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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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なんと結婚20周年

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どうも!!流星仮面二世です!!


さて、ワタクシ流星仮面二世、なんと今月10月20日をもちまして、結婚20周年を迎えることができました。


いやぁ~・・・今にして20年ですが、ここに至るまでは本当にいろんなことがありましたねぇ・・・いろいろ、思い出してしまいます。なはは・・・


というわけで今回は、嫁と観戦に行ったプロレスを振り返って見ようと思いますよ。例によって完全に私事な内容でありますが、お時間ある方はお付き合いくださいね。


では、行ってみましょう!!



94年1月4日 新日本プロレス 「94 BATTLE FIELD in 闘強導夢」 東京ドーム

まずはこちら94 BATTLE FIELD in 闘強導夢でございます。


このブログでも何度か触れていますが、なんといってもこの大会は猪木vs天龍ですねぇ~。あの鬼気迫る緊張感ですねぇ・・・この試合はメインイベントが終わったあとにスペシャルマッチとして行われたんですが、メインが終了するとその直後から会場全体に緊張感が走り、みんながそわそわしだしたのが思い出します。


スリーパーを巡る攻防では、ファンの暴動が始まる前って、もしかしてこういう空気からはじまるんじゃないのかな・・・一時はそんな異様な空間へと変わりましたが、最後は歴史的瞬間を目にすることに。本当に思いで深いです。



  

これは思い出深いなぁ・・・


そして藤波vsホーガンですね。最近、新日本見ていると実況や解説が、選手が観客を


「手の平に乗せる」


というようなことを言っているのを聞きます。確かにそういうところはあるかもしれません。でもごめんなさい。まだまだですよ!!ホーガンを見たら、そういうことを考えることすら忘れて熱狂してしまいます。時代のスーパースターが見れてよかったと心から思いました。




これぞスーパースター


この大会、珍しいところではブルータス・ビーフケーキが参戦しています。あと3代目タイガーマスクがライガーに敗れマスクを脱いでいますね。他にヘラクレス・ヘルナンデス、スコット・ノートンvsヘルレイザースのIWGPタッグ選手権、武藤、馳vsスタイナーブラザースではスコットがSDDを初公開するなど超ボリューム満点な内容でした。




スタイナーブラザースも一番油が乗っていた時期でしたね



95年1月4日 新日本プロレス 「95 闘強導夢 BATTLE 7」 東京ドーム


続きましては95年の1.4です。


これはすごかったです。流星仮面二世曰く


「アントニオ猪木に一番接近した日」


なのです。


この日は会場、一自身の入場ゲートで番乗りで入ったんですよ。でアリーナへ進んでいくとアップしたあとの猪木がリングサイド、エプロンに、まだ息を切らしたまま座っていたんです。嫁さんに、ちょ、ちょっと先に行くね!!と全力疾走・・・ああ、猪木がこんな近くにいる!!84年のサマーファイトシリーズ、土浦スポーツセンターで見たときよりも近い!!鉄柵を挟み、まるっきり童心に戻ってウルウルしていたボクと、それを汗だくのまま、なんだこいつは?という表情で見つめる猪木・・・やがて他のお客さんが入ってきてしまい終わったのですが、その間、わずか1分くらいでしたがこれは忘れられない思い出となりました。


その後、嫁さんと席に着き少し休んでいると、この日、猪木と対戦するゴルドーがリングサイドに現れました。ふたりで近づいてみるとゴルドーが嫁さんに


「ハウ・ドゥ・ユー?」


と話しかけられ、握手してきてくれて、順じてボクも握手してもらいました。で、以前もご紹介したのですが、そのとき周りにいたファン数人に



 

これ


渡してたんですよ。枚数はそんなになかったんですが、ボクと嫁さんは1枚ずつゴルドー本人からもらっちゃいました。この日はゴルドー、ちょっと帽子を上げ気味に被り、すごくにこやかだったんですが、でも握手した瞬間はゾッとしましたねぇ・・・やっぱり、コワイ、コワかったですね。とにかく顔がコワかった・・・でもそれ以外に迫力というか威圧感というか、本当にものすごく感じましたね。一方、嫁さんは握手しちゃったー!!これもらっちゃったー!!と大喜び。いやぁ、さすがだなぁ~と思った次の瞬間


