どうも!!流星仮面二世です!!
さて、前回やりました週刊ゴングの創刊号紹介が好評だったので、今回は週刊プロレスの創刊号をご紹介してみようと思いますよ。
週刊プロレス、前回紹介した週刊ゴングが84年の5月創刊でしたが、週プロは83年の8月創刊ということでゴングよりも早かったんですね。で、この週刊化から今なお続く、現存するプロレス雑誌としてはもっとも歴史の長いものになりますね~。でもボクの感覚では現在の週プロってもはや名前だけが共通で別物といった感がありますけどね・・・
では表紙から見ていきましょう!!
これが週刊プロレス創刊号だ
表紙はタイガーだったんですね。ゴングでは表紙をめくってのトップは第二回IWGPでしたが、はたして週プロはなんだったのでしょうか!?興味津々でめくると・・・
なんと!!
こ、これは!!まさかのジェットシン!!7月19日大阪府立体育館での特別試合です。そうかぁ~週プロの歴史はテリーvsジェットシンで始まったのか・・・しかしなぜ!?
テリーの泣き所の膝を徹底的に攻めるジェットシン
そう、じつはこのシリーズ、テリーファンクさよならシリーズでテリーが引退することになっていたので、 この頃はプロレス雑誌ではテリー関連が多かったんですね。それにしても、これはビックリですねぇ・・・
で、さらにビックリなことに、巻頭のカラーはこのテリーvsジェットシンの試合のみ。以降モノクロに移行します。
そしてタイガー登場
しょっぱなから意表を突かれましたが、ここでタイガーの登場です。こちらはタイガー、星野vs寺西、小林の試合の模様ですね。7月20日旭川市総合体育館とありますね。
小林のタイツがなつかしい
もうあれですね、この頃は新日本におけるタイガーの末期だったわけですよねぇ・・・この試合が7月20日ですね?このあと1か月にも満たないでタイガーがさよならしちゃうなんて夢にも思わなかったなぁ~。
見出しに哀愁が・・・
続いては同じ7月20日の新日本の試合です。が・・・この見出しは!?そう、この頃は日本人対決が盛んだったので、あまり外人レスラーが目立たなくなってしまった時期でしたよね。せっかくマードック、アドニスがシリーズ参加しているのにもったいないなぁ~。
ウィークリー・フォーカス
さて、初期にはレスラーのリング外の姿を伝える、こんなコーナーがあったの覚えてますかね?この創刊号では、なつかしのジェリー・モローがスネーク奄美のお墓参りをするところが紹介されています。
ボクらの年代だと新日本にレフリーで来ていたのが印象的ですね。一方、若くして亡くなってしまったスネーク奄美は国際プロレスのレスラーでしたが、高校時代、鹿児島商工ってレスリングの強豪校があったんですが、ボクらの頃は鹿商工って呼んでたんですがね、そこでインターハイと国体で2冠という強者だったそうです。この人のプロレス、見たかったですねぇ・・・
中記事の特集です
特集記事はこちら、タイガー消滅の危機。実際この後1か月にも満たないうちにタイガーはいなくなってしまいますが、この記事では以降に知るタイガーの事情ではなく、梶原一騎先生の逮捕による、いわゆる権利関係からくる名前やコスチューム変更による存在危機を書いています。そういえばリングネーム変更なんて企画もありましたよね。タイガーもいろいろあったんだろうなぁ・・・
アフターアワーズNOW
活字での記事が続きます。これ、ありましたね。いろいろな人物のプロレスに関するお話を載せるやつでしたね。これは週プロ独特のものでしたねぇ~。
中にはこんな人も・・・
このアフターアワーズNOWの創刊号にはなんとタモさん、そしてボクは好きでよく見ていたんですが、あの「世界の料理ショー」でグラハム・カーの吹き替えをしていた黒沢良さんが登場し力道山vs木村を語っています。
ちなみにタモさんは・・・
若かりし日のタモさん。このときなんと前田日明の後援会長だったそうです。だから旧UWFの頃によくタモリ倶楽部出てたのかな?
中間カラーです
中ページのカラーです。ここではなんと猪木の自宅紹介が!!このとき猪木は第一回IWGPでのダメージを理由に欠場中だったようですね。ちなみにこの犬の名前はロッキーだそうです。
そうえば
そうですよねぇ~。この頃の猪木の家って豪邸で有名でしたよね。
ああ~・・・
そんな豪邸にあって、猪木の家にはおじいさんの相良寿郎の遺影が・・・
やっぱり猪木にとっておじいさんは偉大な存在なんだなぁ・・・
中間のカラーページはこの猪木の家だけでしたが、月刊プロレスでも自宅紹介はよくやっていましたよね。当初は月刊の流れを組んでいたのがよくわかります。ちなみに後々中間に付いていたピンナップはまだなかったようです。あれはいつくらいから始まったのかな?
