どうも!!流星仮面二世です!!
先月、10月5日に放送された
NHKBSプレミアム アナザーストーリーズ 運命の分岐点「タイガーマスク伝説〜覆面に秘めた葛藤〜」
これを見て日本中の多くのプロレスファンが、いやプロレスファン以外でもですね。胸を打たれました。
NHKBSプレミアム『アナザーストーリーズ運命の分岐点』で泣いた
(以上3件 腕ひしぎ逆ブログ 紫レガさん)
(通りすがりの虎仮面 後乃祭さん)
(ローリング・ドリーマーのプロレス・ブログ Bonzoさん)
理想と現実の狭間で~三沢光晴のアナザーストーリー/2代目タイガーマスク【俺達のプロレスラーDX】
(ジャスト日本のプロレス考察日誌 ジャスト日本さん)
もう2ヵ月にもなろうとしていますが、この日以来ボクはずっとタイガーマスク漬けの日々となっております。というわけで今回は初代タイガーマスク、ちょっと追いかけてみましょうか。
と言っても、あまりにも有名なタイガーマスク。もはやその経歴も知られるところです。なので今回は、ちょっと知られていないところ・・・タイガーマスクデビュー戦からシリーズにフルで正式参戦するまでの足跡を追ってみることにしましょう。
まずタイガーマスクの、その原点となった佐山サトルの原点、デビュー戦です。
ネットで調べてみると、76年5月28日、魁勝司と、というのが出てきます。しかしこれ以上の情報が出てこないので個人的に調べてみると、この日は後楽園ホールで行われたゴールデン・ファイト・シリーズの第1戦、つまり開幕戦の日だったようです。
ここで魁勝司、あれですね、リングスでレフリーをしていた北沢幹之ですね。を、相手に15分1本勝負を行った・・・これが佐山のデビュー戦だったようです。結果は9分44秒、エビ固めで敗れています。
で、このあとデビュー戦含め魁勝司との対戦が連続5回続き、いずれも敗れています。なるほど~佐山のプロレスのスタートは隠れシューター北沢幹之から始まったんですね。
こちらは同年10月7日、蔵前での闘魂シリーズ第1弾の最終戦、上田vs小鉄さんの乱闘を見る若き日の佐山
で、このデビュー戦から56連敗しまして、57戦目でようやく初勝利となります。これが同年11月30日、闘魂シリーズ第2弾、会場は不明(島根の木次体育館?)で相手は栗栖正伸だったようです。フィニッシュはキャメルクラッチとあります。このときデビュー半年後。あのマーク・コステロ戦の1年前のときですね。
そして遠征前最後となったのは78年5月19日、第1回MSGシリーズの決勝リーグの真っ只中の宮城県スポーツセンターでの試合のようでした。
相手は趙白山、これチョ・パクサンと読むそうなんですが、このシリーズのみ参戦していた韓国人レスラーだったようです。この趙を相手に佐山は15分1本勝負を行い11分34秒、逆エビ固めで勝利します。このあとメキシコ遠征、イギリス遠征へと続くことになるので、この試合が佐山サトルとして最後の試合となったわけなんですね。
こうして迎えた3年後、佐山にとってもプロレス界にとってもファンにとっても運命の日となった81年4月23日の蔵前国技館となるんですね。
これはもう、あまりにも有名な伝説の試合ですが・・・
(腕ひしぎ逆ブログ 紫レガさん)
しかしこのあと、二戦目となるとみなさんいかがでしょうか?
