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Channel: 団塊Jrのプロレスファン列伝
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アンフィニッシュ~記憶の旅~

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どうも!!流星仮面二世です!!
 
さて、ボクはもちろんプロレスファンでありますが、他に魚釣りが趣味であります。で、昔のアニメや特撮ヒーロー、クワガタの採集や飼育、自然科学、それに料理なども趣味なんですが、実はオカルトも好きなんです。
 
UFOやUMA(未確認生物)それに都市伝説に心霊と、オカルトはあらゆるジャンルに興味があります。体験談から写真、動画まで見渡しては、なんだこりゃ?というつまらないものやインチキものから、こりゃ本物なんじゃ!?こりゃヤバイんじゃないのか!?というものまで目にしては、ときにオカルト目線、ときに科学的目線と、様々な角度から分析していくのが大好きです。オカルトと自然科学を組み合わせたり、統計して共通点を見出だしたり。オカルトと科学。一見すると対極な立ち位置な趣向ですが、この対極を一線にしたときに共通点、通ずる点が出てきたりして、これがおもしろいんですね。
 
そんな感じなので時間があるといろいろ、そういったものを探しては見ているわけですが・・・そうした中で最近辿り着いたのがタレントの島田秀平のYouTubeチャンネル
 
 
という動画でした。
 
島田秀平と聞けば「占い」が有名ですが、チャンネルではそちらの紹介の他、他のタレントさんの心霊体験談を対話する形で紹介していくというものがあり、これが大変おもしろくなっています。
 
で、そんな中にですね、占いや心霊体験談でなく心理テストがありまして・・・
 
 
というものがありまして、これがなかなか興味深いものだったんですね。
 
これは見ていただいた方がよくわかるので説明は省略しますが、動画中、ふたつめの質問が興味を引かれるものでした。
 
ちょっと言ってしまうと、あなたの最古の記憶は何ですか?というものだったんですね。
 
赤ちゃんも夢を見るのかしら?と言えば、かつての宇津救命丸のコマーシャルですが、実際に赤ちゃんは寝てるとき夢を見ているといいます。さらには生まれる前の胎児も何か夢を見ているといいます。まだ何も見たことのない、知識がない胎児が一体何の夢を見ているのか?その夢は前世の記憶なのか?はたまた遺伝された記憶なのか・・・

とにかく、最古の記憶は人により様々で、それこそ生まれてくるときのものだったり、はてはお母さんのお腹にいるときという方もいたりするそうで、このあたりの人間の未知の可能性には本当に驚かされてしまいます。
 
自分には、さすがにそこまでの記憶は残っていませんが・・・でも、最古の記憶を遡ったときには明確な答えが出てきます。その時期は1976年、昭和51年の4月。なぜここまで特定できているのかというと、その日は3歳児検診の日だったからなんです。
 
ボクは1月生まれなので、このとき3歳と3ヶ月ということになります。しかしその最古の記憶のシーンは、はっきりと覚えています。

その記憶は、この日に体重を測った瞬間でした。この時代の3歳児の平均体重というのは約14キロちょっとくらいだったそうなんですが、ボクの体重はそれをはるかに上回る30キロという数値だったんです。
 
記憶はまさにそのときで、体重計に乗り、針が30を差した瞬間に検診の係の人と母親が「あらー!!」と、すごく驚いているという数秒間ですね、これをはっきりと覚えているんです。これが自分の最古の記憶なんです。
 
この質問のアンサーでは、最古の記憶というのは現在の自身の人格形成になっている、とのことなんですが、この場合はどんなことが言えるのでしょうかね?うーん、周囲を驚かせること?周囲からすごいと思われたい?なんてことになるのかなぁ・・・

そんな人格ではないと思うんですけど、そういうところも実はあるのかな?これはボクにはちょっとわかりませんでしたが、みなさんは最古の記憶、どのようなものでしょうかね?
 
