その6に続きます。 ※今回はシリーズ全9回になります。コメント欄は最終回で開きます。よろしくお願いします。
探偵「前回もそうでしたが、このときも東郷はリングシューズなんですね。豊登が裸足で東郷がリングシューズというのはなんか不思議に見えます」
先輩「ラジオ!?じゃあやっぱりマンボは踊らなかったのか!?」
より続きです。
先輩「さて、豪華メンバーが来襲し、これまでにない世間の注目を集めた第4回のワールド大リーグ戦が終わると、東郷が関わった最後のワールド大リーグ戦は翌年63年の第5回のとなるね」
探偵「力道山最後のワールド大リーグ戦でもありますね」
先輩「そうだね。メンバーはボブ・エリス、キラーX、サンダー・ザボー、フレッド・アトキンス、ヘイスタック・カルホーン、パット・オコーナー、キラー・コワルスキー。日本からは遠藤幸吉、豊登、吉村道明、、大木金太郎、マンモス鈴木、猪木完至、ジャイアント馬場。力道山はこの回はシードということで決勝のみ。東郷はシリーズ参戦したがリーグ戦には出場はしなかったようだ」
探偵「元祖フロントネック・チャンスリードロップのザボーに馬場さんの海外の師である頑固オヤジのアトキンスに体重273キロの人間空母カルホーンに元NWA世界王者の魔術師オコーナーに墓場の使者コワルスキー。これまた豪華なメンバーですね!!そしてこの回から馬場さんも参加しているんですね」
先輩「そう。海外武者修行から一時凱旋の馬場さんが参加し、力道山と決勝を争ったキラー・コワルスキーと対戦して45分フルタイム引き分けをやって力道山から絶賛されて次期エースが確定したような感じだったね」
探偵「しかし、東郷はリーグ戦には出ていないと・・・」
先輩「そうだね。前年のショック死事件が影響したのかどうかはわからないが、おそらくマッチメイクやマネージメントにウェイトを置いたのかもしれないね。でもタッグなどには出て、相変わらず盛り上げていたようだよ」
先輩「これも謎だよなぁ・・・初来日が下駄だったのは確実なんだけど、日本側として参戦してからは下駄をやめたのかな?」
探偵「あるかもしれないですね。東郷の代名詞の下駄による攻撃を封印して日本側をアピールしたとか。でも、バケツやイスでの攻撃はしていたから別の理由なんでしょうかね?」
先輩「どうなんだろうね?ここも永遠の謎だなぁ。さて、第5回ワールド大リーグ戦は力道山の5連覇で幕を閉じたわけだけど、結局これが力道山、東郷の手掛けた最後のワールド大リーグ戦となってしまったんだね」
探偵「そうなんです。力道山は、この年だったんです・・・ここからはボクがやります」
先輩「よろしく」
先輩「この第5回ワールド大リーグ戦が終わった翌月、63年5月にWWA世界選手権シリーズというのが行われます、このシリーズに東郷は第5回ワールド大リーグ戦から残留。引き続き参戦しました。ただ、このときはシリーズ自体で試合が4戦しか行われなかったため東郷が試合に出たかどうか詳細は不明です」
先輩「このときの東郷の詳細はわからないが・・・このシリーズに力道山時代最後の大物が来たんだよね」
探偵「そうなんです。このシリーズでザ・デストロイヤーが初来日しているんです。おそらく・・・ブラッシーもデストロイヤーもこの当時はWWAのロスマットですから、ブッキングした絡みで東郷はそのまま残留したのかもしれませんね」
先輩「おそらくそうだろうね。こうしてデストロイヤーが来日し、そしてこのシリーズで、あの名勝負が行われたんだね」
探偵「そうです。そしてその後、同年11月から行われたインター選手権シリーズで、東郷は5月に初来日し力道山と激闘を展開したデストロイヤーと共に6度目の来日をします」
先輩「デストロイヤーはこのシリーズの目玉だったんだね」
探偵「はい。力道山とデストロイヤーは12月2日の東京体育館、12月4日の大阪府立体育館とインターナショナル・ヘビー級選手権をかけ2連戦を行いました。5月に激闘を繰り広げ日本に強烈なインパクトを残した新たな敵デストロイヤー。必殺・足4の字固めを巡る攻防で日本中が熱狂したんですね」
先輩「このタイトル戦で東郷は力道山のセコンドにぴったりとついているね。映像でもはっきり確認できる。おれが動いている東郷を始めてハッキリと見たのがこの12月2日の試合のだったよ。小学校の頃に日本テレビでやった特番の新・力道山奮戦録って番組でこのデストロイヤー戦を見たんだよなぁ。83年だな」
探偵「そんな番組があったんですか」