この4月29日のあとの試合というと5月8日に川崎市体育館で行われたブラック・キャット戦(6分51秒、コブラツイストでタイガーが勝利)がそのようなのですが・・・
しかし、実はこの二戦目の前にもう一戦あったというのは意外と知られていないです。
タイガーマスクは4月23日の試合後、5月7日、つまりこのブラック・キャット戦の前の日に再び日本へ姿を現し、東京の新宿・京王プラザホテルで行われた第四回MSGシリーズの前夜祭に、生みの親である梶原先生と共に登場。ここで記者会見が行われ、プロレスラー、タイガーマスクが正式に発表され、誕生と相成ったそうなんですね。
そしてこの日、同場所でタイガーマスクはエキシビジョンマッチを行ったそうです。相手は斎藤弘幸、若手時代のヒロ斎藤です。エキシビジョンではありましたが、これがタイガーマスクとしてリングに上がった2回目となりました。
試合の詳細は残念ながら詳しい資料がなかったのでわからなかったのですが、タイガーマスクはここでタイガー・スープレックス・ホールドを初公開したという記録が残っています。
デビュー戦とはちがう、通称“ぬいぐるみマスク”での登場でした
で・・・翌日8日の川崎でのブラック・キャット戦、つまり第四回MSGシリーズ開幕戦へ参戦となる、という流れだったんですね。
さて、この試合含めデビュー戦からの試合を振り返ると・・・
4月29日 蔵前国技館 WWFビッグファイトシリーズ第2弾 最終戦(テレビあり) デビュー戦
ダイナマイト・キッド(9分29秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)
※猪木がIWGP開催に向けタイトルを封印するためハンセンと最後のNWF戦。
5月7日 京王プラザホテル 第四回MSGシリーズ前夜祭 エキシビジョン・マッチ
斎藤弘幸(タイム不明 タイガー・スープレックス・ホールド)
5月8日 川崎市体育館 第四回MSGシリーズ開幕戦(テレビあり)
ブラック・キャット(6分51秒 コブラツイスト)
※アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本初登場。
5月9日 焼津市スケートセンター 第四回MSGシリーズ
斎藤弘幸(5分46秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)
5月10日 後楽園ホール 第四回MSGシリーズ
ブラック・キャット(8分52秒 エビ固め)
5月12日 名取市民体育館 第四回MSGシリーズ(テレビあり)
クリス・アダムス(7分42秒 エビ固め)
5月13日 横浜文化体育館 第四回MSGシリーズ
斎藤弘幸(6分4秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)
という感じです。この期間ではデビュー戦仕様のマスクとぬいぐるみマスクがそれぞれ使われており、まだあの見慣れたタイガーマスクのマスクではなかったんですね。その為、本人も試合中マスクを気にする様子が伺えます。
こうしてシリーズ内で5戦を消化するとタイガーは5月15日にメキシコ遠征に出発。5月17日から5月25日まで全5戦に参戦し、メキシコマットでも人気の的となります。
が・・・この遠征では人気だけでなく、今となっては驚くべき出来事もありました。
まずこの初日の17日に行われたルチャリブレの総本山、メキシコシティにあるエル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスでの試合です。メキシコシティ、海抜2400mの高地にあるエル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス・・・という古舘さんの実況を思わず口ずさんでしまいますが、まあそれはさておき、このタッグマッチです。なんと!!
この日、タイガーは小林、グラン浜田と組みエル・アニバル、ベビーフェイス、ペロ・アグアヨと対戦しています。結果は反則絡みながら日本チームが勝利していますが、タイガーになってから、のちにライバルとなる小林とタッグを組んでいたとは驚きですね。
そして翌日5月18日、メキシコシティーから東へ約130キロに位置するプエブラ州のアレナ・プエブラでの6人タッグです。ここでも行われたのは6人タッグマッチで、タイガーの相手はスコルピオ、ビジャノⅢ、エル・カネックという強豪チーム。相対するタイガー組はタイガーマスク、エル・ソリタリオと、誰だと思います?これびっくりですよ。なんとビル・ロビンソンですよ!!
