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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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プロレス研究所~MSGとプロレス その3 ① 2代目マディソンの時代 1890~1926年~

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その2からの続きです。

探偵「さて、初代マディソンではウィリアム・マルドゥーンと共に歴史を振り返ったわけですが・・・この初代マディソンが1889年より改築の運びとなり、2代目となるマディソン・スクエア・ガーデンの完成が待たれることになります」

先輩「う~ん。スポーツをはじめ様々なイベントが開かれ人気の施設となっていたマディソンが、ここにきて改築に踏み切ったのはなぜだったんだ?」

探偵「はい。一番の理由ではないかと思われるのは、どうやら初代マディソンに屋根がなかったことになるようですね」

先輩「なるほど、屋根かぁ」

探偵「そうです。それまでのマディソンは全天候型といいますか・・・天気は直撃。季節もしかり、夏はとても暑く、冬は寒さは有名なニューヨークです。それこそ凍えるほど寒かった。そこでヴァンダービルトは初代にはなかった屋根を設けることを念頭に改築することにしたようなんです」

先輩「ニューヨークの寒さは有名だからね。しかし、当時にして屋根という発想は素晴らしいが、これはかなりの費用がかかったんじゃないか?」

探偵「お察しの通りで・・・総工費はおよそ50万ドル。これは現在に換算すると約1400万ドル。日本円にすると15億5千万円になります」

先輩「と・・・ここだけ聞けば今どきの高級マンション建築くらいの金額だが、1890年は明治23年で・・・為替ルートが1ドル1円だったから、単純計算すると5千万円。で、当時の日本からすると1円が2万円くらいの価値だから、5千万円にかければ・・・ひ、100億円!?」

探偵「この当時の100億ですからね」

先輩「しかし1873年の恐慌から1896年までが大不況と言われた時代だ。この頃のアメリカは景気が上がったり下がったりという大変な時代の中だったはず。この時代にどうやってこれだけの資金を?」

探偵「はい。このときは、企業や実業家が連合化しての体制となったようなんですよ」

先輩「なるほど。お金持ちシンジゲートが結成されたというわけか」

探偵「まさしく。2代目マディソン改築に力を注いだ、その主力メンバーは・・・

アメリカの5大財閥の1つであるモルガン財閥の創始者であるジョン・ピアポント・モルガン。

ペンシルベニア州ピッツバーグでカーネギー鉄鋼会社を創業し1890年代には自社を世界最大で最も高収益な会社とした、鉄鋼王と呼ばれた実業家のアンドリュー・カーネギー。

元・カリフォルニア銀行の社長で、ニューヨークのマンハッタンでは数々のビル開発に着手、投資した慈善家のダライアス・ミルズ。

ニューヨーク、テキサス、メキシコで不動産業、銀行業、鉄道業などを手掛け、特にテキサスでは鉄道会社をほぼ牛耳っていたナショナル・シティ銀行の頭取ジェームズ・スティルマン。

アメリカの財閥アスター家の一族で元・ニューヨーク州議会下院議員、上院議員にしてイギリスでは実業家で初代アスター子爵という貴族でもあったウィリアム・アスター。

そしておなじみ、リングリング・サーカスのバーナム氏です」

先輩「うむぅ・・・もはやバーナム以外は誰が誰だかさっぱりわからないが・・・でも、みんなすごい人ってことはわかる」

探偵「ですね。ボクもさっぱりですが、お金持ちというのはわかりました。で、まあこうして出資も固まると、ワシントン・スクエア・アーチやロードアイランド州議会議事堂を設計し、そのデザインからアメリカのルネサンスと称された建築家スタンフォード・ホワイトによって設計、デザインされ1890年に2代目マディソンが完成するわけです」

2代目マディソン・スクエア・ガーデン

探偵「新ガーデンは初代に代わり、イベントはウェストミンスター・ケネルクラブの毎年恒例のドッグショーはもちろん、オーケストラやオペラが行われるようになります。また、ロマンスやコメディなどの演劇、舞台も行われるようになり、初代よりより多くのイベントが開催されるようになりました」

