どうも!!流星仮面二世です!!
さあ、久々の必殺技を語ろう!今回はですね、アントニオ猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドでございます。
ボクがプロレスの技で最も好きな技がジャーマン・スープレックス・ホールドなんですが、その中でも一番好きなのがアントニオ猪木のなんです。投げる際に反りを効かせるブリッジ。その様は力強く、でもしなやかで美しい。そして他のレスラーには真似のできない投げている瞬間の表情ですね。これがとにかくカッコよくて最高にシビレるんですよ~。
ということで今回は、この猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドの歴史を戦績と共に振り返ります。それではいってみましょう。
◎1969年
6月12日 秋田県立体育館 (初)
タッグマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木、ジャイアント馬場vsスカル・マ ーフィ、クルト・フォン・ストロハイム
①ストロハイム(体固め 13分22秒)猪木
②馬場(片エビ固め 7分3秒)マーフィ
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 2分55秒)ストロハイム
初公開の猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド。見事!!
6月19日 千葉県体育館 (2)
シングルマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木vsクルト・フォン・ストロハイム
①ストロハイム(体固め 17分36秒)
②猪木(コブラツイスト 5分26秒)
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 3分17秒)
7月3日 蔵前国技館 (3)
アジアタッグ選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木、キム・イルvsブルート・バーナ ード、クルト・フォン・ストロハイム
①バーナード (体固め 15分5秒)猪木
②キム(体固め 6分7秒)バーナード
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 6分30秒)ストロハイム
同年7月3日、蔵前での3回目のジャーマン・スープレックス・ホールドは猪木には珍しいベタ足だった
7月10日 タイ バンコク市 ナショナルスタジアム (4)
シングルマッチ 45分3本勝負
アントニオ猪木vsクルト・フォン・ストロハイム
①ストロハイム(体固め 13分2秒)
②猪木(コブラツイスト 7分17秒)
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 6分12秒)
7月12日 シンガポール シンガポール市 ガイア ワールドスタジアム (5)
シングルマッチ 45分3本勝負
アントニオ猪木vsクルト・フォン・スタイガー
①猪木(コブラツイスト 17分13秒)
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 4分21秒)
9月28日 大阪府立体育会館 (6)
インターナショナルタッグ選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木、ジャイアント馬場vsザ・デスト ロイヤー、ブラック・ゴールドマン
①馬場(コブラツイスト 14分30秒)デストロイヤー
②デストロイヤー(体固め 6分8秒)馬場
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 4分20秒)ゴールドマン
11月5日 横浜文化体育館 (7)
6人タッグ 60分3本勝負
ザ・デストロイヤー、ミスター・アトミック、ブラッ ク・ゴールドマンvsアントニオ猪木、ミツ・ヒライ、星野勘太郎
①アトミック(体固め 21分32秒)星野
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 7分13秒)ゴールドマン
③デストロイヤー(体固め 2分40秒)ヒライ
ということで初公開年です。猪木がジャーマン・スープレックス・ホールドを初公開したのは今から51年前の1969年6月12日。26歳のときでした。この技は1961年の5月にカール・ゴッチが日本において試合で初公開し、次いで1966年5月にヒロ・マツダが日本人レスラーとして初公開して以降、その難易度から使い手が現れませんでした。しかしゴッチ公開から8年後、マツダ公開から3年後に猪木が3人目の使い手として公開したことで注目を集めることになりました。
ゴッチにブリッジを指導される若き日の猪木。この鍛練が幾多の名勝負を彩ったジャーマン・スープレックス・ホールドを生むこととなった
その注目の1発目、初公開となった対戦相手はナチの残虐者ことクルト・フォン・ストロハイムでした。ストロハイムは身長190センチ、体重は120キロあった大型のレスラーでしたが、猪木は失敗することなく見事に決め勝利を飾っています。しかし驚くべきは、その後の戦績です。なんと猪木は初公開から4回連続で同じ相手となるストロハイムに決めていたのです。初公開がストロハイムなのは知っていましたが、4回連続で同じ相手だったとは・・・これは今まで知りませんでした。
そして5回目の対戦相手で初めてストロハイム以外の相手、ナチの禿鷹ことクルト・フォン・スタイガーに決めていました。これ、ここまですべてナチスドイツ系のレスラーへなんですね。ドイツ式のスープレックスをナチスドイツに連続で決めていたというのは興味をそそられます。そして最後は2回連続で同じ相手、ブラック・ゴールドマンと、いうことでした。
猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド創世記はストロハイムに4回、スタイガーに1回、そしてゴールドマンに2回と全部で7回の使用でしたが、特徴として同じ相手に連続してという傾向が見られました。当時は技自体が珍しく、そして受け身の仕方も未知だったので、猪木にすると実戦での試運転的なところですね、もしかしてあったのかもしれないですね。
◎1970年
3月2日 広島県立体育館 (8)
アジアタッグ選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木、吉村道明vsフリッツ・フォン・エリック、ジム・オズボーン
①猪木組(反則勝ち 16分21秒)エリック組
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 10分32秒)オズボーン
ジム・オズボーン相手に気迫漲(みなぎ)る一撃!!