と、まあ最古の記憶はそんな感じなんですが・・・ここはプロレスのブログなので、プロレスの最古の記憶も、ひとつ辿ってみようじゃないですか。
 
ボクは1973年1月生まれですが、生家はみんなプロレス好きだったため、きっと乳児の頃からプロレスが流れている部屋にいては見ていたんだと思います。そんなボクのプロレス最古の記憶は、猪木vsジェットシン?馬場さんvsブッチャー?
 
いや、ボクのプロレス最古の記憶、それは・・・
 
さて、伊集院光のお話に「ウルトラマン謎の最終回」という都市伝説があります。
 
特撮モノが好きな伊集院光が、ラジオで特撮モノの話をしているとウルトラマンの最終回の話が話題に上がることがよくあったそうなんですが、そこで必ず出てくるのが
 
「ウルトラマンが最終回にブチキレて、怪獣と一緒に東京をメチャクチャに破壊する」
 
というものだったそうなんです。それこそ度々、複数のリスナーからその話が届いたそうなんですね。
 
そりゃザラブ星人が化けたニセ・ウルトラマンやサロメ星人が作ったニセ・ウルトラセブンが出た回。それにババルウ星人がウルトラマンレオの弟のアストラに化けたニセ・アストラの回はありましたけど、ウルトラマン自身がブチキレて街を破壊する最終回なんて、もちろん存在していません。
 
しかしラジオで最終回の話をする度に届くこの話に興味を持った伊集院光は、自身のラジオ番組でこの話をさらに追求します。すると驚くべきことに「自分も見た」という多数の意見が、やはり寄せられたそうなんです。
 
これは!?と思った伊集院光が見た人の共通点を調べていくと、不思議なことにこの最終回を見た人たちは同じ地域に住んでいる人ばかりで、それこそ見た時間帯も同じだったそうなんです。
 
そこで浮上したのが「アイアンキング」というテレビ番組でした。
 
アイアンキングは日本で国産初となるテレビ特撮ヒーロー「月光仮面」を世に送り出した宣弘社(せんこうしゃ)が製作した特撮ヒーローで、1972年10月から1973年4月8日まで放送されたものだったそうです。
 
アイアンキングはサイボーグである主人公・静弦太郎がアイアンキングに変身し、その昔、大和朝廷に滅ぼされた不知火一族の末裔が操る巨大ロボットと戦うという物語だったといいます。
 
で、このアイアンキングが1985年から1986年までテレビ埼玉で再放送されたそうなんですが、このときの放送時期や放送時間帯、地域が一致したことから、ウルトラマンと容姿が似ているアイアンキングがまちがえられたのではないか?となったわけです。
 
アイアンキング。まさにウルトラ6兄弟を包括したような容姿だが、ウルトラマンが太陽のエネルギーで活動時間が約3分なのに対しアイアンキングは水を原動力とし活動時間は約1分というシビアさだった
 
しかしアイアンキング。その最終回は多くの特撮ヒーローモノと同じく敵を倒し終わるというもので・・・ブチキレて街を破壊する、という最終回ではなかったのです。
 
ではなぜアイアンキングの最終回が、ブチキレて街を破壊したことになってしまったのでしょうか?
 
実は、エピソードが全26話あったというアイアンキングでしたが、この第25話と第26話が前編、後編となっており、その前編の第25話こそアイアンキングが敵に操られて街をメチャクチャに破壊し終わるという話だったそうなんです。
 
で、最終回となる後編の第26話ではアイアンキングは敵の呪縛から解け元に戻り、最後の敵をやっつけて終わると、そういう内容だったそうなんですね。
 
しかしこの再放送時、本来第26話の最終回で終わるはずが、なぜか最終回ひとつ前の第25話で放送が終わってしまい・・・最終回である第26話が放送されなかったそうなんです。
 
つまり、このときにテレビでアイアンキングを見ていた人は最終回の前編となる、アイアンキングが街を破壊したところまでしか見れていないことになります。
 
特撮ヒーローものを見ていた年代ですから、視聴者は中学生以下がほとんどだったと思います。なので・・・見ていた子たちは最終回のひとつ前の第25話、アイアンキングが街を破壊した回が最終回だと認識してしまい、さらに時間が経つにつれ容姿が似ているアイアンキングがウルトラマンへと変換され、記憶されていってしまったことから生まれた都市伝説だったのではないか・・・と、いうことなんですね。
 
