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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その3 やって来た大悪党~

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名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その2 東郷の"力"~ 


より続きです。


探偵「さて、前回は遠征組と東郷ブラザースを通して見た東郷の“力”を推理しながらお話したわけですが・・・そんな東郷ブラザーズも4ヵ月ほどのサーキットを終え大山総裁と遠藤が帰国すると、東郷は54年から、今度はハロルド坂田をトシ東郷とし再び東郷ブラザーズを結成、活動します」



ハロルド坂田との東郷ブラザーズ


先輩「着物に下駄・・・日本色を出していると思いきや、この画像は意外にも着物が中国風なんだね。手を組んだ形も中国っぽい。しかしよく見るとチャイナ服ともちょっとちがうなぁ?」


探偵「そうですね。普通このようなチャイナ服は上着は短めで腰までか、または足の方までまっすぐ長くなっているワンピース状かのどちらかですよ。で、下はどちらを着たにしろズボンですよね」


先輩「だよね。昔よく見たゼンジー北京が着てたのと似てるようでちがうもんなぁ」


探偵「ゼンジー!?なんですかそれは!?プロレスラーですか?」


先輩「いやなんでもないです・・・」


探偵「そうですか。えっと話を戻して、でもこれは上着こそ中国風で一見下まで一体のワンピース状に見えますが、下はまっすぐでなくフワッとしています」


先輩「冷静に見るとチャイナ服にはないデザインだなぁ」


探偵「ネットで検索するとこれと同じ場所と思われるところで撮影された画像で、上半身だけ脱いでるのが見られるんで、これはツーピースなんではないでしょうかね?」



袴スタイルの東郷ブラザーズ

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)



掲載されている雑誌“月刊ファイト”このファイトはあのファイトとは別物なんだろうか!?

(Yahoo!ブログ錆道楽(再生趣味人)より“飽きもせず骨董市へgo”より)


※2点の画像は管理人様より許可を得、お借りしました。錆道楽様、温かいご対応、心より感謝いたします。ありがとうございました。


先輩「ソースは1955年の雑誌か・・・月刊ファイト。こんなプロレス誌があったなんてまったく知らなかったなぁ」


探偵「あったのもすごいんですが、残ってたのもすごいですよね。で、見てもらうと・・・中国風ですが下は袴(はかま)になっているのがわかりますね。中国人が袴って、ちょっとないですよね」


先輩「うーん、でも撮影場所は確かに同じのようなんだけど、見比べると似てはいるが袴の柄のパターンがちがうような気もするが・・・わからないなぁ。とりあえず言えることは、日本とか中国とかではなく、いわゆる東洋色を強調した仕様を使っていたということなんだろうね。東郷ブラザーズのオリジナル・コスチュームということかな」


探偵「そうかもしれないんですが・・・実のところこの仕様は、この写真の他には出てきません。というか、東郷ブラザーズって調べたとき、はっきりとこのタッグチームとして写ってる写真がこれしか出てこないんですよ」


先輩「そうかぁ・・・この写真もプロレス会場だったりリング上だったりしなくて、スタジオ撮影だからプロモとかの撮影用なのかもしれないしなぁ。真実はわからないか・・・」


探偵「実際の試合、ふたりがどんなコスチュームで出てきて、どんなパフォーマンスをしていたのかはわからないですね。コスチュームは仕様が何種類かあって変えていたのかもしれないですしね。すごく興味があります」


先輩「そうだね、見たかったなぁ。しかし不思議だね。力道山をプロレスへと導いたハロルド坂田と東郷のタッグとは、これもまた運命的だなぁ」


探偵「そうですねぇ・・・」


先輩「この坂田との東郷ブラザーズ時代の資料はあるのかな?」


探偵「鮮明な詳細は残念ながらほとんど出てこなかったですが、タイトル遍歴ではわかることもありました。まず54年から60年にカナダのトロントでフランク・タニーがプロモーターをしていたメープル・リーフ・レスリングというところでNWAカナディアン・オープン・タッグというタイトルを、あのホイッパー・ビリー・ワトソンと争っていたという情報ですね」