5月13日兵庫県・姫路市厚生会館 (9)
タッグマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木、ジャイアント馬場vsクリス・マルコフ、ターザン・タイラー
①猪木組(反則勝ち 20分7秒) マルコフ組
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 3分20秒)タイラー
6月8日 愛知県体育館 (10)
アジアタッグ選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木、吉村道明 vsジ・アサシンズA、B
①吉村(エビ固め 6分10秒)B
②A(体固め 17分39秒)吉村
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 3分45秒)A
8月2日 福岡スポーツセンター (11)
NWA世界ヘビー級選手権試合 60分3本勝負
ドリー・ファンク・ジュニアvsアントニオ猪木
①ドリー(体固め 30分38秒)
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 7分4秒)
③時間切れ引き分け
NWA世界王者から一本を奪った渾身の一発!!
9月30日 広島県・福山市体育館 (12)
NWAタッグリーグ戦 45分3本勝負
アントニオ猪木、星野勘太郎vsフランキー・レイ ン、バッド・ラーテル
①ラーテル(体固め 15分41秒)星野
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 7分41秒)レイン
③星野(体固め 0分55秒)ラーテル
フランキー・レインには高さのあるジャーマン・スープレックス・ホールド
10月9日 鹿児島県立体育館 (13)
シングルマッチ 30分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 9分53秒)ジョニ ー・クイン
続いて70年です。先ほども触れましたが、使い始めた69年当初から70年中盤までは試運転的な感じもありました猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド。しかし70年8月は福岡でのドリー・ファンク・ジュニアとのNWA戦で炸裂し、いよいよビッグマッチで初使用となりました。このドリー戦は3本勝負で2本目を取り返した起死回生、魂の一撃となりました。
さて、ドリー戦を含め、ここでは3つの画像で猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドをご紹介しましたが、どれも投げる瞬間の闘志に満ちあふれた猪木の表情が必ず見えていますよね。この表情こそ猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドを象徴する姿であり、数々の名勝負、戦いにドラマを生んできた源となったわけです。でも、この猪木の表情が見えるということ・・・実はこれは表現という意味だけではない、投げの理論に基づいた歴とした技術、なんです。
投げているとき表情が見えているということは体、特に首が反っている、ということになります。
このブログで何度かお話しているように、ジャーマン・スープレックス・ホールドは重心の使い方が大事です。重心はちょうど膀胱のあたり、ここに鉄の玉があると考えていただければわかりやすいと思います。バックに回り、しっかりクラッチをし膝を曲げ腰を沈める、自分の重心を相手の重心より引くするわけですね。そして、ここから重心を重心で跳ね上げながら体を真後ろに反らせると、いうわけです(注:女性の重心は男性よりうしろ、尾てい骨付近になるそうです)
しかし、ここで首の反動を使わない、首が反っていないと相手の背中に顔やアゴが着いたままの状態になります。これだと首の振りによる反動が生かせないので反りが不十分になり、ブリッジが成り立たず自分の顔や頭が潰れたり、首を痛めたりすることになります。姿勢も足しか立ててない、いわゆる腰砕けの状態になってしまうわけですね。
と言っても、わかりずらいと思うので・・・ここは簡単な動作でみなさんにも体験してもらいましょう。
まず、いわゆる「ヤンキー座り」をします。ベタ足でもつま先でもいいので、この状態から自分が背筋を伸ばせる方にしてください。で、この姿勢から背筋を伸ばし、二通りの立ち上がり方をします。
やり方は
①真っ正面を向いたまま立ち上がる
②立ち上がるのと同じタイミングで、せえーので顔を天井に向けながら立ち上がる
です。
さあ、どうでしたでしょうか?
