85年に行われたUWFサンライズ・ウィークス。このシリーズでの格闘技ロード公式リーグ戦と名を打たれた総当たり戦で、運命の対決から約3カ月後の1月20日、佐山と高田が再び同じリングに上がる日がやってきた。
しかし、この対決の4日前の1月16日、ある事件が起こった。
旧・新生を通し、UWFという名称にしてこれが記念すべき初の大阪上陸となった大阪府臨海スポーツセンターでの格闘技ロード公式リーグ戦での公式戦の藤原との戦いで、佐山は左肩脱臼というアクシデントに見舞われてしまったのだ。
藤原との激戦で負傷してしまった佐山
かつて猪木がタイガー・ジェットシンの腕を折り、馬場さんが上田馬之助の腕を脱臼に追い込んだことがあった。遺恨・・・そうそれらは遺恨試合で起こった出来事だった。しかしこのときはちがった。シューティングという新しい格闘技を目指す佐山が、プロレスのリング上で負傷した、という事実だった。
格闘とは何か?ただ事ではない緊張感と興奮状態の中で相手と徹底的に、致命傷を負うまでやりあうことか?それともスポーツマンシップに乗っ取った競技として、文字通り競い合うことなのか?それは、どちらも間違いではない・・・だが、やるなら?この頃になると佐山は非常にシビアに旧UWFでのルールについて語るようになっていた。
プロである以上は見せなくてはならない。それはショーという意味ではなく、魅せること・・・そして残酷性というものを、やる方にも見る方にも与えないということ。これ以上やったら腕が折れてしまうとか、今のはダウンだとか・・・レフリーがキチンと見きわめてくれないとスポーツを通り越して殺し合いになってしまう。だからルールがレスラーのからだを守らなくてはいけないということ。そしてそれに伴った、身を保護する為のルールや保護具の確保。そのひとつがシューティング・シューズ・・・それはボクシングでいうグローブ、足に付けるグローブのようなもので・・・
極限で戦っていても、結果的に相手や自分が傷を負ったり、壊れてしまったり、壊してしまったりしては意味がない。そして、選手が体を痛めたりしない方向へ導くためのものも、佐山は重要視した。こういったスポーツ的競技性を樹立するための確固たるルールの設置。そして残酷性の排除。佐山が目指した最も重要なところはここだったと、受け止めることができる。佐山が考えていたシューティングは、やはりスポーツマンシップに乗っ取った競技、だったのだろう。
だが、佐山はこのシリーズは欠場はせず、この状態で試合に出場するという決断をする。ルールを語る一方で、ケガを押しての強行。それは一体、何を意味していたのだろうか?
一方、コンディションがよく、レスリングもキックも、この3カ月で前回の対決のときとは比べものにならないほど成長した高田。まさに満身創痍vs抜山蓋世という戦いになろうとしていたが、だが、その対決はそれだけではなく、途方もない大きな意味を持っていた。
そう、この試合は・・・高田が初めてレガースを付けてリングに立った試合だったからだ。
佐山が言っていたルール、そして、競技性を意識したのか?それとも今日から、蹴りで戦っていくという意思表示なのか・・・新調されたロングタイツにレガースを付けた高田。そして新しい格闘技を模索する佐山・・・そんなふたりの2度目の対決、その心は?
試合が開始された。
向かい合う両雄・・・いつものようにステップを使う佐山に対し、少々左腕を下げて構えてはいるが、完全に打撃モードが見て取れる高田。そこから・・・早々、最初に高田が動いた。
スピードも威力も、初対決を行ったあの日のものとはまったくちがっていた。迷いも恐れもない、そして単に当てるだけの蹴りでもなくなっていた。
ソバットも飛ばす
高田の蹴りは利き足からだけでなく、スムーズに交互に出ていた。ソバットも体が開かなくなっていた。まさに身に付いた技術での蹴りだ。
しかしローから、スーパータイガーも早いキックで反撃。ああさすが・・・思わずうなってしまう。フットワークひとつにしてもまったく重力を感じさせない。だがその蹴りは早くて重い。左では放るように蹴り上げ、右ではダウンブローがかかる・・・それは空手流でもなければキック流でもない、いわゆる“佐山の蹴り”である。
しかし!!
しかし高田も以前のままではない。この時点ではまだ、佐山を凌駕するキック力ではなかったが、それでも威力は十分増した蹴りと持ち前の負けん気で堂々蹴っていく。そして・・・目を見張るはグランドの攻防だった。試合が進むにつれ、高田は勝負の定石である、相手の痛めているところを責める攻撃を戦略に加えていった。
アームロックを狙い・・・
完璧な三角締め
そしてのちの代名詞となる腕ひしぎ逆十字でも追い込む
狙われるたび、かわしていく佐山だったが・・・しかしその都度、痛めていた肩にはダメージが加算されていった。
やがて勝負所を悟った高田は佐山の左肩にキックの集中砲火を浴びせた。それはまるで体ごとぶつかっていくかのように、激しいものだった。
佐山が立てない!!
ダウンし、うずくまる!!佐山が、負ける!?
勝った・・・
13分7秒、高田が勝った・・・ケガをしていたとはいえ、デビューしてわずか5年目であの佐山から勝利を得たのだ。
試合後の控室では笑みさえこぼれた高田。しかし、この勝利から数日後に試合を振り返る若き日の高田の心中とは・・・当時の雑誌に、高田が自ら書いた記事がそのまま掲載されているものがある。要所を抜粋し振り返ってみる。
「冷静に試合を振り返ってみると、ボクはまだまだ甘いということです。特にあの佐山さんは山ちゃん(山崎一夫)が着けているようなタイツをはくと、僕はキックがうまいんだぜい!!――みたいな錯覚を起こし、高田伸彦という個性がなくなってしまったのです。コスチュームひとつで個性をなくすなんて、まだまだですね。それに、あのコスチュームを着ると周囲に流されてしまう気もしましたね。やはり、僕はキック主体の攻撃を、現時点ではやらない方がよさそうです。ただ、キックは使いますよ。しかし、キックにこだわらない攻撃に、僕の個性があると思うのです。佐山さんとの試合では、スープレックス、関節技をほとんど出すことができませんでした。つまり試合の流れは佐山さんのものだったし、佐山さんのカラーだったわけです。佐山さんや藤原さんにはカラーがあります。ところが、僕はキックだったらキック、スープレックスだったらスープレックスにこだわりすぎて、UWFのレスリングを変に勘違いしていたようです。キックやスープレックスはもちろん、関節技も完全にマスターしていないのですから、僕にはキックしかないんだ――みたいな考え方を改めなければいけませんね(原文のまま)」
文面を読み高田がこの一戦で学んだものを考えてみると、それは戦いにおけるトータルバランスの必要性、だったのかもしれない。ひとつひとつに気持ちを込め、反省し次に生かそうとしている様がよく見て取れた。
しかし・・・佐山はルール、高田は己の反省点を語ることはあっても、試合後お互いを語ることはなかった。
もはや、お互いに得るものはなかったのだろうか?それとも、語らずも、戦った者同士でしかわからない何か・・・手を合わすことで、戦うことでお互いを認め合っていた、見えない会話が成り立っていたのだろうか?それとも同じ頂上を目指しながら、お互いまったく別ルートから登っていく登山家のような存在だったのだろうか?いや、初めから同じ山すら登山していなかっただけだったのだろうか・・・
ふたりは共に通過線上ですれ違うだけの存在だったのだろうか?
その答えは・・・旧UWF最後の戦いの日が、教えてくれるのかもしれない。