会場ではおとなしいんだなぁ~。と毎回思っていましたが、この日の両国はちがいました。すごい、とにかくすごい歓声でした。そのピークがこの試合でした。


試合開始のゴングが鳴って、ワァー!!っと大歓声が起きる・・・このときボクは第1回のIWGP決勝戦の猪木vsホーガン戦のゴングが鳴った後の、あのシーンが頭を過ったんですよ。始まった!!というワクワク感と期待、なんですよね。


試合内容はいろいろ言いません。これはゼヒ、見ていただきたいです。本当に見てもらいたい。どんなにいいレスラー揃えようが、WWEなんかには絶対にできない、日本の、プロレスです!!


帰り際、駅のエレベーターで新日本の座布団と、おそらくBUSHIのマスクなんでしょうかね。持ったお姉さんと一緒になったのでお話聞いたところ、このG1の両国3連戦を観戦に岐阜県から泊まり込みで来たとのことでした。翌日は仕事で


「このあとこれ持って新幹線に乗って帰るんですよ~。恥ずかしいです」


と言っていました。でも、その笑顔は幸せに満ち溢れてて素敵なんてもんじゃありませんでした。


古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは


“一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。このように一日もしくは短時間で人は幸福にも幸運にもなりまはしない”


と言いました。


もうダメだとも言われた暗黒の時代。長く暗いトンネルを走り、苦悩の時期を経て今、この夏に辿り着いて・・・そしてそのプロレスを見た大勢のファンたちは幸福になった。長年の努力と人々の思いが、あの両国となったんだなぁと・・・そう思いました。


最後までどうもありがとうございました。

 

 

名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その3 やって来た大悪党~

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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その2 東郷の"力"~ 


より続きです。


探偵「さて、前回は遠征組と東郷ブラザースを通して見た東郷の“力”を推理しながらお話したわけですが・・・そんな東郷ブラザーズも4ヵ月ほどのサーキットを終え大山総裁と遠藤が帰国すると、東郷は54年から、今度はハロルド坂田をトシ東郷とし再び東郷ブラザーズを結成、活動します」



ハロルド坂田との東郷ブラザーズ


先輩「着物に下駄・・・日本色を出していると思いきや、この画像は意外にも着物が中国風なんだね。手を組んだ形も中国っぽい。しかしよく見るとチャイナ服ともちょっとちがうなぁ?」


探偵「そうですね。普通このようなチャイナ服は上着は短めで腰までか、または足の方までまっすぐ長くなっているワンピース状かのどちらかですよ。で、下はどちらを着たにしろズボンですよね」


先輩「だよね。昔よく見たゼンジー北京が着てたのと似てるようでちがうもんなぁ」


探偵「ゼンジー!?なんですかそれは!?プロレスラーですか?」


先輩「いやなんでもないです・・・」


探偵「そうですか。えっと話を戻して、でもこれは上着こそ中国風で一見下まで一体のワンピース状に見えますが、下はまっすぐでなくフワッとしています」


先輩「冷静に見るとチャイナ服にはないデザインだなぁ」


探偵「ネットで検索するとこれと同じ場所と思われるところで撮影された画像で、上半身だけ脱いでるのが見られるんで、これはツーピースなんではないでしょうかね?」



袴スタイルの東郷ブラザーズ

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)



掲載されている雑誌“月刊ファイト”このファイトはあのファイトとは別物なんだろうか!?

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)


※2点の画像は管理人様より許可を得、お借りしました。錆道楽様、温かいご対応、心より感謝いたします。ありがとうございました。


先輩「ソースは1955年の雑誌か・・・月刊ファイト。こんなプロレス誌があったなんてまったく知らなかったなぁ」


探偵「あったのもすごいんですが、残ってたのもすごいですよね。で、見てもらうと・・・中国風ですが下は袴(はかま)になっているのがわかりますね。中国人が袴って、ちょっとないですよね」


先輩「うーん、でも撮影場所は確かに同じのようなんだけど、見比べると似てはいるが袴の柄のパターンがちがうような気もするが・・・わからないなぁ。とりあえず言えることは、日本とか中国とかではなく、いわゆる東洋色を強調した仕様を使っていたということなんだろうね。東郷ブラザーズのオリジナル・コスチュームということかな」


探偵「そうかもしれないんですが・・・実のところこの仕様は、この写真の他には出てきません。というか、東郷ブラザーズって調べたとき、はっきりとこのタッグチームとして写ってる写真がこれしか出てこないんですよ」


先輩「そうかぁ・・・この写真もプロレス会場だったりリング上だったりしなくて、スタジオ撮影だからプロモとかの撮影用なのかもしれないしなぁ。真実はわからないか・・・」


探偵「実際の試合、ふたりがどんなコスチュームで出てきて、どんなパフォーマンスをしていたのかはわからないですね。コスチュームは仕様が何種類かあって変えていたのかもしれないですしね。すごく興味があります」


先輩「そうだね、見たかったなぁ。しかし不思議だね。力道山をプロレスへと導いたハロルド坂田と東郷のタッグとは、これもまた運命的だなぁ」


探偵「そうですねぇ・・・」


先輩「この坂田との東郷ブラザーズ時代の資料はあるのかな?」


探偵「鮮明な詳細は残念ながらほとんど出てこなかったですが、タイトル遍歴ではわかることもありました。まず54年から60年にカナダのトロントでフランク・タニーがプロモーターをしていたメープル・リーフ・レスリングというところでNWAカナディアン・オープン・タッグというタイトルを、あのホイッパー・ビリー・ワトソンと争っていたという情報ですね」


先輩「ホイッパー・ビリー・ワトソンと抗争か、すごいね」


探偵「そうですね。東郷ブラザーズは54年の7月にカナダのトロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、テキサス・マッケンジー組から同タイトルを一度奪取しています。おそらく二代目東郷ブラザーズを結成してすぐくらいではないでしょうかね」



タッグマッチでワトソンのパートナーのテキサス・マッケンジー(中央)を血だるまにする東郷(右側)ワトソンが救出に入る


探偵「そして翌55年6月にNWA世界タッグ王座を奪取しているようです。これはロサンゼルス版のNWAタッグ王座らしいのですが、これに関しては試合の様子やタッグチャンピオンであることがわかるもの、そういったものが写っている写真は出てきませんでした」


先輩「だが・・・先程も出た上半身脱いでる画像ソースの月刊ファイトだが、これには


"日系トーゴー組 遂にタッグ世界選手権を奪う"


という表記がある」



若干読みずらいが、間違いない


探偵「名前はよく見るとグリート・トーゴーになっていますね」


先輩「ああ、これはミスだろうけど味わいあっていいね。で、この上半身脱いでるのが掲載されている先ほど出た画像の月刊ファイトは55年7月号とある。タイトル奪取は6月だが、月刊誌はだいたい1ヵ月ラグがあるから、表記時期から逆算するとこの世界タッグ選手権というのはNWA世界タッグ王座ロサンゼルス版のことを言ってるんじゃないのかな?」


探偵「とすると、これはその王座奪取記念的な写真!?」


先輩「いやぁ・・・わからないが・・・でも、近いかもしれないよ」


探偵「詳細も、タイトル奪取時の場所も対戦相手もタイトル保持期間もわかりませんけど・・・ただ記録としては、このタイトルを日系人が獲ったのは初めてだったということですので、その夢は信じたいですね」


先輩「うん。しかしだいたいこの時代にタッグチームでスタジオ撮影するとか発想が斬新だよね。東郷ならやったかもしれないよ。まあシャープ兄弟のNWA世界タッグはサンフランシスコ版だったりと、この頃は地区でいろんな認定タイトルあったから、ただでさえわからないこと多いしなぁ。さらに東郷にピンポイントとなるとわからないのが本音だね」


探偵「そうですね。で、最後に56年4月です。この年はハワイにてNWAハワイ・タッグというタイトルを奪取しています。対戦相手はジェームス・ブレアース、これはロード・ブレアースのようですね。そしてジン・キニスキーとあります」


先輩「元PWF会長のロード・ブレアースとキニスキー、すごいコンビだ。キニスキーはまだデビューしてそんなには経ってない頃だね」


探偵「そうですね」


先輩「さて、ざっと見てみると、試合よりは演武やデモンストレーションが先行していた大山総裁にプロレスではキャリアが浅かった遠藤とのチームだった初代東郷ブラザーズに比べると、プロレスキャリアのある試合巧者の坂田とのこのタッグは完全にプロレス主体だったのが感じ取れるね」


探偵「そうですね。初代東郷ブラザーズも各地を転戦しましたが、二代目東郷ブラザーズは本土以外も転戦しています。それにタイトル戦線に食い込んできていますから、プロレス主体ですね」


先輩「東郷の歴史を調べたとき、プロレスラーとしての活躍が一番わかるのがこの時代かもしれないね。しかし、この頃の東郷は、先に上げた東郷ブラザーズの画像の他というと・・・リング上で東郷と坂田が一緒に写っているところのなんかは見たことがないね。やはりないのかな」


探偵「そうですねぇ~。映像や写真は50年代半ばであれはもう浸透していましたから撮れないことはないですからね。当時悪役人気が高かった東郷ブラザーズを撮ってないってことはないでしょうから、やっぱり残ってないだけなんじゃないですかねぇ」


先輩「う~ん、残ってないかぁなぁ~。そういえばこの頃は東郷、シングルはどうだったのかな?」


探偵「これはわかりません。ただ東郷は50年代終わりくらいからは実業家としての仕事がかなり好調だったようで、その頃になるとあまりリングに上がっていなかったようなんですよ。先程話に出た自動車販売業の他、不動産にマンション経営、レストランなど・・・かなり幅広く展開していたようです」


先輩「血はリングに咲く花・・・マットの上には札束やダイヤがゴロゴロと転がっている。東郷に触れたとき必ず出会う言葉だが、移民の農家の子からプロレスへ、そして富を手に入れた。東郷はアメリカンドリームのパイオニアと言えるかもしれないな。しかし、もはやリングに上がらなくてもすむようになってしまいプロレスから離れ気味になってしまったわけか」


探偵「はい。しかし、そんな中にあっても東郷の運命を導く“力”は威を発揮します。東郷がハロルド坂田と東郷ブラザーズを結成した54年、その年に日本では2月19日に日本初となるプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsシャープ兄弟の世界タッグ選手権者が行なわれました。日本のプロレスの夜明けとなった試合ですね」


先輩「そう、ここから始まったんだよね。この日は日本テレビとNHKが同時中継し、日本中がプロレスに熱狂したんだよ。新橋駅西口広場に設けられた街頭テレビには2万人もの人々が詰めかけたそうだよ」



街頭テレビに群がる人々


探偵「そうですね。こうしてブームが爆発し、日本プロレスは大変な盛況を見せます。力道山は同年12月には昭和の巌流島といわれ今なお語り継がれる木村政彦との日本ヘビー級選手権を、翌年55年11月にはアジア選手権としてトーナメントを開催しキングコングを倒し初代王者となります。そして1957年、ついにNWA世界ヘビー級チャンピオンだったルー・テーズを招聘。自身初となる世界タイトル挑戦を東京、大阪で行ったんですね」


先輩「しかし日本プロレス創設から4年、この力道山のNWA戦前後くらいから、その後ブームも沈静しはじめ・・・日本のプロレス人気は下降線に入ってしまうと」


探偵「そうなんですね。58年にはロサンゼルスでテーズを破りインターナショナル王者となります。力道山はこのタイトルを看板としていきますが、人気低迷からの客の不入りは深刻であったようです」


先輩「テレビ視聴率は好調だったけど、観客動員数が下降気味だったそうだよね」


探偵「そうなんですね。このため、プロレス人気回復のために力道山はインターナショナル王者の他、世の中があっと驚く爆発力を持ったモノを放ちたかった。そこで力道山が思いついたのが世界各国のレスラーを一堂に集め総当たり戦をやるというあれです」


先輩「ワールド大リーグ戦だね」


探偵「そうなんです。ワールド大リーグ戦です。世界中のプロレスを見渡しても前例のないこの思想を実現することはただならないことでした。まずアメリカだけでなく世界各国のレスラーを参加させようという点が難しいところでした。それに単なる各国のレスラーではなくチャンピオンクラスのレスラー、という点。そして人数をどう確保するか?という点でした。そういった難しい点に加え、はたしてこのリーグ戦を行ったとしてプロレス人気回復となるかどうか・・・力道山にとってはまさに大きな賭けだったわけです


先輩「確かに、今でこそプロレス団体がリーグ戦をやるのは珍しくないけど、この時代、まったくそういう考えが無の時代にやってみようというんだから、まさしく一か八かだよね」


探偵「はい。こうして力道山はワールド大リーグ戦開催に向け走りますが、この条件のレスラーを力道山ひとりで発掘、交渉、招聘はとんでもなく大変な作業です。そこで力道山は海外のプロモーターなどに開催のための協力を求めます。が、そんな中でも切り札だったのは海外で誰より顔の利くグレート東郷でした」


先輩「力道山は東郷に会う前にブラジル遠征をしているんだけど、ここで行った17戦のすべてのファイトマネーを東郷に差し出し、協力をお願いしたという話がある。しかし・・・いくらお金を積まれてもアメリカ出身だけでなく、各国出身という条件。普通に考えればそれだけで難しい。けど東郷はアメリカでファイトしているレスラーの中でも出身地がちがうレスラーや出身地に見合ったイメージのレスラーをその国の代表として、うまくブッキングしたんだね」


探偵「そうですね。東郷は力道山の話を聞きレスラーを揃え来日準備を整えました。59年、まさに各国がそろった第1回のそのメンバーは・・・アメリカ代表ダニー・プレッチェス。ラテンアメリカ代表エンリキ・トーレス。メキシコ代表ジェス・オルテガ。インド代表ターロック・シン。ドイツ代表ミスター・アトミック。ハンガリー代表キング・コング。そしてイギリス代表ロード・ブレアースという豪華なメンツです」



空港で参加選手を出迎える力道山。バラエティー豊かな面々がそろった



第1回ワールド大リーグ戦のポスター。三菱テレビに歴史を感じる




開会式。遠藤の向かって左側がロード・ブレアース。ロードはイギリスで“卿”を意味するそうだ


先輩「東郷とハワイ・タッグをやりあった元PWF会長のロード・ブレアース会長も出場していたんだ。で、ここに力道山、豊登、遠藤幸吉が加わるわけだね」


探偵「そうです。オルテガ、キングコングのような超巨漢レスラーからコブラツイストを日本で初めて披露したトーレスに、ブレアーズのようなテクニシャン。インドの神秘的な魅力を持ったシンと、それぞれ個性のそろった強豪が集まったわけですが、中でもこのシリーズで最もリーグ戦の人気向上になったのがミスター・アトミックでした」


先輩「日本に最初に現れたマスクマンはラウル・ロメロだけど、初めてプロレスのシリーズに本格参戦しテレビを通じて全国民に映し出されたマスクマンはこのアトミックだったんだよね」



日本におけるマスクマンのパイオニアだったミスター・アトミック。今でいうライガーほどの知名度だった


探偵「そうなんです。当時放送されていた月光仮面が人気だったこともあり、このシリーズ、初めて見る赤いマスクを被った正体不明のレスラーの人気は大爆発。こうしてリーグ戦を行いながら日本を巡業したワールド大リーグ戦は大成功をおさめ、日本プロレスの人気も回復。起死回生の一撃となったというわけです」


先輩「各国の並み居る強豪の中に、当時は未知の存在だった正体が謎の覆面レスラーを入れたのは大きかったね」


探偵「そうですね。謎や不明という点に人間が興味を持たずにはいられないという心理を見事突いていましたね」


先輩「しかも本来マスクド・プリチュアという名前だったのをインパクトを持たせるためにアトミックに変更させたんだよね。力道山のアイデアと東郷の"力"が見事にマッチした結果の大成功だったと思うなぁ。しかし・・・このときは東郷はブッキングのみで日本には来ていないの?」


探偵「そうなんです。先に触れましが、おそらくこの頃は東郷はもうプロレスからはリタイヤ状態ではなかったのかなと・・・なのでワールド大リーグ戦には来ていません。しかしワールド大リーグ戦から4ヶ月後の1959年9月4日から翌年60年の1月30日まで開催されたプロレス秋の国際試合というシリーズで9月18日から12月10日までレスラーとして特別参加で初来日を果たします」



プロレス秋の国際試合で初来日したグレート東郷


先輩「そうかぁ・・・48歳にして初めて日本の土を踏んだわけか・・・」


探偵「そうですね。大悪党がついにやって来たわけです」


先輩「花柄の着物に下駄・・・これは東郷ブラザーズ仕様とちがい、完全に日系の大悪党だね。幻のレスラーがついにベールを脱いだって感じで、いいね」


探偵「そうですね。で、通年、力道山とはパートナー的存在であった東郷ですが、このときは外国人レスラーとしての扱いだったようで・・・タッグにて力道山との対決が何度か行われていたようなんです」


先輩「意外だ。てっきり日本側なのかと思ってたが最初は外国人レスラー扱いだったのか。ということはこのときは海外でのファイトスタイルをそのまま行ったってことかな?」


探偵「そのようです。力道山と東郷の初対決は10月6日、東京の台東体育館でタッグマッチで実現しています。力道山は遠藤幸吉と組みグレート東郷、マイク・パドーシスという外国人選手と試合しているんですが、東郷は反則を駆使し、かなりの悪党ぶりを発揮したらしいです。結果は1-1の引き分けだったようです」


先輩「大悪党直輸入にして、かつての東郷ブラザーズ対決に力道山が絡んでいるとは、なんともすごい」


探偵「しかし、さらに驚くことに力道山と東郷、このシリーズにシングルを一度やっています。10月30日、東京・浪花町(現在は日本橋・人形町)のプロレス・センターで行われ、何十分勝負かは不明なんですが、結果は時間切れ引き分けとなっています。この試合はテレビもあったようですね。力道山相手に度胸満点の戦いをやってのけた。とありますが、残念ながら試合の写真は出てきませんでした」


先輩「このマイク・パドーシスというレスラーも10月6日までの特別参加で、東郷とパドーシスが帰国後は入れ替わりでジム・ライトが参戦している。このあたりを見るとシリーズ序盤戦から力道山とタッグで絡み、最終でテレビありのシングルってことは東郷はシリーズ前半戦のエース外国人扱いだったということだよね」


探偵「そうですね。で、これはボクの想像なんですが・・・東郷はこの頃にはプロレスから離れてしまっていたので、プロレスラーはこの来日から日本限定でだったんじゃないかな?なんて思うんですよ。ブッキングはもちろん、力道山はワールド大リーグ戦以降からは試合に関する相談もしていたそうで、マッチメイクなども任せていたところがあるようです」


先輩「そういうポジションだと、この方が都合がよかったのかもしれない。だからプロレスラーとして復帰して、その一発目が東郷をエースとして迎えたこのシリーズだったという・・・わかる気がするなぁ。しかし、すごいよ・・・そういう事情の想像もおもしろいけど、おれは真っ正直から見て、力道山vsグレート東郷。これはすごい対決、試合だったと思うんだ」


探偵「海外武者修行時代から縁があった力道山ですが、ウソつきで金にシビアな東郷を始めは好きではなかったようなんです。しかしワールド大リーグ戦からは信頼、信用が高まった。付き合いの中ではブッキング料で揉めたり大声出しての言い合いも多々あったようでしたが、ケンカしながらもいつも一緒にいたふたりは夫婦みたいな関係だったのでしょう。そんなふたりの対決ですもんね」


先輩「そう、こう、なんてのかな・・・やっぱり繋がる運命にあるというかね。でもおれが言いたいのはその他にもあるんだよ」


探偵「なんですか?」


先輩「グレート東郷はアメリカで大悪党だったわけだよね」


探偵「そうですね」


先輩「グレート東郷は大平洋戦争という歴史から人々の憎悪をプロレスで表した。大平洋戦争の憎き敵国の人間が卑怯な戦い方をし、これでもかというほどの憎しみを買う。それこそ一般人に刺されるほどのね。だからそれをやっつけるアメリカのレスラーには歓喜が上がったんだ。一方、力道山はどうだった?」


探偵「力道山は日本のヒーローで・・・あ!!」


先輩「そう。力道山は戦争で敗戦した余韻がまだある日本で、大平洋戦争の憎き敵国の、自分よりも大きくて力が強かった人間相手に攻撃されながらも耐え抜き、最後に空手チョップで倒したんだよ。戦争では負けたけど、日本の力道山はその戦争で勝った国の人をやっつけたんだ。その姿に歓喜が上がったんだよ。どう思う?」


探偵「同じです・・・戦争で引きずっていた人々の気持ちを歓声にに変えていたんだ・・・正統派と大悪党のタイプのちがうプロレスだったのに、東郷と力道山は同じプロレスをしていたのか・・・」


先輩「そうなんだよ。生まれた場所も生まれ育った環境もちがう。そんなふたりが出会って、同じプロレスをやって、同じ場所でプロレスを作ったんだ。そんなふたりの対決だったんだ」


探偵「試合で東郷は、相手を力道山にしていたんだ。そして力道山は相手を東郷にしていたのか・・・相手が光って自分が光る、自分が光って相手が光る、という・・・そんなふたりの対決、どんな戦いだったのかなぁ」


先輩「見てみたかったなぁ」



会場となった浪花町プロレス・センター屋上で余裕の笑みを見せる東郷。力道山相手にどんな試合を見せたのか?今はもうわからない・・・


その4に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。



運命の流星仮面~第五話~

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どうも!!流星仮面二世です!!


さあ5月・・・今年も、記念日がやってきました。


運命の流星仮面~第二話~


運命の流星仮面~第三話~ 


運命の流星仮面~第四話~


あの日、あのときマスクド・スーパースターがいなかったら、ボクらは出会えなかった・・・


7月4日、ボクはボクに会いに行った 前編


7月4日、ボクはボクに会いに行った 後編 


流星より愛を込めて 前編


流星より愛を込めて 後編 


マスクドにリスペクトを込め、そしてこの出会いに感謝を込め、今回も相模原サミット、やってまいりました。


今年の開催は5月4日。そう、ゴールデンウィークも真っ只中の日です。渋滞を視野に入れ、今年も早めに家を出ます。何も問題なければ2時間で到着するのですが・・・東京出るまでは実にスムーズだったのですが、東名高速に入った途端、な、なんだ!?さっぱり車が動いてないぞ?




うむぅ・・・


しかし帰省のとは逆方向なので、これは行楽へ向かう車の渋滞か?ラジオで交通情報を確認すると、厚木で事故で渋滞という。みんな、このときの渋滞、どれくらいだか、知ってる?


28キロ♪


ぶ、ブルゾン・・・


しかしジワジワと牛歩に前進し、なんとか目的地へ到着です。ここでまず独断小僧 さんと1年ぶりの再会。ご挨拶もそこそこに、我慢できない我々は早くもプロレストーク炸裂です。その後、亀熊さん、彼女さんと再会。今年も始まりました~。そのノン・リミッターな会話の内容は・・・



亀熊さん、前日にまさかのキラー・カーン

国際プロレスDVD鑑賞

ヘイスタック・カルホーンが思ってたより動きが早かった件

テーズのSTFが他のレスラーにはできないほどスゴすぎる件

寺西パンツ上すぎる件

鶴見テーズに遠慮気味な件

ファンクス、ブッチャー人気全盛時に裏でこのカードをやっていた国際はすごかった件

チャンピオン太(ふとし)をチャンピオン太(た)だと思ってた

猪木の死神酋長

エロビデオ今昔

アンダーテイカー?が、なんだキミは?に聞こえる

マスクド・スーパースターの近状

マスクドは相当なジェントルマン

マスクドが話したプロレス裏話

マスクドが最も強いと言った意外なレスラーとは?

ケンカに強いレスラーというのを聞かなくなった

マスクド・スーパースターと我々の出会いの話

ストロング小林のボディスラムを受けたレスラーの弁

ストロング小林の口調は素ではどうなのか?

ストロング小林が猪木戦で打撃を受けたときの仕草

バッドニュース・アレンとトム・ジンクとちくわぶ

願いが叶うという通販品を買った若き日

ビガーパンツは今

ビガーパンツの仕組みは?

ビガーパンツとちくわぶ

亀熊さんとレガ軍団

いつか流星仮面一派とレガ軍団で会いたい

ヤロウ、オホーツク海にぶん投げてやる

絵に心得のある独断さんが、ささのっちさんの絵を初めて見る

サクマシンさんやPなわさんのような熱烈ファンの伝説

彼女さんの従姪(従妹の子供)と現在のアイドル事情

独断さんブログの復活に期待

女子プロレスラー誰が好きだった?

元・女子プロレスラー達のお店いろいろ

いなくなったコワいヒゲのハゲ・レスラー

いなくなったモンゴリアン・レスラー

いなくなったインディアン・レスラー

流星仮面二世の新ネタは真壁

独断さんは真壁と同じ大会に出ていたことがある

独断さんの彼女さんと真壁の話


こうしてあっという間に4時間が経ち、このあとを実家で過ごすという亀熊さんが帰宅の途に。お忙しい中、本当にありがとうございました。

その後、残った我々は場所を移動し3人で第2ラウンドへ突入します。その後の内容は・・・


亀熊さんともっと話したかった

本間はリアルに優しい

彼女さんに接してくれた本間が優しいと本当にわかるエピソード

そこいくと○○は気分屋だ

しょこたんの父と彼女さん

しょこたんはちがいのわかる女

私のハートはストップモーションが、私のハートはスコット・ノートンだったら

宇宙戦艦ヤマトの歌が、さらば~ヤマトよ~だったら

キャンディ・キャンディが、バンディ・バンディだったら

アルバートさんはアルバート・ウォール

テリーはテリー・ファンク

ニールとイライザはシン、上田

アンソニーはどうする?

ベルサイユの薔薇はアンドレまんま


こうして止まらないトークのまま、場所を移動して食事し、気がつけば11時間近くが経過いていました。しかしそんな時間は感じず・・・もっともっと話していたかったという気持ちでした。

本当に、何もないところから始まって・・・何年経っても、こうして会って話ができる。なんてすごいことなんだろう。みんなとの友情。そしてその始まりをくれたマスクド・スーパースター・・・

亀熊さんが極秘に見せてくれた最近のマスクドの画像を見て、胸がいっぱいになりました。今日、この時があるのもマスクドが縁をくれたからなんだ。マスクドに会いたいな・・・このメンバーで会いたい。

思えば、このメンバーでの再会も奇跡でした。でも、実現しました。だからいつか、マスクドにも会える日がくればいいな・・・帰りの車でそう考えていました。

そしてなにより、みんなに会えてよかったと、本当に思いました。

た会いましょう!!どうもありがとう!!