①は普通に立つ感じですが、②は立ち上がりに軽さを感じ、中にはやや後ろにフラッとした感覚になった方も、いたのではないでしょうか?
①は下半身、足だけで立ち上がった状態、つまり何もしてない上半身を下半身でスクワットした状態になります。対して②は下半身の動きに上半身の動きを乗せた動き・・・つまり下半身が上半身を持ち上げるのではなく、上半身と下半身を連動させた、全身を使って立ち上がった状態になるわけです。後ろにフラッとなった方は、顔を上に向けたことにより反動が起きた、つまり"反り"が発生したから、なんですね。
では、これをジャーマン・スープレックス・ホールドに置き換えてみましょう。
①は、相手の背中に顔やアゴが着いたままの状態。後ろに持っていけば足だけはジャーマン・スープレックス・ホールドみたいになりますが、上半身が使われていないので単に"持ち上げて落とすだけ"の形のものになってしまうのが体験からも明らかですね。当然、これだと投げたあとのブリッジは成り立ちませんから"ホールド"を成立させるのは難になります。
②は、下半身で重心を上げながら、この首の動き、首の振りで体を反らせるので首から背中、腰も連動し体が反り、胸も連動されて引っ張られるのでクラッチを組んだ腕も強く引かれることになります。体全体が統率され反り投げるということになるわけです。バックに回りしっかりクラッチ。重心位置。そして全身を使って反る!!これがジャーマン・スープレックス・ホールドなんです。
で、それを踏まえた上でです。ファンには知られているように、猪木はテクニックだけでなく全盛期はパワーファイターでも通用するくらいの力、筋力がありました。そして他のレスラーにはちょっとない、類稀なる体の柔軟性も持っていました。猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは、確固たる投げの技術にパワーと柔軟性が乗る、しかも表情にはドラマがある"至極"の必殺技だったんだと、言えると思いました。
70年はドリー戦後、NWAタッグリーグ戦でフランキー・レインに一度決め、70年最後となったジョニー・クイン、のちのビッグ・ジョン・クインですね。身長195センチで体重は135キロ以上あったというクインは、ここまでで一番大型のレスラーとなりましたが、猪木はこの素晴らしいジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利しています。この年は6回の使用でした。
◎1971年
1月31日 愛知県・西尾市体育館 (14)
シングルマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木vsリッキー・ハンター
①猪木(体固め 11分42秒)
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 8分24秒)
8月5日 愛知県体育館 (15)
UNヘビー級選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木vsジャックブリスコ
①ブリスコ(体固め 21分2秒)
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 7分6秒)
③猪木(コブラツイスト 1分37秒)
10月18日 長崎県・長崎国際体育館 (16)
NWAタッグリーグ戦 45分3本勝負
アントニオ猪木、坂口征二vsネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ
①坂口(体固め 12分35秒)ジョーンズ
②ロイヤル(体固め 8分0秒)猪木
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 4分56秒)ロイヤル
さて、71年です。この年は年明けの1月末に氷上鬼といわれたリッキー・ハンターへ。そしてその約5ヶ月後には猪木史上、一番の完成度と言われたジャック・ブリスコ戦がありました。
1970年のところで解説をしましたが、このブリスコ戦では先に述べた"確固たる投げの技術にパワーと柔軟性が乗る"というジャーマン・スープレックス・ホールドに、猪木ならではのオリジナリティーな技術が加えられた強烈な一撃となりました。
そう、それは「高角度」でした。
この日は、後ろに反るところを一旦上に上げ、そこから反りをかけてジャーマン・スープレックス・ホールドに持っていっています。通常のジャーマン・スープレックス・ホールドの"バックに回り反る"がワン・モーションだとすると、これは"バックに回り上げてから反る"という、いわばツー・モーションの投げ、と現すことができるかなと思います。
