パート1からの続きです。
探偵「博士、ブログの形が出来始め、サイトからも独立してシステムも整い始め、書く人も徐々に増え始めて・・・いよいよブログが世に広がっていこうというこのときに、なぜ9.11のあの事件と!?一体何の関係が!?」
博士「2001年9月11日、同時多発テロ事件はもちろんキミも知っておろう」
探偵「もちろん知っています。ボクはまだ中学生でしたが、テレビに映し出されたあの光景は忘れられないです」
博士「そう、キミも見ていたように、あの事件直後は世界中のテレビが一斉にあの様子を伝えた。何日にも渡ってな」
探偵「ええ」
博士「それはネットメディアもしかりだった。ネット上でも同じように伝えられたんじゃ。人々はそれを見て、ネット上で出来事を追った。それは現状が知りたかったからかもしれないし、家族や親類の安否を知りたいから、そしてこのあと自分たちがどうなるか知りたかったからかもしれん。その結果、ネットの主要サイトにはアクセスが集中した。しすぎたんじゃ。するとどうなる?」
探偵「見たいサイトにアクセスができなくなる!?」
博士「そう、関連サイトのネット閲覧は困難な状態に陥った。そんな中、観覧ができて情報が集まったのがブログだったんじゃ」
探偵「ブログが・・・」
博士「ウィナー氏のスクリプティングニュースはもちろんだったが、ここでアクセスが多くあったのが実は個人のブログじゃったんじゃよ」
探偵「個人の!?ですか!?」
博士「さよう。そこにはマスコミやジャーナリストが語り伝える現状とはまたちがい、テレビやネットではされない自身だけが体験した生々しい話や生々しい写真、それを踏まえた意見などがレポートされ発信されていた。これが見る者の興味を誘い、アクセスを集めブログが広く世の中に認識されることに繋がったわけじゃ」
探偵「情報はもちろん、報道にはない視点のちがいやリアリティーかぁ・・・考えてみれば、スマホが普及した現在は一般人が撮影した事件、事故の動画がテレビ、ネットでよく使われるようになりましたが、ブログはその先駆けとなった形だったんですね。しかし・・・ブログが世に知れ渡るのに9.11テロが一役買っていたとは、複雑です」
博士「だが、他にもこの時期に始まったブログには、テロ事件からアフガン報復への戦争、イラク戦争へと続くものがあってな、ブログはさらに一役買う形となるんじゃよ」
探偵「テロや戦争もブログが広がるキッカケに!?」
博士「そうじゃ。これらのブログはWarblog(ウォーブログ)と呼ばれ、のちにその内容を巡ってマスコミ、ジャーナリストvsブログという図式で論争する形まで発展することになる。が、そちらの内容は置いておいて、ここはウォーブログと呼ばれたものの代表的なものを紹介しよう」
探偵「はい」
博士「まずは2003年8月17日に開設されたBaghdad Burning (バクダッドバーニング 日本語翻訳版ウェブサイト) じゃ。これはバグダッド在住のイラク人女性Riverbend(リヴァーベンド)が発信していたブログで、内容はイラク戦争下での戦争のこと、政治などによる被害のことや、自身や自身の周囲の生活状況や人々の気持ちなどを書いたものじゃった」
探偵「戦火の中での日記ですか・・・」
博士「そうじゃな。当時24歳だったという彼女のブログは現代のアンネの日記とまで言われたほど・・・読んでいると占拠や統治に対し、実際には人々がどう考えているのか?そしてそれがどれほど悲惨な事態を招いているか、そしてそれに失望したり、怒っていたりしているのがよくわかる内容じゃった。そんな中、特に注目すべき点は、ブログがリアルタイムで克明に更新されながらも現地の宗教的視点や習慣を含めたことを第三者が見てもわかるよう書いていた、という点じゃ」
探偵「確かに、博士の手元にある書籍化された本を読んでいると、ただ書きなぐっているわけではなく、文章が読みやすく成立しているのがわかります」
博士「彼女は宗教や習慣に関して、自分の国と他の国がどうちがうかとかの、他国の文化も少なからず理解していたのではないかと・・・だから説明的な、誰が読んでもわかる文章になったのではないかな」
