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東京五輪記念!オリンピック選手からプロレスラーへ大特集!! パート3

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どうも!!


さて、3回に渡りお送りしてまいりましたシリーズもいよいよファイナル!!

東京五輪記念!オリンピック選手からプロレスラーへ大特集!!パート1


東京五輪記念!オリンピック選手からプロレスラーへ大特集!!パート2


最終回の今回は、オリンピック出場が決まりながらも出場できなかったプロレスラー達の特集、幻の出場者編です。


ではいってみようぜ!!


団塊Jrのプロレスファン列伝

ゴードン・ネルソン


ヘルシンキオリンピック(1952年)

レスリング ※出場辞退


メルボルンオリンピック(1956年)

レスリング ※出場辞退


51年から55年までレスリングでカナダの州のチャンピオンに3度輝き、のちヘルシンキ、メルボルンと代表になりますが、当時のカナダのお国の事情により選手団派遣できなかった為に残念ながら幻のオリンピック選手となってしまったようです。


プロレスラーとしては素顔でのファイトもさることながらジ・アウトロー、ミスターレスリングなどのリングネームでマスクを被って大暴れ、人気を博したようです。一見すると見世物チックな覆面レスラーと思われがちですが、レスリングで培ったその実力はすさまじく、シュートの面ではあのカール・ゴッチも一目置く存在だった他、プロモーターからはポリスマン、道場の用心棒役として信頼され高く評価されていたようです。


来日が日本プロレス時代なのでボクらなんかの世代では馴染みがないレスラーだったのはやむを得ないことですが・・・たとえばサンダー・ザボーやジョージ・ゴーディエンコのように、姿こそ幻でしたが本や雑誌に取り上げられたことにより、ボクらでも知ることができたレスラーは多々いました。でもゴードンはミスターレスリングというマスクマンが何人か存在していたという情報の中でときおり名前を聞く程度で、他にはまったくと言っていいほど取り上げれられたことがなかったレスラーでした。


今回、オリンピック関係のプロレスラーを調べていて、2大会も連続でオリンピック代表になっている実力者で、プロレスラーになってからもシュートで強い、でも知られることがなかったという、こんなすごいレスラーが存在していたことに本当に驚かされました。プロレス、まだまだ奥が深いですね。



アイアン・シーク


メルボルンオリンピック(1956年)

レスリング 出場?


ローマオリンピック(1960年)

レスリング 出場?


メキシコシティオリンピック(1968年)
レスリング 出場?


出身国のイランでは3歳くらいの小さな子供までもがその名前を知っていたという伝説があるレスリングの国民的、英雄的存在だったというシーク。これが本当かどうかはさておき、少なくともレスリング界ではその名は通っている強豪です。


名前からもわかるようにプロレスではどうしても“シーク”という名前が優先してしまいイメージが固定されてしまう感がありますが、ファンの間ではその実力は十分知られているレスラーですね。特にボブ・バックランドを破ってのWWF世界ヘビー級王座奪取は有名ですよね。


しかしながらオリンピック関連になると謎が多く、混乱を招きます。少年時代よりレスリングを習い、17歳でイギリスにレスリング留学しメルボルン、ローマのオリンピックに出場した、という記述もあれば、イランからアメリカに亡命し、のちメキシコシティオリンピックに出場した、という記述もあり真意は不明。さらに、実は選手としてオリンピックには出ておらず、ミュンヘン、モントリオールにレスリング・チームのコーチとして参加したという記述もありハテナがいっぱいです。そしてトドメにシークがまだコシロ・バジリという名前でファイとしていた時代のこの画像・・・


だ、誰!?

うーん・・・謎はオリンピックだけではないようだ・・・



団塊Jrのプロレスファン列伝
ミスターレスリング(ティム・ウッド)


ローマオリンピック(1960年)

レスリング 出場?


上のゴードン・ネルソンもミスターレスリングを名乗っていましたが、ティム・ウッドのそれは正義の白覆面ともいわれ、当時悪役が主だったマスクマンの中にいて正統派として活躍しました。全日本プロレスの第2回チャンピオンカーニバルでは馬場さんと決勝戦を争い惜しくも敗れていますが、その実力を存分に発揮。今でも語られる本格派レスラーのひとりと言えます。


ローマオリンピック出場に関しては、実はハッキリとした記録がありません。ボクが持っている本にはそう載っていますし、かつては全日本プロレスの中継で実況の倉持アナウンサーが経歴紹介で言っていたことがありますが・・・真実は謎ということになります。しかしながら大学時代にはAAU(全米体協)で2度タイトルを獲得。レスリングの猛者であったことは間違いなさそうです。


余談ですが先日、偶然にも日テレGか何かでミスターレスリングvsドリーファンク・ジュニア戦がやっており、見たのですが・・・ボクは期待して見入ってしまったのですが、あまりレスリングテクニックは披露されませんでした。それこそレスリングのクセとかも出なかったなぁ・・・やはりそれだけでは伝わりずらいところがあるので、そこはプロレスと使い分けていたんでしょうかね?それともドリーに気を使っていたのかな?




ラーズ・アンダーソン


ローマオリンピック(1960年)

レスリング 出場?

