どうも!!流星仮面二世です!!
日々生きていると、人間は過去の事は忘れていってしまうものです。しかし、あることをキッカケに意外な記憶が甦る、そんなことがあります。まさに開かなくなったタンスの引き出しが、何かをキッカケに開くんです。今回はその3回目、最終回です。
そうそれはここにコメントくださるヨンペイさんのブログ(今夜)からでした。
画像に内容、それを読んでいるとボクの脳裏に、完全に忘れていたひとつの思い出が甦ってきたんです。
あれは小学5年生になったときでした。新任の先生が担任となりました。名前をW先生といい、大学を出て先生になり来た学校はボクのところでふたつめという、若手時代の前田日明によく似ていた24歳の若い先生でした。
以前は中学校で体育を担当していたという先生は、大学時代は陸上部で活躍。あの瀬古利彦とも競ったことがあるというアスリートでした。しかし陸上だけでなく、スポーツは球技から水泳までとにかく何をやっても万能です。それは、これまで体育の授業で先生がやってきたものとは完全にちがう・・・そう、それまでの小学校での体育の授業は、どちらかというと運動経験のない学業専攻な先生が、担任だから体育もやっていたような感じのとこがあり、よくて運動ができる男の先生でした。しかしW先生は、小さな動作から完全に動きがちがうのが小学生時分でもわかるほどのスゴさでした。それもそのはず。先生は、ボクものちにイヤというほど合宿で行かされシゴかれた日本体育大学出身だったのです。
先生は普段は優しいのですが、とにかく生活においてきちっとしていないとまさに咆哮のような声をあげ、厳しく指導しました。体育では、走る、歩く、気をつけ、やすめの足並みが揃わないと何度もやらされ、それこそ通常の授業に行き着かず、それのみで終わってしまうなんてこともありました。陸上の他、柔道、剣道、空手とそれぞれ有段者でもあった先生。そんなパワフルな勢いでされる突きみたいなゲンコツは、それは効いたものでした。
ボクは幼稚園児の頃から、必ず一度は受け持った先生とプロレスの話をしました。やはり大人とプロレス話をしたいというのが子供心にあったのでしょう。幼稚園から小学校1、2、3、4年生とそんな感じでした。
で、この5年生です。
これまでの先生方は普通に大学を出て教員になった方ばかりでした。なのでプロレスの話は、子供の頃にテレビがある家にみんなで行き、そこで観た力道山のプロレスの思い出という、他の大人たちと同じ流れの話がほとんどでした。みんなで力道山のカラテチョップに歓喜した話、顔を手で隠しながらブラッシーの噛みつきを見た話。しかし中には、そんな素敵な思い出とは真逆に、大人にして子供相手に容赦なく八百長論をぶつけてくる人もいました。
W先生は陸上で、勝負の世界で生きてきた人間です。それに武道も経験しています。そんなアスリートの先生から見たプロレス感は、果たしてどんなものなのか!?もしかしたら涙ぐんでしまうほど否定されてしまうんではないか!?ボクは休憩時間に幼馴染と、先生、前田に似てますね、という話からプロレス話を迫りました。すると先生の口から出た言葉は意外なものでした。
「フフフ・・・おまえら、ルー・テーズって知ってるか?」
る、ルー・テーズ!?
もちろん知っていましたが、とにかく先生からルー・テーズという言葉が出てきたことに驚きました。そしてさらに驚くべきことに、先生は小学生時代、ルー・テーズに会った話を淡々と語りだしたのです。
「先生が行ったときルー・テーズが来てたんだよ」
そう、ちょっと前に話に出ましたが、それまでの先生たちのプロレス話はテレビで観たもの、でした。しかし先生のは実際に会場に観に行った話です。これまで大人の人ともたくさんプロレス話をしてきましたが、会場で観たという人はいませんでした。つまり、それはボクが初めて聞く生観戦の話・・・わくわくしました。しかし先生の話は観戦のではなくテーズとのエピソードでした。
「で、そこで小学生を選んで、バットでルー・テーズの体を叩くっていうのをやることになったんだ」
バットで叩く!!確かにそういうデモンストレーションが、かつてプロレスにはありました。
「そう。で、先生が選ばれたんだよ。呼ばれてな。で、体なら、どこでもかまわないから好きなとこをおもいっきり叩いていいよ、って言われたんだよ」
先生はどこやったんだろう・・・
「先生はホラ、こういう性格だから、一番痛いところ叩いてやろうって思ってよ。で、ここにしたの。ははは」
先生が指差した場所は、なんとふくらはぎでした。な、なんという発想!!天下のルー・テーズのふくらはぎをバットで叩こうなんて、先生はなんという末恐ろしい小学生だったんだ・・・
「で、昔は竹のバットってあったんだよ。木じゃなくて竹でできてるバットな。竹って丈夫だろ?体なんか叩いたら木よりはるかに痛いんだよ」
竹のバットは知らなかったが、なんか実体験がありそうな口調だなぁ~・・・
「で、先生その竹のバットでふくらはぎをおもいっきり!!叩いたんだよ。そしたら」
そしたら!?
「先生の手が、ビーン!!って!!殴った先生の手が痛くなっちゃったんだよ」
えぇ!!