「ところで、あの人は誰?」


し、知らなかったのか・・・ある意味キミはゴルドーよりコワイな・・・


さて、この日はIWGPジュニア・ヘビー級選手権、IWGPタッグ選手権、IWGPヘビー級選手権の他、UWA世界ジュニア・ヘビー級選手権も行われました。他に真・維新軍vs平成維震軍の対決、金本、天山の平成三銃士 凱旋シングル二番勝負、猪木のファイナルカウントダウンⅢとしてBVD杯・格闘技トーナメント、ホーク・ウォリアーの試合にアニマルがセコンドとして登場、タイガージェット・シン、タイガージェット・シンJrの親子がタッグで参戦と幅広いプロレスが展開されました。


その中でも、猪木が苦戦を強いられたゴルドー戦、スティング戦は思いで深いです。



 

これはなぁ・・・


ゴルドーの正拳が入り猪木が苦しい表情を見せたとき、ボクの後ろで観戦していた方が


「やばい!!効いてんじゃねぇか!!」


と声を上げて・・・その瞬間に開場し猪木を見て童心に帰っていた自分は現実の大人の時間へ一気に飛ばされ引き戻された、そんな気持ちになりました。そして決勝、入場時にガクッと膝をついたあのシーンは忘れられないです・・・


もうひとつ。この当時は嫁さん、同年代でもある大谷ファンで、応援してましたね。ボクも好きでした。動きがよかったですし、なにより試合運びがうまかったですね。




大谷っていいレスラーですよね


しかし嫁さん曰く、この試合で一番思い出に残っているのはタイガー・ジェットシンが出てきた時のボクの挙動不審ぶりだったそうです。やっぱり大人になってもジェットシンはコワイんだよ~・・・



95年4月2日 ベースボールマガジン社 「夢の懸け橋~憧夢春爛漫」 東京ドーム



これは当時オールスター戦へ繋がるかな?なんて期待を込めて行ったんですが、やはり団体によるカラーがあって、で、そのカラーをそれぞれ好きなファンがいましたので“どれを見ても誰でもおもしろい”というわけにはいきませんでしたね。でも、“誰が見てもおもしろい”という試合はありました。


まずは女子プロレス、JWP、LLPW 、全女と、これはおもしろかったな~という記憶が今でもあります。


JWP、全女は試合の流れ、テンポが早く、でも技は高度。特に飛び道具はハイレベルでしたね。


ボクらはプロレス、ずっと長く見てきていますよ。そんな中、女子プロレスは同じプロレスという名前でありながら独特・独自な道があり、また独特・独自な進化を遂げてきたプロレスでした。そんな女子プロレスでしたので、いくら古くからのプロレスファンでも女子プロレスを専門で今日まで追ってきたファンは、正直あまりいないと思います。でも、もしマッハ文朱からビューティ・ペア時代、そして今日のASUKAまで、女子プロレスだけを見続けているファンがいたなら、この時代の女子プロレスこそプロレス技術、プロレスレベルのピークだったと、こう言えるのではないかと思いますね。


さて、技術、という言葉が出ましたが、そのハイレベルだった女子プロレスにおいてLLPWはレディース・アルティメットとして神取忍とハーレー斉藤の総合ルールでの試合を持ってきました。


今でこそUFCにも女子部門ありますが、この時代に女子の総合は珍しい試合形式。しかもパンクラス、リングス、Uインターも出場している中にありながらこの試合を持ってきて、でも色褪せないファイトを見せたのは印象に残らないわけがありませんでした。




神取、まさに器のちがいを見せましたね


そしてUインターですね。当時はこの試合に高田が出るか出ないか、微妙だったんですね。で、当日は出てきたんですが、この高田が出てくれたことによりカードが変更、なんとスペシャル・シックスメン・バウト、ビリー・スコット、垣原、高田延彦vsジーン・ライディック、山崎、オブライトの、いわゆる6人タッグの形となりました。


この日は高田と山崎がバチバチと火花を散らしての戦いとなりましたが、でも印象に残っているのはなんといってもオブライトです!!フロントから、バックから・・・とにかくスープレックスの態勢に入っただけで会場の反応がものすごく、大きくどよめきました。とにかくドキッとしてしまうんです。で、投げた日にはもう



 
うおー!!


