どうも!!流星仮面二世です!!
それではパート1 からの続き、さっそく行ってみましょう。
パート2、スタートです!!
モントリオールオリンピック(1976年)
レスリング グレコローマンスタイル 4位
モスクワオリンピック(1980年)
集団ボイコットにより辞退
1975年にNCAA(全米大学体育協会)で優勝。76年のモントリオールオリンピックではグレコローマンで出場し4位入賞。79年の世界選手権で3位、レスリングのパンアメリカン選手権(北アメリカ・中央アメリカ・南アメリカ・カリブ海地域までを対象とした大会)で2連覇を果たすなどレスリングでは強豪に位置する、まさに実力者。
プロレスラーとしては83年に全日本プロレスに来日。正直あまり目立った活躍はしませんでしたが、平成に入ってからの新日本での活躍は馴染みのところですね。レイガンズ道場の道場主として指導者としても活躍。たくさんのレスラーを輩出した立役者ですね。

バッドニュース・アレン
モントリオールオリンピック(1976年)
柔道 93キロ超級 銅
AAU(全米体協)で5度優勝、67年にはパンアメリカン選手権(北アメリカ・中央アメリカ・南アメリカ・カリブ海地域までを対象とした大会)68年にはパンアメリカン柔道選手権大会(パンアメリカン柔道連盟が主催する国際規模で行われる柔道の大会。先のパンアメリカン選手権とは別。おーパンパンとややこしい)でそれぞれ優勝。76年にモントリオールオリンピックで銅メダルを獲得という柔道での素晴らしい実績を誇ります。
日本初登場は坂口とのジャケットマッチ
自分のバックボーンを取り入れてスタイルにしているレスラーはたくさんいましたが、このアレンはバックボーンを見せない、柔道メダリストという片鱗を全く見せないタイプのレスラーでしたよね。なので我々の世代のファンだと、すでに黒い猛牛の異名でブッチャーとタッグを組みヒールとして暴れまわっていたのが印象的なので・・・子供の頃にアレンが柔道出身でメダリストって知った時は驚きましたよね。柔道のメダリストと黒い猛牛、このイメージがまったく一致しませんでしたもんねぇ・・・でも、だからこそ成功したプロレスラーだったんだと思いますね。
谷津嘉章
モントリオールオリンピック(1976年)
レスリング フリースタイル出場
モスクワオリンピック(1980年)
集団ボイコットにより辞退
大学時代に全日本学生選手権で4連覇。全日本選手権は76年から80年まで5回優勝(90キロ級1回、100キロ級3回、100キロ以上で1回)76年にモントリオールオリンピック出場し8位。86年には現役プロレスラーながらレスリングの全日本選手権に出場、フリースタイル130kg級で優勝するという快挙も達成しています。ということで全日本は6回優勝ということになりますね。
現役プロレスラーとして全日本選手権に出場し優勝した
と、レスリングでの戦績もさることながら、プロレスラーのピークはボク的にはやっぱりジャパンプロレス時代かな。全日本マットでの谷津はイキイキしていましたよね。天龍・鶴田とのインタータッグ戦、アツかったよな~。
ロサンゼルスオリンピック(1984年)
レスリング グレコローマンスタイル出場
84年にグレコローマンで全日本優勝。同年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、翌年には大物新人としてジャパンプロレスに入団します。
経歴を見ると一見レスリング一筋にも見えますが、幼き頃は大の相撲好きで同郷でもある当時の横綱・輪島大士のファンだったそうな。中学時代にはそんな相撲好きも講じ当時の部活にはなかった相撲部を自ら設立するなど、活発さも発揮していたようです。
単に好きで、それをやるだけでない・・・当時から、こうして人の上に立って仕切るというのをやっていたんですね。かつての先生という職業から現在の職種にも通ずるとおり、IQが高くて賢かったことがよくわかります。だからプロレスもうまかったですよね。デビュー戦から新人みたいじゃなかったし、出世も早かった。試合の流れのつくり方とか、技とか・・・素晴らしかったですよね。
でも、個人的な意見を言っちゃうと、実はボクは馳のプロレスってあまり好きにはなれなかったんだよなぁ・・・なんかプロレスが“フォーマット的”だったというか・・・みなさんはどうでしたかね?