先輩「オーケストラやオペラは屋根があるのとないのでは音がだいぶちがってくるだろうから、これはよかっただろうね」

探偵「そうですね。そしてスポーツの方もまた盛んになります。1902年、1903年にはアメフトのワールドシリーズを開催するのですが、これは屋内会場での開催としては初だったので注目を集めたそうです。また、陸上では初代マディソン時代から行われていたトラック競技が室内競技として本格化。現在もトラックを使用した屋内陸上競技として開催されているミルローズゲームが1914年に初めて開催されたそうです」

先輩「屋根が付いたことで室内でのイベント、競技に幅が出たんだね」

探偵「はい。他にはボクシングなんですが、実はギルモアズ・ガーデン時代からボクシングは行われてはいたんですね。しかし当時のボクシングは州やプロモーターにより、いろいろやり方がちがったりして・・・まあ違法、非合法なところがあったようで正々堂々ボクシングと名乗れなかったところがあったわけです」

先輩「まだボクシングはコミッション化がされていない時代だったから、統一ルールもなくて・・・そのため主催により、ちがいが出てしまっていたんだろうね。ベアナックルだったりグローブだったりしてたようだから・・・」

探偵「はい。そのためギルモアズ・ガーデンでのボクシング開催時には競技としての大会や試合という表現ではなく、エキシビションやイラストレイテッド・レクチャーズ、これは直訳すると図解の講義ということなんですが・・・当時、これをどういう意味合いで使っていたのかはわからないんですが、まあとにかく、このように名目を変えて行われていたそうなんですよ」

先輩「素直に"ボクシングの試合"とできない事情だね。難しいとこもあったんだろうね」

探偵「はい。しかし2代目マディソンになる頃にはボクシングは完全にグローブになるなどルールも固まってきたので堂々、ボクシングの試合とし行われるようになりました。1916年3月25日にはジェス・ウィラードvsフランク・モランの世界ヘビー級タイトル戦。そして1920年12月14日にはジャック・デンプシーがビル・ブレナンを相手に世界ヘビー級タイトル戦を行うなど盛んになるんですね」

先輩「そのボクシングのルールをクインズベリー・ルールと言うんだが・・・これが現在のボクシングの基礎となったルールなんだけど、実はこのルールの集約、発展に貢献した人物こそサリバンのコーチとなったあとのウィリアム・マルドゥーンだったんだよ」

探偵「え!?マルドゥーンが!?」

先輩「そう。そしてマルドゥーンは、このジャック・デンプシーのコーチもしたようだから、プロレスの父、そしてボクシングの父とも言えるかもしれないね」

探偵「すごい・・・」

先輩「と、うまくプロレスに繋がったところで、2代目マディソンでのプロレスの方、行ってみよう」

探偵「はい。どのようなものがありましたか?」

先輩「まず注目なのがマディソン始まって以来、初の満員札止めとなったという試合だ」

探偵「札止め興行ですか!!」

先輩「ああ。1898年3月26日。アーネスト・ローバーとユーソフ・イスマイルが対戦した試合だ」

探偵「うーん・・・どちらも知らないレスラーです」

先輩「おれもだよ。特にローバーは資料がなくてね。まず・・・ローバーはマルドゥーン引退後にアメリカのグレコローマン・ヘビー級タイトルを引き継ぎ、その後、のちにジョージ・ハッケンシュミットも王者となる世界グレコローマン・ヘビー級タイトルも保持するなど強者だったようなんだ」

アーネスト・ローバー

探偵「見るからに強そうですが・・・このレスラーに関する資料が残ってないのは残念ですね」

先輩「そうなんだよ。生年月日や出身地、レスラーになった経緯などはわからないんだ。今、話しているこの試合以外は正直、際立った情報はない。しかし当時のマディソンでメインを張るんだから人気、実力は相当なものだったと思うよ」

探偵「そうですね」

先輩「で、一方のユーソフはヨーロッパで強者として鳴らしたのち対戦相手を求めニューヨークに来たというトルコ人だったそうだ。当時のレスラーの身長は170センチ代で、体重はだいたい90キロから100キロくらいだったんだが、そこにきてユーソフは約190センチで140キロはあったという当時としては大型のレスラーだった。筋肉質ではないが中東特有のナチュラル・パワーを秘めており"恐怖のトルコ人"と恐れられた存在だったという」