会場内がさらなるどよめきでした!!21年も前ですが、忘れられません。


そして最も印象に残ったのが全日本でしたね~。この全日本の前のよくわからない試合が終わり大仁田とやらが引き上げると、まだ入場前なのに会場の空気がまったくちがうものに変わりましたね。ワクワク感で、いい意味でそわそわしだしたんですよ。本当に霧が一気に引いて晴れ渡るように空気が変わりました。そしてそれに追い打ちをかけるように、ひとりずつの入場です。これでもうボルテージが最高潮になりました!!特に三沢の入場時はこめかみ痛くなるほど興奮しましたね!!




ついにゴング!!


試合は、30分の時間切れ引き分けでしたが、30分はこんなに短かったのか?というくらいあっという間、でも内容が濃い試合でした。普段は新日本しか見なかった嫁さんも、初めて目の当たりにする全日本の四天王のプロレスには歓喜を上げていました。

 


 95年10月9日  新日本プロレス 「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」 東京ドーム


この日はあれでしたね~、もう秋葉原で総武線のホームに来たあたりから空気がちがいましたね。単に新日本のドーム興行を観に来たわけではない、まさに“ファンも戦い”に来た、そんな感じでした。だからもう秋葉原のホームから、あ、この人はドームに行くな・・・というのがわかるくらいの感じでしたね。


この時代の新日本は海外からもいろんな選手が来て試合したり、新日本自体の選手層も厚くて、試合もおもしろくて、本当にボクも大好きでした。でもその分、かつての新日本が持っていたレスラーの強さ、殺気が遠のいてしまっていったのも否めない時代でした。だからボクはUWFに、本当のプロレスの強さ、殺気を、この時代の新日本相手に見せてほしくて、期待して行きました。


重ねて言いますが、新日本が嫌いなわけではありませんでしたよ。でも、戦って強いのは・・・昔から新日本を見てきたなら、新日ファンていうのは“プロレス=強さ”だったはず。だからこそ、期待して行きました。UWFであってほしい、そういう思いでした。

 

しかし会場はもう新日本ファンの出す空気で、とにかくすごかったですねぇ・・・ボクが思っていた強さや殺気はもちろん、選手良し悪しや技術論は関係ない感じで・・・とにかく新日本が勝って当たり前、新日本が勝つところを観に来た的な、圧倒的な新日本ファンのパワーを感じました。


オープニングはバチバチ感があって、興奮度でいえばこの日一番でしたね~。まだ若かった永田、石沢、金原、桜庭の4名が感情むき出しでやりあって、ああ~これが対抗戦なんだなぁ~と思いました。



 

オープニングマッチはよかったなぁ~。


逆に期待してたんですがちょっと残念だったのはライガーvs佐野でした。ジュニアヘビーの攻防もわるくはないと思いますが・・・ボクはUWFとも一味ちがう、新日本の道場で培ったふたりの技術、攻防を見たかったですねぇ~。




このふたりならできたはずだよなぁ・・・
 

そしてメインです。

 

嫁さんは今でも高田を見ると、いつも

 

「若いとき、なかなか太れなかった(細かった)んだよねぇ~」

 

という話をし、あの綱引きマッチのことをなつかしそうに話します。嫁さんは若手時代と新日ジュニア時代まで・・・高田のUWF時代やUインターでの試合は見たことがありませんでした。なので嫁さんにとっては高田はいつもプロレスをがんばっていた人、という思い出が濃いようです。

 

ボクもまだ若かったこの日、今日はおれは高田を応援する!!と試合前に言うと、やはりこの話が出て、ボクと嫁さんはふたりで高田を応援することになりました。

 

しかし・・・先にも話しましたが、この日は圧倒的な新日本の空間となっていました。周りはみんな新日本への声援でした。でも、この試合で高田が武藤をKOして、ひっくり返してほしい!!そう願いました。

 


 

しかし・・・

 

結果は・・・敗れてしまいました。それもまさかの足4の字でした。

 

試合が終わったあとボクの周囲は総立ちでした。みんなが新日本の勝利を喜んで、知らないファン同士も握手したり抱き合ったりして感極まってしました。そんな中、ボクと嫁さんは座ったまま、うつむいていました。高田、なんで合わせてしまったんだ!?なんで最初から北尾戦みたいに蹴っていかなかったんだ!!悔しくて、悲しかった・・・ああ~思い出しますね・・・

