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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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プロレス研究所~MSGとプロレス その4 ② 3代目マディソンの時代 1925~1968年~

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その4 ①からの続きです。

探偵「先輩、マディソンでプロレスが行われなくなるって、一体どういうことなんですか!?こんなに盛り上がってきたのに・・・」

先輩「確かに新しいマディソンも安定していてプロレスも充実してきた。個性あるレスラーもたくさん現れてきたよ。しかし、1938年3月30日にダノ・オマホニーとスティーブ・ケーシーが対戦した日を最後に、以降1949年2月22日までの11年間、マディソンでプロレスは行われなかったんだ」

探偵「じゅ、11年も!!一体何があったんですか!!」

先輩「それは・・・」

探偵「それは!?」

先輩「・・・」

探偵「あの~・・・先輩!?」

先輩「・・・」

探偵「どうしま・・・」

先輩「・・・」

探偵「せん」

先輩「あぁぁぁぁぁー!!」

探偵「なっ!?」

先輩「なんだ!!人がいっつもなんでもわかると思って!!おれだってわかんないことだってあんだよぉー!!」

探偵「せ・・・」

先輩「毎日毎日、時間が少しでもあればマディソンのこと調べて控えて、少しでも情報載ってる本を見つけりゃ買って・・・夕飯食べながらだって、明日はあれ調べられるかな!?って!!布団に入って寝る直前だって、なんか思いついたら起き出して下書きして!!毎日毎日マディソンのことばっかり考えて、あー!!」

探偵「ああ・・・」

先輩「あー!!あ、じゃあ何か!?「気がつくとマディソンのことばかり考えてます」って渡したくても渡せない手紙を夜な夜な書くか!?マディソンが自分以外の異性と話してるだけでヤキモチを焼くか!?用もないのに校門で時間稼いでマディソン来たら出てって「あ、あれ今帰り?」って偶然を装うかよ!?あ!?片想いか!?おれはマディソンに片想いか!?桃色片想いかよぉ!!」

探偵「も、桃色片想いって・・・でもあの・・・1939年から1945年は第二次世界大戦が行われていましたから、それが原因だったというのは・・・だいたい時系列も合いますし・・・ど、どうですかね?」

先輩「ふん。まあ、第二次世界大戦、それは影響あったとは思うよ。でも完全にそれが原因か?と言われれば、これが疑問なんだよ」

探偵「と、いうと・・・!?」

先輩「この11年はマディソンでこそプロレスが行われなかったが、アメリカ全体でプロレスが衰退していたわけじゃなかったんだ。他の州じゃ盛んにプロレスは行われていたんだよ。特に必須るは中部地区で最強と言われていたオービル・ブラウンというレスラーだ」

探偵「オービル・ブラウン!?」

先輩「そう。オービル・ブラウンは1940年代にアイオワ州版の世界ヘビー級タイトル、カンザス州版の世界ヘビー級タイトルの王者になっており、そしてカンザス州カンザスシティに本拠地を置いていたミッドウェスト・レスリング・アソシエーションの世界ヘビー級タイトル(MWA世界ヘビー級)戦線で王者となっては、その名を残したレスラーなんだ。特にこのMWA世界ヘビー級王座はオービル・ブラウンの歴史そのものと言っていいほどで、1940年から1948年までに防衛戦はもちろん11回戴冠という記録も残っているくらいなんだよ」


オービル・ブラウン

探偵「うーん、1940年6月にMWA世界ヘビー級の初代王者のボビー・ブランズ(のち力道山をコーチしデビュー戦の相手を務めたレスラー)から王座を奪取し初栄冠。1942年11月、カンザス州カンザスシティではエド"ストラングラー"ルイスとタイトル戦を行った記録も残っていると・・・なるほど・・・」

先輩「うん。かくしてオービル・ブラウンは1948年、その実績から新しく創設されたナショナル・レスリング・アライアンス、NWAの初代世界ヘビー級王者に認定されるんだ。同時に自身がこれまでに手にしたタイトルも含め当時各地に存在していた"世界ヘビー級タイトル"をこの新しいNWAに統一するため動いた重要な人物だったらしい」

