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プロレス研究所~MSGとプロレス その4 ⑧ 3代目マディソンの時代 1925~1968年~

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その4 ⑦からの続きです。
 
先輩「では、ここからは1965年からを見ていこう」
 
探偵「はい」
 
先輩「1965年の最初の定期戦は1月25日。サンマルチノがビル・ワットと組み前年タイトル戦を繰り広げたワルドー・フォン・エリック、ジン・キニスキーと対戦する。3本勝負だったこの試合は2-1でサンマルチノ組の勝利となったが・・・」
 
探偵「何か起きたんですね」
 
先輩「ああ。試合には勝利したサンマルチノ、ワットだったが、3本目にエリック、キニスキーのラフな連携にあまりに苦しめられたワットが試合後「なぜ、すぐ助けに来なかったんだ!!」と激怒。サンマルチノに食ってかかり仲間割れをするという予想外の展開が起きて会場は異様な空気に包まれることとなったんだ」
 
探偵「仲間割れを!?」
 
先輩「そう。ここからサンマルチノとワットは対立。戦うことになる」
 
探偵「これは・・・創世記からマディソンの歴史を調べてきましたが"仲間割れ"という言葉が出てきたのは初めてじゃないですか?」
 
先輩「うん。仲間から敵となり抗争と化す。ベビーフェイスからヒール、あるいはヒールからベビーフェイスになるという展開は、タッグマッチが頻繁に行われるようになった1950年以降からはあるにはあったようなんだが・・・でも、テレビや会場で観ている人の前で、これだけリアルタイムで大々的に行ったのはこのサンマルチノとビル・ワットのが初めてだったんじゃないかなと思う」
 
探偵「現在のプロレスでこそ仲間割れから敵対、対決や抗争となるのは、それこそあり得る光景ですが・・・そういう概念がまったくなかった当時の観客、ファンの目の前で初めて展開されたわけですから、反応を考えると恐ろしくてたまりませんよ」
 
先輩「そう、察するとおり。ゴリラ・モンスーンが本当に満州から来た巨人と思われていた時代だから、ワットの行動がファンに与えた衝撃を想像すると空寒いなんてもんじゃない。この場合なら英雄となっていたサンマルチノと敵対したファンは"ワットはサンマルチノを裏切った!!裏切り者だ!!"といきり立ったにちがいないだろうな」
 
探偵「話題性としてはマディソン始まって以来だったでしょうから、注目は集まったでしょうけど・・・会場への出入りから私生活と、ワットはファンに何かされるんじゃないか?と油断できない日々だったんじゃないんですか?お国柄からしても、本気で迫るファンいたでしょうからね」
 
先輩「お国柄、そうだなぁ。実際に80年代まではナイフ持っているファンも多かったそうだからね。外はもちろん会場の中でも、気に入らなければそのレスラーを襲ってくるやつがいたそうだから・・・」

アメリカではこんなシーンもけしてフィクションではなかったのだ
 
探偵「そんな中での造反劇とは、ワット、すごいですよ」
 
先輩「現役時代からプロモーター時代まで、ワットのいい評判というのは実のところあまり聞かれないんだ。しかし、こんな大舞台でこれだけのことをやってのけたんだから超一流と言わざるを得ないな」
 
探偵「それで試合の方はどうなったんですか?反響は大きかったのでは・・・気になります」
 
先輩「戦いは翌月の定期戦の2月22日から3月29日、5月17日と3回連続で抗争を交えたWWWF世界ヘビー級選手権となったが、これまでになかった流れからの対峙はファンの心理をかき立て、マディソンはいづれもいっぱいになったようだよ。資料がある」
 
探偵「ええっと・・・
 
2月22日 観衆19101人
(19分46秒でワットの反則勝ち)
 
3月29日 観衆19614人
(15分48秒でサンマルチノの反則勝ち)
 
5月17日 観衆12984人
(3本勝負でサンマルチノが2本取り勝利。各勝負タイム不明)
 