 

余談ですがこの約1年後、ボクは嫁さんと結婚しましたが、その結婚式の新郎新婦入場では高田の入場テーマ曲のトレーニング・モンタージュで入場しましたよ。ボクら夫婦なりのリスペクトです。

 

 

96年4月29日 新日本プロレス 「96 BATTLE FORMATION in 闘強導夢」 東京ドーム

 

ゴールデンウィークの始まりだったこの日のドーム大会。会場入る前にドームの前で撮影した記念写真を結婚式の新郎新婦紹介のパンフレットに使ったのを思い出します。


まあ、それはさておき、この大会では新日本プロレスのドーム開催10回目ということもあってか、WCWからはランディ・サベージ、レックス・ルガーが参戦。他にアニマル、ホーク、パワーのトリプルウォリアーズvsスタイナーブラザーズ&スコット・ノートンというまさにド級のカードからグレート・ムタvs新崎人生の異色対決、そして天龍vs藤波のふたりの龍の対決、でメインが橋本vs高田のIWGPヘビー級選手権という、まさにプロレスのワールド・グルメ・サミット状態でした。


印象に残っているのは、まず藤波vs天龍ですね。試合開始からすぐ、藤波のドラゴンロケットが久々に炸裂!!このときの会場の盛り上がりといったらなかったですね!!そして連弾に行き、ますます盛り上がりますが3発目のドラゴンロケットに天龍がカウンターのパンチ。これで藤波は鼻から大流血してしまいます。ここから試合は若干失速してしまいましたが、この鼻に頭に来ていたのか、中盤に藤波が拳で天龍の頬へパンチ攻撃していたのは印象的でした。最後は天龍にねじ伏せられてしまったような感じでしたが、試合後も近寄ってきた天龍に張り手を見舞います。こんな怒った藤波を見るのは珍しいことでしたので、覚えていますね。


そしてムタvs人生ですねぇ~。WCWとWWFで活躍したふたりが対決するというのが話題でしたね。試合は人生が持ってきた卒塔婆に、ムタが人生の流血した血で“死”と書き・・・これがドームのオーロラビジョンに映し出されたときのどよめきと言ったらなかったですね。



 

海外でも大会場をフルハウスにできるようなカードでしたね


メインはこの年の1月4日に行われた96WRESTLING WORLD IN闘強導夢で武藤にリベンジしIWGPヘビー級王者となっていた高田と橋本真也の選手権試合でした。団体のトップ同士、そしてこのときシングルにして8年ぶりになるというふたりの対決に注目が集まりましたが、ボクは1.4で武藤に勝った勢いで今度も勝利!!と期待をしていました。




しかし・・・


ボクが観戦行くとダメなのかなぁ・・・またしても・・・高田は敗北を喫してしまいました。ブレーンバスターで持ち上げられたときは本当に泣きそうになりましたよ。橋本だけには勝ってほしかったなぁ・・・



96年6月30日 力道山OB会&プロレス 「メモリアル力道山」 横浜アリーナ


これはですね、力道山OB会&プロレス、という組織というんでしょうかね?これが同年1月に発足され、その会の会長であった芳の里が主催し行われた大会でした。そんなこともあり新日本プロレスが主力となって協力。全日本プロレス、Uインター、WARなど16もの団体が参加して行われた、ちょっと夢の懸け橋を彷彿させる大会でした。


で、ここまで画像付きで紹介してきましたが、この大会のみ載っている本を所有してなかったので画像なしです。すいません。



 
というわけで、そのとき買ったTシャツで勘弁してくださいね


このときボクの目的は、久々に復活する初代タイガーマスクの佐山タイガーが参戦し、当時まだみちのくプロレス所属だった4代目タイガーマスクとの試合を見ることでした。というか、リング上で動いている佐山を見ることが目的でしたね。いろいろな団体が出ているし、なにより佐山タイガーが見れる!!これはもうワクワクのウキウキで行きましたね!!