と、唐突に長々と語ってしまいましたが、ボクがなぜこの話を上げたかというと、実はボクのプロレス最古の記憶に
 
「ウルトラマンが最終回にブチキレて、怪獣と一緒に東京をメチャクチャに破壊する」
 
と同じ意味を持つ
 
「アントニオ猪木がジャイアント馬場と戦って勝つ」
 
というのがあったからです。
 
アントニオ猪木vsジャイアント馬場。それはプロレスファンはもちろん日本国民が追い求めた永遠のテーマであり、壮大な"夢"でした。
 
もちろん、ボクもそんな"夢"を思い描いていたひとりでした。しかし、ふたりが戦ったのは日本プロレス時代の若手のときだけ。袂を分かってからリング上で再会したのはプロレス夢のオールスター戦のみしかありませんでした。そう、壮大な"夢"は叶わない"夢"でもあったのです。
 
1960年(昭和35年)9月30日に同日デビューしたふたりの初対決は1961年(昭和36年)5月25日、富山市体育館で行われたシングルであった。結果は馬場さんが10分ちょうど、羽交い絞め(フルネルソン)で勝利している。その後、16戦が行われたが、以降の対決はない
 
1979年(昭和54年)8月26日に日本武道館で行われたプロレス夢のオールスター戦で、1971年(昭和46年)12月7日に札幌で行われたザ・ファンクスとのインタータッグ戦から実に8年ぶりにタッグを結成したBI砲。ブッチャー、シンと対決し、13分3秒、猪木がシンを逆さ押え込みに捕え勝利した。試合後に猪木は、今度同じリングに立つときは戦う時とマイクで満場のファンにアピール。馬場さんも、よし、やろう!!と答えたが・・・

オールスター戦の翌年となる1980年(昭和55年)4月3日に西武球場で「新日本プロレスvs全日本プロレス 対抗ソフトボール大会」が行われ、マウンド上ではあったがふたりの戦いが実現となった。しかしリング上の戦いは実現に至らなかった

ふたりの戦いが見たい。物心ついたときのボクも、もちろんその気持ちでいっぱいでした。

でも、物心つく前にそれを見ている。猪木が馬場さんを場外で鉄柱に打ちつけて勝つシーンを・・・ほんの数秒間ですが、まちがいなく覚えていたのです。
 
でもボクが生まれてから、ふたりは戦っていません。わからない。脳裏に焼き付いている、あの試合、あのシーンは・・・あれは、なんだったのだろうか?
 
寝ているときに見た夢を現実として記憶してしまったのか?それとも、そもそも夢でもない、子供ならではの妄想が長く生き残っていただったのだろうか?いや、もしかするとあれは夢とかではなく・・・そもそも馬場さんでなく、馬場さんに似たレスラーだったんじゃないだろうか?でも、だとしたら一体誰なんだ?
 
そのようなレスラーは当時あったプロレス大百科系の本には載っていませんでしたし、プロレス雑誌でもその姿を見ることはありませんでした。小学6年生のとき、初めてひとりで郵便局に行き局員さんに教わりながら振込用紙に一生懸命書き込んで注文し購入した「燃える闘魂アントニオ猪木編 THE名勝負 ベスト・ショット・ゴング Part5 ゴング11月号増刊」は文字どおり猪木の過去の試合ばかりが載っている本でしたが、その本ですら、その試合を確認できることはありませんでした。学校でプロレス好きの幼馴染みや友達に、そして大人にも聞いてみたことがありましたが、やはりその試合のことがわかることはありませんでした。
 
あの日に見たあれは、やはり夢で・・・幼かったから現実と夢の区別ができなかっただけ、だったんだろう。そうだよな。国民レベル、いや世界中で知られているアントニオ猪木とジャイアント馬場の対決が行われてたとして、誰も知らないわけがないもんな。
 