では、ちょっと見てみましょう。

まずバックに回りますが、バックに回ったあとの、この猪木の腰の落とし方に注目です。相手の重心より遥かに下に持ってきていますね。ちょうど猪木の胸にブリスコのお尻が乗っている状態になっています。で、ここから、このまま後ろには反らず、上に上がります
高く上げて反る、高角度のジャーマン・スープレックス・ホールド。それは本家のゴッチにも先駆者のマツダにもなかった新しいものでした。現存する技に新しいムーブを加えオリジナリティーを出し、技の意気をさらに高めていく・・・つくづくアントニオ猪木なんだなぁと思うばかりでした。それにしてもこのジャーマン・スープレックス・ホールド、見てください。本当に素晴らしい形です。ああ、すごいなぁ~やっぱり・・・
さて、この71年はブリスコ戦の約2ヶ月後の10月18日、長崎でのタッグマッチでネルソン・ロイヤルに決めたジャーマン・スープレックス・ホールドが最後となりましたが、12月13日に日本プロレスを追放されてしまうことになる猪木にとってはこのネルソン・ロイヤルへの一撃が日本プロレス時代の最後ともなりました。この年は3回の使用となっています。
◎1972年
11月13日 滋賀県・大津市皇子山体育館 (17)
タッグマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木、柴田勝久vsフランク・モレル、ロナルド・パール
①柴田(体固め 14分40秒)パール
②パール(体固め 3分55秒)柴田
③猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 3分42秒)モレル
72年、日本プロレスをあとにし新日本プロレスを旗揚げしての最初にして唯一の使用はネルソン・ロイヤル以降、約1年ぶりとなる11月で、相手は身長190センチ、体重120キロある大型のレスラー、フランク・モレルでした。
このフランク・モレル、ボクは知らないレスラーだったんですが、新日本ではこのように猪木と対戦し、78年は全日本プロレスの第6回チャンピオン・カーニバルへ参戦し馬場さん、鶴田とシングルで対戦し、84年10月には驚くべきことに旧UWFへ参戦し山崎、高田、前田とシングルで対戦しているというすごい経歴の持ち主だそうなんです。少ない来日で、これだけ日本のトップと当たっているレスラーは、まずいないと思います。わからないもんですね。
◎1973年
7月23日 愛知県・名古屋市体育館 (18)
シングルマッチ 30分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 5分36秒)ターザン・ジャコブス
8月16日 東京都・足立区体育館 (19)
シングルマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 23分25秒)シーン・リ ーガン
73年です。この年は、まずはターザン・ジャコブスです。ターザン・ジャコブスはボクが姿を知っているのは恒文社から出ていたプロレスアルバム「超大技からオモシロ技まで必殺技大集合!」で小鉄さんにサソリ固めのような技をかけるシーンのみでしたが、当時は身体中に鎖を巻き入場してきた怪力派、筋肉マンタイプのレスラーだったそうです。
そしてシーン・リーガンです。イギリス出身。ヨーロッパ・スタイルの超実力者で、この猪木戦は隠れ名勝負として現在でも一部マニアの間では語り草になっているそうです。で、ボクは見たことがないんですが、このときの猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは猪木には珍しい、カール・ゴッチのようなベタ足の踵付けだったと伺ったことがあります。ボクは本とかでも見たことがなくて、映像も・・・残ってないですかね・・・これはちょっと見てみたかったです。この年は2回の使用でした。
◎1974年
1月11日 山口県・徳山市体育館 (20)
タッグマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木、山本小鉄vsマイティ・カランバ 、ピート・ロバーツ
①猪木(コブラツイスト 13分29秒)カランバ
②猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 3分47秒)ロバーツ
3月19日 蔵前国技館 (21)