しかし・・・この大会、始まったらなんてひどい・・・


第一試合は剛竜馬がタッグで登場、ですが・・・ノーコメントで第二試合。忘れもしません鶴見五郎vsザ・マミーです。


ゴング鳴ってザ・マミーが頭を振って白い粉を放ったときは会場も一瞬どよめきましたが、それだけでしたね。以降は試合と呼ぶにはあまりにもな動き。で、挙句の果てにダイビング・ヘッドバットやって届かなくて自爆して気絶するという、世界に例を見ないようなオソマツさを披露。一緒に行った嫁さんも


「あれ何・・・?」


と表情を曇らせます・・・ああ、思えば64年に来日した先代のザ・マミーは船の荷物の中にあった棺の中から2000年の眠りを経て目覚めたミイラという伝説があって・・・そう小さい頃は凶悪な犯罪を犯し刑務所にいた囚人が脱獄して、覆面で顔を隠しリングに上がっているというザ・コンビクトと並んで、おれぁ激しく信じてましたよ。それがこのバッタモノのザ・マミーはダイビング・ヘッドバットで自爆失神で担架に乗せられて退場ですよ。ミイラが担架って、遺跡発掘現場でもねぇぞ・・・


その後も第四試合まで、いわゆるインディー団体の試合が続きました。こう言っては何ですが、その間、先も見えない長い直線の道路をただひたすら走っているような・・・そんな試合を見せられ続けたボクと嫁はもはや戦意喪失でした。しかしボクらはまだ起きていたからよかったんですよ。ボクらの前に座っていた方は驚くべきことに、なんと寝ていたのですよ!!プロレス観戦に来て、寝る!!寝るぅー!!確かにここまではつまらなすぎた。しかし寝てしまうとは・・・こんなの初めて見た・・・


しかし第五試合で女子プロレスLLPW登場。神取忍、大向美智子vsイーグル沢井、長嶋美智子で会場は息を吹き返す予感です。続いてガイア・ジャパンとJWPがタッグで激突。長与千種とダイナマイト関西の絡みがよかった~。やはりこの時代の女子プロレスのレベルはすごいと思います。


その後はメモリアル力道山には不可欠な百田が登場。井上雅央をパワーボムで切って落とすと冬木、邪道vs北尾、望月。これは試合どうよりも北尾の大きさが忘れられませんでした。


で、藤原vs安生を経て、いよいよ初代タイガー!!これがですね・・・開始直後に4代目の突進をリープフロッグで交わし、そのあとバク宙をやって、これでもう感動ですよ。キックもよかった~。途中、シューティング・スタイルに若干ファンのフラストレーションも溜まりましたが、ボク的には完全個人的感情移入状態だったので満足でした。


で、武藤、健介vs橋本、平田、そしてメインで 藤波、天龍vs長州、北原ときまして、最後は決めてくれました。


後日、プロレス雑誌を買うと長州が試合後にインディー団体に対し


「あんなもんプロレスじゃない」


と発言していたとの記事がありました。申し訳ないですが、ごもっともだと思いました。しかしこの発言に大日本プロレスのグレート小鹿が食らいつき、同年9月16日の新日本プロレスの名古屋大会に大日本軍団を引き連れ宣戦布告します。そして次へ続きます。



97年1月4日 新日本プロレス 「97 WRESTLING WORLD in 闘強導夢」 東京ドーム


で、こちら・・・先に書きました横浜アリーナでのメモリアル力道山での長州発言の因縁から新日本vs大日本の対抗戦が組まれることになった大会でした。


開場し中へ入り、いつものように探索とばかりリングサイド周辺へ近づいていくと、なんとグレート小鹿が歩いています。あれグレート小鹿だよ、と言うと、なんとグレート小鹿相手に手を振りトコトコトコと接近を試みる嫁さん。こちらを向き、んん?という感じで無表情をキメていましたが、なんか小鹿はテレ気味というか、うれしそうでした。しかしながらさすがは嫁さん、このあと 


「ところで、あの人は誰?」


し、知らなかったのか・・・ゴルドーといい、キミはなんて戦闘力の持ち主なんだ・・・


さて、このドーム大会ですが、それまでのような外国人選手の登場は少なく、登場したのは第二試合に“X(エックス)”となっていたレスラーで、登場時に“スーパー・ライガー”として現れたレスラーと、この日の猪木の相手のウィリー・ウィリアムスのみという珍しいものでした。ちなみにスーパー・ライガーはのちにWWEでトップレスラーとなるクリス・ジェリコが正体だったようです。そう思うと、なかなか貴重なシーンでしたね。