先輩「ホイッパー・ビリー・ワトソンと抗争か、すごいね」


探偵「そうですね。東郷ブラザーズは54年の7月にカナダのトロントでホイッパー・ビリー・ワトソン、テキサス・マッケンジー組から同タイトルを一度奪取しています。おそらく二代目東郷ブラザーズを結成してすぐくらいではないでしょうかね」



タッグマッチでワトソンのパートナーのテキサス・マッケンジー(中央)を血だるまにする東郷(右側)ワトソンが救出に入る


探偵「そして翌55年6月にNWA世界タッグ王座を奪取しているようです。これはロサンゼルス版のNWAタッグ王座らしいのですが、これに関しては試合の様子やタッグチャンピオンであることがわかるもの、そういったものが写っている写真は出てきませんでした」


先輩「だが・・・先程も出た上半身脱いでる画像ソースの月刊ファイトだが、これには


"日系トーゴー組 遂にタッグ世界選手権を奪う"


という表記がある」



若干読みずらいが、間違いない


探偵「名前はよく見るとグリート・トーゴーになっていますね」


先輩「ああ、これはミスだろうけど味わいあっていいね。で、この上半身脱いでるのが掲載されている先ほど出た画像の月刊ファイトは55年7月号とある。タイトル奪取は6月だが、月刊誌はだいたい1ヵ月ラグがあるから、表記時期から逆算するとこの世界タッグ選手権というのはNWA世界タッグ王座ロサンゼルス版のことを言ってるんじゃないのかな?」


探偵「とすると、これはその王座奪取記念的な写真!?」


先輩「いやぁ・・・わからないが・・・でも、近いかもしれないよ」


探偵「詳細も、タイトル奪取時の場所も対戦相手もタイトル保持期間もわかりませんけど・・・ただ記録としては、このタイトルを日系人が獲ったのは初めてだったということですので、その夢は信じたいですね」


先輩「うん。しかしだいたいこの時代にタッグチームでスタジオ撮影するとか発想が斬新だよね。東郷ならやったかもしれないよ。まあシャープ兄弟のNWA世界タッグはサンフランシスコ版だったりと、この頃は地区でいろんな認定タイトルあったから、ただでさえわからないこと多いしなぁ。さらに東郷にピンポイントとなるとわからないのが本音だね」


探偵「そうですね。で、最後に56年4月です。この年はハワイにてNWAハワイ・タッグというタイトルを奪取しています。対戦相手はジェームス・ブレアース、これはロード・ブレアースのようですね。そしてジン・キニスキーとあります」


先輩「元PWF会長のロード・ブレアースとキニスキー、すごいコンビだ。キニスキーはまだデビューしてそんなには経ってない頃だね」


探偵「そうですね」


先輩「さて、ざっと見てみると、試合よりは演武やデモンストレーションが先行していた大山総裁にプロレスではキャリアが浅かった遠藤とのチームだった初代東郷ブラザーズに比べると、プロレスキャリアのある試合巧者の坂田とのこのタッグは完全にプロレス主体だったのが感じ取れるね」


探偵「そうですね。初代東郷ブラザーズも各地を転戦しましたが、二代目東郷ブラザーズは本土以外も転戦しています。それにタイトル戦線に食い込んできていますから、プロレス主体ですね」


先輩「東郷の歴史を調べたとき、プロレスラーとしての活躍が一番わかるのがこの時代かもしれないね。しかし、この頃の東郷は、先に上げた東郷ブラザーズの画像の他というと・・・リング上で東郷と坂田が一緒に写っているところのなんかは見たことがないね。やはりないのかな」


探偵「そうですねぇ~。映像や写真は50年代半ばであれはもう浸透していましたから撮れないことはないですからね。当時悪役人気が高かった東郷ブラザーズを撮ってないってことはないでしょうから、やっぱり残ってないだけなんじゃないですかねぇ」


先輩「う~ん、残ってないかぁなぁ~。そういえばこの頃は東郷、シングルはどうだったのかな?」


探偵「これはわかりません。ただ東郷は50年代終わりくらいからは実業家としての仕事がかなり好調だったようで、その頃になるとあまりリングに上がっていなかったようなんですよ。先程話に出た自動車販売業の他、不動産にマンション経営、レストランなど・・・かなり幅広く展開していたようです」