 









目に青葉 山ホトトギス プロレスだ!!

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どうも!!流星仮面二世です!!

さあ今回はですね、5月27日に茨城県のつくばカピオアリーナで行われました新日本プロレス

鉄拳7 Presents BEST OF THE SUPER Jr.24」

行ってまいりましたので、その模様をお伝えしたいと思いますよ~。 

さて、昨年は小学生最後の地方興行、最後のチャンス(魂の、ゴング!! )で、オカダに触れることができた三世でしたが、今回は中学生になって初めてのプロレス観戦。小学生最後、春休み最後の日に目にしたあの両国(桜の花の咲く頃に )から早や2ヶ月が経ちました。

新天地中学では仲いい友達を次々と柔道部に引き込み、同時にプロレスファンにしてしまった上に、筆入れに新日ライオンマークを付け日々ファンぶりをアピールした結果、それを見た理科の先生が反応。プロレスファンだったことを発見し、まさかの教員にて新たなファンを発掘するという、まさに新間寿なみの過激な仕掛人ぶりを発揮した三世。そんな三世が今回は会場でどんなドラマを見せてくれるのか?と期待したそのとき、三世にプロレスファン歴が始まって以来の史上最悪の事態が襲う・・

今回は、オカダが来ない!!

「おれ、行かない・・・」

わかったよ・・・父さんはなにも言わん。というわけで今回の観戦記、いかがでしたでしょうか?みなさんもう6月です。梅雨に入ると体調崩しやすくなるので、体調管理ですね、気をつけて楽しいプロレスを見ていきましょう!!

最後までありがとうございました。

いや!!

そりゃ対戦カードはチケット購入時では未発表だったのでわからなかったが、しかしエースで核のオカダが来ないとは・・・日程を見てみると、この週は22日の後楽園ホールから28日の群馬までオカダの名前がない。Twitter見ると、どうらや九州あたりでオフを楽しんでいるようだ。レスラーにはオフは必要。しかし、このタイミングとは、こいつは読めなかったなぁ・・・

しかしまいった。この4年間は観戦でもテレビでもオカダを見るためにプロレスを見ていたんだ。見てください。小学校時代には工作も・・・


三世特製、これを使えばヘビーレインでも剝がれないレインメーカーセロテープ

卒業記念品もオカダなんだよ。


三世特製、音色が金の雨のようにあなたに優しく降り注ぐレインメーカーオルゴール

中学入って教室に貼り出す自己紹介のカード。好きなスポーツの欄、プロレス。好きなテレビ番組の欄、ワールドプロレスリング。趣味の欄、プロレス観戦。そして尊敬する人の欄!両親やお母さんとみんなが書く中、三世のその欄はオカダカズチカ!!尊敬する人がオカダカズチカですよ!!素晴らしい・・・涙が溢れんばかりです(おれも同じ時期はアントニオ猪木って書いてたもんな)

これだけの、その最大の楽しみが来ないんだから痛い。仕方がないことなんだか、でもこのヘコみようは見ていて気の毒だなぁ・・・

でもほらぁ~三世の好きなリコシェが来るよっ♪内藤も最近はかなりお気に入りじゃないかっ♪ついでにお父さんの好きなウォーマシンも来るよ♪ と励ましてみる。

「ウォーマシンはどうでもいいんだけど、そうだなぁ~。内藤来るから行くかなぁ」

テンション、低い・・・っていうか何だ!?どさくさに紛れてウォーマシンがどうでもいいとはどういうこった!!

まあ、しょうがない。こうして(?)なんとか行く運びとなりました。

というわけで、こちらです。


三世オカダロズによるメンタル低下により撮影拒否のため、OPはひとりです・・・

回はこちら、つくばカピオアリーナ、この後ろの建物なんですね。こちらは1996年7月に、このつくば市の竹園というところに出来た、スポーツや演劇などに使用される多目的な文化施設になります。今でこそつくば市は他県にも知られるほど発展しましたが、この竹園はまだつくば市が全国区になるはるか昔から、早くからつくば研究学園都市として発展してきた場所です。そんな竹園に20年前にできたのがここつくばカピオアリーナなんですね。

実はここ、ボクの実家から車で数十分の位置にあるところで、しかも母親の実家がつくば市ということで小さい頃からの馴染みな土地でした。しかし久々に来たら多数の巨大マンションが立ち並び、ショッピングモールや飲食店が軒を連ねていてびっくりというかア然。あまりに変わりすぎてて完全に浦島太郎状態に陥ってしまいました。これだもん、おれなんか同じ茨城に住んでても訛ってるって言われちゃうわけだ。

今回の観戦メンツは三世と前回の水戸大会から現場復帰した、しゃべるブラックホール、肉体暗黒物質といわれるマスクド・スーパーマザーことウチの嫁。そして今回初登場は以前の記事で(駄文ダブン3話 )ボクをオカダに似てると言ってくれた棚橋に似ているお母さんと三世の同級生であるその息子さん。このお母さん、高校時代は県内の強豪校で柔道に打ち込み、かつては全女のオーディションにも挑んだことがあるほどのプロレスファン。さらになんと、あの桜井マッハ速人の先輩で現在でも交流があるというある意味筋金入りの方です。そしておなじみボクの先輩と、同じ会社のIさんと世界一のケンドー・カシンファンのPなわ  さんです。


先頃、あの
サクマシンさんとも同盟を結んだPなわさんです

では試合です。この日はジュニアのリーグ戦中とあり通常の試合の他、Bブロック公式戦が4試合行われました。印象に残った試合を振り返ります。


第1試合20分勝負
岡倫之、川人拓来(かわと ひらい)vs北村克哉、海野翔太

まず個人的に注目していたのが川人。初めて見たのは昨年の12月の水戸でなんですが、この選手のドロップキック、跳躍力、滞空時間がとにかくすごいです。まだ形や当りにぎこちなさがありますが、これがまたフレッシュでいいですね。しかし将来、このぎこちなさも消えモノにしたときはオカダのドロップキックを超える可能性大ですよ。期待大です。

あと、圧倒的だったのが北村です。技云々ではありません。動くたび館内がどよめきます。見る気はなくても見てしまう、そして一度見たら忘れられなくなる。意識せずとも見た者をすべてすごいと思わせてしまうその肉体は、無意識なクリックひとつでパソコンに入り込んでしまうコンピューターウィルスにも似た、まさに筋肉のルウェア、肉体サイバーテロだ!!この筋肉は、ウィルス対策不能だー!!

ヤングライオン同士の試合は、いつの時代も一生懸命さがいいですね。ただ、ボクはもう少し感情出してやりあってもいいと思いました。膝まついた岡に北村が頭を何度もひっぱたく場面があったのですが、そういうときどうするか?なんですよね。近年はちょっと小柄が多くなった新日本に久しぶりに入った、北村と岡。いいヘビー級です。本当に楽しみ。特にボクは岡に期待してます。がんばって~。


ボクは岡派です。がんばれ~


3試合30分1勝負Bブロック公式戦
ACHvsエル・デスペラード

三世曰くACH、このレスラーがタイガー・ザ・ダークだったそうな。なるほど、そういえばそんな感じもしますね。試合はデスペラードがラフ攻撃で攻めます。デスペラード、場外でなんと我々の一団のところまでACHをぶっ飛ばし(南側5列目まで)膝に強烈なイス攻撃敢行!!周囲の席はめちゃくちゃ、荷物はぐちゃぐちゃの大惨事。ボクのスマホも彼方へ飛んでいってしまいました。

この突然の乱闘に驚き迫力に押され目が点になる周囲の客たち。しかし!!この状況下でただひとり、スタッフ、若手レスラーを掻い潜り、あの雪の札幌テロリスト事件の藤原のように、だが笑顔でACHに忍び寄る人物が・・・おおっとこれは?ウチの嫁ですね!!

「さわっちゃった!あたしだけ~」

この大惨事に歓喜を奮う嫁。うぬぅ~。しかし、このあと選手がリングに戻ったあと、嫁が駄目押しに伝家の宝刀を抜きます。

ところで、あの黒人は誰?」

やっぱり知らなかったのか・・・


第5試合30分1勝負
デビッド・フィンレー、獣神サンダー・ライガー、ハンソン、レイモンド・ロウvsマーティ・スカル、高橋裕二郎、タンガ・ロア、タマ・トンガ

さあお待ちかね!!ここはおれの出番!!こんな昭和なファンのボクにしてツボったハンソンとロウのお出ましです!!ゴングを待たず、思わず

「ハァンソォーン!!」と

声を張り上げます。すると負けじと声を張り上げたのは満を持して登場の先輩。

「マぁーティー!!」

その咆哮に先輩の前の席で観ていた中学生ふたり組が、まるで電流でも流されたかのようにビクッ!!っと驚きイスから10センチほど飛び上がる。漫画だったらマユ毛も顔から飛び上がっただろうこの事態を、中学生は苦笑いでごまかしこちらを見る。しかしな中学生たち、会場に来たら声出さないと楽しめないぞ~。さあ一緒にやるんだ。マーティーって・・・ん?マーティって、レフリーじゃ!?

試合は巧者のライガーが軸となりファンを魅了しました。入場から退場までとにかくライガー人気はすごいですね。ご本人も楽しんでいる様子が伺えて、見ていて本当に楽しかったです。でもボクはやっぱりハンソンですねぇ。どうすかこれ?


いいでしょ~

マッチョ体型でないがパワーがあって、で、そこにきて昔のレスラーみたいなリングコスチュームです。ツボります。ZZ Topみたいなヒゲもたまりません。ボクはこういうタイプたまんないです。昨年の水戸に次いで近くで見れてよかったです。


第8試合30分1勝負
ドラゴン・リー、リコシェ、ジュース・ロビンソン、小島聡vs高橋ヒロム、“キング・オブ・ダークネス”EVIL SANADA、内藤哲也

さて、ここまで・・・第6試合あたりからオカダロスもピークに達してしまった三世は第7試合には半目を瞑りぼーっ・・・もはやかける言葉すら見つかりません。こんな気の毒なプロレス観戦が今までにあっただろうか・・・

この日、メインで出るはずだった棚橋も欠場になってしまい、よりによって代役が小島という事態(ボクと三世は小島が好きではないのです)やはりテンションは上がらなかった。お気に入りのリコシェを目の前にしてもあまり変わらず、一方でジュースの入場にひとりリオのカーニバルと化し盛り上がる嫁を尻目に益々うつむいてしまった三世。

やがて内藤の入場になるが、この精神状態では・・・とふと横を見ると

の?ノリノリじゃねぇか!!


しかもいつの間にロスインゴの帽子を!?

「おれは絶対オカダファンだけど、これだけ一度やってみたかったんだ」

というと三世は、ロスインゴの入場が終わるとすぐに帽子を終います。そうか、普段はオカダ仕様で一筋だからオカダ以外を応援することはない。得てして他の選手のグッズを身に着けることはないもんな。まさに今日だけしかできないことだ。

「いい帽子だ~。もう被ることはないけどね」

そうかぁ~。その瞬間だけのために帽子を・・・父さんはうれしいぞ~。

さて試合です。思わず目を見張ったのは高橋ヒロムですね。この選手、近くで見るの初めてだったんですが、あれですね、動きが「速い」ですね。

それはジュニアだからでしょ~?と思うかもしれませんが、そういう速いではなくてですね、動きといっても動作が速いんですよ。リングを走ったり次の動作へ入ったりという、そういう足を使って動く動作ですね。この動きが他のジュニアの選手より段違いに速いと感じました。

たとえばリコシェやオスプレイって、動きどうですかね。すごいですよね。これは動いているとき、動体がよかったり技の高さ、跳躍力や技のポテンシャルが高いからそう思えるんだと思います。身体能力の高さですね。それとテンポですね。技と技、相手との交差ですね。このテンポがいい、こういう動きが優れている選手もいます。でも高橋ヒロムで今回言いたいことは、こういった動きのことではなく瞬発力、機敏性の面ですね。こう瞬間瞬間でパッと体を動かす力を出すというですね、これに優れているという点なんですよ。そういうのがすごいと思いました。きっと他の競技やってもいいとこ行ったと思いますね。まあ何よりですね、高橋ヒロムがチャンピオンになってからジュニアの試合も見れるようになったんで、これから楽しみです。

あと、もうひとつ。SANADAです。正直、SANADAは今のポジションに満足しきっちゃってる感じで新日本来てから発展や進歩が見られていないんじゃないかなと思いますね。技もフィニッシュも単調で、自己主張も感じられません。単にロスインゴのひとりで無難にやってるだけにしか見えませんよ。いいんですかそれで?もっとできるはずですよ。体もあるし動きも本来もっとすごいはずです。もっとね、対戦相手はもとより内藤に逆らうくらいの勢い持ってやってもいいと思いますね。


全体を振り返ると、地方ですが公式戦とあり、ジュニアの試合はどれも大技が出て見ごたえがありました。またオカダ、棚橋不在でも会場にはたくさん人が入っていて、このあたり見ると新日本も安定したんだな~と感じましたね。


最後は地方では珍しく内藤が最後を締めました

試合も終わり、出口付近に行くとフルコンプリートのライガーコスチュームを身に纏った熱烈なライガーファンの方が。あのライガーさん、よく会場やテレビで見かけるね~と三世と話ししてたんですが、一緒に行ったPなわさんとは同じマスクマン同士で顔馴染みだそうな。ここでこのライガーさんとファンの方々が記念写真撮ってます。それじゃ~この機会にとボクも一緒に写真撮らせていただきました。


おおお

Pなわさんに聞いたところ、ライガーいるところその姿ありといわれた世界一のライガーファンで、りんざいさんというお方だそうです(獣神さんのブログ

このりんざいさん、ボクのマスクを見るなり、お、マスクド・スーパースターですね!と即反応してくれました。ブログやTwitterはライガーど真ん中ですが、あの即答ぶりはプロレス全般でもいろいろ知っているベテランファンに間違いないです。お会いできてよかったです!!

その頃、表では三世と嫁がなにやら・・・何かをしていたようです。戻ってきた三世、

 「今、そこに北村がいたから握手したよ!!腕も触らせてもらった!!すげぇ太かったよー!!」

そうかぁ!!よかったなぁ~。と話していると今度は嫁が戻ってきて

「今、そこに北村がいたから」

ああ、今三世に聞いたよ。握手してもらったんだっぺ?

「ちがう、抱きつかせてもらった」

だ・・・さ、さすがはあのジェラルド・ゴルドーをも手に取った女、最後まで破壊力がちがうな・・・

さて、三世の初めてとなったオカダのいない新日本でのプロレス観戦。確かに、三世にとってはいつもより面白さには欠けてしまったかもしれません。しかし、好きな選手だけを見て楽しむだけでなく

"プロレス自体を楽しむ"

ということをわずかでも体感できたなら、広くプロレスを見るということが感じられたなら何よりだったと思いました。

そして・・・あの暗黒期、先輩とふたりで観に行った2007年の新日本。空席がたくさんあって・・・半ばファンとは呼べない人がいて、歓声もありませんでした。あれから10年。見渡せば、会場には家族連れが多く、ブカブカのおっきなタイガーマスクを被り、お父さんに抱っこされた男の子や小さなライオンマークのシャツを着てトコトコ歩く女の子など、2、3歳くらいの小さなお子さんを連れた家族から小学生連れ、中学生など幅広い層のお客さんが多数見られました。ボクの周りも、気がつけば並びの席には家族に同じ会社の人に、子供の友達までいます。そして会場で偶然会った知り合いも嫁の方にはいたようでした。

明日、どこか行くの?と聞かれ

「プロレス観に行くんだよ」

と答える。そんな会話に、かつてはなんの反応もありませんでした。でも今は、いいな~。おれも一回行ってみたいなぁ。今度は声かけてよ!という人が多くなり、息子にも、今度この友達が一緒に行きたいから連れてってよ!と言われるようになりました。

プロレスファンは、プロレスが好き。それだけでいい。でもボクは、こうしたプロレスに至るまでの流れを実感できることも大好きです。これからも、もっと、ずっと・・・だからまた行こう。

どうもありがとうございました。






輝けエメラルド

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どうも!!流星仮面二世です!!


相変わらずパソコンが修理中ですが、スマホでがんばって参ります。


さて、今日はですね、6月17日に茨城県の土浦市にあります霞ケ浦文化体育館で行われましたプロレスリングノアの


「Navig. with Emerald Spirits 2017」


行ってまいりましたのでそちらの模様をお送りしたいと思います。


まず場所ですが、こちらは霞ケ浦水郷公園と敷地を共有しております非常に大きな施設になります。茨城県土浦市でかつてプロレスといえばここという、土浦スポーツセンターがなくなった後、90年代に新日本、全日本が茨城の県南に来た際にはよく使用されていたところなんですね。実はボクの母校が目の前でありまして、高校時代は朝練で周囲を走らされた自分にとっては非常に悲しい思い出のある・・・いえいえ、なつかしい場所であります。


霞ケ浦文化体育館は大体育館と小体育館とありまして、大体育館は固定の観客席もあり3000~4000人は収容できる非常に大きなところです。で、今回は収容人数で行くと500人くらいの小体育館の方ですね、こちらで行われました。


三沢が亡くなって今月13日で8年の月日が流れました。その間いろいろなことがあった団体です。新日本との提携もなくなり、鈴木軍も去ったノア。現在はどんな感じなのでしょうか?さっそく行ってみましょう。


試合開始前、会場にファンが入ってきますが、まず驚いたのがファン層です。この日、一番多かった層、なんとボクよりも年上の層なんですよ。おそらく60代くらいですね。この層が選手入場側の方の席を特リンからです。つまりプロレス会場で一番いいとこですよ。ここにずらっと並んでいました。もちろんその他の席にも結構います。50代、40代もいますが、いやぁ~これはちょっと意表を突かれましたね。昨年の新日本のG1のときはノアの選手出たときはノアのタオルとか持った女性ファンがちらちら目についたので、今回も女性ファン多いのかな?なんて思っていたんですが、地方はまた事情がちがうんでしょうかね?


そして次いで多かったのは女性ファンですね。でも割合的には3割ちょっとくらいでしょうか。そして次いで家族連れです。それも小さいお子さん連れが多かったですね。中学生同士のグループなんてのもいて、なかなかバラエティ豊かな会場です。


開始30分くらい前ですかね、まず小学生以下のお子さんがリングに上がって写真撮影などができるファンサービスがありました。小さい子は大喜びでリングに上がりロープに走ったりコーナーを触ったりと笑顔が絶えません。これはいいですねぇ。


そして、次いでこちら。NPO日本移植支援協会からご挨拶がありました。

 


 
ご挨拶をしてくれた支援協会のみなさん

 

こちらは文字通り日本での臓器移植を支援する活動を行っている団体なんですね。この普及啓発活動にノアは三沢のいた時代から応援しているということです。

 


 
会場内には三沢の意思も飾られていました


HPはこちらです。


NPO日本移植支援協会 


ボランティアで非常に重みのある活動、本当に頭が下がります。みなさんも一度HP覗いてみてください。どうぞよろしくお願いいたします。


さあ、では試合行きましょう。



第1試合 15分1本勝負 


大原はじめvs井上雅央


これはまず井上雅央にびっくりですよ。今日、見るとは思わなかったのでびっくりしましたね~。


試合の方は、ごめんなさい。第1試合、この日一番おもしろくなかったです。ボクはこの大原という選手、初めて見たんですが試合中にとにかくしゃべるんですよ。試合前から終わりまで何かあるたびいろんなことをしゃべるんです。対戦相手にだったりレフリーにだったり、客席にだったり・・・これが耐えられなくイラつきました。で、井上も言葉発するんですが、この掛け合いもおもしろくなかったです。第1試合目、掴みですよ。いいんでしょうか?ボクは、この先の試合みんなこんな感じなのかな?とこの時点では不安になりましたね。



第2試合 20分1本勝負

 

小川良成、諸橋晴也vs原田大輔、YO-HEY

 

いやぁ~小川良成ですよ。2年前の天龍の引退試合で見ましたが、近くで見るのは20数年ぶりです。小川、見かけも変わってなくて動きもよくて、なんだかうれしくなりました。小川は地元茨城ですしね、ファイト見れてよかったです。


で、実のところ、小川以外はごめんなさい。知らないレスラーです。諸橋、原田、YO-HEYは今日初めて見ました。が、第1試合目では不安になりましたが試合の方はここからはレスラーのおしゃべるもなく激しくなってよかったです。


しかし・・・ちょっとどのレスラーも小粒ですね。ジュニアなんでしょうけど・・・特にYO-HEYという選手。あまりに細いんで調べてみたら75キロしかないそうです。昔、新日本に来たネグロカサスより軽いのか・・・と思いましたが、実際はもっと軽そうですねぇ。こういうの気にしちゃうボクの価値観は古くてだめなのかな?

 

第3試合 30分1本勝負

 

熊野準vsコーディ・ホール

 

ええ!?っと思った方も多いと思います。そう、新日本のバレットクラブでやってたコーディ・ホールですよ。まさかこんなところでコーディに会うなんて夢にも思いませんでした。というか、いつからここにいるんでしょうか・・・確か新日本で首痛めて欠場してたんじゃ?


ボクはちょっとよくわからないんですが、とにかく元気そうでよかったです。ファイトスタイルは相変わらず。パワーもあるし動きも大きさの割に軽いですね。しかしちょっと大味かなぁ。でも、やっぱり親子とも知っているレスラー。ボクはここぞとばかり声張り上げてました。そしたらリング上から、ちゃんと応えてくれました。

 

この試合後、コーディのサイン会あったので行きました。

 


 
ちょっとピンボケしちゃいましたがコーディでしょ?

 

コーディ、小さなお子さん抱っこしてあげたり日本語での対応もしたりでとにかくすごいファンサービスぶりです。ボクもサインいただいて・・・この日のフィニッシュがラリアートだったので


「レイザーズエッジ、OK?」


と言ったら、オオオーイエス!!とフルスイングで握手してくれました。負けじとボクもスイングさせましたが、手、痛かったぁ・・・でも、うれしかったなぁ。サイン大事にします。いつかオヤジのようにビッグになっておくれ。応援しているよ~。



第4試合 30分1本勝負 

 

HAYATA、タダスケvs石森太二、Hi69


第4試合に出場したレスラー、申し訳ないですが知っているレスラーがひとりもいませんでした。


しかし石森は、家で三世がカレールーと呼んでおり・・・カレールー?昔、キン肉マンにカレクックってのいたけど、なんか関係あるのかな?と思ったら腹筋が鍋で溶かす前のカレールーのように割れているのでそう呼んでいるそうな。そういわれると、確かにすごい腹筋。いや、体がすごい。全盛のジミー・スヌーカを思わせる体です。


この石森、ジュニアのタッグチャンピオンなんだそうですが、このタッグチーム同士の試合はよかったですね。ジュニアなんですけど、飛んだり跳ねたりばかりでない、リングでの攻防が多かったのは感心しました。しかし、ジュニアにしてもみんな小柄ですね・・・今はどこのジュニアも小さいんでこれは仕方ないのかなぁ~。



第5試合 30分1本勝負

 

小峠篤司、潮崎豪vs拳王、清宮海斗


この日、一番よかったのがこの試合でした。とにかくどの選手も攻撃に妥協がないんですよ。特に打撃技がすごい。中でもすごかったのはやっぱり潮崎のチョップでした。打つと冗談抜きで会場が揺れるんですよ。音もすごい。でも、この拳王というレスラーが打たれながら負けじと胸へミドルキック打っていくんですね。これがまたすごい。このやりあいが、とにかくすごいんです。そこから大技出して、スリーカウントギリギリで返してと・・・見ていたら地方興行なんてこと忘れてしまうような、ビッグマッチ見ているような感覚になるくらいでした。とにかく激熱でした。


そんな中で、この大会で一番印象に残ったのがこの清宮という選手でした。この選手はまだキャリアはそうない若い選手なんだと思いますが、いいですね。初めて見たんですが、おもいきりがあっていいです。技はちょっとばらつくところもあるんですが、何をするにも全開、一生懸命でよかったです。これからノア内はもちろん、可能であれば他の団体とかにも出ていろんなレスラーとファイトして、いろんなものを吸収してほしいですね。そうすれば必ずいいレスラーになれますよ。



第6試合 60分1本勝負

 

中嶋勝彦、マサ北宮、斎藤彰俊vs丸藤正道、マイバッハ谷口、モハメドヨネ


メインは知っているレスラー勢揃いです。


まず、いやぁ~久々に斎藤彰俊、見ましたよ。斎藤彰俊も2年前の天龍の引退試合以来です。今回はちょっとおとなしめでしたね。蹴りもスピンキック1発のみで、あとはまったく出しませんでした。だいぶ太ったように見えましたし・・・あまり動けないのかなぁ?斎藤の蹴り、見たかったなぁ。


丸藤は昨年の10月のオカダ戦以来で見ました。調子よさそうで動きよかったですね。でも、なんか持て余している感じしました。見合う対戦相手が今いないんでしょうかね。ほしいところですね。


現在は中嶋がGHCの王者なんだそうですが、ちょっとこう、うーん・・・チャンピオンとしては、やっぱりインパクトに欠けるかなぁ~という感が拭えない感じしました。三沢、小橋が巻いたベルトのチャンピオンだから、というわけでなく、ベルトを持つ者としての貫録というんでしょうか、こう、どっしり感がないんですよね。昨年のG1のときも書いたんですが、技も蹴り、なんですよ。攻めも反撃も蹴りなんですね。もうひとつほしいなぁ~と・・・思いました。




試合全体を見て思ったのは、まず、ノアはエルボー、チョップ、顔面へのキックなどの打撃技が強くてエグかったという点でした。特にエルボーの当たりは、誰が特にというわけではなく、使う人みんな当たりが強く、角度もあってよかったですね。でも、けして乱打、乱発ではありません。三沢のエルボーが生きているんだなと思いました。本当に見入りました。


それと、ひと試合ひと試合ごとでレスラーの技、動きが被ってなくて、これはよかったと思いました。たとえば新日本なんかは同じ技や動きが各試合で見られることがありますよね。例のタッグでコーナーへ相手を置いておいて代わる代わる走っていき突っ込んでいくやつとか、ロープに走った相手に合わせて交差して一緒に走って攻撃するとか・・・そういうのを第2試合でも誰かがやって、第3試合でも誰かがやってっていうのがありますが、ノアでは各試合が確固されていて、これがなかったです。すごくいいことだと思いました。


あとタッグは、コーナーにタッグロープが付いていて、タッチの際にみんなこれを持って、ちゃんとタッチしていました。もしかすると今のファンはタッグロープすら知らないかもしれません。そんな中でこういうところをきちんとやるの、すごく素晴らしいことだと思いました。


残念だったところは、個々の試合はよかったのですが、団体を代表するこれだ!!という決定的なレスラー、いわゆるエースがいなかった・・・いや、いたのかもしれませんが、感じることができなかった点です。


試合は予想していたよりもおもしろく、楽しめました。正直、会場は大きくなく、観客も150人くらいだったと思います。でも、レスラーはみんな全力ファイトでいい試合を提供していました。地方でもこれだけやるとは・・・もっと大勢に見てほしい!!とボクは思いました。本当によかったです。でも、そういう中にあって最後、エースのレスラーは他の試合とはちがう何かを見せ、残さないと・・・ボクはダメだと思いますね。


今回、現在のノアを見て、2007年に行った低迷しているときの新日本を思い出しました。空席が多くて、静かで・・・レスラーがいい試合するのに反応がなくて。でも、そんな中で必死に応援するファンもいて・・・試合後、棚橋がみんなと手を取り合って・・・本当に似ていると感じました。


新日本は今のように復活しましたが、ボクはノアも、やり方次第でその未来はあると思います。がんばれ!!