ラーズ・アンダーソンは、姿は知らねどプロレスファンなら必ず一度はその名を耳にする、あのアンダーソン兄弟のひとりで、ジン・アンダーソンのパートナーとしてタッグチーム、ミネソタ・レッキング・クルーを結成。NWA地区のタッグタイトル戦線で活躍したレスラーでした。と、言われても・・・プロレスラーとしては活躍時期がボクらがプロレスを見ていた時代より若干前なので、ちょっとピンと来ないかもしれませんね。


80年代にはブッカーとしての活動が目立ちます。以前、ここでこんな記事 を書いたことがありましたが、この試合のブッカーがこのラーズ・アンダーソン。当時激化していた全米レスリング・ウォーの中でこのような選手達を同じリングに上げるというのは並大抵ではないですねぇ~。


大学時代はレスリングAAU(全米体協)3連覇という経歴の持ち主。ボブ・バックランドが同タイトルを4連覇している、と聞けば、その実力加減が伺えます。しかし残念ながら本当にローマオリンピックに出場したかどうか・・・確実な資料がないのでわかりません。どなたかわかる人いれば情報くださいね。



団塊Jrのプロレスファン列伝

バロン・フォン・ラシク


東京オリンピック(1964年)

レスリング グレコローマンスタイル ※ケガにより出場辞退


見たまんま、オリンピックなんてラシクもないぜ。と言わんばかりのそのイメージやファイトスタイルからはレスリング臭さ、レスリングのクセすら感じることもなく・・・どうがんばって見てもバロン・フォン・ラシク。やっぱり結びつきませんよね。


団塊Jrのプロレスファン列伝

このイメージだよなぁ


そんなラシクでしたが、デビュー当時はレスリングを基に正統派レスラーとして活躍。テクニックは申し分ありませんでしたが本当に単に正統派レスラーという感じだったようです。でも、いくら正統派の実力者として通っていても、それだけではどうしてもメシが食えないのがプロレス。ある日、同じようにオリンピック出場経験があり正統派で売り出しながらパッとしなかったが、のちにヒールにイメチェンし人気を博したマッドドック・バションにアドバイスをもらい、ラシクは大胆にヒールに転向し大成功をします。


オリンピックは残念ながら出場はケガの為、辞退となってしまったんですが、選出されるということは当然それだけの資格、実績を持っているということですよね。


プロレスラーでグレコローマンのスタイルというとラシクのタッグパートナーでもあったドイツの帝王ことホースト・ホフマンが有名ですが・・・両者のプロレススタイルから見られるそのイメージとはどうしてもホフマンの方が正統派レスリングの使い手で強いような印象になってしまいますが、おそらくスパーリングしたらラシクにはかなわなかったんじゃないかなぁ?と思いますね。


団塊Jrのプロレスファン列伝

サルマン・ハシミコフ


モントリオールオリンピック(1976年)

レスリング グレコローマンスタイル ※ケガにより出場辞退


モスクワオリンピック(1980年)

レスリング グレコローマンスタイル ※ケガにより出場辞退


90年代、レッドブル軍団が来日していた頃の新日本はボクは好きでしたね~。


有名どころはサルマン・ハシミコフとビクトル・ザンギエフでしたが、ボクが一番好きだったのが実はワッハ・エブロエフでした。持ち技はけして多くなかったのですが、その数少ない持ち技のポテンシャルの高さ、これが素晴らしくてとても好きでしたね。中でも飛びつき逆十字!!これがよかったですねぇ~。


レッドブル、みんなドロドロのレスリングスタイルでやってましたよね。見ているこっちもそのつもりで見ていたのですが、そんな中で意表を突いてのサンボテクニックには度肝を抜かれました。しかもこれが見事に入って、よかったんだよなぁ~。のちにリングスにヴォルク・ハンが登場したとき、ちょっとエブロエフに顔が似てるなぁ~と思い、嬉しくなったのは言うまでもありません。え、キミもやっぱりそう思った?そっかーうれしいな~♪


って、私が用があるのはサルマンよ!!サルマンを呼んでちょうだい!!


さて、ハシミコフです。ハシミコフのレスリングにおける階級は、あのカレリンの次に体重が重い激戦区級。そこでレスリングで世界選手権3連覇を成し遂げているといえば、これは相当な実力者だったと言えます。残念ながらオリンピックはケガに泣かされ出場できずに終わってしまっていますが、出場すればおそらく2連覇は間違いなかったのではないかなと・・・悔やまれますねぇ~。でも、逆にそうなっていたら日本のリングには上がらなかったかもしれないなぁ~。



さて、3回にわたってお送りしてきましたオリンピック特集、いかがだったでしょうか?


この選手が!?こんな選手がいたの!?え、そんな過去が!?そんな驚き、発見も多々ありましたが・・・でも最もすごい驚き、発見は何と言っても、最大にして一生のネームバリューになるオリンピック出場という肩書を持っていたにもかかわらず、プロレスラーに転向した人が今までにこんなにいたのか・・・という事実ではなかったでしょうか?


風が吹けば桶屋が儲かる、因果はめぐる糸車・・・かつてオリンピックという最高のブランドを見せつけられようとも、プロレスはけして引けを取らない輝ける存在だった。オリンピックですら、プロレスに続くストーリーになっていたのだ・・・と言ってしまうと少し大げさかもしれませんが、それでも現在、オリンピック出身レスラーが、もはや絶滅危惧種へと向かって行ってしまっている現実を見れば、オリンピックに劣らないプロレスの輝きを取り戻したい気持ちでいっぱいになります。


56ぶりの東京五輪では、どんな選手が現れ、そんなドラマが生まれるんだろう?そして2020年、プロレスはオリンピックに劣らない輝きを取り戻しているのだろうか・・・ずばらしい未来を願うばかりです。





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