探偵「博士、彼女はもしかすると外とも関係していた人物なのでしょうか!?」
博士「多くのブロガーがそのように、彼女もまた身元は明かしていないのでわからん。しかし、ブログの内容や流れから、どうやらイラク戦争前には職業としてコンピューター関係の何か、プログラムなどをしていたと予想されておる。さらにイラク在住にして文章に英語での慣用表現を使用しているところから、西欧の教育を受けて育った者ではないか?と推測されておるな」
探偵「なるほど・・・」
博士「まぁとにかく、戦争の中にいて、こうして克明に書き記すんじゃからなぁ。なかなかできることじゃない。知性、知識は高かった人物だったんじゃろう」
探偵「そうですね」
博士「で、そしてもうひとつ。2001年末頃から発信されている(と思われる)同じくバグダッド在住のSalam Pax(サラーム パックス) のブログWhere is Raed ?」(ラエドはどこにいる? 英語版のみ) じゃ」
探偵「サラーム、パックス。それぞれアラビア語、ラテン語で平和の意味なんですね」
博士「ああ。彼のブログの内容はリヴァーベンドと同じように、このイラク戦争で自身の身の回りで起きる緊迫した戦況や状況。それにブッシュやフセインへの非難や批判などであったが・・・このブログが注目された理由は戦火の中にいて状況を伝えていた、だけではなかったんじゃよ」
探偵「え?それはなんですか?」
博士「彼のキャラクターに他ならん」
探偵「き、キャラクター!?」
博士「たとえば、イラクなど中東の人と聞くと、だいたいみんな同じイメージ、姿を頭に思い浮かべてしまうじゃろ?」
探偵「そうですね」
博士「しかし彼は、まずアラーの神を信じていない」
探偵「え!?」
博士「正確には信じていないようだ、になるかな。当時、年齢が29歳の彼は、インターネットを楽しんでは自分のことをブログ中毒と呼んだ。欧米の映画や音楽、特にロックを好み、酒も飲んだ。恋愛に関しては、自身が同性愛者ということも隠さず公表していた。そんな彼のブログはときには感情的で厳しいが、しかしユーモアがあり才知にも富んでいたんじゃ。その文章は、多くの人々の興味を誘ったんじゃな」
探偵「確かに、イスラム圏においては異色ですが、でも、これは・・・」
博士「驚くのも無理はない。なんと言っても酒と同性愛じゃ。イスラム教では禁止されておるから、普通なら悪魔主義と言われて命もあったもんじゃない立場じゃよ。だから一時は、本当は実在しない人物なのではないか?とまで言われたほどじゃ」
探偵「確かに、ですねぇ・・・」
博士「だが、そんな彼が書いた文章は注目された。だんだんと自身に迫る攻撃。その描写だけでなく、自分の感情と日常を交えながら書き記した文章は、戦争のドキュメントでもあり、もし我々の身に戦争が起きたのなら・・・と考えさせられるものでもあったから共感する者も多かったんじゃ」
探偵「これも書籍がありますが、リヴァーベンドのバグダッドバーニングとは、またちがった伝わり方がありますね」
リヴァーベンド
「バグダッドバーニング イラク女性の占拠下日記」
「今、イラクを生きる バグダッドバーニング2」
アートンより
サラームパックス
「 バグダッドからの日記」
ソニーマガジンズより
※書籍化されています。興味がある方はお調べの上、どうぞ。
博士「そうじゃな。まあとにかくこうして、戦争という状況下の日々を読もうと世界中が彼らのブログへ注目した。その克明な文章に世界中が見入ったわけじゃ。そして世界は思った。彼らは何でこの状況を伝えているのかと」
探偵「なるほど・・・それがブログで、そしてブログが広く認識されたと・・・」
博士「さて、本題に戻ろう。このように9.11をきっかけ、境に、これまでブログを認識していなかった一般人にまでブログが知れ渡った。まさに社会現象となったわけだが・・・」
探偵「はい」
