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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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おれたちの8.8 ~46歳の地図~

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どうも!!流星仮面二世です!!

さて・・・前回の続きからのお話です。

待ち合わせをし、出会ってからプロレス観戦。そして打ち上げと続いた楽しい時間もいよいよ終わりが近づいてきました。いろいろな、本当にいろいろな話をしました。しかし今、内容がどんなものだったとか、何を話したかとか・・・そこじゃなく、振り返るとそれよりも感じる、感じていたことがありました

やっぱり3人で、小学校の頃から教室の後ろで話してたような気がする。

いや、話してた。そう、よく話したなぁ~。今日は久しぶりに会った。みんな歳を取ったけど、話すこと、なぁ~んにも変わってないね。あの頃のまんまだ。やっぱり同級生なんだなぁ~。そう思えてなりませんでした。

お別れの時間が来ました。終電ギリギリまで一緒にいてくれた独断さんと駅に行き、また、みんなで会いましょう!!と固い握手を交わしボクとレガさんで見送りました。階段を上っていく独断さん。その後ろ姿に、今度は彼女さんも一緒に会えるといいなぁ。そして北海道に一緒に行けたらと・・・そんな思いでいっぱいになりました。いつか叶うといいなぁ・・・

力道山フィギュアありがとうございました。流星仮面の会合で、またよろしくお願いいたします!!

こうして独断さんを送ったあと、ボクとレガさんは車に乗り出発しました。レガさんの帰宅は翌日27日の夜でしたので、1日こちらに滞在することになっていたのです。その宿泊先へ向かうためでした。

宿泊先は東京ドーム周辺?都内?いいえ・・・レガさんの宿泊先、それはなんと茨城県!!そう、なんとレガさんが茨城へやってくるのです!!

ぬぉぉ~!!

短時間ではありますが、レガさんが茨城にやってくる。それはセンセーショナルに他なりませんでした。レガさんも人生初の茨城ということで、これは失礼あってはなりません。宿泊が決まってからは嫁と連日、作戦会議に入りました。

というのも・・・実はこういうとき悶絶してしまうのが茨城県民なんです。それは遠方から来てくれたお友達をどうもてなせばいいのか?というところなんですよ。だって茨城って、なんにもないんですもの~!!

全国都道府県の魅力度ランキングでは2018年まで6年連続47位、つまり最下位という結果からもわかりますように観光地、名産品がとにかく微妙。どこか見る、何か食べると言ったところで"これだ"というフィニッシュブローがまったくないんです。そこにきてレガさんの故郷、北海道は魅力度ランキング10年連続1位・・・もう太刀打ちのしようがないぃ~・・・

ならば。ここは県南プロレス巡りにして・・・プロレストークしながら会場周りしよう♪そーしよう♪無理無理だけど・・・

ということで27日。宿泊先となりました茨城は土浦市へお迎えに行き、合流します。昨日、レガさんが宿に到着したのは0時過ぎ・・・長旅でもありましたし、お疲れのところ、少しでもゆっくりできたかなぁ?と、話し出すとレガさん。昨日、宿に着きチェックインしようとフロントへ向かうと、誰かがスマホ片手にえらい剣幕で話していて近寄れない事態だったそうで・・・

聞けばこの剣幕さん、レガさんのちょっと前に宿に着いたお客さんなんだそうなんですが、チェックインしようと宿の人を呼び出したが誰も出てこず、とうとうアタマに来て旅行会社へクレームの電話を入れていたそうなんです。結局、この剣幕さんがカタつくまで何十分も待たされてしまい、レガさんはその後ようやくチェックインできたという・・・

な、なんということだ・・・ここにきて一寸先は闇のサバイバル状態になってしまっていたとはぁ!!

しっかし、なんていういい加減な宿なんだ。名前は出さないけど、こんなだからいつまでも魅力度ランキング最下位なんだよ~。レガさん本当に申し訳ありませんでした・・・

ということで、気を取り直しまして・・・茨城の県南地区のプロレス会場巡りへと参ります。

まずは土浦市は霞ヶ浦総合公園内にあります霞ヶ浦文化体育館です。ここは90年代から使われるようになりまして、90年代は新日本、全日本がよく来たところです。収容人数は本気で入れれば3000人以上はいける大きな体育館です。

しかし近年はプロレスは来なくなってしまい(現在ノアやWRESTLE-1、DDTなどのプロレスが行われているところは、ここのサブアリーナになります)現在は小、中、高のスポーツの大会で使用されたりするのが主です。ここではプロレスの思い出でも話そうと思ってましたが、この場所、実は目の前にはボクの母校が見えまして・・・いつのまにか、ついそっちの思い出を語ってしまいました。なんだかすいませんでした。

続いては、かつて茨城の県南のプロレスの聖地だった、土浦スポーツセンター!!の、あった場所!!