ユーソフ・イスマイル

探偵「これは・・・ただならない空気を漂わせるレスラーですね。恐怖のトルコ人、うなずけます」

先輩「かくしてマルドゥーン後のチャンピオン、アメリカのローバーとトルコから海を渡りやってきた強豪ユーソフの対決は注目を集め、マディソン始まって以来の初の満員札止めとなった。んだけど・・・」

探偵「ど!?」

先輩「一転して、試合は開始されても組もうとせず動き回っていたローバーにユーソフが怒り、場外に叩き落としローバーの肩から背中かのあたりを負傷させてしまって、わずか1分15秒で幕引きとなってしまったらしい」

探偵「1分で!?無効試合だったんですか!?」

先輩「いや、勝敗はローバー負傷によりユーソフの勝ち、というのも出てきたが、ユーソフが反則を取られ負け、というのもあって正直なところわからなかった。しかし一旦は気を失ったという記述もあったから、試合続行不可能なほどの負傷だったんだろう」

探偵「ローバーが組まなかったのは作戦だったのでしょうか?」

先輩「そのあたりを当時の新聞、1898年3月27日のニューヨーク・タイムスから抜粋してみよう。翻訳は完全じゃないところがあるから想像しながら読んでくれ」

The big platform, open on all sides, and in the centre of which was the canvas mat, was cleared, and after shaking hands the men crouched into position. The Turk, who towered fully six inches above Roeber, looked like a giant compared with the German-American, and as he took his place on the canvas it was apparent that if main strength would win, the contest was his. 

四方が開いていて、中央にキャンバスマットがある大きなプラットホームは片付けられ、握手の後に両者は身構えました。トルコ人は、ローバーよりも6インチ(15.24センチ)は背が高く、そのドイツ系アメリカ人(ローバー)に比べれば巨人のように見えました。もし力の強い方が勝つのであれば、その試合は彼(ユーソフ)のものとなった事は、リング上を見れば明らかでした』

探偵「四方が~片付けられ、までは、花道とリング周辺とリングのことですかね」

先輩「多分ね。とにかくユーソフのでかさがわかるね。大きい方が強いという一般的な見解も伝わってくる」

『Roeber, compactly built and more agile than his opponent, stepped on the mat, but was off again in a second, and danced around in a tantalizing manner on the board strip outside on the mat. 

小柄ながら鍛え上げられた、相手よりも機敏なローバーは、マットの上に踏み出したものの、すぐに離れ、そして、じらすようなやり方でマットの外側の細長い縁側上(エプロン)を跳ね回りました』

探偵「試合が始まっても組まずに逃げていたということでしょうか?」

先輩「おそらく組んでは不利と、捕まらないように動いていたんじゃないかな」

『If the Turk scored a fall there it would not count, and this fact angered him, for, after waiting for a short time for Roeber to step on the mat, he bent outside of the mat line and covered Roeber’s head with both hands. 

もしトルコ人が、そこで転倒を決めたならば、それは数えられないでしょう。そして、この事実はユーソフを怒らせました。故に、ローバーがマットに踏み上がるのをしばし待った後、ユーソフはマットの境界線(ロープ)の外側(エプロン)に向かい、そしてローバーの頭を両手で押さえました』

探偵「もしトルコ人が~それは数えられません?これはどういう意味でしょうか?」

先輩「あくまで個人的な解釈だが・・・レスラーが故意にエプロンに出たなら、普通は反則行為となる。消極性や戦意喪失を取られるとか、何かあったはずだ。しかしローバーは、注意も何もされなかったんじゃないかな?」

探偵「なるほど。逆にユーソフが同じことをしたなら注意が入ったはず・・・つまりこれはホームのレスラーに対して贔屓(ひいき)があったからと」

先輩「じゃないかなぁ~」

探偵「それはユーソフも怒りますね」

『This was not to the latter’s liking and he wriggled away. But the Turk would not be thwarted. He seemed suddenly maddened when he reached the Fourth Avenue side of the platform, and gave Roeber a sudden push which sent him off the platform. He was still angry, for he jumped back on the mat and danced about in rage like a caged animal until the policeman escorted him out to his dressing room. 