最後までありがとうございました。




ふたりは仲良し

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お母さん「さ、お弁当も出来たし♪あとは送ってくだけね♪」

バタン・・・


忙しい朝。朝食とお弁当を作り終えた食卓の、閉じられた冷蔵庫の中から何か声が聞こえるぞ・・・?


マヨネーズ「今日も朝食にお弁当にいっぱい使ってもらえたぞ!!うれしいなぁ~。ね、ケチャップさん!!」


ケチャップ「え?ええ・・・」


マヨネーズ「あれ、どうしたんだい?ケチャップさん?なんだか元気ないよ・・・?」


ケチャップ「いえ、なんでもないわよ・・・」


マヨネーズ「そんな?なんか変だよ?賞味期限でもきたのかい?」


ケチャップ「いや・・・何でもないのよ、本当に・・・」


マヨネーズ「そんな・・・なんか変だよ絶対!!話しておくれよ!!ボク達いつも食卓で活躍している仲間同士じゃないか」


ケチャップ「そこなんだよ!!」


マヨネーズ「・・・け、ケチャップさん!?」


ケチャップ「ご、ごめん、私・・・」


マヨネーズ「そこなんだよって・・・一体・・・」


ケチャップ「ホントなんでもないの・・・ごめん」


マヨネーズ「気になるじゃないか・・・話ておくれよ。ボクらいつも食卓で活躍している友達じゃないか!!もしボクがわるいなら謝るよ。だから」


ケチャップ「そこなんだってば!!」


マヨネーズ「け・・・!?」


ケチャップ「いや!!ホントごめん!!」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・ボクが嫌いなの・・・?」


ケチャップ「・・・そんなこと・・・ないわよ・・・」


マヨネーズ「いや・・・嫌いなんだね?」


ケチャップ「そんなことないってば・・・」


マヨネーズ「いや、嫌いなんだ!!そうなんだね!!」


ケチャップ「ああ、そうだよ嫌いだよ!!このカロリーハゲぉ!!」


マヨネーズ「は、ハゲぉ・・・」


ケチャップ「私は・・・もうアナタの噛ませ犬になるのはイヤなのよ!!」


マヨネーズ「噛ませ犬って・・・一体キミのどこが嚙ませ犬だっていうんだよ!!ボクはキミを今まで一度もそんな目で見たことはないよ!!一体何を根拠にそんな!?」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズよ!!」


マヨネーズ「け・・・!?」


ケチャップ「私はアナタと混ぜられて食べられる。よくある話よ・・・でもそれは本当にその味が、ケチャップマヨネーズが好きで、味わいたい人が意図的に作っていると・・・アナタは本当にそう思っているの!?」


マヨネーズ「そ、そんなこと急に言われても・・・」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズを味わいたくて、わざわざスーパーに行ってわざわざマヨネーズとケチャップを買ってきて、わざわざ混ぜたの作って、ポテトとか食べる人がいるの?って言ってるのよ!!」


マヨネーズ「そ、それは・・・」


ケチャップ「マヨネーズに一味足りない。どうしようかな?ああ、冷蔵庫にケチャップがあるからとりあえず混ぜておこう♪とりあえず添えておこう♪って、とりあえず手頃にあるから使ってるのよ!!私なんてそれくらいのもんなのよ!!私はもう、そんなとりあえずがイヤになったのよーッ!!」


マヨネーズ「そんな・・・でも子供も大人もキミとボクの、ケチャップマヨネーズは喜んで食べてくれるじゃないか!!」


ケチャップ「だったら聞くけど、そんなにみんなに喜んで食べてもらってる、消費量もまあまああるケチャップマヨネーズは、なんで商品化されないの?需要があるなら初めから混ざったの売ればいいじゃないの!!マスタードマヨネーズみたいに!!」


マヨネーズ「い、いや、で、でもそれは・・・」


ケチャップ「ケチャップマヨネーズは長年食されてるわりに、いつまでたっても商品化されないじゃないの。なぜなの?なぜなのよ!!」


マヨネーズ「そ、それは・・・」


ケチャップ「わかってるんでしょ!!私がアナタの添え物に過ぎないからよ!!」


マヨネーズ「そんな・・・」


ケチャップ「アナタは種類も多い。からしマヨに新鮮卵、油のちがうもの、カロリーハーフ・・・料理との相性も相当なものよ。私は体にいいけど、アナタは懸念される。けど消費量はアナタよ。人の舌は正直なのよ。結局おいしい方が売れるのよ。私はアナタの・・・引き立て役でしかないのよ」


マヨネーズ「で、でもキミはオムライスやスパゲティーでは主役じゃないか!!」

 


ケチャップ「単品ならね、そうかもしれないわ・・・でも、それも昔の話なのよ。昔は私はポテトやから揚げに単独で添えられていたものだったわ。思い出すわ・・・運動会。お弁当に入っていて、お昼にみんなで食べて・・・ほら、午後もあるのよ、服にケチャップつけないで食べなきゃダメでしょう!!ってお母さんの声・・・でも今はないわ・・・必ずマヨネーズと一緒だものね」


 マヨネーズ「・・・」


ケチャップ「アナタは揚げ物はもちろん、裂きイカからお菓子類、ゆでたジャガイモから焼きそばからのり弁まで、とにかく種類を選ばない。私は・・・使われる料理もそりゃあるけど、やっぱりアナタには及ばないのよ。アナタみたいにはなれないのよ・・・ただ食卓にある手頃な調味料として、とりあえずケチャップ混ぜとくか♪ってアナタと混ざり合うことくらいしか出来ないのよ。所詮、私は野菜だかフルーツだかもわからない植物の実のなれの果て・・・動物性のアナタにはかなわないのよ・・・だから・・・ううう・・・」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・」


ケチャップ「ごめんなさい・・・私は・・・なんてことを・・・」


マヨネーズ「ケチャップさん・・・ごめん・・・キミの気持ち、ぜんぜんわからなくて・・・わるかったよ・・・人間が混ぜちゃうからボクにはどうしようもないけど、でもポテトもから揚げも、やっぱりボクひとりじゃおいしくないよ。最初はおいしいかもしれないけど、ずーっと脂っこいとね。カロリー高いし・・・だから・・・だからキミがいないとダメなんだよ」


ケチャップ「マヨネーズさん・・・ううう・・・ごめん・・・」


マヨネーズ「いいんだよ。また混ざろうよ」


ガタン、トン。


マヨネーズ、ケチャップ「!?」


とんかつーソース「あ~もう黙って聞いてれば・・・ヘドが出るわ。何よこの痴話ゲンカは。今日という今日は我慢できないわ。言わせてもらうわよ。だいたいあんたらね、言ってることが勝手なのよ。このキューピーはとんかつに便乗してくるし、そっちのデルモンテはハンバーグのときだけアタシと混ざろうって魂胆よ。いい?ソースってのはね・・・」


マヨネーズ・ケチャップ「・・・」

 


 前ブログ 2007年04月29日 婿ちゃん小劇場・小話シリーズ

「ふたりは仲良し」でした。




お知らせ

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どうも!!流星仮面二世です!!


今日はお知らせです。


当ブログにもコメントくださいますジャスト日本さんのブログ


ジャスト日本のプロレス考察日誌


こちらで掲載されています「俺達のプロレスラーDX」が電子書籍化することになったそうです。


重大発表


プロレス仲間が飛躍していく姿を見るのは本当にうれしいものです。


これからもアツい更新、よろしくお願いいたします!!

名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その1 悪党創世記~

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どうも!!流星仮面二世です!!


さて、プロレスに限ったことではなく、その昔、趣味を見渡したときには子供が読める、子供にターゲットを絞った内容の本で、いわゆる大百科や大全科と言われるものが、かつては必ずあったものでした。


怪獣、ラジコン、プラモ、アニメ、鉄道にカメラに釣りに生物、そして各種オカルトモノまで・・・ワード入れて検索するとあっという間にわかっちゃう現在とちがい、コアな興味の追求には本が不可欠だった時代。その中において大百科や大全科の存在は、趣味の入口でもあり知識を掘り下げる参考書でもあったのです。


そんな大百科系の本を、ボクが初めて買ったのは小学校の3年生の時だったでしょうか・・・秋田書店のプロレス大全科というものでした。


当時、レスラーというのは


“時代を遡るほど、昔になればなるほど強い!!”


という信念を固く持っていたボクは、フラック・ゴッチを先頭にNWA歴代世界王者順から始まるこの本に魅了され、絶対これだ!!と買った思い出があります。他にも悪役、マスクマン、技能派、黒人、ファイター、そして全日本、新日本、国際と分けられ、様々なレスラーが載っていたこの本はボクにとってはまさに教科書となった本でした。


そんなこの本の後ろの方のページに、日系レスラーの話が載っていました。それはプロフィール紹介式のものではなく、いわゆるこんな日系人レスラーがいた、という話でした。


そんなコーナーの最初のページに現れた、たった一枚の写真は・・・なぜだかボクの心を揺さぶるのでした。



・・・?


見たこともない知らないそのレスラーは、名をグレート東郷といいました。


どんなレスラーかと文章を見てみますが、そこには


“地獄の大悪党といわれたグレート東郷でしたが、もう亡くなりました”


という、とても短い文章しか書いてなかったのです。


グレート東郷というレスラー。一体何者なんだろう?ボクはそのレスラーのことがすごく気になり、すぐに興味を持ちました。しかしそこにあった、そのレスラーの正体は・・・


一枚の写真から始まる物語。地獄の大悪党とは一体どんなレスラーだったのでしょうか?


ここは茨城の某所にあるプロレス探偵事務所。プロレスを専門にいろいろな依頼に応えていく日本で唯一の探偵事務所だ。そんな事務所に所属する探偵君が今回担当することになった調査依頼とは・・・


探偵「やっと着きましたねぇ」


輩「ああ。誘拐容疑で逮捕されちゃったから、こうして留置所に面会に来たわけだが・・・(チャンピオンベルト・ワールド~ロード・オブ・ザ・ベルト パート3~ )まったく人騒がせな所長だよ」


探偵「先輩、入れるようですよ。失礼します」


所長「よう、来たか」


探偵「はい。どうですか具合は?落ち着きましたか?」


所長「とにかくメシがな、まずくてかなわんよ」


先輩「まあ、悪意はないし事件性もないですからね。すぐ出れますよ」


所長「ま、そういうことになるだろうな。では今回の依頼だが」


探偵「え、ここから依頼!?」


先輩「ホントすか!?」


所長「ワタシの机の引き出しに一冊の本がある。紙縒りが挟んであるから、そのページに載っているレスラーのことを調べてくれ」


探偵「そのレスラーの名前は?」

所長「さよう。では、よろしく頼むぞ


先輩「さようって、まだ名前が・・・」


探偵「あ、ところで所長・・・」


所長「なんだ?」


探偵「なぜ留置されているのに、そんな水色のジャケットを着てるんですか?」


所長「無論、クラリスを助けに」


先輩「わ、わかりました!!おい!!」


先輩「はい!!と、とりあえず戻りますので、また・・・」


うしてさっそく調査に取り掛かりますが・・・


探偵「血はリングに咲く花・・・あとは、だめだぁ・・・検索しても金銭面でどうだったとか、性格がどうだったとかばっかりで、レスラーとしてどうだったかがあまり出てこない」


先輩「よう、やってるな」


探偵「ああ先輩」


先輩「それにしても・・・所長の机の中の本を見た瞬間、正直参ったよ。まさかグレート東郷が出てくるとは・・・これまで、いつも難題が多かったけど、今回は今までで最高の難題だと思う」


探偵「時代が古すぎてデータがないというのはもちろんありますが、それを除いても謎だらけですからね」


先輩「ああ。とりあえずわかる範囲で・・・おれから行ってみよう」


探偵「はい」


先輩「グレート東郷は1911年10月11日、アメリカのオレゴン州フートリバーの出身、ということなんだけど・・・Wikipedia他、東郷を調べるとフートリバー出身と出るのが多いんだけど、フートリバーという場所はオレゴンに存在しないので、これはフートリバーではなくフッドリバーの誤りではないかと思う」


探偵「フッドリバーはオレゴン州最北に位置する水と渓谷がきれいな、大自然に溢れたとても素敵なところですね。総面積は1383平方キロメートル。日本で一番小さな県である香川県より小さいところですね」


先輩「ああ。その歴史は1850年頃から。この頃から開拓、入植が始まり、19世紀後半には日系やドイツ系、フランス系、フィンランド系の人々も移民してきて、人々はこの地で農家を行っていたというんだ。そんな移民の中に東郷の両親もいたんだろう。ご両親は熊本県からの移民といわれており、東郷はこの両親から生まれた。こうして東郷はこの地で日系人として生を受けたわけだ」 


探偵「しかし東郷を調べると母親は中国人、両親はどちらも朝鮮半島出身で韓国人という説も出てきますね」


先輩「うん。この件はのちほど触れると思うが・・・東郷が生まれた年でさえ大戦前だからね。このあたり、もはや真実を調べることは不可能だと思う。でも父親が一正という名で、東郷の本名が岡村一夫という表記があるから・・・親が自分の名前や先代の名前を子供につけるとき、一字を用いるのは日本人ならあることだから、東郷の一夫の「一」は父親の一正からもらった名前だったのではないかなとおれは思う。もちろんこれは想像、推測でしかないけどね」


探偵「東郷は米国名もジョージ岡村というそうなので、ボクも東郷は日本人だと思います」 


先輩「こうしてアメリカに生を受けた東郷だが、その生い立ちは実はまったくの不明。レスラーになるまで、そしてなったあともとにかく謎だらけなんだよ」


探偵「謎ですか・・・」


先輩「ああ。まず・・・東郷には両親と、少なくとも5人以上の兄弟がおり、どうやら東郷はその兄弟の長男だったようなんだ。この時代の移民の仕事は農業だったが・・・当時の人達が裕福だったかといえば、そうではなかった」


探偵「日本人が開拓中だったアメリカに行って、右も左もわからない状態で生きていくわけですからね。差別もあっただろうし・・・生活は大変だったでしょうね」


先輩「うん。そういった理由から、家庭を助けるためなのか?あるいは何か別の事情があってか?東郷は15歳からサンフランシスコに行き、クリーニング店へ働きに出た、という話があるんだ」


探偵「わかります。そういう時代だったんですよねぇ・・・(歴史が奏でた哀しみの歌)」 


先輩「でも一方で、同じく15歳からレスリングに打ち込んだとう話もある。かと思えばレスリングとボクシングを12歳から、というのもある。さっきも出た話、開拓中のアメリカで生きていく中で、東郷はケンカすることも多かったらしくて、そのケンカに強くなるため習ったなんて話もあるけど、この辺の真実はわからないんだ。柔道やボディビルもやってたという話もあるしね」 


探偵「東郷の年齢が15歳とすると1925年・・・プロレスならジョー・ステッカーやルー・テーズの師であるエド・ストラングラー・ルイスの時代ですね。そのときの年齢でいえば東郷は中、高生ですよね。東郷の体つきを見るにタダモノではない感じですから、何かしらバックボーンはあったと思います。でも、わからないですねぇ・・・もしレスリングやボクシングやってたとするなら学校で習ったのでしょうか?」


先輩「うーん、どうだろうなぁ・・・しかし、やがてそのレスリングで州のチャンピオンになり1932年のロス・オリンピックの代表候補にもなったという話もあるんだ。で、そのあたりを見込まれてか、1933年にサンフランシスコでは大物プロモーターだったC・ルーダーローなる人物に見いだされ22歳でプロレスの門をくぐることになるんだ。けど・・・」


偵「このあたりの真実も、もはや確かめる術はないですね・・・C・ルーダーローというプロモーターも詳細不明です」


先輩「デビュー年も、1933年と1938年とあり、真実は不明なんだ。これは推測だけど・・・1938年だと27歳になるから」


探偵「プロレスにデビューするにはちょっと遅いですね」 


先輩「そうなんだよ。だからこれは昔の書物の印刷が不鮮明で、3が8に見えてしまって、誤って伝わってしまったんじゃないかなと」 


探偵「確かに・・・この年の前年にデビューしたレスラーにルー・テーズがいるんですが、そのあたりを見てもわかるように、この時代のアメリカでしたらレスリングからプロレス、あるいはアメフト、ボクシングなど、とにかくエスカレーター式にプロレスへ、という流れが鉄板でしたよね。現在のように他の職を経験してからプロレスへ、というのはないですし・・・もしあったとしても27歳からプロレスというのは考えづらいですよね」 


先輩「ここは1933年デビューで間違いないだろうね。でも、ここからがまた謎なんだよ。1933年から大戦後の1945年、そして東郷の名前がプロレス界で見れるようになった1950年以前までのおよそ15年は、東郷がいつ、どこで、どのようなプロレスをしていたのか?記録があまり・・・いや、あまりどころかないんだ。ないんでわからない」 


探偵「1933年から15年かぁ・・・ちょうどエド・ストラングラー・ルイスの時代の終わりかけ、そしてルー・テーズ時代の始まり、というときですね」


先輩「そうなんだ。当時のレスラーの写真って、わりと残っているものは多いけど、やっぱり有名どころのチャンピオンクラスのレスラーのものしかないんだ。せめて東郷の試合記録だけでもあればね・・・」


探偵「そういえば、東郷はリングネームを初めはブル・イトーと名乗り、そのあと本名のジョージ・オカムラでファイとしていた、という本人談がありますね。このあたり、デビュー当初からブル・イトーと名乗っていたのでしょうか?」 


先輩「リングネームを変えたというのはあるみたいだけど、残念ながら変更時期については諸説あってこれもわからない。なんせブル・イトー、ジョージ・オカムラの名での試合記録が不明だからね・・・」 


探偵「ホントに謎のレスラーですね・・・」 


先輩「ただ、1945年8月に太平洋戦争が終結後すると、それ以降に東郷がリングネームをグレート東郷へ変更したのは確かなんだ。それはある出来事により東郷がプロレスから離れ、復帰するタイミングがあったからなんだ」 


探偵「東郷はプロレスを離れていたんですか?その出来事とは?」


先輩「1939年、ドイツのヒトラー率いるナチス党がポーランドに侵攻。当時、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがそれに対抗しドイツに宣戦布告したことにより始まりまった戦争・・・これが第二次世界大戦だ」


探偵「はい」 


先輩「この翌年の1940年に日本はドイツと日独伊三国軍事同盟を結び・・・つまり手を組むことになる。これによりドイツの敵であったイギリスの連合国として支援する形で加わっていたアメリカに、日本は同年の12月8日に歴史的な攻撃を仕掛けるんだけど・・・これ、なんだかわかるかい?」


探偵「真珠湾攻撃ですか」


先輩「そう。アメリカの海軍基地があったハワイの真珠湾はこの攻撃を受け戦艦、戦艇合計17隻を沈没や大破で失い、その死者は約2400人にものぼり・・・アメリカの大平洋艦隊の戦闘艦艇は壊滅的被害を受けたんだ。こうして日本とアメリカは太平洋戦争に突入。日本と同盟国にあったドイツ、イタリアもアメリカに宣戦布告し、これによって文字通りの世界大戦となったわけだ」



真珠湾攻撃を受け炎上する戦艦


探偵「でも・・・この戦争と東郷にどんな関係が?徴兵令がかかったんですか?」


先輩「いや・・・この真珠湾攻撃によりアメリカに住んでいた日系人や日本人は“敵性外国人”つまりアメリカに敵意があるため排斥対象となる人種とみなされ、翌年の1942年2月、ルーズベルト大統領の命により強制的に収容所に送られてしまうことになるんだ」


探偵「収容所!?そんな歴史が・・・え、でもまさか、その中に東郷も含まれていたと!?」 


先輩「うん。という話がある。収容所は日系人強制収容所といわれ、当時はそれこそ突然、唐突に連れ出され収容されたらしい。ようは、敵国と同じ人種がアメリカにいるのは都合がよくない、ということだったんだろうね。突然、しかも刑務所のようなその場所に送られたその人数、西海岸に住む日系人、日本人にしておよそ約12万人にも達したといわれているんだ」



日系人収容所に送られる日系人


先輩「もしこれが事実なら、東郷は日系人強制収容が行われていた1942年から1945年の、少なく見ても3年はプロレスから離れていたことになる」

 

探偵「1943年はテーズも陸軍に入隊していますからね」

 

先輩「そうだね。大変な時代だったんだなぁ・・・で、収容所から出た1945年以降は、日系人、日本人は収容されたことで突然失った財産や家、生活自体を取り戻すのが大変だったというよ。くわえて日系人、日本人はその後、二級市民、いわゆる普通の市民よりも格下とされる市民という扱いをされ・・・ようは差別を受けていて、それこそ生きていくのが大変だったみたいだ」

 

探偵「そのあたりを重ねると収容所を出たあとの東郷が、どのようにしてプロレスに復帰していったのか・・・1945年8月に終戦を迎え、すぐ翌年にプロレス復帰したのか?それとも世の中や自身が落ち着いてきたと感じられる2、3年後だったのか・・・いろいろ考えられますね」


先輩「うん。このあたりもはっきりわからなくて、終戦の翌年の1946年にMSGのリングに出場したという話もあれば、1949年の夏に復帰したという話もあり、ここもわかっていないんだ。しかし、リングネームがグレート名義に変わったのはこのあとなんだ。とりあえずここまでをまとめてみると・・・」



こんな感じか・・・


探偵「うーん、現時点でわからないところはもう永遠にわからないですね・・・しかし、グレート東郷になったのは1945年以降で間違いないと」


先輩「そうだね。しかし、初めからグレート東郷ではなかったんだよ。東郷はまずグレート東郷ではなく“グレート東条”と名乗っている」


探偵「と、東条!?それって東条英機の・・・!?」


先輩「そう。この戦争で日本の陸軍大将にして、ときの内閣総理大臣であった人の名は東条英機・・・あの東条英機だよ」



東条英機


先輩「東郷は当初、この名をリングネームとしたらしい」


偵「そんな!!確かに東郷が正確に復帰した年は不明ですが、1940年代末から50年代初頭ですよ!?まだ反日感情が生々しくアメリカに生きていた時期に、その敵国の大将の名をアメリカの地であえて名乗るなんて・・・」


先輩「現在にたとえるなら、あの地域やあの国に行き、ああいうことをするようなこと・・・そこは詳しくはいえないが、想像するに難しくないだろう。リメンバー・パール・ハーバー、日本はアメリカを攻撃し、我々の仲間や家族を殺した。憎き国だ!!終戦してわずか5年ちょっとだよ。そんな感情の中で敵軍の将の名を名乗れるかい?」

探偵「それをやるのが自分だったら?と考えると、いろんな意味で恐ろしく、できるはずはありませんよ。しかし東郷はあえて、その名を名乗った・・・なんでですか?」

先輩「東郷を待っていたのは観客の憎悪だったが、東郷がそれを求めたからなんだよ」

探偵「自分から求めた!?」

先輩「そう。敵国だった日本の憎き日本人。その日本人が東条の名で、リング上でもこれでもかというほど悪のファイトをするんだ。どうなると思う?」

探偵「それは憎まれるに決まってるじゃないですか!!当時の状況に、お国柄もあるわけじゃないですか?下手したら冗談抜きで命を落としますよ」

先輩「そう、まったくその通りだ。このリングネームではさすがに危険。いくら憎まれ役でも命がなくなってしまっては元も子もないもんな。この写真を見てくれるかい」

探偵「これは?」

先輩「東郷の腹部の傷の写真だ。ファンの怒りを買い、実際に刺された痕なんだよ」



東郷の腹部。複数の刺し傷が残っていた


探偵「じ、実際に刺された!?そんなことが・・・そりゃボクも海外で活躍したレスラーが実際危ない目に遭った話は本で読んだことありますよ。マサ斎藤もそうですし、ハンセンなんかは同じアメリカ人でありながらサンマルチノとやったときは本当に危なかったって自伝に書いてありました。しかしこうもハッキリ刺されたレスラーが実際にいたとは・・・」


先輩「そうなんだ。なので東郷は、東条のリングネームはあまり長く使わず、すぐ変更したらしい。東条英機から、今度はかつて日露戦争で世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、海軍戦で名を上げロシア戦を勝利に導いた海軍司令官にして世界中の海軍から当時尊敬されていた東郷平八郎をリングネームに用いたんだ」


探偵「しかし、リングネームを東郷に変更はしたものの・・・リング上でのファイトには変化はあったんですか?」


先輩「いやぁ、試合では相変わらず憎まれし日本人を発揮し続けたそうだよ。着物姿でリングに上り、丁寧にリング四方を塩で清めながら静かに回る。試合前の相手の握手は拒否。ニヤリと笑いながら肩をやや上げ、手を前で揃えて静かにお辞儀をするんだ」


探偵「塩で清めてお辞儀ですか・・・」


先輩「ああ。相撲の四股も踏むときがあったらしい。しかし試合が始まると一転。その塩で相手へ真珠湾攻撃を思い出させるように奇襲の目潰しを行ったり、履いてきた下駄で攻撃を浴びせたというよ」


探偵「その時代にあえて真珠湾攻撃を思い出させてたんですか」


先輩「そのようだよ。あとはレフリーのブラインドをついての細かな反則。見えない位置で髪の毛を引っ張って相手を倒したり、ロープを使って攻撃したりね。そして東洋色を彷彿させる空手チョップ・・・当初はジュードーチョップといわれていた、袈裟斬りチョップを手の平で打つような形のチョップとヘッドバット、柔道流と称したスリーパーホールド、絞め技で攻め込んでいき・・・反則とラフ攻撃で徹底的に相手を痛めつけたそうだ」


探偵「昔、本で読んだ日系人レスラーの描写、いわゆる田吾作スタイルは反撃にあうと正座して手を合わせて頭を下げ勘弁被った、なんてのがあったんですが、そういうものもあったんですかね?