NWF世界ヘビー級選手権試合 90分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 29分30秒)ストロン グ小林
第1回の東京スポーツ・プロレス大賞の年間最高試合を獲得したストロング小林戦の伝説のジャーマン・スープレックス・ホールド。まさに鬼気迫るシーンだ
74年は、まずはタッグマッチにてピート・ロバーツへ放っています。猪木vsロバーツという職人対決だけで、どんなプロレスが展開されたのかな!?とワクワクしてしまうのに、ジャーマン・スープレックス・ホールドを決めたとなればさらに興奮してしまいます。ちなみに話はまったく無関係ですが、この日はボクの1歳の誕生日だった日なので、うれしいです。
さて、そして伝説のストロング小林戦です。猪木は、この試合ではヘッドロックにきた小林をバックドロップで投げつけ、フラフラで立ち上がったところへジャーマン・スープレックス・ホールドを爆発させるという大技連携を見せていました。テーズ、ゴッチの得意技を連続して見せる・・・猪木からすると無意識だったかもしれませんが、自然と発せられるこのあたりのセンスには脱帽するばかりです。
大技は、流血の中でバックに回り腰を深く落とし、そのまま反る形となったので入りが深くなり猪木のブリッジが先行。小林があとからついてくる形となったため猪木の足が浮き、首だけで支える伝説のジャーマン・スープレックス・ホールドとなりました。
団体と団体のトップ同士の対決。力道山vs木村以来の超大物・日本人同士の対決。そして昭和の巌流島など数々の話題を振りまき、一般社会にまで報道され多大なる影響を与えた一戦となったこの試合。猪木の過激なセンチメンタリズム発言「こんな試合を続けていたら10年もつレスラー生命が1年で終わってしまうかもしれない」という言葉で後世にまで語り継がれてきたわけですが、この試合の真は、やはりフィニッシュにあったのではないかなとボクは思います。鬼気迫る一撃の、あのシーン。そしてこれが、それまで外国人レスラーへだった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドが、初めて日本人レスラー相手に使用された試合となったことも大きかったのではないかなと・・・あのとき、もしジャーマン・スープレックス・ホールドでなかったら、これほどまで伝えられていただろうか?そう思うばかりです。
◎1975年
3月7日 横浜文化体育館 (22)
タッグマッチ 60分3本勝負 タイガー・ジェット・シン、マイティ・ズールvsアントニオ猪木、星野勘太郎
①猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 13分35秒)ズール
②シン(体固め 6分44秒)星野
③シン(体固め 4分16秒)猪木
4月11日 福島県・会津市体育館 (23)
ワールドリーグ戦 30分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 10分16秒)星野勘太郎
ストロング小林に次ぎ日本人レスラー2人目のフォールとなった星野へのジャーマン・スープレックス・ホールドは余裕すらただよう素晴らしいブリッジ
75年です。ストロング小林戦の余韻も残る75年は、まずは3月にマイティ・ズールに炸裂。このマイティ・ズールは本来このシリーズに来日予定だったマグニフィセント・ズール、あの戦闘種族として有名なズール族の血を引く、のちのヘラクレス・ローンホークの来日中止に伴い代打で来日したレスラーでした。
ズールは来日もこのときのみ。特に抜きに出たレスラーではありませんでしたが、これが猪木が黒人レスラーへジャーマン・スープレックス・ホールドを使用した唯一の試合となったことで貴重な存在となりました。
星野は小林に次ぎ日本人で2人目に猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドを受けたレスラーとなりましたが、同門レスラーとしては初。のちの新日本の師弟対決には欠かせなくなるシーンの、これが始まりだったと思うと深いものを感じます。この年は2回の使用となっています。
◎1978年
5月20日 秋田県立体育館 (24)
MSGシリーズ決勝リーグ 45分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 11分43秒)藤波辰巳
久々に見せた猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドはベタ足!!表情もいい!!