これをローバーは気に入らず、身をよじって逃れました。しかしトルコ人は阻はまれませんでした。彼は演壇(リングのエプロン)の四番街側(現在のパーク街側。当時のマディソンの位置からすると北北東側)に達した時、突然、狂ったようにローバーを突き飛ばして彼を演壇(リングのエプロン)から落としました。警官が彼を更衣室に連れて行くまで、彼はまだ怒っていました』

探偵「ユーソフの相当な怒りが伝わってきますね~。しかし・・・期待度大で満員札止めとなった試合が、こんな結果になってしまったわけですよね。問題は起きなかったんでしょうか?」

先輩「まさに、そこはお察しのとおりだ。この試合結果に観客が激怒して、会場は暴動騒ぎとなったという記録があるんだよ」

探偵「やっぱり・・・」

先輩「期待度の高かったこの対決を楽しみに観に来たわけだから、こんな結果では納得できないというのもあったとは思うけど・・・この状況になった原因を観客はユーソフに見たのが、おそらく一番の原因のはずだ」

探偵「ローバーは自国の人気レスラー、ユーソフはトルコから来た、いわばアウェイだったから、観客の怒りはユーソフに向けられたというわけですね」

先輩「そう。トルコ人を許すな!!やってしまえ!!となり・・・ニューヨーク・タイムスの記事の通り、ユーソフは控え室まで警官隊に護られながら戻る事態となったんだろうね」

探偵「ひとつまちがえば・・・って感じだったんですね」

先輩「そうだなぁ。で、その後、記録によれば25日後の4月30日にニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスでローバーとユーソフの再戦が行われたとある。記述はないが、おそらくこの試合は前回の結果を受けての再戦だったんじゃないかなと思う」

探偵「そうですね。当時のファン、観客を納得させるための再戦だったんだと思えますね。当然といえば当然ですが・・・でもさすがにマディソンは使用できなかったんでしょうね」

先輩「だろうね。しかし、こちらも試合開始からわずか4分で警官隊が試合をストップし無効試合になったらしい。記述がないので理由はわからないが、警官が止めるってことは・・・」

探偵「また暴動が起きてしまったから・・・というのが十分考えられますね。この時代のマディソンに、こういうことがあったとは意外です」

先輩「あぁ。おそらくこの試合はマディソン初の札止め興行にしてプロレスで初めて暴動が起きた日と言えるかもしれないな」

探偵「あ、でも先輩。その後、騒動の中心人物になってしまったユーソフは、どうなったんですか?」

先輩「結局、その後ユーソフはニューヨークから離れ全米をサーキットし"絞め殺し"と呼ばれたイヴァン"ストラングラー"ルイスを下すなど、その恐怖ぶりを発揮していき、やがて本国へ帰っていくんだが・・・」

探偵「どうしたんですか?」

先輩「ユーソフが帰国のため乗ったその船は、事故により途中で沈没してしまうんだよ」

探偵「ええ!?沈没!?」

先輩「そう。ユーソフの乗ったラ・ブルゴーニュ号は1898年7月4日の午前5時直前、カナダのセーブル島付近でイギリスの帆船クロマーティシャイアと衝突。右舷側中央部を損傷し沈没したとある」

探偵「船同士の海難事故だったんですか」

先輩「そうなんだ。船は乗客506名と乗員220名、計726名が乗船していたが、うち549名が死亡。生存者はわずか173名という大惨事だった。その犠牲者にユーソフが含まれてしまったわけなんだが、しかし、その最期は悲しいもので・・・」