本田多聞
ロサンゼルスオリンピック(1984年)
レスリング フリースタイル 5位
ソウルオリンピック(1988年)
レスリング フリースタイル出場
バルセロナオリンピック(1992年)
レスリング フリースタイル出場
ますオリンピック3度出場。それだけでも素晴らしいんですが、なんと全日本選手権に関しては8度優勝という超実績。日本版カレリンと言っても過言ではないんですね。なのでボクはプロレスデビューしたとき驚きましたねぇ。これだけの名声に技量があれば、その世界で一生メシを食っていけるのに、なんでプロレスに転向したのかなぁって・・・
レスリング時代(右)
本田選手、レスリングでは踏み込み足を小内刈り気味にひっかけて入る、ちょっと独特なタックルを使うんですね。プロレスではこういったレスリング技術をけして見せませんが、もし本田選手のポテンシャルを引き出せるレスラーがいれば、おもしろかったんじゃないかなと思いますね~。谷津がよくレスリング日本重量級最強と謳われますが、ボクはそこは本田多聞でも?と思いますね。
ソウルオリンピック(1988年)
バスケットボール 出場
バルセロナオリンピック(1992年)
バスケットボール 出場
シルバ、なんとブラジル代表でオリンピック2大会連続出場しているんですね。本当はすごい人なんですなぁ・・・
と言っているボクですが、実はこの人のプロレスしているとこ、ほとんど見たことないのです。PRIDEの方がどうも印象的だなぁ。あと、いつだかの大晦日に猪木と突然、試合しませんでしたっけ?
なんかそんな思い出しかないのが残念・・・
バルセロナオリンピック(1992年)
柔道 95キロ超級 銀
ちょっといい画像が見つからなくて・・・なんかWOWOWで格闘技の実況やる高柳アナウンサーに似てしまいましたが気にしないでください。
さて小川、柔道の全日本選手権では7度優勝、世界選手権では優勝4回、3位4回、そしてオリンピックでは銀メダリストという小川です。そんな小川の名勝負と言えば、ボクはこれ!!
よかったですねぇ・・・
90年の全日本の決勝、よかったですねぇ~。このときはボクは古賀選手を応援してたんですが、小川が古賀選手に自分の組み手を取らせなくて・・・これは奥深い、いい試合でしたね。
小川はプロレスラーではありますが、いまだに違和感があるというか、なにか似合わない気がします。やっぱり格闘家が似合いますよね。ボクにはそんなふうに思えるんですが、みなさんはいかがでしょうかね?
バルセロナオリンピック(1992年)
レスリング フリースタイル出場
レスリングで全日本選手権4度優勝(4連覇)の強者。バルセロナオリンピック出場となりますが、日本人としてのオリンピック出場経験のあるプロレスラーは、今のところこの中西選手が最後となっています。
さて、中西選手といえば昨今のレスラーを見渡してもいないような、ものすんごい体格をしていますよね。実はボク、高校1年の時に専修大学に合宿に行き、まだプロレスにはまったく縁のなかった時代の中西選手を見たことがあるのですが・・・その当時から、やっぱりもんのすごい体格をしていました。何もしていなんですが、体がコワイくらいスゴかった!!
デビュー当時もベテランから見劣りしませんでしたよね
何年か前にテレビでミオスタチン関連筋肉肥大という、筋肉が発達していく遺伝病のこをとやっていて見たことがあったのですが、このとき、もしかして中西選手も!?なんて思ったことも・・・もちろん日々のトレーニングの賜物に他なりませんが、体質的な何かもあるのかもしれませんね。
って、話が反れまくりですな・・・
バルセロナオリンピック(1992年)
ウェイトリフティング 階級不明 10位
バルセロナオリンピック後、96年にプロレスラーに転向したようですが・・・ごめんなさい、誰なのかすらわかりません。えーん・・・
カート・アングル
アトランタオリンピック(1996年)
レスリング フリースタイル 金
カート・アングルは全米選手権6度優勝、95年世界選手権で金、そして翌年アトランタオリンピックで金という筋金入り。レスリング時代にはあの霊長類ヒト科最強の男といわれるマーク・ケアー(ていうかケアーはヒト科なの?)にも勝利している実力者です。
実はボクはこの人が試合をしているところを見たことがありません。なので意見のしようもないのですが・・・プロレスラーとしてはレスリング技術はもちろん高く、アピールも上手なようで評判、評価は非常に高いようです。その辺を、あのニック・ボックウインクルも褒めているという話を聞くと、ボクのようなカートを見たことがない人間でも素晴らしいプロレスラーとして十分納得してしまいます。
現在のところ、カート・アングルが現存するオリンピック出身プロレスラー最後ということになります。
さて、次回は3部作のファイナル、パート3の幻の出場者編でお会いしましょう!!