75年の4月に星野に使用してから76年、77年と、まったく見られなくなってしまった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドでしたが78年5月の藤波との初の師弟対決で約3年ぶりに火を吹くこととなりました。
それは、この年の1月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWWWFジュニア・ヘビー級王座を奪取しドラゴン・ブームを巻き起こしていた藤波に、藤波の得意技でもあったジャーマン・スープレックス・ホールドを、こうやるんだ!!と言わんばかりに放った一撃でした。
しかし10年後、これが戦いのシルクロード、のちに88年8月のふたりの最後の対決へと続く物語の始まりとなるとは・・・プロレスは本当にロマンがありますね。ちなみに、この日のジャーマン・スープレックス・ホールドは、猪木が69年に初使用したときと同じ会場、秋田県立体育館でした。
◎1981年
8月6日 蔵前国技館 (25)
賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 12分16秒)マスク ド・スーパースター
大型のマスクドに見事な"人間橋"が爆発!!実はストロング小林戦以来の足が浮く"首で支える"ジャーマン・スープレックス・ホールドだった
さあ、ここからの猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドはボクもリアルタイムです。
78年の藤波との初の師弟対決後、またも79年、80年と封印状態となったジャーマン・スープレックス・ホールドでしたが、マスクド・スーパースターとの賞金3万ドルと覆面をかけての大一番で、この81年に3年3ヶ月ぶりに復活となりました。
この試合の日の朝にカール・ゴッチの夢を見て、ゴッチに喝を入れられて早朝5時に目が覚めたという猪木の話を桜井康雄さんが解説で披露。久々にジャーマン・スープレックス・ホールドが出るのでは!?と予感させる試合展開の中での一撃。実況の古舘さんがジャーマン・スープレックス・ホールドをいつも呼んでいたとおりの、まさしく"人間橋"が架かった瞬間でした。
マスクドのファンであるボクですが、猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドをテレビでリアルタイムで初めて見れたことには、うれしさが隠せませんでした。その後、子供向けのプロレス本にですね、あれは確か小学舘でしたかね?「レッツ・ファイト!プロレス」というのがあったんですが、これにこのマスクド戦のジャーマン・スープレックス・ホールドの連続写真が載ってましてですね、買って読んだ記憶があります。豪快で思い出に残る一戦でした。
◎1983年
9月16日 埼玉県・吉川町体育館 (26)
シングルマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 7分36秒)アニマル浜口
81年のマスクド戦以降、82年は使われませんでしたが、83年の長州率いる維新軍との抗争にてアニマル浜口相手に2年1ヶ月ぶりの復活のジャーマン・スープレックス・ホールドとなりました。
この日は試合前に襲撃された前田に変わり高田が急遽試合に出場。張り手で活を入れる猪木に礼をする姿に、プロレスって厳しいんだなぁ・・・と子供心に思ったのを思い出します。その後、セミでテレビ初登場だった藤原を初めて見ます。コーナーの金具(だったと思います)へカチン!!とすごい音がするほど頭を打ちつけられてるのに平然としていている藤原を見て、本気で怖くなったのも覚えています。
と・・・当日のテレビのことをいろいろ覚えているんですが、実はこの猪木vs浜口だけは試合前に出る対戦の字幕スーパーしか記憶がないんですよ。おかしいんですよねぇ・・・猪木がジャーマン・スープレックス・ホールドを使った試合なら忘れるはずないんですが・・・
単なる自分の記憶の欠落か?それとも放送時間のうちに終わらなかったから見た記憶がないのか・・・もしかしたら高田の登場や藤原のカチン!!も、ボクが放送日をかんちがいしているのかな!?もしわかる方いましたら、ご教示よろしくお願いいたします。
◎1984年
8月2日 蔵前国技館 (27)
シングルマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(グランドコブラツイスト29分39秒)長州力
浜口戦以来、約1年ぶりとなった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは84年8月2日でした。長州の新日本離脱前の最後のシングルマッチとなったこの一戦は、それまで勝率100%だった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドが初めてカウント・ツーで返された、フィニッシュにならなかった試合となりました。しかしながら、それはこれまでに見せたジャーマン・スープレックス・ホールドとは異質にして、最も神秘的で華麗なものとなりました。
そう異質なんです。このジャーマン・スープレックス・ホールドは、どういう理屈で成り立っているのか、わからないんですよ。100キロ以上ある人間に対し、まったく抵抗を発生させずフワッと、まるで地球の重力がここだけ無重力になったかのように力や重さを感じさせず浮かせて、とても柔らかい弧を描いて・・・しかも、バーン!と相手をマットに叩きつかることなくスッとフォールへ持っていっているんです。これはできないですよ。どうすればこんなジャーマン・スープレックス・ホールドになるんでしょうか?あまりにも神懸った猪木の神業。蔵前の神が最後に猪木に降りてきた・・・そんな気持ちにすらさせる一発でした。