ですか。なるほど、これはすごい!!この時代のマディソンの定期戦の観客動員数を見ると約12000~14000人がアベレージなので2回連続で19000人超というのは驚異的ですよ。いかに注目を集めていたのかがよくわかります」

話題性では抜きに出ていたサンマルチノとカウボーイ・ビル・ワットの対決
 
先輩「裏切ったワットがどう出るのか?どう戦うのか?というのと、そのワットをサンマルチノがどうするのか?どうやっつけるのか?という心理が爆発したという感じだったんだろうな」
 
探偵「そうですね。そこにきて初戦をサンマルチノが落としたこともあり2戦目の動員数がさらに上がったんでしょうね。ファンたちは、今度の試合は!!次はサンマルチノが!!と、さぞ盛り上がったんだろうなぁ。こういうの、いいですね~」
 
先輩「だが・・・こんな話題性が群を抜いていたワット戦が落ち着くと、ここでサンマルチノ時代の初期において最強の対戦者が現れる。ゴリラ・モンスーンを凌ぐ強敵がな」
 
探偵「モンスーンを凌ぐ!?それは!?」
 
先輩「ドクター・ビル・ミラーだ」
 
探偵「ど、ドクター!?満州の巨人の次の強敵は医者だって言うんですか!?」
 
先輩「そう。でもただの医者じゃないぞ。ビル・ミラーは1927年6月5日オハイオ州フレモント出身。オハイオ州立大学ではフットボール、レスリング、陸上の砲丸投げと円盤投げで活躍し、特にレスリングではビッグ・テン・カンファレンスで1950年と1951年の2度に渡ってヘビー級の王者になっているほどの実力者だったんだ」

ドクター・ビル・ミラー
 
探偵「先輩、ビッグ・テン・カンファレンスってなんですか?」
 
先輩「ああ、これはある程度の数のチームで登録され、そこで行われるスポーツ組織の名称のことなんだ。ビル・ミラーが王者になったのはそこで行われるリーグ戦、大会でのことなんだよ」

探偵「う~ん・・・あまりピンときませんねぇ」

先輩「そうだな、日本でたとえると「東京六大学野球」とか「関西学生アメリカンフットボール・リーグ」みたいな・・・全土ではないが、そのスポーツの有名なところや盛んなところが参加して行われるものなんだ。だからレベルは高いんだよ。で、アメリカで、このカンファレンスが構成されている学校を統括しているところがNCAA(全米大学体育協会)というわけさ」
 
探偵「あ~、なるほどなぁ」
 
先輩「で、ビル・ミラーが、この2度目にレスリング王者となった1951年に、このNCAAのオールアメリカンに選ばれているんだ。これは日本でいうところの優秀選手賞という感じになるかな」
 
探偵「へぇ・・・レスリングの猛者ぶりが伝わってきますね」
 
先輩「しかしスポーツばかりではなく、大学時は獣医学を学び獣医師の資格を取得しているんだ。実際にプロレス引退後には獣医になっているから、スポーツも頭脳も大変優れたレスラーだったというわけなんだ」
 
探偵「獣医・・・それで"ドクター"ビル・ミラーなんですね。それにしてもモンスーンと同じくスポーツも勉強もできたとは超インテリだったんですね」
 
先輩「そうだね。で、その後、その見事な体格とレスリングでの実績が目を引いて、オハイオ州のプロモーター、アル・ハフトにスカウトされ大学卒業後年となった1951年にデビューすることになる」
 
探偵「アル・ハフト?」
 
先輩「うん。マディソンとは直接関わりはないが、このアル・ハフトはすごい人物でね。ちょっと紹介しておこう」

アル・ハフト(アルバート・チャールズ・ハフト)は"ヤング・ゴッチ"のリングネームで活躍したプロレスラーで、引退後はカール・ゴッチが「強い」と言ったジョン・ペセクのマネージャー兼ブッカーを勤めていた。ビル・ミラーが行っていたオハイオ州立大学のレスリング部ではヘッドコーチもしていたことがある本格派だ
 