先生はテーズのふくらはぎめがけてフルスイングでかましたらしいんですが、当たった瞬間こちらの手に衝撃が伝わり痺れ、痛くなってバットを手離してしまったというのです。それはまるで鉄柱を叩いたような感じだったそうです。
「でも、ルー・テーズはぜんぜん平気でニコニコしてたんだよ。痩せ我慢なんかできないよ、ここは。いくら子供の力でもなぁ、ここバットで叩かれたら痛いはずなんだけど、こっちが痛かったんだよ。あんなのはちょっとないよな」
叩いたのにこっちが痛い。しかもふくらはぎをバットで・・・レスラー、やっぱりすごい!!ルー・テーズは本当に鉄人だったんだ!!とボクの瞳は話をする前とは別の意味で涙ぐんでしまったのでした。
それにしても日体大卒の人が追懐し語るエピソードにして受けたのが20世紀最強のレスラーとは・・・大人になった今振り返ってもすごい話です。
でも、大人になった今振り返ると、ちょっと気になるところもあります。
それは、あのルー・テーズが、はたしてこんなことをするだろうか!?という点です。
先にも書きましたが、確かにかつてはこういったデモンストレーションを見せる、パフォーマンスをするレスラーがいました。しかしそれは多くが力自慢であったり肉体を誇示するタイプのレスラーがやっていたこと・・・なのでプロレス界トップ中のトップ、レスラーの見本のようなテーズがやるとは・・・結びつかないんです。テーズがこれをやる必要があったのか!?やるシチュエーションが存在したのか!?という疑問が生まれてしまうのです。
だからといって、スポーツの世界で生きてきた、ウソが大キライで真っ直ぐな性格のあの先生が、唯一話してくれたこのプロレス話が作り話というのは絶対にあり得ない。考えられません。テーズのこのエキシビションの可能性は一体いつあったのか!?事実であれば誰も知らないテーズ幻のエピソードです。これは知りたいです。
でも、あまりにも情報がない。なんにもわかりません。どうしたものか・・・というわけで想像と仮説だけで自分を納得させてみます。
まず、ボクが5年生のとき西暦は1983年。先生は24、5歳だった。ということは、先生は早生まれだったので学年では昭和33年度になるが、生まれは昭和34年、1959年生れということになり、2018年6月現在59歳ということになる。
ここから小学1年生、6歳にして計算すると先生の小学校入学が53年前、1965年4月になる。ここから66、67、68、69、70、で、71年3月で小学校卒業となる。
この65年4月から71年3月までの6年間に、ルー・テーズの来日を当てはめてみます。すると該当したのが
66年2月 日本プロレス
インター決戦シリーズ
68年1月 TBSプロレス(国際プロレス)
オープニング・ワールド・シリーズ
というふたつでした。
では、このふたつ、どういうシリーズだったのか?それぞれ見てみます。
まず、インター決戦シリーズは、2月24日から28日までの5日のみ行われたシリーズで、場所は愛知、大阪、三重、静岡、東京のみというものでした。このシリーズのテーズの試合数は5戦。最終戦の東京体育館で馬場さんとのインターナショナル選手権を控え4日間すべてが前哨戦、タッグでの馬場さんとの絡みでした。うーん、これはスケジュール的にぎっしり。いっぱいいっぱいだなぁ・・・ちょっとエキシビションの余地はなさそうな感じです。
一方、オープニング・ワールド・シリーズは1月3日から29日まで、17戦が行われました。場所は東京、福岡、長崎、鹿児島、大分、熊本、福岡、広島、愛知、宮城、東京、千葉、東京、大阪、福島、福島、栃木というものでした。
以前グレート東郷のお話ででましたが、このシリーズは国際プロレスがTBSプロレスの名で新たにスタートした、あのシリーズです。知名度のある外国人レスラーが揃い、開幕戦は華々しくテレビ中継されました。その第1戦はTWWA世界王者に認定されたルー・テーズが登場しグレート草津と対戦。バックドロップで失神に追い込み、いろんな意味で大きな話題を呼びました。
名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その7 最後の日本①~
このシリーズを当時の事情から推測すると、このシチュエーションになる、ひとつの可能性が浮上します。それは会場の"入り"です。
そう、このシリーズはスタート直後こそ勢いがあったものの、先に進むにつれ内部で問題が多発。中盤から終盤には組織内は混沌としてしまい、それが客足にも現れ始めていたのでした。
そう考えると、これは会場で、何かファンサービスをやろうとテーズが一肌脱いだもの・・・あるいはテーズが関係者に頼まれて行ったもの、だったのではないのでしょうか?
しかし会場のどこで行われたのか?リング上だったのか?もはやわかりません。あるいは会場の隅で、あるいは控え室でだったのかもしれません。もしかするとこれは大々的なものでなく、知り合いを介した人だけでやったような、こじんまりとしたもの、だったのかもしれません。
とにかく真相は完全に闇の中ですが、先生が小さい頃に体験した話を聞いたボクが、あのヨンペイさんのブログを見て思い出した、この世に現存する唯一のテーズのエピソードだったんだと、思いました。
あったことすら忘れてしまっていた出来事が、ある日突然、ほんの小さなキッカケで、あなたの脳裏から甦ることがあります。人間の脳は、小さなタイムマシーン・・・なのかもしれません。
最後まで、おつきあいいただきありがとうございました。