先輩「血はリングに咲く花・・・マットの上には札束やダイヤがゴロゴロと転がっている。東郷に触れたとき必ず出会う言葉だが、移民の農家の子からプロレスへ、そして富を手に入れた。東郷はアメリカンドリームのパイオニアと言えるかもしれないな。しかし、もはやリングに上がらなくてもすむようになってしまいプロレスから離れ気味になってしまったわけか」


探偵「はい。しかし、そんな中にあっても東郷の運命を導く“力”は威を発揮します。東郷がハロルド坂田と東郷ブラザーズを結成した54年、その年に日本では2月19日に日本初となるプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsシャープ兄弟の世界タッグ選手権者が行なわれました。日本のプロレスの夜明けとなった試合ですね」


先輩「そう、ここから始まったんだよね。この日は日本テレビとNHKが同時中継し、日本中がプロレスに熱狂したんだよ。新橋駅西口広場に設けられた街頭テレビには2万人もの人々が詰めかけたそうだよ」



街頭テレビに群がる人々


探偵「そうですね。こうしてブームが爆発し、日本プロレスは大変な盛況を見せます。力道山は同年12月には昭和の巌流島といわれ今なお語り継がれる木村政彦との日本ヘビー級選手権を、翌年55年11月にはアジア選手権としてトーナメントを開催しキングコングを倒し初代王者となります。そして1957年、ついにNWA世界ヘビー級チャンピオンだったルー・テーズを招聘。自身初となる世界タイトル挑戦を東京、大阪で行ったんですね」


先輩「しかし日本プロレス創設から4年、この力道山のNWA戦前後くらいから、その後ブームも沈静しはじめ・・・日本のプロレス人気は下降線に入ってしまうと」


探偵「そうなんですね。58年にはロサンゼルスでテーズを破りインターナショナル王者となります。力道山はこのタイトルを看板としていきますが、人気低迷からの客の不入りは深刻であったようです」


先輩「テレビ視聴率は好調だったけど、観客動員数が下降気味だったそうだよね」


探偵「そうなんですね。このため、プロレス人気回復のために力道山はインターナショナル王者の他、世の中があっと驚く爆発力を持ったモノを放ちたかった。そこで力道山が思いついたのが世界各国のレスラーを一堂に集め総当たり戦をやるというあれです」


先輩「ワールド大リーグ戦だね」


探偵「そうなんです。ワールド大リーグ戦です。世界中のプロレスを見渡しても前例のないこの思想を実現することはただならないことでした。まずアメリカだけでなく世界各国のレスラーを参加させようという点が難しいところでした。それに単なる各国のレスラーではなくチャンピオンクラスのレスラー、という点。そして人数をどう確保するか?という点でした。そういった難しい点に加え、はたしてこのリーグ戦を行ったとしてプロレス人気回復となるかどうか・・・力道山にとってはまさに大きな賭けだったわけです


先輩「確かに、今でこそプロレス団体がリーグ戦をやるのは珍しくないけど、この時代、まったくそういう考えが無の時代にやってみようというんだから、まさしく一か八かだよね」


探偵「はい。こうして力道山はワールド大リーグ戦開催に向け走りますが、この条件のレスラーを力道山ひとりで発掘、交渉、招聘はとんでもなく大変な作業です。そこで力道山は海外のプロモーターなどに開催のための協力を求めます。が、そんな中でも切り札だったのは海外で誰より顔の利くグレート東郷でした」


先輩「力道山は東郷に会う前にブラジル遠征をしているんだけど、ここで行った17戦のすべてのファイトマネーを東郷に差し出し、協力をお願いしたという話がある。しかし・・・いくらお金を積まれてもアメリカ出身だけでなく、各国出身という条件。普通に考えればそれだけで難しい。けど東郷はアメリカでファイトしているレスラーの中でも出身地がちがうレスラーや出身地に見合ったイメージのレスラーをその国の代表として、うまくブッキングしたんだね」