先に触れました新日本vs大日本の試合は4試合で、大谷晋二郎vs田尻義博、後藤達俊vsケンドー・ナガサキ、蝶野正洋vs中牧昭二、マサ斎藤vsグレート小鹿というカード。


よかったのは大谷vs田尻で、これは覚えています。当時は無名だった田尻がゴングが鳴って先制、とにかく大技連発で攻め込みカウント3ギリギリまで追い込みます。その姿に、やるじゃないか!!と声援も飛びますが、序盤で弾切れしてしまった感の田尻に対し大谷は横綱相撲という感じでした。のちに田尻がWWEであれだけの活躍をするとは・・・そう考えるとこれまた貴重なシーンでした。




いい試合でしたね


続いてマサさんvs小鹿です。これ、この試合の盛り上がりすごかったですね。とにかくマサさんが攻めると声援がすごく、小鹿が攻めると目の敵のような会場の反応です。そこに小鉄さんのレフェリングが加わって、とにかくおもしろい。試合時間は短く、フィニッシュも足首固めというか足を持って上げた時点で小鹿がギブアップしてしまった感じだったので、あれ?という感じでしたが、試合後の大日本の乱入もマサさんがひとりですべて蹴散らしてしまい、新日本ファンはとにかく大盛り上がりでした。



マサさんvs小鹿は小鉄さんもエキサイトしてておもしろかったなぁ


で、猪木です。ボクはこの日は猪木のファイナルカウントダウンであるウィリー・ウィリアムス戦が目的で行ったのですが、開始前に突然、決め技を制限する“決め技限定マッチ”という説明がされ、ウィリーが勝つ場合は正拳突き、猪木が勝つ場合にはコブラツイストという発表が・・・


正直、これにはがっかりしました。いえ、ボクだけじゃなくドーム全体に白けた空気が流れました。


結局、試合は猪木のグラウンドコブラで決まりましたが・・・



 

この状態でギブアップとは・・・


まだ低学年だった小学生の頃に見たあの戦慄・・・もちろん当時の再現なんて無理なのはわかっていたけど、初めから終わりまで、あまりにも人を食った内容だったと言わざるを得ない試合でした。正直、残念でしたね・・・ウィリーが相手で、どうしても決め技限定にするなら、せめて腕ひしぎ逆十字にしてほしかったなぁ~。


そしてメイン、橋本vs長州のIWGPヘビー級選手権試合です。長州はこの前年のG1で全勝優勝。当時IWGP王者だった橋本に挑戦者として立ちはだかってきました。このとき長州45歳。しかし衰えはほとんどなく素晴らしい仕上がりでした。


久々のドームのメインに長州・・・実は嫁さんがプロレス好きになったキッカケはこの長州でした。藤波とやりあっているあの時代、長州の後ろ髪になりたかったという嫁さんはこの日の長州にこれでもかの声援を送ります。リキ・ラリアート、10発は打ったでしょうか・・・勝ってほしい!!しかし勢い勝る橋本の前にフォール負けを喫してしまいました。結果は残念でしたが、でも長州のプロレスを完全発揮した、いい試合でした。


いやぁ~こうして振り返ると、ついこの間のような気がしますが、もう20年も前なんだなぁ~と・・・本当に時間の経つのは早いんだなと、つくづく思いました。


嫁さんとの観戦は、ほとんどがドームでした。初めはスタンド1Fの席から始まって、次はアリーナでちょっと前に座ろう、そして次はもう少し前に座ろう、と、観戦の度に値段の高い、いい席を取って、だんだん前で観るようにしていったというのが思い出されます。そんな嫁さん最後の観戦は、大ファンだった長州の試合だったんだなぁ・・・あれから19年も経つのか。


そんな歳月の流れを経て、今年の12月・・・新日本プロレスの茨城県の水戸大会において、嫁さんと息子の三世と3人で、いよいよ3人そろってのプロレス観戦をすることになりました。嫁さんにとっては19年ぶりの現場復帰にしてボクとも19年ぶりの観戦。そして三世とは初観戦です。というわけで我が家のプロレス・ストーリーはまだまだ続きそうです。


最後までお付き合い、ありがとうございました。





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