博士「同じ頃。2001年、9.11のわずか1ヶ月後の10月8日、ソフトウェア会社のsixapart(シックス・アパート)がサーバー設置型ブログ管理ツールMovable Type(ムーバブルタイプ)を発表したんじゃ」
探偵「ブログ管理ツール?」
博士「これは"ブラウザからウェブサイトを更新するためのツール"だったが、コメント欄の一体化や多言語対応などの優れた機能を持っていたものじゃった。のち2002年6月26日に同社はMovable Type 2.2を発表。ここで初めてトラックバック機能が付き、ブログはさらに発展を見せることになる」
探偵「コメント欄の一体化かぁ。これはブログ上でのコミュニケーションという点で革命ですよね。トラックバックは関連する記事を書いたことを自動的に相手に知らせる機能、でしたね」
博士「そうじゃな。ブログはパーマリンクで表示が要因になり、コメント、トラックバックでは、"繋り"という面で劇的な進歩を見せたわけじゃな」
探偵「9.11からウォーブログに繋がり、ブログが世に知れ渡るタイミングでコメント欄の一体化や他言語対応、それにトラックバックが世に出たのかぁ。ブログ拡散と同時に便利な機能が付いて、よりいっそうブログが身近で、しかも重要なものになっていったわけですが・・・しかしブログ拡散に戦争が関わっているんで、素直に喜べないと言うか、なんだか皮肉に感じてしまいますね」
博士「皮肉、うむ~だがな・・・たとえば1961年4月12日、旧ソ連のユーリイ・ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行をしたのはもはや有名じゃが・・・知っておるかね?」
探偵「ガガーリン?地球は青かった、のですか?」
博士「そう。その当時のアメリカとソ連は冷戦の真っ只中じゃったが、その中でも特に両国の宇宙開発競争はすごかったんじゃ」
探偵「ボクはあとからネット等で読んだだけなので当時の情勢はわからないのですが、開発競争は本当にすごかったようですね」
博士「そうなんじゃ。アメリカのアポロ計画が有名だから後世にはあまり知られてないかもしれんが、その宇宙開発競争で、有人飛行という面で先に宇宙に行ったのは実はソ連でな。先を越されたアメリカには様々な懸念がわいたんじゃよ」
探偵「懸念?それはどのような?」
博士「競争は冷戦状態の大国同士のものじゃ。だから宇宙開発も戦争じゃった。兵器の威力は力の誇示で宇宙も勢力範囲だったわけじゃ。だからアメリカはソ連が宇宙に行くことで宇宙からの軍備を警戒したんじゃ。もし地上でなく宇宙から人類最強の武器の使用ができたなら?されたなら?とな」
探偵「人類最強!?か、核攻撃を危惧したと!?」
博士「うむ。それがひとつ。そして話は変わって、同じ年。アメリカのユタ州で、3ヶ所ある電話中継基地がテロに遇い国防回線が一時的に完全に停止してしまうという事件が起きたそうなんじゃ。どのようなテロかはわならないんじゃが・・・」
探偵「はい」
博士「先のソ連の脅威と、この国防回線の停止でわかった戦争時における通信網への懸念から、アメリカ国防総省はアメリカで戦争になった場合、従来の電話網は役に立たないとし、アメリカは空軍創設のランド研究所に核戦争にも耐えうる通信システムの研究を依頼したんじゃ」
探偵「はい」
博士「考え出されたものは、通信拠点を1ヵ所とせず、何点か置くことにより1ヵ所がダメになっても他のところで通信ができるという"分散型ネットワーク"と、通信するデータを送る際、データを小さく小分けにすることで通信が途中で遮断されても引き続きデータが送れるようデータをパケット(小包)化する"パケット通信"だったんじゃ」
探偵「え!?それはもしかして!?」
博士「そう、インターネットじゃよ」
探偵「ね、ネットの起源は軍備だったんですか!!」
博士「軍備からネットが発生し、テロや戦争によりブログが広まった。国内外の長距離移動に不可欠な旅客機は第一次世界対戦後の軍用機からだし、今や一家に一台が当たり前の電子レンジも始まりは軍用レーダーじゃ。元をたどれば戦争にたどり着くんじゃ。本当に皮肉なもんじゃな・・・」
パート3へ続きます。