探偵「ヤング・ゴッチって、まさかフランク・ゴッチが由来なんですか!?」
 
先輩「ああ。フランク・ゴッチにあやかってゴッチの名を名乗っていたんだよ。そのあたりからも察することができるようにショーマンが主流になってきた当時のアメリカのプロレス界において本格派、いわゆるシューターを好むプロモーターでディック・ハットンやカール・ゴッチらを好んでブッキングしては試合を組んでいたという。特にカール・ゴッチは気に入っていたそうで、リングネームに「ゴッチ」の名を付けたのもこの人物とされているんだ」
 
探偵「そんなすごいプロモーターがスカウトしたとは、ビル・ミラーはよほどの素質だったんですね」
 
先輩「ああ。こうしてミラーは地元オハイオでハフトがプロモートするミッドウエスト・レスリング・アソシエーション、MWA(プロレス研究所~MSGとプロレス その4 ② 3代目マディソンの時代 1925~1968年~)で活躍。デビューまもなくから1956年までバディ・ロジャース、ディック・ハットンらとタイトル戦で戦って名を上げた。またタッグでもエド・ミラーのリングネームとしたエディ・アルバースとコスチュームを合わせ義兄弟タッグを結成し活躍したんだ」

ビル・ミラー(左)とエド・ミラー。1956年8月18日、カリフォルニア州フレズノにてボボ・ブラジル、エンリケ・トーレスからサンフランシスコ版NWA世界タッグ王座を奪取。10月23日にシャープ兄弟に王座を明け渡すまで2ヶ月間王者として活躍した
 
先輩「タッグ王座転落後はシングルプレイヤーとなり、ここでマスクを被りドクターXに変身。1960年代はAWA世界ヘビー級王者にも君臨しているんだ(チャンピオンベルト・ワールド~AWA世界ヘビー級~)そして1961年5月には日本プロレスの『第3回ワールド大リーグ戦』にも参戦。このときはマスクを被りミスターXのリングネームで力道山と渡り合い人気を博したんだ」

リングサイドを伺うミスターX。この迫力!!
 
探偵「な、なんという怖さ・・・見ているだけで恐怖が伝わってきます」
 
先輩「アル・ハフトに見いだされたほどの実力だったので当時のレスラーやプロレス関係者からの評価は高かったし、素顔にマスクマンと、レスラーとしていろいろなカラーをこなしていたから人気や知名度も高かった。でも1976年に引退しているので、残念ながら自分たちくらいの、いわゆる団塊ジュニアの年代のプロレスファンにはあまり馴染みがないレスラーだったんだよ」
 
探偵「確かに目にする機会はなさそうですよね」
 
先輩「うん。でも、そんなリアルタイムのプロレスファンでなくともビル・ミラーの名を知っている確固たる理由があったんだ」
 
探偵「それは?」
 
先輩「グレート・アントニオのリンチ事件だ」
 
探偵「え!?グレート・アントニオといったらこの第3回ワールド大リーグ戦でグレート東郷がマネージメントしたレスラーじゃないですか。身長は2メートル近くあり体重は200キロ以上という巨漢で、神宮外苑で満員の大型バス3台を引っ張ぱり奇怪なパフォーマンスで日本中に怪物ブームを起こして、低迷していた日本プロレスの人気回復の起爆剤となったって・・・以前、調べましたよ(名レスラー伝~地獄の大悪党!!グレート東郷 その4 愛してもその悪を知り憎みてもその善を知る~)そのアントニオをミラーがリンチしたって一体どういうことですか!?」
 
先輩「このシリーズでブームを起こしたアントニオが、その人気を鼻にかけ横暴な態度を取り続けていたことからカール・ゴッチとビル・ミラーが制裁を加えた、といわれているんだよ」
 