探偵「驚きました。強豪にして左翼的というか・・・こんなレスラーが歴史に埋もれてしまっていたとは・・・」

先輩「そして迎えたのが、このNWA初代世界ヘビー級王者のオービル・ブラウンと、1948年7月20日にインディアナ州で"ワイルド"ビル・ロンソンからナショナル・レスリング・アソシエーション、全米レスリング協会の認定するNWA世界ヘビー級王座を奪い王者となっていたルー・テーズとの間で行われることになった王座統一戦だったんだ」

探偵「同じNWAという名称の世界タイトルがふたつあって、その統一戦だったわけですね」

先輩「そう。その決戦は1949年11月25日に行われるはず、だったんだ」

探偵「はず?」

先輩「ああ。決戦の14日前の同月1日、オービル・ブラウンは交通事故に遭ってしまい、その怪我が原因で試合には出られず・・・やがて引退となってしまうんだ。このため統一戦は行われずテーズがNWAの統一王者に認定された、というわけなんだ」

探偵「これがドリー、レイス、フレアーらに続く、ボクらの知ってるあのNWAの始まりなわけですよね。しかし、うーん、その始まりにはそんなことがあったんですか・・・」

先輩「そう。1940年代はアメリカに数多く点在していた"世界ヘビー級タイトル"の試合が盛んで、後半には統一への動きが見られたってわけさ」

探偵「なるほど。こうして見ると、確かにこの11年間でプロレスが衰退した様子は伺えないですね」

先輩「それに1945年に第二次世界大戦が終結したあとは、戦地に赴いていた人々が帰還してきて・・・この帰還兵の受け皿としてプロスポーツ界はかなり活性化したんだ。特に団体競技はアメリカ各地でプロのスポーツチームが続々誕生してはリーグが賑わいを見せていたという。先にちょっと触れたバスケットボールは1949年にNBAの前身、BAA(バスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ) が誕生したりしたくらいなんだよ。だからなぜ、この11年間にマディソンで試合が行われなかったのか、わからないんだ」

探偵「うーん・・・マディソンだけが、かぁ。プロモーター、政治面、興行面で何かあったんですかねぇ?」

先輩「そうだな。そういうのもあったのかもしれないなぁ。たとえば・・・1930年代初め、黄金のギリシャ人といわれたジム・ロンドスというレスラーがマディソンのリングに上がっていたんだ」

探偵「黄金のギリシャ人!?」

ジム・ロンドス

先輩「そう。ロンドスは1930年6月にフィラデルフィアでニューヨーク州体育協会世界ヘビー級を奪取すると、世界恐慌の真っ只中のこの時代にしてマディソンの定期戦で毎回超満員、つまり毎回約2万人の観客を動員するほどの人気を誇ったんだ。ピークは1931年6月29日にニューヨークのヤンキースタジアムで行われた元祖STFのレイ・スティールとの対決で、この試合では4万人を動員したという。まったく文句のつけようのないスーパースターだったんだよ」

探偵「ロンドスのレイ・スティール戦、すごいですね!!殴り合いながらもレスリングの攻防もあるエキサイティングな試合ですよ!!まるでUWFからキックを排除したような戦いです。なぜスーパースターだったのかがよくわかります」

先輩「しかし1932年後半になるとロンドスのマネージャーと当時ニューヨークの大プロモーターだったトゥーツ・モントの間でトラブルが発生してしまい、モントの圧力もあってロンドスはニューヨーク州体育協会世界ヘビー級を返上させざるを得ない状況になり、マディソンからも姿を消すことになるんだ」