先輩「どうだろうな?東郷の試合映像があまりないので確認はできないけど、おれが見たものだと東郷は反撃に合ったっときは


“待った、待った、待った”


と日本語を口にしながら手を出し阻止する仕草をしていたようだね。そしてまたあのお辞儀をして、相手が油断したそのせつな、スキを見せた相手に飛びかかったり・・・という具合だったようだよ」


探偵「大悪党というくらいだったので、ボクはザ・シークやのような・・・試合無視でリングも観客席も関係なく暴れながら、それこそ相手を凶器で血塗れにして徹底的に痛めつけるような、いわゆる狂乱ファイトを想像してましたけど、だいぶちがう気がしますね」


先輩「そうなんだ。シークなんか試合の流れまったく無視で最初から最後までごちゃごちゃしてたよね。本当に狂ってんじゃないかと思ってたよ。しかし、そう、東郷の試合は狂乱ファイトではないんだ。流血こそ毎回していたが、東郷の攻撃は汚くズルいところもあってお客の怒りを誘うけど、相手との間の取り方や試合の流れを作るのはうまかった。なので見る者の感情を引き出すのが抜群にうまい悪党っていうのかな。そんな気がしたよ。プロレスの見せ場、見せ方を十分に理解しているとおれは思ったね」


探偵「だからお客も本気になってしまい、カーッときちゃうんですね」


先輩「そこに大平洋戦争の因縁が加わり、さらにお国柄も加わって会場は興奮に揺らめき出すんだね。怒りより殺気・・・やがてお客さんのフラストレーションは尋常ではないものになり、キル・ザ・ジャップの大合唱。会場は狂気の沙汰となるわけだ」


探偵「それで・・・試合以外では頭にきたファンに実際に囲まれたり、ナイフや銃を突きつけられたりもして、本当に刺されてしまうこともあったわけですね」


先輩「中にはファンが数十人単位で集団になり、暴動のようになってしまい警察がたくさん駆けつけて新聞沙汰やニュース沙汰なんてのは結構あったらしい。それこそ命の危機に晒されることも一度や二度ではなかったんだろうね。だが・・・東郷が憎まれていたのは、アメリカ人のファンだけじゃなかったんだ」


探偵「え!?どういうことですか!?」


先輩「当時、アメリカに日系人や日本人は住んでいた。もちろん、まったくプロレスに関係ない一般の人たちだよ。そんな人たちに、この東郷の試合ぶりが影響を与えてしまうんだ」


探偵「それは一体!?」


先輩「東郷のファイトスタイルが、そのまま日系人、日本人のイメージになってしまった。アメリカ人の目には、東郷イコール日系人、日本人と写ってしまったんだろうね。


"卑怯でズルい。ジャップはみんなああなんだ!!と、我々は何もしていないのに、アメリカ人から悪い印象を持たれ嫌われる。生活に支障をきたすからやめてくれ!!"


という事態になったらしい」


探偵「確かに・・・今でこそ海外で活躍する日本人は多くて珍しくなくなりましたけど、この時代、アメリカでテレビ放送が開始されて間もない時代にテレビを通して映し出される日系人、日本人なんていなかったはずです。そんな中で映し出されるのが東郷の試合だったんですから、これは影響力はそうとうなものだったでしょうね」


先輩「笑われるかもしれないけど、おれはインド人はみんなサーベル持ってるんだって中学2年まで真剣に思ってたよ。今でもインドと聞くと即連想してしまうしね。でも東郷はそれ以上のインパクトだった。プロレスに留まらず社会現象まで引き起こしてしまったわけだから・・・一般マスコミも取り上げただろうしね」


探偵「アメリカ人に憎まれ、本来は味方であるはずの日系人、日本人からも反感を受けていた訳じゃないですか?なぜ・・・ここまでして東郷はこのようにしたのでしょうか・・・」


先輩「憎まれれば憎まれるほど、お客が見に来るから、らしい」


探偵「お客・・・」


先輩「そう、東郷が試合に出場する会場は不入りどころかいつも満員。ウチのリングにも来てくれとプロモーターからは引っ張りだこで、それもメインイベンターとしての扱いでだったそうだ」


探偵「お客さんの憎悪を煽り東郷への嫌悪感は増すばかりだった訳じゃないですか?それなのにファンは東郷を見に来ていたのですか?憎まれ嫌われる人に人が?わからないなぁ・・・」


先輩「それは、憎き東郷が今日こそは対戦相手にコテンパンにやられ、そして殺されるのを期待して・・・つまり憎まれ者がやられるところを見たかったから、だったんだ」


探偵「悪党の末路ですか・・・」


先輩「東郷がファイトすればするほどブーイングの嵐。ファンは逆上する。しかし東郷がやられれば、憎悪に満ちた会場のブーイングは大歓声に変わる。そう、攻めても受けても、お客は東郷から目が離せなかった。ときには勝利し、ときには反則で逃げ、ときにはやられ・・・東郷は会場を煽り、それに応えしファンが東郷を憎み騒げば、実はそうなればなるほど東郷の思うツボだったんだね」


探偵「そして憎き東郷と対戦することで相手のレスラーの人気、知名度も上ることになる・・・」


先輩「こうして東郷は悪役レスラーとして、どこに行っても“客を呼べるレスラー”として絶大な悪役人気を誇るようになるんだね」


探偵「はい。そんな東郷の名がプロレス介でも後世まで確認できる運命的な年代がやってきます。この辺りはボクが調べましたので・・・」


先輩「じゃあ聞こうか」



その2に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。



名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その2 東郷の"力"とは?~

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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その1 悪党創世記~


より続きです。


探偵「東郷の名がプロレス界で見られるようになり、記録も確認できるようになったのが1950年代からになります。そしてこの50年代こそ東郷にとって運命の年だったのではないかなと思うんです」


先輩「運命の年かぁ・・・」


探偵「まずその初期。東郷の未だ見ぬ故郷の日本で力道山がプロレスと出会い、レスラーとしてトレーニングを開始します」


先輩「相撲を廃業した力道山が酒場でケンカをしてしまうんだけど、そのケンカ相手がハロルド坂田というプロレスラーで・・・ケンカしたあとふたりは意気投合し、よかったらプロレスをやってみないか?と坂田が声をかけたのが力道山とプロレスの出会いだったんだよね」


探偵「そうです。で、1951年10月、力道山はプロレスの門をくぐりボビー・ブランズの下でトレーニングを開始。その後、1951年10月28日に両国メモリアルホールで師のボビー・ブランズと10分勝負を行ない引き分けします。そして1952年2月、力道山が渡米します。まだ日本プロレス設立前。プロレス修行のための海外遠征でした」


先輩「まずハワイ、そのあと6月に本土に行ったんだよね」


探偵「はい。この本土への力道山の遠征で、東郷は力道山をマネージメントしたようです。後に行動を共にし、お互いを親い信用し合い、日本のプロレスを作り上げたふたりが出会ったんですね。運命的な気がします」



初本土地のサンフランシスコでファイトする力道山。まだショートタイツの貴重な写真だ


先輩「この海外武者修行時代の力道山と東郷の関わりを記す具体的なものは現在確認できないが、当時無名だった力道山が本土入りし、いろいろなレスラーと試合ができたのは東郷の存在なしでは難しかったんじゃないのかなとおれは思うんだけど、どうなんだろうね?」


探偵「そうですね。力道山は本土入り前はハワイで約3ヵ月、試合をしています。このときは沖識名がトレーナーで、日本でコーチをしたボビー・ブランズもいましたから、そのあたりのラインでサンフランシスコに行き試合したのかもしれません。しかしロサンゼルスに転戦してからは東郷ラインはあったんじゃないでしょうかね」


先輩「うむ~・・・単純な疑問なんだけど、結局ふたりはなぜ会ったんだろう?」


探偵「おそらく現地のプロモーターが、日本から来るレスラーは日系人に任せるような感じにしてたんじゃないでしょうかね?先輩が言われるように、この海外武者修行の力道山と東郷の関係が詳細に書かれている書籍は現在皆無なのでわかりませんが、当時の遠征組はほとんど東郷と接してはいますからね」


先輩「当時の遠征組はほとんど東郷と接している。そこなんだよなぁ・・・」


探偵「と言うと?」


先輩「普通、海外武者修行ってどんな感じかな?」


探偵「海外武者修行なら、まず遠征先の窓口役、だいたいブッカーですね。ここに事前連絡が行って、行ったあとは窓口役が世話役兼ねてやるか、あるいは世話役紹介してくれてやるような、そんな感じじゃないですかね。テリー・ファンクや大剛鉄之助なんかピンときますね。あとミスター・ヒトとかですか」


先輩「そう、プロレスが日本に定着したあとのプロレスラーの武者修行なら、確かにそうだった。でも力道山デビュー以前は日本にプロレスという組織もなかったしプロレスの知識を持ってる人もいなかった。プロレスがまだ日本にないんだから、プロレスという概念がなかったわけだ。だからプロレスラーもいなかった。ということは日本からプロレスラーとしてアメリカ来るプロレスレスラーもいなかったわけだ」


探偵「はい」


先輩「ということは日本とアメリカ間にはプロレスのパイプも当然なかったはずだよね?」


探偵「そうですね」


先輩「東郷は日系人にしろ、この時点では日本に行ったことは一度もない。だから普通に考えれば日本や日本から来るレスラーとは、まったく縁がなかったはずじゃない?」


探偵「そうですねぇ・・・単身アメリカに渡りプロレスラーとして活動していたレスラーは戦前からいたようですが、彼らはそもそもプロレスは知らなかった。プロレスがどんなものかを知っていて、やってみたいと渡米したわけではなかったんですよね。スカウトされて渡米した後にプロレスを初めて見てレスラーになったり、海外で自らがやっていた相撲や柔道を介し、レスリングやプロレスと出会って試合に出るようになった、という感じですもんね」


先輩「そう、ソラキチ・マツダやタロー三宅やキラー・シクマとかね」


探偵「それに、先に名前が出たハロルド坂田やボビー・ブランズが日本で行ったプロレス、力道山がデビュー戦をしたリングは日本国外の宗教団体であった在日トリイ・オアシス・シュライナーズクラブが主催したもので、このクラブに招かれた元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったジョー・ルイスが朝鮮国連軍の慰問を目的としてプロレスラー7人を引き連れてきて行われたものですから、日本のプロレス前ですね」



慰問試合を行った、右からハロルド坂田、アンドレ・アドレー、オビラ・アセリン、レーン・ホール、ボビー・ブランズ、ケーシー・ベーカー。ここにジノ・バクノンを入れた7人で行われた


先輩「とするとね、遠征組は何を伝って海外武者修行に行ったんだ?力道山、木村政彦に大山倍達、遠藤幸吉と、当時の遠征組はみんな東郷と接触しているけど、どういうルートで海外行って、どうやって東郷と接することができたんだろ?


探偵「確かに・・・考えたこともなかったですが考えると疑問です。今、名前が出ましたが52年の3月末頃に、のちに極真空手を創設する大山倍達総裁と元プロ柔道でのちに日本プロレス入りする遠藤幸吉が渡米し、東郷と合流して・・・大山総裁をマス東郷、遠藤をコウ東郷として兄弟とし、東郷ブラザーズを名乗りアメリカをサーキットしていたのは有名ですね」


先輩「そうそう、東郷ブラザーズ。東郷は相変わらずのスタイルで試合しつつ悪役人気を集め、マス東郷は演武やデモンストレーションを行っていて、各地で高い人気と評価を得ていたんだよね。試合もしていた記録があり、空手でプロレスラーと戦った話もある」



56年11月、田園コロシアムで体重560キロという獰猛な牛の雷電号と戦った大山総裁。アメリカで空手の強さを示した後、日本ではこのような戦いをすることがあった


先輩「遠藤も柔道のデモンストレーションも行っていたけど、力道山のあとボビー・ブランズの下でプロレス修行したこともあり、プロレスの試合経験は大山総裁よりもあったからシングルやったり東郷とタッグを組んだりしてたみたいだ。でも勝ち星にはあまり恵まれなかったようだが・・・」


探偵「で、この東郷ブラザーズが・・・?」


先輩「そう、大山総裁と遠藤のふたりが渡米した理由を調べていったときには空手や柔道など、スポーツ普及に関係する体育協会等の招聘で・・・という話が出てくることがある。しかし本土に渡米後は、ふたりは真っ先に東郷とコンタクトしているんだよ。なんらかの協会からの招聘だったなら、まずその協会関係者に会うはずだよね?しかし、後にも先にもそんな記述は出てこない。ふたりが会ったのはプロレスのグレート東郷なんだよ」


探偵「浅田真央ちゃんがフィギュアスケートの普及のためにアメリカから招聘されて行き、いざ行ったらマクマホンに真っ先に会ってっいた、って感じですかね」


先輩「すごいたとえだが、まあそうだね。それに招聘だったにしろ、体育協会でなくロサンゼルスのプロレス組織からの招聘だったという話もある。ああ、それなら筋が通る・・・と思ったら追及が足りない。ロサンゼルスのプロレス組織って言うけど、じゃあロサンゼルスのプロレス組織ではどこから大山総裁と遠藤のことを知り招聘したんだ?」


探偵「そうか・・・パイプがない時代にどうやって?という疑問ですね」


先輩「そうだね。で、かくしてふたりがロサンゼルスに来て東郷と接したが、その際には、東郷からすぐ兄弟という設定でやることを知らされたらしいんだ。ふたりはそれがイヤだったので自分たちは本名でやりたいんだと東郷に言ったところ、もう試合は東郷ブラザーズで発表してあって、新聞等にそれで名が載せてあるんだからダメだと怒られたらしいんだ。つまり・・・」


探偵「大山総裁と遠藤が来るのを東郷は事前に知っていたと?」


先輩「そう。プロモーターさん、今度来るふたりは空手と柔道の達人です。ワタシは兄弟ってことでやりたいんですがどうですか?オゥ、トーゴー!!それはいい!!ゼヒやってみてくれ!!で、新聞に載る。これは直前じゃ無理だろう?」


探偵「そういえば・・・大山総裁が渡米した理由に空手を海外で広めるという目的があったのはもちろんなんですが、大山総裁の書籍では、総裁はグレート東郷の用心棒役、つまりポリスマンとして海外へ・・・という話もありました」


先輩「それは来るのがわかっていたことをさらに裏付けるね。会ってその日に空手をやっていると聞いただけではポリスマンなんて絶対任せられない。やはり空手の実力を前もって知っていないと任せられないよ」


探偵「そうですね。この辺に先程の先輩の新聞の名前の話と合わせると、事前連絡が取れる状態、東郷と日本の間には当時は存在していなかったはずのパイプがあったのかもしれません」


先輩「うん。日本の情報が東郷に行くようになっていて、遠征組には東郷に辿り着くようなルートがあった。そして東郷が遠征組を収める仕組み、独自の東郷のコネクションっていうのかな・・・そういう"力"があったんじゃないかな。海外のプロレス界で顔が利き、人を動かせるような"力"がね


探偵「言ってみれば権力とも取れますね


先輩「うん。“力”に関して言えば、こうしたルートの存在もそうなんだけど・・・当時の東郷ブラザーズはプロモーター下でやっているというよりは、東郷を中心にコウ東郷、マス東郷、そして表向きは東郷の通訳だった“羽田”という人物の4人で全米を転戦していたそうなんだ。で、そこに一緒にテレビ局もついていたらしいんだよ。このテレビは東郷ブラザーズにおいてもマス東郷の演武が大半を占めていたようなんだよね」


探偵「東郷ブラザーズという小集団にテレビ局が・・・なんだか東郷ブラザースがひとつのプロダクションのようになっていようにも感じられますね」


先輩「プロダクション的・・・そうだね。まるで小さな組織みたいだよね。かくして東郷ブラザーズは各地の転戦先に行ってはそろって試合に出場できて、別にテレビ局もついていた。こんなことが普通できるかなぁ?よほど信用、信頼されているか、東郷のバックに強力なスポンサーがいたのか?別に強大な力があったのか・・・そういうものがないと無理なんじゃないのかなぁ」


探偵「“力”ですか・・・」


先輩「まあ本当のところそれがなんだったかは、おれにはわからない。でも東郷は各方面で顔が利く何かしらの"力"を持っていたんだと思うなぁ。そういえば、もう10年以上にもなるけどドキュメンタリー作家の森達也が


“悪役レスラーは笑う-「卑劣なジャップ」グレート東郷”


という本を出版したことがあるんだ」


探偵「オウム真理教のドキュメンタリーなんかで有名な森達也ですか?」


先輩「そう。その本の中で謎として取り上げられていたのが東郷が何人だったのか?だったんだ。おれは日本人だと思ってるけど、先でも触れたけどそこにはいろいろな説があるんだ。かつて新日本プロレスで解説をしていた桜井康雄さんは熊本から移民した日系二世。元レフリーのミスター高橋は日本にしろ沖縄からの移民ではなかったかという。大山総裁とグレート草津は韓国と言い、また・・・あの日系人収容所時代は、母親が中国人なので自らをチャイニーズだと。なので日系人とは一線を置き、収容所では監視役をしていたという話も出ていたんだよ」


探偵「そ、そうなんですか!!」


先輩「でも・・・おれはちがうと思った。たとえばさ、それほど性格もよくなくて人からすごい親しまれてるってわけでもないやつがいるとする。でもそいつは知り合いが多くて顔は妙に広くて、仕事は上司受けがよくて。で、なぜだかいつもいい女を連れているんだよ。なぜかな?」


探偵「そうですね、おそらく口が立つんでは・・・」


先輩「そう。対話がうまいんだ。初対面の相手とすぐに仲良くなるには、共通の話題を持つということが一つの手段だ。たとえば出身地を聞いてみて、ああ、そこ出身なんだ!おれも近くなんだよ。それじゃ誰々って知ってるかな?知り合いなんだよ~なんて話は、誰しも一度は経験あるはずだよね。そしてそこから話題を広げていき、会話に同調し、意見する。こうすることで相手との信頼や信用の関係が深くなるというわけだよね」


探偵「いやぁまさしく・・・勉強になります」


先輩「ああ、ありがとう。で、ここに話を盛る、という要素を入れてみるとどうだろう?ああ、そこ出身なんだ!おれも近くなんだよ!あの曲よく聴くの?おれも好きでよく聴くんだよ!親近感を与えることができるよね。で、さらに、おれはこういうことができるんだ、おれは誰々と知り合いだからこうなんだ、だから何かあれば言ってくれよ。と他人にはできないようなことができるという話を聞かされたとする。でもこれがもし事実でなく口実で、話がまったくのウソだとしたら?」


探偵「事実でなかったとしても、その場の話としては通じてしまいますよね」


先輩「そう、まさにここなんだよ。ここからは完全に仮説で聞いてね」


探偵「はい」


先輩「東郷は話す相手によって話を使い分けていたんではないだろうか?実際は日系日本人だけど、そのとき自分が中国系が都合いいなら中国、韓国系が都合いいなら韓国と・・・」


探偵「なるほど。あくまで想像ですが、日系人収容所のときは日本人だと大変な目に合うので母親が中国人というふうにしてしまえば・・・有利になりますよね。東郷はアメリカにずっといたわけですから故郷のことはわからない。でも現実に今、目の前にある会話の中で、自分が日本人とせず韓国人の血が流れているんだ、中国人の血が流れているんだとしておいた方が共感が

得られ、都合がよい場面が多々あったから・・・つまり生きて行く上でその方が自分が優位になれるから、ということですね」


先輩「そう。よく言えば世渡り上手。悪く言えば、自分に都合のいいヤツだね」


探偵「自分に都合のいいヤツ・・・いますねそういう人。生きていると、何年かに一度は遭遇しますよ」


先輩「そう、たまにいるね。まあ東郷にしてみれば、ウソでも話を合わせてしまうのは、あの時代に生きて這い上がっていくための手段だったんだろう。しかし出身地に関しては、本当のデータを証明できるものが存在しなかったから、今までウソで話してきた出身地が所々で残り、多国出身説になってしまったんではないのかな?」


探偵「そして、出身地ばかりではなく、様々な場面で東郷はこの話術を使い分けたんでしょう。プロモーターやテレビ局の関係者、当時はギャングもいたでしょう。プロレスに関わる表の顔、裏の顔の人たち。各方面で顔馴染みになり、やがて信頼を得て“力”を持っていったんではないか?ということですね」


先輩「そりゃ裏切りや相手をキズつけてしまうようなウソもたくさんあったかもしれない。でも、東郷が生まれ過ごしてきた時代・・・貧困の移民の立場で、大戦中には生活を遮断され、終戦後も差別下にあった。農民の子だった東郷が普通に生きていたら一生貧民で終わっていただろう。そんな世の中だったから、どんな手段を使っても這い上がってやる!!おれは金持ちになるんだ!!という反骨精神が生まれた結果だったんじゃないのかな」


探偵「悪役プロレスラーとして知名度を高め、強大な富を得て、そして巧みな話術で関係を築き、それが結果“力”になったと」


先輩「うん“力”なんだろうなぁ・・・プロレス・スーパースター列伝のブッチャー編に、同情されるくらいなら憎まれろ!それが男だ!ってセリフがあるけど、これはまさに東郷のことなんだと思ったね」


探偵「同情されるくらいなら憎まれろ、かぁ・・・」


先輩「ところで・・・エルヴィス・プレスリーって知っている?」


探偵「ぷ、プレスリーですか!?もちろん知っていますよ。ロックンロールの創設者のひとりでキング・オブ・ロックンロールといわれたアーティストですよ。あのビートルズもメンバー全員が憧れていたという・・・でもなんで急に?」



エルヴィス・プレスリー


先輩「当時、そのプレスリーを日本へ呼ぶという話が出たことがあったそうなんだ。しかしその当時の日本にプレスリーとコンタクトを取れる人間はどこを探してもいなかったんだ。そこで、どうしたと思う?」


探偵「どうしたんですか?」


先輩「グレート東郷に頼んだんだよ」


探偵「えええ!!」


先輩「“悪役レスラーは笑う-「卑劣なジャップ」グレート東郷”によれば、力道山の秘書を務めていた吉村義雄という方のお話で・・・テレビ朝日の依頼でこの吉村さんがプレスリー招聘のために走り回っていたことがあったそうなんだ。しかしあちらは世界的なスターだったし、情報も現在のように流れていなかったからそう簡単にコンタクトが取れる時代ではなかったんだよね。で、困った吉村さんは東郷に相談してみたそうなんだよ。そしたら東郷がオーナーを務めていた自動車販売店の社長がプレスリーにコンタクトが取れる組織の者・・・マフィアのボスだったそうなんだ」


探偵「な、なんですかそれは!!す、すごすぎるにもほどがありますよ!!」

先輩「まあ結局プレスリーは交渉の段階で条件面などで折り合いがつかなかったので日本へは来なかったが、東郷が仲介をして日本からプレスリー側に連絡が行ったのは事実なんだよ」


探偵「東郷って一体何者だったんだ・・・」


先輩「おれらの想像なんかよりもっとすごい“力”が東郷にはあったんだろうね。それに、そういった"力"だけじゃない。見てくれよ。力道山に木村政彦に大山総裁だよ。プロレス、格闘技の世界でいまだに語られる祖たちが、みんな一度は東郷の元へ来ているんだ」


探偵「勢力、権力的な“力”だけでなく、運命を引きつける“力”も持っていたんですねぇ・・・」


その3に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。


燃えろ!!闘いサマー!!

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どうも!!流星仮面二世です!!


さあ今年もやってまいりました。


「ローソンチケット Presents G1 CLIMAX 27」


でございます。


もはや毎年恒例となりました我が家の親子の夏の風物詩、このG1決勝観戦も、なんと本年で5回目。5年連続観戦になります。


この5年振り返るとG1一番の思い出はやっぱり最初の西武ドームですね。決勝戦のオカダvs中邑のクオリティが高く、歴代G1決勝戦ではボクの中では第1回の武藤vs蝶野と並び名勝負で印象に残ってますね。


さて、そんなG1で思い出というか毎回記憶に残るのがチケットです。もぉ~G1決勝といえばチケットですよ。とにかく取れない。実は毎年頼みの綱だったご存知ボクの先輩の援護が今年から諸事情により受けられなくなり・・・今年はなんとか自力確保しましたが、G1除いても年に4、5回は新日本観に行く我が家としてはここは押さえておきたいところ。ということで家族会議の結果、ついに我が家にも満を持してこいつが導入されることになりました。



ゴゴゴゴゴ・・・


これで今後チケット確保で頭を抱えることはないぞ~♪と喜びも束の間。ファンクラブは会員こそ三世ですが、まだスマホを持っていない三世に代わり新日本からのメールはボクが受信するよう設定したところ、大会ごとチケット先行のご案内が来る、来る、来るぅ・・・


「え!!もう10.9両国の取れるの!?すごい!!取って~」


な、なんだとぉ!?このとき7月21日。まだ3ヶ月も先じゃねーか・・・おれのフトコロ事情だってあるんだぞ。クッ、チケット確保で頭を抱えることはなくなったが、チケット代で頭を抱えることになろうとはッ!!



ウヌッ!