◎1985年
9月19日 東京体育館 (28)
シングルマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(レフェリーストップ35分29秒)藤波辰巳
85年です。84年の長州戦から約1年後に炸裂した猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは、前回の長州への神秘的なシーンから一転。反った瞬間、体が先にいってしまったため腕が伸びてしまい、体が藤波から離れてしまったことで猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド史上、初めて反りきれず"崩れる"ものとなりました。しかし崩れたのは一瞬。藤波の体が横にずれていたので猪木はダメージを負うことなく、このあと即座にブリッジで押し上げ見事な人間橋を完成させました。威力は半減してしまいフォールは奪えませんでしたが、猪木の勝負感の強さを改めて知ることができた一戦でした。
猪木vs藤波は8.8が名勝負として有名ですが、この9.19も名勝負でした。当時、まだ我が家にビデオデッキがなかったので、この試合はカセットテープに音だけ録音したんですよ。そして何回も聞いて、そこで古舘さんが実況で言っていた「出藍の誉(しゅつらんのほまれ)」という言葉を覚えたものでした。クラブ活動の時間に先生が理科室にこの試合のビデオ持ってきて、こっそり一緒に見たのも今となってはいい思い出であります。まさに戦いの学舎でありました。
◎1986年
3月14日 鹿児島県立体育館 (29)
シングルマッチ 60分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 8分44秒)ビリー・ジ ャック
当時アメリカン・プロレスの象徴的レスラーのひとりだったジャック相手にジャーマン・スープレックス・ホールドを見せたのは意外だったが・・・
6月12日 大阪城ホール (30)
IWGPヘビー級王座決定リーグ 30分1本勝負
アントニオ猪木(ジャーマン・スープレックス・ホールド 14分14秒)藤原喜明
久々にパーフェクト決まった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは、かつての幾多の名勝負を彷彿させる見事な美しさだった
6月19日 両国国技館 (31)
IWGPヘビー級王座決定戦 時間無制限1本勝負
アントニオ猪木(体固め 30分7秒)ディック・ マードック
75年の2回を最後に78年5月の藤波戦で約3年ぶり、81年にマスクド戦で3年3ヶ月ぶり、83年のアニマル浜口戦で2年1ヶ月ぶりと使用頻度が年々低くなっていった猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドでしたが84年、85年は年に1回見られるようになり、この86年は71年以来、実に15年ぶりに年3回の使用となりました。
まずは前年の藤波戦から半年後。相手はなんとビリー・ジャックでした。この日は、両腕を広げワーッと迫ってきたジャックを掻い潜り、バックに回ると一気にジャーマン・スープレックス・ホールドへ持っていきましたが、投げる段階で反りきることができなかったためジャックの体重を顔、頭、首でモロに受ける形となってしまいました。すぐブリッジで立て直しフォールを奪いはしましたが・・・試合後もしばらくうずくまるような状態でした。もう猪木にはジャーマン・スープレックス・ホールドは無理なのか・・・そんなことか囁かれた試合でした。
しかし3ヶ月後、猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドは藤原喜明を相手に復活します。それはジャック戦がうそのような、きれいで、まったくブレのない安定した見事なブリッジ。かつての猪木の全盛期、幾多の名勝負を思い起こさせるようなパーフェクトな一撃でした。スリー・カウント直後の、坊主頭が若々しい猪木のうれしそうな表情が今でも忘れられません。こうして見事に復活を成し遂げた猪木の人間橋でしたが、しかし結局これが猪木がジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利した最後の試合となりました。
そして藤原戦から1週間後のIWGP優勝決定戦。藤原戦で手応えを得た猪木はディック・マードックに渾身の一撃を炸裂させます。当時125キロはあったマードックを豪快に、まさに"投げつけた"ジャーマン・スープレックス・ホールドは猪木のレスラー生活の中で最も迫力のあるものとなりました。試合はこれでスリー・カウントかと思われましたが、猪木の腕のクラッチが外れてしまい、残念ながらフォールは奪えませんでした。しかし"アントニオ猪木ここにあり"を見せつけた素晴らしい一戦となりした。
さあ、猪木のジャーマン・スープレックス・ホールド、いよいよ次が最終章です。
◎1988年
7月22日 札幌中島体育センター (32)
IWGP挑戦者決定リーグ戦 45分1本勝負
長州力(体固め7分55秒)アントニオ猪木
札幌で最初で最後のジャーマン・スープレックス・ホールドは勝負をかけた決死の一撃となった
8月8日 横浜文化体育館 (33)
IWGPヘビー級選手権試合 60分1本勝負
藤波辰巳(時間切れ引き分け)アントニオ猪木
そして最後のジャーマン・スープレックス・ホールドは8.8の藤波戦だった。このとき45歳6ヶ月・・・まさに猪木の肉体がレクイエム、猪木の攻撃がゴスペルだ、そして戦い模様がバラードだ!!