探偵「うむぅ・・・これだけ人気のあった看板レスラーが、わずか2年でいなくなってしまうなんて・・・恐るべしはトゥーツ・モントですね」

先輩「そう。トゥーツ・モントは元はレスラーで、1920年代にルイスとビリー・サンドウと3人でレスラー兼プロモーターの派閥"ゴールドダスト・トリオ"を組むんだ。これが前々回に話したルイスのプロレスマーケティングの話と繋がるんだ。モントはルイスと一緒に現在に続くプロレスリングのビジネス形態を作った人物でもあったんだよ(プロレス研究所~MSGとプロレス その3 ② 2代目マディソンの時代 1890~1926年~)」

探偵「なるほど・・・黒幕的な存在だったんですね」

先輩「そうだね。しかし1930年代になるとモントは、それまでゴールドダスト・トリオを解散し、ゴールドダスト・トリオとは対抗的派閥であったプロモーター同士の組織"トラスト"に入り、その能力を発揮していくんだ。ロンドスがニューヨークを追われる際はモントが牛耳るこのトラストの圧力がかかったらしいから・・・」

探偵「ちがう場所に行ったとしても、そこのプロモーターがトラストのメンバーだったなら、あいつはニューヨークでこうだったから・・・という情報共有が行われており使われない可能性があった、というわけですね」

先輩「そう。ロンドスは人気があったので、その後は別の州で活躍したが・・・結局ロンドスのあとニューヨーク州体育協会世界ヘビー級はルイスが王者となる。これは昔からルイスと馴染みのモントの策略だったんだろう。しかし、レスリングの実力では申し分なかったが当時の人気からするとロンドスの穴をルイスで埋めるのは難しかった。そこで新しい看板レスラー、マディソンの新しいスターが欲しくなったわけだ」

探偵「そこでルイスからタイトルを奪ったのがジム・ブラウニング・・・前回見た試合というわけですか」

先輩「しかしブラウニングもロンドスにはなれなかった。マディソンの空白の11年の一番の原因は、もしかしたら"スターの不在"だったのかもしれないな・・・」

探偵「もしロンドスが2年で去らず、ずっとマディソンにいたなら・・・その後の歴史は変わっていたんでしょうねぇ」

先輩「そうだな~。少なくとも11年空白というのは、なかったかもしれないな」

探偵「しかし先輩。1949年2月22日、ここからまたマディソンでプロレスが行われるようになるんですよね?この試合はどういうものだったんですか?」

先輩「うん。まず・・・第二次世界大戦後、敗戦に打ち拉(ひし)がれる日本に夢と希望を与えたのは誰が何と言おうと力道山のプロレスだった。これはわかるよな」

探偵「はい。日本で初めてテレビ放送が開始されたのが1953年2月1日、NHKで・・・同年2月19日に日本初となるプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsシャープ兄弟の世界タッグ選手権者が行なわれ、この日は日本テレビとNHKが同時中継し、日本中がプロレスに熱狂。以後プロレス中継は継続され戦後の日本を盛り上げていきました。グレート東郷のとき調べましたよ。(名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その3 やって来た大悪党~)」

先輩「そう。日本がそうだったように、第二次世界大戦後はアメリカでもテレビでプロレスが中継されるようになりブームとなったんだ。しかも日本よりも早くて第二次世界大戦の終戦直後からプロレスの全米中継は開始されたという」

探偵「この頃は、テレビの開発や普及が日本より早かったでしょうからね。それで、アメリカのテレビ事情はどんな感じだったんですか?」

先輩「先駆けとなったのは1949年9月17日からイリノイ州シカゴのテレビ、デュモンテレビネットワークで"レスリング・フロム・マリーゴールド"という番組名で放送されていたものだ。これは全米に放送されたそうだ」

探偵「マリーゴールド!?なんで花の名前が!?」

先輩「シカゴにマリーゴールド・アリーナというのがあり、そこからの放送がメインとされていたらしい。だからこの名前だったんだろう。番組は毎週土曜日の21時から90分~120分という時間で放送されていたという。プロデューサーはプロレスでもプロモーターで、のちにNWA会長にもなったフレッド・コーラーが務めていた。全米中継は1955年で打ち切りになったがローカル放送では1957年まで放送されていたそうだよ」