しかし、そんな個人的なフトコロ事情を問題にしなければ、行きたい大会の連絡がメールで来て、即チケット確保ができるという・・・こんな親切、快適で便利な、素晴らしいシステムはないですよ。実際、助かります。


しかもあれでしたね。ファンクラブって先に会場入場できるんですよね。いつも三世と、ああ~先に入れていいな~なんて言って遠くから眺めていたが、いざ入れるとなるとなかなかの優越感。しかも、この日はファンクラブ限定の抽選会というのがあり、感極まる。選考では落選しましたがプロレスラーとの撮影会なんかもあるようで、特典も充実していて、これはなかなかすごいですね。

 

と言いつつも、実のところそれらがどうのように行われているのかはまったくわかりません。事前に情報が欲しいところですが、このへんの詳しい詳細というとなかなかネットにも出ておらず不安になってしまいます。周囲にもファンクラブに入っている人はいなく、これはまいったなぁ・・・

 

ということで、ブログ書いている人で誰かファンクラブでの観戦経験豊富な方いないかなぁ?と検索してみたところれみさんという女性の方が真っ先にヒットしました(ブログ:普通の女子が新日本プロレスにハマったら

 

面識もなく、突然失礼とは思ったのですが、思い切ってメッセージを送り聞いてみました。すると先行入場はあるときとないときがある、抽選会は昨日はここで・・・等、とても詳細に、親切丁寧に教えてくれました。本当に助かりました。れみさんどうもありがとうございました。

 

こうして戸惑うこともなく入口に行きます。この日は優先での入場はなかったのですが、ファンクラブ限定という抽選会があるそうで向かいます。教えていただいた通り両国の入り口入ってすぐ左側で行われていました。


これかぁ


ここでファンクラブ会員はファンクラブ会員証とチケット、そして身分証明証を提示します。ウチは対象は三世だけなのでボクは付き添いです。


抽選会で一番いいのはA賞のG1優勝者のサインなのですが、参加賞がオカダドルということで


「おれ参加賞がいい!!」


と参加賞に三世の鼻息も荒くなります。そして抽選・・・



何か当たるかな?


「やった!!参加賞だ!!」



参加賞のオカダドル

 

うむぅ、揺るぎないオカダ愛・・・ちなみに抽選券はこんな感じです。



左が表、右が裏です

 

いやぁこれだけでも立派に記念品。思い出の品になりますね。ファンクラブすごいです。プロレスだけでなく、あらゆる視点からファンに楽しんでもらうことを十分視野に入れていますね。こういうところが業界ナンバーワンたる由縁なんだろうなぁ。


そしてもうひとつ。今回はスポンサーになっていますローソンでチケットを購入するとポンタカードがもらえる引換券がローソンチケットに添付されていました。こちらも交換所が設けてあり、入場前に特設ブースにて交換できるようなのでいただきました。


開けてみると、なんと新日本プロレスG1仕様のポンタカードでした。



これまたファンにはたまらない品ですなぁ


いやぁなんか、新日本て本当にすごい団体になったなぁ。しみじみ実感しましたよ。


さあ、事前イベントは無事に終了。中に進みますが、今日は駅周辺から両国に向かう人々が、とにかくロスインゴのシャツと帽子ばかりです。会場内も8割はロスインゴですね!!これはちょっと今までにないですね~。どうなるんでしょうか?


では試合に行きましょう!!

 

第1試合20分1本勝負

川人拓来、タイガーマスク、KUSHIDA、獣神サンダーライガーvsTAKAみちのく、エル・デスペラード、金丸義信、タイチ

 

まずですね、ロスインゴ現象もそうでしたが、これは今までなかったなぁというのが第1試合からお客さんのボルテージですね。第1試合から歓声が異常ですよ!!ものすごい!!そんな中、試合は運んでいきますが、試合終了後はデスペラードとKUSHIDAが場外大乱闘。なんと升席上段にまでなだれ込んでの大乱闘です。そこにこの異常なほどの歓声。蔵前時代のプロレスを、ちょっと彷彿させましたね~。今日はすごいぞこりゃ!!


第2試合20分1本勝負

中西学、永田裕志vsタンガ・ロア、タマ・トンガ

 

ここは永田への歓声が大爆発な一戦でしたね。最後のG1出場にしてG1最終日ということで大声援でした。タンガ・ロア、タマ・トンガも試合後には永田へ頭を下げ敬意を表し、ここでリングにひとり残ったところで永田のテーマ曲が。大歓声の永田コール。一瞬引退してしまうの!?と思ってしまうような、そんな風に錯覚してしまうほどの風景でした。まさに有終の美でしたね。先輩、なんでこういうとき来ないかなぁ・・・


第3試合20分1本勝負

デビッド・フィンレー、真壁刀義vsYOSH I-HASHI、後藤洋央紀

 

ここにきて会場は若干の落ち着きを見せます。しかしいつもに比べたら、やっぱりすごいなぁ。


試合、うーん、って感じですね。気になったのはデビッド・フィンレーです。フィンレーが何を目指しているのかがよくわかりません。若手の頃とだいぶイメージがちがいますが、この今のイメージ、スタイルは何を目指しているんでしょうか?フィンレーのプロレスを見ていてもそれは伝わってきません。飛び技がスゴいレスラー、関節技がスゴいレスラー、パワーファイター、正統派にヒールに、レスラーにはいろいろスタイルがあって、それに伴ったカラー、自己主張というものがあるんですよ。自分はこういうレスラーで、こういうスタイルでこうなんだ!!という主張ですね。フィンレーにはこれがないんですよ。ちょっと残念な点だと思いましたね。


第4試合20分1本勝負

天山広吉、小島聡、ジュース・ロビンソンvsチェーズ・オーエンズ、高橋裕二郎、バッドラック・ファレ

 

このところジュースがいいですね。G1のリーグ戦では試合内容はもちろんケニー、エルガンに土をつけるなどますます急成長していますね。以前も書いたかもしれませんが将来大化けするような気がしますね。でも、ちょっとだけいわせてもらうと、ジュースのフィニッシュホールドが、ちょっと気になりますね。

 

ジュースの試合は相手と手を合わせつつも会場も視野に入っていて、そこで自分を出していくという試合内容で、タッグやってもパートナーともうまくマッチしますし相手ともするんですよね。シングルもうまくて会場のボルテージ上げるのもうまいんですよ。で、フィニッシュとはそうした試合の最高潮に出るわけですよね。その、せっかくボルテージが上がったところに正直あの、技がなんていう名前だかボクはわかんないんですけど、後ろから腕を回してぐるっと回してダブル・チキンウイングのような態勢にして頭から落とす?このフィニッシュホールドではもったいないと思うんですよね。

 

正直なところ、せっかくいい流れでフィニッシュに行ってもフィニッシュの発動までのプロセスがわかりづらくて伝わりづらい。ジュースみたいなタイプのレスラーだったらもっと単純でいいと思うんですよ。ホーガンやロックみたいなね、レッグドロップやピープルズ・エルボーのような、行くぜー!!ってね、わかりやすくファンと面と向かえるようなフィニッシュがボクはいいと思うんですが、みなさんはいかがですかね?


第5試合60分1本勝負 IWGPジュニアタッグ選手権試合

ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンvsリコシェ、田口隆祐


ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンって以前から見ていてもなんか思ったり感じたりすることはなかったんですが、あれですね。


たとえばボクら、今のレスラーが卍固めとかジャーマン・スープレックス使うと、条件反射で一瞬身を乗り出すというか、おおってなるんですよ。そしてヤングライオンの黒いショートタイツとリングシューズが好きだったりします。今のプロレスは十分おもしろいんですが、つい・・・何かを求めてしまうときがあるんですよね。


ニック・ジャクソン、マット・ジャクソンは、どこかミッドナイト・ロッカーズのようなコスチュームだし、ショーン・マイケルズみたいなポーズ取るし、スイート・チン・ミュージックみたいなトラースキック使うし、最近はとうとうシャープ・シューターまで使いだして、どんだけ・・・なんて思ったんですが、冷静に見ると“条件反射で一瞬身を乗り出す”のアメリカ版なのかなと・・・最近ちょっと思うようになりましたね。


目まぐるしい動きで、他のレスラーではマネのできないような連携技の数々で自分たちのカラーを出しながら、かつてのアメリカンプロレスの要素も見せるという・・・本人たちはそんな気はないのかもしれませんが、視点を変えればおもしろくて楽しめるタッグチームなのかなと、思いましたね。


さて、ここで休憩に入りそうだったのでトイレに行き、手を洗っていると遠くから柴田のテーマが聞こえてきます!!急いでトイレを出ると、ボクと同じ反応をしたファンたちが両国の廊下を疾風怒濤で駆けていきます。ボクも全力疾走、急いで会場に入ると、柴田が花道を歩いていた!!


このときの両国は、上段抜きに天井が吹っ飛んで行ってしまうんじゃないか?というくらいの大歓声に包まれました。リングインし受け身を取り、胡坐をかく柴田。そうだった・・・あの4月の両国も見ていたんだよなぁ・・・そして今日、また柴田が見れた。本当に柴田だった。うれしかったです。


第6試合60分1本勝負 IWGPタッグ選手権

ハンソン、レイモンド・ロウvsハングマン・ペイジ、Cody

 

後半戦です。このカードいいですね~。


試合は、ハングマン・ペイジとコーディのタッグは即席的なものなので、本来タッグ屋のハンソン、ロウがペースを握るかと思いきや、序盤からコーディに翻弄され試合が大味になり大技に走ってしまうようになってしまいましたね。


コーディ、とにかく相手やお客さんを煽るあの仕草、表情が抜群。そして一番が試合の“間”ですね。この“間”がうまい。大技や飛び技を乱発するとか、派手な乱闘をするわけではありません。でも存在感が絶対なんですよ。タッグであるにもかかわらずシングルでコーディのみを見ているような、そんな気にさえなりましたね。ボクはハンソン好きなんですが、さすがにかすんでしまいました。コーディいいなぁ。本当にいいレスラーですね。


第7試合30分1本勝負

飯伏幸太、マイケル・エルガン、棚橋弘至vs飯塚高史、ザック・セイバーJr、鈴木みのる

 

いやぁこれ、鈴木軍のゴテゴテのヒールぶりがよかったですね。試合はリング外の乱闘が多く初めから終わりまで大荒れでしたね。イス攻撃も、これだけのものは久々に見た気がします。セコンドの介入も多かった。やっぱりヒールはこれくらいやらないとダメですねぇ。

 

しかしながらすごいのは鈴木のこの体ですね。すごいですね。グッドシェイプですよ。鈴木、49歳ですよ。でも今年は札幌ではオカダとあれだけの長い試合やったり、NEVERのタイトル戦線でも激しくやったり。G1のリーグ戦でも素晴らしい動きました。正直なところ、今の新日本の40代のレスラーには、もう動けていない人もいます。そんな中でこのコンディション作りと体型維持はさすがですよ。普段からの節制、自己管理、気を使っているんでしょうね。現役レスラーでも見習うべき点ですね。

 

あと意外というか・・・この試合では棚橋、全体通してまったくいいところがないままザックの卍に敗れてしまいました。ちょっと心配してしまいましたね。大丈夫なのかなぁ・・・


で、ひとつ気づいたんですが、ザック、卍は右からでも左からでも入れるんですね。この間テレビで見たときは左足から絡めていったんで、通常と逆なんだなと思っていたんですが、この日は右足から絡めていきましたね。左右でやるって、これは今まで見たことなかったですね。すごと思いました。インターコンチネンタル王座、ザックが挑戦者へ名乗り上げるんでしょうか?気になるところです。


第8試合30分1本勝負

外道、矢野通、石井智宏、オカダ・カズチカvsBUSHI、高橋ヒロム、キング・オブ・ダークネスEVIL、SANADA

 

このG1でEVIL、SANADAは評価を上げましたね。特にEVILは勢いもあっていい感じです。ロスインゴは全体的にレベルが上がってすごい存在となってきましたね。

 

オカダは前日ケニーに敗れてしまい決勝出れず・・・IWGP王者にしてG1制覇してほしかったですが、それよりも今日は試合に出場できるのかな?と心配していました。


試合には出れたのですが、首の負傷もあってか入場からテンション高めでしたね。ロサンゼルスのときも入場で鉄柵ガシガシやったり、今回は机の上に上がってこう、アピールしていましたが、うーん、これはどうかと思いましたね。

 

オカダにはタイトル防衛することによって“王者の風格”が付いてきたんですよ。王者は堂々構えてなければなりません。痛くても興奮してても、鉄柵やったり机の上に上がってアピールなんて、そんな安っぽいことしてしまってはダメだとボクは思うんですよ。たとえ負傷個所を抱えていても、手強い相手だろうが上から見下ろすように、いつでもどっしり構えてね、悠々と入場して来るくらいじゃないと・・・せっかく付いた風格が薄れてしまいます。だからここは、いつものカッコいい入場が本心見たかったですねぇ。

 

最後はひどい攻撃をされてしまいましたが、次回EVILとシングル、おそらくやるんでしょうね。やるなら、今度は王者の風格で下してください!!息子の三世の無念、晴らしてください!!


第9試合時間無制限1本勝負 G1 CLIMAX 27優勝決定戦

ケニー・オメガvs内藤哲也

 

これまで、現在のファンは会場ではおとなしいんだなぁ~。と毎回思っていましたが、この日の両国はちがいました。すごい、とにかくすごい歓声でした。そのピークがこの試合でした。


試合開始のゴングが鳴って、ワァー!!っと大歓声が起きる・・・このときボクは第1回のIWGP決勝戦の猪木vsホーガン戦のゴングが鳴った後の、あのシーンが頭を過ったんですよ。始まった!!というワクワク感と期待、なんですよね。


試合内容はいろいろ言いません。これはゼヒ、見ていただきたいです。本当に見てもらいたい。どんなにいいレスラー揃えようが、WWEなんかには絶対にできない、日本の、プロレスです!!


帰り際、駅のエレベーターで新日本の座布団と、おそらくBUSHIのマスクなんでしょうかね。持ったお姉さんと一緒になったのでお話聞いたところ、このG1の両国3連戦を観戦に岐阜県から泊まり込みで来たとのことでした。翌日は仕事で


「このあとこれ持って新幹線に乗って帰るんですよ~。恥ずかしいです」


と言っていました。でも、その笑顔は幸せに満ち溢れてて素敵なんてもんじゃありませんでした。


古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは


“一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。このように一日もしくは短時間で人は幸福にも幸運にもなりまはしない”


と言いました。


もうダメだとも言われた暗黒の時代。長く暗いトンネルを走り、苦悩の時期を経て今、この夏に辿り着いて・・・そしてそのプロレスを見た大勢のファンたちは幸福になった。長年の努力と人々の思いが、あの両国となったんだなぁと・・・そう思いました。


最後までどうもありがとうございました。

 

 

名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その3 やって来た大悪党~

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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その2 東郷の"力"~ 


より続きです。


探偵「さて、前回は遠征組と東郷ブラザースを通して見た東郷の“力”を推理しながらお話したわけですが・・・そんな東郷ブラザーズも4ヵ月ほどのサーキットを終え大山総裁と遠藤が帰国すると、東郷は54年から、今度はハロルド坂田をトシ東郷とし再び東郷ブラザーズを結成、活動します」



ハロルド坂田との東郷ブラザーズ


先輩「着物に下駄・・・日本色を出していると思いきや、この画像は意外にも着物が中国風なんだね。手を組んだ形も中国っぽい。しかしよく見るとチャイナ服ともちょっとちがうなぁ?」


探偵「そうですね。普通このようなチャイナ服は上着は短めで腰までか、または足の方までまっすぐ長くなっているワンピース状かのどちらかですよ。で、下はどちらを着たにしろズボンですよね」


先輩「だよね。昔よく見たゼンジー北京が着てたのと似てるようでちがうもんなぁ」


探偵「ゼンジー!?なんですかそれは!?プロレスラーですか?」


先輩「いやなんでもないです・・・」


探偵「そうですか。えっと話を戻して、でもこれは上着こそ中国風で一見下まで一体のワンピース状に見えますが、下はまっすぐでなくフワッとしています」


先輩「冷静に見るとチャイナ服にはないデザインだなぁ」


探偵「ネットで検索するとこれと同じ場所と思われるところで撮影された画像で、上半身だけ脱いでるのが見られるんで、これはツーピースなんではないでしょうかね?」



袴スタイルの東郷ブラザーズ

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)



掲載されている雑誌“月刊ファイト”このファイトはあのファイトとは別物なんだろうか!?

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)


※2点の画像は管理人様より許可を得、お借りしました。錆道楽様、温かいご対応、心より感謝いたします。ありがとうございました。


先輩「ソースは1955年の雑誌か・・・月刊ファイト。こんなプロレス誌があったなんてまったく知らなかったなぁ」


探偵「あったのもすごいんですが、残ってたのもすごいですよね。で、見てもらうと・・・中国風ですが下は袴(はかま)になっているのがわかりますね。中国人が袴って、ちょっとないですよね」


先輩「うーん、でも撮影場所は確かに同じのようなんだけど、見比べると似てはいるが袴の柄のパターンがちがうような気もするが・・・わからないなぁ。とりあえず言えることは、日本とか中国とかではなく、いわゆる東洋色を強調した仕様を使っていたということなんだろうね。東郷ブラザーズのオリジナル・コスチュームということかな」


探偵「そうかもしれないんですが・・・実のところこの仕様は、この写真の他には出てきません。というか、東郷ブラザーズって調べたとき、はっきりとこのタッグチームとして写ってる写真がこれしか出てこないんですよ」


先輩「そうかぁ・・・この写真もプロレス会場だったりリング上だったりしなくて、スタジオ撮影だからプロモとかの撮影用なのかもしれないしなぁ。真実はわからないか・・・」


探偵「実際の試合、ふたりがどんなコスチュームで出てきて、どんなパフォーマンスをしていたのかはわからないですね。コスチュームは仕様が何種類かあって変えていたのかもしれないですしね。すごく興味があります」


先輩「そうだね、見たかったなぁ。しかし不思議だね。力道山をプロレスへと導いたハロルド坂田と東郷のタッグとは、これもまた運命的だなぁ」


探偵「そうですねぇ・・・」


先輩「この坂田との東郷ブラザーズ時代の資料はあるのかな?」


探偵「鮮明な詳細は残念ながらほとんど出てこなかったですが、タイトル遍歴ではわかることもありました。まず54年から60年にカナダのトロントでフランク・タニーがプロモーターをしていたメープル・リーフ・レスリングというところでNWAカナディアン・オープン・タッグというタイトルを、あのホイッパー・ビリー・ワトソンと争っていたという情報ですね」


先輩「ホイッパー・ビリー・ワトソンと抗争か、すごいね」


探偵「そうですね。東郷ブラザーズは54年の7月にカナダのトロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、テキサス・マッケンジー組から同タイトルを一度奪取しています。おそらく二代目東郷ブラザーズを結成してすぐくらいではないでしょうかね」



タッグマッチでワトソンのパートナーのテキサス・マッケンジー(中央)を血だるまにする東郷(右側)ワトソンが救出に入る


探偵「そして翌55年6月にNWA世界タッグ王座を奪取しているようです。これはロサンゼルス版のNWAタッグ王座らしいのですが、これに関しては試合の様子やタッグチャンピオンであることがわかるもの、そういったものが写っている写真は出てきませんでした」


先輩「だが・・・先程も出た上半身脱いでる画像ソースの月刊ファイトだが、これには


"日系トーゴー組 遂にタッグ世界選手権を奪う"


という表記がある」



若干読みずらいが、間違いない


探偵「名前はよく見るとグリート・トーゴーになっていますね」


先輩「ああ、これはミスだろうけど味わいあっていいね。で、この上半身脱いでるのが掲載されている先ほど出た画像の月刊ファイトは55年7月号とある。タイトル奪取は6月だが、月刊誌はだいたい1ヵ月ラグがあるから、表記時期から逆算するとこの世界タッグ選手権というのはNWA世界タッグ王座ロサンゼルス版のことを言ってるんじゃないのかな?」


探偵「とすると、これはその王座奪取記念的な写真!?」


先輩「いやぁ・・・わからないが・・・でも、近いかもしれないよ」


探偵「詳細も、タイトル奪取時の場所も対戦相手もタイトル保持期間もわかりませんけど・・・ただ記録としては、このタイトルを日系人が獲ったのは初めてだったということですので、その夢は信じたいですね」


先輩「うん。しかしだいたいこの時代にタッグチームでスタジオ撮影するとか発想が斬新だよね。東郷ならやったかもしれないよ。まあシャープ兄弟のNWA世界タッグはサンフランシスコ版だったりと、この頃は地区でいろんな認定タイトルあったから、ただでさえわからないこと多いしなぁ。さらに東郷にピンポイントとなるとわからないのが本音だね」


探偵「そうですね。で、最後に56年4月です。この年はハワイにてNWAハワイ・タッグというタイトルを奪取しています。対戦相手はジェームス・ブレアース、これはロード・ブレアースのようですね。そしてジン・キニスキーとあります」


先輩「元PWF会長のロード・ブレアースとキニスキー、すごいコンビだ。キニスキーはまだデビューしてそんなには経ってない頃だね」


探偵「そうですね」


先輩「さて、ざっと見てみると、試合よりは演武やデモンストレーションが先行していた大山総裁にプロレスではキャリアが浅かった遠藤とのチームだった初代東郷ブラザーズに比べると、プロレスキャリアのある試合巧者の坂田とのこのタッグは完全にプロレス主体だったのが感じ取れるね」


探偵「そうですね。初代東郷ブラザーズも各地を転戦しましたが、二代目東郷ブラザーズは本土以外も転戦しています。それにタイトル戦線に食い込んできていますから、プロレス主体ですね」


先輩「東郷の歴史を調べたとき、プロレスラーとしての活躍が一番わかるのがこの時代かもしれないね。しかし、この頃の東郷は、先に上げた東郷ブラザーズの画像の他というと・・・リング上で東郷と坂田が一緒に写っているところのなんかは見たことがないね。やはりないのかな」


探偵「そうですねぇ~。映像や写真は50年代半ばであれはもう浸透していましたから撮れないことはないですからね。当時悪役人気が高かった東郷ブラザーズを撮ってないってことはないでしょうから、やっぱり残ってないだけなんじゃないですかねぇ」


先輩「う~ん、残ってないかぁなぁ~。そういえばこの頃は東郷、シングルはどうだったのかな?」


探偵「これはわかりません。ただ東郷は50年代終わりくらいからは実業家としての仕事がかなり好調だったようで、その頃になるとあまりリングに上がっていなかったようなんですよ。先程話に出た自動車販売業の他、不動産にマンション経営、レストランなど・・・かなり幅広く展開していたようです」


先輩「血はリングに咲く花・・・マットの上には札束やダイヤがゴロゴロと転がっている。東郷に触れたとき必ず出会う言葉だが、移民の農家の子からプロレスへ、そして富を手に入れた。東郷はアメリカンドリームのパイオニアと言えるかもしれないな。しかし、もはやリングに上がらなくてもすむようになってしまいプロレスから離れ気味になってしまったわけか」


探偵「はい。しかし、そんな中にあっても東郷の運命を導く“力”は威を発揮します。東郷がハロルド坂田と東郷ブラザーズを結成した54年、その年に日本では2月19日に日本初となるプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsシャープ兄弟の世界タッグ選手権者が行なわれました。日本のプロレスの夜明けとなった試合ですね」


先輩「そう、ここから始まったんだよね。この日は日本テレビとNHKが同時中継し、日本中がプロレスに熱狂したんだよ。新橋駅西口広場に設けられた街頭テレビには2万人もの人々が詰めかけたそうだよ」



街頭テレビに群がる人々


探偵「そうですね。こうしてブームが爆発し、日本プロレスは大変な盛況を見せます。力道山は同年12月には昭和の巌流島といわれ今なお語り継がれる木村政彦との日本ヘビー級選手権を、翌年55年11月にはアジア選手権としてトーナメントを開催しキングコングを倒し初代王者となります。そして1957年、ついにNWA世界ヘビー級チャンピオンだったルー・テーズを招聘。自身初となる世界タイトル挑戦を東京、大阪で行ったんですね」


先輩「しかし日本プロレス創設から4年、この力道山のNWA戦前後くらいから、その後ブームも沈静しはじめ・・・日本のプロレス人気は下降線に入ってしまうと」


探偵「そうなんですね。58年にはロサンゼルスでテーズを破りインターナショナル王者となります。力道山はこのタイトルを看板としていきますが、人気低迷からの客の不入りは深刻であったようです」


先輩「テレビ視聴率は好調だったけど、観客動員数が下降気味だったそうだよね」


探偵「そうなんですね。このため、プロレス人気回復のために力道山はインターナショナル王者の他、世の中があっと驚く爆発力を持ったモノを放ちたかった。そこで力道山が思いついたのが世界各国のレスラーを一堂に集め総当たり戦をやるというあれです」


先輩「ワールド大リーグ戦だね」


探偵「そうなんです。ワールド大リーグ戦です。世界中のプロレスを見渡しても前例のないこの思想を実現することはただならないことでした。まずアメリカだけでなく世界各国のレスラーを参加させようという点が難しいところでした。それに単なる各国のレスラーではなくチャンピオンクラスのレスラー、という点。そして人数をどう確保するか?という点でした。そういった難しい点に加え、はたしてこのリーグ戦を行ったとしてプロレス人気回復となるかどうか・・・力道山にとってはまさに大きな賭けだったわけです


先輩「確かに、今でこそプロレス団体がリーグ戦をやるのは珍しくないけど、この時代、まったくそういう考えが無の時代にやってみようというんだから、まさしく一か八かだよね」


探偵「はい。こうして力道山はワールド大リーグ戦開催に向け走りますが、この条件のレスラーを力道山ひとりで発掘、交渉、招聘はとんでもなく大変な作業です。そこで力道山は海外のプロモーターなどに開催のための協力を求めます。が、そんな中でも切り札だったのは海外で誰より顔の利くグレート東郷でした」


先輩「力道山は東郷に会う前にブラジル遠征をしているんだけど、ここで行った17戦のすべてのファイトマネーを東郷に差し出し、協力をお願いしたという話がある。しかし・・・いくらお金を積まれてもアメリカ出身だけでなく、各国出身という条件。普通に考えればそれだけで難しい。けど東郷はアメリカでファイトしているレスラーの中でも出身地がちがうレスラーや出身地に見合ったイメージのレスラーをその国の代表として、うまくブッキングしたんだね」