探偵「どうなったんですか?」

先輩「引き上げられたユーソフの遺体の腰には、このアメリカ遠征で手にした8500ドルもの金貨の入った"なめし皮"がベルトのように巻いてあったというんだ」

探偵「え!?それはどういう意味ですか!?」

先輩「金貨が重りになって、溺れて沈んでしまったんだよ」

探偵「沈む!?先輩、なんだかよくわからないですよ。一体ユーソフに何があったんですか!?」

先輩「当時の様子を伝える新聞によれば、船が沈没後、生存者は乗員も乗客も関係なく、半狂乱で非常用ボートの奪い合いをしていたらしいんだ。それこそ女性や子供の救助が優先されることなくだったそうで・・・事実この事故の生存者は乗員が約100名に対し乗客は70名未満。女性の生存者は1名、子供は生存者なしという信じがたいものだった。かなり悲惨な光景が繰り広げられたんだろう」

探偵「想像はしたくない光景ですが・・・普段いくらかっこいいこと言ってても、自身の命の危機が迫ったなら人間どうなるかわかりませんからね・・・しかし、なんという事故だったんだ。ユーソフは、そのボートに乗れず沈んでしまっ・・・あ、いや!!ちがう、金貨が重りにって、そういうことですか!!」

先輩「ああ。不謹慎な話だが、もしユーソフが非常用ボートの奪い合いをしたなら、190センチで140キロもあるレスラーのパワーだ。いくら海の上といえ、まず一般人で勝てる人はいなかっただろうから簡単にボートを占拠できただろう。死ぬことはなかったはずだ。しかしユーソフにとっては、ボートに乗り命が助かることより、まず金貨だったんだろうな」

探偵「この非常時に金貨を持って脱出したから重さに負けてしまい、ボートまでたどり着けなかったのか・・・」

先輩「おそらく船が沈み始めたとき、ユーソフは金貨だけは持っていこうと我が身に括り付けたんだろう。やがて船が沈み、海上に出ると船員も乗客も関係なくボートの争奪戦をしていた。もしこのときユーソフが金貨の入った"なめし皮"を海に捨てボートを目指せば、すぐに乗れた。しかしユーソフは金貨が捨てられなかった。金貨が、ボートが、金貨がボートが!!結果、重みに耐えきれず沈んでしまったと・・・そんな感じではなかったんじゃないだろうか」

探偵「まるで映画に出てくる悪党の最期そのものですよ・・・」

先輩「一説によればユーソフが得意技としていたコンスタンティノープルはジャイアント・スイングの原型だったと言われている。プロレスとマディソンの歴史を紐解けば必ず出てくるレスラーなんだ。そんなレスラーの最期、本当になぁ・・・言葉にならない話だよ」

探偵「そうですねぇ・・・」

先輩「さて、話を戻そう。1800年代も終わり、1900年代に入ると、いよいよマディソンにフランク・ゴッチが登場する」

探偵「フランク・ゴッチですか」

先輩「ああ。フランク・ゴッチは1878年(76年、77年の表記もあり)アイオワ州出身。NWA世界ヘビー級の歴史を遡ると必ずその名を目にするので知っている人も多いだろう。元々は農家に生まれた農民の子で、若かりし頃は野球に熱中していたが1899年4月にデビューすると、わずか2か月後に当時のアメリカン王者だったダン・マクレオードというレスラーがサーキット中に訪れたアイオワで挑戦者を募集しているのを知り、これに名乗りを上げ対戦。敗れはしたが2時間もの激闘を演じたことから実力を見い出され、のちファーマー・バーンズに師事し、やがてジョージ・ハッケンシュミットとの戦いを経て統一世界ヘビー級王者に登り詰めた20世紀初めのプロレス界の中心人物だ」


探偵「へぇ・・・」


フランク・ゴッチ

先輩「そのゴッチが1905年3月15日、このマディソンで宿命のライバルであったトム・ジェンキンスと対決したんだ」

トム・ジェンキンス

先輩「トム・ジェンキンスは1872年オハイオ州出身。実はあまり詳しい資料がないので、プロレス入りまでの経緯や、どういうタイプのレスラーだったのかはよくわかっていない。しかし1891年にデビュー。若かりし頃に事故で片目の視力を失っていた、いわゆる隻眼というハンデを背負っていたが1902年末にアメリカン・ヘビー級王者を奪取すると、このタイトルを巡って一時代を築いたレスラーだ。また引退後の1912年から1943年までニューヨーク陸軍士官学校でレスリングとボクシングのコーチも勤めたそうだが、これは第26第アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトからの任命だったそうだから、人望も厚い人物だったようだよ」