この時代はロビンソンは全日本への参戦が主でしたが、この時期はちょうどメキシコ遠征中だったようで、5月31日にはエル・トレオでカネックの持つUWA世界ヘビー級王座にも挑戦しています。
なのでこのタイトルマッチの前哨戦としてのロビンソンとカネックのタッグマッチという意味もあったのかもしれませんが、それにしてもカール・ゴッチ門下のタイガーとキャッチの重鎮ロビンソンが同じマットに立っていたとは、これは驚きですね。試合の方は2-1でタイガー組が勝利という記録が残っています。が、残念ながら画像が出てきませんでした。いやぁ~見たかったなぁ~。
さて、こうしてメキシコ遠征が終わると帰国したタイガーは6月3日に愛知県体育館へ登場します。
この日は試合は行わずリング上から凱旋のあいさつをし、今後は日本マットを主戦場にしていくと宣言しました。で、この日からマスクがボクらが見慣れている、あの形になります。
そして6月4日、第四回MSGシリーズの最終戦となる蔵前国技館に登場。藤波とタッグを組んでクリス・アダムス、マイク・マスターズと対戦します。
初となるこのタッグ結成でしたが、息の合った連係を見せファンを虜にします。この当時の藤波はとにかく素早く身軽。そこにきてのタイガーだったので、これは素晴らしいタッグチームとなりました。ちなみにこの日のセミはバックランドvsホーガンのWWFヘビー級選手権という豪華なものでした。
さて、愛知県体育館では日本を主戦場にという挨拶がリング上からされたのですが・・・タイガーはこの6月4日の蔵前での試合から、また少しの間姿が見えなくなります。
どうやらタイガーはこの後、イギリスへ戻り、タイガーマスクとして急遽日本へ帰国してしまったため行えなかった新設のタイトルの王座決定トーナメントにサミー・リーとして出場していた?ようなんですね。
新設のタイトルマッチがあることを伝えたとされるチラシ。しかし日時は不明なのでこの遠征時のものなのかどうかは不明
ここでのちに初代ブラック・タイガーとなるマーク・ロコと決勝を行ったという話もあります。が、情報があまりになく真相はわかりません。このときは時期的にタイガーマスクになったばかり・・・なのでその正体と噂される人物の他の試合の記事を伝えるのはタブーだったのかもしれませんね。だから資料が残っていないのかもしれません。
その後・・・第四回MSGシリーズの最終戦となる蔵前で藤波とタッグを組んで試合へ出場した6月4日から20日後の6月24日、タイガーは姿を現し、蔵前国技館で行われた“3大スーパー・ファイト(谷津のデビュー戦の日)”という大会にワンマッチ参戦します。対戦相手はビジャノⅢでした。
メキシコのトップルード、ビジャノ相手に華麗な空中殺法を展開した
結果はエプロンからヒラリとトップロープに上がっての、振り向きざまのプランチャを炸裂させ15分55秒、リングアウトで勝利しています。
このあと、3大スーパーファイトのあとはサマーファイトシリーズでしたが、このシリーズにもタイガーはフル参戦せず・・・ビジャノⅢ戦から1ヵ月以上経過した後半戦からの登場となりました。
これも詳細はまったくわからないんですが、ビジャノⅢ戦のあと、どうやらもう一回イギリスへ戻っているようなんですね。もしかするとサミー・リーとしての試合契約が残っていたのか・・・それとも別な理由があったのか?真実はわかりませんが、何かあったのかもしれませんね。
こうして7月31日より終盤に差し掛かったサマーファイト・シリーズへ途中参戦します。ここでのカードを振り返ると・・・
7月31日 大阪府臨海スポーツセンター サマーファイトシリーズ
スコルピオ(8分32秒 両者リングアウト)
※ローランド・ボックが新日本マットに初登場。
8月2日 後楽園ホール サマーファイトシリーズ(テレビあり)
スコルピオ (8分55秒 ローリング・クラッチ・ホールド)
※テレビマッチでしたが、録画中継で最終戦の蔵前の次の週に放送された
8月3日 八戸市体育館 サマーファイトシリーズ
ブラック・キャット(8分41秒 リングアウト)
8月4日 盛岡県営体育館 サマーファイトシリーズ
●ブラック・キャット、スコルピオ(14分50秒 ジャーマン・スープレックス・ホールド)
※タッグマッチ。パートナーは星野。
8月5日 須賀川市体育館 サマーファイトシリーズ
ブラック・キャット(8分13秒 コブラツイスト)
8月6日 蔵前国技館 サマーファイトシリーズ最終戦(テレビあり)
スコルピオ(10分18秒 タイガースープレックス・ホールド)
※猪木vsマスクド・スーパースターの覆面剥ぎマッチと同じ日。
最終戦はタイガー・スープレックスがテレビで初公開された日でした
で・・・8月21日、大宮スケートセンターでのブラディ・ファイト・シリーズよりフル参戦になると・・・うーん、なるほどなぁ~。
このタイガーマスク誕生から定着までの流れを見ると、シリーズ参戦定着までは国内では同じ相手と何度も当たるような、試運転的な試合が多かったですね。しかし、かと思えばメキシコ、イギリスを往復し大きな試合をこなしたり、また謎の時間帯があったりしました。ヒーロー、人気者になっていくその裏で、人知れない苦労、苦悩があっただろうな・・・そんなことを思いました。
さて、その2ではタイガーコレクションが登場します。よろしく~!!