探偵「そうですね。東郷は力道山の話を聞きレスラーを揃え来日準備を整えました。59年、まさに各国がそろった第1回のそのメンバーは・・・アメリカ代表ダニー・プレッチェス。ラテンアメリカ代表エンリキ・トーレス。メキシコ代表ジェス・オルテガ。インド代表ターロック・シン。ドイツ代表ミスター・アトミック。ハンガリー代表キング・コング。そしてイギリス代表ロード・ブレアースという豪華なメンツです」



空港で参加選手を出迎える力道山。バラエティー豊かな面々がそろった



第1回ワールド大リーグ戦のポスター。三菱テレビに歴史を感じる




開会式。遠藤の向かって左側がロード・ブレアース。ロードはイギリスで“卿”を意味するそうだ


先輩「東郷とハワイ・タッグをやりあった元PWF会長のロード・ブレアース会長も出場していたんだ。で、ここに力道山、豊登、遠藤幸吉が加わるわけだね」


探偵「そうです。オルテガ、キングコングのような超巨漢レスラーからコブラツイストを日本で初めて披露したトーレスに、ブレアーズのようなテクニシャン。インドの神秘的な魅力を持ったシンと、それぞれ個性のそろった強豪が集まったわけですが、中でもこのシリーズで最もリーグ戦の人気向上になったのがミスター・アトミックでした」


先輩「日本に最初に現れたマスクマンはラウル・ロメロだけど、初めてプロレスのシリーズに本格参戦しテレビを通じて全国民に映し出されたマスクマンはこのアトミックだったんだよね」



日本におけるマスクマンのパイオニアだったミスター・アトミック。今でいうライガーほどの知名度だった


探偵「そうなんです。当時放送されていた月光仮面が人気だったこともあり、このシリーズ、初めて見る赤いマスクを被った正体不明のレスラーの人気は大爆発。こうしてリーグ戦を行いながら日本を巡業したワールド大リーグ戦は大成功をおさめ、日本プロレスの人気も回復。起死回生の一撃となったというわけです」


先輩「各国の並み居る強豪の中に、当時は未知の存在だった正体が謎の覆面レスラーを入れたのは大きかったね」


探偵「そうですね。謎や不明という点に人間が興味を持たずにはいられないという心理を見事突いていましたね」


先輩「しかも本来マスクド・プリチュアという名前だったのをインパクトを持たせるためにアトミックに変更させたんだよね。力道山のアイデアと東郷の"力"が見事にマッチした結果の大成功だったと思うなぁ。しかし・・・このときは東郷はブッキングのみで日本には来ていないの?」


探偵「そうなんです。先に触れましが、おそらくこの頃は東郷はもうプロレスからはリタイヤ状態ではなかったのかなと・・・なのでワールド大リーグ戦には来ていません。しかしワールド大リーグ戦から4ヶ月後の1959年9月4日から翌年60年の1月30日まで開催されたプロレス秋の国際試合というシリーズで9月18日から12月10日までレスラーとして特別参加で初来日を果たします」



プロレス秋の国際試合で初来日したグレート東郷


先輩「そうかぁ・・・48歳にして初めて日本の土を踏んだわけか・・・」


探偵「そうですね。大悪党がついにやって来たわけです」


先輩「花柄の着物に下駄・・・これは東郷ブラザーズ仕様とちがい、完全に日系の大悪党だね。幻のレスラーがついにベールを脱いだって感じで、いいね」


探偵「そうですね。で、通年、力道山とはパートナー的存在であった東郷ですが、このときは外国人レスラーとしての扱いだったようで・・・タッグにて力道山との対決が何度か行われていたようなんです」


先輩「意外だ。てっきり日本側なのかと思ってたが最初は外国人レスラー扱いだったのか。ということはこのときは海外でのファイトスタイルをそのまま行ったってことかな?」


探偵「そのようです。力道山と東郷の初対決は10月6日、東京の台東体育館でタッグマッチで実現しています。力道山は遠藤幸吉と組みグレート東郷、マイク・パドーシスという外国人選手と試合しているんですが、東郷は反則を駆使し、かなりの悪党ぶりを発揮したらしいです。結果は1-1の引き分けだったようです」


先輩「大悪党直輸入にして、かつての東郷ブラザーズ対決に力道山が絡んでいるとは、なんともすごい」


探偵「しかし、さらに驚くことに力道山と東郷、このシリーズにシングルを一度やっています。10月30日、東京・浪花町(現在は日本橋・人形町)のプロレス・センターで行われ、何十分勝負かは不明なんですが、結果は時間切れ引き分けとなっています。この試合はテレビもあったようですね。力道山相手に度胸満点の戦いをやってのけた。とありますが、残念ながら試合の写真は出てきませんでした」


先輩「このマイク・パドーシスというレスラーも10月6日までの特別参加で、東郷とパドーシスが帰国後は入れ替わりでジム・ライトが参戦している。このあたりを見るとシリーズ序盤戦から力道山とタッグで絡み、最終でテレビありのシングルってことは東郷はシリーズ前半戦のエース外国人扱いだったということだよね」


探偵「そうですね。で、これはボクの想像なんですが・・・東郷はこの頃にはプロレスから離れてしまっていたので、プロレスラーはこの来日から日本限定でだったんじゃないかな?なんて思うんですよ。ブッキングはもちろん、力道山はワールド大リーグ戦以降からは試合に関する相談もしていたそうで、マッチメイクなども任せていたところがあるようです」


先輩「そういうポジションだと、この方が都合がよかったのかもしれない。だからプロレスラーとして復帰して、その一発目が東郷をエースとして迎えたこのシリーズだったという・・・わかる気がするなぁ。しかし、すごいよ・・・そういう事情の想像もおもしろいけど、おれは真っ正直から見て、力道山vsグレート東郷。これはすごい対決、試合だったと思うんだ」


探偵「海外武者修行時代から縁があった力道山ですが、ウソつきで金にシビアな東郷を始めは好きではなかったようなんです。しかしワールド大リーグ戦からは信頼、信用が高まった。付き合いの中ではブッキング料で揉めたり大声出しての言い合いも多々あったようでしたが、ケンカしながらもいつも一緒にいたふたりは夫婦みたいな関係だったのでしょう。そんなふたりの対決ですもんね」


先輩「そう、こう、なんてのかな・・・やっぱり繋がる運命にあるというかね。でもおれが言いたいのはその他にもあるんだよ」


探偵「なんですか?」


先輩「グレート東郷はアメリカで大悪党だったわけだよね」


探偵「そうですね」


先輩「グレート東郷は大平洋戦争という歴史から人々の憎悪をプロレスで表した。大平洋戦争の憎き敵国の人間が卑怯な戦い方をし、これでもかというほどの憎しみを買う。それこそ一般人に刺されるほどのね。だからそれをやっつけるアメリカのレスラーには歓喜が上がったんだ。一方、力道山はどうだった?」


探偵「力道山は日本のヒーローで・・・あ!!」


先輩「そう。力道山は戦争で敗戦した余韻がまだある日本で、大平洋戦争の憎き敵国の、自分よりも大きくて力が強かった人間相手に攻撃されながらも耐え抜き、最後に空手チョップで倒したんだよ。戦争では負けたけど、日本の力道山はその戦争で勝った国の人をやっつけたんだ。その姿に歓喜が上がったんだよ。どう思う?」


探偵「同じです・・・戦争で引きずっていた人々の気持ちを歓声にに変えていたんだ・・・正統派と大悪党のタイプのちがうプロレスだったのに、東郷と力道山は同じプロレスをしていたのか・・・」


先輩「そうなんだよ。生まれた場所も生まれ育った環境もちがう。そんなふたりが出会って、同じプロレスをやって、同じ場所でプロレスを作ったんだ。そんなふたりの対決だったんだ」


探偵「試合で東郷は、相手を力道山にしていたんだ。そして力道山は相手を東郷にしていたのか・・・相手が光って自分が光る、自分が光って相手が光る、という・・・そんなふたりの対決、どんな戦いだったのかなぁ」


先輩「見てみたかったなぁ」



会場となった浪花町プロレス・センター屋上で余裕の笑みを見せる東郷。力道山相手にどんな試合を見せたのか?今はもうわからない・・・


その4に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。




名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その4 愛してもその悪を知り憎みてもその善を知る~

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より続きです。

探偵「さて、第1回のワールド大リーグ戦から東郷の初来日を経て、1960年4月には第2回ワールド大リーグ戦が開催されますね」

先輩「うん。ここからはおれの担当だったから・・・いってみるよ」

探偵「お願いします」

先輩「東郷のブッキングになってから、これまで日本に来なかった、現在にまで語り継がれる強豪レスラーが次々と来襲するようになった。第2回のワールド大リーグ戦の目玉は、かつてのルー・テーズの連勝記録を936でストップさせたタックル王レオ・ノメリーニだ」

探偵「力道山の1年に及ぶ海外武者修行時代のうち黒星3つのうちのひとつをつけたという強豪ですね」

先輩「そうそう。他にはカウボーイ・ボブ・オートンの父親のボブ・オートン、ダン・ミラー、ホンブレ・モンタナ、スタン・リソワスキー、ハンス・ヘルマン、サニー・マイヤース、アンドレのマネージャーを勤めていたこともあるフランク・バロアにルー・キム(プロレス研究所~プロレス・ネット・今・昔~ )そしてグレート東郷という面々だ」

探偵「ここに力道山、遠藤幸吉、豊登という前回の日本代表に火の玉小僧、吉村道明か加わると」

先輩「そうそう。で、東郷は日系人代表として今度はリーグ戦に参加したんだ。しかし前回とちがって今回は日本人側としての参加だったので初来日のときとは立場が一変したんだよ」

探偵「ブッキングしたメンバーもさることながら、東郷は日本陣営として参加したんですね。でもファイトスタイルはどうだったんですか?ボクが調べた秋の国際試合ではアメリカでの東郷そのままでしたが今度はクリーンファイトに?」

先輩「いや、ファイトスタイルは以前のままなんだよ」

探偵「うーん・・・イメージがつかないなぁ・・・この当時の日本人レスラーは反則なんか絶対やりませんでしたよね。その中に入って東郷のあのファイトスタイルそのままで正統派!?」

先輩「試合では、東郷が外国人レスラーに押されることが多かったようなんだ。でも最後はアメリカで鍛えたあの反則技の数々で反撃に転じるという感じで、これがファンに好まれたらしい」

探偵「耐えて反撃かぁ・・・」

先輩「うん。そのあたりの盛り上げ方はもちろんうまかっただろうけど、身長が167センチしかない東郷が2メートル近い外国人レスラー相手にめいいっぱい腕を伸ばしイスやバケツで攻撃する姿はコミカルでもあり、なにより頑張ってるように見えた。悪どくて目を伏せる反則というよりは、いいぞー!!って感じにお客さんの目には映ったんだろうね」


東郷のバケツ攻撃。見ていると不思議に応援したくなる

探偵「大きな相手に小さな人間が向かって行くのって、自然と応援したくなりますもんね。それに東郷って、なんか憎めない顔してますよ」

先輩「そうなんだよね。本来悪党なのに、どこか愛嬌があるんだよ。これも"力"を持つことができた要因のひとつなんだろうなぁ」

探偵「そうですよね。世の中って、話しやすい、話しづらいありますよね。ものすごい頼みづらいイヤなことを誰かに頼まなきゃならないことがあったとして、この人には頼めるんだけど、この人には頼みづらいってありますよ。逆もしかり」

先輩「そうだね。逆に明らかにイヤなことや断りたいことなのに、この人から頼まれると断りずらいというのもあるね。一見愛嬌あるんだけど、相手に断らせないような空気を持っているというか・・・東郷はそういう面でも長けていたんだろうね」

探偵「そこに虚言も入ってくれば、ほぼ無敵ですよね」

先輩「ははは、そうだな。で、次の来日となったのが61年の 第3回ワールド大リーグ戦だ。このときのメンバーはアイク・アーキンス、ロニー・エチソン、ジム・ライト、ビッグ・ビル・ミラーのミスターX。ヘラクレス・ロメロ・・・そして密林王グレート・アントニオにカール・クラウザーだ」

探偵「グレート・アントニオに、あ~いよいよカール・ゴッチ登場なんですね!!すごい!!」


第3回のリーグ戦出場メンバー。上段中央の力道山のとなりがゴッチ。下段向かって左から2番目が東郷。下駄でなくリングシューズになっている

先輩「日本からは力道山、遠藤幸吉、豊登、吉村道明。グレート東郷は前回と同じく日系代表で参加したが、ここにもうひとり日系代表でハロルド坂田が加わるんだ」

探偵「ハロルド坂田!!ということは日本で東郷ブラザーズが実現したんですか!?」

先輩「実現したのかなぁ・・・当時の雑誌や新聞等の資料が何分入手困難でね。わからないなぁ」

探偵「ざっと56年前ですもんね・・・見てみたいなぁ。それにしても興味がつきません。カール・ゴッチの初来日も歴史的ですが、今なお強烈なインパクトといえば密林王グレート・アントニオですね」

先輩「そうだね。このときは東郷はリーグ戦にも参加したけど、アントニオのマネージャーとして能力を発揮したね。身長190センチ以上、体重200キロ以上という巨漢が初来日一発目、さっそく空港で出迎えたプロレス記者たちを声を張上げながら追い回して度肝を抜かさせた。のち、その怪力で神宮外苑で満員の大型バス3台を引っ張るパフォーマンスを見せ、手の付けられない怪物だ!!とファンの興味を集め大ブームとなった。そして、その上での、なんと言ってもこれだね」


東郷に鎖で繋がれて入場するアントニオ

探偵「もう言うことないですね。アントニオの怪物感を最も表す象徴的シーンですよ」

先輩「実はアントニオは海外ではあまり知られていない無名のレスラーだったらしいんだ。でも日本では東郷や力道山のアイデアで数々のパフォーマンスで強烈なイメージが植え付き、多くの人の興味を向けさせることになり観客動員や視聴率に大きく貢献する結果となったんだ」

探偵「力道山のNWA戦後に低迷してしまったプロレス人気は第1回、第2回で上昇線になり、この第3回で完全回復、いやそれよりも上回ったわけですね」

先輩「晩年まで評価はよくなかったアントニオだったけど、今回に限ってはアントニオ様様だよね」

探偵「そうですね。ゴッチの技術や強さはプロレスファンなら知ってのとおり本当にすごくて、それこそ現在の格闘技界においてもその評価は高いです。でもまったくプロレスの概念がなかったゼロの状態から力道山のプロレスを知り、それを見てきた当時の人たちが当時ゴッチのスタイルを見たとしても、何が他のレスラーとちがってすごいのか?ジャーマン・スープレックス以外は正直わからなかったと思うんですよ」

先輩「確かにわかりやすかったか?と問えば、そうかもしれないね」

探偵「そこにきて、ものすごいでかくて、なに考えてるかわからなくて、危なくて、とんでもない怪力という・・・誰が見ても単純に"すごい"とわかった方が万人の興味は引きますよね。ここに目をつけてマネージメントした東郷はやっぱりすごいと思うんですよ」


試合が終わっても暴れ制御不能なアントニオに鎖をかけ抑える東郷。数人で押さえつけるその中には若き日の猪木の顔も見える。こうした怪物ぶりに日本中が釘付けとなった

先輩「アントニオは一時期のボブ・サップみたいなものだったんだろうね。さて次は62年の 第4回ワールド大リーグ戦だ。第1回から見てきて最もすごいメンバーがそろったといわれる大会となった。そのメンバーはデューク・ホフマン、マイク・シャープ、ラリー・ヘニング、アーノルド・スコーラン、ミスター・アトミック、バディ・オースチン、フレッド・ブラッシー、ディック・ハットン、そしてルー・テーズだ」

探偵「まずルー・テーズ。そして今現在、名前を出す人はいませんが実はテーズやゴッチより強かったのではないか?といわれるディック・ハットンですね。この時点で超実力派の元NWA世界王者がふたりいるというのがものすごいですが、ここにドリル・ア・ホール・パイルドライバーの"キラー"バディ・オースチンと噛みつき魔、吸血鬼フレッド・ブラッシーという超ヒールもいるのがさらにすごい」

先輩「そこに第1回で人気だったミスター・アトミックにミスター・パーフェクトことカート・ヘニングの父"バイキング"ラリー・ヘニング。そしてこれまたアンドレのマネージャーとして日本にも来ていたアーノルド・スコーランと、豪華なメンツとなったね。そして日本陣営は 力道山、遠藤幸吉、豊登、吉村道明、グレート・東郷。ここに新たに長沢秀幸、土佐の花、大木金太郎と猪木完至、つまりまだ若手だったアントニオ猪木が加わるんだ」

探偵「馬場さんより猪木さんの方がワールド大リーグ戦参加が早かったんですね」

先輩「そう。馬場さんは61年7月から63年3月まで1回目の海外武者修行に行っていたので、このリーグ戦には出ていないんだ。馬場さんも海外で東郷とは関わりがあったんだけど、その話はあとで触れるとして・・・第4回のリーグ戦の話を続けるね」

探偵「はい」

先輩「先にも話したけど、参加メンバーの豪華さで人気度が高まったこの大会だったが、実は第3回まで盛大に開催されてきたワールド大リーグ戦も、このあたりでややマンネリが見られてきたらしいんだ。テレビでは高視聴率だったんだけど興行面では下降してきたようだったんだね。その辺の事情も含めながら話を聞いてもらうと・・・このシリーズは東郷絡みで、それまでなかったような社会を巻き込んだ事件が起きてしまったんだ」

探偵「事件!?」

先輩「そう、老人ショック死事件だ」

探偵「し、ショック死!!どういうことですか!?」

先輩「それは4月27日の神戸市王子体育館にて行われた力道山、豊登、グレート東郷vsルー・テーズ、フレッド・ブラッシー、マイク・シャープという6人タッグマッチだった。この日、テレビが生中継だったこのメインの試合で、ブラッシーは得意の噛みつき攻撃で東郷を大流血に追い込んだんだが・・・」


問題となった神戸市王子体育館での6人タッグ。ブラッシーとテーズが同じコーナーにいるだけでもすごいが・・・

探偵「まさかそれをテレビで観ていた老人が!?」

先輩「そう。このときは・・・元々、流血王や血笑鬼というニックネームがあったくらい東郷の試合は流血試合が多かったので、そこはおなじみではあったんだけれど、偶発的な流血でもなく凶器によるものでもない、それまで日本人がテレビで見てきたプロレスや相撲やボクシングなど格闘技の中で見たこともなかった"噛みつき"という攻撃での大流血だっだから、たまったもんじゃなかった」


背後から嚙みつかんと迫るブラッシー。このシーンに日本中が恐怖した

探偵「今にしたって、たまったもんじゃないビジョンですよ・・・」

先輩「そうなんだ。それだけでも刺激が強すぎるのに・・・東郷は大流血の中、チョップや頭突きで反撃したらしいんだが、この東郷の反撃のたび額から多量の血が飛び散ったらしいんだよ」


探偵「噛みつかれて大流血。しかしその流血でも向かっていき、血を飛ばしながらの猛反撃。血はリングに咲く花・・・まさに東郷の真骨頂と言いたいところですが、これが事件になってしまったんですね」

先輩「うん。会場の方は興奮度が高くてわりと盛り上がったようなんだが、テレビの前の状況はちがっていた。この試合の翌日の朝日新聞によれば、流血を見て気分が悪くなり亡くなったのは京都府の76歳の女性と愛知県の63歳の男性とある。原因は女性の方がショックによる心臓発作で、男性の方が興奮したため血圧が急上昇し脳出血を起こしたとなっている。男性は元々高血圧気味だったようではあったようだけど死亡するほどではなかったようなので、この流血が引き金になってしまったんだろう」

探偵「しかし先輩の調べた資料によれば、他にも岐阜県の65歳の男性、富山県の71歳の女性、高知県の70歳の女性、山梨県の74歳の男性と・・・プロレス中継を見ているときに異常を訴えて死亡したという事例は6人にも及ぶと!?」

先輩「そうなんだ。実は先の2名が亡くなる前まではプロレスのテレビ中継を見てショック死してしまった人がいるという話は表に出てこなかったんだ。しかしこの事件が明るみになったことで、他の中継を見ていたりして同じ症状に陥り死亡者が出てしまっていたことが他にもあったことがわかったということなんだよ」

探偵「じゃあ、もしかしてこの6人の他にもいたかもしれないと・・・」

先輩「そうだね・・・本人は流血を見てショックを引き起こしたんだけど、周囲が自然死だと認識してしまっていたらわからないだろうからね」

探偵「しかし先輩、これは大事件じゃないですか!!東郷はあまりのファイトスタイルから、かつてアメリカでプロレスに関係のない、同じ日系人から非難を受け問題になったことがありましたが、死亡者は出ませんでしたよ。しかしこれは・・・」

先輩「そうなんだ。この3日後、事件を受けて大阪府警は翌月の5月11日の大阪大会のテレビ中継をやめるように勧告した。また18歳未満のお客さんの入場禁止なども同時にしたそうだよ。そして朝日新聞においてはプロレス批判のキャンペーンが早々に展開されプロレス放送の禁止が危ぶまれた他、プロレス放送を認可している当時の郵政省から国会へ危うく問題が飛び火する勢いにまで達したんだ」

探偵「国会にまでですか!?」

先輩「ああ。でも話し合いにより流血時や残虐と思われるシーンは大きく映さないというテレビ局の自粛対策を受け入れ、これより話が大きくなることはなく、なんとか沈静化したんだ」

探偵「しかし、なんでこんなことが・・・」

先輩「実はこのあたりがマンネリ打破の余波だったと考えられる。プロレスはテレビでは高視聴率だったんだけど興行面では下降傾向がやっぱりあったようだったんだ。そこでロサンゼルスからWWA世界ヘビー級を巡ってライバル関係にあった力道山とブラッシーの戦い、当時の日本には概念がなかった“抗争”というものを、このリーグ戦にも盛り込めば話題になり興行面で向上が見られるんじゃないか、というね。そういうのが東郷の計算にはあったようなんだ。この試合は東郷がマッチメイクをしていたらしいからね」


62年3月にロスで行われたWWA世界戦。レスラー同士が抗争するというのは、それまでの日本ではなかった

探偵「そうかぁ・・・東郷にしてみれば前哨戦で自分が捨て石になり、次に続く力道山とブラッシーの戦いをさらに引き立たせようと身を張って繋げたという、そういう感じだったんでしょうね。シングル前の前哨戦確は今なおプロレスでは行われていますから、なんら不思議はありませんよ。重要なことです。しかし・・・」

先輩「うん。一般のマスコミに警察、そして一時期は国会にまで及びかねなかった事件。確かに話題になり世間の注目度も高くなって興行面での向上も見られたが・・・東郷はここまでも計算済みだったんだろうか?」

探偵「ボクは、あり得ると思いますよ。さすがに死亡事故は予想外だったでしょうけど・・・かつて戦争の歴史を煽って全アメリカと全日系人を敵に回してまでプロレスをやっていた男ですからね。何かしら強烈なものを発信する気でいたことは確かだと思います。最初は東郷がどんな人物かわかりませんでしたけど、この辺りまで来るとどんな人物だったのか、少し想像できるようになりましたよ。本当に悪党ですもんね」

先輩「そうだな。リング上のファイトもそうだが、このあたりが大悪党たる由縁なんだろうなぁ・・・」

探偵「でも、東郷いなかったらワールド大リーグ戦はじめ、何人もの強豪レスラーが来日することがなく“幻のレスラー”で終わっていたわけですし、今では当たり前なレスラー同士の“抗争”も日本のプロレス界に存在していなかったかもしれません。東郷は、愛してもその悪を知り、憎みてもその善を知る、ですね」


その5に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。




名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その5 力道山との別れ~

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より続きです。

先輩「さて、豪華メンバーが来襲し、これまでにない世間の注目を集めた第4回のワールド大リーグ戦が終わると、東郷が関わった最後のワールド大リーグ戦は翌年63年の第5回のとなるね」

探偵「力道山最後のワールド大リーグ戦でもありますね」

先輩「そうだね。メンバーはボブ・エリス、キラーX、サンダー・ザボー、フレッド・アトキンス、ヘイスタック・カルホーン、パット・オコーナー、キラー・コワルスキー。日本からは遠藤幸吉、豊登、吉村道明、、大木金太郎、マンモス鈴木、猪木完至、ジャイアント馬場。力道山はこの回はシードということで決勝のみ。東郷はシリーズ参戦したがリーグ戦には出場はしなかったようだ」

探偵「元祖フロントネック・チャンスリードロップのザボーに馬場さんの海外の師である頑固オヤジのアトキンスに体重273キロの人間空母カルホーンに元NWA世界王者の魔術師オコーナーに墓場の使者コワルスキー。これまた豪華なメンバーですね!!そしてこの回から馬場さんも参加しているんですね」

先輩「そう。海外武者修行から一時凱旋の馬場さんが参加し、力道山と決勝を争ったキラー・コワルスキーと対戦して45分フルタイム引き分けをやって力道山から絶賛されて次期エースが確定したような感じだったね」

探偵「しかし、東郷はリーグ戦には出ていないと・・・」

先輩「そうだね。前年のショック死事件が影響したのかどうかはわからないが、おそらくマッチメイクやマネージメントにウェイトを置いたのかもしれないね。でもタッグなどには出て、相変わらず盛り上げていたようだよ」


タッグにて豊登のアシストを受けジャンピング・ヘッドバットを見舞う東郷

探偵「前回もそうでしたが、このときも東郷はリングシューズなんですね。豊登が裸足で東郷がリングシューズというのはなんか不思議に見えます」

先輩「これも謎だよなぁ・・・初来日が下駄だったのは確実なんだけど、日本側として参戦してからは下駄をやめたのかな?」

探偵「あるかもしれないですね。東郷の代名詞の下駄による攻撃を封印して日本側をアピールしたとか。でも、バケツやイスでの攻撃はしていたから別の理由なんでしょうかね?」

先輩「どうなんだろうね?ここも永遠の謎だなぁ。さて、第5回ワールド大リーグ戦は力道山の5連覇で幕を閉じたわけだけど、結局これが力道山、東郷の手掛けた最後のワールド大リーグ戦となってしまったんだね」

探偵「そうなんです。力道山は、この年だったんです・・・ここからはボクがやります」

先輩「よろしく」

先輩「この第5回ワールド大リーグ戦が終わった翌月、63年5月にWWA世界選手権シリーズというのが行われます、このシリーズに東郷は第5回ワールド大リーグ戦から残留。引き続き参戦しました。ただ、このときはシリーズ自体で試合が4戦しか行われなかったため東郷が試合に出たかどうか詳細は不明です

