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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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同じ空の下で

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どうも!!流星仮面二世です!!

さて、もう1年以上も前ですが、こんな記事を・・・

父さんを超えてゆけ

みなさんにご紹介したことがありました。

その後、本年は新日本でファイトしているデビッド・フィンレーがデイブ・フィンレーの息子と知って驚きましたが、今年のWWE初観戦ではジム・ナイドハートの娘ナタリア、祖父がバイキングことラリー・ヘニングにして父がミスター・パーフェクトのカート・ヘニングというカーティス・アクセル、そしてあのリック・フレアーの娘シャーロットと・・・二世たちを目の当たりにし、文字通り仰天。これほど多くの二世がプロレスラーになり成功しているという事実に驚愕した次第です。

しかし・・・年末は新日本プロレスでのタッグリーグ戦が大変盛り上がりましたが、そこにもまさかの二世レスラー登場でびっくりでした。そう、タッグチームとして出場していたレスラーに、リーランド・レイスという名前があったのですが、これがあのハーリー・レイスの息子だったそうで・・・これは驚きましたね~。レイスの息子がプロレスやってるなんてまったく知りませんでした。

なんて感心していたら、タッグリーグも終わったついこの間、新日本プロレスで新しいバレットクラブのメンバーが発表されましたが・・・この選手がコーディ・ローデスという名前!まさかとは思いましたが、そう、あのダスティ・ローデスの息子なんだそうです。

これは驚きというか意外でした。ダスティの息子ってのちにゴールドダストもやったローデスJr、ダスティンしか頭になかったので・・・それにしてもずいぶん年齢が離れている兄弟じゃないか?と思って調べたら、どうもローデスJrとコーディは異母兄弟になるようです。なるほどなぁ~。

いやぁ~しかし・・・かつてのトップレスラーだったレイスとローデスの、その子供たちが大きくなり、我々の前でプロレスをするなんて考えてもみませんでしたよね。本当に時代の流れを感じます。あのレイスとローデスの、ですよ。そう、ハーリー・レイスとダスティ・ローデスです。


この名前を聞けば、79年から80年代のNWA黄金期をおいて語ることはできません。


ハーリー・レイス、みなさんもう十分知っていると思います。ご存じミスタープロレスですね。レイスは1958年頃、15歳のときに伝説のレスラー、スタニスラウス・ズビスコの下へ日本でいうところの押し掛け弟子としてプロレス修行に入ります。ここでレスラー修業を積むと、まずサーカスなどで力自慢の素人を相手にするカーニバル・レスラーとしてデビュー。その後60年に本格的にプロレスデビューすると着々と自身のスタイル、ポジションを確立し73年にミズーリ州で4年3ヶ月にも渡り王者に君臨していたドリーファンク・ジュニアを破りNWA世界王者を初栄冠。以後、同王座を通算8回獲得するという快挙を成しえました。




NWA初栄冠時の若き日のレイス。ハンサムのニックネームもうなずけるカッコよさだ


相手の技を真っ向から受け豪快に受け身を取りながら、対戦相手の良いところを引き出す技術は超一流。しかし最後はバーディカル・スープレックスと呼ばれたブレーンバスターとダイビング・ヘッドバットで自身の持ち味も十分に出し勝利するというスタイルが人気を博し、NWA黄金期の中心人物として活躍しました。日本でもジャンボ鶴田からUNを、馬場さんからPWFをと、その他数々のタイトルを手にしてきたまさに強豪でした。


ダスティ・ローデス、こちらもお馴染みだと思います。ローデスは1968年にテキサスのサンアントニオにて当時サンアントニオ地区でプロモーターをしていた、レスラーでもあったジョー・ブランチャード(タリー・ブランチャードの父親)のコーチを受けプロレスラーとしてデビューします。デビューまもなくディック・マードックとテキサス・アウトローズを結成すると"ダーティ"ダスティ・ローデスとしてヒールで活躍。NWA、AWAエリアを又にかけ暴れまわりました。74年よりベビーフェイスに転向するとダーティからアメリカンドリームへ変貌を遂げ人気上昇。79年の8月にはフロリダ州タンパでレイスを破りNWA世界王座を奪取しました。




配管工の息子から世界王者へ・・・まさにアメリカンドリームを掴んだ男だったローデス


以降、80年代のアメリカマットでナンバーワンの人気を誇り、アンドレ・ザ・ジャイアントと並んで"最も有名で客が呼べるレスラー"となりました。


こんなふたりの戦いはお互いに最もスイングし、実力を出し合えることができたことからアメリカで大変な人気を集めたドル箱カードでした。

しかしながら、海外でのドル箱にして黄金カードだったレイスとローデスの試合でしたが、日本マットでは双方、上がっているリングが全日本、新日本とちがっていたため、日本のファンがその対決を見ることができたのはわずかに2回だけでした。