なんだそりゃ?と思うかもしれませんが、実はこれこそレガさんとの8.8の原点ともうべきところなんです。というのもボクとレガさん、プロレス初観戦が同じ、この84年の新日本プロレスのサマーファイトシリーズだったからなんです。

当時の日程です

もちろん84年以前から、ここにはプロレス来てましたが、とにかくテレビで観ているプロレスを生で観るということは結構贅沢なことで、なかなか行けなくて・・・ボクはこの年になり、ようやく行けたわけなんですよ。

まあ~あれでしたよ。当時はチケットセンターなんかもちろんなくてですね、入場券だったわけなんですが、これがどこに売っているかという情報が、まずありませんでしたよね。当時この辺では市内の、なぜか新聞屋さんとか、あとスポーツ用品店なんてところで取扱ったりしてましてね。そういうところに父親が聞いてくれて、どこからか入場券取ってきてくれて、それで行けたんですよね~。

ボクにしたら、やっと行けたプロレスだったわけですが、しかし今に思えば84年になってプロレス初観戦となったのは、知らず知らずのうちにレガさんとシリーズ合わせてたのかも~♪なんて・・・ちょっと思ったりします。ウフ♪

在りし日の土浦スポーツセンター。なつかしい・・・

現在はビルになっています。しかし、電柱の位置だけは変わってないんだなぁ

画像は建物だけですが、実はこのときビルをバックにキャッキャしながらふたりで記念撮影したりしてたんですよ。信号待ちの車の人は、なんでビル撮影しながら男ふたりでニヤニヤやってんだ!?なんて思ったでしょうね~。なはは・・・

そういえば電柱といえば前日、レガさん、独断さんと3人で、昔は・・・という話をしていましたが、こう地方にプロレス来るときって電柱にシリーズのポスター張られたんですよね。で、これが出現するとですね、ほしくて剥がしに行くんですが、この電柱のポスターってとにかく糊が強烈なんですよ。だから剥がしてるとベリベリになって原型がなくなってしまうんですよね。これをみんなで、やりましたね~なんて話していました。

あと、同じく地方では日が近づいてくると宣伝カーが走ったんですよね。

「〇月〇日、〇〇体育館に新日本プロレスがやってくる」

なんて、ポスター張った広報車が来たんですよね。これもいつの間にかなくなってしまいましたね~なんて話もしていました。

と、その後・・・ここも、なんだかんだなつかしさに押されてしまい、レガさんについ自分の思い出を語ってしまうコーナーで終わってしまいました。度々、申し訳ありませんでした。

その後、今度は近年の県南のプロレス会場として根づいてきました、つくば市のつくばカピオアリーナへ向かいます。

ここは、このブログの観戦記でも出てきますのでご存じの方も多いと思います。つくばカピオアリーナは、つくば市でも中枢の位置にあります。周囲にはマンション、ショッピングモール、前方には公園という風景の中にあり、いかにも街の施設という感じの構えなんですね。

実はボクの母親の実家がつくば市なんで、この辺りは幼い頃から馴染みがある土地なんですが今やすっかり近代化してしまい、すっかり浦島太郎状態。もはや茨城弁も通じないところになってしまいました。そんなこともあり、いやぁ~昔はここにダイエーがあってジョイパックというディスコがあってエクセルというゲームセンターがあって、週末はナンパの名所で~なんて、ついレガさんに話してしまいました。ああおれはなんてどーでもいい解説してるんだ~!!なんだか今日は失態ばかりだなぁ。今日はおれも魅力度最下位だ・・・

しかしカピオに着くと、どこかのスポーツクラブの小学生がバドミントンと新体操の練習をしており、運良く中に入れました。おかげでプロレスのときは、会場のここがこんなで~なんてお話ができて、よかったです。

こうしてお昼も近くなってきましたので、つくばカピオアリーナから数分のところにある、ご存じタイガー・ジェット・シンのカレー屋さん、GUNS(ガンズ)へ。ここで昼食となりました。

GUNS、ボクも久々に来たのでわからなかったのですが、以前よりプロレス色、ジェットシン観がなくなっていて驚いてしまいました。しかもランチはバイキング方式になっており、完全に出鼻を挫かれた状態に・・・しかし味は変わらずで一安心。ここでカレーを食べながらロングタイムなプロレストークに突入となりました。