探偵「そうですね。東郷は力道山の話を聞きレスラーを揃え来日準備を整えました。59年、まさに各国がそろった第1回のそのメンバーは・・・アメリカ代表ダニー・プレッチェス。ラテンアメリカ代表エンリキ・トーレス。メキシコ代表ジェス・オルテガ。インド代表ターロック・シン。ドイツ代表ミスター・アトミック。ハンガリー代表キング・コング。そしてイギリス代表ロード・ブレアースという豪華なメンツです」



空港で参加選手を出迎える力道山。バラエティー豊かな面々がそろった



第1回ワールド大リーグ戦のポスター。三菱テレビに歴史を感じる




開会式。遠藤の向かって左側がロード・ブレアース。ロードはイギリスで“卿”を意味するそうだ


先輩「東郷とハワイ・タッグをやりあった元PWF会長のロード・ブレアース会長も出場していたんだ。で、ここに力道山、豊登、遠藤幸吉が加わるわけだね」


探偵「そうです。オルテガ、キングコングのような超巨漢レスラーからコブラツイストを日本で初めて披露したトーレスに、ブレアーズのようなテクニシャン。インドの神秘的な魅力を持ったシンと、それぞれ個性のそろった強豪が集まったわけですが、中でもこのシリーズで最もリーグ戦の人気向上になったのがミスター・アトミックでした」


先輩「日本に最初に現れたマスクマンはラウル・ロメロだけど、初めてプロレスのシリーズに本格参戦しテレビを通じて全国民に映し出されたマスクマンはこのアトミックだったんだよね」



日本におけるマスクマンのパイオニアだったミスター・アトミック。今でいうライガーほどの知名度だった


探偵「そうなんです。当時放送されていた月光仮面が人気だったこともあり、このシリーズ、初めて見る赤いマスクを被った正体不明のレスラーの人気は大爆発。こうしてリーグ戦を行いながら日本を巡業したワールド大リーグ戦は大成功をおさめ、日本プロレスの人気も回復。起死回生の一撃となったというわけです」


先輩「各国の並み居る強豪の中に、当時は未知の存在だった正体が謎の覆面レスラーを入れたのは大きかったね」


探偵「そうですね。謎や不明という点に人間が興味を持たずにはいられないという心理を見事突いていましたね」


先輩「しかも本来マスクド・プリチュアという名前だったのをインパクトを持たせるためにアトミックに変更させたんだよね。力道山のアイデアと東郷の"力"が見事にマッチした結果の大成功だったと思うなぁ。しかし・・・このときは東郷はブッキングのみで日本には来ていないの?」


探偵「そうなんです。先に触れましが、おそらくこの頃は東郷はもうプロレスからはリタイヤ状態ではなかったのかなと・・・なのでワールド大リーグ戦には来ていません。しかしワールド大リーグ戦から4ヶ月後の1959年9月4日から翌年60年の1月30日まで開催されたプロレス秋の国際試合というシリーズで9月18日から12月10日までレスラーとして特別参加で初来日を果たします」



プロレス秋の国際試合で初来日したグレート東郷


先輩「そうかぁ・・・48歳にして初めて日本の土を踏んだわけか・・・」


探偵「そうですね。大悪党がついにやって来たわけです」


先輩「花柄の着物に下駄・・・これは東郷ブラザーズ仕様とちがい、完全に日系の大悪党だね。幻のレスラーがついにベールを脱いだって感じで、いいね」


探偵「そうですね。で、通年、力道山とはパートナー的存在であった東郷ですが、このときは外国人レスラーとしての扱いだったようで・・・タッグにて力道山との対決が何度か行われていたようなんです」


先輩「意外だ。てっきり日本側なのかと思ってたが最初は外国人レスラー扱いだったのか。ということはこのときは海外でのファイトスタイルをそのまま行ったってことかな?」


探偵「そのようです。力道山と東郷の初対決は10月6日、東京の台東体育館でタッグマッチで実現しています。力道山は遠藤幸吉と組みグレート東郷、マイク・パドーシスという外国人選手と試合しているんですが、東郷は反則を駆使し、かなりの悪党ぶりを発揮したらしいです。結果は1-1の引き分けだったようです」