先輩「このときの東郷の詳細はわからないが・・・このシリーズに力道山時代最後の大物が来たんだよね」

探偵「そうなんです。このシリーズでザ・デストロイヤーが初来日しているんです。おそらく・・・ブラッシーもデストロイヤーもこの当時はWWAのロスマットですから、ブッキングした絡みで東郷はそのまま残留したのかもしれませんね」

先輩「おそらくそうだろうね。こうしてデストロイヤーが来日し、そしてこのシリーズで、あの名勝負が行われたんだね」


63年5月24日に東京体育館で行われた力道山vsデストロイヤー。テレビ視聴率は日本のスポーツでは歴代4位の64パーセントを記録した

探偵「そうです。そしてその後、同年11月から行われたインター選手権シリーズで、東郷は5月に初来日し力道山と激闘を展開したデストロイヤーと共に6度目の来日をします」

先輩「デストロイヤーはこのシリーズの目玉だったんだね」

探偵「はい。力道山とデストロイヤーは12月2日の東京体育館、12月4日の大阪府立体育館とインターナショナル・ヘビー級選手権をかけ2連戦を行いました。5月に激闘を繰り広げ日本に強烈なインパクトを残した新たな敵デストロイヤー。必殺・足4の字固めを巡る攻防で日本中が熱狂したんですね」

先輩「このタイトル戦で東郷は力道山のセコンドにぴったりとついているね。映像でもはっきり確認できる。おれが動いている東郷を始めてハッキリと見たのがこの12月2日の試合のだったよ。小学校の頃に日本テレビでやった特番の新・力道山奮戦録って番組でこのデストロイヤー戦を見たんだよなぁ。83年だな」

探偵「そんな番組があったんですか」

先輩「うん。試合の他、沖識名や力道山世代の芸能人へのインタビューなんてのもあってね。特に沖識名はこのテレビが放送される直前の12月15日(放送日は83年12月22日)に亡くなってしまい、それがインタビューシーンのとき字幕で出てね・・・胸に来るものがあったよ。沖識名が、このインタビューが最後の姿になってしまったのももちろんなんだけど、沖識名が亡くなった12月15日は力道山の命日でもあったからね」

探偵「そうなんですか・・・」

先輩「うん。あと誰もいない会場のリングの上からデストロイヤーが力道山に語りかけるのシーンなんかもあって・・・なかなか濃い内容だったんだ。もし東郷があのとき生きていたら、東郷もインタビューされていたんだろうなぁ」

探偵「もし東郷が生きていたらインタビューされて、どんなことを語ったのかすごく興味がありますよ。東郷自身の謎も今より判明していたかもしれないですしね。しかし、力道山世代も少なくなってしまったせいか、そういうテレビは当時は珍しかったと」

先輩「そうだなぁ。その頃には力道山のプロレス関係のってテレビで取り上げられるの、なかったよね。このとき、83年は力道山没後20年という節目でもあったし、力道山世代が日本の社会の中心になった頃だったから、そういうのやったんだろうなぁ。他にも映画のザ・力道山なんてのも制作されてね」

探偵「映画ですか」

先輩「うん。そっちはテレビ放送は公開より3年くらいあとの、おれが中学生のときだったな。映画は力道山の試合の映像で構成されてて、その映像を見ながら村松友視がいろいろ話していく作りなんだけど、この村松友視の話が中学生の自分にはまったくおもしろくなくてね。試合だけ見せてーって感じだったな。って話がだいぶ反れちゃったな」

探偵「いえいえ、勉強になりますよ。さて、話を戻して・・・こうしてデストロイヤーとの2連戦が終わったあと、シリーズでは最終戦が行われます」

先輩「あれ?12月4日の大阪府立がシリーズ最後の試合じゃなかったの?」

探偵「デストロイヤーは力道山最後の相手として名が上がることが多かったので、この大阪でのシングルが最後の試合と思ってる方も多いと思います。が、実はちがうんですよ」

先輩「じゃあ最後の試合は!?」

探偵「このシリーズは11月26日から12月7日までのシリーズだったんです。なので12月7日に行われた浜松市厚生年金体育館での試合が最終戦になります。最終戦のカードは力道山、吉村道明、グレート東郷vsザ・デストロイヤー、バディ・オースティン、イリオ・デ・パウロの6人タッグでした」


デストロイヤーに椅子を振るう力道山。コーナーには東郷が見える

先輩「7日!?力道山が刺されたのは8日だよね?最終戦は事件の前日だったのか・・・」

探偵「そうなんです。力道山が刺される前の日に東郷はタッグを組んでいるんです」

先輩「力道山の最後のシリーズにいて、生涯最後の試合の日にはタッグを組んでいたのか・・・」

探偵「力道山と東郷の運命を感じずにいられないですよね・・・」

先輩「あ、でも・・・子供の頃に読んだ漫画のプロレス・スーパースター列伝の、なつかしのBI砲!G馬場とA猪木編では東郷は力道山が刺された日、つまり12月8日に赤坂のニュー・ラテン・クォーターに同席していたようになっていたけど、実際はどうだったのかな?」


スーパースター列伝にて力道山を心配する東郷。事件の日、東郷は一緒にいたのだろうか?

探偵「ボクはその漫画はわからないですが、足どりを辿ってみると力道山は浜松大会が終わったのち、当日は日本プロレスの納会があったので・・・7日の夜は東郷と一緒だったと思います」

先輩「納会かぁ。年末のシリーズ最終戦のあとだったもんね。一年を締めくくった飲み会だね」

探偵「はい。で、翌日8日は、力道山は朝からアメリカの知人を自宅に招いており、早くから酒を飲んでいたそうです。このアメリカからの知人が誰だったかは不明です。おそらく東郷ではないと思いますが」

先輩「アメリカからの知人?これはわからないね。しかし、力道山が遠征していた頃は東郷は自分の家によく泊めていたそうだから・・・逆に東郷が日本に来ていたときは力道山が東郷を自分の家に泊めていたという可能性はどうだろう?で、このアメリカ人が東郷の知り合いだったとかは」

探偵「このときはホテルだったようです。アメリカからの知人は東郷と共通の知り合いだったのか、その辺はわからないですね」

先輩「そっか・・・それにしても、この頃の力道山は酒の量が増えていったとは聞いていたが、前日は夜に、次の日は朝からとは・・・」

探偵「でも、さらにこのあとも飲んでいます。同日、夕方からは相撲協会の高砂親方、元・横綱の前田山ら相撲関係者と面会しています」

先輩「このあたりはスーパースター列伝と一緒だ。とすると、夕方にテレビ収録があって得意のマンボを踊ってますますご機嫌になったあと相撲のアメリカ巡業の話をするため東京・赤坂のニュー・ラテン・クォーターに行ったんだね」

ニュー・ラテン・クォーターは63年4月にはあのルイ・アームストロングも来日しライブをしたという高級ナイトクラブだった。場所は82年2月に大火災となり世間の注目を集めたホテル・ニュージャパンの地下だったというから驚きだ

探偵「マンボでご機嫌!?よくわかりませんが、親方らと実際に行ったのは赤坂のニュー・ラテン・クォーターではなく東京・赤坂の料亭、千代新のようですね」

先輩「千代新!?」

探偵「話の流れは、面会は、これは相撲協会からの申し出で・・・海外に顔の利く力道山に大相撲のアメリカ・ロサンゼルスでの巡業開催についての相談を求めるものだったようです。で、その話し合いの場に千代新を使ったんでしょうね。力道山は相撲界から去った身でしたが、その相撲界が自分を頼りに来てくれたのがうれしかったそうです」

先輩「千代新は自民党の大物政治家もよく利用していた高級料亭だったようだから、力道山の気持ちがわかるね。で、なるほど。大相撲がロサンゼルスで巡業をやるという内容で力道山に協力を求めるならロサンゼルスで“力”のあった東郷に話さないはずはないよね。この場に東郷が同席していた可能性は高いね」

探偵「はい。まさしくそのとおりで、実際に東郷はこの場にはいたようです。海外、特にロサンゼルスなら東郷を通しておけば巡業もスムーズに行って、間違いなかったでしょうからね」

先輩「で、ここでそういった話をして、そのあとテレビ収録でマンボを踊り、打ち上げ的に赤坂のニュー・ラテン・クォーターに行ったのか」

探偵「いえ、料亭の千代新からニュー・ラテン・クォーターに行く間に、力道山はテレビではなくTBSラジオの番組にゲストとして出演す・・・」

先輩「ラジオ!?じゃあやっぱりマンボは踊らなかったのか!?」

探偵「先程からやけにマンボが出ますが、なんの話なんですか?」


知らない・・?

先輩「いや・・・ごめん、なんでもないんだ(踊らなかったのか・・・)」

探偵「そうなんですか・・・まあ、話を戻して、じゃあ・・・そうです。TBSのラジオにゲストとして出演する予定だったのですが、ですがですよ。驚くべきことに力道山、酒酔いが凄すぎて出演できなかったということらしいんですよ」

先輩「酔いが原因で予定をキャンセル!?力道山の酒は本当に深刻だったんだなぁ。でも、ということは力道山は親方や東郷と別れず、その後そのままニュー・ラテン・クォーターに行った、ということなのかな・・・」

探偵「この日の刺殺事件のことを扱った記事をみると、事件の翌日の9日の毎日新聞をはじめ、取り扱った記事中では力道山は“取り巻きを連れて”と書いてあるのが目につきます。知名度が高かった元横綱の高砂親方やグレート東郷が同席していたなら、取り巻きなんて表記しないですよね」

先輩「そうだよね。ということは東郷は、一緒にいたのは料亭の千代新までということになるか・・・」

探偵「そうですね。一緒にいたのは千代新まででしょうね。ということで流れを見てみると・・・」


こんな感じか・・・

先輩「おれは、もしもなんとかだったら・・・って話は好きじゃないんだけどね、もし東郷がニュー・ラテン・クォーターに一緒にいたらって・・・ちょっと思うんだよなぁ」

探偵「そうですね。刺されなかったかもしれません。刺されてしまったとしても、病院行かないで帰ってしまうなんてしなかったでしょうね。いくら力道山でも東郷から、リキさん!!すぐ一緒に病院行こう!!と言われれば・・・力道山も東郷の言うことなら聞いたはずですもんね」

先輩「思うよ・・・でもやっぱり運命だったんだろうなぁ。変えられない運命・・・」

探偵「そうですね。そうだったのかもしれませんね・・・そして、その後です。事件を知った東郷は、本来なら翌日帰国するはずでしたが予定を変更して日本に残り、力道山が入院していた山王病院に何度も顔を出していたそうです」

先輩「人生で普通の人が想像できないような修羅場を潜り抜けてきたさすがの東郷も、これには驚いただろうね・・・心配していたのがよくわかる」

探偵「そうですね。しかし東郷の心配も虚しく、事件から1週間後の12月15日、力道山が死去してしまい・・・事態が急変してしまいます」

先輩「「63年の最後のシリーズに参加して、最終戦でタッグを組んで、一緒に飲んで・・・その後、わずか1週間で亡くなってしまった。夫婦のようだった東郷にとって力道山の死は青天の霹靂だっただろうが、この力道山の死を境に東郷の身にもいろいろなことが起きはじめるんだね」

探偵「その後に起こる出来事。まさしく力道山と会ったときから始まっていた変えられない運命なのかもしれません」


その6に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。




愛、屋烏に及ぶ愛

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どうも!!流星仮面二世です!!


さて、あの激戦のG1クライマックス後、9月の5日まで長いオフに入っていた新日本でしたが、ファンにオフはないようで・・・オカダファンの息子、三世はオフ中もその愛をオカダに注いでいました。


それは8月末のこと。オカダのTwitterを覗くと・・・


『「GetNavi web」でオカダ・カズチカのバス釣りに密着! セレクトショップ「ホン・モノ・ケイカク」にてオリジナルルアー&ミニショルダーバッグも発売!! 自身が熱中する趣味の「バス釣り」に密着!憧れの名人に「これさえ覚えればOK」な基礎をレクチャーいただきました! 


「GetNavi web」でオカダ・カズチカのバス釣りに密着! セレクトショップ「ホン・モノ・ケイカク」にてオリジナルルアー&ミニショルダーバッグも発売!!  


これは・・・まさしく瓢箪から駒、オカダから釣り!! 


ボクは釣りはプロレスに次ぐ趣味。釣りを初めてもう34年ほどのキャリアになります。ボクの釣りは昔から延べ竿でいかに大きい鯉を釣るかがテーマの鯉釣りが真骨頂ですが、基本、釣りは種類を問わずなんでもやります。


そんなこともあり、三世も幼き頃から一緒にボクと釣りをしていたので、オカダが馴染みのある釣りをするというのと、このルアーとバッグは気になったようです。



GetNavi webより

「えーオカダ霞ヶ浦来てたの!?すぐそこじゃん!!えー!!知ってれば行ったのになぁ・・・」

葛藤・・・だよなぁ・・・いつもテレビか会場でしか見ることのできないオカダが、すぐそこに釣りにきてるんだもんなぁ。


新日本プロレス公式サイトより

「このバッグ欲しいなぁ。けど買えないよ・・・」

この値段じゃ中学生にはなぁ・・・プロレス観る設定にしたら、これならかなり前の方で観れる金額だぜ。 

 しかし、偶然にもオカダを通し線で繋がったプロレスと釣りというワードと、三世の憧れパワーは思わぬ発想を生み出しました。

「お父さん、霞ヶ浦に行こう」

な、なんという・・・ 

ボクはオカダのやるブラックバス釣りは以前はよくやっていた釣りです。苦手な点があり、今はやらなくなってしまったのですが、今でも鯉釣りの合間にはバス釣りの人に話しかけて最近のバス釣り事情を聞いたり話したりしますし、BSの釣りビジョンでもバス釣りはよく見ています。やるのは苦手なんですけど、その場の情況を見て魚を読む、この奥の深さがすごく好きな釣りです。

そんなバス釣りと霞ヶ浦。たとえばそれはプロレスファンで水道橋を知らない人がいないのと同じ意味を持ちます。全国的にも名所で、関東、関東周辺県に至っては霞ヶ浦に来たことないバス・アングラーはいないと言い切れます。それくらいの場所です。

だから、自身のルアーまで作られるほどのオカダならオフ中なら釣りに来てるかもしれない。シリーズ中なら可能性ないけど、オフ中なら霞ヶ浦に来ている可能性はゼロではないという思考・・・ああ確かに!! 

 老若男女、今や全国の熱烈なオカダファン数知れず。だが、バス釣りしているオカダを霞ヶ浦で捜そうなんて、誰が思いつく?まさに鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギスならぬ、降らぬなら降らせてみせよう金の雨状態!!よーし霞ヶ浦巡回しよーじゃねーか!! 

 と、言ったものの・・・

ここで霞ヶ浦について簡単に説明しておきます。 

霞ヶ浦は茨城県の地図をぱっと見ても目につくのでご存じの方もいると思いますが、日本では2番目に大きな湖になります。 

名称ですが、地図を見て目につくあの形の、一番大きいところが霞ヶ浦と思っている方も多いと思います。ボクもですが、地元の人もそこを霞ヶ浦と呼んでいます。世間一般、霞ヶ浦といえばここを指しますが、実は正式にはここは西浦という名称になります。図を見てみると・・・


西浦の東に見えるのが北浦で西浦の東南、北浦の南に外浪逆浦(そとなさかうら)があります。

で、西浦と外浪逆浦を繋ぐ川を北利根川、北浦と外浪逆浦を繋ぐ川を鰐川(わにがわ)といい外浪逆浦から利根川へ流れ出る川を常陸川、常陸利根川といいます。

霞ヶ浦とは、本来これらの水域をすべてひっくるめた総称なんですね。まさに膨大。この広大な水域のその総面積はなんと220キロ㎡にも及びます。

で・・・そこからオカダを捜すという・・・

雲をつかむような話とは言ったものですが、この広い霞ヶ浦で、いるかいないかわからないオカダを捜すのは砂浜にこぼしたすりゴマを見つけるのより難しいのは火を見るより明らか。おれだって、GO!GO!九ちゃんフィッシングの香月ハルちゃん(香月ハルさんのブログ「香月ハル オフィシャルブログ「keep the faith.」Powered by Ameba」)に会いたくて霞ヶ浦に行く度に、もしかしたら!?と捜してしまう日々ですが・・・でも、結果はいつも久保田利伸のように、黄昏に~精一杯の息を吸って~目を閉じるだけ~オゥオーアイラビュー♪

「いや、別にオカダいなくてもいいんだけど・・・ここに行きたい。おれ探してみる」

そう言うと三世はボクのスマホでグーグルマップを、嫁のスマホでGetNavi webに載っていたオカダの釣り画像を見ながら調べ始めました。食い入るように地図に目をやる三世。スマホの二刀流、その姿はまさに宮本武蔵の二天一流にも似た佇まいか・・・

やがて10分、20分と、ものすごい集中力で文字通りしらみ潰しのごとく見ていく。これくらい勉強もしてくれればという嫁のお決まりのセリフも今日は聞こえない。ちょっと変わろうか?という声にも

「大丈夫!!自分で探す!!」

おおお・・・わかるぞ、その気持ち・・・

しかし、何か力になれないものか?

湖畔周辺には似ている風景はたくさんあります。先程も説明しましたが、あまりに広く大きい場所です。普通に見たらどこだかわかりません。しかし、オカダが釣りに来て立った場所に連れてってあげたい!!そう、おれには霞ヶ浦水系で何十年も、数々の釣りをした経験があるではないか!!知識を総動員させます。

まず、画像には湖面に波よけが見えます。このタイプがあるのは西浦では行方市の霞ヶ浦大橋から潮来市方面、北利根川手前までの湖畔ですが、しかしそこの湖畔の道路が2本あるので画像とはちがいますね。ここの可能性は低いです。

では道路が1本で後ろに田んぼがあり、さらにその後ろに防風林、山が見えるとこ。これに似ている風景があるのは石岡市の恋瀬川出口から小美玉市の園部川出口までのラインですが、このラインには波よけのブロックがありません。

ボクの住んでる方からだと対岸になる、かすみがうら市側、土浦市側、稲敷郡の阿見町、美浦村側、稲敷市側、そして香取市側には、これら条件のところはありません。わからない・・・これはどこなんだ・・・!?

気になるのはオカダのバックに写っている白い建物です。そしてなんと言っても対岸です。霞ヶ浦の西浦で対岸が近く見えるのは石岡市の恋瀬川出口から小美玉市の園部川出口と、霞ヶ浦大橋の辺りですが、それにしても対岸がこんなに近くに見えるとこなんてあったか?

さらにGetNavi webに載っている、オカダが釣りしている画像の朝日の上る位置・・・釣りは朝早くからやるので霞ヶ浦では何度も朝日を拝んでますが、こんな対岸が近くに見えて、なおかつ対岸から日が上る見え方するところなんてある?

これは・・・西浦じゃなくて北浦なんじゃないのか?

「霞ヶ浦(西浦)10周くらいしたけど、わかんねぇ~・・・あ~・・・」

「三世、これ北浦かもしんねぇど!!」

その言葉に三世が西浦から北浦へ捜索を切り替える。開始からトータル40分経過・・・様相は1.4東京ドームのオカダvsケニー戦に迫る勢いになろうとしていた、まさにそのときだった。

「あったー!!!」

思わず駆け寄るボクと嫁。見えた、グーグルマップに写し出されたその画像は疑いの余地のない、まったく同じ場所だった。あの背景の白い建物もある。やはり北浦だったか・・・

それにしても、なんというすごい執念!!平成のプロレスファンの、いやオカダファンの!!生き様、見せてもらったぞ!!

ということで、来たぞー!!



わーい♪

「ここにオカダ来たんだぁ~」

という三世は、お見せできないのが残念なほどの笑顔。オカダが来たというのはもちろんですが、自分で探し出したというのがやっぱりうれしいですよねぇ。

で、本日は天気もいいので、かなり久々ですが我々もバス釣りしてみようと思います。



こちらはGetNavi webの画像


おっ。同じとこでやってるね

オカダと同じ場所に立って釣りする・・・いいねぇいいねぇ。

しかし釣りが始まると、やっぱり好きなのかな。三世はすごい楽しそうにやってます。釣れなくても投げてれば満足のご様子。でも、これで釣れれば最高なのになぁ。

さて、関心ばかりしておれませんな。ボクもやろうっと。


ゴゴゴゴゴ・・・

伝家の宝刀、シマノのバンタムスコーピオン2000の登場です。これを見て、いやーなつかしいなぁー!!と思った人はかなりベテランのバス・アングラーですね。年代的にはオカダが3歳くらいのときに出たリールです。でもまだまだ動きますよ~。

ではやるかぁ~。


どぉ~れぇ~

この場所は初めて来ましたが、驚きましたね。ここはとにかくバス・アングラーだらけ。バス・アングラーしか見えません。というのも、見渡すとバスのポイントが至る所にあり、条件もかなりいいからなんでしょうね。オカッパリからボートから、とにかく人が来ます。

しかし、今日は釣れている様子はなく、ボクらも釣れませんでした。でも今日の目的は大きく達成できたので大満足でした。

フェラーリを見かければ反応し、夏休みの社会の地理の宿題、白地図に都道府県を記すものでは愛知県だけ安城市まで答える。そんな三世にとって、これまでは釣り場でしかなかった霞ヶ浦も、意味のある場所となったことでしょう。

愛、屋烏に及ぶ愛(あい、おくうにおよぶあい)とは、人をこれ以上ないほど愛すると、その人が住んでいる家の屋根にいる烏までも愛するようになるという意味のことわざです。人を愛するとその人に関わるすべてのものを好きになる、愛するようになる・・・そうだよなぁ。

たとえ会えなくても、好きな人がいたところを見れるだけでも、人はうれしいものだもんなぁ。

こうやって楽しみを持ち生きていく励みにしていけば、人生、楽しい日々はずーっと続くはず。いつまでも、そうあってもらいたいな。

流星仮面二世 北へ ~第五話~

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どうも!!流星仮面二世です!!


さあ今回はですね、9月15日から17日にかけて行って参りました北海道遠征のお話をお送りします。


前回から2年3ヶ月ぶりの北海道・・・


流星仮面二世 北へ ~第一話~


流星仮面二世 北へ ~第二話~


流星仮面二世 北へ ~第三話~


流星仮面二世 北へ ~第四話~


紫レガさん(腕ひしぎ逆ブログそしてレガ軍団との再会やいかに。さぁー茨城県から北海道への1000キロの旅、始まりです。


というわけで北海道に参ります。が、出発当日の15日の朝、なぜか我が家は謎の停電に見舞われます。このため朝から嫁とコンセントの確認や電機製品の確認に追われますが、そのときスマホからなんとJアラートが鳴り響き・・・み、ミサイル発射だって!!


て、テレビ・・・あー電気が来てないんだった・・・急いでラジオを聞くと、ミサイルが、ほ、ほほ北海道上空を通過だと!?な、なんてこった・・・


今日は待ちに待った北海道遠征の日なのに・・・朝から暗雲が立ち込めます。しかしその後、電気が復旧しテレビを見たところ、ボクが乗る北海道便は夕方のだったこともあり予定どおり行けそう。あ~よかった。


しかし夕方、茨城空港 に着くと北海道便使用の機体が台風の為、来ていないというアナウンスが!!どうやら沖縄~茨城の便の機体を使うようなんですが、それが到着遅れという・・・今日は、なんて日だ!!


しかし、出発が1時間遅れとなった他は予定どおり出発でき・・・



遅れても行ければいいんだよ~


ミサイル、台風と続いたおかげで行けないかもと募った不安も解消され、無事に北海道の地を踏むこととなりました。


約2年ぶりの新千歳空港では前回と同じく、レガさんが車で迎えに来てくれました。レガさんはこの日は自身の仕事があった日でしたが、仕事終了後に遠いところ迎えに来てくれました。本当に感謝しかありません。


久々の再会・・・とにかく嬉しかったです。お変りもなくお元気そうで・・・しかし、前回もこうして空港で会ったわけですが、それが昨日みたいに感じます。なんか2年3ヵ月をタイムスリップしてきたような、そんな気分でした。


で、同時に前回同様に、や~っぱりレガさんを見てると、なんか思い出せそうな・・・なんか不思議な感覚になりました。古くから知ってるような、なんて表現はよくありますけどね。その古くの規模がちがうんですよ。それは大戦中なのか?それとも異世界でなのか・・・現在ではない、どこかの時間軸で一緒にいたような、本当に不思議な気持ちになります。


車に乗せていただくと、車内では高田の入場テーマ集が流れていました。が、これの曲のチョイスがとにかくすごい。プロレスから総合に至るまで、これまでの高田に関する音楽がすべて入っています。これらを聴きながら、さらに日本屈指の高田ファンのレガさんの解説が入るという贅沢さ・・・まさにプロレス・セレブ、プロレスのゴールドコースト・リゾートです。


そして続いてかかったのが別のディスクで、最初に流れてきたのがハクソー・ヒギンズのテーマでした、これ、そう前回レガさんにオリジナル版のジプシーズ・キッスはお渡ししたんですが、流れてきたのはジプシーズ・キッスに別の曲をイントロとして加えた新日オリジナル入場版。このバージョンは聞いたことないですよ!?初めてです。これは一体!?


「これ亀熊さんが作ったんですよ」


じー!?自作ぅ!?


そう、今回は流星仮面一派からの刺客である亀熊さんとも初日から合流します。その亀熊さんが自身で編集して作ったという・・・他にも、亀熊プロレス入場テーマ集にはコンガ・ザ・バーバリアンのテーマ、ビリー・ジャックのテーマ、ワイルド・サモアンに、か、海賊男のテーマまで!!80年代中盤を彩った新日本の外国人レスラーのテーマがズラリです!!