先輩「うん。試合の他、沖識名や力道山世代の芸能人へのインタビューなんてのもあってね。特に沖識名はこのテレビが放送される直前の12月15日(放送日は83年12月22日)に亡くなってしまい、それがインタビューシーンのとき字幕で出てね・・・胸に来るものがあったよ。沖識名が、このインタビューが最後の姿になってしまったのももちろんなんだけど、沖識名が亡くなった12月15日は力道山の命日でもあったからね」
探偵「そうなんですか・・・」
先輩「うん。あと誰もいない会場のリングの上からデストロイヤーが力道山に語りかけるのシーンなんかもあって・・・なかなか濃い内容だったんだ。もし東郷があのとき生きていたら、東郷もインタビューされていたんだろうなぁ」
探偵「もし東郷が生きていたらインタビューされて、どんなことを語ったのかすごく興味がありますよ。東郷自身の謎も今より判明していたかもしれないですしね。しかし、力道山世代も少なくなってしまったせいか、そういうテレビは当時は珍しかったと」
先輩「そうだなぁ。その頃には力道山のプロレス関係のってテレビで取り上げられるの、なかったよね。このとき、83年は力道山没後20年という節目でもあったし、力道山世代が日本の社会の中心になった頃だったから、そういうのやったんだろうなぁ。他にも映画のザ・力道山なんてのも制作されてね」
探偵「映画ですか」
先輩「うん。そっちはテレビ放送は公開より3年くらいあとの、おれが中学生のときだったな。映画は力道山の試合の映像で構成されてて、その映像を見ながら村松友視がいろいろ話していく作りなんだけど、この村松友視の話が中学生の自分にはまったくおもしろくなくてね。試合だけ見せてーって感じだったな。って話がだいぶ反れちゃったな」
探偵「いえいえ、勉強になりますよ。さて、話を戻して・・・こうしてデストロイヤーとの2連戦が終わったあと、シリーズでは最終戦が行われます」
先輩「あれ?12月4日の大阪府立がシリーズ最後の試合じゃなかったの?」
探偵「デストロイヤーは力道山最後の相手として名が上がることが多かったので、この大阪でのシングルが最後の試合と思ってる方も多いと思います。が、実はちがうんですよ」
先輩「じゃあ最後の試合は!?」
探偵「このシリーズは11月26日から12月7日までのシリーズだったんです。なので12月7日に行われた浜松市厚生年金体育館での試合が最終戦になります。最終戦のカードは力道山、吉村道明、グレート東郷vsザ・デストロイヤー、バディ・オースティン、イリオ・デ・パウロの6人タッグでした」
先輩「7日!?力道山が刺されたのは8日だよね?最終戦は事件の前日だったのか・・・」
探偵「そうなんです。力道山が刺される前の日に東郷はタッグを組んでいるんです」
先輩「力道山の最後のシリーズにいて、生涯最後の試合の日にはタッグを組んでいたのか・・・」
探偵「力道山と東郷の運命を感じずにいられないですよね・・・」
先輩「あ、でも・・・子供の頃に読んだ漫画のプロレス・スーパースター列伝の、なつかしのBI砲!G馬場とA猪木編では東郷は力道山が刺された日、つまり12月8日に赤坂のニュー・ラテン・クォーターに同席していたようになっていたけど、実際はどうだったのかな?」
探偵「ボクはその漫画はわからないですが、足どりを辿ってみると力道山は浜松大会が終わったのち、当日は日本プロレスの納会があったので・・・7日の夜は東郷と一緒だったと思います」
先輩「納会かぁ。年末のシリーズ最終戦のあとだったもんね。一年を締めくくった飲み会だね」
探偵「はい。で、翌日8日は、力道山は朝からアメリカの知人を自宅に招いており、早くから酒を飲んでいたそうです。このアメリカからの知人が誰だったかは不明です。おそらく東郷ではないと思いますが」
先輩「アメリカからの知人?これはわからないね。しかし、力道山が遠征していた頃は東郷は自分の家によく泊めていたそうだから・・・逆に東郷が日本に来ていたときは力道山が東郷を自分の家に泊めていたという可能性はどうだろう?で、このアメリカ人が東郷の知り合いだったとかは」
探偵「このときはホテルだったようです。アメリカからの知人は東郷と共通の知り合いだったのか、その辺はわからないですね」
先輩「そっか・・・それにしても、この頃の力道山は酒の量が増えていったとは聞いていたが、前日は夜に、次の日は朝からとは・・・」
探偵「でも、さらにこのあとも飲んでいます。同日、夕方からは相撲協会の高砂親方、元・横綱の前田山ら相撲関係者と面会しています」
先輩「このあたりはスーパースター列伝と一緒だ。とすると、夕方にテレビ収録があって得意のマンボを踊ってますますご機嫌になったあと相撲のアメリカ巡業の話をするため東京・赤坂のニュー・ラテン・クォーターに行ったんだね」