先輩「大悪党直輸入にして、かつての東郷ブラザーズ対決に力道山が絡んでいるとは、なんともすごい」


探偵「しかし、さらに驚くことに力道山と東郷、このシリーズにシングルを一度やっています。10月30日、東京・浪花町(現在は日本橋・人形町)のプロレス・センターで行われ、何十分勝負かは不明なんですが、結果は時間切れ引き分けとなっています。この試合はテレビもあったようですね。力道山相手に度胸満点の戦いをやってのけた。とありますが、残念ながら試合の写真は出てきませんでした」


先輩「このマイク・パドーシスというレスラーも10月6日までの特別参加で、東郷とパドーシスが帰国後は入れ替わりでジム・ライトが参戦している。このあたりを見るとシリーズ序盤戦から力道山とタッグで絡み、最終でテレビありのシングルってことは東郷はシリーズ前半戦のエース外国人扱いだったということだよね」


探偵「そうですね。で、これはボクの想像なんですが・・・東郷はこの頃にはプロレスから離れてしまっていたので、プロレスラーはこの来日から日本限定でだったんじゃないかな?なんて思うんですよ。ブッキングはもちろん、力道山はワールド大リーグ戦以降からは試合に関する相談もしていたそうで、マッチメイクなども任せていたところがあるようです」


先輩「そういうポジションだと、この方が都合がよかったのかもしれない。だからプロレスラーとして復帰して、その一発目が東郷をエースとして迎えたこのシリーズだったという・・・わかる気がするなぁ。しかし、すごいよ・・・そういう事情の想像もおもしろいけど、おれは真っ正直から見て、力道山vsグレート東郷。これはすごい対決、試合だったと思うんだ」


探偵「海外武者修行時代から縁があった力道山ですが、ウソつきで金にシビアな東郷を始めは好きではなかったようなんです。しかしワールド大リーグ戦からは信頼、信用が高まった。付き合いの中ではブッキング料で揉めたり大声出しての言い合いも多々あったようでしたが、ケンカしながらもいつも一緒にいたふたりは夫婦みたいな関係だったのでしょう。そんなふたりの対決ですもんね」


先輩「そう、こう、なんてのかな・・・やっぱり繋がる運命にあるというかね。でもおれが言いたいのはその他にもあるんだよ」


探偵「なんですか?」


先輩「グレート東郷はアメリカで大悪党だったわけだよね」


探偵「そうですね」


先輩「グレート東郷は大平洋戦争という歴史から人々の憎悪をプロレスで表した。大平洋戦争の憎き敵国の人間が卑怯な戦い方をし、これでもかというほどの憎しみを買う。それこそ一般人に刺されるほどのね。だからそれをやっつけるアメリカのレスラーには歓喜が上がったんだ。一方、力道山はどうだった?」


探偵「力道山は日本のヒーローで・・・あ!!」


先輩「そう。力道山は戦争で敗戦した余韻がまだある日本で、大平洋戦争の憎き敵国の、自分よりも大きくて力が強かった人間相手に攻撃されながらも耐え抜き、最後に空手チョップで倒したんだよ。戦争では負けたけど、日本の力道山はその戦争で勝った国の人をやっつけたんだ。その姿に歓喜が上がったんだよ。どう思う?」


探偵「同じです・・・戦争で引きずっていた人々の気持ちを歓声にに変えていたんだ・・・正統派と大悪党のタイプのちがうプロレスだったのに、東郷と力道山は同じプロレスをしていたのか・・・」


先輩「そうなんだよ。生まれた場所も生まれ育った環境もちがう。そんなふたりが出会って、同じプロレスをやって、同じ場所でプロレスを作ったんだ。そんなふたりの対決だったんだ」


探偵「試合で東郷は、相手を力道山にしていたんだ。そして力道山は相手を東郷にしていたのか・・・相手が光って自分が光る、自分が光って相手が光る、という・・・そんなふたりの対決、どんな戦いだったのかなぁ」


先輩「見てみたかったなぁ」



会場となった浪花町プロレス・センター屋上で余裕の笑みを見せる東郷。力道山相手にどんな試合を見せたのか?今はもうわからない・・・


その4に続きます。


※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。




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