探偵「な・・・つまりゴッチとミラーがアントニオに"お灸を据えた"と・・・!?」
 
先輩「そう。他にもふたりは1962年9月、オハイオ州コロンバスの会場控室でバディ・ロジャース相手にひと悶着起こしている」
 
探偵「ロジャースも!!まさかロジャースのこともリンチしたっていうんですか!?」
 
先輩「これに関してはいろいろな話があるが、簡単に言うと試合前のロジャースの控え室にゴッチとミラーが来て、ミラーが殴り、ゴッチがドアを蹴りロジャースの腕を挟ませて負傷させた、という感じだ。ロジャースは馬場さんとNWA戦を行う予定だったがこの負傷によりドタキャンとなって・・・まあそれまでの経緯、前後関係は今ではネットで調べればいろいろ出てくるから、興味があるなら自分で調べてみてくれ」
 
探偵「わかりました。それにしても血の気が多い・・・ミラーは硬派というか、根っからの武闘派だったんでしょうね。エクセレント(優秀)なアウトロー(無法者)って感じだったんでしょうね~」
 
先輩「そうだね。明晰な頭脳にパワーとテクニックを兼ね揃えた肉体。そして時に発揮されるケンカ、負けん気の強さを持っていたんだ。こんな強豪がマディソンにやってきてサンマルチノと戦ったのは1965年の夏。7月12日、8月2日、8月23日と定期戦でWWWF世界ヘビー級選手権をかけ3回連続で争ったんだよ」
 
探偵「本当、これは最強の挑戦者ですよ。経過が気になります。どうなったんですか」
 
先輩「まず7月12日の初戦は60分3本勝負で行われ、それぞれが1本ずつ取って1-1から時間切れ引き分けとなった。が、なんとこの試合はボクシングのようなジャッジ制となっていたそうで、時間切れの3本目がサンマルチノの判定勝ちとなる稀なケースとなったんだ」
 
探偵「判定ですか・・・これが新しい試みだったのか?それともミラーの実力を見てサンマルチノに有利なルールとしたのか?ですね」
 
先輩「ああ、そのあたりは定かではないが、この試合でサンマルチノが押されていたのはまちがいなかった。そして翌月8月2日の2戦目では30分を戦ってミラーが必殺のネックハンギングで場外葬。リングアウト勝ちするという結果となったんだ」

必殺のネックハンギング・ツリーがサンマルチノに決まる。1枚の写真で、これほどまでにこの技のすごさを伝えられたレスラーがいただろうか!?
 
探偵「サンマルチノをネックハンギング・・・すごい。まるで子供扱いですよ。これはリングアウトでは移動しないというルールにサンマルチノが救われたと言わざるを得ないですね」
 
先輩「うん。結局シングル2戦は内容で圧倒。しかもミラーはこの試合の5日後の8月7日にはワシントンで実弟であるダン・ミラーと組みゴリラ・モンスーン、ビル・ワット組からWWWFのUSタッグを奪取と勢いに乗っていたから、次の対戦ではサンマルチノは王座転落すると囁かれていたんだ」
 
探偵「そして8月23日、第3戦を迎えると・・・」
 
先輩「そう。過去2戦を押されていたサンマルチノは、ここでまったくちがう作戦に出たんだ」
 
探偵「それは!?」
 
先輩「短期決戦だ」
 
探偵「短期!!」
 
先輩「この前2戦はどちらも長期戦。しかも押されていたことからスキをつく作戦に出たんだ。サンマルチノはゴングと同時にボディスラムの連続攻撃を仕掛けボディプレスで体を浴びせると、わすが48秒でミラーをフォール。過去2戦を払拭する鮮やかな勝利で決戦を制したんだ」
 
探偵「なるほど!!ペースを握らせて長時間を戦っては不利なのでミラーに考えるスキを与えず押さえ込んでしまったわけですね。ミラーにしたら、ああ!!という感じだったんでしょうね。それにしても強敵ミラーに勝利したタイムがロジャースからタイトルを奪ったときと同じ48秒とは不思議な感じがしますね」
 