すごいのはもちろんなんですが、まず、どうやって調べるんだ?ビリー・ジャックのテーマなんて調べようないですし、調べたとして、どうやって入手したんでしょうか!?フー、世界は広い。あんな石頭がいやがるとは・・・と気分はすっかりプロレススーパースター列伝のブッチャー編の大木金太郎です。


そんな亀熊さんと落ち合うため、待ち合わせ場所に向かいます。本当は順調に合流する予定でしたが、ボクとレガさんが不慣れな空港でオリエンテーリングしてしまい、お時間遅れてしまいだいぶお待たせさせてしまいました。しかしマリアナ海溝より深いといわれる愛と心を持つ亀熊さんは、そんなボクらを優しく出迎えてくれました。


こうして車に乗り3人で話が始まりますが、ボクらがお待たせさせてしまったこともあり、その間一杯引っかけていた亀熊さんはまさに酔八仙拳のようにトークも弾み明るくて楽しくて陽気で、とにかく最高です。まず、先ほどのハクソー・ヒギンズプロレスのテーマ曲の話の製作秘話を伺います。


「あれはですね、ソフトをダウンロードして自分で繋げたんですよ。いえ、そんな、もう誰でも作れちゃうんですよハハハハ!!曲もなんとか、今はネットで探せますからねハハハハ!!ところでレガさん、チャンピオン太の映像見て、いかがでしたかね!?」


チャンピオン太!!そういえばゴールデンウィークに亀熊さんとお会いしたときもチラッと話していたあれは・・・梶原一騎原作で力道山はじめ当時の日本プロレスの所属レスラーがほとんど総出演していたという伝説のプロレスのテレビドラマでした。ボクはずっとチャンピオン太(た)だと思っていたんですが、本来はチャンピオン太(ふとし)だったのも教えてもらったんでした。


「猪木のやる死神酋長とストライプ・スネークですね~。あの映像なんですが、レガさんご覧になっていかがでしたか」


死神酋長は画像では見たことありましたが、動いている映像は見たことがありません。ストライプ・スネークに至っては画像すら、まったく見たことがありません。レガさんは亀熊さんからこの映像をいただき、先にご覧になっていたようですが、同年代のチャンピオン太を見てどう思ったのでしょうか?


「あ~いや~、以前も同じお話をしま・・・」


「あー!!そうでしたか!!ハハハハ!!いやぁ~お酒入ってて、失礼しましたハハハハ!!」


は、腹が痛いよ~・・・


それにしても、ボクら3人ともテンションが高かったです。再会の嬉しさと、やっぱり普段できないプロレス話を、なんの気を使うことなくガンガン話せることがなによりなんですね。ボクもプロレス・リミッターを解除して、さらにこんなに涙流しながら笑ったのは本当に久しぶりでした。


やがて、すすきのへ入る頃、話題は新日本プロレス黄金期の桜井康雄さんの解説と名セリフ集へと移行します。


「タイミングの取り方はフライング・クロスアタックでしたねぇ」


「中に入れて試合続行ですねぇ」


「(ボビー・リーで)間違いないですねぇ」


「猪木くんはタイミングの魔術師ですねぇ」


「ひとつねぇ・・・早かったですねぇ」


「タイミング」と「ねぇ」の大洪水からなる桜井さんの解説ですが、どんなレスラーをも批難せず、なおかつ聞いている人にもイヤな印象を与えない解説はやはり深いですね。我々の口調もみんなモノマネで桜井さんになります。レガさんが言うように、車内はまさに真夜中のハリー&レイスならぬ真夜中の康雄&桜井です。


「そうですねぇ~。で、そういえばレガさんに伺おうと思ってたんですが、チャンピオン太の映像見て、猪木の死神酋長はいかがでしたかね!?あれの感想をゼヒ、レガさんからお伺いしたくてですね」


「あ~、以前も同じお話を・・・」


「あ、ハハハハ!!いやぁ~お酒入ってて、なんかすいませんね~ハハハハ!!」


どーですかレガさん!!これが流星仮面一派からの刺客の恐ろしさですよー!!ただ、ボクは刺客により自爆にて、腹が、腹が痛いです!!


それにしても・・・個々では会っている我々ですが、同じ場所で同時に顔を合わすのはもちろん今回が初めて。しかしあの95年の10.9の新日本vsUインターの全面対抗戦の東京ドームの会場には3人とも同じ場所にいたというのは不思議でなりません。以前ネットで子供の頃に海に遊びに行き、そのときたまたま撮影した写真に将来結婚する相手が背景に写っていた、なんて人の話がありましたが・・・ブログを始め真っ先にたどり着いたレガさん。そしてマスクド・スーパースターの引退試合で声をかけてくれた亀熊さん。プロレスには本当に他のジャンルにはない世界観と繋がりを感じます。


そんな中、車は進みます。前回の北海道は初日は雨だったんですが、今回は天気がよく風景が映えます。すすきのの景色も鮮明、いやぁ~圧倒されます。



やっぱり、すすきのはすごい・・・


そんな風景を見ながら宿泊先へチェックインに向かいます。


この日、本来は前回泊まった、偶然にもかつてあの札幌中島体育センターがあった真っ正面に位置するキタホテルというところに、また泊まろうと考えていたのですが・・・なんとボクが泊まったのち閉館してしまったといいます。プロレスの神様が流星さんを最後に呼んだのでは・・・というレガさんの言葉が染みます。


というわけで前回とは別のホテルに泊まります。ここでチェックインを済ませると、レガさんが夜の軽食にゼヒ食べていただきたいものがあるので・・・と、再び車を走らせてくれました。その食べ物とは、名前を美唄焼き鳥(びばいやきとり)と言いました。


それは前回の北海道にてレガさんとジンギスカンを食べたとき、レガさんが話してくれたレガさんの出身地にある独特の焼き鳥でした。


炭鉱の全盛期でもあった昭和20~30年代、地域をはじめ、特に炭鉱夫に好まれ食されたという焼き鳥だったそうです。幼き頃からのレガさんはもちろん、炭鉱夫として生きたレガさん家の先人も食したという、今となっては伝統的な味といいます。これが現在では、地域によっては冷凍のものがコンビニでも買えるというのです。わざわざ何件か回って探してくれて、お夜食にとレガさんが持たせてくれました。こうして明日、また会いましょう!!とこの日は各々帰路につきました。


そして・・・ここからはレガさんにも亀熊さんにも、ボクが滞在していたときは話してない話が入ります。そのときは確証もありませんでしたし、謎だったんで・・・でも、落ち着いたんで書きます。


当日、朝からいろいろあったボクは部屋に行くと速攻、眠ってしまったのですが・・・


部屋に入り、まずベッドに横になります。あ~なんかもう・・・北海道到着して数時間なのに、2年3ヵ月もお会いしていなかったのにプロレスや他の話がたくさんできて・・・嬉しいなぁ、すごい充実感だなぁ~。普段の生活では考えられない充実感だ・・・ぁ・・・


ZZZ・・・


ん・・・!?あれ・・・!?ドアの向こうに田舎のヤンキー風のお兄ちゃんが立ってるぞ!?なんか言ってるようだけど、なんて言ってるんだ!?


まぁいいかぁ・・・


ZZZ・・・


あ、あれ!?6時!?あらーいつのまにか朝になってるぞ!!なんてこった、あのまま寝てしまったのか!!前日は朝からいろいろあったからなぁ~。しかしところ変われど、ちゃんと会社行くときと同じ時間に起きるんだなぁ~。


喉がすごく乾いたので水を飲み、ちょっとボ~っとしたあと我に返ると壮大な疑問が・・・


あのヤンキーのお兄ちゃんは、何だったんだ!?


あまりに眠すぎて知らないふりして寝てしまったけど、冷静に考えるとドア、オートロックなのにどうやって外から開けたんだ?しかも格好、髪型は昔マガジンでやってたカメレオンのヤザワみたいだったし、今どき白地にゴールドで絵柄が入ってるパーカーなんて着てたし・・・ものの十数秒だけど、特長あるヤツだったから印象は残ってる。が・・・


何だったの・・・?


ま、まあでも、何にもなかったし、ボクが見た夢ということにしといて、そうそう、焼き鳥ですよ。


夜食べるはずが寝てしまい食べられなかったので、早朝にいただきます。冷凍でしたが一晩で自然解凍完了し、食べ頃になってます。


この焼き鳥は一見、普通の焼き鳥に見えますが・・・



ふーむ


しかし、あけてびっくり!!これは!!先行したのは驚きです。ボクはお酒は飲まないんですが焼き鳥が好きで、いろんなとこの食べてるんですけど、こいつは焼き鳥の概念がぶっ飛んだ感じです。宮沢りえなら今この時点でぶっとび!!と口走ってしまうはず。というのも、これ・・・



おおお!!


刺してある部位がひとつひとつちがうんですよ。鶏肉は皮もあればモモもあり、かと思えば内蔵系のキンカンやレバーなどもあります。そう、鳥を余すところなく使っているんです。そして具の間には玉ねぎが丁寧に施される真心。鳥のおいしい部位が串一本に集結するその様は、まさに食べるロックフェス、食べるROCK IN JAPANの様相です。


味は・・・これはおいしいです!!


そう、うまいという表現よりおいしいが合うと思いました。そして焼き鳥を食べているというよりは、これはひとつの料理として成り立つ一品だと噛み締めましたねぇ~。年齢世代地域問わず、誰でもおいしいと感じることと思います。そして、また食べたくなる。本当においしいです。


と、あ・・・また食べたくなる?


あのヤンキーは・・・もしかして、この焼き鳥が好きだったんじゃないのか?


そう思うと、急に心に溢れるものがありました。そうだったのか・・・気づけずに申し訳なかった。今度、北海道行って、もし同じホテルに泊まることがあったら、そのときはお供えさせてもらうからな。


こうして2日目が始まります。


つづく♪


流星仮面二世 北へ ~第六話~

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どうも!!流星仮面二世です!!

2日目で~す♪

シャワーを浴び着替え、再び水分補給していると亀熊さんから連絡が。この日はレガさんと3人でジンギスカン、そして夜はサミットと盛り沢山ですが、亀熊さんが土地勘のないボクのため迎えに来てくれることになっていました。

しかし亀熊さんの連絡は、お迎え連絡だけではありませんでした。チェックアウトまではまだ時間があります。そこで出たのは・・・

「可能であればプチ上映会しませんか?」

そう、チャンピオン太です。

昨日、ボクの笑いのふぐり、ほうでん、レディーほうでんを鷲掴みにした、すっごぉ~いぃ~あのチャンピオン太の、猪木の死神酋長が、ストライプ・スネークが・・・見れるッ!!

亀熊さんがパソコン持参で早めに部屋に来てくださり、さっそくベッドイン。いやちがう、上映会となりました。

チャンピオン太、まず力道山とブルート・バーナード、スカル・マーフィーの戦うオープニングでやられた~。テロップも日本プロレスの面々が次々と・・・しかし、猪木だけテロップが、死神酋長!!力道山が本気で猪木のリングネームにしようとしていたのがわかるなぁ。

やがて始まるドラマは完全に役になりきっている猪木さんがサスガです!!あまりの熱演に、本当に猪木!?本当はこういうレスラーが別にいたんじゃないのか?と思ってしまうほどの役者ぶりです。しつこいようですが、力道山が本気で猪木のリングネームにしようとしていたのがわかりますよ~。

さて、そんなドラマのシーンの背景には、ちらちらと日本プロレスの興行ポスターが見えます。気になります。なんとかハッキリ見たいところですが、小さいし当時の映像なんでなかなか見えないなぁ・・・と、思いながら、おそらくですが見えたのはバディ・オースチン。そして一瞬、背景にあるドア越しにちらっと兜を被っているラリー・ヘニングの載っているポスターも見えました。ということは第四回のワールド大リーグ戦の頃、少なくともこのドラマは62年の春以降のものだったことがわかりました。

ドラマでは力道山と死神酋長の対決も見られました。力道山vsアントニオ猪木の夢の対決・・・力道山がなくなる1年前の貴重なシーンだったんですね。ちなみにストライプ・スネークは意表を突きマスクマン。一瞬、ザ・コンビクトを連想させますが、あまりにも死神酋長の完成度が高かったのと、対戦相手が力道山でなく主人公の太ということがあり若干インパクトに欠けてしまったかな?という気がしました。つまりは死神酋長がすごすぎたんだと思いました。しかし、おもしろかったですよ。見れてよかった~。貴重な映像ありがとうございました。

こうしてモーニング死神酋長を終えるとレガさんと合流です。まず、向かえし先はあのリングパレス跡地です。

リングパレスはかつて北海道にあったプロレスショップです。北海道のプロレスファンなら必ず通る道、それがリングパレスでした。レガさんが青春時代にプロレスを謳歌した、いわば今のレガさんの原点のひとつ。ここでの思い出がなければ腕ひしぎ逆ブログはなかったかもしれない。だから多くのプロレスファンが経験する

“プロレスのこと検索してたらレガさんのブログに辿り着き、画像を見て事情を知ることができた”

という・・・今知っていることも知らないまま終わっていたかもしれない。そんな青春のシルクロード、リングパレスのあったビルを巡礼します。レガさんのご案内でリングパレスまでの道のりを歩く・・・そう、レガさんが、かつてチケットやグッズを買うために歩いた道を今歩きます。


馬も現れ、シルクロード感も加速していきます

そして現れたビル。これがリングパレスのあったビルか・・・

エレベーターがないため、4階までの階段を上ります。ついた先、ここが北海道のプロレスファンが集った場所なんだ・・・

「二人抜け出した非常階段のドアの向こうに聞こえてるParty 

逢えるなんて思わなかった今夜

ステップをかけ上がる素敵なチュールのドレス

すれ違った時間を越えて

その瞳あの日のまま今も」

吉川晃司の""雨上がりの非常階段"という曲が、思わず頭の中にかかりました。

でも現実は、みんないいトシなんで階段上がってハアハア・・・まさに止まらないHa~Haです。

しかしハアハアの中にも、えも言われぬ充実感が漂います。

ここに着くまでの間、プロレスショップの話をしました。86年からはプロレスショップのバブルというんでしょうか?とにかくショップが次々と開店していったものでした。レッスル、リングサイド、プロレスワンダーランド、アイドール、タッグマッチ、筋肉組・・・他にもいろいろありましたが当時から今だ現存しているのはレッスルくらいといいます。痕跡はもちろん、思い出されることもないプロレスショップが多い中、こうして振り返られるリングパレス。当時の店のパワーと北海道のファンの良心の高さがわかりました。

さて、リングパレス巡礼ですっかりお腹もすいたので、いよいよジンギスカンで昼食です。お店の名前は松尾ジンギスカンといい、その歴史は1950年代というタレ漬けジンギスカンお店です。北海道では250店舗はあるという有名処で、近年は東京にも進出しているそうなんですね。

そのお味は・・・ひたすら、うまい!!いやぁ~、前回北海道行ったあと、こっちの焼肉やバイキングなんかでラムとかマトンがあると、おいしかったなぁ~なんて思い出して食べたりもしたんですが、やっぱり比べ物にもなりません。北海道のは破壊力がちがいます。


独特の鉄板で焼きます

こうしてジンギスカンをいただきながら、おふたりは早くもビールチャージです。そしてトークです。

いろいろ、本当にいろいろ話しました。小学時代のプロレス、中学時代のプロレス、下ネタも・・・どんな話も、普段できない話ばかりでした。猪木のブリッジを話したときは最後のジャーマン・スープレックスは藤波戦という話をして・・・あのときの猪木は45歳か・・・今のボクらと一緒なんだな。歳を取ろうがプロレスなんだなと、しみじみ思いました。

こうしてジンギスカンを心行くまで味わい、サミットまで時間があるのでコーヒーをすすります。ここでは小鉄論を展開し、豪栄道からGO!ACE!で豪栄洲に昇格すると(完全に内輪ネタ)いよいよサミットです!!

会場となる居酒屋に到着。良心の逆ブラックホール、ひとり骨抜き地蔵尊といわれる亀熊さんと、プロレスブログ界のハンス・ウルリッヒ・ルーデル、ずっと青春エスペランサのレガさん(ブログはご存知腕ひしぎ逆ブログ)とボクが個室に通されると、みなさん時間差で順々に集まってまいりました。まさに飲み会のロイヤルランブルです。

まず先陣を切りボクらの到着を待っていてくれたのは・・・

まずはヨンペイさんです(ブログ:サトウヨンペイの「シャープシューズでケリ上げろ!」)

ときにアクター、ときに本業。プロレスを格闘技を愛し、野球を愛し芸能を愛し、そして家では優しいお父さんという、まさにひとりミケーネ帝国と7つの軍団状態のヨンペイさん。久々の再会ですが距離を感じません。その笑顔のおかげです。癒されます。

続いての登場はHさん(ブログ:妄想旅館3~ハートブレイクホテル

そのブログからもわかるようにプロレス以外にも芸能界、漫画などのことに幅広い知識を持ち、イラストを描かせれば名画家ぶりを発揮します。知性の無限回廊、ジーニアス・オブ・ディスティニーの異名を取るミスターアメリカンプロレスへのあいさつはもちろん!あれ?今日はラジカセは?それバック・ズモフです!!

そしてaliveさんです!!

レガ軍団の映像部長といわれるとおり、名刺がわりにまず飛び出したのは反選手会・WARと書かれたDVD!!まさに問答無用の映像師。しかし話せば稲妻と毒蛇の四次元殺法が光ります。タイガーマスク、ダイナマイト・キッドの知識も圧巻です。プロレス純粋愛・・・かつてのプロレス少年が、時を超えて飛来したかのようです!!

さあラスト、殿(しんがり)は親方です(ブログ:濵田崇裕ご贔屓ブログ

参加者中の紅一点はプロレスとジャニーズの荒くれ2丁拳銃。しかしながらナイスなボディ・プロポーションと群を抜くファッションセンスは成熟したドロンジョ様の佇まい。ザ・フェロモン・オブ・ジャスミンの名を欲しいままにします。ああ親方ぁ!!デートしたいです!!

さあ!!七人の侍ならぬ七人のプロレスファン、集結だ!!始まるぞー!!

乾杯!!そして宴に突入しましたが、とにかく話題は連鎖的核分裂反応のように、ひとつの話題が放たれれば分裂して飛んでいくような、まさにトークのウラン235、トークの中性子爆弾状態です(なんだそりゃ?)

とにかくみんな知っているような話から、それはマニアックすぎてわからないよね?というようなプロレス話まで飛び交っては、みんながすべてカウンターし広がっていくという、日常生活ではありえない空間と化していました。

老眼、レスラーのカツラ話から、ものまねシリーズは亀熊さんの氏家リングアナからHさんの古田リングアナ、親方はハイクオリティな平野レミでレガさんは十八番の前田日明!!追悼シリーズでは古田リングアナの思い出、オットー・ワンツ追悼話からは親方はオットー・ワンツを知らなかったが被ってきた帽子がオットー・ワンツ追悼していたという奇跡を見せます。

そしてビューティーペア以前の女子プロレスの話から、親方と個人的にマミ熊野の話になり、久々に人間絞首刑をわかってくれる人に会えて歓喜したボク。あああ親方ぁ~おれのも絞首刑して~♪

と思えば、ゴッチ神話が生きるプロレスファンは技トークも忘れません。Hさんから出たチキンウイング・アームロックと腕がらみ、発祥はどちらか?から、ゴッチのチキンウイング・アームロックとテーズのダブルリスト・ロックのちがいは何かを討論会したかと思えば、西川のりおのツクツクボウシからハイスクール・ララバイに移行するという、まさにトークの電撃ストーナー状態に!!

こうして様々な話題が駆け巡る中、実はボクが最も驚いたのがaliveさんが持ってきたコブラのマスクとタイガーマスクのバスタオルでした。なにがって、とにかくすごい!!

あまりの衝撃に画像取るのを忘れてしまいましたが、まずコブラのマスクがOJISAN製・・・これはまだうなずけるんですが、そのOJISANマークがタグでなく、スタンプなんです。実はこれ、同じスタンプのあるマシンのマスクをボクも持っているのですが、自分の以外では初めて現物見たんです。聞いたところ30年以上前に買ったものと・・・ということはaliveさんは同い年なので、おそらくボクがマシンのマスクを買った時期と同じ時期に購入しているものになるんですね。

ここで気づいた点が。それはマスクのサイズでした。そう、このスタンプのOJISAN製は現在のマスクと比べるとサイズが若干小さいんです。自分のマシンのマスクも小さくて・・・で、お借りしたときコブラマスクのサイズを密かに手で測ってたんですが、どうやらこのコブラのマスクとボクのマシンのマスク、同じサイズのようなんです。コブラとマシンが同じ・・・これは、当時一般販売用としていたスタンプのOJISAN製のマスクは、同じ型紙を使っていたんではないのかと・・・思わずひとりで納得してしまった次第でした。

そして!!そうタイガーの、バスタオル!!これ!!


なんすかこれは!!

いやぁこれ、あれですよ。ボクも初代タイガーは詳しい方ですけど、これは今まで見たことありませんでした。当時モノで、学校の宿泊行事にも持って行っていたという宝物だそうです。もう30数年以上も大事に持っているというaliveさん。心底、恐れ入りました。

こうして宴も酣の頃、実はボクはふたつの計画を事前に練っており、この日このサミット中に実現させるべく水面下で動いていたものがありました。それはこのブログでもおなじみ


の、独断小僧さんと、レガさん、ボク共々コメントやメッセージでやり取りをしているみーさん。このおふたりに直電し、サミットに参加してもらうというものでした。そう、ザ・ベストテンでいえば中継で歌うような、あの感じです。

しかしただ参加してもらうのではなく・・・実はおふたりとも誕生日がこの9月なんです。この日の翌日が独断さん、そしてこの日の次週がみーさんの誕生日ということで・・・レガさんと計画し、みんなで電話越しにハッピーバースデーを歌って祝っちゃいましょうという壮大なプロジェクトを進めていたのです。

独断さんの方はおよそ1ヶ月前から独断さんの彼女さんに連絡し、当日すれ違わないよう情報交換をしながら進行しました。当日も、彼女さんに帰宅したのがわかったら連絡を入れてもらうようにお願いしておきました。その連絡がいよいよ来たんです。そしてレガさんに伝えました。プロジェクト、まずは第一弾を決行しますと!!

そう、同年代で同じプロレスを見てきた独断さんとレガさんが話すシーンこそボクの夢でした。独断さんに電話をし、レガさんに代わります。

「あ、はじめまして紫レガと申します・・・」

その言葉を隣で聞いた瞬間、夢は、いよいよ叶いました。そしてみんながハッピーバースデーを歌ってくれました。よかった・・・本当にうれしくて、涙がこぼれそうでした。

こうして宴は1回目を終了し、場所移動となります。映像部長の辞令により場所を移動してのDVD鑑賞会の始まりです。移動後、さっそく始まった映像内容は・・・

アドニス、オートンvs猪木、木村

スキップ・ヤングvsダイナマイト・キッド

小林邦昭vsダイナマイト・キッド

星野勘太郎vsダイナマイト・キッド

星野勘太郎vs獣神ライガー

ラッシャー木村vsアニマル浜口

ローランド・ボックvs木村健悟

と、順不同ながらこんな感じです。今、カードを見ただけで、あ、これはあのときのあれか!!と思わず食いついてしまう方も多いと思いますが、現場もまさしくそのとおりでした。

日本で初めて公開されたアドニス、オートンのあの連携に唸り、実際はキッドのダイビング・ヘッドバッドが凄すぎて、それを見るために見たのにバックボーンは黒人説が飛び出し思わず爆笑してしまったスキップ・ヤング・キッド戦。テレビで特番で見た!!キッドのインタビュー覚えてるーという小林・キッド戦に、今見るとすごく気持ちがわかるなぁと、胸に来る名勝負を再発見する形となった木村・浜口戦など・・・トークは続きながら、映像の中で技や動きがあると、ひとつひとつにみんなが反応していきました。

そして、そうかつては、こうやって各々テレビの前でやっていたんだろうな・・・そう思うとジーンと来てしまいました。

こうして盛り上がる中、プロジェクト第二弾が進行します。みーさんに直電です。

東シナ海の桃色お姫様、甦ったミンキーモモの異名をとるみーさん。プロレスファン歴はウチの三世と同じくらいなので2013年くらいからでしょうか・・・以降すい星のごとく、様々なプロレスブログのコメント欄に現れ、まさに魔法使いのようにオジサマ達のハートを鷲掴みにした(ときには逆に鷲掴みしたかった)みーさんです。

計画進行のため事前に電話番号を伺います。もちろん、こちらからお電話しようと思っていたのですが・・・メールの返事が来たかと思ったら、ほぼ同時にレガさんのスマホに、なんとみーさんから着信だ!!

かける予定がかかってきた!!思えば84年11月、川崎市体育館での猪木、藤波vsホーガン、サモアンのタッグマッチで猪木が場外でホーガンに見舞った延髄斬り。鉄柱に激突し大流血、そのままホーガンがシリーズ欠場となってしまった、あの逆・蔵前現象の再現か!!

「もしもし・・・」

おおっと!!レガさんの胸元に見えないカラータイマーが点滅!!甦ったミンキーモモのパワーの全面開放、戦いの大海原ブルーのキャンバスで、レガさん、現在のノアの箱舟となって、このピンチを脱出できるか!!

とりあえず・・・レガさんを筆頭とし、その後みんなとお電話していきました。そしてハッピーバースデーも大合唱で届けることができました。よかったぁ~。

いやぁ~しかし、ボクもみーさんとお話ししましたが、なんというかわいい声・・・ついアガってしまい、何を話したか・・・すっ飛んでしまいました。とにかく印象的だったのは、みーさんは礼儀正しい、とっても律儀な方ということでした。こちらからお電話かける予定がかけてきてくれて、しかも長々話してしまいすいませんでした。

こうして次々盛り上がりを見せていったサミットでしたが、みなさんの乗る電車の終電も近づき、宴も終わりに近づいていきます。店を後に、みんなで記念撮影をし、ひとりづつ、またやりましょう!!という約束を交わし、握手を交わしていきました。

駅を出てホテルに戻るまでの道のり・・・ふと駅を見ると時計の針が、ちょうど12時を指していました。


そうかぁ・・・

時間に追われながら、汗をかきながら・・・ストレスにも疲労にも負けず働いて、日々を一生懸命生きている。そんなみんなが集まって、いろんなことを忘れ、何も気にせず考えず、笑って語り合った。

そんなみんなが帰っていった時間は、シンデレラの魔法がとける時間と同じでした。そう、それは現実へと戻っていく時間だったのかもしれません。

でも、魔法がとけたあとでも、残ったガラスの靴が王子様とシンデレラを結んだかのように、この日みんなが結ばれた事実は変わらないと思いました。そう、シンデレラのストーリーは、12時を過ぎてからがメインイベントなんだと・・・

だからまた!!笑顔で会える日を楽しみにしています!!

次回は最終日です。だいぶ間が空いちゃいますが、もう少しお付き合いくださいね。


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