探偵「このジェンキンスがゴッチのライバルだったと」

先輩「ああ。記録によればゴッチとジェンキンスは1903年2月22日から1909年5月19日までに8度対戦。マディソン決戦となったのはその4戦目になる。これは1904年1月28日に行われた2戦目でタイトルを奪われ、1905年 2月2日に行われたタイトル戦で奪還失敗したジェンキンスの再々挑戦となった試合だった。結果はジェンキンスが雪辱。王者に返り咲いている」

探偵「宿命のライバルとの、この時代の名勝負数え唄って感じだったんですかね」

先輩「そうだね。で、このジェンキンスが1905年5月4日、マディソンでジョージ・ハッケンシュミットと戦うんだ」

探偵「ハッケンシュミット・・・」

先輩「そう。ジョージ・ハッケンシュミットは1878年、ロシアのタルトゥ、現在のエストニア共和国出身で1896年にデビューした伝説的レスラーだ。必須すべきは現在にまで伝えられるそのパワーで、グレコローマン・スタイルのレスリングを得意としフランス、オーストリアなどヨーロッパで行われる数々の世界選手権のトーナメントで優勝。やがて1904年2月にイギリスでトム・キャノンを破り世界グレコローマン・ヘビー級選手権を奪取するとイギリスで世界王者として認定されれ、のちにアメリカでも世界王者に認定されると、このタイトルとフランク・ゴッチの持つアメリカン・ヘビー級をかけ統一世界ヘビー級を戦い、プロレスの歴史に深く名を刻んだ人物だ」


ジョージ・ハッケンシュミット

探偵「この3人が、この1900年代初期の中心人物と言えそうですね」

先輩「そう。ゴッチとジェンキンスはライバルだったが、実はジェンキンスは前年の7月2日、イギリスに渡り一度ハッケンシュミットと対決して敗れているんだ。だから、これはジェンキンスにとってはリベンジマッチでもあった。ジェンキンスにとってゴッチが宿命のライバルならハッケンシュミットは運命のライバルといったところだろうね」

探偵「なるほど。それで、勝敗はどうだったんですか?」

先輩「結果は残念ながらジェンキンスが敗れてしまい雪辱とならなかったようだ」

探偵「先輩、このときジェンキンスはアメリカン・ヘビー級の王者でしたが、タイトルはかけられていなかったんですか?」

先輩「ジェンキンスはアメリカン・ヘビー級王者だったから、いわばヨーロッパ版の世界王者とアメリカの王者の対決という図式にもなったわけだ。しかしこの試合は、いわゆるダブルタイトル戦ではなかったので敗れてもジェンキンスのタイトルは移動せず。そのままだったんだ」

探偵「なるほど。双方王者でしたが、タイトル戦ではなかったのでアメリカン・ヘビー級は移動しなかったと」

先輩「しかし、ハッケンシュミットは現役のアメリカン・ヘビー級王者を倒したということで、アメリカでも世界王者として認定されるんだ。これによりハッケンシュミットはヨーロッパ圏に加え、ここアメリカでも認定されたことにより初代の統一世界ヘビー級王者となるんだよ」

探偵「なるほど~。それでフランク・ゴッチの説明のときにあったハッケンシュミットとの戦いを経て統一世界ヘビー級王者に登り詰めたと、なるんですね」

先輩「そう。その後、ハッケンシュミットはジェンキンス戦で認定されたこの統一世界ヘビー級王座を、ゴッチは1906年12月17日にフレッド・ビールから奪取したアメリカン・ヘビー級王座をかけ、いよいよ王座統一戦が行われる・・・というわけなんだ」


チャンピオンベルト・ワールド~運命のふたつ星 パート2~ 


探偵「なるほど・・・今度のは認定される試合でなく。お互いのタイトルをかけた統一戦だった、というわけですね」


先輩「1800年代末期のローバー、ユーソフから1900年代初期の、3人のレスラーが争った統一世界ヘビー級の戦い。ここが大戦前のプロレスのピークと言っていいだろうね」


その3の②へ続きます。



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