年齢と共にそう思うようになってきたボクでしたが、しかし納得いかない点もありました。どこか自身の記憶も信じたい。そんな思いがあったからです。
 
それは、ちょうどそんなことを強く思い始めていた頃・・・中学2年の新学期を迎えんとする1986年の春のこと。このとき発売された月刊ゴング4月号を読んでいたときのことでした。
 
月刊ゴング 1986年4月号
 
この年、月刊ゴングにて3月号、4月号、5月号とアントニオ猪木のデビュー戦からの試合を50戦ずつ巻頭カラーにて掲載する「アントニオ猪木闘魂名勝負150戦」という特集が組まれていました。

第1弾で、これまで知らなかった猪木の試合がたくさん載っていたのでうれしく、それはそれは続刊を楽しみにしていました。そんな待望の4月号は第2弾の「燃えよNWF王者編」となっており、猪木の全盛期であるNWF王座を巡る歴史が綴られていました。

それを、まさに食い入るように見ていた、そのときでした。特集の終わり頃、信じられないシーンが目の中に飛び込んできたのです。
 
あ!!
 
テレビで見たときと角度はちがうけど・・・
 
記憶にあるのはこのあたりだったが
 
まちがいない。これだ!!おれが見た試合だ!!
 
それにしても、この対戦相手は・・・
 
!?
 
似ているが、馬場さんじゃない。誰なんだこのレスラーは!?
 
読んでみると、それは1976年の10月10日(10月15 日テレビ放送)に韓国ソウル市の奨忠体育館で行われたNWFヘビー級選手権で、アントニオ猪木がパク・ソンというレスラーと戦った試合でした。
 
そうか、そうだったのか・・・これは日本でなく韓国マットでの試合で、おれが馬場さんだと思っていたのはパク・ソンという、見たことも聞いたこともないレスラーだったのか。
 
猪木を攻めるパク・ソン。その姿は、まさに馬場さんだ
 
霧が晴れるかのように鮮明になった記憶と解けた謎。そして改めてパク・ソンの容姿を見て我に返ります。記憶は正しかった。でも、まちがえていたんだ、と・・・

人間の記憶には長期記憶と呼ばれるものがあるそうです。その長期記憶には言葉や物などの意味などを記憶した、いわゆる"知識"となる記憶の「意味記憶」と、自身の体験したことや思い出の記憶となるエピソード記憶という記憶があるそうです。

で、このエピソード記憶に「虚偽記憶(きょぎきおく)」と言われるものがあるそうです。虚偽記憶とはまさに字のごとく、実際には経験していない記憶や、経験はしているにしても何かしらの理由で誤った形で記憶が作られてしまい、それを真実と記憶している状態を言うそうなんです。
 
昭和51年。1976年10月10日ということは3歳と9ヶ月のとき。こんな年齢でこの容姿を見たなら、成長につれ馬場さんに変換されていってしまうのも無理はなかったのかもしれません。ボクの記憶も、そうして誤って作られてしまったのかもしれません。

でも・・・それだけとは思えない何かがある気がします。

この質問のそもそものアンサーは、自身の最古の記憶というのは現在の自身の人格形成になっている、というものでした。

それがプロレスだと「現実の記憶なのに現実になかった記憶」になっており、そしてその記憶はプロレスファンの"夢"でありました。

ということはつまり、ボクのプロレスを形成しているものは"夢"だった、ということになる?のかなぁ・・・

技が好きだったりマスクを集めるのが好きだったり。入場テーマだったり、歴史だったり。昭和だったり平成だったり、ひとりのレスラーだけを好きだったり裏側考察が好きだったり。他にもたくさん!!プロレスには、人それぞれの楽しみ方があります。

ならばボクの楽しみは、確かに・・・そう言われると、プロレスへの"夢"に他ならない気がします。

そう、やっぱりプロレスは"夢"だよなぁ・・・

ということで、プロレス最古の記憶。みなさんも振り返ってみては・・・いかがでしょうか。

(※次回はパク・ソンに関し追記します)


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