86年には3回繰り出したジャーマン・スープレックス・ホールドもマードック戦を最後に87年は見られず。復活となったのは約2年1ヶ月後、88年の長州戦でした。
飛龍革命の真っ只中に行われたIWGP挑戦者決定リーグ戦で、長州のラリアートを交わしバックに回った猪木が勝負をかけて起死回生のジャーマン・スープレックス・ホールドを敢行。しかし長州にスリー・カウントギリギリで返されてしまいます。カウントはスリーではないのか!?とレフリーに迫る猪木に長州の背後からのラリアートが炸裂。猪木、無念のフォール負けとなりました。
この日は仕掛け、技の勢い、タイミングこそ抜群でしたが、インパクトの瞬間にブリッジが左横に傾いてしまい、残念ながらバランスを崩してしまいました。それでも両足を浮かせてバランスを取りながら執念のホールドを見せ「あわや!!」と思わせたジャーマン・スープレックス・ホールドにファンにはうれしい限りでした。しかしこの敗北により"落日の闘魂"という言葉が囁き出され、衝撃とせつなさを残してしまった一戦もとなりました。
こうして長州に完膚なき敗北を喫した猪木でしたが、この札幌から17日後、猪木はIWGPヘビー級タイトルへ挑戦者としてリングに上がります。これが最後の試合になるかもしれない・・・猪木の現役生活最後のジャーマン・スープレックス・ホールドは、そんな引退をかけた大一番ででした。
それは試合時間が30分に差し掛かろうというときでした。グランドでの藤波の背後からのネックロックを立ち上がって回避すると「ジャッ!!」という掛け声と共に気合い一番、ショルダー・アーム・ブリーカーの体勢に切り替えます。そして腕折りに行こうかという刹那、スルリとバックに回ったが早く一気に爆発させました。
最後のジャーマン・スープレックス・ホールドは17日前の長州戦と同じく、カウントが進むにつれ、今度はブリッジが右横に傾いてしまう形となりました。しかし両足でバランスを取りながら最後までホールドする猪木の姿。そして
「アントニオ猪木のひとつひとつの大技、かつての名勝負が思い起こされるー!!」
という古舘さんの実況で気づかされます。猪木がやれば、この技に崩れるとか失敗とか、そんな文字なんかそもそもなかったんだと・・・
そう、それはドリー戦に代表される乾坤一擲の正攻法型。ブリスコ戦で見せた、高く上げて反る高角度型。小林戦やマスクド戦で見せた、足が浮く、首で支える伝説型。そして長州戦で見せた神業、神秘の人間橋。ビリー・ジャック戦もマードック戦も、最後の長州戦も藤波戦も・・・みんなそうでした。
試合ひとつひとつにジャーマン・スープレックス・ホールドというドラマがあり、ファンひとりひとりに、それぞれ猪木のジャーマン・スープレックス・ホールドがあったんです。そのとき、その形が「猪木のジャーマン」だったんです。
1969年から1988年まで延べ19年。使用回数33回。こんなに長い間、それを見てこれた我々は本当に幸せ者だったんだと、つくづく思いました。
さあ、今日は8月8日。あの試合を見る日です。猪木の最後のジャーマン・スープレックス・ホールド、しかと見ようと思います。
最後までありがとうございました。