ふたりの戦いが日本で唯一行われたのは今からおよそ42年前・・・レイスとローデスが、まだ激しい抗争を行う前の75年12月6日、東京・足立区体育館で行われた全日本プロレスの世界オープン選手権の開幕戦でのことでした。



今や伝説となったオープン選手権の開会式

このオープン選手権は、いやこれは説明しだすと本題に入れず終わってしまうので省略いたしまして・・・この日はドン・レオ・ジョナサンvsアントン・ヘーシング、アブドーラ・ザ・ブッチャーvsドリーファンク・ジュニア、馬場さんvsバロンフォン・ラシクなど公式戦が6試合行われました。

対戦カードのファン投票があり、その順位も試合に添えられ発表されたこのオープン選手権では、当日のカードではブッチャー、ドリー戦がファン投票第2位に位置する好カードだったため、この日のファンの興味をそそりました。そんな・・・ブッチャー、ドリー戦の試合の前に行われたのがファン投票第29位だった、このレイスvsローデス戦でした。

71年11月に国際プロレスに初来日した際はヒールの“ダーティ”ダスティ・ローデスといわれたラフ・ファイター。先にも出ましたがディック・マードックとのテキサス・アウトローズでヒールとして大暴れ。このオープン選手権の前のシリーズのジャイアント・シリーズ第2弾でも、このテキサス・アウトローズとして馬場さん、鶴田のインタータッグへ挑戦し大暴れしていました。

そんなヒールのローデスでしたが、このレイス戦ではレイスの攻めを自分のテンポで交わしつつ試合を進め、観客とのやり取りを見せながら試合をリードしていき好勝負を展開。会場からはレイス相手に奮闘するローデスに、まるで正統派のレスラーへのような声援が上がりました。



ローデスの攻めに会場も熱狂した

そう、それはそれまでの“ダーティ”ダスティ・ローデスのような試合運びではなく、のちの“アメリカンドリーム”ダスティ・ローデスの原型のようなスタイルとなったのでした。

しかしながら百戦錬磨な巧者のレイス。責め立てるローデスのスキを逃さず、最後はローデスのエルボードロップを自爆に誘い、得意技のダイビング・ヘッドバットを炸裂させ10分41秒、ピンフォール勝ちを納めています。


エルボー自爆のローデスにダイビング・ヘッドバットを狙うレイス。この時点では一枚上手だった

レイスの持ち味とローデスの覚醒がマッチし、ブッチャー、ドリー戦を前に会場が思わぬ盛り上がりを見せたこの対決。日本でのローデスのベストバウトと上げる関係者も多く、かくれ名勝負としてマニアの間では語り草となっています。

これが・・・のちのドル箱カードにして、ローデスがレイスからNWA世界王座を奪取する6年も前に日本で実現していた、日本マットでのたった一度だけのふたりの試合でした。

その後、日本では接点のなかったふたりでしたので、日本のマット上での対決が行われることはありませんでしたが・・・実は日本で、このカードを見る機会がもう一度だけあったのです。


それはこのオープン選手権での戦いから5年後の80年の元旦に放送されたワールドプロレスリングの「新春プロレススペシャル」ででした。そう、日本でファンが目撃した二度目のふたりの戦いは、驚くべきことに新日本プロレスでの放送でだったのです。

え!?80年に・・・!?ローデスはわかるけど、当時全日本プロレスで大物看板外人だったハーリー・レイスがテレ朝のワールドプロレスリングに出たんですか!?そんなことがあったの!?
と、そう思った方もいたと思います。確かににわか信じられませんが、しかしこれがあったようなんですよ。

この日、80年の1月1日に放送された新春プロレススペシャルは前年79年の12月17日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われたWWFの定期戦の録画中継で、その内容はボブ・バックランドvsボビー・ダンカンのWWFヘビー級の王座決定戦からアントニオ猪木vsアイアン・シークのNWFヘビー級選手権、藤波辰巳vsジョニー・リベラのWWFジュニアヘビー級選手権、坂口征二、長州力vsバッドニュース・コージ(アレン)、ジョジョ・アンドリュースのNWA北米タッグ選手権と、当時の新日本の主力がごそって参加したものでした。

そのため、この年の元旦の特番としてこの試合の模様が放送されたわけなのですが、実はこの大会ではこれらの試合の他にNWA世界ヘビー級選手権も行われていたんです。それがレイスvsローデス戦だったのですが、これが当時この枠内で放送されたそうなんです。

当時すでに黄金カードとなっていたレイスvsローデス戦でしたが、この両者の戦いがMSGに初上陸したのがこの日だったそうで・・・ニューヨークのファンの熱狂ぶりはそうとうなものだったそうです。