ニュー・ラテン・クォーターは63年4月にはあのルイ・アームストロングも来日しライブをしたという高級ナイトクラブだった。場所は82年2月に大火災となり世間の注目を集めたホテル・ニュージャパンの地下だったというから驚きだ
探偵「マンボでご機嫌!?よくわかりませんが、親方らと実際に行ったのは赤坂のニュー・ラテン・クォーターではなく東京・赤坂の料亭、千代新のようですね」
先輩「千代新!?」
探偵「話の流れは、面会は、これは相撲協会からの申し出で・・・海外に顔の利く力道山に大相撲のアメリカ・ロサンゼルスでの巡業開催についての相談を求めるものだったようです。で、その話し合いの場に千代新を使ったんでしょうね。力道山は相撲界から去った身でしたが、その相撲界が自分を頼りに来てくれたのがうれしかったそうです」
先輩「千代新は自民党の大物政治家もよく利用していた高級料亭だったようだから、力道山の気持ちがわかるね。で、なるほど。大相撲がロサンゼルスで巡業をやるという内容で力道山に協力を求めるならロサンゼルスで“力”のあった東郷に話さないはずはないよね。この場に東郷が同席していた可能性は高いね」
探偵「はい。まさしくそのとおりで、実際に東郷はこの場にはいたようです。海外、特にロサンゼルスなら東郷を通しておけば巡業もスムーズに行って、間違いなかったでしょうからね」
先輩「で、ここでそういった話をして、そのあとテレビ収録でマンボを踊り、打ち上げ的に赤坂のニュー・ラテン・クォーターに行ったのか」
探偵「いえ、料亭の千代新からニュー・ラテン・クォーターに行く間に、力道山はテレビではなくTBSラジオの番組にゲストとして出演す・・・」
探偵「先程からやけにマンボが出ますが、なんの話なんですか?」
先輩「いや・・・ごめん、なんでもないんだ(踊らなかったのか・・・)」
探偵「そうなんですか・・・まあ、話を戻して、じゃあ・・・そうです。TBSのラジオにゲストとして出演する予定だったのですが、ですがですよ。驚くべきことに力道山、酒酔いが凄すぎて出演できなかったということらしいんですよ」
先輩「酔いが原因で予定をキャンセル!?力道山の酒は本当に深刻だったんだなぁ。でも、ということは力道山は親方や東郷と別れず、その後そのままニュー・ラテン・クォーターに行った、ということなのかな・・・」
探偵「この日の刺殺事件のことを扱った記事をみると、事件の翌日の9日の毎日新聞をはじめ、取り扱った記事中では力道山は“取り巻きを連れて”と書いてあるのが目につきます。知名度が高かった元横綱の高砂親方やグレート東郷が同席していたなら、取り巻きなんて表記しないですよね」
先輩「そうだよね。ということは東郷は、一緒にいたのは料亭の千代新までということになるか・・・」
探偵「そうですね。一緒にいたのは千代新まででしょうね。ということで流れを見てみると・・・」
先輩「おれは、もしもなんとかだったら・・・って話は好きじゃないんだけどね、もし東郷がニュー・ラテン・クォーターに一緒にいたらって・・・ちょっと思うんだよなぁ」
探偵「そうですね。刺されなかったかもしれません。刺されてしまったとしても、病院行かないで帰ってしまうなんてしなかったでしょうね。いくら力道山でも東郷から、リキさん!!すぐ一緒に病院行こう!!と言われれば・・・力道山も東郷の言うことなら聞いたはずですもんね」
先輩「思うよ・・・でもやっぱり運命だったんだろうなぁ。変えられない運命・・・」
探偵「そうですね。そうだったのかもしれませんね・・・そして、その後です。事件を知った東郷は、本来なら翌日帰国するはずでしたが予定を変更して日本に残り、力道山が入院していた山王病院に何度も顔を出していたそうです」
先輩「人生で普通の人が想像できないような修羅場を潜り抜けてきたさすがの東郷も、これには驚いただろうね・・・心配していたのがよくわかる」
探偵「そうですね。しかし東郷の心配も虚しく、事件から1週間後の12月15日、力道山が死去してしまい・・・事態が急変してしまいます」
先輩「「63年の最後のシリーズに参加して、最終戦でタッグを組んで、一緒に飲んで・・・その後、わずか1週間で亡くなってしまった。夫婦のようだった東郷にとって力道山の死は青天の霹靂だっただろうが、この力道山の死を境に東郷の身にもいろいろなことが起きはじめるんだね」
探偵「その後に起こる出来事。まさしく力道山と会ったときから始まっていた変えられない運命なのかもしれません」