先輩「おそらくサンマルチノの戦略パターンのひとつに、この"短期決戦"というのがあったんだろう。相手により戦い方を変えるのは王者としても必要だからね」
 
探偵「ルールを利用したり戦い方を変えたり・・・長く王者でいるには、いろいろできないとダメということですね」
 
先輩「まさにそうだ。WWWF王者になったサンマルチノはパワーに加えインサイドワークも身につけたといったところだろうね」

探偵「インサイドワークかぁ」

先輩「と、いうわけで最強の対戦者を退けたその後、9月27日にターザン・タイラー、10月20日にビル・ワットとWWWF世界ヘビー級選手権にて勝利すると11月15日、12月13日と年末の定期戦では、サンマルチノは今度はタッグでミラーと激突。ジョニー・バレンタインと組んでダン・ミラー、ビル・ミラーと対決するんだ」

タッグマッチ第1戦目の11月15日のチラシ。試合はWWWF王者のサンマルチノがダン・ミラー、ビル・ミラーの持つWWWF・USタッグに挑戦するというものだった(第2戦目はノンタイトル戦)

タッグマッチ第2戦目が行われた12月13日のマディソン・スクエア・ガーデンの入り口。ここには電光掲示板でカードが表された。掲示板には「TONITE-WRESTLING DAN & BILLMILLER V/S SAMMARTINO-VALENTINE」とある。ちなみに冒頭の"TONITE"はトゥナイト、TONIGHTの意味で本来はスラングらしいが、なぜか表記されている
 
探偵「なんか・・・夜のとばりも下りて、プロレスを楽しみに人が集まって来た様子がわかる、いい写真ですね」
 
先輩「そうだね。ちなみにミラー組vsサンマルチノ組の下に表記してある対戦なんだが、これは試合の翌日の12月14日に行われたNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)の試合の対戦表記で・・・」

探偵「へぇ~NBAですか!!」

先輩「そう。「TOM'W BALT V/S DET」は、TOM'WはトゥモロウのことでBALTはBaltimore Bullets(ボルチモア・ブレッツ) DETはDetroit Pistons(デトロイト・ピストンズ)のことになる。「KNICKS V/S WARRIORS」はKNICKSがNewYork Knicks(ニューヨーク・ニックス) WARRIORSはSanFrancisco Warriors(サンフランシスコ・ウォリアーズ ※現ゴールデンステート・ウォリアーズ)だ。このあたりからはプロレスがNBAと並んで文化として定着していたこともよくわかるね」
 
探偵「なるほどなぁ。あ、そういえば先輩。ミラーのことを追ってきたのであれでしたけど、ジョニー・バレンタインの名前も出ていますね。バレンタインもマディソンに登場していたんですね」

ジョニー・バレンタイン
 
先輩「そう。日本ではアントニオ猪木との東京プロレスでの伝説の名勝負が今でも語り草。よく知られているレスラーだ。でもバレンタインは以前ここで話したWWWFの前身となったキャピトル・レスリング・コーポレーションに1950年代末から参戦と、ニューヨークでの歴史は実は古いんだ」
 
探偵「へぇ・・・ほとんど初めからいたような感じなんですか」
 
先輩「そう。そこでアントニオ・ロッカやバディ・ロジャースらと多く対戦していたようだ。まさに団体の創世記から活躍していたわけだね。それにバレンタインをプロレスにスカウトしたのもここで以前調べたスタニスラウス・ズビスコだったようだし」
 
探偵「ズビスコだったんですか!?なんだか、いろいろ繋がっているんですねぇ」
 
先輩「だな。で、話を戻して・・・このミラー組vsサンマルチノ組のタッグマッチが行われる2回前となる9月27日、10月20日の マディソンでの定期戦で、バレンタインはビル・ミラーと2回連続シングルで対決しており2戦ともドローとなっていたことから、バレンタインvsミラーのこの絡みも期待が大きかったんだ」