探偵「ここではどんなレスラーが活躍していたんですか?」

先輩「シカゴではバディ・ロジャースやルー・テーズの試合を中継し人気となり、かなりのプロレスブームを起こしていたようだ」

"ネイチャーボーイ"バディ・ロジャース。ラフでダーティなファイトで、ヒールにして"強くてワルくてカッコいい"レスラーとして絶大な人気を誇った。1961年6月にパット・オコーナーを破りNWA世界王者になった試合ではシカゴのベースボールスタジアムであるコミスキー・パークに38622人の観衆を動員した。当時、全米で最も観客動員数を稼ぐレスラーだった

若かりし日のルー・テーズ。もはや何の説明もいらない20世紀最強のレスラー

探偵「世界王座を統一した圧倒的な実力者のNWA世界ヘビー級王者のテーズに、リック・フレアー、ニック・ボックウィンクルのスタイルの原点となった名レスラー、バディ・ロジャースとくればアメリカ中も夢中にもなりますね。ありがたいことにそのテレビ中継のおかげで、このあたりの試合映像は現在まで結構残っていますね」

先輩「そうだな。一方、西海岸ではカリフォルニア州ロサンゼルスのテレビ局、こちらは番組名など詳細はわからなかったんだが、やはりプロレス中継があり壮大な人気を得ていたんだ。こちらで中心となったのがゴージャス・ジョージだったんだ」

探偵「ゴージャス・ジョージ?うーん、テーズやロジャースはボクですら名前を聞いたことあるレスラーですが、これはわからないですね・・・ずいぶんヘンテコな名前ですが」

先輩「ははは。確かに、いきなり聞いたらそう思うのも仕方ないかもしれないな。しかし、このレスラーがいなかったら・・・というところが実際のところだ。現在に繋がるプロレスにまで多大なる影響を及ぼしたレスラーだからね。写真がある」

ゴージャス・ジョージ

探偵「へ!?これ!?なんですかこの格好!?」

先輩「貴族さ。しかし格好だけじゃないぞ。ゴージャス・ジョージは、まず執事のジェフリーズ・ブラウンにリングにカーペットを敷かせ、エドワード・エルガーの威風堂々に乗り、客とやり取りしながらゆっくり悠々と入場するんだ」

探偵「ちょ、ちょっと待ってください。執事にカーペット!?それに威風堂々ってランディ・サベージの!?この時代にもう入場テーマ曲を使っていたんですか!?このレスラーは一体!?」

先輩「ゴージャス・ジョージはプロレスのショーマンスタイルの祖。ショーマンの始まりなんだよ」

探偵「ショーマンの祖!!」

先輩「そう。貴族に扮したジョージが執事のジェフリーズを先頭に優雅に入場してきて、髪にしてあったピン止めを取らせ、ロープを開けてもらい入場する。やがてリングの隅々には香水が撒かれリング上はジョージの世界となっていくんだ」


丁寧に"シャネルの10番"を撒くジェフリーズ・ブラウン

探偵「本当に執事だ・・・」

先輩「試合前のボディチェックになってもまだガウンを脱がず、レフリーが試合だと手を伸ばせば汚い手で触るなと拒否。そのあとゆっくり脱いで丁寧に畳んで執事に渡す。試合が始まってもなかなか組まず、客席とやりあっては相手を焦らす。始まれば、こズルい攻めでブーイングを受け、ジョージがやられたなら観客は大喜び。大歓迎を受ける。そして、ときにはリングからマイクでアピールすることもあって・・・」

探偵「そうか・・・今日はどんな入場シーンを見せてくるのかな?どんなことをしゃべるのかな?どんなプロレスするのかな?素敵なジョージが見たい!!キザ野郎がやられるところが見たい!!プロレス中継があるたび人々はジョージを見たくてテレビの前に釘付けになったというわけですね。これは驚きました」

先輩「あのモハメド・アリもジョージのファンだったというからな。ヒールにしてヒーローのゴージャス・ジョージだったというわけさ」

その人気からハリウッド映画に出演することも多々あった。画像は1949年に本人役で出演したエイリアス・ザ・チャンプ

奥さんであるベティ・ワーグナーにトレードマークのプラチナブロンドの髪を整えてもらうゴージャス・ジョージ。試合前はもちろん、日常でもいつも身だしなみを整えていた。そういえば今の新日本にも映画に出演したり、髪を常に整えては身だしなみの素敵なレスラーがいるが、よく見ると顔もジョージに似てるような!?