そうそう
そう、週プロといえばこの読者のページが名物でしたよね。読者のリングは似顔絵、なんでもベストテン、それにプロレスへのアツき思いの投稿がありましたよね。現在の、ボクらくらいの年代の人が書いてるプロレスブログの起源、原点と言ってもいいかもしれませんねぇ~。でも、のちのあぶない木曜日はちょっとジャンプ放送局みたいになってしまい、やりすぎって感じがしないでもなかったですよね。
あと
そうそう!!あと、譲ります、譲ってください、文通希望やファンクラブ情報なんてのもありましたよね。ファンクラブ情報なんてのは公認じゃない、ファンどうしでのやつとかね。一緒に見に行きませんかー!!とか、みんなで語り合いましょーとかね。あと仲間同士で作るプロレスクラブみたいなのもあって、対戦者求む、なんてのもあって(あれは週刊ザ・プロレスの方だったっけか?)
まぁとにかく、個人情報なんて言葉がなかったんですよねぇ・・・なのでこういった募集事項の住所、名前を惜しげもなく全国紙に載せていられた時代背景は、もはやなつかしいですよね。
さあ後半です
さて、後半のモノクロです。試合は馬場さんと上田の試合が載っています。先にテリーvsジェットシンで紹介された大阪での試合と同じ日に行われた試合ですね。
上田はこの年の春、馬場さんのショルダーアームブリーカー(スタンドで脇固めのように腕を取り、そのままジャンプして叩きつける技。猪木のやつとは別物)で左肩を脱臼に追い込まれていることもあり、ちょっとした遺恨試合だったようです。
当時の全日本らしく・・・
このとき上田はフリーだったんですね。今に思えば、当時のフリーって珍しかったですよね。あと両者リングアウトという試合結果・・・今では珍しいものになってしまいましたが、当時の全日本は両者リングアウト多かったですよね。
続いてもうひとつ
馬場さんの試合の他に大阪でのアジア・タッグ選手権の様子が伝えられています。原、井上vsジプシー・ジョー、ジェリー・モローという対戦カードです。
これね・・・かなり昔に書いたことがあるんですが、ボクはマイティ井上・天下り説を唱えるものなんですよ。当時そんな人気あったか?といえば絶対にそんなことなかったし・・・だって学校でプロレス話しててマイティ井上の話題で盛り上がったことなんてなかったですよ?
でもこうしてタイトルは常に保持していて、ジュニアでもタッグでも、おれは試合やってるぜ!!くらいな感じで雑誌にはよく登場していたんですよね。これが不思議でたまらなかったんですよねぇ・・・
だいたいあれですよ、まだアジア・タッグはわかりますがジュニアの王者だったって絶対おかしいと思いませんでした?どう見たってヘビー級じゃないですか・・・国際の頃だってヘビー級でIWAタイトル持ってって、その頃と体型なんか変わってないのになんでジュニアも持ってたんですかね?
なんか裏の顔があったに違いない・・・と今でも思っています。って、どうでもいい話で失礼しました・・・
最後のカラーです
終盤です。こちらはタイガーの試合と同じく旭川での試合ですね。長州と藤波の抗争がメインですねぇ~。
いやぁ~
藤波、木村、坂口と長州、浜口、戸口という6人タッグですね。この頃はこういうカード多かったですが、長州、浜口とタイガー戸口って珍しい顔合わせですね。試合は藤波が戸口に雪崩式ブレーンバスターを決め快勝。このとき藤波は最終戦で行われる長州とのWWFインターを意識していたようですね。懐かしいですね。
最後はこちら
最後はタイガーです。これ、何しているかわかりますか?タイガーが持っているの、なんとパソコンですよ!!記事を読むと第一回のIWGPよりも前のシリーズから購入したパソコンを持ち歩き、宿泊先などでやっていたようです。しかも内容が経理士の勉強中とあります。
スゴいと思いませんか?83年ですよ?この時点でもうパソコンをこなして、経理の勉強をしていたという・・・格闘技の考えもそうですが、この人はやることが何でも10年は先取りしているんですよね。すごいですよ、本当に・・・
余談ですが、ボクの持っていたタイガーのマスクは、これなのでは・・・なんて長い間、思っていて、なんでも鑑定団で判明するまではにわかな期待をしていました。そんなわけであのときは、今回紹介しているこの週プロも一旦はマスクと一緒にテレ東へお貸ししたんですよ~。なはは・・・
ということで・・・いかがでしたかね?またまた当時のいろんなこと思い出しましたか?
さあ次回はいよいよ週刊ビッグ・レスラー創刊号で完結!!
いや!!
さすがに週刊ビッグ・レスラー創刊号持ってないので(別冊の創刊号は持ってるんだけどなぁ)
誰かやってくれたらうれしいですね~。
週プロ創刊号特集でした。