193センチ、125キロあるジョニー・バレンタインをアームロックをかけられた状態にして軽々と担ぎ上げるミラー。しかしパワーだけではなく、試合ではレフリーのブラインドをついての髪の毛つかみ、目潰しなどの細かな技にリストロックやアームロック、スタンドからコブラツイストの要領でテイクダウンしロッキングチェア・ホールドに持っていくような高いテクニックまで幅広く使用していた。そんなミラーにバレンタインのパンチや必殺のエルボーがどう炸裂したのか!?興味が尽きない

バレンタインをコーナーに孤立させサンマルチノを攻めるダン・ミラーとビル・ミラー。タッグでは連携を駆使しコーナーでは余裕さえ漂わせる。どんなスタイルにも対応できた、まさしく"強豪"である
 
探偵「うむぅ・・・この項ではサンマルチノを軸に見てきましたが、ジン・キニスキー、ワルドー・フォン・エリック、ビル・ワットにビル・ミラーにジョニー・バレンタインと、登場するレスラーも強者にして個性的で、マディソンが華やかになった気がしますね」
 
先輩「ああ、サンマルチノ登場からは、まさにマディソンのカンブリア大爆発という感じで、実にいろいろなレスラーが登場した時代になる。次は、そんなマディソンの1966年だ」
 
探偵「はい」
 
先輩「前年はジン・キニスキー、ビル・ワット、ターザン・タイラー、そしてビル・ミラーという強者らとハードな戦いをしてきたサンマルチノは、年明けの1月24日と2月21日の定期戦では65年の11月頃からWWWFに参戦していたヨーロッパ出身でまだ名も知れていなかったレスラー、バロン・マイケル・シクルナとWWWF世界ヘビー級選手権をかけ対戦する」
 
探偵「WWWFではまだ無名のレスラー・・・確かにサンマルチノ、強者ばかりを相手にしてきましたから、ここは箸休め的な試合を、というわけですか」
 
先輩「ああ、まさしく。下馬評でもサンマルチノの圧勝と言われていたんだ。しかし、これがとんだ曲者だったんだよ」
 
探偵「曲者・・・う~ん。プロフィールにはキリスト教の騎士修道会のマルタ騎士団の象徴である"マルタ十字"が真紅のマントの背に施されていた、とありますが・・・確かに雰囲気は不気味ですが、でも、もうこの時代ならこのテのレスラーはいなくもないタイプ?だったのでは?」

マルタの怪男爵と呼ばれたバロン・マイケル・シクルナ
 
先輩「それが、このシクルナは無名どころかサンマルチノの必殺カナディアン・バックブリーカーを初めて破ったレスラーだったんだよ」
 
探偵「ええっ!!」
 
先輩「それは1月の初対決での出来事で・・・サンマルチノがカナディアン・バックブリーカーを完全に決めたがシクルナはギブアップの声を発しなかったんだ。ロジャースを破ってから"決まれば必殺"となっていたサンマルチノのフィニッシュが初めて効かなかったんだよ」
 
探偵「でも、それだけだと単に技をこらえただけですし、長く決まれば危険ということでいずれはレフリーストップやドクターストップになるという話なのでは・・・」
 
先輩「そう。でも、それだけじゃなかったんだ。シクルナはそのあと、サンマルチノに担がれたまま妙な動きを反復し体の向きを変えると、フワッとマットに着地したというんだ」
 
探偵「サンマルチノのバックブリーカーから脱出をッ!?」
 
先輩「だが、そこからさらに信じられない光景が広がったんだ。サンマルチノのバックブリーカーを回避したシクルナが、今度は逆にサンマルチノを担ぎ上げ見たこともないバックブリーカー、マルタ式バックブリーカーに取りサンマルチノを失神させてしまったったんだよ」