話題は昨日のドラディションでの猪木、藤波の話。猪木のモノマネを挟み、猪木は「尾張名古屋は城で持つ。それはおれが白いから」は言ったのか言わなかったのか論争。やがて猪木の幟の飯塚さんのお話から、なぜか鈴木宗男のモノマネが絶好調。そしてAMラジオの思い出に、ミスター高橋のコインモノマネを経て、独断さんや北海道のみなさんの話から、今後のサミット話、ここだけでしか話せない会話集あれこれと・・・とにかく話題は無尽蔵でした。

そして、向かい合って・・・この日レガさんが、ボクが初めて北海道に行ったときお渡ししたTシャツを着てくれているのを見てしみじみ思い出しました。ボクが初めて北海道に行って、最初にレガさんと向かい合ったときもカレーだったなぁ~。なんか不思議な気がしました。

こうしてたくさん話をし、店を出ました。このあと、せっかくなんで筑波山を見てもらおうと向かいました。筑波山、今や全国的に有名なところではありますが、ぶっちゃけると、実際のところなぁ~んにもないとこなんです。しかしここからなら20分くらいですし、国道408号線走りながら正面に見えてくる筑波山の風景は、なかなかいいんですよ。この時期は新緑も映えるロケーションなんです。上まで登れば東京まで見える景色も、ちょっと他にはない素晴らしいもの。夜なら夜景も格別です。

こうしてひた走っていきますが・・・あらら?なんだか雲行きが怪しいぞ。というか筑波山、思いっきり雲被ってて見えないじゃないかぁ~。これは雨に・・・と思うが早く、降ってきてしまった。ぬぁぁ~。

しかし、最初にお会いしたときも雨でしたね~というレガさんの一言に救われ、頂上までゴー。ここで世代闘争の長州の叫びの話から前田のマイクになり、それを聞いた小鉄さんの言葉に盛り上がり、テンション上がりながら頂上へ。てもテンションとは裏腹に、やっぱり山頂は濃い雲の中。なんにも見えません・・・

本当はロープウェイでもと思ってたんですが、結局、雲の中でおみやげ買っただけになってしまいました。隠れ名物、沼田屋のかりんとう饅頭も、本当はこちらからお渡しする予定だったのですが、ううう・・・次回は、持って行きますね~。

そのあと、連休の渋滞が読めないので、ちょっと早めに成田市へと向かいます。プロレステーマ曲を聴きながら圏央道を成田国際空港へ・・・途中、雨雲から稲光りが見えては、条件反射で、稲妻!!を発し、牛久市の大仏にはアンドレ妄想と、プロレスのことや普段のことを、ここでもたくさん話しました。

空港に着くと、連休にしては空いている感じでひと安心。広い空港内を国内線乗り場まで、外国人を見ては、あの人はビッグ・ダディ、あの人はハシム・モハメッド♪と、プロレス似てる妄想しながら移動します。こうして国内線へ到着すると腰を下ろし、レガさんが買ってきてくれた軽食をとりながら話します。すいません、ごちそうさまです。

話、本当に尽きず、いくらでも話してられそうな我々でしたが、でも楽しいときは、やっぱり短い・・・いや、短く感じてしまうんだろうなぁ・・・飛行機の時間が近づき、いよいよお別れとなりました。

ゲートへと向かうレガさんを見送ります。並びながら、時おりこちらを向いて手を振ってくれました。う~ん、やっぱり不思議だ。会うと、いつも何か思い出しそうになるというか、なんだったかなぁ?という感覚になる・・・それが何だかわからない。思い出せない。でも、まあいいか~。また会ったとき考えよう。気をつけてお帰りくださ~い!!

帰りの車の中、この2日間のことを振り返っていました。楽しかったなぁ~。前日からワクワクして、子供みたいに無邪気になってプロレス 見て、みんなで楽しんで、たくさんの思い出ができて・・・

前のお話でも書きましたが、みんな家に帰れば、現実が押し寄せてくる日々に戻ってしまいます。世の中は令和になっても、何も変わらない。現に、こうして今、令和の時間の中にいるけど・・・平成と何がちがうの?と問われたら、おそらく何も答えられないだろうと思います。

でも、ひとりひとりに思い出のプロレス観戦や思い出のプロレス名勝負があるように、趣味や仕事、出会いから別れまで、人間には振り返るときがある思い出が必ずあります。それらがあるから日々のちがいが感じられ、時代のちがいを感じられるのではないかなと・・・そう思いました。

まだ始まったばかりの令和、これからは、どんな思い出ができるかな・・・

最後まで、ありがとうございました。


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