探偵「しかし先輩。ゴージャス・ジョージがすごかったのはわかりましたが、ゴージャス・ジョージは西海岸のヒーローですよね?マディソンがあったニューヨーク、つまり東海岸とは関係ないのでは!?」

先輩「ところが、この1949年2月22日の11年ぶりのマディソンでのプロレスこそ、このゴージャス・ジョージの試合だったんだよ」

探偵「そうだったんですか!!西海岸のヒーローが東海岸に初見参という流れだったんですね。これは相当センセーショナルだったのではないですか」

先輩「それが・・・西海岸で絶大な人気を誇ったゴージャス・ジョージの東海岸、ニューヨークでの試合は11年ぶりのマディソンでのプロレスに華を添えると思われていたが・・・」

探偵「ええ!?」

先輩「この日、マディソンの観客動員数はわずか4197人という信じがたいものだったんだよ」

探偵「2万人近く収容できるマディソンに4197人!?」

先輩「そう。この日、ゴージャス・ジョージはアーニー・デューセック(NWA世界タッグ王座のセントラルステーツ版、サンフランシスコ版、ロサンゼルス版でタッグ王者としてその名が見れるが詳細は不明)というレスラーと対戦したんだが・・・」

探偵「はい」

先輩「西海岸を席巻したショーマンスタイルをそのまま披露したが予想に反しニューヨークのファンは失望。ニューヨークタイムスをはじめマスコミは酷評し評判は最悪だったんだ」

探偵「で、でも西海岸のロサンゼルスのプロレスも全米中継されていて、東海岸でもゴージャス・ジョージの名は知れ渡っていたはずじゃ!?なぜこんなことが!?」

先輩「土地柄・・・だったんではないだろうか?」

探偵「土地柄・・・」

先輩「確かにゴージャス・ジョージの試合は全米中継されていたから東海岸でも知られてはいただろう。しかし約1300キロの距離があるとはいえロサンゼルスに比べたらニューヨークはシカゴに近かったからね。ファンにはシカゴのテーズやロジャースのファイトの方が軸となっていたんだろう」

探偵「圧倒的な実力で展開されるテーズのファイトと、ラフとダーティさで魅了したロジャースのファイトを見てプロレスが根付いたファンにとったらジョージのショーマンは受け入れられなかったという感じなんですかね」

先輩「ああ。おれらの世代だったら・・・たとえば新日本時代のダスティ・ローデスは確かに人気はあったが、でも日本じゃハンセンの方がダントツな人気者でローデスはかなわなかった。しかしアメリカじゃハンセンはそこまで支持を得ていなかった。一方のローデスは全米どこへ行っても必ず会場を満員にできるほどのスーパースターだった。それと同じなんだろうな」

探偵「なるほど。ここで人気があるからちがうところでも人気があるとは限りませんもんね。知名度と人気は必ず表裏一体ではない、かぁ・・・それにしてもショーマンなしでは語れないWWE発祥の地が、かつてはショーマンが受け入れられなかった地だったというのは不思議でなりませんね」

先輩「そうだな」

探偵「しかし、11年ぶりに開催されたプロレスがこうなってしまっては、このあとのマディソンでのプロレスの運命、不安が立ち込めることになってしまいましたね」

先輩「いや、ところがこのあとマディソンに救世主が現れることになるんだよ」

探偵「救世主!?それは!?」

その4 ③へ続きます。

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