探偵「失神!!その技は一体!?」

先輩「写真がある」

マディソンを騒然とさせたシクルナのマルタ式バックブリーカー
 
探偵「これは・・・この形はシクルナのコスチュームに施されたマルタ十字そのものじゃないですか。突如現れたレスラーがサンマルチノのフィニッシュを封印し、さらに未知の技でサンマルチノを失神させてしまうとは・・・この事実は衝撃を与えたんではないですか?それにタイトルも移動となればただでは・・・」
 
先輩「ああ、失神はさせたが腕が首にかかっていたことからチョークとされ、反則負けとなりタイトル移動はなかったんだ」
 
探偵「またもルールに救われたわけですね・・・」
 
先輩「そうだね。結局、翌月の2月21日に行われた定期戦でWWWF世界ヘビー級選手権をかけ再戦。サンマルチノが勝利し、以降シクルナがシングルでサンマルチノと戦うことはなかったが・・・まさに足元を救われるとはこういうことをいうんだろうな」
 
探偵「強者からダークホースまで、とにかくサンマルチノの首を狙っているやつでマディソンはひしめいていたということですね」
 
先輩「ああ。だがマディソンでのサンマルチノ時代は続く。翌月3月28日はキング・カーチス・イヤウケヤ、11月7日はブルドッグ・ブラワー、12月12日はタンク・モーガンとWWWF世界ヘビー級選手権をかけ対戦。王座を防衛している」
 
探偵「はい」
 
先輩「そして翌年の1967年もWWWF世界ヘビー級選手権を軸に1月30日にジェス・オルテガ。2月27日、3月27日、5月15日は宿敵ゴリラ・モンスーンと3回連続で対戦。6月19日はプロフェッサー・タナカと選手権を行ったのを皮切りに抗争となり、7月31日、8月21日の定期戦ではスパイロス・アリオンと組んでゴリラ・モンスーン、プロフェッサー・タナカとタッグで2回連続対戦している」

プロフェッサー・タナカとゴリラ・モンスーン。中央は名参謀ワイルド・レッド・ベリー
 
探偵「プロフェッサー・タナカ?あれ確かこの人、ブラック・レインって映画に・・・」
 
先輩「そう。80年代からは俳優をしていて、他にもチャック・ノリスやシュワちゃんの映画にも出ていたから知っている人も多いだろう」
 
探偵「日本人で海外でプロレスラーから俳優とはすごいですね。ロックことドウェイン・ジョンソンの走りですね」
 
先輩「ははは。なるほど、ロックの走りとはおもしろいな。しかしタナカは日本名を名乗っていたが実は日系人でもなく、ハワイ出身のフィリピン系だったとの説が強いんだ」

探偵「フィリピン系のプロレスラーですか。これは珍しいですね」

先輩「ああ、1906~1946年くらいまではフィリピン人のハワイへの労働移民は多かったそうだから、いわばフィリピン系二世となるんだろうけど・・・確かにフィリピンとプロレスが結びつく例はほとんどないから貴重かもしれないね」

探偵「それにしても佇まいが普通じゃない気がします。プロレス以前はどのような?」

先輩「タナカは幼い頃から柔道を学び、檀山流柔術(だんざんりゅうじゅうじゅつ:柔道、レスリング、沖縄空手、中国拳法、ハワイの伝統武術ルアから編み出されたハワイの武術といわれる)で黒帯で、その派の道場主でもあったそうだ。そして1955年からアメリカ軍に兵役し軍曹を務め1958年にプロレスデビューということらしい」
 
探偵「武術に軍隊とはすごい!!強い人だったんですね~。しかし名前を見る限り、スタイルはグレート東郷と同じ日系だったということですか?」
 
先輩「そう。チョップ、クロー、スリーパーを軸に試合を組み立てていたようだ。また東郷ばりのコーナーへの塩のお清め、塩の目潰しも得意だったという。70年代はミスター・フジとのコンビでも長くWWWFで活躍したんだ。日本では馬場さんのPWFヘビー級王座に挑戦したこともあり、ジャンボ鶴田ともシングルを行ったことがあるんだよ」
 