試合の方はローデスが試合早々あの小気味いいパンチで先制し主導権を握り、アトミックドロップ、ドリルアホール・パイルドライバーで攻め優位に試合を進めていきます。



レイスのブレーンバスターを切り返しアトミックドロップに取るローデス

しかし後半、レイスのヘッドバット、額へのニードロップを受け大流血してしまったローデスは窮地・・・なんとか巻き返しますが、反撃も空しく13分21秒、レフリーストップで無念の敗北を喫してしまいました。


 
押し気味に攻めながらもあと一歩のところで・・・


またもレイスの巧妙さにやられてしまったローデスでしたが、MSGで初めて行われたレイスvsローデス戦を目の当たりにしたファンは大熱狂。次こそは!!そんな期待をローデスにかけ、黄金カードは益々輝きを増していくのでした。


その後、81年6月にローデスがレイスを破り2度目の王座に就きますが、この3ヶ月後の9月には着々と実力をつけてきたリック・フレアーが初栄冠。レイス、ローデスの抗争の輪に入った形になり、レイス、ローデス、フレアーと、まさに戦う三角関係抗争が勃発。ますますエキサイティングな流れとなりました。 


その歴史をNWA世界戦に絡め振り返ってみると・・・


第53代 ダスティ・ローデス 

79年8月21日 フロリダ州タンパ 

※レイスより奪取


 
まさか!?と周囲を驚かせたタンパでの王座奪取


第54代 ハーリー・レイス  

79年8月26日 フロリダ州オーランド 

※ローデスより奪取


第61代 ダスティ・ローデス 

81年6月21日 ジョージア州アトランタ 

※レイスより奪取


 

ローデスはアトランタで二度目の王座奪取


第62代 リック・フレアー  

81年9月17日 ミズーリ州カンザスシティ 

※ローデスより奪取



82年4月2日、テキサス州アマリロで行われたファンクス主催のビッグマッチ

“THE EVENT in amarillo”ではメインで激突した


第63代 ハーリー・レイス  

83年6月10日 ミズーリ州セントルイス 

※フレアーより奪取


第64代 リック・フレアー

83年11月24日 ノースカロライナ州グリーンズボロ 

※レイスより奪取


 

ノースカロライナで行われた金網でのNWA戦ではレイスが敗れた


 第65代 ハーリー・レイス

84年3月21日 ニュージーランド ウェリントン 

※フレアーより奪取→フォールカウントが早すぎたとして王座預かりとなる


 

ニュージーランドでのNWA戦はレイスがピンフォールで一旦は奪取するが、空位に・・・


第66代 リック・フレアー

84年3月23日(25日?) シンガポール カラン 

※前日22日(23日?)にレフリーのミスジャッジだったとしてフレアーにタイトルが戻る



改めてフレアー王者として行われたシンガポールでの戦いはフレアーが勝利


第69代 ダスティ・ローデス 

86年7月26日 ノースカロライナ州グリーンズボロ 

※フレアーより奪取


第70代 リック・フレアー

86年8月9日 ミズーリ州セントルイス 

※ローデスより奪取 


セントルイスでの防衛戦でフレアーに敗れたローデスは、これが最後のNWA王者姿となった


と、うーん、なるほど・・・ガンガンやり合い、白熱した戦いを繰り広げたのがよくわかります。加えて、画像を見るたびに、こういった試合を楽しみに会場に集まったファンの気持ち、ですねぇ~。今日はおれの街にローデスが出るんだぜ!!今日はレイスとフレアーがやるの観に行くんだ!!そうやって何日も前から楽しみにしていたワクワク感、そういうものが今、この30年以上も前の画像を見ていても伝わってきます。


NWA戦はもちろん、レイス、ローデス、フレアーだけではありませんでした。この他にも様々なレスラーと世界のいたるところで対決がありました。その勝負の数だけ、こういった楽しみがあったのです。そしてレスラー本人も、楽しかったにちがいありません。


NWAはWWFの全米侵攻のあおりを受け、88年11月にWCWに買収され名前こそあったものの事実上、同年崩壊してしまいます。81年から87年までのNWA最後の6年で夢をくれたレイス、ローデス。NWAはなくなってしまったけど・・・


当時を戦ったレスラーの、その息子たちがリングに上がることで、ボクらはこうして歴史を語ることができます。そして・・・そんな歴史のことなんて知らない、二世レスラーなんて意識もない。純粋に現在のプロレスラーの試合を見て、そのファイトに惹かれ熱狂し応援する世代のファンもいます。


時代も変わり、プロレスも変わりました。でも、今も昔も人間が住んでいるのは同じ空の下、世界中が繋がった空の下です。だから、レスラーを介して世代を超え、プロレスに向けられている思考があることって・・・こんな素晴らしいことはないですね。そんなことを考えると、これもまた楽しく、うれしい気分になります。



さて、今年も残りわずか・・・本ブログもこれで本年最後の更新となります。


今年も1年間、読んでくれてありがとうございました。




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