探偵「日本にも来たことがあるんですね。日系でない日系レスラー、その正体は超実力派かぁ・・・」
 
先輩「だな。ではその後だ。サンマルチノはWWWF世界ヘビー級選手権に戻り9月25日、10月23日には初期の強敵ハンス・モーティアと2回連続で対戦。またマディソンではなかったが、この年の夏からヒールとなったジョニー・バレンタインと7月にペンシルベニア州ピッツバーグのフォーブスフィールド、8月にメリーランド州ボルチモアのシビックセンターとペンシルベニア州ピッツバーグのフォーブスフィールド、9月にメリーランド州ボルチモアと・・・場所はマディソンではないがサンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に連続挑戦している」
 
探偵「ワットのときと同じく、ヒールとなったバレンタインがサンマルチノと戦ったわけですね」
 
先輩「そう。そして・・・1968年。年明けの定期戦であった1月29日にサンマルチノはプロフェッサー・タナカとWWWF世界ヘビー級選手権を行うんだが、これが3代目マディソン・スクエア・ガーデン最後の試合となった。当日のプログラムを可能な限り表記してみよう」

1968年1月29日
マディソン・スクエア・ガーデン
観衆14130人 (※3代目 最後の定期戦)
 
第1試合
ミグ・ペレス、ビクター・リベラvsギロチン・ゴードン、ルーク・グラハム
(タイム不明 ドロー)
 
第2試合
ブル・ラモスvsアントニオ・プリーゼ(トニー・パリシ)
ラモス(12分35秒 フォール勝ち)プリーゼ
 
第3試合
ハンス・モーティアvsエドワード・カーペンティア
(タイム不明 ドロー)
 
第4試合
ドミニク・デヌーチ(ドン・デヌーチ)vsスマッシャー・スローン(未来日)
デヌーチ(9分51秒 フォール勝ち)スローン
 
第5試合
ルイ・セルダン(ジノ・ブリット)vsマリオ・フラタロリ(詳細不明)
セルダン(10分7秒 フォール勝ち)フラタロリ
 
第6試合
アール・メイナードvsジョニー・ロッズ
メナード(7分36秒フォール勝ち)ロッズ
 
第7試合
アンジェロ・サボルディ(未来日)vsウェス・ハッチンズ(詳細不明)
サボルディ(タイム不明  フォール勝ち)ハッチンズ
 
第8試合
WWWF世界ヘビー級選手権
ブルーノ・サンマルチノvsプロフェッサー・タナカ
サンマルチノ(タイム不明 カナディアン・バックブリーカー)タナカ

3代目マディソン最後の試合でサンマルチノの相手をつとめたのはプロフェッサー・タナカだった
 
探偵「なるほど・・・3代目マディソン、最後のプロレスのラストがサンマルチノのカナディアン・バックブリーカーとは、なんかこう、グッとくるものがありますね」

先輩「そうだね。思い出の3代目マディソン、サンマルチノにもどこか思うところがあったんだろうなぁ。さて・・・1965年から1968年の3代目マディソンの最後までを見てきたが、どうだったかな」
 
 探偵「すごいと思いました。サンマルチノを軸に次々と挑戦者が現れては戦い、また現れては戦っていく。相手の数だけドラマチックな展開があり、それに人々が喜んだり怒ったり・・・熱狂したんだなと心から感じるものがありました。そんな当時のマディソンに足を運んだ人々の顔が目蓋に浮かびます」

先輩「おれも調べていて思った。マディソンのプロレスはプロレスだけじゃない。その熱狂した人々がいたからこそのプロレスだったんだなと、そう思ったよ」

探偵「ですね・・・」

先輩「さあ、マディソンは3代目に別れを告げ、いよいよ4代目の歴史に突入だ。まだまだ調査は続くぞ」

探偵「はい!!」

次回はMSGとプロレス特別編です。


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